2013年2月3日日曜日

チェルノブイリ原発事故:国際原子力共同体の危機. ミハイル・V・マリコ. ベラルーシ科学アカデミー・物理化学放射線問題研究所(ベラルーシ) はじめに チェルノブイリ事故から11年たった.この間,多くのデータがベラルーシ,ロシア,ウクライナの科学者によって明らかにされてきた.これらのデータは,チェルノブイリ事故が原子力平和利用における最悪の事故であったことをはっきりと示している.この事故はベラルーシ,ロシア,ウクライナの環境に大変厳しい被害を与え,これらの国の経済状態を決定的に悪化させ,被災地の社会を破壊し,汚染地域住民に不安と怖れをもたらした.そして,被災地住民とその他の人々に著しい生物医学的な傷を与えた. 今日,チェルノブイリ原発の核爆発が生態学的,経済的,社会的そして心理学的に,どのような影響を及ぼしたかについては議論の余地がない.一方,この事故が人々の健康にどのような放射線影響を及ぼしたかについては,著しい評価の食い違いが存在している.チェルノブイリ事故直後に,被災した旧ソ連各共和国の科学者たちは,多くの身体的な病気の発生率が著しく増加していることを確認した.しかし,“国際原子力共同体”は,そのような影響は全くなかったと否定し,身体的な病気全般にわたる発生率の増加とチェルノブイリ事故との因果関係を否定した.そして,この増加を,純粋に心理学的な要因やストレスによって説明しようとした.“国際原子力共同体”がこうした立場に立った理由には,いくつかの政治的な理由がある.また,従来,放射線の晩発的影響として認められていたのは,白血病,固形ガン,先天性障害,遺伝的影響だけだったこともある.同時に,“国際原子力共同体”自身が医学的な影響を認めた場合でも,たとえば彼らはチェルノブイリ事故によって引き起こされた甲状腺ガンや先天性障害の発生を正しく評価できなかった.同様に,彼らには,チェルノブイリで起きたことの本当の理由も的確に理解することができなかった.こうしたことを見れば,“国際原子力共同体”が危機に直面していることが分かる.彼らは,チェルノブイリ事故の深刻さと放射線影響を評価できなかったのであった.彼らは旧ソ連の被災者たちを救うために客観的な立場をとるのでなく,事故直後から影響を過小評価しようとしてきたソ連政府の代弁者の役を演じた.本報告では,こうした問題を取り上げて論じる. チェルノブイリ事故原因と影響についての公的な説明 チェルノブイリ原発事故は,原子力平和利用史上最悪の事故として専門家に知られている.事故は1986年4月26日に発生した.その時,チェルノブイリ原発4号炉の運転員は,発電所が全所停電したときに,タービンの発電機を使って短時間だけ電力を供給するテストを行なっていた.事故によって原子炉は完全に破壊され,大量の放射能が環境に放出された.当初,ソ連当局は事故そのものを隠蔽してしまおうとしたが,それが不可能だったため,次には事故の放射線影響を小さく見せるように動いた. 事故後すぐに,国際原子力機関(IAEA)とソ連は事故検討専門家会議をウィーンで開くことに合意し,その会議は1986年8月25日から29日に開かれた.その会議で,ソ連の科学者は事故とその放射線影響について偽りの情報を提出した1. ソ連当局の見解では,事故の主な原因は,チェルノブイリ原発の運転員が運転手順書に違反したためだとされた.ソ連の専門家はまた,チェルノブイリ事故による放射線影響の予測も示した.その評価によれば,確定的影響(訳注:急性の放射線障害など一定のレベル以上の被曝で生じる障害)を被るのは,事故沈静化のために働いた原発職員と消防隊だけであるとされた.彼らは,住民には確定的影響が現れる可能性はないとし,また確率的影響(訳注:ガンや遺伝的影響など,確率的に発生する晩発性障害)も無視できる程度でしかないという予測を示した.たとえば,線量・効果関係にしきい値がないとした仮定に基づいて評価しても,ガンの死亡率の増加は,自然発生ガン死に比べて,0.05%以下にしかならないというのが彼らの予測であった.この結果は,ソ連のヨーロッパ地域(約7500万人)の人々についての計算であった. ソ連からの説明は会議参加者によって完全に受け入れられた.そのことは,1986年9月にIAEAが発行した事故検討専門家会議の要約報告を読めば分かる2.その報告の28ページには,以下のように書かれている. 「前述の説明は,ソ連の専門家が提出した作業報告や情報に基づいている.この情報に基づくチェルノブイリ4号炉事故の経過はもっともなものとして理解できる.そのため,別の説明を求めるための試みは行なわなかった.」 同じ報告の17ページには以下のようにある. 「誤操作と規則違反が,事故を引き起こした主要な要因である.」 IAEAの会議に出席した人たちは,ソ連の専門家が示した放射線影響の予測についても同意した.そのことは,IAEAの事故検討専門家会議の要約書7ページに以下のように書かれていることから分かる. 「13万5000人の避難者の中に,今後70年間に増加するガンは,自然発生のものに比べて,最大でも0.6%しかないであろう.同じように,ソ連のヨーロッパ地域の人口についていうならば,この値は0.15%を超えないものとなるし,おそらくはもっと低く,0.03%程度の増加にしかならないであろう.甲状腺ガンによる死亡率の増加は1%程度になるかもしれない.」 国際原子力共同体の,こうしたものの見方は,今日に至るまで変わっていない. 事故検討専門家会議が,チェルノブイリ事故原因と放射線影響についてもっともらしい説明をし,それが国際原子力共同体によって受け入れられてきた.しかし,これらの説明は誤っており,正しくない.今日では,事故の本当の原因は,ウィーンでの事故後検討会議で述べられたような運転員の誤操作2ではなく,RBMK型原子炉(訳注:「チャンネル管式大出力原子炉」というロシア語の略.チェルノブイリ原発では,この型の原子炉が4基稼働していた)原子炉そのものが持つ欠陥にあることが知られている3. 最も重要な欠陥は, 大きな正のボイド係数 低出力における不安定性 出力暴走の可能性 不適切な制御棒(制御棒の下端に黒鉛でできた水排除棒がつながれていた) である3. IAEAがチェルノブイリ事故の本当の原因について正しい説明にたどり着くまで,ウィーンでの事故後検討会議から何と7年もかかったことに注意しておこう. そこで疑問が起こる.ウィーンの会議で,ソ連の専門家たちは,RBMK型原発の安全性を向上させるための改善策を練っていることを語った.すなわち,燃料濃縮度を2.0%から2.4%に引き上げること,炉心に挿入する制御棒の数を増やすことである(これら2つの方策は,事故の主要な原因の1つであったRBMK型原発が持つ正のボイド係数問題を改善するために導入されたものである).西側諸国の専門家たちは,こうしたことを知った後で,なぜチェルノブイリ事故原因についての別の説明を探してみようとしなかったのであろうか? より迅速に作動する炉停止系と,その他のいくつかのシステムを採用するという改善策もまた知られていたのである. ウィーンでの事故検討専門家会議の参加者たちが,どうして事故の本当の原因を理解できなかったのか? これについては,2つの解釈の仕方がある.第1の解釈は,この会議に参加した専門家には,RBMK型原子炉の特性が本当に理解できなかったというものである.第2の解釈は,原子力のイメージを守るために,ソ連の公式見解に疑いをさし挟みたくなかったというものである.第1の解釈はおよそ信じがたい.なぜなら,ウィーンの事故検討専門家会議でソ連の専門家が示した,RBMK型原子炉の核的安全性を改善するための方策のすべてが,この型の原子炉の設計に欠陥があることをはっきりと示していたのである.2番目の解釈の方がより当たっているように思えるし,もしそうだとするならば,原子力安全の場にいる専門家たちは原子力平和利用がもつ真の危険性を隠蔽するつもりだということになり,いっそう不愉快なものである. IAEAが文献3を公表したことにより,チェルノブイリ事故原因についての誤った説明は実質的に行なわれなくなった.しかしながら,事故による放射線影響については,いまだに異なった立場が存在している.実際,今日に至ってもなお,国際原子力共同体は,チェルノブイリ事故の放射線影響はほぼ無視できると主張している.1995年になってようやく,彼らはベラルーシ,ロシア,ウクライナでの甲状腺ガンの多発と放射線被曝との関連を認めた4.しかし,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの専門家たちが見いだしたその他のすべての影響については,完璧に否定している5. たとえば,ベラルーシの被災地における先天的障害発生についてのG・ラジューク教授たちのデータ6,7を,国際原子力共同体は認めていない.同じように,ベラルーシ,ロシア,ウクライナで事故直後に確認された,さまざまな身体的な病気の発生率がはっきりと増加したという貴重な統計学的データについても認めようとしない.ソ連の専門家は,チェルノブイリ事故の放射線影響は観察することさえできないものだとし,それがウィーンの事故検討専門家会議で受け入れられた.そして,チェルノブイリ事故による放射線影響に関するかぎり,国際原子力共同体は未だにその考え方を支持し続けている. こうした国際原子力共同体の立場は,事故直後からチェルノブイリ事故の放射線影響を過小評価しようとしてきたソ連当局にとって,大変重要なものである.事故当時,ソ連は大変困難な経済危機に陥っていたため,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの被災者たちに必要な援助をすることができなかった.ソ連にできたことは,被災者に対するごく限られた援助だけであった.そのため,旧ソ連の時代には,チェルノブイリ事故とその影響に関するすべての情報は秘密にされた.それも大衆に対してだけでなく,多くの場合,放射線防護の専門家に対してさえ秘密にされたのであった.たとえば,1986年の事故検討専門家会議に提出されたソ連の専門家によるデータは,ソ連国内では長い間,秘密であった.ソ連国内の汚染地域でとられていた防護処置についての文書もまた秘密にされていた. チェルノブイリ事故被災者の医学的影響 「350ミリシーベルト概念」 いわゆる350ミリシーベルト概念,すなわち,被災者の被曝限度を一生の間に350ミリシーベルトと定めた主な理由は,おそらくソ連の複雑な経済状況であった.この概念は,1988年秋にソ連放射線防護委員会(NCRP)によって作られた8. この350ミリシーベルト概念は,以下の仮定に基づいている. ソ連国内汚染地の大多数の住民にとって,外部被曝と内部被曝を合わせた,チェルノブイリ事故による個人被曝は,1986年4月26日を起点とする70年間に350ミリシーベルトを超えない. 汚染地域で生活する人の全生涯に,事故によって上乗せされる被曝量が350ミリシーベルト程度かそれ以下であれば,住民への医学的な影響は問題にならない. こうした仮定により,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの全チェルノブイリ被災地において,移住を含めた何らの防護措置も実質的に行なう必要がなくなった.この350ミリシーベルト概念は,1990年1月から実施されるはずであった.その実施によって,事故後汚染地でとられてきたすべての規制は解除されることになっていた.  350ミリシーベルト概念は,1986年夏にソ連の専門家が行なった医学影響予測1に基づいている.また,1988年末イリイン教授の監督のもとで行なわれた改訂版の評価9にも基づいている.その新しい評価は,昔のものと非常によく一致していた.しかし,古い評価と同様,新しい評価も正しくない.そのことは,甲状腺ガンの評価からはっきりと見て取れる.新しい評価9によれば,チェルノブイリ事故によってベラルーシの子供たちに引き起こされる甲状腺ガンは,わずか39件とされている.そして,その症例は5年の潜伏期の後,30年かけて現れるはずであった.つまり,ベラルーシの子供たちにはじめて甲状腺ガンが増えてくるのは,1991年になってのことだと予測されていた.  イリイン教授らの予測9は完全に誤りであった.そのことは,表1に示すベラルーシにおける甲状腺ガン発生件数のデータ10をみれば分かる.チェルノブイリ事故前9年間(1977-1985)においては,ベラルーシで登録された小児甲状腺ガンはわずか7例であった.つまり,ベラルーシにおける自然発生の小児甲状腺ガンは,1年に1件だということである.ところが,1986年から1990年の間に,47例の甲状腺ガンが確認され,それはイリインらによる予測9に比べれば9倍以上に達する. 表1 ベラルーシにおける甲状腺ガン発生数 (大人と子供)10 事故前 事故後 年 大人 子供 年 大人 子供 1977 121 2 1986 162 2 1978 97 2 1987 202 4 1979 101 0 1988 207 5 1980 127 0 1989 226 7 1981 132 1 1990 289 29 1982 131 1 1991 340 59 1983 136 0 1992 416 66 1984 139 0 1993 512 79 1985 148 1 1994 553 82 合計 1131 7 合計 2907 333 チェルノブイリ事故後最初の10年,つまり1986年から1995年の間にベラルーシで確認された甲状腺ガンの総数は,424件であった11.この値は,事故後35年の間に全部で39件の小児甲状腺ガンしか生じないというイリインらの予測9に比べ,すでに10倍を超えている.予測と実際を比べてみれば,チェルノブイリ事故による小児甲状腺ガンの発生について,ソ連の専門家の予測は大変大きな過小評価をしていたことが分かる.同じことは,旧ソ連の汚染地域における先天性障害に関してもいえるであろう.ソ連の専門家の評価1,9は,それが見つかる可能性すら実際上否定していた.その結論の誤りが,ラジューク教授ら6,7によって示されたのであった. 上述した事実は,チェルノブイリ事故による放射線影響に関してソ連の専門家が行なった評価1,9が,著しい過小評価であることをはっきりと示している.そのことは,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの汚染地域において,事故直後から被災者の間に健康状態の顕著な悪化を確認してきた多くの科学者たちにとっては,自明のことであった. ところが,ソ連当局と国際原子力共同体は,彼らの評価結果1,9と350ミリシーベルト概念が正しいと考えていた.国際原子力共同体が,チェルノブイリ事故の放射線影響に関するソ連の新しい評価9や350ミリシーベルト概念の意味するものを十分に承知していることに注意しておかねばならない.ソ連医学アカデミーの会議の後,イリイン教授らの報告9は,世界保健機構(WHO)に提出され,後日それは,有名な国際雑誌に科学論文として掲載された12.350ミリシーベルト概念についても同様である.その350ミリシーベルト概念に関する報告は,1989年5月11-12日にウィーンで開かれた国連放射線影響科学委員会の第38回会議13において,イリイン教授によって提出された.この概念は,国際原子力機関(IAEA)事務局が1989年5月12日に開いたチェルノブイリ事故影響に関する非公式会議にも提出された14. このソ連の新しい評価は,国際原子力共同体の専門家からは何らの批判も受けなかった.そのことは,イリイン教授らの論文12の内容が,もとの報告9と大きく変わっていなかったことからも分かるし,ソ連政府に350ミリシーベルト概念を実施させるために国際原子力共同体が多大な手助けをしたことからも分かる.   世界保健機構(WHO)の専門家 WHOによる支援は,1989年6月にWHOの専門家グループがソ連を訪問したことで示された.この訪問はソ連政府の要請で行なわれた.このWHOの専門家グループに加わったのは,以下のメンバーである.D・ベニンソン博士(国際放射線防護委員会(ICRP)委員長,アルゼンチン原子力委員会許認可部長),P・ペルラン教授(フランス保健省放射線防護局長,ICRP委員),P・J・ワイト博士(WHO環境健康部所属の放射線学者)15. WHOの専門家たちは,モスクワでのソ連国家放射線防護委員会の会議に出席し,350ミリシーベルト概念の原則と実施方法について議論に加わった.彼らは,ソ連の汚染された各共和国の専門家や,汚染地の住民とも会合を持ち,議論した.ミンスクでは,ベラルーシ科学アカデミーが開いたチェルノブイリ問題の特別会議に出席した.L・イリイン教授,L・ブルダコフ教授,A・グスコワ教授などソ連保健省の著名な学者たちも,それらの会議に出席した. これらすべての会議や議論において,WHO専門家は,チェルノブイリ事故が被災者に有意な健康被害を引き起こさないというソ連の公式見解を完全に支持した.彼らは,350ミリシーベルト概念に賛成しただけでなく,もし一生の間の被曝量限度を設定するよう求められれば,350ミリシーベルトではなく,その2倍か3倍高い被曝量を選ぶだろうと,自分から発言しさえしたのであった15. ベラルーシ,ロシア,ウクライナの汚染地域では,事故直後にさまざまな病気の発生率増加がみられたが,WHOの専門家たちは,それと放射線の間には何らの因果関係もないと主張した.この点について,彼らはソ連政府への報告書の中で次のように述べている. 「放射線障害に詳しい知識を持たない科学者たちが,さまざまな生物学的な効果や健康上の現象を放射線被曝と関連づけた.これらの変化が放射線と関連することはあり得ず,心理的要因やストレスによるものであろう.そうした効果を放射線に関連させたことは,人々の心理的圧力を増加させただけだったし,さらにストレス関連の病気を引き起こした.そして,放射線専門家の能力に対する大衆の信頼を徐々に損ねたのであった.次に,それは提案されている規制値に対しての疑いにつながった.大衆や関連する分野の科学者たちが,住民を守るための提案を適切に理解できるようにして,この不信感を乗り越えねばならないし,そのための教育制度の導入が早急に検討されるべきである15.」 ソ連当局は,チェルノブイリ事故の規模とその放射線影響を何としても小さく見せたいとしてきたが,報告15から引用した上の文章は,WHOの専門家がそうしたソ連当局を擁護する役割を演じていることをはっきりと示している. 1990年1月,赤十字の特別使節団も,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの汚染地域を訪れた.この使節団は,英国,スウェーデン,オランダ,西ドイツ,日本の,それぞれ異なった医学分野の有能な専門家6人で構成されていた16.赤十字と赤新月使節団の専門家たちは,汚染地域の放射線状況をWHOの専門家よりは注意深く評価した.しかし,彼らにしてもまたチェルノブイリ事故被災者の健康状態を悪化させている本当の原因を理解することはできなかった.汚染地から戻った後,彼らは報告を書いたが,その要約には次のように結論されている. 「報告されている健康問題は,大衆や一部の医者によって放射線による影響と受け止められているが,その多くは放射線とは関係ないと思われる.大衆の健康診断が改善されたこと,生活パターンや食生活の変化というような要因について,これまであまり注意が払われてこなかった.特に,心理的なストレスや不安といったものが,これらは現在の状況では理解できるが,さまざまな形で身体的な症状を引き起こし,健康に影響をおよぼしている16.」 それでも赤十字と赤新月使節団はベラルーシ,ロシア,ウクライナの汚染地域が深刻な状態にあることを理解した.場合によっては,住民の移住が対策の1つとして認めうるという正しい結論に,彼らは達している.このことを考慮して,住民の移住の指標には単に放射線の被曝量だけでなく,被災地域住民の社会・経済的な状態も考慮しなければならないと彼らは指摘している.ソ連当局は,被曝を避ける手段として,移住を用いないようにあらゆる試みをしてきたのであり,上の結論は大変重要なものである.   国際チェルノブイリプロジェクト  1990年に,IAEAの後援のもと,国際チェルノブイリプロジェクトが行なわれた.このプロジェクトは1989年10月にソ連政府が送った手紙に基づいて始められた17.その手紙は,チェルノブイリ事故後,ソ連がとってきた対策や将来における防護対策について評価してくれるようにIAEAに求めたものであった.この評価に基づいて得られた結論は,1991年に特別報告として公表された.チェルノブイリ事故の生物医学的影響について,その報告は以下のように述べている17. 「調査を行なった汚染地域とその対照地域の両方の住民に,放射線以外の原因による健康上の障害がみられたが,放射線と直接に関係がある障害はみられなかった.事故に関連する不安が高レベルで継続し,心配やストレスといった形で多大な負の心理的影響を及ぼした.それは,汚染地域の境界を超えて広がっている.こうした現象は,ソ連の社会経済的また政治的変化とも関連している. 調査した公式データによれば,白血病とガンの発生率は著しい増加を示していない.ただ,いくつかのガンについては,それが増加している可能性を排除できるほど詳しいデータが整っていない.報告されている子供の甲状腺に対する吸収被曝線量の評価値によれば,将来,甲状腺ガンの発生が有意に増加するかもしれない. プロジェクトが評価した被曝量と,今日受け入れられている放射線のリスク係数に基づけば,どんなに大規模で詳細な疫学研究を長期間行なっても,自然発生のガンや遺伝的影響と区別できるような増加は将来も観察できないであろう17.」 国際チェルノブイリプロジェクトの参加者たちは,1986年8月にウィーンの事故後検討会議に提出されたソ連政府の公式予測1,あるいは文献2,9の結論を繰り返しているのだということが,この要約から分かる. 国際チェルノブイリプロジェクトによる報告書では,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの科学者たちが汚染地域で見いだしてきた病気全般にわたる発病率の増加について,次のように結論している. 「放射線によるとされた健康被害は,適切に実施された地域調査,およびプロジェクトによる調査のいずれによっても,証拠づけられなかった. これまで汚染地域で行なわれきた健康調査は,多くの場合不適切で混乱を引き起こしたし,時には全く矛盾していた.このような失敗の原因には以下のようなものがある.整備された機器や物資の不足,不十分な記録あるいは科学文献の利用ができないことによる情報の欠如,訓練された専門家の不足などである17.」 こうした声明にしたがえば,チェルノブイリ事故による放射線生物学的な影響は,大したものでなかったことになってしまう.しかしながら,そのような結論は誤りであり,国際チェルノブイリプロジェクトの数年後にはそれが証明された.しからば,国際チェルノブイリプロジェクトに参加した専門家がチェルノブイリ事故の放射線影響を評価するに当たって,どうしてこんなにも楽観的でいられたのか疑問がわいてくる.この疑問は,プロジェクトの参加者のほぼ全員が,彼らの楽観的な評価に反する証拠を示した文献を持っていたことを考えれば,よりいっそう正当な疑問となる. ベラルーシの保健大臣は,IAEA事務局が1989年にウィーンで開いた非公式会議に,報告18を提出していたが,国際チェルノブイリプロジェクトに参加していた国際的な専門家たちはその報告を知っていた.ベラルーシの大臣は,小児甲状腺ガンの発生率が,特にゴメリ州の高汚染地域において,有意に上昇していると報告していた.彼はまた,新生児の先天性異常発生率が上昇していることについても,会議の参加者に以下のように報告した. 「放射能汚染地域における先天的な発達障害(厳密な診断記録に基づく)を持った子供の出生率は,ここ数年,共和国のその他の地域(グロードゥノ州はのぞく)に比べて,有意に大きな上昇率で増加してきた.ベラルーシ全体についてのこの指標は(出生1000件当り)5.65件であるが,汚染地域では6.89件となっている18.」 被災地住民の健康状態が一般的に悪化していることについて,大臣は次のように述べている. 「大人については,糖尿病,慢性気管支炎,虚血性心疾患,神経系統の病気,胃潰瘍,慢性呼吸器系の病気などで苦しむ人が,1988年には,それ以前に比べて2倍から4倍に増加した.また,種々の機能失調,神経衰弱,貧血,扁桃腺や耳鼻咽喉系の慢性疾患などを持った子供たちの割合が著しく増加した.同時に,あらゆる分野の医師たちが,多くの病気で病状が重くなり症状が長期化すること,複雑な病気の頻度が増えていることを指摘している18.」 ベラルーシの大臣が提出した報告は公式のものであるにもかかわらず,国際チェルノブイリプロジェクトはそれを完全に無視してしまい,考慮しなかった.この無視の理由を,国際原子力共同体は次のように説明している.すなわち,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの汚染地域で働いている専門家は能力が低く,これらの地域や非汚染地域での罹病率についての信頼できるデータがないというのである. すくなくともベラルーシに関するかぎり,そのような説明は正しくない.たとえば,ベラルーシでは,厳密な診断に基づく先天的障害の調査が1982年から行なわれてきた6.ベラルーシでは,手足の欠損,脊椎披裂,多指症のような先天性障害が認められた場合には,国家登録への届け出が義務づけられている.そのため,先天的障害についての信頼できる統計データが蓄積されてきたのである.   ベラルーシの子供たちの甲状腺ガン ベラルーシの専門家が高度な専門的能力を持っていることは,小児甲状腺ガンの症例についても証明された.1992年9月,ベラルーシの専門家グループが,ベラルーシにおける小児甲状腺ガンのデータを科学雑誌ネイチャー19に発表した後,他国の専門家たちはあれこれと疑問を呈した.文献20,21では,ベラルーシにおいて小児甲状腺ガンが著しく増加した原因は,チェルノブイリ事故後,健康調査方法が改善されたせいだとされた.WHOの専門家たちは,もっと奇妙な2つの仮説を示した22.1つ目の仮説は次のようなものである.被災地では,放射性ヨウ素が減衰してなくなってしまった後,風土病である甲状腺腫の予防のために子供たちに安定ヨウ素剤が投与されたが,それが小児甲状腺ガンの発生率を増加させた原因でありうるというものである.2番目の仮説は,ベラルーシにおける小児甲状腺ガンの増加は,化学肥料と殺虫剤で高度に汚染された中央アジアからベラルーシに持ち込まれた果物や野菜中の化学物質(硝酸塩など)が原因だというものである. これらの仮定が誤りであることは明白である.ベラルーシ,特にゴメリ州やブレスト州においては,土壌中に安定ヨウ素が欠乏しているため,チェルノブイリ事故のずっと以前から安定ヨウ素剤が使われてきた.それでも,チェルノブイリ事故以前には甲状腺ガンの増加などベラルーシでは観察されていなかった.一方,ソ連中央アジアからの果物や野菜の量は,ベラルーシの多くの子供たちに行き渡るほど大量のものではなかった. ネイチャー誌の論文19が出た時点では,ウクライナでは甲状腺ガンの増加がほんのわずかしか見られていなかったし,ロシアにおいては全く見られていなかった.そのため,WHOの専門家たちは,彼らの仮説が正しいと信じた.こうしたベラルーシ,ウクライナ,ロシアの間での甲状腺ガン発生率の差は,実際には別の原因があった.甲状腺に受けた被曝量は,ベラルーシの子供たちがもっとも大きく,ロシアの子供たちがもっとも小さいことが知られている23.このことが,被災した旧ソ連各共和国において,甲状腺ガンの潜伏期の差を生んだのである. 一部の専門家は,ベラルーシで見られた小児甲状腺ガンの増加が放射線によるものでないとして,その潜伏期が著しく短いことをその理由にあげている.そうした専門家は,潜伏期の長さが被曝した人の数に大きく依存するということを理解していない.この大変重要な考え方は,チェルノブイリ事故のはるか前に,放射線医学における有名な学者であるJ・ゴフマン教授によって提唱された24.ベラルーシの専門家たちは,このゴフマン教授の考え方が正しいことを甲状腺ガンを例にして証明したのであり,放射線の影響についての研究で価値のある仕事となったのである.1993-1995年になって,ベラルーシの専門家たちのデータが正しいことが確認された4,25,26.   被災地における健康統計  ベラルーシの専門家が成し遂げたもう1つの重要な仕事は,被災地住民の間に一般的な病気が有意に増加していることを見つけたことである.多くの専門家は,一般的な病気が増加していることを疑っている.そのような疑いが厳密な根拠をもっていないことは,本報告の表2,3に示したデータがはっきりと示している.  これらのデータは,ブレスト州の汚染地域とその対照地域住民について,P・シドロフスキー博士が行なってきた疫学研究の結果である27,28. ブレスト州の汚染地域と非汚染地域の間では,大人の場合も子供の場合も,多くの病気の発生率が有意に異なっていることが,表2,3から分かる.大人の場合,感染症や寄生虫症,内分泌系,消化不良,代謝系や免疫系の異常,心理的不調,循環器系,脳血管系,呼吸器系,消化器系の病気などに,このような差異が見られる(表2).子供の場合には,感染症や寄生虫症,内分泌系,心理的不調,神経系,感覚器官,消化器系の病気などで,有意な差が見られている(表3).  P・シドロフスキー博士は,彼の研究において,汚染地域,非汚染地域とも多人数の調査をしており,彼の結果には信頼性がある.汚染地域で調査対象とした住民は,ブレスト州のルニネツ,ストーリン,ピンスク各地区の全住民であった.  これらの地域に居住している住民の数は,1990年において約18万2900人である.セシウム137による平均汚染密度は,37~185kBq/m2(1~5Ci/km2)である.P・シドロフスキー博士は,対照集団として,ブレスト州カメネッツ,ブレスト,マロリタ,ザブリンカ,プルザニ各地区の総数17万9800人におよぶ住民を用いた27,28. ベラルーシの科学者P・シドロフスキー博士による,こうした新しい発見は,その後,CIS(独立国家共同体)の多くの専門家によって確かめられた.1993年2月,ベラルーシ保健省の公的な雑誌「ベラルーシ保健衛生」に,ウクライナの疫学者による調査結果が掲載された29. 1986年に30kmゾーンから避難させられた6万1066人の住民について,病気の発生率が調査された.その結果,ウクライナの疫学者たちは,P・シドロフスキー博士のデータと同様な結果をそれらの人々の中に見いだした. また,ベラルーシとロシアのリクビダートル(事故処理作業従事者)にも,ほぼ同じ結果が見いだされた30,31.リクビダートルの発病率は,時の経過とともに一般公衆より大きくなることが信頼できるデータとして示された.そして,同様の傾向は他のすべてのカテゴリー(分類)の被災者についても見いだされている. 表4は,本報告の筆者が国家登録のデータ32に基づいて作成したものであるが,上記の事実をはっきりと示している.表4の解析は,被曝量あるいは表面汚染密度と,被災者の罹病率との間に明確な相関があることを示している.ベラルーシ国民全体と比べ,罹病率がもっとも大きいのは,リクビダートルと1986年に30kmゾーンから強制避難させられた住民であり,もっとも小さいのは,セシウム137の汚染密度が555kBq/km2(15Ci/km2)以下の被災地住民である. 日本のデータとの比較  ここで,大変興味深い事実に触れておく.チェルノブイリ事故被災住民に一般的な病気の発生率が有意に増加していることに対して疑問を呈する専門家たちは,そのような影響が1945年8月の広島・長崎原爆被爆者の中には見られていないと,大変しばしば述べている.しかしながら,それは正しくない.そのことは,阪南中央病院(大阪府)の専門家によって示されている33.彼らは,1985年から90年にかけて,1232人の原爆被爆者を調べた.その結果,「腰痛は3.6倍,高血圧は1.7倍,目の病気は5倍,神経痛と筋肉リウマチは4.7倍に増えており,胃痛・胃炎などでも同じ傾向である33.」  日本の専門家のデータを図1に示す.著者らによれば,日本の厚生省の「国民保健統計」には,歯の病気,頭痛,関節炎,体力低下,頸部脊椎炎が含まれていなかったとのことで33,図1には一般公衆についてはそうした病気のデータが示されていない.チェルノブイリ事故被災者と,広島・長崎被爆生存者との間に見られるデータの一致は,ベラルーシ,ロシア,ウクライナにおける一般的病気の発生率の増加が,単に心理的な要因によるものではなく,事故によって引き起こされたとの仮説を強く支持するものとなっている.このことは,チェルノブイリ事故によるすべてのカテゴリーの被災者で一般的な病気の発生率が増加しているという現象に関し,現段階では,国際原子力共同体によってしばしば表明されてきた疑問のすべてが客観的な根拠をもっていないことを示している.
図1 日本の原爆被爆生存者と一般住民の罹病率と比較(%)33.    チェルノブイリ事故後10年  1996年4月8-12日,オーストリアのウィーンで「チェルノブイリ事故後10年:事故影響のまとめ」と題した国際会議が開かれた34.その会議には,リクビダートルやチェルノブイリ事故のため放射線に被曝した大人や子供に現れた種々の身体的な影響に関する約20編の学術論文が提出された35-56.この会議は,ヨーロッパ委員会(EC),国際原子力機関(IAEA),世界保健機構(WHO)が主催し,国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR),その他の国連機関,経済協力開発機構・原子力機関(OECD/NEA)などが後援して開かれたものである.チェルノブイリ事故とその放射線影響を評価する上でもっとも重要なステップとなるこの会議は,原子力平和利用にかかわってきた実質的にすべての国際的な組織によって準備されたのであった.しかしながら,原子力平和利用史上最悪の事故の客観的分析を行なうという使命を,この会議は果たせなかった.そうした結論は,この会議の要約である以下に示す声明を読めば分かる.  「被曝住民および特にリクビダートルの中に,ガン以外の一般的な病気の頻度が増加していると報告されている.しかし,被災住民は一般の人々に比べて,はるかに頻繁で丁寧な健康管理に基づく追跡調査を受けており,上記の報告に意味を見いだすことはできない.そうした影響のどれかが仮に本当であったとしても,それはストレスや心配から引き起こされた可能性もある5.」  要約は会議の最も重要な文書であり,それを作った「チェルノブイリ事故後10年:事故影響のまとめ」会議の主催者らは,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの被災地で一般的な病気が増加しているという事実そのものさえ疑っていることが,上の引用から分かる.  チェルノブイリ事故時よるすべてのカテゴリーの被災者について,病気の増加を示す数多くの学術論文35-56が会議に提出されていたにもかかわらず,上のような結論が引き出されたことは,大変奇妙なことである.この会議の基礎報告書457の著者は,被災地住民の間に一般的な病気の発生率が増加していることを認め,その増加を心理的な要因やストレスによって説明している  チェルノブイリ事故の結果,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの被災地において先天的な障害の頻度が増加していることについて,信頼できるデータが存在しているにもかかわらず,会議はその可能性を退けた.この会議は,チェルノブイリ事故の影響は無視できるとする国際原子力共同体の結論を実質的に変更するものとはならなかった.唯一の例外は,甲状腺ガン発生率が著しく増加していることが認められたことであった.おそらく,この件については真実を否定するいかなるこじつけももはや見いだせなかったからであろう.  国際原子力共同体にとっては,被曝影響から人々を守ることよりも,原子力産業のイメージを守ることの方が大切なことのようである.国際原子力共同体がチェルノブイリ事故の影響は無視できる程度だという彼らの見解を守るために,信頼できる情報を拒否しようとするのであれば,冷静な専門家はそれを彼らの危機として認めるであろう.  上に述べた国際原子力共同体の態度がどうして生じたかを,「常設人民法廷」の場において,放射線医学の分野における著名な学者であるラザリー・バーテル博士が説明した58.  ロザリー・バーテル博士によれば,放射線の有害な効果に専門家や軍の注意が向けられたのは,戦争において核兵器が用いられる可能性があったからである.そうした戦争を考える人々にとっては,核兵器によってどれだけ大量の敵を殺せるかが最大の関心事であった.軍事を目的とするこうした観点に立って,核開発の最初の段階から放射線生物学,放射線医学,放射線防護の専門家たちが働いてきた.後になって,彼らは発電用原子炉の問題に関係するようになった.しかし,軍や産業の問題を解決するにあたって,そのような関わり方をしてきたため,放射線生物学,放射線医学,放射線防護の専門家たちは,放射線の有害な影響から公衆を守るという問題に注意が向かなかった.同時にこのことは,放射線の影響として致死的なガン,白血病,いくつかの先天的および遺伝的な影響をのぞけば,放射線のいかなる医学的な影響についても,国際原子力共同体が考慮を払わない理由でもある.  当然,放射線影響に関するそのような評価は認められない.チェルノブイリ事故のような放射線の被曝を伴う事故の場合には,致死的なガンの数だけでなく,生命そのものの全体的な状態に考慮が払われなければならない.そしてそのことこそが,放射線から人々を守る国際原子力共同体の基本的な役割のはずである. まとめ チェルノブイリ事故とその放射線影響に関して本報告で示したことは,“国際原子力共同体”の深刻な危機を示している.その危機の現れとして,以下のことが認められる. “国際原子力共同体”は,長い間,チェルノブイリ事故の本当の原因を認識できなかった. 彼らは,ベラルーシ,ロシア,ウクライナの被災者の甲状腺に対する被害を正しく評価できなかった. 今日に至ってもなお,彼らは先天的障害に関する信頼性のあるデータを否定している. チェルノブイリ事故で影響を受けたすべてのカテゴリーの被災者において発病率が増加している,という信頼性のあるデータを,彼らは受け入れられずにいる. チェルノブイリ事故の放射線影響を過小評価しようとするソ連当局のもくろみを,“国際原子力共同体”は長い間支持してきた.      

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