2013年2月6日水曜日
太郎、次郎、三四郎...父親としての小出先生.
「弱い者に対する差別や抑圧をなくしたい」
「いわれのない犠牲を他者に押しつけずにすむような社会を作り出すためにこそ、私の生命は使いたい。」
太郎、次郎、三四郎............小出 裕章
私はこれまで、3人の息子を迎えました。太郎、次郎、三四郎です。次郎は先天的な障害を背負って産まれてきました。生物体としては弱い存在で、残念ながら私は、次郎を守りきることができませんでした。弱い者に対して、世界はほんとうに残酷なのです。
しかし、せめて社会的な面、つまり私たち大人が責任を負っている社会のありかたの面では、弱い者に対する差別や抑圧をなくしたい、と思います。そしてそれは本来、自分の子どもに対してだけではなく、世界中の、あらゆる弱い者たちへの行動でなければならないと思います。
子どもを授かる前は、自分が子どもを持ってしまうと「この子は自分の子」「こっちの子は自分の子じゃない」というふうに区別するようになってしまうのが、私には怖かった。自分の子を特別視してはいけないと思いながら、現実にそうできるかどうか不安だったのです。
だから私は、太郎、次郎、三四郎という、単なる順番以上の意味はない名前を彼らにつけました。親の思い入れを押しつけたくなかった。子どもは勝手に産まれてきて、勝手にその子の個性で育てばいいと思ったので、名前は考えない、勝手に育ってくれればいい、と。
それでもやはり、自分の目の前に小さな生命がいる。私が抱かなければ、動くこともできない、そういう生き物がいるわけです。それを何とか自立させなければいけないと思ったし、もしもここにいる命が何かに脅かされるようなことがあれば、私の命と引き替えでも守らなければいけないと思いました。
だから私は、みなさんの「自分の子どもだけは放射能から守りたい」という気持ちはよくわかります。でもそれと同時に、もっともっと困難を背負った子どもたち、高い放射線に晒されている福島の子どもたちのことを考えてほしいのです。
そして、都会に住む人には、自分たちの生活のために過疎の地域の子どもたちが、原子力発電所の危険を押しつけられていることを、考えてほしいと思っています。
『原発 放射能 子どもが危ない』.....より
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