2012年7月31日火曜日

(7.29脱原発国会大包囲空撮〜人が溢れた瞬間映像.) 原発再稼働を進める政府に対して、29日、脱原発を訴える人々が集まり、デモ行進やキャンドルを持ち国会を包囲する抗議行動が行なわれた。議事堂前の車道は、人々が流れ込­み、解放区となった。   抗議活動は、国会周辺の歩道に沿って行なれ、午後7時に国会を人間の鎖が取り囲んだ。このうち、人が殺到した国会正門前は、歩道は人でいっぱいとなり、午後7時25分すぎ­、議事堂前の車道に人があふれ、車道を人が埋め尽くした。 この空撮映像は、その人が溢れる瞬間を上空から捉えたものです。ヘリコプターでの空撮プロジェクトは、広瀬隆さんの呼びかけによって6月29日にスタートした取り組み。「­正しい報道ヘリの会」に寄せられたカンパによってヘリコプターをチャーターし、撮影されたものです。 ビデオ撮影:綿井健陽(ビデオジャーナリスト/JVJA) 写真撮影:広河隆一(フォトジャーナリスト/DAYS JAPAN) リポート:白石草(OurPlanetTV)
アーニー・グンダーセンさんはまた、27日のコルディコット女史のラジオ番組)で、フクイチをコンクリートで覆わざるを得なくなる、との見通しを示した。  チェルノブイリと同じ、「石棺」化。  グンダーセンさんはさらに、300年経っても、400年、500年が過ぎても、溶融核燃料の回収は不可能ではないか、と絶望的な見方を示した。(ソ-ス.ENEニュ-スから.動画.) http://enenews.com/will-point-throwing-concrete-top-fukushima-reactors-coming-300-500-years-gundersen-video http://ifyoulovethisplanet.org/?p=6282
(反原連との討論会 「原子力規制委員会人事」問われ、民主党議員凍りつく.) http://tanakaryusaku.jp/ 「何万人、何十万人が集まっている現象が、この場を作らせた。こういう集まりは日本の近代史上初めて。(国会議員が)組織ではなく民衆の中から出てきた人と会うのは初めて…」。司会の小熊英二・慶応大学教授(歴史家)が冒頭の挨拶でいみじくも語った。  金曜夕恒例となった原発再稼働に抗議する官邸前集会。組織動員もなく脱原発の一点において集まって来る国民の声に政治家も耳を傾けざるを得なくなったのである。  主催者の「首都圏反原発連合」と国会議員が31日、原発政策をめぐって国会内で意見交換した。政治家側は脱原発を選挙目当てで標榜する民主党議員と、脱原発に向けてずっと動いてきた「原発ゼロの会」の超党派議員、計11人。首都圏反原発連合(反原連)側も11人が出席した。  反原連のミサオ・レッドウルフさん(デザイナー)も筆者の取材に司会の小熊教授と同様、数十万人の声が持つ意味を強調した。「官邸前の大行動があったから、この場ができた」。  政治が民の声に耳を傾けないから、人々は直接行動に出たのである。それも組織ではない個人、個人の集まりが大きなうねりとなった。労働組合頼みの選挙に浸りきった民主党議員は、この現象を理解できていないようだった。  平岡秀夫・元法務相の言葉がそれを象徴していた。「皆さんが組織代表委任を受ければ、組織対組織の代表として会うのは可能。(野田首相に)会いたいのであれば、そういう方法を取ったらどうか。それが日本社会の仕組み」。  平岡元法相は、●●労組の代表だったら聞くよ、と言わんばかりだった。民主党が国民から遊離してフワフワとした政治を続けていることをよく表している。  元法相の発言に愕然としたのは筆者ばかりではなかった。反原連のノイホイ氏(ハンドルネーム・会社員)が静かな怒りを込めながら語った。  「今日、ここに座っていることに絶望している。組織ありきの話が出てきたのは悲しい。我々が官邸前に集まっているのは、絶望に近い悲しみがあるからだ」。ノイホイ氏のコメントに6人の民主党議員たちは一様に鼻白んだ。 市民の訴えにあまりピンと来ていないようすの民主党議員たち。  小澤弘邦さん(反原連・自営業)はさらに厳しく指摘した。「Ustの皆と(政治家は)ズレている。原子力規制委員会の人事に対して国民は怒っている。Ustが爆発しそうなんだけど、何故怒っているのか、(政治家は)分かっているのか?16万人が避難している中、たった4人の閣僚で再稼働を決めた… (中略)…危機感の共有ができていない」。  肝心の野田佳彦首相は事態をどのように受け止めているのか、菅直人前首相が“解説”した。この意見交換会が開かれることを前首相は現首相に電話で知らせたという。 「国民の怒りの対象が野田さんになっていることを知っていますか?」 「えっ!そんなことになっているの?」  菅氏が野田首相の反応を正直に伝えたことは評価に値するが、仕事を犠牲にしてまで脱原発に取り組んでいる反原連のメンバーにとって、民主党政権のお気楽さは腹に据えかねたのだろう。  平野太一さん(反原連)のアッパーカットが炸裂した。「原子力規制委員会の人事に賛同するのか、しないのか。一人ひとり答えて下さい」。  民主党議員たちは凍りついた。司会者が「それは止めた方がいい」と制止しようとすると、会場からヤジが飛んだ。「どうして答えられないんだ」「答えてもらわないと民主党の原発隠しが明らかにならない」。  ヤジに後押しされる格好で、民主党議員たちは渋々答えた。6人中、4人は「党内の議論を見極めたうえで」とかわした。「同意できない」と答えたのは、わずか2人だった。これが政権党の実態だ。原発が再稼働する訳である。  井手実(反原連・自営業)さんが涙ながらに声を絞り出した。「官邸前の大集会を誰がコーディネートしているのか? それは政府です。政府が聞いてくれないので、どんどん膨れあがっている」。     《文・田中龍作 / 諏訪京》  ◇
核の無い未来を!原発を段階的に廃止し、原子爆弾禁止条約の交渉を開始する時が来ました!8月6日は広島·長崎の原爆投下第67回記念日.世界の440の原子炉は地球を汚し,核兵器の存在は脅威をもたらし,核時代の有毒な遺産を終了する時が来た! 地球上で2万の核爆弾は、国際的な使用により地球は壊滅的な状態になる.米国とロシアを含み,フランス、英国、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルは世界の核兵器の95%を保持している!この原発廃止,核の無い未来の運動に参加してください! http://nuclearfreefuture.org/about-nuke-free-future/
(再稼働反対叫び国会包囲 民主党議員に「帰れコール」) http://tanakaryusaku.jp/2012/07/0004798 「民主党が再稼働させたんでないの!」。川内博史衆院議員に詰め寄る福島県富岡町出身の女性。  「政党も労働組合も関係ない。若い人の怒りが国会を包囲した。これは事件だ」。夕闇迫る午後7時から始まった「原発再稼働への抗議集会」は、ルポライターの鎌田慧さんの挨拶で幕が開いた。鎌田さんの肩越しに国会議事堂のシルエットが浮かぶ。  金曜恒例となった首相官邸前での集会を主催している「首都圏反原発連合」が29日夕、原発再稼働に抗議して国会議事堂を包囲する集会を開いた。  民主党の首藤信彦衆院議員(神奈川7区)がスピーチを始めたが、怒号が飛んだ。「原発推進の政党が何を言うか」。  福島県富岡町出身の女性が追討ちをかける。「選挙の時だけイイこと言ってんじゃないよ」。怒号は「帰れコール」となった。  民主党の「原発事故収束PT」の事務局長として、仙谷由人政調会長代行ら執行部に睨まれながらも脱原発に向けて奮闘する川内博史衆院議員でさえ、須藤議員同様に怒号の厳しい洗礼を浴びた。  双葉町から東京港区に避難した女性(60代)が「福島に帰して下さい」と、川内議員に詰め寄る一幕もあった。福島第一原発からわずか1・5キロの所に住んでいた彼女は、着のみ着のままで脱出したという。  官邸前の抗議集会は回を追うごとに参加者が増え、10~20万人を超える事も珍しくなくなった。デモ・集会には生まれてこの方、一度も参加したことがない人達も駆けつける。社会現象にまでなった。国民の声に耳を傾けない民主党政権に対して人々が直接行動に出たのである。  金曜集会の拡大版である「国会包囲集会」で、民主党議員に怒号が飛んだのは当然の結果と言えよう。 夜の帳が降りるとキャンドルに火が灯された。原子力と比べると、かぼそい炎が人の吐く息に揺れた。=写真:諏訪撮影= 夜の帳が降りるとキャンドルに火が灯された。原子力と比べると、かぼそい炎が人の吐く息に揺れた。=写真:諏訪撮影=  福島の事故原因が究明されていないにもかかわらず、原発を再稼働させた野田政権に対する怒りは、時空を超えて人々を吸い寄せる。  長野県松本市からマイクロバス2台を仕立てて参加した一行もいる。年金生活者の男性(60代)は「物凄い怒りを持って国会を包囲しに来た。原発を止めてこそ本当の民主主義」と話す。  ドイツ、オーストラリア、韓国などからは、緑の党の国会議員が遠路はるばる駆け付けた。ドイツのメルケル政権は、福島の事故を機に脱原発に大きく舵を切ったのである。  「これだけ国民の声が大きくなっていたら、ドイツでは政治家と市民の対話が始まっている…」。『ドイツ緑の党』のベーベル・ホーエン副代表は、もどかしそうに語った。  秋田から訪れた男性(70代・年金生活者)は「60年安保の時はカネがなくて来られなかった。あの時の悔しさを今ぶつける」と晴れがましい表情だ。  60年安保闘争で国会議事堂を包囲した淵上太郎さん(69歳・当時高校生)は、『安保闘争』と『再稼働抗議』を次のように比較する―  「安保は組織動員だった。再稼働抗議は個人単位で参加している。安保は条約という小難しいテーマだったが、原発は生活と健康・命がかかっている。再稼働抗議の方が怒りのボルテージがはるかに高い」。  集会が始まり25分ほど経った頃、警察の規制線が決壊し、歩道から車道に参加者たちが溢れ出した。国会議事堂前の広い道は市民で埋め尽くされた。『人の海』である。「再稼働反対」は地響きとなって議事堂にこだました。  警察は機動隊の輸送車を二重にして議事堂正門を塞いだ。半世紀前の大事件である国会突入が、警察幹部の頭をよぎったのだろうか。  プロによる扇動があったようだが、市民の怒りのエネルギーがなければ、国権の最高機関が脅かされる事態には至らなかった。  《文・田中龍作 / 諏訪京》
「国民的議論」をいかに進めていくか ―― ドイツ倫理委員会の実情と脱原発へのプロセス. ミランダ・シュラーズさん.) http://fukkou-arena.jp/academic/?p=423/
政府が国会に提示した原子力規制委員会の委員長・委員候補5人のうち4人が、原子力関連会社などから報酬を受け取っていたことが31日、政府の経歴調査資料で判明した。 資料によると、委員長候補の田中俊一・前原子力委員会委員長代理は2011年度に原稿料や講演料として、原子力の啓発活動などを行う日本原子力文化振興財団から20万円、放射線関連商社、日本原子力産業協会から受け取っていた。  委員候補の更田豊志・日本原子力研究開発機構副部門長、中村佳代子・日本アイソトープ協会主査、島崎邦彦・地震予知連絡会会長の3人も振興財団から講演料を得ていた。 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012073101002877.html

2012年7月30日月曜日

(日本の原爆被爆生存者についての研究が発表された. その研究は発癌の危険性が低線量だけでなく, 高線量よりも危険性が高いかもしれない有力な証拠を示した.イアン.ゴッタ-ド氏から.) https://docs.google.com/file/d/0B5qUOl0_hAfnTF9BTTRfWGpDczg/edit?pli=1
(核戦争反対国際医師団体,世界中の医師35人,その内6人のドイツ医師達は原発による健康への危険性と原発の終止を日本国民に伝える為に、8月から長崎から広島まで500キロ自転車に乗って周ります) http://www.ippnw.de/presse/presse-2012/artikel/8d72440c61/deutsche-mediziner-auf-aufklaerungs.html
【内部被曝・低線量被ばく】ヒロシマで原爆が爆発したときの放射線を、ほとんど、または全く浴びていない人たちにも被曝の症状が見られたが、内部被曝の調査は葬られた。動画.) http://www.at-douga.com/?p=5751
福島県郡山市の幼稚園児たちの「運動能力の低下」が異常. http://alcyone-sapporo.blogspot.de/2012/07/blog-post_1305.html?spref=tw

2012年7月29日日曜日

ドイツベルリンで,日本との連帯で,さようなら原発デモが行なわれました,再稼動反対!原発止めろ!廃炉!とドイツ市民の連帯の声!
ドイツフランクフルト正義の泉の前で日本との連帯で,(さようなら原発デモ)今すぐ止めろ原発.ドイツも10年は待たない!日本と連帯!とCarol-Sueさんは呼びかけた!

2012年7月28日土曜日

必読!【衝撃!】瓦礫拡散利権構造の全貌. http://george743.blog39.fc2.com/blog-entry-1403.html
(バズビー博士:封印された #放射能 の恐怖) *CCクリックで日本語字幕* 昨年、私は、ECRR欧州放射線防護委員会を代表して福島原発事故後に日本に行きました。私は、大量の放射性物質が放出された危険性とその隠ぺいを人々に知ってもらいたか­ったからです。私は講談社から、欧州放射線防護委員会のモデルの見解と、研究室でのテストの結果、私たちが発見したすべてを、日本語の本で出版して貰えないかと依頼されま­した。この本は出版されます。もし、あなたがこれを知りたいならば、本日、7/25に講談社から出版されます。事故による影響と、皆さんが知りたい政府の犯罪的な責任の隠­ぺいについて本に書いてあります。この本では、入手した汚染範囲のデータを見られます。私たちは、米国大使館、および米国のエネルギー省から入手したファイルのデータを見­られます。彼らは、汚染の拡散のほんの初期から放射性物質核種を測定していました。彼らは、東京が汚染されていくのを知っていました。米国大使館の屋上で計測していたから­です。そして、データのすべてを本で見られます。放射性物質核種の汚染が、日本の人々に与える影響がわかるでしょう。特に東京で暮らしている人々への影響が。なぜなら、東­京で暮らしている人々は、汚染からあまりにもはるか遠くなので、どんな健康への影響もないと、メディアによって偽って伝えられていたのです。しかし、欧州放射線防護委員会­ECRRのモデルによれば、癌、心臓病、白血病および一般的な健康障害が起るでしょう。この本では、さらに、福島原発3号機が[核爆発]だったという証拠が判ります。これ­は様々な大学当局により、米国内で測定されたキセノン放射性物質核種の比率に基づいています。隠ぺいの証拠、および核産業を守ろうとする日本政府と国際機関の双方による刑­事責任が判るでしょう。私は健康への影響の隠ぺいについて、福島原発事故以来ずっと警告しています。また、その時以来、私たちは、放射能放出による危険の大変多くの証拠の­断片を見つけました。皆さんは人々が理由なく突然死したり、心臓発作で人々が死んだり、心臓発作で子供が死ぬのを見続けているのです。私たちは、今、福島県の子どもの36­パーセントが甲状腺に腫れが検出されたのを最近の調査の結果で知っています。皆さんは真実を知る必要があります。また、真実を知りたければ、この本を購入すべきでしょう。­これは一片の証拠なのです。しかしながら、何が起こったのか、真実の恐怖なのです。高層アパートの20階の高さに住む東京中心部(東京タワーの近く)の女性から、ECRR­の研究所へ送られたエアコンのフィルターですが、建物の内部のエアコンのフィルターです。つまり、これは建物の外部のものではありません。そして、このフィルターの物質は­、13万Bq/kgのセシウムを示しました。また、さらに、ウラニウム、濃縮ウランの存在も示しました。そして、今まで言及されていない非常に危険な[鉛210]の放射性­同位体 を検出しました。☞ http://cnic.jp/modules/radioactivity/index.php/14.html したがって、私たちがこのフィルターの中を、どのようにして放射性物質を測定したか示します。本当の広範囲な放射能汚染について、今、見ることができるでしょう。 -END-
(脱原発へ日本版「緑の党」設立 環境政策で国政目指す) http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012072801001494.html  脱原発など環境政策を掲げて国政進出を目指す日本版「緑の党」の設立総会が28日、東京都内で開かれた。政治団体として活動し、市民グループや地域政党との連携を模索、次期衆院選や来年夏の参院選に向け、候補者擁立の検討を進める。  一般市民や地方議員約70人でつくっていた「みどりの未来」が母体。環境政策に強い影響力があるという欧州諸国の「緑の党」をモデルとした。基本政策には、速やかな脱原発、再生可能エネルギー導入などを挙げる。  副運営委員長を務める宮部彰さん(59)は「環境政策をしっかり主張する政党が必要だ」としている。
福島第一元作業員「賃金、手当ピンハネ」 労働局に訴え「多重派遣」も. http://ht.ly/cxZ8i 東京電力福島第一原発事故の収束作業に携わった長崎県出身の元作業員男性(45)が二十六日、下請け上位の日栄動力工業(東京都港区)が職業安定法と労働者派遣法に違反する多重派遣をしていたとして東京労働局に訴え出た。二十七日には、多重派遣のほか約束された賃金が支払われていないとして、長崎県内の下請け会社四社を長崎労働局などに訴え出る。  男性は昨年七月一日~八月九日、福島第一で事故収束作業に従事していた。弁護団などによると、男性に仕事を紹介し、給料を支払っていたのは前田工業(長崎県松浦市)だが、放射線管理手帳上の所属会社は、大和エンジニアリングサービス(同県佐世保市)になっていた。  両社の間には、佐世保市の創和工業と福田工業が介在し、上には、日栄動力工業がある複雑な下請けの流れになっていた。  下請けを繰り返す中で、大和エンジニアリングは日当と危険手当の計二万四千~二万五千円を下請けに支払ったが、男性には一万千円しか支払われていなかったという。  男性は「何重もの下請け構造は不当だ。約束された日当も支払われず、危険手当もピンハネされた」と訴えている。  本紙の取材に対し、大和エンジニアリングは「請負契約であり、多重派遣ではない。下請け会社には危険手当を含めた金額を支払った」と説明。前田工業は「上にたくさんの会社があるとは知らなかった」と話している。 ◆(建屋外と事前説明/実は高線量要員)  福島第一原発の収束作業で危険手当の未払いなどを申し立てる元作業員の男性は、本紙の取材に、原発の建屋外の作業だと説明されていたことや、被ばくの恐怖と闘いながらの作業だったのに正当な手当が支払われない怒りを語った。  二十キロの鉛板を入れたリュックサックを背負い、防護服に全面マスクを着け、1号機原子炉建屋の急階段をビル六階の高さまで駆け上がる。線量計の警報は鳴りっぱなし。緊張と息苦しさで心臓が破裂しそうになる。「早く終われ、早く終われ」。男性は心の中でつぶやき続けた。  昨年七月に携わった作業を男性が振り返った。建屋内にいたのは十分弱だったのに、二・四ミリシーベルトも被ばくした。一般人の年間被ばく上限の二倍以上もの線量だ。建屋内に局所的に線量が極めて高い場所があることなどが影響したとみられる。このほか男性は高濃度汚染水を処理するための配管作業など、被ばく線量の高い作業に当たった。福島第一での作業は一カ月あまりだったが、この間に計約一二・三ミリシーベルトも被ばくした。  原発作業員の被ばく上限は五年間で一〇〇ミリシーベルト。年平均二〇ミリシーベルトが作業員の手持ち線量だ。男性の場合、わずか一カ月で半年分を使ったことになる。  下請け会社も自社の社員が線量を使い切ってしまうと、次の仕事を取りにくい。そこで男性のように臨時の作業員を雇うケースが出てくる。男性は「自分が(被ばく線量の高い作業を短期で担う)高線量要員だったことを後で知った」と話し、「約束した賃金は少なくとも払ってほしい」と訴えた。 (東京新聞)

2012年7月27日金曜日

事故後も東電から多額の顧問料・国会で「恥知らず」の罵声. http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1452.html
『戦後史の正体』を知り日本の独立を実現する.植草一秀. http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-4b9e.html
(バスビー博士の報告、東京都心のマンションの室内のフィルタ-から塵に濃縮ウラン,セシウム130000Bq/kg,初めてPolonium-210を検出.)東京の女性からそこに住むのが安全であるか知る為にフイルタ-が゙送られてきた. 事故直後避難し,空気洗浄機は止めていた.5ヶ月後に帰宅した.このフィルタ-結果で彼女はアパートから避難しました. *放出されたデータ-,健康への影響、多くの他の情報は、バスビー博士の新しい本の中で見られます。 東京の講談社から7月25日に発売.本の名前は(福島の恐怖)です. Dr Busby describes measurements made on an airconditing unit filter from inside an apartment in central Tokyo. This was sent by a lady in Tokyo who wanted to know if it was safe to live there. The filter only collected air from inside the apartment. It shows the presence of 130000Bq/kg radioCaesium in the dust plus enriched Uranium and for the first time Lead-210/Polonium-210. The apartment was evacuated from the Tuesday after the catastrophe and the machine switched off; and the family returned 5 months later. This and much other information about the health effects and cover ups, including leaked data are to be found in Dr Busby's new book in Japanese: the Horror of Fukushima, published on 25th July by Kodansha in Tokyo

2012年7月26日木曜日

ポルトガル中部のイダーニャ・ア・ノーヴァ(Idanha-A-Nova)市にあるジオパーク「ナチュルテジョ」(Naturtejo)で現在、特に福島県の方を対象とした日本人村が建設中. http://idanhaja.wordpress.com/about/
(子どもたちの健康被害を守り切れるか? 福島県福島市. 放射能で汚染された環境で野球に励む子どもたち。つい、涙が出てしまいます。)
(オスプレー問題、日本は完全に属国.!オスプレー事故 06~11年間に58件.「米軍の通知を知らせるだけの政府なら、どこに国民主権があるのか」日中対立を煽り対米従属強化!その他.孫崎享氏から.) オスプレー:岩国であれ、沖縄であれ、危険なオスピレーを屈辱的に受けいれされようとしているのか。野田首相は「配備自体はアメリカ政府としての基本的な方針で、それをどうこうしろという話ではない」と述べ、森本防衛大臣は「米軍岩国基地搬入は”整斉と運ばれるのが望ましい”」と述べ何故平然としているのか。実は歴史的に見ると、日米安全保障体制とはそういうもの。『戦後史の正体』を書いている段階でそれが明白に見えてきた。ダレスは安保条約作成にあたり、ダスタッフ会議で『われわれは日本に、われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保できるだろうか、これが根本問題である』と指摘。それが実現したのが日米安保体制です。そんな馬鹿な。米側が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保」なんてどこにも書いてないと言われるでしょう。書いてあるのです。但し外交的表現で行政協定、そして今日の地位協定に書いてあるのです。「合衆国は日本国内の施設及び区域の使用を許される」、「前記の施設及び区域を日本国に返還すべきことを合意することができる。」合意出来なければ継続して使用出来るのです。使用し続けるには、米国は合意しなければいいのです。「 合衆国は、施設及び区域において、それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる」。「日本国政府は、合衆国軍隊の施設の出入の便を図るため、必要な措置を執るものとする。」だから、野田首相はのうのうと「配備自体はアメリカ政府としての基本的な方針で、それをどうこうしろという話ではない」と言っているのです。戦後60年以上経過し、法的には日本は完全に属国なのです。オスプレー問題は、属国的状況に何等疑問を持たない野田首相や森本防衛相、そしてそんな馬鹿なと疑問を持つ人との戦いなのです。戦後一貫した戦いです。 (米携帯会社は、個人情報を当局に提供し、見返りを受けている) 情報社会:19日SLATE,Sydiongco、「米国の携帯会社は、個人情報を当局に提供し、見返りに当局から相当額の資金提供をうけている。 AT&Tは昨年820万ドル収入。要請は18万件」 (後に米国が控えていると思うと) 森本防衛相:後に米国が控えていると思うと言うことが大きい。21日読売「オスプレイ搬入、森本防衛相が政権に結束求める。我々が進めようとしている政策は間違っていない」間違っているのです。地元の反対を押し切って危険と見られる機種を配備しなければならない理由はない。海兵隊日本防衛無関係. (オスプレー事故 06~11年間に58件) オスプレー:20日朝日「06~11年間に58件。米側資料で判明。防衛省の地元自治体への説明は重大事故のみで全体件数明らかにしてこなかった。沖縄配備予定の海兵隊MV22は重大事故2,中規模6、小規模22,計30,これに空軍用CV22は各々、重大2,中6,小20,合計28」 「米軍の通知を知らせるだけの政府なら、どこに国民主権があるのか」 オスプレー:米軍と野田首相・森本防衛相、馬鹿と言わざるをえない。沖縄の怒りを日本各地に共有させてる。19日朝日「オスプレイ配備”受け入れられぬ”全国知事会議が決議」「”米軍の通知を知らせるだけの政府なら、どこに国民主権があるのか”(鳥取県知事)、”大変な問題になる”(秋田県知事) (尖閣問題、紛争に向かう道に何故突き進もうとするのか) 尖閣諸島:70年代、80年代日中間の基本合意の尖閣諸島棚上げは、今日決して中国に有利な考えではない。中国が自分の法律で領土と見なしている中、日本の管轄を認め武力の不行使を約束するものである。しかし、中国が大変に関心を持っている。棚上げを説く朝日新聞掲載の私のインタビューは「参考消息」に全文掲載されたらしい。昨日新華社記者が取材に来た。私の著書を完全に読み込んで来た。次いで環球時報も取材したいという。彼らの疑問は本来日本に有利な形での「棚上げ」を、何故、日本側がこれを排除し、かつ石原知事のように、明らかに、マイナスのパラレルに落ち込み、紛争に向かう可能性の高い道に何故日本が突き進もうとしているのか解せず私の下に来た。私は純粋な中国専門家ではない。本来、日本の中国専門家と言われる学者や、外務省員が国民に向かって、「棚上げ」の利点と、日中が緊張を排し、平和的環境を作ることが日本の利であることを解くべきだ。 しかし、彼らは沈黙。ないし逆。中国の記者は幾度となく質問「先生、個人的に不都合は起こりませんか」。そう。日本の利になることを説くのに、今日本では「不都合を招く」状況。どこか異常です。この異常の中に国民はしばし、陶酔しているのです。しかし、この陶酔はその内無残に破られます。 (米国は尖閣諸島に軍事力を行使するか) 尖閣諸島:米国は尖閣諸島に軍事力を行使するか。日本人は行使すると思っている。だから中国に強硬に対応。しかし現実では米軍は多分でてこない。最初にそれを指摘したのがモンデール駐日大使。「モ大使は常識、尖閣諸島の中国による奪取が安保条約を発動させ米軍軍事介入を強制するものでないと示唆」 アーミテージ元副長官は『日米同盟vs中国北朝鮮』で「日本が自ら尖閣を守らなければ(日本の施政下でなくなり)我々も尖閣を守ることが出来なくなるのですよ」と記述。2005年10月日米合意で「島嶼部侵攻への対応」は日本独自を想定。つまり、中国が攻めて来たら日本独自で守る 。守りきれなかったら日本管轄でなくなり安保条約対象外だから米軍でない。どちらにしても米軍は出ない。ここが重要。18日産経アワー論評も参考。「米国は北朝鮮による対日・韓国攻撃には圧倒的な対応を取る」。では尖閣は?「尖閣諸島は、最初に中心的に防衛措置を講じる責任は日本」、 米国がすぐ参加するといっていない。「なぜ、日本の本土から遠い、小諸島のため、海兵隊等米軍の兵士達の生命を危険にさらさなければならないのかと米国人は怪訝に思うかもしれない」。この表現は外交的にはでませんよと言うことわり文言。米国の発言見れば米軍でないのはほぼ明白。 (米国の一部は、イスラエルと共に、対イラン軍事攻撃を望む) ホルムズ海峡:ホルムズ海峡(石油輸出の40%通過)での緊張続く中、米国火遊び。17日CSM「昨日、米海軍、漁船に警告無視として発砲。漁船はア首連登録。インド人乗組員。死者、負傷者発生。漁船イラン船だったら一気に緊迫の所。米国の一部は、イスラエルと共に、対イラン軍事攻撃を望む http://chikyuza.net/n/archives/24769 (福島原発使用済み燃料の危険) 13日twitter。Twitterしながら、危険性のあまりの大きさに福島4号機使用済み燃料の危険を“そんな馬鹿な”という気持ちもあった。元著名新聞で信頼度が高かった敏腕記者より電話。「私は3/11より原発問題をずっと追っかけていますが、今日日本で最も危険なのは、村田元大使指摘の福島原発使用済み燃料。4号機が崩壊すれば、信じられない大惨事。彼はガンダーセンを読むよう指摘。参考:(ガンダーセン:今は水で冷却、プールにヒビ等で水位が下がり、冷却できなくなると、温度が上がって燃料棒の鞘であるジルコニウム合金が発火。もはや水では消火できない。核燃料が大気中で燃えるという、人類のだれも経験したことはない、科学にとって未知の大惨事が起こります).瓦礫処理で胡麻かしている時でない。悪い奴らだ。原発村は。人間性も持ってない。 政党;読売、こういう恣意的世論調査発表ないだろう。「小沢新党に”期待しない”82%…読売世論調査」。で期待するは12%。他方民主・自民の支持率は各々15と14%.もし期待するを支持率とみれば民主-15%、自民14,小沢新党12%で仰天の数字になる。発足わずかで小沢新党既存に並ぶ (日中対立を煽り対米従属強化仕込む) 日米安保『戦後史の正体』より):「一九九三年細川政権誕生。九四年二月、細川首相は樋口会長を座長とする防衛問題懇談会を立ちあげ。責任者は西廣整輝元防衛次官。実質的支援は畠山蕃防衛次官。冷戦後の防衛政策で、「多角的安全保障協力」を「日米安全保障協力」より重視。この動きに米国側は警戒心を強め、巻きかえし。ナイ国防次官補中心に見直し。一九九五年二月「東アジア戦略報告書」を発表。米国の安全保障プレゼンスは東アジア発展のために必要とし、日本を冷戦後の地域秩序の形成に欠かせないパートナーとして位置づけ。95年11月の日本の新防衛大綱もこれに合わせる。 ちなみに西廣整輝は一九九五年一二月四日ガンで死亡。畠山蕃氏も一九九四年一〇月、ガンで防衛医大に入院。翌九五年六月一日に死亡。」両者が死亡せず発言力をもっていれば、対米従属の新防衛大綱は成立していなかったろう。ということで95年は極めて重大な時期. (岡留安則氏の『戦後史の正体』評) (『噂の眞相』―反政治権力・反権威スキャンダリズムを標榜―1979年創刊)の幻視行日記より: 「戦後史の正体」という本が出る。筆者は外務省国際情報局長の後防大教授の孫崎享氏。孫埼氏は沖縄の地元紙にも時々寄稿、その慧眼ぶりには前から注目。 これまでの外務官僚や防大学関係者と明らかに目線が違う。御用評論家のスタンスとは真逆。日本の戦後史に冷静かつ客観的にメスを入れた本だ。なぜか、創元社編集者がパイロット版を送付。本の帯の一文を紹介しよう。「原発事故、与党の公約違反、検察不祥事、普天間基地問題、 TPP参加問題、そして大手メディアの暴走―崩壊寸前の日本、その全ては占領期に始まった」とある。更に表紙に<元外務省・国際情報局長が最大のタブー「米国からの圧力」を軸に戦後70年を読み解く>とある。米国に切り捨てられた田中角栄から鳩山由紀夫、小沢一郎まで登場。

2012年7月25日水曜日

重要!「被曝線量推計システム」導入を福島県が見送っていたことが判明 ~福島県と国家権力の悪しき思惑~ http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/b6d0f872a65565cd943b25ae9294d0cb
(文科省が関東・東北10都県における過去11年で最大の「ストロンチウム90」降下量計測結果を公表. 多くの資料が掲載されていますから,ぜひ,読んでください.) http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/a8f8b3e66c246ef3c3df8699b3a2ec45
【注目記事】 『野田と東電「狂気の福島第二原発再稼働」衝撃プラン』 ~これはもう世界の恥~ http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/6f567546aef24a56ab145a42420bfcfc
NYタイムス.日本の津波後のカオスの避難状態は、福島第1原発からの放射線量が高い,危険地域の子供達は残された!福島原発事故の影響を受け13市町村の自治体では、疲労、避難して悪化した病気で約600人の死亡が認定されている. 政府はスピ-ディの見積もりに基づいて行動しないことを決め,原発から西北地域,南の避難地域の小さな子供達は危険な放射​​線量を浴びた事を示している.彼等は避難地域を広げないことを選択し ,代わりに危険地域内の全ての子供達の甲状腺被爆を確認する為に医療検査を受けるよう命じた. http://www.nytimes.com/2012/07/24/world/asia/inquiry-sees-chaos-in-evacuations-after-japan-tsunami.html?_r=1&smid=tw-share

2012年7月24日火曜日

(3/15に世田谷脱出。足柄で灰色降下物。2cm大の腺腫様甲状腺腫、痣、股関節痛、心臓痛、脱毛、鼻血などの症状。) http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/f1f09a673f0febd14999ca93248be6a7
(東京新聞がついに書いた連合批判  天木直人) http://www.asyura2.com/12/senkyo133/msg/402.html 遅きに失した感があるがついにきょう7月23日の東京新聞「こちら 特報部」が連合批判の特集記事を書いた。  佐藤圭記者の署名入りで書かれたその記事は次のような見出しの言葉 で始まっている。  「野田政権への批判が高まる中、民主党最大の支援団体、連合の存在 意義が問われている。野田佳彦首相が消費税増税で自民、公明両党と連携 しようが、反消費税増税を掲げた小沢一郎元代表を切り捨てようが、連合 は政権を後押し。傘下の電力系労働組合への気兼ねか、関西電力大飯原発 の再稼動反対運動にもくみしない・・・」  誰もが思ってきた連合の裏切りだ。  しかし連合の裏切りはこれだけではない。  骨抜きにされた労働者派遣法改正案や障害者自立支援法改正案の是認、 社会保障改革の後退など、弱者のための政策をことごとく切り捨てる野田 政権を一貫して支持してきた。  オスプレイ強行配備に象徴される対米従属の野田首相の政策も黙認だ。  考えてみれば、松下政経塾とならんで連合こそが野田政権を支えてきた と言っても過言ではない。  しかしこのような連合の方針は決して個々の労働組合員の思いではない はずずだ。  むしろ労働組合員たちは矛盾を感じて悩んでいるに違いない。  そうなのである。  連合は労働者のための組織ではない。  古賀伸明、輿石東に代表される労働貴族と称せられる利権組織なのだ・
『避難の権利』論. http://kappamark.jugem.jp/?eid=10 「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(代表:中手聖一さん)」が主催する交流イベント「第二回 福島生活村」に参加した。食品の放射能測定や不安を抱える母親たちの交流カフェ、「子どもたちを放射能から守る小児科医ネットワーク(代表:山田真医師)」による健康診断など、盛りだくさんの内容だったが、その一角で、「自主避難」にテーマを絞った法律相談のブースを受け持った。   相談者たちが一様に口にするのは、「強制避難でないことの難しさ」であった。強制的に避難させられることによる生活の破壊が甚大であるのは勿論のことだが、強制避難であれば避難に対する行政や東電の責任が明確となる。(もっともそうした責任が十分に果たされていない現状があるのだが、わき道にそれるのでここでは触れない。)  強制避難区域ではない。だから行政の支援は受けられない。しかし、線量計で測ってみると3μSV/hをゆうに超える数値が自宅のベランダや学校のグラウンドから検出されるが、子どもたちは部活や遊びで泥にまみれて帰ってくる・・・。  低線量被曝による健康被害は心配しなくてよいとTVや新聞は言うけれど、自分はこのところ体調が悪く、子どもは何度も鼻血を出した。それが果たして被曝の影響なのかどうか分からないけれど、万が一のことがあったときに、子どもに対して申し訳なくて・・・。  そんな話を聞いていると、遣りきれない思いがこみ上げてくる。  チェルノブイリの事故の後にそうであったように、強制的に避難するべき高線量の地域と、そうでない地域の間に、「避難を選択できる地域」が設けられるべきではないか。  低線量被曝による健康被害は「ある」とも言えないし、「ない」とも言えない。その結論を出すのに足るだけのデータがないのだという。であるならば、そういった現在の科学の到達水準や、一人ひとりの住民が暮らす生活の場の放射線量、食材や水の放射線量のデータを提供し、避難するのかどうかを一人ひとりの住民の選択に委ねるべきではなかろうか。  そして、避難することを選択した住民がいるのであれば、その人に対して、強制避難区域の住民に対するのと同様の、公的なサポートがなされるべきである。    震災後、何度目の福島だろう。ここにきて足しげく福島に通うようになったのには、理由がある。そこには、私の中の原罪意識のようなものがある。  3.11の震災が起こるまで、私は原発の是非につきロクに考えたこともなかった。積極的に推進、とまでの思いもなかったが、温暖化の問題もあるし、そこまでひどい事故は起きないだろうし、まあ、消極的に推進かな、という大多数の一人だった。  そして消費地である東京に住んで、自由に電気を使ってきた。  これだけの危険を福島に押し付け、見て見ぬふりをしてきたのだ。  低線量被曝の健康に対する影響は心配しなくてよいと説明する学者がいる。政府や福島県の公式見解もそのような説明だ。  では私はいま、自分の家族を連れて福島に移住しようと思うか。  正直に書く。思わない。思えない。  多くの人は同じように感じているのではないか。  そうであるのに、人に対してその危険を押し付けてしまって良いのか。 見て見ぬふりでよいのか。  自主的な避難が難しい理由は、行政の支援が得られないことだけではなかった。  ある意味もっと大きな障壁になっているのが、「周囲の空気」だと幾人もの相談者が語った。  あの人は逃げた、責任を放棄して逃げた、そう思われるのが怖い。辛い。だから避難したいとは言い出せない。  夫婦の間、家族の間で意見が対立し、それが理由で家庭が壊れた話も聞いた。  学校でも、被曝に対する意識の差が大きすぎて、マスクを着用していたらいじめられると、子どもが泣くという話を聞いた。  これらは深刻な二次被害だ。しかしこうした定性的な二次被害は、事後的な賠償の対象からさえも、こぼれおちていく可能性が高い・・・。  「避難の権利」を正面から主張し、確立していくことは、こうした「周囲の空気」を変えていく上でも重要な役割を果たすだろう。  それは「わがまま」などでは決してなく、人として尊厳を持って生きる上での、当然の「権利」なのである。  見て見ぬふりの過ちを繰り返してはならない。

2012年7月23日月曜日

『ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳~』予告編.
(抵抗の涯てに ~戦う報道写真家・福島菊次郎の"遺言"~ (1))
(抵抗の涯てに ~戦う写真家・福島菊次郎の"遺言"~ (6) )
(国民の生活が第一”結党!!「国民の生活が第一」機関誌の創刊.) http://www.hirono-tadashi.com/wp-content/uploads/kikanshi_11.pdf
牛久の川岸で1万3200ベクレル 市民団体が報告. http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012072390120731.html 2012年7月23日.  東京電力福島第一原発事故による霞ケ浦や流入河川の放射性物質の汚染状況を調べている茨城県の市民団体「いのちの水・霞ケ浦を守る市民ネットワーク」は二十二日、土浦市民会館で報告会を開き、市民約百三十人に調査結果を説明した。  調査は四月下旬~六月下旬、備前川(土浦市)、新川(同)、小野川(つくば、牛久、稲敷市)、清明川(阿見町、美浦村)の計約六十地点で実施。川岸や河川中央付近の川底の泥を採取し、放射性セシウム濃度(一キログラム当たり)を一緒に活動している常総生活協同組合の機器で測定した。  最も高かったのは、小野川の岡田橋(牛久市)の川岸で一万三二〇〇ベクレル。次いで新川の天王橋(土浦市)の川岸で一万一五〇〇ベクレル、備前川の岩田橋(土浦市)の川岸で九九八〇ベクレルが検出された。  市民ネットワークの飯島博代表は「市民と行政、研究機関が協力し、(汚染状況を)さらに詳しく調べて対策を講じる必要がある」と訴えた。調査結果はNPO法人「アサザ基金」のホームページにも掲載されている。 (松尾博史・東京新聞)
(福島南相馬在住「ぬまゆ」さん(沼内恵美子さん)と周りの症状) http://sekaitabi.com/numayu.html
(TPP参加に向けての国民無視の暴走を止める.平成24年7月11日.東京大学 鈴木宣弘) http://notpp.jp/2012_07_11_Prof_Nobuhiro_Suzuki.html はじめに-いま動かないと取り返しがつかない. 1. TPPの本質. 2. 誰のためのTPPか? 「農業対国益」ではない. 3. 失うものが最大で得るものが最小の史上最悪の選択肢. 4. これまでの経緯-国民無視の「ポチ外交」の暴走を許すのか. 民主主義国家の体を成さない政策決定プロセス. 5. 深刻な一連の情報操作. 「殺人罪」でも捕まらない日本社会の異常. 6. 震災復興とTPP. 目先のコストの安さに目を奪われてはならない-食料の位置づけ. 7. TPPによる農林水産業、国土、地域の崩壊. 8. 農業のせいで従来のFTAが決まらなかったのだからショック療法しかない? 農業が障害だからいままで進まなかった、だからTPPしかない、という議論がありますが、これもウソです. 9. 所得補償するからゼロ関税でも大丈夫? <米関税ゼロの場合> (14,000円-3,000円)÷60キロ× 900万トン=1.65兆円. 10. 食品の安全基準は各国が決められる? (BSE(狂牛病)-国民の命守る基準を「露払い」で差し出す愚行. 遺伝子組換え食品が世界を覆う. いまも危険なポストハーベスト農薬もさらに緩和.) 11. 食料に対する国民の意識. 安さに目がくらむ消費者になぜなったのか. 競争力でなく食料戦略が米国の輸出力を支える. 日本は従属してしか生きていけないのか. 日本人が自らを否定してしまって良いのか. (12. 過保護な日本農業にショック療法を? しかも、農業は過保護なんだからTPPでショック療法しなければいけないんじゃないのかと思っている人がいるかもしれませんが、これも間違いです.) (13. いまこそ冷静な選択を. アジア、EUとの柔軟で互恵的な経済連携が世界の均衡ある発展につながる.) 「TPPでアジアの成長を取り込む、TPPがアジア太平洋のルールになるから乗り遅れるな」のウソ. 14.( 強い農林水産業のための対案.TPPの懸念で農村現場がすでに壊されている.) (15. 自分たちの食は自分たちが守る. 食に安さだけを追求することは命を削り、次世代に負担を強いること. 食の安全にかかわる重大な情報が開示されていない.) ( おわりに.何のために政治家がいるのか.保身と見返りを求めて、国民を見捨てて生き延びても、そんな人生は楽しいか. 支え合う社会を取り戻そう.)

2012年7月21日土曜日

昨日、福島第一原発4号機の、未使用燃料の試験的な取り出しが2日間かけて終了しました。その作業について作業員のハッピーさんが、かなり詳しく解説しています。そのツイートをまとめながら情報を補足しました。 http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65815845.html
「原子力規制委員会」の同意人事に関する緊急アピール 細野豪志大臣!原子力規制委員会に「原子力ムラ」の人選!? 田中俊一氏らから適任者に今すぐ差し替えを! (脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会) https://dl.dropbox.com/u/23151586/20120721_jinji.pdf
(2012.07.20首相官邸前抗議活動、脱原発15 才の中学生、バンクーバーより帰国。今の日本は海外から笑われている。子供が犠牲になっている。原発は未来の借金、負の遺産を­子供に押し付けるな!野田首相,この15歳の少年の声を聞け!恥を知れ!子供達の未来を破壊するな!)

2012年7月20日金曜日

(ドイツグリ-ンピ-ス報道)政府の原発再稼動に日本国民の抗議が増大し,ドイツと同様に一般的な大抗議デモになった.東電、原子力規制局,政府は福島第一原発が強い地震と津波に耐えられない事を長い期間知っていた!しかし、彼等は何もしなかった とグリ-ンピ-ス核専門家Tobias Riedl 氏は述べた.地震学者,石橋克彦は地震で原発事故を引き起こす可能性がある事を福島原発大事故の前に予測していた.政府や原子力規制当局は警告を無視していた。原子力村は政府と原子力産業との深い関係があり,多くのメディアが,その状態を支援していた.日本はここ数週間,原子力発電無しで生活ができる事を示している.再生エネルギーの可能性を持ち,多くの代替燃料や先進技術を持っている. 日本はすべての原子炉を停止でき,又CO2削減を達することができる。 http://www.greenpeace.de/themen/atomkraft/nachrichten/artikel/japan_widerstand_gegen_atomkraft_waechst/
独新聞.山下俊一教授の福島県の子供達の甲状線検査について"調査は不必要"と言う発言にグローバル2000環境保護団体核専門家 Uhrig氏は怒り,日本のプロ原発プロパガンダで最も弱い被害者子供達を守らず放射線のデータ改ざんをしていると批判! 日本放射線防護研究所が福島原発事故による子供の甲状腺被爆...が基準以下であるという発表に "間違っている"と境保護団体は反論。福島の全ての青少年の調査で38114人の内13384人,35%は甲状線結節が見つかりその内970人が直径5ミリである. 子供の放射線被曝と甲状腺結節の発生率の関係は古くから知られているそれにもかかわらず,山下教授と日本放射線防護研究所のいいかげんな発表にグローバル 2000環境保護団体の核専門家 Reinhard Uhrig,氏は怒り,批判した! http://derstandard.at/1341845025886/Radioaktive-Strahlung-belastet-Schilddruese-von-Kindern
(再稼働抗議集会 鳩山元首相が参加「官邸は国民の声を聞かなくてはならない」 http://tanakaryusaku.jp/2012/07/0004746 首相官邸前、午後6時ちょうど。主催者(首都圏反原発連合)の合図で始まった「再稼働反対」のシュプレヒコールに迎えられるように鳩山由紀夫元首相が会場に到着した。日頃は原発のゲの字も言わないマスコミが殺到し現場は混乱した。  揉みくちゃにされながらも元首相は目の前にそびえる官邸に向かって演説した。「私も官邸にいたが、官邸にいると国民の声が聞こえなくなる。今ほど国民の声を聞かなくてはならない時はないのに、声が届いていない」。  20日、金曜夕恒例となった官邸前の「再稼働抗議集会」に元首相が参加したことを、各紙の朝刊はどう伝えるだろうか。同じ民主党政権で元首相が現首相に抗議するということは、自己否定でもある。優柔不断な鳩山さんがよく決断したものだ。よほど腹に据えかねていたのだろう。  歩道はいつものように市民であふれた。『田中俊一、絶対ダメ』のプラカードを持っているのは渋谷区在住の会社員(男性・60代)だ。  田中俊一氏とは政府が原子力規制委員会の委員長に指名した人物。福島原発事故後、間もなく『福島県除染アドバイザー』として飯舘村を訪れ「谷一つ潰せば、貯蔵場になりますよ」と悪魔のように囁いたことで悪名高い。  「御用学者を規制委員会の委員長にするなんて、とんでもない。独立性が尊重されなければならないのに、これまでの保安院と同じだ」。会社員の男性は怒りをぶちまけるように話した。官邸が国民の声に耳を傾けていない証左が、原子力行政の人事にも現れている。 警察は前回同様、歩道と車道の間に鉄柵を置いた。国会議事堂前は横断歩道を渡ることもできない。参加者は移動を厳しく規制されたが、人の列はどこまでも伸びた。  官邸前、国会議事堂周辺の歩道は参加者で埋め尽くされた。だが永田町に参集したのは、氷山の一角であることがわかる。都内の予備校講師(女性・50代)がそれを教えてくれた。彼女は生徒たちの寄せ書きを持参していた― 『僕たちの未来を返してくれ。子供を産んでもいいんですか?…』 「ここまで来ることができない生徒たちの気持ちを持って来た」と話す。  ハイヒールのOL、会社カバンを手に提げた会社員たちが、次々と最後尾についた。「自分たちの健康と生活を守るために、子供たちの将来のために……」再稼働反対に寄せる庶民の願いは、回を追うごとに高まってゆく.

2012年7月18日水曜日

独新聞.米国研究者は福島原子力災害の影響で世界で1300人が癌で死亡し,続いて2,500人が新しく癌で死亡し,それらのほとんどは日本で起こるだろうと 国連科学委員会の研究者が"エネルギーと環境科学"の雑誌で報告した. 科学者達は世界で130人の癌の死亡が追加,15人から1300人の死亡者が増加.原子力事故緊急避難で既に600人が死亡.予想される癌は平均180人であり.汚染食品や水は発癌性が高いと報告.スタンフォード大学Hoeve氏は福島原発事故は世界的に影響を及ぼすと述べた. http://www.welt.de/gesundheit/article108314028/Fukushima-laesst-mehr-Menschen-an-Krebs-sterben.html (スタンホ-ド大学の論文) http://www.stanford.edu/group/efmh/jacobson/TenHoeveEES12.pdf
(20120716 意見聴取会またも紛糾 都心では大規模反原発集会) (1昨日、昨日、今日。埼玉、仙台、今日は名古屋と、2030年における原発の割合を決める意見聴取会が行われた。 しかし、これは「やらせ」か?と思わせるような状況になっている。 また今日、都心では大規模な「反原発」集会とデモが炎天下の中、行われた。)
(東京・多摩地域より、身のまわりで様々な発症が多発。急性白血病、突然死、良性腫瘍の悪性化) http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/22527b71db8b26c81871cfe71e3007fa?fm=rss
「首相が原発ゼロにしますと言わないと政権がもたない」官邸スタッフ ) http://akiba1.blogspot.de/2012/07/blog-post_18.html?spref=tw けさの朝日新聞はどの紙面も原発関連記事で埋まっていた。そのなかの政治面の一節に、オッと目を見張った。まずは、下の記事をごらんいただきたい。 その国民の声を聞く聴取会で、冒頭からつまずいた。官邸スタッフからは「首相が『原発はゼロにします』と言わないと(政権が)もたないかもしれない」との声も出始めている。(朝日新聞7月18日) この記事の見出しは「原発聴取会「やらせ」批判 電力社員が「推進」意見」。そう、きのうこのブログで「全原発再稼働への茶番シナリオ「エネ聴取会」は博報堂が7854万円で落札 」と書いた、あの「聴取会」の関連記事である。 野田政権は15万から20万人集まる官邸前抗議デモや16日の脱原発集会にみられる、国民の「原発やめろ」の圧力にかなり追いつめられていた。 そして、今回の「やらせ聴取会」で、さらに国民の怒りの炎に油を注いでしまい、土俵際まで攻め込まれたのだ。 もう一刻も早く「原発ゼロ」と野田首相の口から明確に宣言しないと、8月中にも政権が倒れる緊急事態である。そんな官邸内の雰囲気に、思わず官邸スタッフの口が滑ってしまったのだ。 通常、こういう政権内部のネガティブな実態は堅くガードされている。にもかかわらず、このような「声」が一般紙の記者に漏れるというのは、政権の末期的症状を露呈するものだ。 全原発撤廃にあともうすこし。ここは脱原発のがぶり寄りで、野田政権の原発再稼働のたくらみを押しつぶそう。 くそ暑いけど、今週の金曜もまた官邸前抗議にいくぞ。29日の国会包囲デモにもいくぞ。 投稿者 秋場龍一 時刻: 10:54
(福島県の魚介類から続々とプルトニウムを検出(厚生労働省) http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000023p4a-att/2r98520000023pas.pdf (厚生労働省のHPによれば、2011年中に採取した福島沖の魚介類から 続々とプルトニウムが検出されていたということです。) (・カタクチイワシ: 0.003ミリベクレル) (・マダラ     : 0.019ミリベクレル) (・アカガレイ   : 0.008ミリベクレル) (・スルメイカ : 0.003ミリベクレル) (ズワイガニ : 0.003ミリベクレル) *数値は1キロ当たりのプルトニウムで、プルトニウム239と240の合計値。 (ソース) ・厚労省のHP:厚生労働科学研究費補助金による測定結果(PDFファイル) (採取日:平成23年6月21日)

2012年7月17日火曜日

中嶌哲演さん(福井県小浜市の明通寺の住職)の訴え.~2012.7.16 さようなら原発10万人集会で.
(7/17 主張 「さようなら原発」 首相はこの声を聞くべきだ) http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/6405526.html 炎天下、会場の代々木公園へ続々詰めかける人々、呼びかけ人らの発言に熱い拍手や掛け声が飛び、集会後のパレードが暑い東京をいっそう熱くする―。文字通り、“圧巻”と呼ぶにふさわしい大集会でした。  「さようなら原発10万人集会」。「いい加減にせんかい」「ウソにはもうだまされない」―手書きのプラカードやゼッケンにやむにやまれぬ参加者の気持ちと怒りがこめられています。原発再稼働やめよ、原発なくせ―。 野田佳彦首相は、全国にこだまする、こうした国民の声を聞くべきです。 ふるさと奪われた怒り  「ふるさとを奪われた怒りをぶつけたくてやってきた」。集会が始まる前、会場内の小さな集まりで東京電力福島原発事故の被災地、福島からの参加者が切々と訴えました。 原発事故はまだ収束には程遠く、避難させられた10万人を超える県民は、住みなれた故郷で元の生活を取り戻す見通しがたっていません。東電による賠償や政府による除染も遅れています。  それなのに関西電力大飯原発をはじめ全国の原発の再稼働に動き出し、今後も原発に依存しようとしている野田政権。「すべてを奪ったうえに国民の声を聞こうとしない電力会社と政府は許せない」。福島からの参加者の訴えに、取り囲んだ人たちがうなずきます。  「さようなら原発10万人集会」は、作家の大江健三郎さんや澤地久枝さん、音楽家の坂本龍一さんら9人が呼びかけ、原発再稼働に反対し「原発ゼロ」の実現を目指すさまざまな団体・個人が力を合わせて開かれたものです。  呼びかけ人のあいさつで評論家の内橋克人さんは、「勇気ある声がゆがんだ国と社会をただすもっともたしかな力になる」と発言。 呼びかけ人のなかで最高齢の作家、瀬戸内寂聴さんは、「政府にいいたいことがあれば口に出して言い、体で表していこう」と呼びかけて、参加者を激励しました。  集会の参加者は、北は北海道から南は九州、沖縄まで、主催者は10万人をはるかに超える17万人が参加したと発表しました。  福島原発事故の収束のめどもたたず、原因究明も尽くされていないのに、「二度と福島のような事故は起きない」と、根拠のない“安全神話”をふりまいて原発再稼働を強行する野田政権に、国民が怒りの声をあげるのは当然です。 毎週金曜日夜、首相官邸前で開かれる「再稼働反対」のツイッター・デモをはじめ、全国各地でこうした行動が相次いでいます。国民の声が聞こえるなら、野田政権は再稼働を中止し、原発からの撤退をこそ決断すべきです。 民主主義の大切な機会  最初、首相官邸を取り巻く「再稼働反対」の声を「大きな音が聞こえる」としかいわなかった野田首相も、最近は「声が聞こえる」といい直しています。しかし、再稼働の強行を取りやめ、「原発ゼロ」に踏み出す姿勢はありません。それどころか大飯原発に続いて、四国電力伊方原発などの再稼働も狙っています。  野田首相が原発再稼働や原発依存を断念しない限り、国民の声がやむことはありません。デモや集会は国民が直接その意思を表示する大切な機会です。政治家がその声を聞かなければ民主主義を担う資格が問われることになります。
「市民と科学者は一隻の船の同乗者」 セバスチアン・プフルークバイル (ドイツ放射線防護協会会長) http://tkajimura.blogspot.de/2012/07/burger-und-wissenschaftler-in-einem.html  核エネルギー利用のマイナスの影響について調べ始めるとすぐ、何十年も前から続いている論争にたどりつき、誰もがそれぞれの政治的立場に一致する科学的な結果を見出せるよう思われます。しかしこれは偏見のない人は、重大な軍事的また経済的な利害が、今まで考えられていたよりもはるかに強く、科学的発言に影響を与えることができることに気付かされ、到底承服することはできません。    かくして核エネルギー利用の最初の頃から-当初は軍事的利用のみだったわけですが- 騙されてきたのです。うっかりではなく、たまたまでもなく、組織的に、計画的に行なわれていたのです。チェルノブイリ後、これが特にはっきりしてきました。高名な国際的諸専門機関が、たちまちにして全ての放射線の健康被害を完全に否定するか、少なくとも疑問視することを始め、これが 26 年たった今日でも、まだ弱まることなく続いています。  原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)が出した、いわゆる「チェルノブイリ後の健康被害はほとんど存在しない」とした最新の報告書は、福島での大事故のほんの少し前に発表されました。健康被害が否定されただけではなく、技術的な情報も意図的にうやむやにされています。今日まで(チェルノブイリでは)核燃料の 95 パーセントがまだ石棺の中にあるのか、95 パーセントが、壊れた原子炉から周囲に出てしまったのかが議論されています。このこと及び疾病のデータの精査ができていないために、被害について実に大まかな推定しかできなくしてしまっているのです。確実に言えることは、今日国連科学委員会の報告書の結果より、その被害は何十倍も何百倍も大きいということだけなのです。  チェルノブイリ後に、ドイツと西ヨーロッパでは、健康被害などが証明されることはないだろうと確信されているにもかかわらず、数年前からドイツと西ヨーロッパで現実の被害が観察されています。先天性奇形、新生児の死亡率、ダウン症、そして新しい現象としては男児と女児の出生時の比率の変化などです。これらの現象は、チェルノブイリ後すぐに現れ始めたのですが、20 年間も誰にも気付かれることがなかったのです。これらの現象は、チェルノブイリから 1000km以上も離れ、非常にわずかな被曝 線量の増加で起こされています。今恐れられているのは、福島と周辺で、既にこれらの現象が起こってということです。既に数多くの国際的専門誌にこの現象について発表しているにもかかわらず、その結果は、国連科学委員会や国際放射線防護委員会(ICRP)、世界保健機関(WHO)などの国際的専門機関が無視するか、笑うべきことしています。  日本で大地震、津波、そして 4 基の原子炉崩壊という大惨事が起こった昨年、ドイツでは驚くべき動きがありました。キリスト教民主同盟のメルケルドイツ連邦首相は、福島の事故の数ヶ月前に、ドイツの原子力発電所の稼働年数の延長を実現させていました。しかし、福島の事故後、彼女は原子力発電利用からの脱退を独断で宣言したのです。これは誰も思ってもみなかったことでした。今ではドイツの保守的な諸政党や、原子力発電のロビイストは、この決定に対し反撃をおこない、物価が高騰するとして威嚇しています。原子力発電の代替えエネルギー供給の視点はまだできていません。私たちは、ドイツの全ての原子力発電所の停止がまもなくかどうかについては、まだ本当の確信を持っておりません。  首相にとって決定的であったのは(私は確信していますが)福島の大惨事が技術的な問題だったのではなく、福島の事故のニュースが、チェルノブイリ事故後の恐怖の記憶をドイツ人に呼び起こすことに彼女が気付いたことです。この恐怖の記憶の波と、皆さん日本の人々への同情の思いの波があまりにも大きく、ただちに明確な行動を起こさなければ、次の選挙で負けてしまうかもしれないとの懸念を、正当にも首相はいだいたのです。そこで彼女は行動を起こしたのです。政治権力上の計算でしたが、彼女自身は、その決定がエネルギー政策上正しいのかどうかについて、内心ではほとんど確信していなかったのです。この分野を担当するドイツの委員会は、まずは秘密裏に協議を重ねました。この放射線防護委員会*は連邦環境大臣に助言をする機関ですが、福島の事故からほぼ一年後に会議をもちました。福島の経験からドイツの大災害防止を再評価する会議です。(*ドイツ放射線防護協会とは異なる/訳注)この委員会の専門家は、明らかに核エネルギー寄りなのですが、彼らの評価と判断は惨憺たるものでした。ドイツの災害防止対策では、福島後のような状況をコントロールすることはとうてい不可能であろうとの結論でした。同委員会は規則の変更リストを作りましたが、このリストはまだ秘密であり、具体的にどのような変更を行うかも秘密なのです。  この委員会会議と同じ頃、ドイツの放射線防護庁が、同様の問題に関しての報告書を出すことを数ヶ月前から止められていたことが公になっています。この報告書でもドイツでの核災害に対するこれまでの備えが全く不足との結論に達しています。私たちは福島より何十年も前からドイツの災害防止計画を批判してきました。福島の事故によってドイツでの災害防止計画がさらに現実的なものになるかもしれないという点だけは喜ばしいことです。  ドイツの原子力寄りの専門家たちのあいだでも、福島での大災害はまだ全く収束をしていないという点については意見が一致しているのは、私たちにも驚くべきことです。4 号機と 3 号機の使用済み核燃料貯蔵プールの中の核燃料がどうなるのかが最大の懸念材料です。その核燃料の冷却が失敗し、或いは瓦礫の建物が崩壊すれば、本当の大惨事が始まるでしょう。私たちの重大な危惧は、最後の核燃料棒が安全に取り出されるまでに、あまりにも時間がかりすぎることです。  私たちは福島後に世界中で、「100 ミリシーベルト以下であれば、全く心配する根拠はないと」ことを広めるため、多くの発表が行われたことを目の当たりにしています。また、私が二度とは行われないと思っていた心理作戦も再開されています。たとえばチェルノブイリ後に市民を惑わすために使われた放射線恐怖症(Radiophobie)という概念が再び生き返っています。 また倫理観(Ethos)という言葉も使われだし、元の意味からはかけ離れた形で使われています。チェルノブイリ後「ETHOS・エトスプロジェクト」という名の研究プロジェクトが立ち上げられていました。チェルノブイリ地区で、核の大惨事がどのようなものか研究し、様々な測定法やロジスティックを編み出し、住民の生活条件や生活様式を放射能汚染に慣れさせていくという目標を持っていました。この研究プロジェクトの全てが悪かったわけではありませんが、方向性は間違っていました。この地区に住む私の友人等がこれらの研究が、フランスなどで起こる次の核事故にむけて準備をするためのものであると気付くのに時間はかかりませんでした。チェルノブイリ地区の住民にとっては、あまり役に立つものではなかったのです。エトス(Ethos)という概念は、今福島でも使われ始めています。    私たちはこのようなやり方の本当の目的が何なのか正確に分析しなければなりません。住民を放射能汚染された地域に留めておこうとしていること、そして彼らの生活を放射能汚染に慣らそうとしているとの疑いが自ずと起ってきます。このような努力は核エネルギーのための奉仕と理解することです。たとえ核事故の後であっても、多少のあざができるだけで、避けることができると見せかけるのです。住民の保護や健康は、全然、またはわずかしか問題にされません。思い出して戴きたいのは、アリストテレスによる古典的な修辞法では、エトス(Ethos)は3つの説得術の一つであり、話し手の権威と信頼性によるものを表します。他の2つはパトス(Pathos、話し手の力と感情的な呼びかけによるものを表す)、それにロゴス(Logos、論理性と証明の正しさによるものを表す)です。 放射能問題に関係する機関の職員、また公の放射能問題の専門家と見られている科学者の多数は、すでにほとんどの市民が話を信用してくれず、権威をほとんど失っていると悩んでいることを私たちは知っています。この感情は正しい。しかしなぜ言うことを信じてくれないのかという疑問にまでは、まだたどり着いていないのです。  科学者にとっては当然のことですが、福島周辺の住民に放射線による健康被害が次第に拡大していく事態に深い関心をいだいています。それは政府機関がいかなる健康被害もないと否定していることへの反応であり、ある程度までは理解できます。電離放射線がどのような恐ろしい結果をもたらすかについて既に十分知っているので、ゆくゆくは電離放射線に触れないようにすることです。   本来はヨーロッパ同盟 EU の憲法になるはずのリスボン条約には、予防に加えて防止という概念があります。環境破壊については、優先的にその根本原因を撲滅することが予防で、加えて原因者責任原則に防止という概念が決められています。環境破壊を引き起こした者は、損害除去について責任をとるという考えです。響きはいいのですが、ヨーロッパにおいてもこれらの概念はまだ単なる理論でしかないのです。しかし考え方のヒントとしては大いに役立ちます。私たちの問題に当てはめてみると、私たちの研究は核惨事の最後の一人の被害者の死因が認定されて正式なリストに記載されるまで待たなくてもよいのです。私たちは環境中の有害物が健康に被害をもたらしているという深刻な懸念があるときには、行動を起こすのです。真剣に検討する理由は少なくありません。  この問題については、ヨーロッパ環境庁(Europäische Umweltagentur) の優れて印象深い研究の中に、分析による麻痺(Paralyse durch Analyse)という言葉が 使われています。ひたすら延々と研究を続けることは、「犯罪者たち」が、延々と殺人を続けられていくことに行き着くという意味です。私たちが(原子力発電所の稼働という)根本原因を見失うことがなければ、全ての健康被害の可能な限り正確に把握していくことは、いつかはその原因を作った人々にこの損害の責任を取らせるためにも必要で、また望まれます。  一般市民、たとえば子どもの健康について真剣に悩んでいる母親たちにとって、全てを自力で理解しようとするのは困難です。医師や研究者など、白衣を着た専門家を尊敬するように教育されてきているからです。これらの権威者の権威に疑問を抱き、自分自身で考えようとするには、チェルノブイリや福島のようなショックが必要だったのが明らかになりました。この学習と解放の過程では、たとえ市民と、数人の科学者と医師からであろうとも相互理解が構築されていくことが大きな助けになります。 このことが西ドイツでは、チェルノブイリ後に起こりました。私と同学の人であるインゲ・シュミッツ=フォイヤーハーケ教授は、私からすれば西ドイツで市民に放射線問題についての啓蒙活動を行った最長老の科学者です。私は東ドイツでいささか異なった政治的背景の中で、同じ方向に活動していたのですが、いまだに学ぶことのたくさんある彼女の生徒だと考えております。  今回の国際会議は、国境を超えて市民と科学者の相互理解のためのすばらしい例となるでしょう。人はこのような時に、ドイツの哲学者イマヌエル・カントを想います。彼は「啓蒙」の概念として「人間が、自己の責任においてとらわれている未熟さ(未成年状態)から抜け出すことである」と定義しました。ここ日本では現在、ある種の啓蒙が始まっていますが、未熟さの自己責任はほんの一部分だけでした。ヒロシマとナガサキ後のアメリカ合衆国の政治、メディアの影響力、そして原子力ロビイストたちが、何十年にもわたって、この未熟さに狙い定めてこれをもたらしてきたのです。  しかし今、老カントが定義した「自分自身の知力(悟性)を、他人の指導なしに使いこなす」ことに喜びを見いだすチャンスが訪れています。福島などでのこの新しい出発に、私たちは心から賛同しています。それが私たち自身も同じ嘘と闘い、同じ現実を突きつけられ、同じ疑問を抱いた何年も前の厳しい闘いを想い起こさせるからです。福島の人々が、この難しい状況を理解するために、そして私たちと一緒に理性的な結論を深く考えていくために、私たちを今日ここに招待して下さったことを本当にうれしく思っています。私たちは真実を借出しているわけでもありませんし、皆さまにすべきことを話した後で遠い祖国に帰り、私たちのアドバイスがもたらす結果ともども置き去りにするわけではありません。私たち自身にまた私たちの子どもたちや孫たちのためにも挑戦を受けて立ち、皆さんの真剣に考えていることに出来る限りの助けをしたいと望んでいるからです。昨日チェルノブイリで起こり、今日は皆さんの身に起こっていることは、明日にでも西ヨーロッパで起こります。それゆえに私たちは、皆が共通に抱えている問題について考え、今みんなで共同して行動を起こさなければなりません。  日本とドイツは、世界中での今後の核エネルギー使用の決定について、重要な役割を担っています。日本とドイツの市民が、核エネルギー利用についてどう考えているかを、力一杯大きな声を上げ、そして両政府が国民の望んでいることに耳を傾けるならば(かつて「民主主義」とは、そもそもこういう考え方であったのですが)まさに日本とドイツは、代替えエネルギー供給の方法を構築するための、技術的潜在力を持っているのです。日本とドイツは、それが実際に機能することを「先例」として実現できるのです。それと同時に、核軍縮の思想が一層発展すれば、緊急の場合だとして独自の核兵器を製造できるように原子力発電所を稼働させるという下心も消滅し、私たちは「極楽」を迎えましょう。私たちは皆、日本もドイツにもこのような下心への免疫が、いまだに備わっていないことを知っているのです。  私たちには、まだなすべきことがたくさんあります。みなさま、共同して行動していきましょう、お互いに学びあい、必ず成果をもたらすと励まし合いましょう。私たちには他の選択肢はないのですから。 〔梶村注〕プフルークバイル博士がここで引用されているカントの『啓蒙とは何か』からの原文と、一般的な翻訳は次の通りです。 [Aufklärung ist der Ausgang des Menschen aus seiner selbstverschuldeten Unmündigkeit. Unmündigkeit ist das Unvermögen, sich seines Verstandes ohne Leitung eines anderen zu bedienen .] 「啓蒙とは、人間が自分に責任のある未成年状態から脱け出すことである。未成年状態とは、他人の指導を受けなければ自分の悟性を使用できないような無能な状態である」 (筆者紹介) )セバスチアン・プフルークバイル博士) Sebastian Pflugbeil 物理学博士。1947 年生まれ。ドイツ放射線防護協会会長。ボンにあるオット・フーク放射線研究所会員、欧州放射線リスク委員会(ECRR)理事。チェルノブイリ事故、フクシマ事故を解明するたくさんのプロジェクトに参加するほか、事故周辺地域のこどもたちの社会復帰活動に参加。1990 年、ベルリンで市民団体「チェルノブイリのこどもたち」を設置し、長年ドイツ・チェルノブイリ支援協会(ミュンヒェン)の理事を務めていた。1989 年に東独の民主化運動で最初に設立された市民団体「新フォーラム」の共同設立者の一人で、壁崩壊後のハンス・モドロウ政権下では、東独のエネルギー政策を改革する目的で数ヶ月間大臣を務める。1991 年から 1995 年までは、ベルリン市議会で「新フォーラム」選出の議員も務める。 ====================================================
(アノニマス福島原発事故の放射線被曝で子供達の36%に生育異常があると世界に情報発信.2012.7.17 ) http://portirland.blogspot.jp/2012/07/36.html
(人類的犯罪フクシマ事故の太平洋放射能汚染長期シュミレーション/ドイツ・キール海洋研究所/日本近海拡大図を追加/再追加図あり ) http://tkajimura.blogspot.de/2012/07/blog-post_13.html

2012年7月16日月曜日

「脱原発」を訴える大規模な市民集会「さようなら原発10万人集会」が16日午後、東京・代々木公園で開かれた。ノーベル賞作家の大江健三郎さん(77)らが呼びかけた署名運動「さようなら原発1000万人アクション」の一環。約17万人(主催者発表)が全国から集まり、原発の再稼働に踏み切った野田政権に方針撤回を迫った。  「たかが電気のためになんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか。子どもを守りましょう。日本の国土を守りましょう」。集会は午後1時、呼びかけ人の一人、音楽家の坂本龍一さん(60)のあいさつで始まった。  続いて壇上に立った大江さんは、6月15日に約750万人分の署名の大半を野田佳彦首相あてに提出した翌日に野田政権が関西電力大飯原発の再稼働を決めた経緯に触れ、「私らは侮辱の中に生きている。政府のもくろみを打ち倒さなければならないし、それは確実に打ち倒しうる。原発の恐怖と侮辱の外に出て自由に生きることを皆さんを前にして心から信じる。しっかりやり続けましょう」と訴えた。  「冥土のみやげに皆さんの集まった姿を見たかった」。こう切り出したのは作家の瀬戸内寂聴さん(90)。「政府への言い分があれば、口に出していいし、体に表していい。たとえ空しいと思う時があっても、それにめげないで頑張っていきましょう」  会場では音楽ライブやトークショーも開催。参加者は午後2時に集会が終わった後、渋谷など繁華街を「再稼働反対」と声を上げながらデモ行進した。  集会は、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が中心となって開催。労働組合の旗がたくさん掲げられるなか、手作りのプラカードを掲げる参加者も目立った。参加者数は担当者が分担して会場入り口の約10カ所で目測で数えて合計したという。昨年9月に東京・明治公園で開催した集会には6万人ほどが集まったが、今回はその規模を上回り、東京電力福島第一原発事故に関連した集会では最大規模としている。警視庁は公式発表していないが、警察関係者によると、把握した参加者数は約7万5千人だったという。  東京の集会に呼応し、各地でも集会やデモ行進があった。 http://www.asahi.com/national/update/0716/TKY201207160202.html?__from=mixi
(ドイツ新聞.動画.代々木公園で17万人の反原発の集会とデモ.活動家達は、原子力発電に反対して785万の署名を集めている。我々は、原子力エネルギーは要らない!我々の福島を返せと全ての地域から集まった人達は日本政府に要請した! 大江健三郎、坂本龍一は、原子力エネルギーの終りを要請し,広瀬隆氏は,日本の社会は,取り返しのつかない犯罪は必要でないと言った! ) http://www.sueddeutsche.de/politik/atomkraft-in-japan-zehntausende-japaner-demonstrieren-gegen-kernenergie-1.1413624
この暑さの中、音楽家の坂本龍一さんや作家の大江健三郎さんらが呼びかけ人となって、「原発反対」を訴える集会が開かれ、主催者発表で17万人もの人達が集まりました。会­場となった東京の代々木公園は参加者で埋め尽くされました。
(ドイツARDテレビ.動画. 日本では、大飯の2つの原子炉の再稼動と政府の民意を無視した政策に反対して大きな抗議があった。東京では、主催者によると、20万人が街頭に繰り出した.) http://www.tagesschau.de/ausland/japan1204.html
(北陸電力志賀原子力発電所1号機(石川県)の原子炉建屋直下に活断層がある可能性が、 経済産業省原子力安全・保安院の調査で分かった。) http://alcyone-sapporo.blogspot.de/2012/07/blog-post_3120.html?spref=fb
【速報】空撮7・16さようなら原発10万人集会 主催者発表17万人.

2012年7月14日土曜日

(官邸前インティファーダ パレスチナの民と化した再稼働反対の市民) http://tanakaryusaku.jp/2012/07/0004696 官邸前がパレスチナと化した。金曜日恒例の原発再稼働抗議集会で先週、先々週と車道に参加者が溢れ出たことを重く見た警察は、歩道と車道の間を鉄柵で区切ったのである。  所轄の麹町警察署警備課は電話取材に「群衆警備のため」と説明した。「テロを防ぐため」と称してパレスチナの民を囲い込む「壁」と同じではないか。パレスチナの壁を計画段階から取材・報道していた筆者には、そう思えて仕方がなかった。  高さ1・5mはある鉄柵は支えまで付いており、相撲取りが押しても倒れない。それが官邸前交差点から霞が関方面に向けて100m余りも続く。その先は機動隊の輸送車が数珠つなぎになり、歩道から車道には一人たりとも出られない。  次から次へと参加者が押し寄せて来ても、財務省方面や議事堂方面に逸れるしかないのだ。  原発推進に固執する野田政権にとって再稼働反対派は、イスラエルにとってのパレスチナ人のような存在なのかもしれない。『官邸前に賑々しく人を集めるな』『間違っても参加者を車道に溢れさせるな』。そんな指令が官邸から飛んだのだろう。  野田政権の原発推進政策に反対する運動が広がりを見せている―そんなイメージを国民に持たれたくない。解散総選挙が近いだけに余計危機感を募らせているものと見られる。官邸の目論見は一応成功した。 野田政権と警察の窮余の一策とも言える鉄柵は、しかし、参加者たちの間ですこぶる評判が悪い。  「ふざけんじゃねえ。国民が自分の意志を表すために集まって来ているのにこんな鉄柵をつけるのはおかしい。これだけの人が来るのだから車道を開放すべきだ」(中野区・女性=50代)。  「初めて官邸前に来たら鉄柵があった。ものものしい雰囲気にびっくりしている。ノーと言える子供を育てたい。今日は子供たちに教室を休む理由を説明してきた」(名古屋・音楽教室を営む女性=50代)。  警察の規制が厳しくて官邸に近づけない参加者のために、国会議事堂前には第2ステージが設けられた。ファミリーエリアでは親子で「再稼働反対」を叫ぶ姿が目立った。官邸前をはるかに上回る人出だ。こちらの方が車道に溢れるのではないかと思えるほどの熱気だった。インティファーダ(蜂起)にも似た迫力だ。  いくら規制しようが、それを潜り抜けて抵抗する。再稼働反対を叫ぶ市民たちがパレスチナの民と重なって見えた。  《文・田中龍作 / 諏訪京》
(胎内被爆者の身体的・精神的発育と成長.放射線影響研究所.) http://www.rerf.or.jp/radefx/uteroexp/physment.html 被爆に関連した小頭症および知的障害の発生増加は、1950年代後半に既に明らかにされていた。線量が0.005 Gy未満と推定された胎内被爆者においては、1,068人中9人(0.8%)に重度の知的障害が見いだされたのに対し、線量が0.005 Gy以上と推定された胎内被爆者においては、476人中21人(4.4%)が重度の知的障害と診断された。この重度知的障害が発生する確率は、被曝線量および被爆時の胎齢(特に発達の著しい段階)と強い関係がある。知的障害の過剰発生は、受胎後8-15週で被爆した人に特に顕著であり、受胎後16-25週で被爆した人ではそれよりも少なかった。一方、受胎後0-7週、または26-40週で被爆した人では全く見られなかった(図1)。また、重度の知的障害に至らない場合でも、受胎後8-25週で被爆した人に、線量の増加に伴う学業成績とIQ指数の低下が認められ(図2)、発作性疾患の発生増加も明らかになった。 6 人の重度知的障害者については脳の磁気共鳴画像診断が行われており、受胎後3カ月目から4カ月目に被曝すると、脳の構造に明らかな異常が引き起こされることが示唆されている。小児期被爆者と同様、毎年行われた胎内被爆者の身体測定でも、高線量被曝群において成人時(18歳)の身長、体重の全体的な減少が観察されている。この場合には、性や被爆時の胎児の週齢は関係がない。
関さんは、福島第一原発事故で汚染された家の庭や畑の土、山林の土や草木、灰などを持って、その責任元である東京電力と国に届ける行進を始めました.
米国カリフォルニア各都市で、福島の女性が連日講演. http://8bitnews.asia/wp/?p=2149&fb_comment_id=fbc_10151017173881092_22951351_10151023694821092#.UAEEg4lhic0 原発いらない福島の女たち」メンバーで、福島市内で活動を続ける、椎名千恵子さん。 7月7日からおよそ2週間をかけて、アメリカ・カリフォルニア州の12カ所で福島の現状を訴え、支援を求める講演を行っている。 福島県からたった一人でアメリカにやってきた。 避難したくても避難ができない福島県内で子どもを持つ母親などを支援を続けて来た。 世界に向けて、福島県の実情を訴え、広く支援をとりつけたい考えだ。 San Diego、Irvine、Los Angeles と3日間の彼女の講演に同行した。 米国人達は各々が疑問に感じていた質問を彼女にぶつけていたが、その多くが「なぜ、逃げないのか」という内容だった。 核への責任に言及する米国人女性もいた。 直接の対話に寄って、アメリカと福島の距離が縮まっている。

2012年7月13日金曜日

2012年7月12日木曜日

放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、 - 第五福竜丸、1954年3月1日に、アメリカ軍の 水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた、遠洋 マグロ漁船の船名である。無線長だった久保山愛吉がこの半年後の9月23日に死亡 した。 http://www.dailymotion.com/video/xo5uvc_20120129-yyyyyyyyyy-yyyyyyy-yyy_news#rel-page-under-5 1954年。18ヶ所の漁港に鳴り響くガイガーカウンターの音。水揚げされる被ばくマグロ。南太平洋から戻るマグロ漁船の船体や乗組員の衣服、頭髪、そして魚からも、強い放射能が検知された。アメリカが太平洋で行った水爆実験は、広大な範囲で大気と海水と魚などを汚染。「放射性降下物」は、日本やアメリカ本土にまで届いていた。しかし事件から7ヶ月後。被ばくマグロが続々と水揚げされる中、日本政府は突如、放射能検査を打ち切った。数日後、両国政府が文書を交わし、事件に幕を引いたのだ。人々の記憶から消え、歴史から消し去られた被ばく事件。なぜ、これまで明るみに出なかったのか。そこには、両政府の思惑と人々の切実な思いがあった。8年にわたる取材から事件の全容を浮かび上がらせる。 ※日本政府がいかに国民ではなくアメリカの方を向いてきたかがわかります。またビキニ水爆実験の被爆はフクシマのX年後の姿を示しています。
野田政権が首相官邸前・脱原発デモの「中止命令」を出せる条件が揃った http://www.facebook.com/hanayuu999/posts/443656685657409 (新型インフル法が成立=緊急事態宣言で私権制限可能に) http://www.peeep.us/84e740ad  新型インフルエンザへの対策を定めた特別措置法が27日午前の参院本会議で民主、公明各党などの賛成多数で可決、成立した。社民、共産は反対し、自民は欠席。施行後は首相が緊急事態を宣言すれば、集会の中止命令などの私権制限が可能になる。  国内外で新型インフルエンザが発生した場合、政府と都道府県は対策本部を設置。入国者の検疫を行い、厚生労働相と都道府県知事は、医師に診察を指示することができるようになる。  国内で患者が出て、「国民の生命と生活に著しい被害を与える恐れ」があると判断されれば、首相が期間と区域を定め、緊急事態を宣言する。宣言の期間は最長3年。知事が感染拡大を防ぐため集会の中止を命じたり、物資の強制買い上げや土地の強制使用を行ったりすることが可能になる。  業者が物資の保管命令に違反すれば、6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金が科される。

2012年7月11日水曜日

(兵器搭載可能プルトニウム量は 世界一の国 「日本」   プルトニウム生産拠点は「電力各社」  ミサイル実験は「宇宙開発の名で」 アメリカ 国家安全保障通信社の論文より.*日本政府が何故,核を持とうとしたか,又,現在も,国民の意思を無視して核を持とうとするのかその理由が明確に書かれている.ぜひ,読んでいただきたい.) http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-621.html  ジョセフ・トレント(Joseph Trento)、2012年4月9日  (National Security News Service: NSNS) 我々NSNSの調査は、何十年にもわたって最高機密であり続けてきた日本の原子力産業を垣間見て、日本と西側諸国の核政策とこの政策を冷戦下とその後の世界で形成した官僚たちに関して、重大な問題を提起する。国際企業と官僚たちは、この欺瞞を遂行するために、国民の安全と国家安全保障を犠牲にした。平和的原子力計画の隠れ蓑の下で、かれらは巨大な利益を上げた。 一年前、自然災害と人災が組み合わさって日本北部で多くの人が犠牲になり、3千万都市の東京が居住不能になる寸前となった。2011年3月に津波が襲来した後、福島第一原子力発電所での水素爆発とそれに続く原子炉3基のメルトダウンで、地域全体に放射能がまき散らされた。原発の20キロ圏内は居住不能と見なされている。ここは国家の犠牲となった地区である。 日本がどのように核の悪夢に至ったかは、NSNSが1991年から調査しているテーマである。日本の原子力計画には二重の目的があった。表向きは日本に無限のエネルギー源を開発し供給するというものであった。 しかしこれには裏があって、日本が十分な核物質と核技術を蓄積し、短期間で核兵器大国になることを可能にする、非公認の核兵器計画だった。民間原子力(発電)を秘密の原爆計画を隠すために利用したのと同じように、日本は平和的宇宙探査計画を、高性能の核兵器運搬手段を開発するための隠れ蓑にした。 日本国民に原子力が生活の中に入ってくることを納得させる唯一の方法は、歴代の政府と産業が一切の軍事利用を隠しておくことであると、日本の政治指導者たちは理解していた。この理由により、日本の歴代政府は結託して、原爆計画を無害なエネルギー計画と民間宇宙計画で偽装してきた。  アメリカ合衆国は意図的に、日本がアメリカの最高機密である核兵器製造施設に立ち入ることを許し、何百億ドル(数兆円)もの税金を投じたアメリカの研究成果を日本に横流しして、日本が1980年代以降70トンの核兵器級プルトニウムを蓄積することを可能にしたことを、米国の国家安全保障問題専門通信社の国家安全保障通信社(NSNS)の調査が明らかにした。 CIAの報告書により、日本で1960年代から秘密の核兵器計画があることをアメリカ合衆国は察知していたことが、NSNSの調査で判明した。 プルトニウム分離に関する高度な機密技術は、何百億ドルもの価値を持つ増殖炉の研究成果とともに、核拡散に対する歯止めがほとんど無いまま日本に引き渡された。この移転プロセスの一環として、日本の科学者と技術者たちはハンフォードとサバンナ・リバーの両施設へ立ち入りを許された。 日本が核兵器の配備を自粛し、アメリカの核の傘の下にとどまっている間にも、中国とインド、パキスタンを合わせたより大量の核兵器システムを作るのに十分な核物質を蓄積できるように、日本は電力会社を隠れ蓑として使っていた ことが、NSNSの調査で分かった。 アメリカ合衆国によるこの意図的な核拡散は、従来の核兵器保有国が 条約や国際法に反して核拡散に加担しているという、イランのような国による主張に油を注いでいる。  日本は、電子産業や自動車産業を振興したのと同じ方法で、原子力の問題に取り組んだ。中心となる企業グループに長期的利益の望める主要課題が振り分けられた。そして政府は、課題達成に必要とあれば、いかなる経済的・技術的・制度的な支援をも投入して、これらの企業を育成した。 中国、北朝鮮、インド、パキスタンが核兵器を開発したとき、日本と西側同盟諸国は、芽生えつつある脅威に対処するため結束を強めた。 レーガン政権が アメリカの政策を劇的に変化させた法律を制定したことで 頂点に達した。アメリカ合衆国は、日本に送られる アメリカ起源の核物質に対する ほぼ全ての規制を放棄した。 日本政府は、広く知られている日本人の核兵器に対する憎悪を、メディアや歴史学者に政府の核兵器活動を詮索させないために利用した。その結果、2011年3月の惨事に至るまで、日本の原子力産業はほとんど批判の目に曝されることがなかった。国際原子力機関(IAEA)もまた、世界的な核拡散の監視機関であるにもかかわらず、見て見ぬふりをしてきた。 1940年代初頭、ドイツ、イギリス、アメリカ合衆国、日本の科学者たちは、想像も及ばない力を持った兵器を、原子の中から解き放つことに取り組んでいた。 理論物理学の領域では、日本はヨーロッパとアメリカのライバルに対してリードしていたが、 原材料と、それを原子爆弾に変える工業力の余力が無かった。 1943年の時点で、日本版のマンハッタン計画は原爆級ウランを分離できるサイクロトロンを作り出しただけでなく、原子の知られざる力を解き放つ知識を持った核科学者のチームをも生み出した。日本は爆弾を作るのに十分な原料ウランを求めて帝国中を探し回ったが、成果はほとんど無かったため、ナチス・ドイツに助けを求めた。 窮余の一策として、ヒトラーは1200ポンド(544 kg)のウランを載せたUボートを日本に派遣した。1945年5月にアメリカの軍艦がこれを拿捕した。潜水艦に乗船していた2名の日本人士官は自殺し、積み荷のウランはテネシー州オークリッジに運ばれ、アメリカのマンハッタン計画のために使われた。 1945年8月12日、長崎原爆投下の3日後、日本がポツダム宣言受諾を発表する3日前、日本は興南で原爆を実験し、部分的な成功を収めたと、ウィルコックスは書いている。そのときまでは、仁科の研究 (日本の原爆研究の中心人物) は象徴的なものに過ぎなかった。ただ日本には、これに続く爆弾を生産する手段と、アメリカ合衆国へ正確に運搬する手段が欠けていた。 第二次大戦が終わったとき、日本の核兵器製造能力を破壊することは優先事項になった。アメリカの占領軍はサイクロトロンなどの日本の原子爆弾計画の痕跡を破壊し、日本が核兵器計画を再開できないようにした。が、仁科と彼のチームが戦争中に蓄積した膨大な知識の集積を破壊することは出来なかった。 その後、F号 (仁科と彼のチーム) の背後にいた人々は、日本の原子力計画の指導者になった。彼らが最も優先したのは、日本で原子核研究が継続できるために十分なウランを蓄積することだった。 1949年に中国で共産党が勝利し、ソビエト連邦による核実験が成功すると、アメリカの地位は脅かされた。共産主義国は太平洋でアメリカに挑戦し、日本は突如として、敗れた敵国から価値ある同盟国へと転じることになった。 1952年に北朝鮮軍が南へ押し寄せてきたとき、アメリカは全く不意を突かれた。軍備と訓練が不十分なアメリカ海兵隊は釜山で包囲され海まで追い詰められた。このとき初めて アメリカ軍司令官ダグラス・マッカーサー将軍は、トルーマン大統領に核兵器の使用を進言した。 その核兵器は日本の沖縄に貯蔵された。アメリカ軍が釜山で全滅の危機に瀕しているとき、アメリカのB-29は中国と朝鮮半島の目標を爆撃するため待機していた。中国軍が朝鮮半島に侵攻したとき、日本から飛んだ核兵器搭載の爆撃機が実際に中国と北朝鮮の空域に侵入したが、撃墜された。   1950年代の初頭、アメリカ合衆国は、日本が原子力ビジネスに加わるよう積極的に促していた。アイゼンハワーは、日本やインドのように資源の乏しい国々に、技術的、経済的、道徳的支援の形で 「平和のための原子力」である 原子炉を供与した。慢性的なエネルギー不足に陥っていた経済への解決策として、日本はすぐに原子力に向かった。 国際政治の舞台で足場を築き、戦後の主権と国力を回復することを切望した日本政府は、進んで乏しい資金を研究施設と原子炉に注ぎ込んだ。 アメリカと並んでイギリスとカナダの核技術も輸出の対象になった。イギリスが先行し、マグノックス炉を日本に販売した。GEとウェスティングハウスは急速に残りの業界を押さえ、原子炉の設計図と部品を日本に途方もない値段で売った。 原子力産業が活性化されると、日本はアメリカ合衆国から独立した自前の原子核研究に戻った。アメリカ人に鼓舞されて、1956年に日本の官僚たちは完全な核燃料サイクルを利用する計画を描いた。 理論によれば、プルトニウムは従来の原子炉で燃やされた使用済み燃料から分離され、新しい「増殖炉」で使うことが出来る。それに成功した者はまだ誰もいなかったが、これは技術時代の夜明けであった。 これがあれば、日本がアメリカ産エネルギーへの依存から脱却し、最も強力で入手が困難な爆弾材料であるプルトニウムの膨大な備蓄を作り出すこともできる。 1964年の10月に、中国共産党は初の原子爆弾を起爆させて世界を驚愕させた。世界は驚きにとらわれたが、日本ほど強い感情が巻き起こった国は他になかった。3ヶ月後、日本の佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン大統領との秘密会談のためにワシントンに行った。 もしアメリカ合衆国が核攻撃に対する日本の安全を保障しないなら、日本は核兵器システムを開発する。この最後通牒で、ジョンソン大統領はアメリカの「核の傘」を拡大させることを余儀なくされた。日本人と世界中の人々には、彼が作った 非核三原則 がけっして完全に実施されることはなかったとは知る由もなく、佐藤は秘密の核兵器計画を進めさせた。 その後の数年で、何千発ものアメリカの核兵器が日本の港と在日米軍基地を通過していった。佐藤のジョンソン大統領との歴史的会談の前でさえ、アメリカの核兵器が日本に貯蔵されることを日本は公式には無視することに、密かに同意した。日本政府の官僚は一切を紙に書き記さなかったという点で抜け目がなかった。 1960年に日本政府は、核武装したアメリカの軍艦が日本の港と領海に入ることに、口頭で同意していた。 1980年代にこれらの問題について質問された時、日本政府はそのような理解があることを頭から否定し、条約の条件にアメリカ合衆国とは異なる解釈があるなどとは「思いもよらない」と言った。 機密が解除されたアメリカ政府文書を見れば、非核三原則は嘲笑の的である。何十年にも渡って横浜を母港とするアメリカの航空母艦キティ・ホークは、日常的に小型の核兵器を運搬していた。  日本はアメリカ軍が核兵器の使用を模擬する合同軍事演習に参加しさえもした。暴露された内容は、日本政府の表向きの政策と核兵器に関する行動の間の分裂を、はっきりと示している。 1970 年代初頭、日本は核不拡散条約に参加すべきかどうかが 問題となった。5つの核兵器保有国は現在の核兵器を保持するが、その他の国々は核兵器を放棄することを誓った。100ヶ国以上がこの条約に署名した。特筆すべき例外は、核の選択肢を残しておきたい インド、パキスタン、イスラエル、日本 であった。 中曽根康弘は日本の防衛庁長官であった経歴を持ち、新しい世代の原子力推進政治家の一人であった。彼は即時の核武装に賛成しなかったが、日本が将来核兵器を開発する権利を制約するいかなる動きにも、彼は反対した。 1969年の外交政策大綱に関わって その6年後、中曽根は再び核兵器論争に巻き込まれた。この論争にかかっていたものは、日本の核兵器保有の能力と、日本の政治で最大の褒美である首相の椅子だった。中曽根は、外面上は核不拡散条約を支持することで首相への道を確かなものにした。 日本の協力への対価は、核兵器用に理想的な材料と技術が絡んでいるときでさえ、日本の核計画には干渉しないという、ジェラルド・フォード大統領の約束であった。フォードの確約によって、1976年に日本はついに核不拡散条約を批准した。日本の核物質取引は衰えることなく続いた。アメリカ合衆国は、引き続き濃縮ウランを日本の原子炉に供給し、使用済み燃料がヨーロッパで再処理され、プルトニウムが日本に返還され、将来の増殖炉で使うために貯蔵されることを容認した。 1976年にジミー・カーターが大統領選に勝利した後、彼は核分裂性物質の拡散を管理する積極的な政策を策定した。彼は、日本を含む最も親しい非核同盟国にさえも、これらの核物質を渡さないと決意していた。 カーターのこの政策にはもっともな理由があった。1976年に日本が核不拡散条約を批准したにもかかわらず、翌年にCIAのために行った研究では、1980年の時点で核兵器を保有する可能性が最も高い3ヶ国の一つに日本を挙げた。核兵器に対する日本人の歴史的反対だけが、日本の核兵器配備に反対する主張となっていた。 カーターは、プルトニウムが世界の安定に及ぼす信じられないほど不安定な影響を知っていた。プルトニウムは唯一最も入手困難な原子爆弾の材料である。彼はプルトニウムの拡散防止を核不拡散政策の基本理念に据えた。 カーターのアメリカ核ドクトリンは、プルトニウムに基づく核燃料サイクルを核エネルギーの未来と見るアメリカの核科学エリート層に極めて不評だった。もしアメリカが核燃料サイクルを完成できれば、全人類が核の恩恵に浴することができる。増殖炉研究計画への熱狂はほとんど宗教的な盛り上がりを見せていた。 情熱的な原子力信奉者の一人に、リチャード・ケネディーという名のキャリア官僚がいた。カーター大統領の核政策に猛烈に反対したので、彼のキャリアは危うくなっていた。 アメリカ政府が本当はどのように働いているのかを理解する必要がある。政権と議会、とりわけ下院は4年か8年で交代して定期的に構成人員が入れ替わるが、官僚機構はほとんど一枚岩ともいえる連続性をもって進み続ける。官僚機構の中では、キャリア官僚は子飼いのプロジェクトの陰で政権が変わるまで身を隠して待つことができる。議会が増殖炉計画を打ち切る前に、レーガンはその将来をリチャード・T・ケネディーの手に託した。                           -- 中略 -- 日本国内で深刻な事故がずっと続いているのは言うに及ばず、スリーマイル島(1979年)やチェルノブイリ(1986年)ですんでの大惨事が起きたにもかかわらず、日本だけが着々と核(原子力)への傾倒を強めてきた。1987年には32基だった原子炉は現在55基、そしてさらに10基の建設が予定されている。 日本はそれだけでなく、史上空前のレベルで核(原子力)に傾倒するパイオニアとして、先導的役割を果たす意図をもっている。日本の核(原子力)の未来というヴィジョンの中心にあるのが、青森県の六ヶ所村だ。20世紀の日本は農業と漁業の伝統を捨て、突出した規模の国営事業をトラウマを払拭するがごとく爆発的に開始し、核(原子力)国家となることを完全に受容した。この変容を端的に表している場所は、おそらく六ヶ所村より他にない。 日本政府は世紀の変わり目に民営化と規制緩和を呪文のように唱え続けていた。にもかかわらず、核(原子力)のプロジェクトには巨額の金が投じられた。市場の力では絶対に開始などできていなかっただろうし、継続も困難だったはずだ。 2005年、一般大衆と政治家の関心が郵政民営化に集中していたあいだに、官僚たちは一般の監視の目や、説明・議論の場を遠く離れた場所から日本の未来を大きく変える決定を行っていた。核(原子力)産業に便宜をとりはからい、数兆円を与えたのである。 簡潔にいうなら、日本は国際社会の潮流からは激しく外れた道を進んでいる国として際立っているのである。その原動力となっているのは、市場の力よりも官僚の指示である。民主的な総意などどこ吹く風だ。 日本の核(原子力)へのコミットメントは、現在その規模においてとりわけ抜きん出ているわけではない。しかし、使用済核燃料の再処理後にプルトニウムを燃料として使用するという、完全な核のサイクルを前に進めているのは核兵器を保有しない国々の中では日本だけである。 このようにプルトニウム超大国の地位を手に入れようとしている点が、日本の際立った特徴なのだ。これまでに蓄えたプルトニウムは45トン以上にもなる。これは、全世界における民生用プルトニウムの貯蔵量230トンの5分の1近くの量で、長崎型原爆5000個分に相当する。日本は「兵器への搭載が可能なプルトニウムを世界一多く保有する国」になったのだ。 バーナビー博士とバーニー博士は2005年、このままでゆけば2020年には日本の貯蔵量は145トンに達すると推測をしている。これは米国の核兵器に使われているプルトニウムの量を上回る。そこで日本は、すべての濃縮と再処理作業について5年間の凍結を呼びかけた2005年2月の国際原子力機関(IAEA)事務局長の勧告を無視した。 現在(2007)、日本は六ヶ所村で完全な商業用再処理を始めている。国際的監視の下に厳しく制限されるべき極めて危険な行為であると、エルバラダイ氏がみなしていることを、日本は国際社会に逆らって、でも米国の熱い祝福を受けながら、お咎めもなしに進めているのである。イランや北朝鮮のような国々は、それと同じ行為を絶対にするなと言われている(しかも日本と同じ濃縮と再処理の道を歩むことは、韓国のような国々も止められている)。 六ヶ所村の再処理設備には、年間800トンの使用済燃料を再処理する能力があり、兵器に使用できる純粋なプルトニウムを毎年8トン(核弾頭1000個分)生産できる ことになっている。そんな工場はアジア唯一のものとなるだろう。だがこれでも、日本がこれまでに集積し、また集積しつつある廃棄物の量に比べたらほんの針の穴程度に過ぎない。アジア全域でこれまでに集められた毒性の使用済核燃料は40,000トンだが、2006年時点で日本の廃棄物はおよそ12,600トンあるとされる。稼動すれば、六ヶ所村からは(原子力)発電所1300基分に匹敵する核廃棄物が放出されることになる。                                               (長文のため編集してある   引用終り)  大変長い 論文であるうえ、 まとめる力も不足し、 完全な紹介には、程遠いかもしれない。 詳しくは、下のリンク先を お読みいただきたい。  しかし、指摘してある点は とても重要だ。 日米とも、 この原子力の推進の中心は 「官僚」が握っていること。 特に、日本の官僚は、 国民の目を騙すために、 文書として残さないことを 確信を持って行っていること。  さらに、 核兵器を製造するために、電力会社を窓口として、プルトニウムの生産をし、それをアメリカが黙認していること。  次に、 ミサイルの開発のために、 宇宙開発を行い、 月探査衛星などの打ち上げを通じて 多弾頭ミサイル技術を 手にしており、 米・ロ につぐ 世界で3番目の 各技術国になっていること …… が書かれている。 特筆すべきは、 その「官僚機構」で、 これは全く政権とは別に動いている。 これを、改めさせない限り、 日本は 「民主的な総意など どこ吹く風だ」 と常に言われるだろう。   ( リンク → Peace Philosophy Centre)
(米国が隠したヒロシマとナガサキ Democracy Now!私達日本人は原爆の悪夢を2度と起さない為に世界に向かって,核廃絶運動をする責任があります.)

2012年7月10日火曜日

(残存放射能を無視し続けるABCC) http://blogs.yahoo.co.jp/erath_water/63803873.html 1970年 8/14号 週間朝日 Atomic Bomb Casualty Commission ・・・原爆障害調査委員会。 十万人の徹底調査! 現在、ABCCには、「死亡調査」、「成人健康調査」、「病理学的調査」の三つの調査を行っている。 そのもとになっているのが『十万人の原簿』といわれているもので、昭和25年の国税調査時にヒロシマ、長崎両市に住んでいた人たちのなかから選ばれている。 対象になる人びとをABCCは、二種類に分けており、(この分け方事態に重大な問題があるのだが、さおれは後で指摘するとして)、被爆当時、爆心地から1 万メートル以内の住んでいた人を、爆心からの距離別に抽出した5万人と、別に無差別に抽出した5万人と、別に、性別、年齢構成が同様な「被爆しなかった」 5万人の組み合わせ・・・という形式をとっている。 「死亡調査」はこの10万人を対象に、その余命を調べるのが眼目だ。 さらにその名簿から被爆者、「非被爆者」1万人ずつを抽出して、白血病、ガンなどあらゆる病気の発生率を比較調査するのが「成人健康調査」。 「病理学的調査」は、同じ比較を、死亡調査の対象者の死体解剖で行っている。 このうちの、成人健康調査の対象になっているのがさきにのべたクイーンたちである。 いまABCCに来ている「成人健康調査」の対象者は、ヒロシマの場合、毎月500人、「病理学的調査」で解剖される死体は、月に30体ほどになる。この調査で得られたデータは、統計的に処理され、3年ごとに、学会で発表されることになっている。 太平洋米軍総司令部の軍医などの主張によって、終戦後アメリカは、いちはやくヒロシマに『学術調査団』を送りこんだが、その調査団が継続調査の必要から広島と長崎に研究所を設立、その後昭和23年、厚生省の国立予防研究女医が協力してできたのが、現在のABCCである。 だから、ABCCは今も渡島と長崎に二つあるが、調査研究の主体は広島で、規模の上からもABCCといえば、広島というのが常識となっている。 このABCCの調査については、「最初のころは被爆者の心理や感情をよく考えずにトラブルを起こしたことがありました。しかし、だれかがやらなければならなかったことを、終戦直後の混乱期にあれだけの規模でやった、ということはやかり意味があるでしょう。」【原爆病院】重藤文夫院長。 「ABCCがあったからこど終戦直後の医学の暗黒時代にも貴重な資料が保たれた。もし、その資料が日本に渡されていたとしても、その当時の日本の状態では、すぐに散逸してしまったことでしょう。また、ABCCは過去の統計調査なども要望に応じて快く提供してくれる。」=今春ABCCに移った元広島大原医研所長の志水清博士。 といった評価がある。純粋に『研究』という立場からみればそうかもしれない。 しかし、科学は単に科学として、社会から切り離されて存在するわけではないだろう。原爆症は単に肉体だけの問題ではないとことを、本紙前掲のリフトン教授の論文は鋭く指摘しているが、世界でも例のない核兵器による惨禍をうけたヒロシマの人びとを対象に、占領軍がはじめた調査なのである。当然、そこには様々な葛藤が生じてくる。 日米間の力関係をたえず反映! 「核戦争にそなえるために、被爆の記録を集めているのだ」 「検査するばかりで治療はしてくれない。『患者』をモルモット代わりにしている」 「隠然たる実力を広島の医学界にもっている。批判でもしようものなら、仕事がしにくくなる。」 といった、市民や一部の医師たちの声を、「被害者意識」や誤解として、説明するABCC関係者もいるが、この点はどうか? ABCCは、「原爆がもたらす障害諸効果を正しく評価するために・・・、必要データの収拾を指導すべき委員会」(マッカーサー将軍の顧問軍医の覚え書き中の言葉=金井利博「核権力」から)という構想から生まれた。 その必要は、「広島、長崎の生存者は、世界で原爆の洗礼を受けた唯一の集団であるから、ABCCの医学的調査の科学者にとっても、米国の軍部および民間の防衛計画にとっても重要なものである。」(1950年6月17日、米原子力委員会発表。中国新聞社編「ヒロシマの記録 年表・資料編から)というところからきている。 したがって、その動きは、当初、占領軍そのものであった。 調査を拒む被爆者に向かってピストルを突きつけ「アナタ、グンポウカイギニカカッテモイイデスカ」と脅し、少女を全裸にして、体の隅々までライトで照らし出す。 あげくの果てに恥毛の発育状態まで検査する。そのため少女は気が変になってしまった、という話もあるほどだ。 高圧的だったABCCも、しかし、講和条約以後は、協力を要請するという態度に変わった。それとともに、市民の批判は、今度は方向を変えて、日本人職員に向かった。 「死亡調査」の対象が亡くなった場合、いちはやく死体解剖の交渉に姿を見せる連絡員、「成人健康調査」の対象者に調査の協力を要請する連絡員に罵声が飛ぶようになった。 「おまえ、それでも日本人けえ。」 そして、いまABCCは、「日本とアメリカの対等なパートナーシップ」を盛んに強調するようになっている。 まさに、日米関係の推移が、ここにもそのまま投影されているといっていい。それについて、広島に住む詩人・深川宗俊さんは、次のようにいう。 彼には、「成人健康調査」でここに8年間通った経験がある。 「占領軍が駐留していた頃は被爆者を弄んでいたくせに、今になって手のひらを返したように『世界人類のために」などどゴタクを並べて協力を要請する。 そもそも原爆を落とした国が被害を受けた国に乗り込んで調査研究をやるというのは、人道上許されないことではないでしょうか。」 ベトナム戦争が激しかったころ「ABCCはベトナム戦争のために資料を集めている」という噂が立ったことがある。この噂だけに限らず、ABCCは軍事的な施設だという声は前からあった。初代のテスマー所長は軍人で、初期のABCCは入り口に銃剣をかまえた補償が立っていた。またABCCは一時、被爆者の遺体を解剖して取り出した臓器や組織などの標本をアメリカ本国の陸海空三軍共同のAFIP(米軍病理学研究所)に送っていた。 「軍事的に利用される懸念が・・・」 ゲーリング現所長が、昭和32年に着任してからは、市民感情の上から、それではまずいと、米軍二票8本の変換を交渉し始めた。その結果、現在までに昭和 22年から32年までの間、AFIP に送られていた約700体の標本が全部返還され、その後の分と合わせて約3500体分の標本が、広島大原医研4階の資料センターに移管されている。 しかし、ABCCに派遣されていたことのある原医研のAさんはいう。 「アメリカでは三軍共同が普通のように、科学もたいていは軍事とつながりをもっている。やっている本人は非軍事目的のつもりでもその結果が軍事的に利用される懸念は十分にあります。」 現代の科学がたえず、そういう危険性をはらんでいる事実は、すでに常識であるといっていい。 疑問は、ABCCの立場にだけ向けられているのではない。実は、さらに重大な疑問が、調査の方針そのもののなかにあるのだ。 前にもふれたように、ABCCが現在行っている調査は、被爆車群と非被爆者群とを設定し、両者の病気発生率その他を比較するという方法をとっている。 しかし、ABCCがヒロシマで非被爆者として設定している2万人のグループの中には、ピカドン後1ヶ月以内に市内に入った人たちtが4000人近くもいるのである。 この人たちを非被爆者群の中に入れているのは、ABCCが残存放射能、または二次放射能を無視するからである。 だが、残存放射能の影響を重視する立場からみれば、これは被爆者同士を比較するという矛盾を犯していることになる。 広島大学医学部の杉原芳夫助教授も、 「非被爆者として設定されている人たちの20%近くが被爆直後の入市者だとすると、それらの人たちと被爆者を比較してみても統計的に有意の差が出るはずはない。 ABCCの調査研究はまったく無意味なものになる。」 と指摘する。 残存放射能の影響を認めるのは日本の医学界では常識である。たとえば、広島大原医研の広瀬文男教授の白血病に関する研究では次のようなデータが出ている。 被爆語3日以内に入市した人で、白血病にかかったのは45人(人口10万人当たりの発生率は、9.69人)一週間以内に入市した人は8人(人口10万に当たり4.04人)。 全国平均は10万に当たり、2.23人だから、発生率としてはきわめて高い。このデータでも残存放射能の影響がはっきり見られる。 広瀬教授は、 「残存放射能が人体に影響するということは白血病ひとつとっても十分に考えられる。残存放射能を受けた人たちを非被爆者として設定するのは無理があるのではないか」 と述べている。これを認めると過去のABCCの研究が全部無意味になるという致命的なものであるが、ABCCは沈黙を守ったままである。 なお25年つづく調査研究 ところで、去年、ABCCの日本遺憾のうわさが流れたことがあった。 「日米対等のパートナーシップ」ということがの手はやされ始めた昨年初めに、ダーリング所長は、「ABCC年報」(68~69年版)の緒言で次のように書いた。 「来年度はプログラムを次の段階に進めることが望ましいと思われる。適当な米国政府当局が、その筋を通してABCCにおける研究の優先政、管理機構、職員の確保と配置、および運営資金について日本政府の意向をうかがうように望んでいる・・・。 ABCCが日本の法律の下で『法人』として再編成されて、専門的指導、職員派遣や財政的支援に対する責任分担の再配分を図るべきかもしれない。」 この発言は、ABCCの日本遺憾を示唆するものと一般には受け取られた。ところがダーリング所長は、ことし3月の記者会見で、 「ABCCはの規模は縮小しない。新たに細胞遺伝学、成人ガンの二大テーマを加えて、今後25年間調査研究をする」と発表した。 このダーリング所長の二つの異なる発言の真意は、地元ではいろいろ取り沙汰されている。 遺憾を示唆するような発言の裏には、当時ベトナム戦争などの影響で、米国内でドル防衛が叫ばれていたことから、予算面でのしめつけがあったのはないか、という推測もそのひとつ。志水清博博士によると、最初のダーリング発言のあとに行われたABCC日本側評議会では、 「ABCCに予算を出している米原子力委員会のオブザーバーから、『研究は継続するが、予算は増やすわけにはいかない。また、アメリカの大学から派遣している7人の研究員は減員する。』という話があった」という。 そのあと、前の発言をひるがえすような今春の記者会見の発表になったわけだが、くいちがう二つのダーリング発言について槙準所長は、「だーりんぐさんはそもそも、日本に移管するとは初めからいっていません。日本画もっと予算をお出しになれば、本当の共同研究体制が整うだろう、という意味のことをおっしゃったわけです。その後、日本の方からその問題についてなんの反応もなかったこともあって、ことしのああいう発言になったわけです」という。 こうしてABCCがヒロシマとナガサキに維持されつづけることは確実になった。原爆が与えた傷害については、んきゅうちょうさしても、被爆者の治療についてはなにひとつ貢献せず、今後も貢献する計画を持たぬABCC。 日本人はその存在を今後なお25年間許さねばならないのだろうか。
(作業員9人が倒れたゴミ焼却施設のスクラップから高い放射線量を検出.HANAYUUさんから.) http://alcyone-sapporo.blogspot.de/2012/07/blog-post_4677.html?spref=tw
(伊達市から母子避難したシングルマザーの1年) http://ameblo.jp/rain37/entry-11298035674.html 科学的な根拠などなかった。ただ漠然とした不安に従って東京を目指した─。七夕の夜、「福島母子避難の会 in 関東」が開いたトークイベントで、福島県伊達市から東京に母子避難したシングルマザーが本音を語った。厳しい寒さの下、路線バス、高速バスと新幹線を乗り継いでの孤独な避難。母の手をぎゅっと握りしめてついてきたきた娘は、ほんの少しだけたくましくなって母に言う。「弟か妹が欲しいな」。わが子のために頑張って走り続けた1年の孤独な闘いを、涙と笑いで振り返った 【雪の中、園庭で身を寄せ合った園児たち】 新幹線から降り立った東京駅は、暖房が効き過ぎるほど効いていた。ダウンジャケットの下の肌が汗ばむ。わが子にソフトクリームを買ってあげた。停電で冷凍食品をしばらく口にしていなかった。駅構内のキオスクには物があふれていた。「物資がある」。ホッとした。3月21 日。母子2人の「母子避難」の始まりだった。 菅野久美子さん(33)は、両親ともに伊達市に生まれ育った生粋の伊達っ子。 シングルマザーとして、娘を保育園に預け、印刷会社で働く日々。未曽有の巨大地震も、取り引き先へ届け物をした帰りの車中だった。 「軽自動車が、まるでトランポリンの上にいるかのようにはねました。ブレーキを踏んだだけでは車体を制御できず、エンジンを切ってようやく車を止めた。信号が消えて、あぁ停電したんだなと。やがて石塀が倒れるのが見えました。目の前に広がる世界が徐々に変わっていったのです」 他の車が動き出したのを見て我に返り、エンジンを再びかけた。アクセルを踏む。断続的に起きる余震。「家の中はめちゃくちゃだよ」。実家に立ち寄ると、両親は屋外に出ていた。怪我の無いことを確認して保育園に向かった。 娘の通う保育園では、園庭に敷かれたブルーシートで園児が保育士たちと肩を寄せ合って迎えの保護者を待っていた。園舎はあまりにも危険な状態だった。余震は止まらない。降り出した雪がさらに心細さを増大させるのか、保育士にすがるように涙を流す子どももいた。他の保護者よりもかなり早い段階で娘と再会できた。この時、16時すぎ。まだ、福島原発のことなどまったく頭をよぎっていなかった。「原発の『げ』の字も無かった」。放射性物質拡散へのカウントダウンが着実に進んでいたことなど、知る由もなかった。 民の声新聞-母子避難 伊達市から母子避難したこの1年の想いを話した 菅野さん(左)=品川区戸越 【漠然とした不安に従い東京に避難】 運よく停電を免れた実家は、〝プチ避難所〟と化した。ラジオを聴く習慣などなく、情報源をテレビに頼っている近所の人々が徐々に集うようになった。そこに第一報が入った。福島原発が水素爆発を起こした。「えっ?」。初めて、大地震と福島原発が頭の中でつながった瞬間だった。 それでもまだ、逃げるという発想はなかった。電話が鳴る。東京の友人からだった。 「避難するならウチはいつでも良いよ、おいで」 「避難?」 何のことやらさっぱり分からない。実家は福島原発から60kmも離れている。「その電話で、初めてリアルに避難を考えました。あっ、避難しなきゃいけない状況なんだ、と」。娘、被曝…。難しいことは分からないが、漠然とした不安がふつふつと湧き上がる。「どう思う?」。両親に尋ねる。父親は反対しなかった。「このままここにいては、孫が将来、被曝で差別を受ける恐れもある」。決まれば動きは早かった。那須塩原まで出られれば、新幹線で東京に行かれることは分かっていた。そうだ、福島競馬場前から高速バスが出ている。じゃあ、競馬場まで路線バスで行けば郡山までは確実に行かれるな、あとはタクシーでもいいや…。 「東電や政府の記者会見は、どうも信用できない。自分の中の漠然とした不安が一番正しいと思ったんです。ならば、それに従って行動しようと思いました」 激しく損傷した高速道路を通った時には、シートベルトをしていても身体が浮いた。バスは通勤ラッシュのような混雑ぶり。郡山駅前で高速バスを降りると、時計の針が午後2時46分で止まっていた。孤独感が襲いかかる。振り返りそうになるのを必死にこらえていた。実家のある集落には、既に原発事故や被曝の話がタブーになり始めていた。その雰囲気の中では、とても東京に避難するなどと近所の人々に言えなかった。幼い娘の手を握る。この子が被曝する恐れのない街へ。大震災から10日後のことだった。 民の声新聞-短冊 会場に飾られた短冊。「家族が一緒に暮らせます ように」という願いが哀しい 【『よく頑張ったね』の言葉にあふれた涙】 逃げてみて初めて、母子避難の困難さを次々と思い知らされた。 一時、身を寄せた川崎市内の役所では、住民票を移さないと保育園に入れないと告げられた。そのため、伊達市に一度戻り、転出手続きをした。 「ここに『避難転出』と書いてください」 淡々と話す職員の言葉が忘れられない。 ハローワークに通う。見知らぬ土地での電車やバスでの移動は、想像以上に疲れた。伊達ではずっと、マイカーだった。「ママ抱っこ」「もう歩けない」。疲れているのは、幼い娘も一緒だった。心が悲鳴を上げていた時、出会ったのはシングルマザーを支援している団体のスタッフだった。 「一人で良く頑張ったね。すごいね。よくここまで来たね」 涙が止まらなかった。 自然豊かな故郷を離れた都会で、肩ひじを張って歩いてきた。 本当にこれで良かったのだろうか。 娘から友達を奪ったのではないか。 原発事故さえなければ、あのまま同世代と友達と娘は思い切り遊べたのに…。 「6月に娘が保育園に入園するまでは、本当に精神的にきつかったです。娘も弱音を吐かなかった。彼女なりに頑張っていたのでしょうね。でも、号泣する私を見て、ようやく本音を口にするようになりました。帰りたいでしょうし、じいちゃん、ばあちゃんにも会いたいでしょうからね」 努力の甲斐あって、都内の役所が行っている「被災者緊急雇用」で働けるようになった。 「今は、まだ避難という宙ぶらりんの状態。移住に向けてステップアップをしたい。やっぱり腰を据えて暮らしたいですよね。私は、シングルマザーだから動きやすかったのかもしれません。だからこそ、『ほら、できるんだよ』と行動で見せてあげたいんです」 6歳になった娘も、少しずつ都会の暮らしに慣れてきた様子。 最近、こんな言葉で菅野さんを驚かせたという。 「ママ、弟か妹が欲しいな」 (了)
(被曝の現実を直視しない東京の人々。あるロシア人と僕の対話。木下黄太氏から.) http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/baf773d8ccce31cc97eb11a27a8b5bf5?code=AQBwyQr5-qZdCZrfjHHMAOTbq0fXmVeyZnU8hTbCTIQTDzfumzz6WWBhpgWvNwjOS1r78DDF3iqlfM2agAIq3Tf1Cb3pRcGGTPica28jINkrQmzh2KsPb7SP_XAV8hFm0DCiXDwqFKtR4CH9D70NqzQlA0q0c3MiGwoszVO0-iiEAgwQfsPBPWs3Je4FDrYO4ax-mqHolI-L1yTUPow4iL_b#_=_ 歴史の教訓に学べる人というのは、わずかなのかもしれません。日本在住のロシア人ですら、ウラジオストクやハバロフスク出身者の場合、地元での被害がほぼ認識されないレベルであることから、福島の事故では日本人同様に日本政府の言うことにあまり疑念を持ちません。モスクワ出身者の感覚は少し違います。  同様に、同じウクライナ人の中でも、クリミアなど被害が軽微な地方では比較的意識が低いようです(ロシア極東部出身者よりはよほどマシですが)。 チェルノブイリの時も、隠蔽の意志を持った政府当局者に多くの人々が騙されました。しかしソ連は核戦争マニュアルを準備しており、国家レベルの危機という認識はありました。日本の場合は政府当局者が隠蔽以前に危険性の認識に著しく欠けているため、より悪い結果が予想されます。 国家的洗脳の外側から見ると、洗脳された人々の意識は馬鹿げたものです。しかしそれを引き寄せないと、彼らは救われない。容易ではありませんが、なんとかやらないといけない、と思います。 ヤブロコフチームの研究(NY科学アカデミーのレポート)は、被害レベルという意味では信頼性が高い(ウクライナ人の実感レベルではもっと多いようですが)と思います。 =====================================================  このメールの後に、僕と彼とは次のような感じで、対話しました。ロシア人で発生5年後の状況を知り、また長く日本で暮らしている彼は、おそらく普通のロシア人よりも、日本人よりも、はるかに良い意味でインテリな人物です。そうした立場のロシア人の認識と僕の認識のやりとりを読んでいただいて、みなさんにわかることも、さらにあると思います。 木下「気を許して沈没したのは、歴史が証明しています。」 彼 「そうなんです。僕の元同僚でも実際に負けた(対策をやめた)人が居ます。今急性症状がいろいろと出ていますが、数的(死者数)的にはまだまだ序章でしょう。それまではきちんと認識している人は『大げさ』『嘘つき』扱いをされるんでしょう。ラディオフォビヤ=放射脳というレッテル。これも歴史通りの展開です。」 木下 「悲しいかな。そのレッテルがあとでひっくり返る構図もまるでおんなじでしょう。ただペースの速さから考えると後三年はかからないと思います。最長で一年半。短ければ半年内に様相が変わります。僕の感覚では。あの時代とメディア環境も違い、隠ぺいは難しい。体調不良も。」  彼「そうですね、7-8年後あたりがピークとはいえ、今は被害はもっと早く伝わるでしょう。『東京に住む人々が何を守ろうとしているのか。』国家的洗脳の歴史を考えると理解できることですが、実際に以前からの知人と会話すると、感性的にまったくピンとこない。ここはとても苦しいところです。」  木下「僕も感性的にわかりません。危険をわかって一度避難した人間が、ただ東京にとどまっている現実もあります。感覚的になぜなのかはわかりません。理解できません。苦しいですが、なんとか踏みとどまらないとなりません。」  彼 「そうですね。多くの人にとって、絶対的マイノリティになることはとても恐ろしいことなんでしょう。理性的に考えれば、生活レベルを下げて西で生きることは問題なく可能な筈です。それを『命よりも大事なものがある』などというのはごまかしです。自分の命よりも大切なものがあるとしたら、他人の命を救うことだけでしょう。ほかにはありえない。リクビダートルは国家の非常な命令であれ、無防備な手作業で、自分の命よりも大切な行為をしたといえなくはない。しかし東京で生きる、ということは全くそんな価値はない。即時的な福島県民の意識に媚びて、復興の声に応えよなどという。全くおかしい。 ソ連が『労働者の祖国』を自任したことを、全くの誤りだと正しく喝破した人々が、今『故郷を求める』福島や関東の人々の即時的意識に媚びる。馬鹿げたことです。木下さんの現場とは異なりますが、僕にはそういう怒りがあります。」  木下「僕にも理解できません。目の前の現実を直視ないことの度が過ぎます。いや、そうした現実を知っている人間とそうでない人間の差は大きいんです。ものすごく大きいんです。」  彼「確かにそうです。でもそれだけだとするならば、直接体験の無い人は被害が出るまで救われない。しかし実際には直接体験がなくてもきちんと避難している人がいる。」  木下「肝心要の東京の壁が破れません。僕が二十年かかわっていた人たちの駄目な意識が一番ネック。最も親しかった人間さえ、拒絶しかありません。みんな避難したくない。できない。いずれかです。」  彼「東京で報道の立場に居る人たちで、直感的に自分の生命の危機を感じる人はいないんですか?」  木下「安心していないが、大丈夫と思いたい。説得に耳を貸しません。『なにかあったら、自分のせい。木下さんは一ミリも悪くない。』『まわりがばたばた倒れたら避難するかもしれないが。』『指図は受けない。自分で決める。』こういう言葉ばかり。なぜいるのか。なぜ安全と考えるのか説明はない。ごまかす。怖いけど、それを認めない。つらいです。」  彼「おそらく合理的に安全だと言う理由は持っていないのでしょう。きちんと勉強したことは無いのですが、洗脳された意識というのは多重構造があるんじゃないか、と思います。潜在意識では『自分が多数者と共有している考え方はどこかおかしい』と感じながら、その危機感を表に出すと一気に自分がマイノリティに転落することがわかっているので、それを自ら抑圧する。きっとその方も生理的恐怖は持っているのでしょう。しかし吉本隆明の言うところの『共同幻想』が生命感覚とは逆に働く。」  彼「(例えば)オウムには外側の社会が目に見えるところにあって、そこに還ることができた。いまはそれがない、という違いがある気がします。そういう意味では、戦前の日本やナチス、スターリン主義の社会と共通したものも感じます。」  木下「まさしく同感です。戦前の日本よりも厳しいです。とくに認識が壊れるまでは。」  彼「ヨーロッパでは抵抗の伝統を命綱とすることができましたが、日本では反体制派も皆解党し転向していった。これがなぜだったのかをキチンと反省しようということで戦後主体制論争というのがあった筈なのですが、結局今回それが生かされなかった。なぜ日本人があの戦争を許したのかという精神構造を、反省した筈の議論さえどこかに忘れてきてしまった。」  木下「誰も覚えていない。そもそも今自分たちが当事者と思わない。当事者意識の欠如は凄まじいです。ほんとに東京の人はリアルを見ていない。僕が感じいてた数百分の一も。話にならない。」  彼「そうですね。東京で一人の人が生活すること自体、汚染地社会の歯車を一つ多いままに保ってしまうことであり、罪であるという認識がない。」 木下「まさに。それでも、助けたいんです。まだ突破方法があるのか探します。道は険しいです。」  彼「そうですね。被曝で東京人の思考レベルが下がっているのもあると思います。」 ==========================================================
(日本での甲状腺異常や突然死に関するヤブロコフ博士(NY科学アカデミーのチェルノブイリレポート著者)見解。) http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/64f1891829a0b0b8958340b97f5a2698?code=AQBLxyzordyxkhORIoraXErCScz9sPMnPH3kb-bSxkG1BAtlMQ9m7XGqkGHxfuSV5vQKLojgV_OaePJhjwbd35EyewUZVCV0_nGiEJrzDUe-wLL7CVMaJEJA8tFaBDkmERfdPX8aucVWviomX2FUz06Xd8zX-V5hM7QLDFXpKAysLrIx8od8mDrmwJlXcmWr8jooSKOo8SrUCwNajnuFTvpz#_=_ アレクセイ・ヤブロコフ博士は、ニューヨーク科学アカデミーによる”Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment” の著者の一人です。この本は、ヘレン・カルディコット博士も、原子力推進派の言い分に惑わされずに放射能の影響を正しく理解するためには必要不可欠な本であると言われています。 ヤブロコフ博士は、生物学博士であり、生態学研究者です。1986年のチェルノブイリ事故当時、ゴルバチョフ書記長のアドバイザーを務めていました。ボリス・エリツィン政権でロシア連邦安全保障会議の環境安全委員会の委員長を務めました。ロシアGreenpeace設立者でもあります。 海外の複数の見識者からヤブロコフ博士に連絡を取ってみてはどうかと言われたので、その提案に従ってみましたら、快くお返事を下さいました。 ヤブロコフ博士からのお返事(紫色)をまとめ、和訳致しました。 ”36% of 38,111 children who had thyroid abnormality” - this is very serious and dangerous. It looks similar to what happened after Chernobyl. Based on the Chernobyl experience I can say that for about 700 abnormality cases one cancer case was found 3-4 years later. Thyroid abnormalities are connected not only with radioactive iodine, but cesium 137, tellurium 132, and some other radionuclides. 38111人の子供たちのうちの36%に甲状腺異常があったと言うことですが、これは大変に重大で危険です。チェルノブイリの時の状況と似ています。チェルノブイリの経験からいくと、甲状腺異常700件につき1人に、3-4年後にガンが見つかりました。 甲状腺異常は、放射性ヨウ素のせいだけではありません。セシウム137、テルル132と、その他の放射性核種とも関連しています。 My recommendations for the Fukushima children are as follows: * to receive as much real information as possible about body’s radionuclide burden (whole body counter, analysis of urine, saliva etc), and those with higher levels have to use some adsorbants/detoxying agents . * monitor all children for chromosome aberrations - as the mark for the level of irradiation; also monitor them with tooth enamel (EPR-dosimetry) and with lens opacities. * control all food and drinking water to avoid contamination. * avoid any hot spots. People who have received large doses should be placed under tight medical control and intensive treatment. 私の福島県の子供たちに関する忠告は次のようです。 * 体内の放射性物質の負荷量につき、ホールボディーカウンターや尿検査や唾液検査等によって、可能な限りの真実の情報を得ること。そして、被曝量の多い子供たちは、排出を促すものを摂るべきです。 * 放射能被曝の程度の目安として、子供たち全員の染色体異常をモニターすること。同様に、歯のエナメル質(EPR線量測定法/Electron Paramagnetic Resonanceまたは電子スピン共鳴)と水晶体混濁をモニターすること。 * 食べ物と飲料水全てをコントロールし、汚染を避けること。 * ホットスポットを避けること。 被曝量が大きかった人は、きちんと検査を受け、集中的な治療を受けるべきです。 こういうお返事を頂き、更にメールで質問しました。 Q.福島県での甲状腺異常は事故後1年で見つかっていますが、チェルノブイリではどうだったのですか? In Chernobyl they were revealed in 2 to 4 years after the accident. チェルノブイリでは、事故後2-4年で明らかになりました。 Q.福島県のみでなく、東京や関東圏でも、年齢に関わりなく突然死の報告があります。30代から50代の男性に増えていると言う報告もありました。また、これも年齢に関わりなく、感染症、回帰感染、胸痛、不整脈、咳やのどの痛みが増えています。 Yes, it is possible to connect those symptoms with radiation exposure. それは、放射能被曝との関連性が考えられます。 Q.福島県では、まだあと154895人の子供たちの甲状腺検査をする事になっています。 I am surprised that so many children (154,894) are living under radiation levels of more than 1 mSv/year. Even 1 mSv, in addition to natural background, is dangerous. そんなに多くの子供たちが、年間被曝量が1 mSv以上の所に住み続けているとは、驚くばかりです。1 mSvでも、自然放射線量に加算されたら危険です。 Q.唾液検査で放射性物質の負荷量と言うのは分かるのですか? No, sorry, it is just theoretical . What is practical is to check changes in buccal epithelium, which is being done in Bryansk, the most polluted area in Russia after Chernobyl. いえ、すみません、これは理論上の事です。現実的には、チェルノブイリによってロシアで一番汚染がひどかったBryanskで行われている、頬粘膜上皮細胞の変化の検査があります。 Q.歯のエナメル質の電子スピン共鳴線量測定法と言うのは良く知りませんが、抜けた乳歯などを使うのですか? As far as I know it requires only several tens milligram of the enamel, which will be repaired later. This is different from the baby tooth research that was done in the USA. 私の知る限り、数十ミリグラムのエナメル質しか必要とせず、これは後で修復されます。これは、米国で行われた乳歯の研究とは違うものです。 Q.水晶体混濁については、眼科医が行う白内障の検査と言うことですか? No, before the cataract forms in lens, a lot of small opacities can form, and the number of those opacities can be correlated with and used as a mark of the amount of radiation exposure. いえ、水晶体に白内障ができる前に、多量の小さな混濁点ができます。この混濁点の数は被曝量と相関性があり、被曝量の指標として使うことができます。
(ノルベルト・フライ『1968年』反乱のグローバリズム 下村由一訳) http://www.msz.co.jp/news/topics/07680.html 〈「68年」のルーツを探っていくと、どうしても冷戦の最盛期に行き着くことになる。戦後20年間の東西紛争、両陣営の構築と対決のイデオロギー的・軍事的上部構造の症候群総体こそが、「反乱の10年間」の前史をなす。このことはアメリカ合衆国であれ、ヨーロッパであれ、またおよそ政治的な抗議運動が許されていた、あるいは少なくとも可能であった国では、どこでも同じである。50年代の核軍拡競争は、とりわけイギリスでは早くから左派の批判の結晶点となっていた。それはドイツ連邦共和国でも同様だった。他方フランスではアルジェリア戦争に対する闘争が同様の意味をもった。 それにもかかわらず、のちに世界中に広がった抗議運動の最重要の先駆となり手本となり、始まりともなったものをアメリカ合衆国に見出すことは難しいことではない。まさに現代資本主義の牙城であるこの国で、現実に存在する共産主義への加担に依拠しないタイプの急進的体制批判が最も早く、しかもとくに鮮明な形で先鞭をつけたのだ。すべての市民への公民権、広範な政治参加、新しい社会の具体的なユートピアを求める運動であった〉 この章のはじめの「ことば」には、スコット・マッケンジーの大ヒット曲『花のサンフランシスコ』の詞が掲げられている。フラワー・パワーが咲き乱れヒッピーの聖地となったサンフランシスコの一角ヘイト・アシュベリーこそが、ある意味では〈68年〉を象徴する空間であった。親の世代のあり方や権力の秩序への反抗、セックス・ドラッグ・ロックンロールに表現される反権力・反体制・自由への希求というアメリカ発の「運動」が、世界中で展開される〈1968年〉の共通項になるのである。 本書に詳しく書かれているように、〈1968年〉にいたる各国の流れは違う。アメリカはシット・インにみられる黒人の抵抗運動が根っこにあったし、ドイツではナチズムの過去への克服がテーマであり、日本では60年安保以後の左翼の動向と処分問題や学費値上げなどの大学の学内問題が結びつき、イタリアでは労働組合や工場労働者問題が学生運動と連動していた。各国の政治的・経済的・社会的矛盾と、一見「お祭り的」に見えるアメリカ発の「運動」が化学反応を起こし、そこに安易な分析を拒むグローバルな学生運動が突如としてほぼ世界同時に起こったのである。 〈68年〉が過ぎ、広範な学生たちが去った後、世間の耳目をあつめたのは新左翼の「その後」だった。内ゲバや爆弾闘争にあらわれる「その後」については、家族の逃亡生活を描いたシドニー・ルメット監督の映画『旅立ちの時』や、ウリ・エデルのドイツ映画『バーダー・マインホフ』、若松孝二『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』などに詳しいが、それらは〈1968年〉とどこまで関係しているのか。その結果のひとつと言えるのか。また、アドルノが言うように、〈68年世代〉の運動は「全体主義的」だったのか――どのような単一の評価も〈1968年〉は拒んでいるようにみえる。 本書全体を通じて詳細な分析をおえた著者は、巻末の最後の節で言う。「1968年はすべてを変えてしまった年ではなかった。それまでにあまりにも多くのことがすでに進行しつつあった。だが〈68年〉以後はほとんどなにひとつ、もとのままではなくなった。そしてこの意味で〈68年〉は、いたるところにあったのだ〉。真摯な結びのことばだと思う。

2012年7月9日月曜日

〔コラム 机の上の空〕 共和・泊原発の直下活断層を報道せよ 北海道新聞の若い記者諸君への手紙 http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/07/post_c23a.html  東電の柏崎原発の直下に活断層があり、それが地震被害を増幅させたことを知って、わたしはいまから二十年以上前、北海道新聞の社会部記者だったころ書いた、スクープ記事のことを反射的に思い出していた。  小樽の南、北海道の日本海側、後志(しりべし)管内泊村に建設された北海道電力の「共和・泊原発」の直下に活断層があることを、朝刊の1面トップで報じたのである。  その活断層にはなんと「発足(ハッタラ)断層」という名前までついていて、「活断層研究会」がまとめた『日本の活断層』という分厚い本に、その存在がハッキリ記されていたのだ。  この活断層を存在を確認したのは、北海道地質調査所の研究者だった。  確認取材に回ったわたしに、北海道大学理学部の某教授は、「発足断層」の存在を肯定する一方、記事にするなら、地質調査所の研究者(たぶん、その教授の教え子)に累が及ばないようにと、わたしに懇願したのだった。  わたしのこの記事が出たのは月曜日の朝刊。  ちょうど、その1週間前の月曜日、わたしが書いた、「和光大学の生越教授が警告、共和泊原発の地盤、液状化の恐れ」(うろ覚えだが、たぶん、こんな感じだったと思う)が月曜朝刊の1面トップを飾り、編集局の幹部が慌てふためき、右往左往したことにとどめを刺す、ダメを押しの、決定的な暴露報道だった。  もちろん、わたしは当時、一介の社会部記者。記事を書くことはできても、紙面での扱いを決めるのは編集局の幹部と、整理部の整理記者の権限。  わたしの書いた2本の記事は、いずれも編集局幹の不在の日曜日の出稿で、男気を出した整理部の記者たちが、1面トップに据えてくれたのだ。  当時の道新、つまり北海道新聞の編集局には、そうしたジャーナリスト魂がなお強烈に宿っていたのである。  あの60年安保の、「よって来たるゆえんは別として……」新聞各社共同声明に断固反対し、解体新書の以前に戻るつもりかと痛烈にコラムで批判した、須田禎一氏(元朝日記者、戦争報道の責任を取り、退社して道新入り)によって培われた反骨精神が、まだ脈々と生きていたのである。  わたしの「直下に活断層」記事が出たあとの、社の対応は情けないの一言の、権力迎合的なものだった。  月曜の夜、編集局に上がったわたしが見ている前で、政治経済部のデスクが訂正記事なのか続報なのかわからない記事に手を入れていた。  執筆した記者は、デスクがメチャクチャ、書き換えているのを見て、「わたしには責任がとれない」と言って、顔を真っ赤にして出て行った。  次の日の夕刊の3面に、何が何だかわからない、大きな記事が載った。ここはひとつ冷静になろうというような意味の「記事」だった。  当時、わたしは20代の末か30のはじめの若い記者。  何も恐れることなく、取材して記事にまとめた。  たぶん、このことが原因で(ほかにもいろいろあったが)、わたしは雑誌部門に配置換えさせるのだが、後悔はなかった。  わたしはむしろ、政治経済部の記事に対して声高に抗議しなかった自分を恥じた……。  そんな二昔前のことをいま思い出だすのは、柏崎の二の舞を恐れるからである。  わたしは北海道新聞の若い記者諸君に言いたい。  わたしの書いた記事を調査部で見て、ぜひもう一度、「発足断層」の問題を洗い出し、道民世論に問うて欲しい。  北電の地震対策がどうなっているか、調べてほしい。対策が十分でなかったなら、対策を強化するよう迫ってほしい。  それが君らブンヤの使命であり、当然なすべきことではないか?  このコラムが君たち、若い記者諸君の目にとまり、諸君が取材に動き出すことを念じつつ、権力に負けるな、道民のため、人びとのため取材して書け、と呼びかけながら、ひとますここで筆を擱くことにする。

2012年7月8日日曜日

7.6緊急!大飯原発3号基を停止せよ!首相官邸前抗議 坂本龍一氏コメント.

2012年7月6日金曜日

「原発やめろ野田やめろデモ!!!!」にアノニマスがメッセージ! 2012年7月1日、新宿で行われた反原発デモ「原発やめろ野田やめろデモ!!!!!」に、なんと、あの国際スターのアノニマスが友情出演!!!! デモ詳細はこれ!  ↓ http://nodayamerodemo.tumblr.com/ 以下、アノニマスさんの応援メッセージ! 「こんばんは! 私はアノニマスです! 皆さん、今日は原発の再稼働反対と野田首相の退陣要求の新宿デモ、おつかれさまでした! 実は私も、日本には野田っていうとんでもない奴がいると聞いて、勢い余って日本に引っ越してきました。もちろん、アパートの家具は素人の乱で買いました。少しまけてもらい­ました。 昨日の夜は、岩上さんのユーストリーム放送で、大飯原発の現地の抗議の様子をずっと観て応援していたので、今日は眠すぎて遅刻しそうになりましたが、なんとか間に合いまし­た! しかし、日本はこれだけ原発によって大変なことになったのに、この期に及んでまだ原発を復活させようとするなんて、どうかしてるでしょ。こうなったら、世界から、原発をな­くすまで、ひとつ、ロクでもない奴らを懲らしめてしまうしかないですね! 特に、野田首相もロクでもないし、デモ報道をしない読売新聞などのマスコミもロクでもないし、インチキな学者はウソばかりついてるし、どうなってんのかね、ホントに! おい、野田! 俺の目の黒えうちは原発なんか動かさせねえからな、コンチキショー! これ以上、チンケなことやりやがったら、たたんじまうからな!! いやー、まったく! 困った世の中ですね〜。 アノニマスも、原発には反対です。 みなさん、一緒に悪を滅ぼしましょう。 では、皆さんの健闘をお祈りしています!! おい、野田、おぼえてやがれ!!!!!!!!!!!!!!」
【画像】警察がデモに参加させないため国会議事堂前駅の出口を封鎖 駅の中は混雑しすぎて地獄模様. http://hibi-zakkan.sblo.jp/article/56906926.html
核戦争反対国際医師団体ドイツ支部が日本での放射線による健康への影響についてIPPNW公式情報をドイツ政府から日本政府に報告する事を要請している. チェルノブイリの2014/2015年の研究で、子供の甲状腺癌と白血病が増加.特別の疾病、奇形や新生児死亡が深刻になる.今日本政府は、この証拠を日本国民に提示しなければならない.(チエルノブイル事故で放射線により破壊された人体組織の遺伝と後遺症の論文)(健康影響に関するIPPNWの研究論文 〕は記事の中に掲載されています. http://www.xing.com/net/photovoltaik-verband/news-581828/gesundheit-erst-tschernobyl-dann-fukushima-40559964
IPPNWドイツ支部から.福島の子供の35%が甲状腺嚢胞1%が甲状腺結節を発見.甲状腺結節,嚢胞などが発見された場合,初期の癌とみて除去する必要がある.多くの甲状腺異常は福島の子ども達が高放射線ヨウ素131にさらされたことを証明している.甲状腺癌の前兆とみなされるべきであり,少なくとも綿密なモニタリングが必要である.2年半後に、これらの子供たちを検査しなければならない.検査しない事は大きな間違いであると小児科医Helen Caldicott博士が述べている. http://www.ippnw.de/presse/presse-2012/artikel/08cebedc77/viele-kinder-mit-schilddruesenveraen.html
「アノニマス」が福島第一原発事故に関連する非公開資料をリークした. http://alcyone-sapporo.blogspot.de/2012/07/blog-post_144.html?spref=tw

2012年7月4日水曜日

(豪ABC) 4号機燃料プールの危険性について)
映画『Hibakusha 日本版』(広島,長崎を経験した私達は,同じ間違いを繰り返してはいけない.)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 脱原発・紫陽花革命にドイツからエール! ラルフ・ニーメイヤー監督、 ドロテー・メンツナー連邦議員が緊急来日 「Hibakusha 日本版」上映&トークライブ ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ http://reishiva.exblog.jp/18538882/ 【イベント概要】 大飯原発の再稼働と、それに反対する人々による大規模なデモ が連日行われるという状況を受け、日本の脱原発運動を応援し、 情報交換するために、ドイツ連邦議員のドロテー・メンツナー氏と 映画「Hibakusha~広島から福島へ続く原子力ビジネス~」監督 のラルフ・ニーメイヤー氏が緊急来日。ドイツと日本の脱原発の 道筋について語りあいます。あわせて、「Hibakusha 日本版」も 上映(上映時間:1時間10分)。 ☆「Hibakusha 日本版」予告動画 http://youtu.be/i2lPZOZ8I-4  出演:小出裕章、肥田舜太郎、山本太郎、服部良一ほか  ナレーション:藤波心 【日時】7月9日15時~17時半 【場所】衆議院第二議員会館第三会議室 http://bb-building.net/tokyo/deta/458.html *14時半から議員会館ロビーで、入館証を配布します。 【出演予定】  ドロテー・メンツナー(ドイツ連邦議員/左翼党エネルギー政策担当)  ラルフ・ニーメイヤー(映画「Hibakusha~広島から福島へ続く原子力  ビジネス~」監督)  村田訓吉(アーティスト/WAPA共同代表)  増山麗奈(画家/WAPA共同代表/「Hibakusha 日本版」製作総指揮)  志葉玲(ジャーナリスト) 【資料代】500円(+カンパ歓迎) 【お問い合わせ先】  070-5540-2910(村田)、 info●renaart.com(増山麗奈) ●は@ 【主催】WAPA(World Anti-nuclear Peace Action)/Hibakusha project 【協力】衆議院議員 服部良一事務所
(東電がフリーの木野龍逸さんに 記者会見の「出入り禁止」宣言) http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1392 福島第一原発事故後に東京電力の記者会見に通い、東京電力に対して様々な追及を続けてきたフリーランスの木野龍逸さんが、先月27日以降、東京電力の記者会見に参加できない状態であることがわかった。   東京電力の広報部によると、木野さんは、先月27日に開催された東電の株主総会で、会場の議事内容を外部に配信したため、「事前にメディアのみなさんにお願いしていた約束ごとをお守りいただけなかった」として、会見の参加を「お断りした」と説明する。   東電の「お約束ごと」とは、会社の収支報告や監査報告などが行われる冒頭30分以降は、一切の写真やビデオを撮影してはいけないというもの。株主のプラバシーを配慮する観点から、こうしたルールを設けているという。このため、資料として、ICレコーダーで録音をすることは構わないが、音声や映像をそのまま流すことも禁止しているする。   気になるのは、マスコミと木野さんに対する対応の違いだ。東電の株主総会に関する報道において、多くのテレビ局が、東京都の猪瀬直樹副知事をはじめ、株主が隠し撮りしたと思われる映像を放送していた。東電の「お約束」をほとんどのテレビ局が侵していることになる。このことについて尋ねると、広報担当者は「事実関係の確認をする必要がある」とだけ答え、マスコミに対する「出入り禁止」の可能性については言及しなかった。   木野龍逸さんは、2011年3月11日に発生した福島第一原発事故以降、故・日隅一雄さんとともに、連日、東京電力の記者会見に通い、汚染水や被ばく問題など、隠蔽されている様々な問題を追及してきた。その内容は、岩波書店から刊行されている「検証 福島原発事故・記者会見―東電・政府は何を隠したのか」 にまとめられており、東電にとって、もっとも煙たい存在だ。木野さんに対して、東電会見への出席停止を通告した広報担当者は大きな声で「いままでありがとうございました!」と言ったという。   ジャーナリズムや知る権利に詳しい上智大学新聞学科の田島泰彦教授は、今回の件について「東京電力の株主総会は、たとえプライベートな組織であっても、公の性格を持つ。主催者の意思に反してもそれを報道することについて正当な権利はある」「東京電力は、行政機関と同じではないものの、非常に公共性の高い組織であり、総会という個別の事例で意見が違うからといって、取材・報道の重要な場である記者会見に出席させないのはおかしいのではないか」と話す。また、テレビ局が総会の質疑を放送していたことにも言及し「差別的な扱いと言わざるとえない」と東電の対応の疑問を呈している。

2012年7月3日火曜日

(アーティスト達が立ち上がる!大飯原発再稼働反対デモ 〜Hydrangea Revolution)
(デニス・バンクス、日本への祈り 石川史江訳〜福島原子力発電所の危機的状況の中で〜) http://native.way-nifty.com/native_heart/2011/04/post-4f5d.html
(泣いてる警察官。俺が「ホンマは原発の再稼働は辛いんやろ?」声をかけると歯を食いしばりながら軽くこちらを向き頷く機動隊員。本当に涙が止まらない瞬間が何度もあった。) (娘がさっきぽつりと「私たち選挙権もないのにこんな事故起きて、始末をずっと任されていくんだよね」 「作って推進してきたおじいさん達に本気で再稼働する気持ちを聞きたいよ」と言っていた。 本当に申し訳ないと思う。 親の世代で止めるために粘る。) (大飯封鎖現場。強制排除の瞬間。「原発をとめて!」の叫び声) http://fukushima-diary.com/2012/07/ohi-on-a-rainy-day/#.T_CQN7CQS-U.facebook

2012年7月2日月曜日

再稼働反対で"人の壁" 反対派と機動隊が衝突. ■大飯原発ゲート前で再稼働に反対する女性が黄色い花を一輪ずつ警官の腕などに着けている場面です。彼らは全くの無抵抗で、黙ってそれを許していました。 http://urx.nu/1rpg ■泣いてる警察官もいた。俺が「ホンマは原発の再稼働は辛いんやろ?」と声をかけると歯を食いしばりながら軽くこちらを向き頷く機動隊員もいた。本当に涙が止まらない瞬間­が何度もあったよ。人と人とが手を繋ぐ姿はとても美しかった。 http://urx.nu/1rxC
ドイツARDテレビ大飯原発再稼動に反対する人々 6月30日放映.
【福井発】 祭りのノリ「命を守れ」 原発停める新しい闘い. http://tanakaryusaku.jp/2012/07/0004618 再稼働反対派と機動隊の攻防から一夜明けた2日朝、大飯原子力発電所のゲートは、いつもの光景が戻っていた。出入りする車両をガードマンが入念にチェックする。関連業者を乗せたタクシーや原発作業員を積んだマイクロバスが次々と構内に吸い込まれて行った。  反対派が自家用車を並べるなどして築いたバリケードは、跡形もなく撤去されている。つい10時間前まで、ここで原子力村と庶民の戦いが繰り広げられていた。それがまるで嘘のようだ。  政治権力は警察やマスコミを使い、反原発を唱える人々を極左暴力集団扱いしてきた。左翼と言われる勢力が反原発を自らの運動の“道具”に使っていたことも事実だ。  だが福島の事故を経て、局面は大きく変わった。普通の父ちゃん、母ちゃん、お兄さん、お姉さんが、気軽に「原発は要らない」と口にし、集会やデモに参加するようになったのである。  30日午後から2日未明まで大飯原発の入口に集まった人々は、最後まで非暴力で機動隊に抵抗した。たとえなぎ倒されようとも。反対派がOccupyした一角では「命を守れ」のシュプレヒコールが繰り返された。生命創造のシンボルとも言える男根の御神体が登場し、祭りの様相を呈した。イデオロギーよりも生活なのである。  政治闘争につきまとうアジ演説もない。あるのはパーカッションの情熱的なリズムだ。NYを中心にアメリカ全土で続くOccupyのノリを思わせた。  「再稼働するのだろうが、皆の目が変わるまで(反原発運動を)やる」。京都から駆け付けた母親は、けれん味なく言った。  大飯原発の入口は反対派による封鎖が続いていたため、再起動に立ち合う牧野聖修経産副大臣は、渡し船で海から入構する他なかった。  たかが大型湯沸かし器のために国民の健康や生活を犠牲にする野田政権。原発を停めるのはイデオロギーではない。健康な生活を願う庶民たちの祭りにも似た情熱である。
【福井発】 大飯原発が再起動した日、機動隊が攻め込んできた. http://tanakaryusaku.jp/2012/07/0004612 再稼働反対派を押し込む機動隊。両手をあげた市民たちは、非暴力で食い止めようと懸命だった。=1日午後5時45分、大飯原発入り口。写真:田中撮影= 再稼働反対派を押し込む機動隊。両手をあげた市民たちは、非暴力で食い止めようと懸命だった。=1日午後5時45分、大飯原発入り口。写真:田中撮影=  ほぼ2ヵ月続いた「原発ゼロ」が終わった日は、国家の暴力により縁どられた。  30日午後から大飯原発入口の封鎖を続ける再稼働反対派の市民は疲れ切っていた。夜通し降った雨は、1日午後2時頃まで止まなかった。雨と機動隊とのニラミ合いで体力を消耗した反対派の面々に、京都や東京などから駆け付けた女性たちが炊き出しのサービスを始めたのが午後4時過ぎだった。  ピザ特有のチーズが焦げたような香り、味噌汁の匂いが食欲を刺激する。  皆ひとしきりパクついた頃、異変が起きた。機動隊が増強されたのである。海側と山側の両方から反対派を挟撃する形になった。大飯原発は山の向こう側にある。  機動隊はさらに増強された。海側と山側の両方合わせれば総勢で200人はいるだろうか。黒いヘルメットが不気味に光る。午後5時を回った頃だった。強化プラスチックの盾を持った山側の機動隊が前進を始めた。  反対派は両手をあげて非暴力で対抗するが、柔剣道の猛者が揃う機動隊のパワーにジワジワと押し込まれた。それでも両手をあげたまま抵抗を続けた。膠着状態が暫く続いた。  一方、海側の機動隊はダイインの市民たちを次々とゴボウ抜きにしていった。ピザをふるまっていた母親も手足をつかまれ引きずり出された。 女性は一度ごぼう抜きにされたが、山道を伝って戻って来ると体をチェーンでくくりつけた。=1日午後8時45分、写真:田中撮影= 女性は一度ごぼう抜きにされたが、山道を伝って戻って来ると体をチェーンでくくりつけた。=1日午後8時45分、写真:田中撮影=  パーカッションのリズムと「再稼働反対」のシュプレヒコールが夕空に響く。夜のとばりがすっかり降りた午後9時、再起動のスイッチが入った。ほぼ同時に山側の機動隊がなだれ込んだ。反対派の市民たちは次々となぎ倒されていった。  原発を地震多発国の日本に54基も作ったのは自民党だが、福島原発事故の検証もまだ終わっていないのに原発を再稼働したのは民主党である。  「コンクリートから人へ」をうたい文句に政権の座についた民主党が、ここまで国民の健康と生活をないがしろにする政党であると誰が予想しただろうか。 原発ゼロが終わった日は、民主党が終わった日でもある。
(小沢氏離党表明全文) http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120702/stt12070219170026-n2.htm 小沢氏「それでは、本日の離党届を提出したことにあたりまして、私どもの主張を申し上げます。先月26日に衆議院本会議で消費税の増税だけを先行する社会保障と税の一体改革関連法案の採決に際して、反対票を投じた者のうち衆議院(議員)38名に加えて、同じく今回の消費税増税法案に反対をしております参議院(議員)12名の計50名の離党届を本日午後12時半に、衆議院議員分は山岡(賢次)衆議院議員、参議院議員分は広野(允士)参議院議員が輿石(東)幹事長に提出をいたしました」  「私たちは衆院での採決に際し、国民との約束にない消費税増税を先行して採決することは許されない。さらに消費税増税以外の、私たちが政権交代で訴えた社会保障政策などはすべて棚上げして、実質的に国民との約束を消し去るという民主、自民、公明との3党合意は国民への背信行為であると主張してまいりました。こうしたことからわれわれは採決において、行財政改革、デフレ脱却政策、社会保障政策など、増税の前にやるべきことがあると主張いたしまして反対票を投じました。そして、これまで輿石幹事長には、3党合意による増税先行の今回の法律の撤回を求めて、何よりも民主党が国民との約束を守り、努力するという政権交代の原点に立ち返ることが最善の策であると訴えてまいりました」 「週が明けて本日になるまで、3党合意を考え直し、党内結束するという趣旨の話はありませんでした。出てくるのは反対した者に対する処分の話ばかりでした。国民との約束を守ろうとする者たちを、国民との約束を棚上げにする、反故(ほご)にする人たちが処分をすることは本末転倒の話であります。もはや野田(佳彦)首相のもとでの民主党は政権交代を成し遂げた民主党ではありません。民主、自民、公明という三大政党が官僚の言うがままに消費税増税の先行を3党合意で押し通すことは国民から政策を選ぶ権利を奪うことであります。3党合意とは政策の違いを国民に示し、国民に政党を選んでもらうという二大政党政治、いわんやわれわれが目指してきた民主主義を根底から否定する行為であります。私たちは事ここに至って国民の生活が第一の政策を国民に示し、国民が政治を選択する権利を何としても確保することこそ、混迷にあるこの国を救い、東日本大震災で被災された方々をはじめ、国民を守る政治家としての使命であるとの決意を新たにいたしました。私たちは今後、新党の立ち上げも視野に入れながら、政権交代の原点に立ち返り、国民が選択できる政治を構築するために、本日民主党を離党いたしました。以上です」

2012年7月1日日曜日

6.30脱原発デモ『STOP原発再稼働!大飯デモ』 『STOP原発再稼働!6・30おおいデモ』 「あみーシャン大飯〜福井県道1号線〜おおい町役場前(西側)〜おおい町町役場前(正面)〜福井県道1号線〜大飯総合運動公園前〜本郷交差点〜丹後街道〜小堀交差点〜福井­県大飯原子力防災センター前」 2012年6月30日(土)15時19分~17時15分 大阪府浪速区で行なわれた『STOP原発再稼働!6・30おおいデモ』の記録映像です。 解散地の福井県大飯原子力防災センター前で原子力安全・保安院とデモ隊が申入書提出の件で揉め、施設の敷地内で待機していた福井県警機動隊が動き門を固めました。 門前で一時騒然となりましたが、デモ隊の中から代表5名が中に入り申入書を手渡しました。 参加者は約300〜400名程度、デモ自体は約75分でその後、福井県大飯原子力防災センター前で抗議をしました。 (秋山理央遠征デモ撮影第25弾!)
(大飯原発3号機 原子炉起動 集まった反対派市民らを機動隊が強制排除も) http://hibi-zakkan.sblo.jp/article/56815983.html
20120701 【緊急速報】IWJ_OITA1 大飯原発再稼動反対抗議
(6月29日の首相官邸前デモを終えて、広瀬隆さんよりの提言) http://hibi-zakkan.sblo.jp/article/56798952.html
ドイツARDテレビが大飯原発反対デモを報道! 門の前で抗議する市民達. 野田首相は夏の電気不測と事業者を守るため再稼動は必要と述べている. 福島原発災害から学び,安全性に最善を尽くすと野田は述べた. 専門家は地震断層があり,津波防塀も低く,大飯は福島原発より危険であると主張している. 国民は政府が民意を無視していることを感じている,原発の反対抗議は今まで以上に強くなっている.