2012年11月30日金曜日

~~~ だれもが希望をもてる未来を ~~~森ゆうこ議員から. http://my-dream.air-nifty.com/moriyuuko/2012/11/post-d0b5.html いま、日本中に将来への不安や、政治への不信、失望がうずまいています。 この不安を安心に、不信を信頼に、失望を希望に変えなければ。 わたしたちは、国民のみなさんの「今のままでは選ぶ政党がない」「本当の第三極を作ってほしい」という声に応え、新しい党をつくりました。 わたしたちの名前は「未来の党」(日本(にっぽん)未来の党)です。 このままでは、わたしたちの日本は、国としての品格を失います。 世界は我々の動きを見ています。 そう、あのふくしまの原子力発電所の事故です。 終わっていません。 これを確実に終わらせて、着実に原発から卒業できる道を示さなければならないのです。 わたしたちは、世界に、地球に、未来を、希望を発信しなければなりません。 そう考えて、わたしたちは、この理念の下に、多くの仲間たちと新しい党をつくりました。 国民のみなさんの政治への信頼を取り戻すためです。 未来をつくる政治、希望を見いだすためです。 政治には未来をつくる力があります。 政治は未来をつくるものです。 ご一緒に未来をつくっていきましょう。                            日本未来の党                            平成24年11月27日
原発事故後も電力関係者が政治献金. http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121130/k10013875691000.html 30日に公開された政治資金収支報告書を基に、NHKが電力業界からの政治献金について調べたところ、去年の東京電力福島第一原発の事故のあとも、電力会社の役員や子会社、労働組合から、少なくとも2100万円余りの献金などがあったことが分かりました。 全国の電力会社は「公益事業を行う立場としてふさわしくない」として、昭和49年に企業としての政治献金を自粛しましたが、その後、沖縄電力を除く9つの電力会社の役員らによる個人献金は続き、おととしまでの3年間だけでも少なくとも1億1700万円が献金されています。 30日に公開された政治資金収支報告書を基にNHKが調べたところ、去年の原発事故のあともこうした献金は続き、自民党の政治資金団体には、東京電力や中国電力など5つの電力会社の役員や退職者およそ30人から合わせて120万円余りの献金があったほか、子会社や関連会社からもおよそ1400万円が献金されていました。 一方、民主党の国会議員などの政治団体には、電力会社などの労働組合の政治団体から合わせておよそ550万円の献金やパーティー券購入がありました。 電力各社は「役員や子会社による献金はそれぞれの判断で行われたもので、一切、関知していない」としています。 政治資金に詳しい日本大学法学部の岩井奉信教授は「献金をした側は、みずからが置かれた厳しい状況を理解すべきだし、政治家の側も、業界との関係を有権者から厳しい目で見られているということを意識すべきだ」と話しています

2012年11月28日水曜日

公務員の犯罪を握りつぶした悪徳政治家. 「アメリカの召使」 前原誠司の本性を暴く. http://warabij.ti-da.net/e3602957.html
命を削って原発の非道を訴え続けてきた反骨のジャ-ナリスト. http://warabij.ti-da.net/e3608854.html 11月25日、泡瀬のウミエラ館で、元新聞記者で原発を40年以上取材してきた反骨のジャ-ナリスト柴野徹夫(75才)の「しゃべり場」と名づける勉強会が開かれました. 本人も原発作業員として潜入取材した際の内部被爆が原因とみられる、体の筋力が衰える難病を患い、新聞では「最後の来県」(沖縄タイムス2012/11/23)と、紹介されていました。  新聞記事から引用すると  「柴野さんは福井県の敦賀原発と美浜原発で計3回労働者として働き、被爆の実態を告発した。50代で胃がんを摘出したが、60代でまた多発性筋炎を患い、今は車イスを使っている。  取材中に、港に駐車した車ごと、何者かが運転するトラックに押され、落とされそうになったこともある。」  「今は、大正デモクラシ-が押しつぶされ、ファシズムが始まって以来の危機。衆院選後は、現代の大政翼賛会が改憲に動くだろう。戦争前夜の実態を報告したい」と語った。        -引用終わり       深刻な「深層崩壊」現象が進む日本の社会  「しゃべり場」の冒頭で、紀伊半島和歌山の地すべりがこれまでの台風時とは全く様相が異なっており、表面的な地すべりではなく、深刻な「深層崩壊」現象(地質学者「岩盤から山全体が崩壊してゆく---」)が起こっていると警告。  それを知ったとき「背筋が凍る」感覚がしたと発言していました。  3.11以降、世界の最高権威の学者たちの「人類がかつて経験したことのない福一の原発事故」を、全く無視して、いち早く収束宣言をだした野田内閣の「アメリカの頭で考える」「アメリカを見て、国民を見ない」日本の政治は、まさに深刻な「深層崩壊」現象と、同じ構図ではないかと、戦慄さえ覚えてしまう。  元駐スイス大使の村田光平さんの国会答弁や管直人首相の「4号機が倒壊したら、放射能の汚染で東京から北は住めなくなる」を紹介しながら、4号機の核燃料プ-ルが地震で傾いており、その冷却水がなくなると1535本の核燃料棒が火災を起こし、放射能が大量に発生し、放射能による日本列島の「深層崩壊」現象が起こると警告。  潜入取材による内部被爆で命を削りながら、原発の非道さを訥々と、ひとりひとりに語りかけるように話す姿は、「しゃべり場」に集った人たちに、命の波動として伝わっていきました。  「原子力はカネで民主主義を破壊する。沖縄の基地、オスプレイ配備もそっくりである」は、10月1日沖縄で講演した斎藤征二さんの「原発の安全はお金である」「政治が悪い」と、見事に共鳴しています。 柴野徹夫さんが斎藤征二さんを紹介している文章が目にとまりました。                     (第33回山猫軒シンポより引用)         ガラス張りの原発をめざして    原発ジプシーの生命と人権を守れ・           全国初衝撃の労働組合結成から今                    元委員長・斎藤征二さんが語る  四十にして惑わず その朝、斎藤征二はいつもより念入りに髭を剃った。    鏡の中の顔が緊張で青ざめ、こわばっていた。  「四十にして惑わず、や。相手は原発やぞ。もうあと戻りはきかへんで」鏡の中の男が、うなずいた。  一九八一年七月一日――。この日、旗揚げする労働組合の分会長に、斎藤は選ばれていた。日本の原子力発電と労働組合の歴史に、新しい一頁が書き加えられようとしていた。  敦賀市役所の市政記者クラブでの記者会見。「本日たったいま、原発分会を結成しました。全国約五万人の下請け労働者の仲間に、心から加入と支援を訴えます」斎藤征二の緊張した声が響いた。  (中略)  この発表に記者団はどよめいた。つい二、三カ月前の日本原電敦賀発電所の事故隠し露見騒動のとき、報道陣がいくら押しても引いても緘黙して口をひらかなかった下請け労働者たちが、いま自ら目前に名乗り出てきたのだ。しかも、両の眼を輝かせ、胸を張って――。  (中略)  「ぼくら二人が矢面に立ちます。あとの仲間の名は、口が裂けてもいえん。いうたら、仲間と家族が路頭に迷わんならん。わかってください」  記者たちは、ざわめき合った。敦賀事故の際の取材で、下請け労働者の環境については、彼らも十分に知っていた。                 柴野徹夫著『原発のある風景』(未来社)より  この文章が心のすみになぜか、ひっかかっていました。出だしの  「四十にして惑わずその朝、斎藤征二はいつもより念入りに髭を剃った。鏡の中の顔が緊張で青ざめ、こわばっていた。  「四十にして惑わず、や。相手は原発やぞ。もうあと戻りはきかへんで」鏡の中の男が、うなずいた。  これは、よほど親密にしていないと書けない文章だと、なんとなく気になって、スタッフの1人から斎藤さんとの関係を聞いていたので、「しゃべり場」が終わって本人に直接尋ねると、敦賀原発に潜入取材したときに、原発労働者の組合を立ち上げるように、いろいろと助言と支援をしたとのことでした。  それで出だしの文章の「凄さ」が分りました。  斎藤征二さんの沖縄講演のブログはこちらを検索   http://warabin.ti-da.net/c161290.html  柴野さんも、95歳の広島原爆医師の肥田舜太郎さんと同じく「命」をかけて、この国のあり方を糾弾しています。       まさに「鬼」の信念と強さを持っています。  島共同体の中で信念を貫くことができない沖縄の人たちが、深く学ばなければならない「しゃべり場」だったと考えています。  最後に呪文を唱えていました。  『いまは恐慌です。おのおの方、お気をつけ召されよ。彼らはアメリカの言うままに、性懲りもなく、また戦争をしようとしているのです。彼らにとって戦争ほど儲かる商売はないのです。  それを食い止めて、われわれが命と暮らしを守るには、憲法を生かすこと。《腹の底から憲法で行こう》!われわれが生きのびるには、ほかに道はありません。』                   元京都府知事 蜷川 虎三  「鬼」沖縄のもの言う-「糞から金蝿」(金城実、柴野徹夫)はこちらを検索。若い人や女性に特に読んでもらいたい。    http://warabin.ti-da.net/c162645.html    外交官時代から脱原発の志を貫いてきた信念の人・村田光平さん(元駐スイス大使)が、語る福一原発事故の「人類未曾有の危険」    http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33518   隠された福一の原発事故をデジタル画像を駆使して、「ふくいちを裁く」で、「福一は津波ではなく、直下型地震で死んだ」を暴露した岩田清さん渾身のブログ。上記村田さんの「注目を集めたのは、管直人前首相の政策秘書・松田光世氏の発言、活断層の上に4号機の核燃料棒のプ-ルがある」を、デジタル画面で裏付けている。    http://yoshi-tex.com/Fuku1/Fuku1U5U6.htm 
『検察の罠』小沢一郎×森ゆうこ特別対談.森ゆうこ議員から. http://www.mori-yuko.com/activity/files/taidan.pdf 『検察の罠』小沢一郎×森ゆうこ特別対談 あの西松建設事件が罪なら、どの政治家もアウト-森 【森ゆうこ】改めてこの3年間を振り返ると、西松建設事件はもう「事件でさえない」 ということになっています。 【小沢一郎】どうなっちゃったのかね、あれも。 【森】ひどい話ですよね。訴因変更というウルトラCというか、あり得ない方法を使って。 あのままやったらもう完全に負けだから。西松建設事件、そして陸山会事件とはいったい 何だったのか。先生はどんなふうにお考えですか? 小沢やっぱり問題は政権交代を阻止すると。何が何でもそのためには小沢を訴えて、と いうことなんだろうけど。たまたま僕個人が標的になったけれども、官憲というか、役所、 役人が政権交代の直前に直接的に権力を濫用して政治に関与するということは、これはも う民主主義国家じゃない。暗黒政治の話でね。 このことが一番問題であって、僕自身じゃなくて政治家みんなが、国民みんなが考えな きゃいけないことです。みんな人ごとみたいに思っているけれども。 君がよく言ってたじゃない? 検察の機嫌取りをしなきゃ、政治家ができなくなっちゃ うって。 【森】とくに、「ダミー団体」が問題になった西松建設事件は、おそらくみんなわかっ てきたと思うんですが、あれで本当に罪になるんだったら、どの政治家もアウトだなと。 【小沢】全員アウトだよ。 【森】わかってたはずなんですね。本当にわからないっていう人は、よほど政治資金規 正法がわからないのか、あるいは敢えて目をつぶろうとしているのか。 【小沢】献金が一銭もなかったのか(笑)。 【森】ある程度の献金を団体から受けている人なら、あれは誰でも全員しょっ引かれま す。 【小沢】そうそう。とくに労働組合なんかみんなそうだよね。あれはみんな産別組合で 集めた金で献金しているわけだから。 【森】そうなると、誰をターゲットにするか、どの献金を事件化するかはすべて検察、 先生のおっしゃった官憲の思し召し次第。 【小沢】検察・警察は最たるものだけど、日本ではその他の部分でも役人の裁量が多す ぎるんです。役人の鉛筆のナメ次第でどうにでもなると。税務署なんかわかりやすい例で しょう。 税務署の職員の裁量で課税されたり、これは経費と認めるとか認めないとか。法律の規 定そのものが非常に幅が広すぎて、役人に裁量権を持たせすぎる。これが日本のいろいろ な矛盾や癒着の最大の原因。それは、人間社会ではなかなか杓子定規にはいかない部分も あるから、多少のフレキシブルな裁量権というのはしょうがないんだけど、あまりにも多 すぎる。何でも役人の思い通りになる。 この仕組みが根本的な問題で、その最も典型的で象徴的な、そして民主政治に対する影 響が強い例が今回の事件なんだね。 - 2 - 【森】そうですね。だから私としては、これは小沢先生個人をターゲットにしたもので はなくて、政権交代阻止が狙いで、このまま放置したら大変だということで檄文を書いて、 すべての民主党の総支部に配りたいと。だいぶ先生にもご相談したわけですけれども、あ そこまでメディアスクラムを組んでやられてしまうと、もう党内世論が「小沢さん、犠牲 になってください」と。 【小沢】そうそう、僕が生け贄で、それで収めてくださいとなっちゃうな(笑)。 【森】でも、私はそれは絶対に違うと思う。小沢先生が他の人たちよりも並外れて力が おありになるから、余計そうだったと私は思うんですけれども、戦うときには大将の首を 取ったほうが勝ちなわけですよね。 これは鳩山先生にも申し上げましたが。とくに小沢先生のような大将の首取られたら、 たとえ政権交代が実現しても、そのあとはどうなるか想像できるなあと思ったので。「絶 対にここは闘うべきだ」ってみんなに言って回ったんですけど、残念ながらあの時はやは り無理だったんですかね。 【小沢】そうねえ。これは僕が言ってるんじゃないけど、政権に対する批判も、結局は そういう民主党の体質に原因があるんじゃないの? 今のような政権だったら、別に役人 は心配する必要なかった(笑)。 【森】本当ですね(笑)。 【小沢】やっぱりもっとドラスティックな、革命的なことをやられるんじゃないかとい う、その心配だったわけだから。その意味では、政権交代後の民主党について非常に危惧 の念を持ってるけどね。 大衆は愚にして賢。だから民主党は支持が減っている-小沢 【森】結局は先生が代表の座を降りて、それで政権交代が成就したわけです。それでも 先生が幹事長兼無任所の国務大臣として閣内に入るという、少なくともそういうかたちで あれば、ここまでひどい状況にはならなかっただろうなと思ったんですけれども。いかが ですか。なかなかお答えづらいとは思うんですが。 【小沢】政権交代前のネクストキャビネットのときから、幹事長は内閣に入ってたんだ よね、副総理として。マニフェストなんて今はもう影も形も見えないけど、マニフェスト の中でも内閣の再構成はすることになってたわけだ、政府・与党一体というね。 だけど、あのときどういう風の吹き回しか、鳩山さんが「今回は幹事長は内閣に入らな いでもらうということに決めました」っていう話だったから。やっぱり迷惑はかけたくな いし、別に僕は入りたいと思わなかったし、「あ、そうですか」ということになっちゃっ たんだけど。以来ずっとそのままでしょ。僕じゃない人ならばよかったのかというと、そ うではないんだね。ずっと幹事長は内閣に入っていない。 【森】そういう意味では、小沢先生が代表でいらっしゃったときのイメージ通りにいか ない原因というのは、やはり幹事長が内閣に入らなかったことで、政府・与党一体の原則 が崩れてしまったことだという指摘はありますね。ただ、なんで鳩山さんが小沢先生を副 総理にしなかったのかは――。 【小沢】それはわからないと。 - 3 - 【森】わからないですねえ。鳩山先生にいろいろウィスパー(ささやく)する人がいた んですかね。 【小沢】好意的に考えると、彼の説明は反対した人たちを全部取り込みたいと。そうい う人事をしたいという説明だったよ、僕に対しては。人事権はもう総理総裁にありますか ら、「ああ、そうですか」って。 【森】本人のいないところで個人名を出して批判するのはよくないと思うんですけども、 今また藤井裕久さんを党の税制調査会長に起用して、党が政府にかかわりましょうという ことで使ってらっしゃるのは、私はすごい失敗だったなと思っています。 藤井さんは党の会合で「君たち一人ひとりの言葉が歴史に刻まれる。そこまでの責任を 持ってものを言え」というようなことを言ってらっしゃいました。 私は既に文部科学副大臣だったので、その会議には出ることはできませんでしたが、も し私が出ていたら「藤井さん、あんたにその言葉そっくり返してやります」って言いたか ったんですけどね。だって自由党のときに藤井さんが言っていたことと、今言ってること が違いますからね。先祖返りしちゃったんです。 【小沢】先祖返りするんですよ。大蔵官僚にもどっちゃった。 【森】もう「ザ・財務省」「ザ・大蔵省」になっちゃったというか。 【小沢】まあ、もともと叩き込まれた本質だから。 【森】今回の増税の話が、あれはどうしてあんなに増税したいのかがちょっとよくわか らないんですが。過去の歴史からしても、今のようなデフレの状況の中で大増税をして大 失敗をしたというのは、ついこの間の日本の歴史の中にもあります。 小沢ある。 【森】それからアメリカも世界恐慌のときに、フーヴァー大統領が増税をやってさらに 不況を深刻化させています。 【小沢】だからレーガンは逆に減税した。レーガノミックスっていってね。大減税して、 だけど結果は税収が増えたっていうあのレーガノミックスの例もあるんだけれども。普通 は景気が悪いときは減税だよね。 【森】今でも「消費税は上げられる環境です」と言うのはいったいどういうことなのか。 私も副大臣として政府税調の会議にずっと出てきたんですけれども、財務省に質問しても、 まともな答えは返ってこないんですね。 【小沢】そりゃ、財務省はしょうがないんだよ。財布を預かってるから、取るもの取っ て出すものを出さないようにと。これは彼らの習性だから。財務省がゆるゆるになっちゃ うと歳出圧力だけ強まっちゃうからしょうがない、彼らの立場としては。 ただ、それをコントロールする能力が政治家にないっていうことだよ。 【森】ということは、今は本当に政権交代前にお約束していたことと正反対というか、 むしろ官僚主導になっている。 【小沢】だから「自民党よりひどい」っていう評判になるんだよね。 【森】国民の皆さんはよく見てる。 【小沢】大衆は愚にして賢ですよ。ちゃんと見てる。だから民主党の支持が減ってるん ですよ。 - 4 - 虚偽記載で捕まえ、供述調書を虚偽記載……検察審査会法の前提が崩れている-森 【森】私も西松建設事件の当初から、素人なりに事件の解説を書いたり、Q&Aを書い たり、檄文を作ったり、独自の調査をやってきました。そして検察審査会のほうに問題が 移って、検察審査会事務局が9月14 日に議決した審査員の平均年齢を3回も発表したと。 10 人の年齢の合計を11 で割るという、ばかばかしい話からスタートして、検察審査員 を選定するためのクジ引きソフトを調査したり、調査のおかげでいろんなことがわかって きたんですけれども。 【小沢】制度の仕組みとして検察が起訴できない人をなぜ違うところが起訴するんだっ ていう、その問題があると同時に、それは別にしても日本の民主主義社会にまったく真っ 暗闇のベールで包まれてる場があるということね。これがやっぱり非常に不思議なところ だね。 建前から言うと、検察は法務大臣の所管だから、政治家が本気になれば全部情報も出さ せられる。検察審査会は裁判所の系統でしょ。そうすると政治が全然チェックできないわ けだ。それでオープンならいいけど、暗黒でしょ。 【森】しかも調査の過程でわかったのは、都合が悪くなると「独立した機関です」「情 報は非公開です」と。検察審査会法の条文を盾に取って、当然開示してもいいはずの情報 まで最高裁が押さえてるんですね。でも実際には、その仕事は裁判所の事務官がやること になっています。実際は最高裁がすべてを押さえている。 それで私も検察審査会法の改正案を1年半前に作って、民主党の法務部会のワーキング チームに提示したんですが、ちょうど今日参議院の法制局の方にばったり会ったら、「先 生、あれをさらに進化させて、もっとやりましょう」と言われたんです。 小沢先生がおっしゃったように、秘密のベールに包まれているということも問題なんで すが、少なくとも検察当局がきちんと法と証拠に基づいて捜査をし、そしてその捜査報告 書をきちんと判断材料として提供するということが大前提で、小沢先生の裁判のように、 そもそも捜査した側が捜査報告書を捏造するとか、供述調書の虚偽記載をしてしまう。 虚偽記載で捕まえといて、供述調書を虚偽記載するって、もうブラックユーモアなんて もんじゃないですよ。そもそも検察審査会法の前提が崩れている。 そういうことも考えてもう一回法改正を考えなければいけない。 【小沢】仕組みとすると、裁判所が検察審査会の事務局を担うんでしょ? 裁判所が起 訴までしちゃうということになってしまった。起訴して自分で判決すると。 【森】いや、本当にとんでもない話ですよねえ。立法府が国権の最高の機関なわけです から、司法、それからこれは行政権の行使ですけれども検察、それらをもっときちんとチ ェックしてもいいと思うんです。でも、これをたとえば国会で取り上げると、司法に対す る国会、政治の介入っていうふうに批判される。これは的外れだと思うんですよ。 【小沢】変ですよ。ちゃんと裁判官訴追委員会も弾劾裁判所も最初から法律で認められ てるんだから。主権者の代表として、国権の最高の地位を認められてるんだから、もう少 し本当の意味での国政調査権を行使すべきだと、これをもっとはっきりしていいと思う。 【森】例の前田元検事が小沢先生の裁判、昨年の12 月の公判で厳しく検察を批判しま した。自分が今検察から追われている立場ということもあるかもしれませんけれども、「取 り調べの初日に木村主任検事から『これは特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢を挙げられな - 5 - かったら特捜部の負けだ』と言われた」と証言したり、「検察の書いたストーリーは荒唐 無稽な妄想」とまで公判で証言しました。私もそう思うんですが、そのストーリーを書い たのはいったい誰なんでしょう。 【小沢】やっぱり、官僚の、変革に対する恐怖心かもしらんね。 【森】無意識のうちに? 【小沢】いや、それは意識しているんじゃないかな。 それと、官僚の中でも検察は自分たちが社会正義を実現しなきゃいけないと。自分たち こそ月光仮面だという意識が非常に強いから、他の役所よりも。それで権力持ってるから ね。だからそういう行動をしたんじゃないかな。だって最初の西松建設事件だって、具体 的な証拠もないのに最初から強制捜査なんだもん。 何の聞き取りもない見込み捜査ということもよく言われるけど、「やりゃあ、なんか出 るだろう」と。 【森】全部オープンにしてるお金なのに。 【小沢】ほんとにもう。 【森】だから例の記載時期の「期ずれ」の話も、わざわざ裁判公判に会計の専門家を呼 んで、私はすごくばかばかしいと思ったんですけど、これは真っ当な会計処理である、問 題のない正しい会計処理だと。そんなことをわざわざ専門家を呼ばなきゃわからないよう な裁判長や指定弁護士、あるいは検察はどうかしてるよって。 【小沢】理由はどうであれ、不動産は登記したときに所有権が確定するんだから、その ときに報告して何も悪くないと、こう(会計の専門家が)証言しちゃったんだよね。それ をずうっと隠し続けてたならこれは問題だけれども、ちゃんと報告してるわけだから。 マスコミは多分、官僚以上に既得権や利権を持ってる。電波とか再販とか-小沢 【森】今回の事件で、マスコミは石川さんが現金をANAホテルで受け取ったという、 捏造ビデオまで作って流したわけです。 【小沢】TBSだっけ? 【森】はい。私は同僚議員から聞いて「TBSはひどいことをやってる」って。それで 私も「NEWS 23」で見たんですよね。 見たときに変だと思ったんですよ。たまたまその現場に居合わせた人物……。水谷建設 の関係者ということで、その男性が全部モザイクで証言してるんですが、「石川さんがこ こに座って水谷の関係者がここに座って」と図解して指さすんです。モザイクから透けて 見えるのは、きちんとしたスーツ姿なんですね。だけど、指さすときの指先だけはさすが にモザイクが外れるんですが、爪が伸びていて真っ黒だったんですね。 それを見ておかしいと思ったんです。だってANAホテルですよ。ANAホテルのロビ ーで、水谷といえばそれなりの企業でしょ。その関係者で、たまたまそこに居合わせるよ うな人が、爪が伸びてて真っ黒だなんて。おかしいと思ってその男性の証言の書き起こし をネットで読んだら、「長身のスーツの男性が入ってきた。それが石川議員だった」って いう証言なんです。これはもう絶対嘘だわって。 【小沢】長身じゃないじゃない(笑)。 - 6 - 【森】石川さんは長身じゃない。証言を全部プリントアウトして、次の日に参議院の政 治部の番記者みんなに見せて、「どう思う?」「どう思う?」と聞いて回りました。「石川 さんを見た人が、本当にこういう証言をすると思いますか?」って。みんなシーンとなり ました。 TBSに「捏造だろ、これは」って言ったら、すぐに放映をやめました。 【小沢】ひどいもんだよ。 【森】ひどいですよね。何でマスコミはあそこまで小沢先生を叩くんでしょう。 【小沢】結局、官僚支配なんだよ。その点は同じなんです、官僚と。たぶん官僚以上に 既得権や利権を持ってるんだよな。電波とか再販とか。 だから官僚支配が一番いいんだよ、マスコミは。新聞は再販で保護されて、テレビは一 度取った免許は4年か5年に1度必ず見直されるはずなんだけども、実際は一度取ればず っとやれるからね。僕が目の敵にされるのはそういうことを含め、不必要な規制はなくし たほうが良いという意味のことを言うからですよ。 電波を競争入札している国もあるけど、そんなことされたら大変だと思っている。小沢 の野郎ならやりかねないって(笑)。 【森】そういう意味では、やっぱり先生には次々に試練が降りかかるわけですけれども。 【小沢】今は上方のほうで「維新」という言葉が流行っているけれど、維新というのは 革命なんですね。革命というのはやっぱりそう簡単にはできないんだよ。世の中を変える ことだから。明治維新だってどれだけ有為の人が死んでいったか。犠牲の上に初めてでき ることだからね。しょうがないんだな(笑)。 この世界で本質を突き詰め変わらずにいるのは難しいこと-森 【森】私は先生に初めてお会いしたのが2001年の参議院選挙、投票日が7月29 日 でしたけれども、その半年前の3月29 日に新潟でやった総決起集会においでくださって、 そのとき初めてお会いした。だから10 年ちょっとたつわけですけれども。 【小沢】早いなあ。 【森】永田町の世界にはいろんなことがありますよね。誘惑もあるし。だから他の人た ちはいろいろ言ったりやったりすることは変わるんですけど、先生は全然その頃と変わら ない。 【小沢】そうかな。 【森】この世界の中で本質をずうっと突き詰めて変わらずにいるということは、やっぱ り難しいことで。 【小沢】そうね。僕が自分の主張を通してこられたのはやっぱり国民、選挙民のおかげ です。選挙民が支持してくれてるから筋道を、自分の思うことを通せるんであって。だか らそれは非常に幸運だと思うし、感謝してるんですよ。政党だって自民党から何回名前が 変わったか。しかも後援会に一度も相談しないで僕はやってるからね。 それでもちゃんと支持してくれてるっていうことを、僕は非常に感謝してるし、そうで ある以上、これは貫き通さないかんと思ってるんだけどね。 【森】その一方で2006年の代表選挙では、「変わらずに生き残るためには、変わら なければならない」とおっしゃっています。 - 7 - 【小沢】日本が、そして日本人が生き残るためには、旧体制を変えなくちゃいけないと。 アンシャン・レジームを変える。変わらずに残るために。「古い上着よ、さようなら」と いうやつだよ。「青い山脈」だよ。 【森】難しいですね。民主党はもはや政権交代したときの民主党ではないというか、正 反対だと私は思うんですが。 【小沢】いやあ、驚いたね。結局、選挙のときはほとんどの人がほぼマニフェストに沿 ったことを言ったんだと思うんだよね。だけど結局何も中身はわかっていないというか、 自分はそう思ってないのにしゃべってきたっていう話になっちゃうんだよな、今の現実は。 その意味でほんとにがっかりだね。 「変える」と言って政権をもらったのに、変える気がない民主党-小沢 【森】これからいろんなところで同じことを聞かれると思うんですが、任期満了までな ら民主党政権はあと1年。どうなっていくでしょうか。 【小沢】いや、これじゃ国民から見放される。もうすでに見放されてるけど、残らない よ。変わらずに生き残るためにわれわれが変えるんだと言って政権をもらったのに、全然 変える気がないんだもん。 【森】で、自分が変わっちゃったと。 【小沢】だから最初から変える気がない。主張と違っていたということだ、本質は。変 わらなければならないと言った人が既得権とアンシャン・レジームの体制にどっぷり浸か っちゃって、「いい湯だな」っていう。 【森】私も政務三役ということで7カ月、副大臣をさせていただきましたけども、居心 地は非常にいいわけですよね、そういうお膳立てに乗っかってやろうと思えば。また官僚 も優秀ですし、別にみんながみんな悪い人たちじゃなくて、基本は国のためにと、そんな においしい仕事ってわけではないけれども、そういう志をもともと抱いてる人たちですか ら。 だから先生から教えていただいた、政治家が自らの責任で決断し実行し、そして結果の 責任をとる。「だからついてこい」「みんなの意見を出せ」というふうにしっかりやれば、 官僚はついてくるんだと。それが政治主導だというふうにおっしゃっていたわけですが、 私も少しだけ、あ、そうなのかなあと実感しました。 日本の民主主義が問われてる。 本当にみんなが深刻にならなきゃいけない-小沢 【小沢】それと、やはり内閣として一体でやらなきゃだめだよ。一人だけやると袋叩き にあっちゃうからね。トップが決断して、みんなして力を合わせて各省庁とも頑張ろうと いう話にならないと。 【森】難しいですねえ。トップが財務省にすぐ洗脳されちゃうんじゃねえ。 【小沢】どうしようもないよ。 【森】どうして財務大臣を経験すると洗脳されちゃうんですかね。 小沢相当居心地がいいのかもな(笑)。 【森】これじゃあ、私たちに投票してくれた国民は浮かばれないというか、一方で格差 - 8 -

2012年11月27日火曜日

「低放射線被ばくで深刻な健康被害」仏米科学者が学術誌に発表/サイエンス・デイリー. http://franceneko.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/1113-f23e.html 「たとえ非常に低い放射線レベルでの被ばくであっても、生命体には有害な影響がある」 米サウス・キャロライナ大学のティモシー・ムソ―教授(生物科学、注)と仏パリ南大学のアンダース・ミュラー教授(動物生理学)らは11月8日、過去40年間に出版された5千以上の関連論文を分析した結果、放射線被ばくに関しては「安全レベル」に該当する「しきい値」は存在せず、低放射線による被ばくであっても、免疫機能、生理機能、染色体における突然変異、疾病の発生率等において統計上有意な確度で有害な影響が引き起こされると指摘、『生物学レビュー』(Biological Reviews)に発表した。 <参考>ムソー&ミュラー「天然のバックグランド放射線が人体、動物、及び他の生物体に与える影響」『生物学レビュー』(英語です) http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1469-185X.2012.00249.x/abstract;jsessionid=9D33A0EB8F8242EB5717AFCD4FF88F90.d04t02 今回の調査は、天然の放射線量が比較的高いイランのラムサール、ケニアのモンバサ、フランス南部のロデーヴ、中国の陽江等で個別に実施された放射線被ばくの影響調査に関する結果を集め、「メタ分析」(過去に行われた複数の研究結果を統合し、より信頼性の高い結果を得るための分析手法)を実施したもの。個々の調査では放射能被ばくによる染色体の損壊、ダウン症を含む疾病の発生率、男女の出生比率等への影響などが分析されている。 「天然の放射線量が高いこれらの地域では、『被ばくによる影響が明らかに目に見える形では起きていない』とか、『影響があったとしても、小さかったり被害者の集中する地域が限られている』、といった理由で、『低放射線量による被ばくの悪影響はおそらくないだろう』と考える傾向があります。」 ムソー教授はこう指摘する。 「でも、メタ分析を行えば低放射線被ばくが重要な悪影響を及ぼしていることが目に見えるようになるのです。」 「今回のデータは又、被ばくに『しきい値』など無いことを非常に明確に証明しました。」 「そして本当のことを言えば、このように低いレベルの放射線被ばくでも影響があるのですから、被ばくを防ぐための規制を設ける際の考え方を(より厳しい方向に)変えなければならないのです。特に、原発や医療被ばく、飛行場のエックス線検査など、自然界には無い形で出された放射能によって人々が被ばくする場合には、です。」 (抜粋、一部編集) (注):ティモシー・ムソー教授はチェルノブイリや福島で放射能被ばくによる鳥、虫、人体への被害に関する調査を実施、放射能汚染が生態系および生物の進化に与える影響について研究している。 http://cricket.biol.sc.edu/Mousseau/Mousseau.html  ●元の記事:「低放射線被ばくでも健康被害」科学者らが結論/サイエンス・デイリー(11月13日) (“Even Low-Level Radioactivity Is Damaging, Scientists Conclude”, Science Daily, 2012.11.13) http://www.sciencedaily.com/releases/2012/11/121113134224.htm 「たとえ非常に低い放射線レベルでの被ばくであっても、生命体には有害な影響がある」 米サウス・キャロライナ大学のティモシー・ムソ―教授(生物科学、注)と仏パリ南大学のアンダース・ミュラー教授(動物生理学)らは11月8日、過去40年間に出版された5千以上の関連論文を分析した結果、放射線被ばくに関しては「安全レベル」に該当する「しきい値」は存在せず、低放射線による被ばくであっても、免疫機能、生理機能、染色体における突然変異、疾病の発生率等において統計上有意な確度で有害な影響が引き起こされると指摘、『生物学レビュー』(Biological Reviews)に発表した。 <参考>ムソー&ミュラー「天然のバックグランド放射線が人体、動物、及び他の生物体に与える影響」『生物学レビュー』(英語です) http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1469-185X.2012.00249.x/abstract;jsessionid=9D33A0EB8F8242EB5717AFCD4FF88F90.d04t02 今回の調査は、天然の放射線量が比較的高いイランのラムサール、ケニアのモンバサ、フランス南部のロデーヴ、中国の陽江等で個別に実施された放射線被ばくの影響調査に関する結果を集め、「メタ分析」(過去に行われた複数の研究結果を統合し、より信頼性の高い結果を得るための分析手法)を実施したもの。個々の調査では放射能被ばくによる染色体の損壊、ダウン症を含む疾病の発生率、男女の出生比率等への影響などが分析されている。 「天然の放射線量が高いこれらの地域では、『被ばくによる影響が明らかに目に見える形では起きていない』とか、『影響があったとしても、小さかったり被害者の集中する地域が限られている』、といった理由で、『低放射線量による被ばくの悪影響はおそらくないだろう』と考える傾向があります。」 ムソー教授はこう指摘する。 「でも、メタ分析を行えば低放射線被ばくが重要な悪影響を及ぼしていることが目に見えるようになるのです。」 「今回のデータは又、被ばくに『しきい値』など無いことを非常に明確に証明しました。」 「そして本当のことを言えば、このように低いレベルの放射線被ばくでも影響があるのですから、被ばくを防ぐための規制を設ける際の考え方を(より厳しい方向に)変えなければならないのです。特に、原発や医療被ばく、飛行場のエックス線検査など、自然界には無い形で出された放射能によって人々が被ばくする場合には、です。」 (抜粋、一部編集) (注):ティモシー・ムソー教授はチェルノブイリや福島で放射能被ばくによる鳥、虫、人体への被害に関する調査を実施、放射能汚染が生態系および生物の進化に与える影響について研究している。 http://cricket.biol.sc.edu/Mousseau/Mousseau.html  ●元の記事:「低放射線被ばくでも健康被害」科学者らが結論/サイエンス・デイリー(11月13日) (“Even Low-Level Radioactivity Is Damaging, Scientists Conclude”, Science Daily, 2012.11.13) http://www.sciencedaily.com/releases/2012/11/121113134224.htm 「たとえ非常に低い放射線レベルでの被ばくであっても、生命体には有害な影響がある」 米サウス・キャロライナ大学のティモシー・ムソ―教授(生物科学、注)と仏パリ南大学のアンダース・ミュラー教授(動物生理学)らは11月8日、過去40年間に出版された5千以上の関連論文を分析した結果、放射線被ばくに関しては「安全レベル」に該当する「しきい値」は存在せず、低放射線による被ばくであっても、免疫機能、生理機能、染色体における突然変異、疾病の発生率等において統計上有意な確度で有害な影響が引き起こされると指摘、『生物学レビュー』(Biological Reviews)に発表した。 <参考>ムソー&ミュラー「天然のバックグランド放射線が人体、動物、及び他の生物体に与える影響」『生物学レビュー』(英語です) http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1469-185X.2012.00249.x/abstract;jsessionid=9D33A0EB8F8242EB5717AFCD4FF88F90.d04t02 今回の調査は、天然の放射線量が比較的高いイランのラムサール、ケニアのモンバサ、フランス南部のロデーヴ、中国の陽江等で個別に実施された放射線被ばくの影響調査に関する結果を集め、「メタ分析」(過去に行われた複数の研究結果を統合し、より信頼性の高い結果を得るための分析手法)を実施したもの。個々の調査では放射能被ばくによる染色体の損壊、ダウン症を含む疾病の発生率、男女の出生比率等への影響などが分析されている。 「天然の放射線量が高いこれらの地域では、『被ばくによる影響が明らかに目に見える形では起きていない』とか、『影響があったとしても、小さかったり被害者の集中する地域が限られている』、といった理由で、『低放射線量による被ばくの悪影響はおそらくないだろう』と考える傾向があります。」 ムソー教授はこう指摘する。 「でも、メタ分析を行えば低放射線被ばくが重要な悪影響を及ぼしていることが目に見えるようになるのです。」 「今回のデータは又、被ばくに『しきい値』など無いことを非常に明確に証明しました。」 「そして本当のことを言えば、このように低いレベルの放射線被ばくでも影響があるのですから、被ばくを防ぐための規制を設ける際の考え方を(より厳しい方向に)変えなければならないのです。特に、原発や医療被ばく、飛行場のエックス線検査など、自然界には無い形で出された放射能によって人々が被ばくする場合には、です。」 (抜粋、一部編集) (注):ティモシー・ムソー教授はチェルノブイリや福島で放射能被ばくによる鳥、虫、人体への被害に関する調査を実施、放射能汚染が生態系および生物の進化に与える影響について研究している。 http://cricket.biol.sc.edu/Mousseau/Mousseau.html  ●元の記事:「低放射線被ばくでも健康被害」科学者らが結論/サイエンス・デイリー(11月13日) (“Even Low-Level Radioactivity Is Damaging, Scientists Conclude”, Science Daily, 2012.11.13) http://www.sciencedaily.com/releases/2012/11/121113134224.htm
(政府、汚染の深刻さを未だ理解せず)松本市長,菅谷 昭氏インタビュー. http://www.fng-net.co.jp/itv/2012/120312.html 聞き手 編集局長 島田一 ――福島の原発事故から1年。この間の政府の対応を振り返って…。 菅谷 今年1月、日本政府は原発事故の放射能汚染問題や健康被害の情報を得るために、チェルノブイリ原発事故を経験したウクライナ共和国と協定締結方針を定め、続いて2月には隣国のベラルーシ共和国とも協定を結んだ。私としては、「やっと、か」という思いだ。私は福島で原発事故が起きた当初から、放射能汚染の問題についてはチェルノブイリに学び、チェルノブイリから情報を収集することが大事だと訴え続けていた。また、原子力安全委員会は今年2月に、ようやく原発から50Km圏内の全戸にヨウ素剤を配布すると提言したが、私は事故直後からヨウ素剤服用の重要性を説明し、さらに服用に関しては、基本的には被曝する前に摂取しなければ効果が低いということも言ってきた。遅きに失したが、チェルノブイリ原発事故を知る現地の研究者たちと交流を始めたことで、政府内には治療方法や汚染の詳細データ、原発事故による健康や環境への影響についての情報が出回り始めたのだろう。私としては、なぜ、それをもっと早くやらなかったのか、正直大変に驚いている。結局、政府はいざという時の対応が全く出来ていなかったということだ。 ――まだまだ伏せられている情報がたくさんある…。 菅谷 汚染マップなどが一般公開されなければ、国民は情報を得ることが出来ず、正確な判断が出来ない。中でも私が心配しているのはストロンチウムについての情報だが、仮に政府がその情報を持っていて、敢えて表に出さないのであれば、それは隠蔽だ。また、甲状腺がんを引き起こす原因となる放射性ヨウ素の汚染マップも出されていない。今、手に入るセシウム汚染状況を見るだけでも、放射性ヨウ素に汚染されている人が予想以上に存在するのではないかと心配している。そもそも日本では、放射能汚染基準として世界中が採用しているチェルノブイリ基準を採用していない。これも驚くことだ。さらに、「シーベルト」という単位と「ベクレル」という単位を平行して使っているということも、色々な判断を行う際に混乱を招いている一つの原因だと思う。出来れば「ベクレル/平方メートル」で統一すべきだ。1年前から私がずっと叫んでいたこのような声が届いたのか届かないのか分からないまま、1年が経ってしまった。この間にも放射能汚染地域に住んでいる方々は被曝し続けていると思うと、いたたまれない思いだ。 ――国に現場の声を拾う姿勢があまりにも乏しい…。 菅谷 政府が対策委員会を開いても、結局、メンバーの中に放射能災害の現場が分かっている人がいなければ話は前に進まない。実際に参考人として招致される学者の先生方は、ほとんどが本当の事故現場を知っている訳ではなく、机上の空論だ。そして、目下、出てくる情報は予想を遥かに超えて汚染が酷い。8月末に文部科学省が一般公開したセシウムの汚染マップ(※図1)は、それだけを見ても普通の人ではわからないが、今回私が特別に作成したチェルノブイリ事故10年目の放射能汚染図(※図2)と比較すればいかに酷いかが分かるだろう。今回の事故で放出された放射性物質はチェノブイル事故の時の10分の1~2程度と言われていたが、この図を見ると、むしろ福島の方が汚染度合いは高い。事故当初に米国が80Km圏内を避難区域としたのも当たっていたと言える。結局、政府はこういった事実を知らず、若しくは知ってはいても何も分からないまま、すべての判断をしていた訳だ。私は、この図で青色に塗られた地域に関しては、せめて子どもたちだけでも避難させたほうが良いと思う。実際に、こういった真実が徐々に住民に伝わり始めたことで、最近では自主的に福島から移住する人たちが増えてきている。チェルノブイリの低染量被曝地で起こっていることを知れば、それは当然の選択だろう。 ――一方で、川内村では帰村宣言が出されたが…。 菅谷 村長さんの気持ちも分からないではない。福島県では昨年、約30人の方々(村長も参加)がベラルーシとウクライナを視察されたようだが、そこで誰もいなくなった汚染地域の町や村を目の当たりにして、絶対に自分の村をそのような状態にしたくないとお考えになったのだろう。そして、野田総理も住民の帰還を復興の重要課題に掲げ、除染を早く終えて、軽度の汚染地域には住民を戻すように指示している。しかし、それは汚染の深刻さが全く分かっていない行動だ。ベラルーシでは原発から90km地点の軽度汚染地域と指定されているモーズリ(私も住んでいた地域)でも、子どもたちの免疫機能が落ち、風邪が治りにくくなったり、非常に疲れやすくなったり、貧血になるといった、いわゆるチェルノブイリエイズの症状が出ている。併せて、早産、未熟児等の周産期異常も増加している。そこで福島でモーズリに相当する汚染地域をこの図で比較してみると、福島市や郡山市も含まれていることがわかる。すこし大袈裟と言われるかもしれないが、この辺りに住み続けた子どもが、将来チェルノブイリエイズと同じような症状を発症する可能性も否定できないということだ。 ――国策として汚染地域から移住させることを考えるべきだ…。 菅谷 国策として移住させるシステムを作らなければ、自主避難出来る家庭と、出来ない家庭が出てくる。私が知っている情報として、福島では避難していない家のご両親がお子さんから、「なぜうちは避難しないの」と聞かれて、「うちは事情があって」と答えるしかなく、非常に切ない気持ちになっていると聞いている。そうであれば、国策としてせめて子どもたちだけでも避難させるべきだ。汚染された地域に住むことが、妊産婦を含め、子どもの健康にとって良くないことは、実際にチェルノブイリの汚染地域で25年間を過ごした子どもたちの現状から見ても明らかだ。ただ、移住させる際には、コミュニティがくずれないように、地区ごとや学校ごとにまとまって移住させるような配慮が必要だろう。 ――移動費用として一家族あたりに4000万円を払ったとしても、災害復興費用の23兆円には到底届かない。除染よりも強制移住にお金を使った方が遥かに効果的では…。 菅谷 国は、除染に過度に期待しすぎていると思う。安全レベルまですべてを除染するためには、恐らく数十~数百兆円がかかるのではないか。特に福島県は土地の7割が山林であり、その山を完全に除染するためには木を根こそぎ切り落とし、岩肌がすべて見えるほど徹底して行う必要がある。そんなことは無理だろう。さらに平地でも、政府は表土を5~10cm取り去れば除染効果があるとしているが、それでは到底追いつかず、例え20cm削ったとしても、チェルノブイリの高汚染地域では25年経っても住めないことが分かっている。更に農業を復活させようと思っても、農地の表土を20cm削れば肥沃度は落ちてしまい、農作物は育たない。つまり、除染は必要ではあるが、除染とはお金がかかる割りに効果は十分得られないということだ。中途半端に除染しても元のようには戻らず、結局、自然に放射性物質が無くなるのを数十年以上かけて待つしかない。それなのに数年で帰還させるような指示を国のトップが出すということは、やはり、政府は汚染状況がいかに深刻なのかがわかっていないのだ。住みなれた土地に戻りたいという気持ちも分かる。そのために除染する必要があることもわかる。しかし、その前にせめて、これから人生を歩み出す子ども達だけでも、4~5年程度安全な地域に移してあげるべきだ。 ――食料汚染の問題も心配だ…。 菅谷 放射性物質は目には見えないため、高度汚染区域や軽度汚染区域に入っても何も感じない。しかし、そこに住み続けることによって受ける被害は、チェルノブイリが証明している。ベラルーシ共和国は貿易制限等があり、多くの食料を地産地消で賄っているが、そこに住む成人の体内セシウム蓄積量は、他の地域に住む成人よりも高いという結果も出ている。先日、安全宣言が出された福島の米から基準値を超えたセシウムが検出されたという問題があったように、食料についても100%安全とは言えない。そうであれば、農業従事者の方には大変お気の毒だが、一時期、福島の土地を離れ、その農業技術を別の場所で活かすということをお考えになっても良いのではないか。松本市にもお貸し出来る農地はある。日本中に余っている農地を、福島で農業を営んでいたプロの方々に放射能不安を抱くことなく活用していただけるように、日本全体で協力していくような仕組みも必要だと思う。 ――このような重大な事故を引き起こしていながら、原発推進派の人間は誰も責任を取っていない。これも大きな問題だ…。 菅谷 今回の件で、原発を推進していたトップの方や関係者などが謝罪して辞職するようなことも無く、まるでこの事故を他人事のように話をしている姿をテレビなどで見ると、原発に対する国の考えや体質は何も変わっていないように感じてしまう。私もこの一年間、出来る限りの声を上げて来たつもりだが、一向に前に進まない。しかし、言い続けないことには動かない。或いは市民運動や国民運動を起こさない限り、今の日本が正しい方向に進むことは難しいのかもしれない。とにかく、今後は低線量被曝が及ぼす健康被害問題をしっかりと見ていかなくてはならない。そして、子どもたちには、せめて半年に1回程度の無料健診を受けさせてあげたい。例え異常が見つかっても、早期であれば十分対応可能と考える。今の決断が、まさに5年後、10年後の日本に大きな違いを生むことになるだろう。これこそ、少子化政策にもつながる極めて重要な意味を持つものと思う。(了)
『もんじゅ・西村裁判』芹沢昇雄. http://www.janjanblog.com/archives/82893 福井県敦賀市にある動燃(現:日本原子力研究開発機構)の高速増殖炉『もんじゅ』が95年12月8日にナトリュウム漏れ事故を越し、当時、動燃はその記録ビデオの改竄や隠蔽が発覚し大きな問題になった。動燃は内部調査機関を立ち上げざるを得ず、その責任者の一人として西村成生(総務部次長)が就き、その3回目の記者会見後の96年1月13日彼は「謎の死」を遂げた。しかし、遺書の存在からホテル8階の非常階段から飛び降りた「自殺」と認定され司法解剖もされなかった。トシ子夫人は「安全配慮義務違反」で提訴したが、1,2審とも棄却され今年1月31日最高裁からも棄却された。  トシ子夫人はご主人の「49日」を過ぎるまで夢中だったが、その後、次々と「不自然」だった事に気付いた。 ・通夜でもないのに中川秀直科技庁長官がが弔問に訪れ、遺体の顔を見るという奇妙な行動をした。 ・葬儀後、長官室に呼ばれ「生前に西村さんが何か言い残していないですか」と聞かれた。 ・葬儀は会社が仕切り必要以上に大げさな葬儀を設定し、マスコミや身内との接触を断たれ、公務死ではない一社員の葬儀に、梶山官房長官や田中眞紀子議員などが弔問に訪れた。 ・「遺書」の筆跡鑑定が夫のものではなく、使った「万年筆」も行方不明であり、遺書の最後に事務的に「以上」と記してあるのも不自然である。  以上は状況証拠だが、下記は「決定的証拠」である。 ① 8階から飛び降り「骨折」と報道されたが、救急搬送された聖路加国際病院から取り寄せた「レントゲン写真」は頭蓋骨はじめ脊髄など一切の骨折がなく、しかも、遺体は擦過傷程度であり、到底8階からの飛び降りでは説明がつかない。 ② ホテルは当日の「宿泊者名簿」を開示せず、西村がホテルに宿泊していた事実は確認されていない。(翌日の出張に手当ても出ない前日に都内のホテルに泊まることや、着替えも持たず出張はあり得ない) ③ 西村はホテルに届いた「FAX」をフロントに取りに来たというが、その「FAX」の存在が確認されず、ホテル泊の「アリバイ」作りのウソの可能性がある。 ④ 緊急搬送された聖路加国際病院では死亡認定時刻の6時50分に直腸温度(正確性の高い「死亡推定時刻」方法)を「27度」と記録し、逆算すると死亡時刻は12日22時~13日1時となり、警察発表(死体検案書)の死亡時刻5時頃(発見時刻直前)には死亡していたことになり、これは動かせない事実である。 ⑤ 「死亡時刻」の矛盾につてい、検視した監察医は深部体温(直腸)を計らず、何と「発見時刻から逆算した」と述べている。 ⑥ 更に、死体検案書の「転落したらしい」との記入を指摘されると、「警察からの伝聞」と答え、到底こんなもは「検視」などとは言えない。  以上の状況から記者も明らかに飛び降り自殺ではないと考える。  夫人はこの「DVD」の他に『週刊金曜日』や『新潮45』などでも訴えている。  僅か45歳の若さで「不信死」を遂げ、子どもを抱え夫の無念を今も追究し闘っているトシ子夫人に敬意を表し、多くに皆さんに感心を持って欲しいと思う。  尚、福島原発事故で「核燃料サイクル」は破綻したが、この事故を起こした【もんじゅ】はその後も停止したまま、今もその維持のため1日「5500万円」もの費用を無駄遣いしている。  この事件の詳細は下記のHPに詳しく出ている。 【西村裁判を応援する会】http://www.geocities.jp/shoso105/index7.html  DVD発売* * *「もんじゅ西村裁判」完成 \1.000(送料込)  郵便振替口座 00160-7-315121 通信欄 DVD希望:記入  加入者名:もんじゅ・西村裁判を応援する会 連絡先  :千代田区三崎町2-2-13-502 芹沢昇雄記者のプロフィール 【生育】1941年・東京生れ、埼玉在住 【現職】『NPO・中帰連平和記念館』理事 【影響を受けた人】「宮澤賢治、田中正造、杉原千畝、林竹二、・・・・」 【影響を受けた映画】「二十四の瞳、人間の条件、米、ひめゆりの塔・・・・」 【関心テーマ】「冤罪・教育・平和・福祉・労働」など 【趣味】「旅、山登り」 【市民記者登録】2004年 【記者のHP】http://serinobu.jimdo.com/ 「良い記事」と思った!
(福島の子供を守れ .Propaganda & Kizuna 絆とプロパガンダ) Ian Thomas Ashさん, David Zavagliaさん, Iwakami Yasumiさん, Mark Willacyさん, Alain de Halleuxさん, Birdhairjpdさん, Tom Hartmanさん, Jan Hammer氏のフイルムを使い, 3月11日,福島原発事故によって,全ての犠牲者と東北の市民のために捧げられた真実のフイルムである。

2012年11月26日月曜日

内部被曝量を公表しないエートス・プロジェクト ~福島~ http://blog.goo.ne.jp/humon007/e/6238509eddc440e547765e67d5295219 (1)「エートス・プロジェクト」の流れを汲むグループが福島で生まれた。  エートス・プロジェクトは、チェルノブイリ原発事故後の1996年4月、ベラルーシ共和国ストリン地区オルマニー村で開始された。放射能汚染地域住民の生活復興を目的とし、環境計測による実態調査、専門家と住民との間の質疑応答の場の設定など、放射能汚染地域で生活する住民が自主的に地域の生活復興や環境回復に関わっていく条件づくりに取り組んだ。  だが、同プロジェクトの中核を担ったNGOの放射線防護評価研究センター(CEPN)は、会員にフランス電力会社(EDF)、フランス原子力庁(CEA)、フランス放射線防護原子力安全安全研究所(IRSN)、アレバ社を抱え、同プロジェクトの推進者ジャック・ロシャールが現在の所長を務める。  要するに、CEPNは原発推進派の複数の団体により構成される。だから、エートス・プロジェクトは内部被曝を取り上げないし、他にも批判が多い。  (2)エートス・プロジェクトに協力したのが、ベラルーシ・ベラルド放射能安全研究所だ。  同研究所は、放射線量計の開発と普及、体内に入ったセシウムを吸着して排泄する作用を持つ(内部被曝低減を目的とする)ペクチン剤(ビタペクト)の開発を行っている。また、国内各地の学区など370ヵ所に放射能地域センターを設置し、これまで39万件以上の食品検査、45万人におよぶ子どもの内部被曝検査、130万人以上の子どもに対するビタペクト提供および服用法指導・生活指導を行ってきた。  同研究所は、民間施設で、アンドレイ・サハロフらの友人とともに1990年に創立した故ワシリー・ネステレンコ博士は、チェルノブイリ原発事故当時、ベラルーシ科学アカデミーの核エネルギー研究所長だった。  (3)ベルラド放射能安全研究所の第二代所長(2008年~)がワシリーの子アレクセイ・ネステレンコで、彼は福島市で講演するため、今年10月に初来日した。  アレクセイ第二代所長は、エートス・プロジェクトの実態を次のように語った。  (4)ワシリー初代所長が「エートス・プロジェクト」に協力したのは、1996年からだ。最初はいい関係だった。エートスは、センターが蓄積していたデータベースを利用し、センターの測定技師たちはエートス・プロジェクトのために献身的に働いた。すべては順調に見えた。  しかし、まもなくエートスは当初の計画とは異なる動きを見せ始めた。  測定のため、エートスは放射能地域センターの機械を使った。次に彼らは、ベルラド放射能安全研究所の測定機器を奪おうとした。それから、ワシリー初代所長たちが努力を重ねてつくりあげてきたものをすべて奪い取ろうとした。  エートスは、ベルラド研究所が育ててきた技師を使ったが、調査結果を研究所に教えなかった。また、研究所が担当したストリン地区の測定費用を払わず、「予算がなくなった。費用はベラルド研究所で持つように」と伝えてきた。そして、ベラルーシ国立放射能研究所に働きかけ、ベラルド研究所の仕事を巧みに奪い取っていった。  (5)ベラルド研究所とエートスは、共に「汚染されてしまった地域でいかにしてよりよく生きるか」をテーマに掲げている。両者とも、汚染地図を作成し、食品計画を行う。  しかし、エートスはベラルド研究所と違って、医療的な対策を提示しない。  放射能への対策は、環境測定による汚染地図、食品測定、人体測定、サプリメントと、すべてをやらなければ意味がない。ベラルド研究所は、ペクチン剤を推奨している。しかし、エートスはペクチン剤に言及しない。それどころか、ベラルド研究所が子どもたちにペクチン剤を配布しようとすると、エートスは、「そんなことはするな」と否定した。  (6)ワシリー初代所長が地域の放射能防護の責任者だった2000~2001年、ペクチン剤が子どもたちに配布された。内部被曝量は平均30%程度で、確実に減少していった。  エートスは、チェルノブイリ委員会に働きかけ、ワシリー初代所長を地域責任者の職からはずした。2004~2005年、子どもたちの内部被曝量の測定は行われたが、ペクチン剤は配布されず、そのまま放置された。体内のセシウムは減少しなかった。  エートスは、測定結果を公表しないで自分だけのものにした。具体的な活動はほとんどなかった。予算がなくなれば、煙のように消えていなくなった。今年9月、エートスが活動していたストリン地区に出かけたが、個人差はあるものの、体内蓄積量の平均値が12年前に逆戻りしていた。  チェルノブリ事故前のベラルーシでは、85%の子どもが健康だった。事故から13年後、ベラルーシ科学アカデミーは国内全体で健康な子どもは20%と発表し、翌2000年、ベラルーシ保健省がこの事実を正式に認めた。このとき、汚染地ゴメリ州では、健康な子どもは6%に落ち込んでいた。  (7)エートスには、具体的な活動は何もない。不安や悩み事を頷きながら聞くが、それ以上は何もしない。人々が騒がないように落ち着かせるためのものと思ったほうがよい。  当時、ストリン地区オルマニー村民の関心事は、「自分たちの村はどの程度汚染されているか」「ここに住んでいてよいのか」「子どもたちの健康は、どうなるか」だった。これに対するエートスの答は、「放射能が身近な環境にたくさんあって大丈夫、必ず解決できますよ」という内容だった。しかし、言葉でいうだけで、解決のための活動はしなかった。  大切なのは、なぐさめや励ましではなく、情報を自分で収集することだ。収集した情報をもとに、自分の人生をどうするかを自分で判断して行動することだ。自分と家族を取り巻く状況を客観的に把握(計測結果とその数値の意味)を把握できれば、移住も視野に入れて、次ぎにやるべきことが見えてくる。  (8)今年5月、ミシェル・フェルネクス・バーゼル大学医学部名誉教授が緊急来日し、国際原子力ロビーの働きに警鐘を鳴らした。  フェルネクス名誉教授は、2001年に開催されたエートス・プロジェクト主催の第1回国際会議に招かれ、エートス・プロジェクトの企みを目撃した。  CEPNらはベラルド研究所の活動に類似した計画を立て、財政的な援助を受けた。その金でヨーロッパの大学に多額の財政的援助を行い、プロジェクトを開始した。  ワシリー初代所長は、国の発表に頼らず、独自の汚染調査を行い、WBCで人体を測定し、そのデータを公表して政府に提出した。さらに、体内に入った放射能を吸着・排泄できるサプリメントを開発した。  こうした活動が世に周知されるのは、放射能の低線量被曝や内部被曝を認めない側には、都合が悪い。偉大な科学者の発表は注目される。このままでは原発産業のあり方が問われることにもなりかねない。そこで、原子力ロビー側は、わざとワシリー初代所長をこの会議に招かなかった。【フェルネクス名誉教授】  この国際会議で、子どもたちの健康状況い係る唯一の発表が地元の小児科医師によって行われたが、その後出版された報告書からは削除されていた。  (9)エートス・プロジェクトの報告書では、ベラルーシで起きている病気の蔓延は、ソ連崩壊によって生じた経済的困難などの社会的要因と、放射能を恐れるストレスによる心理的要因にある、としている。事故後数年後のいっとき、子どもたちの甲状腺癌が増えたが、それも落ち着いてきている、という。奇形児の出産、子どもたちの病気や早期の脂肪、汚染地域の人口の減少など、ベラルーシの現実については触れない。  これが国際的な公式見解となり、原子力ロビーは、エートス・プロジェクトによって各国政府に放射能汚染の重大性を無視させ、住民の健康影響について注意喚起する政策を採らないようにさせることに成功した。  エートスは、データを蓄積したが、それをベラルーシの住民のために活かさなかった。フランスは原発大国だ。自国で原発事故が起きたとき、どのようなことが起きるのかを前もって知りたかったのではないか。  (10)福島第一原発事故後、日本にエートス・プロジェクトが上陸した。ジャック・ロシャールCEPN所長は、メールで、あるいは自身が福島に赴いて指導している。  子どもが住んでも安全だの安心だのと御託を並べているけれど、うちの子の将来に何かあったらとりかえしがつかない。後悔したくない。【福島の女性】
福島第一原発作業員が実名告発!「私は高線量部隊にされるところだった」 http://news.livedoor.com/article/detail/7176152/ 林氏は現在40歳。「年をとっている分、若い世代より原発の恩恵を長く受けて育った。だから、収束作業は僕らの世代が行かないと」 東電は指導をしているというが、今も多重派遣、ピンハネが絶えない福島第一原発(1F[イチエフ])での作業。そんななか、自分の待遇を実名で訴える人物が現れた。林哲哉氏、長野県出身の40歳。彼が訴え出た内容とは? 福島第一原発で働きながら「週刊プレイボーイ」に連載を寄せるジャーナリスト・桐島瞬が直撃した。 *** 桐島 林さんは、どうして1Fで働こうと思ったのですか。 林 事故から時間がたつにつれて原発関係のニュースも少なくなっていくし、明らかにおかしいと思うような報道がたくさんあって。例えば、収束宣言がありましたが、そんなわけはないだろう、と。それで、自分の目で確かめてみようと思ったのがきっかけです。 桐島 働き始めたのは今年6月ですね。 林 ネットに作業員の求人を出していたフルマークという会社(6次下請け)を通して4月から働く予定だったんですが、先方の都合で延び延びになっていて。6月に入り、ほかを探そうかと考えていた矢先に電話が来ました。確か、火曜か水曜に電話があって「今週中に来られるか」と言われました。 桐島 急ですね! 林 仕事の内容は、汚染された道具の貸し借りの受け付けや汚染検査と言われました。すぐに住んでいた長野からいわき市へ行ったんです。6月8日でした。フルマーク(6次)の上の、RH工業(5次)の人が駅まで迎えに来てくれました。 桐島 (契約書のコピーを見て)給料に関しては書いてませんね。 林 6月10日にRH工業(5次)と雇用契約を交わしたのですが、口頭で一日1万3000円と言われました。ただ、宿代が一日1660円かかると。それに食費もかかるから、一日働いたって1万円も残りません。あと、電離検診を受けてもらうのに約1万1000円くらいかかるんですけど、それも最初の給料から引かせてもらいますと説明がありました(*)。エッと思ったけど、もう長野から来てしまっていましたからね。 *9月18日、労働安全衛生法に違反すると、林氏は労働局へ告発。まもなく電離検診代は返金された 桐島 同じ時期に集まったのは何人でしたか。 林 6人です。全国から来ていましたよ。宿代が引かれることに話が違うと怒って帰った人もいました。それに、フルマーク(6次)の担当者もおかしな人でした。 桐島 どんなところが変だったのですか。 林 宿に集まった作業員は異なる3社に採用されたのですが、話しているうちに、そのすべての担当者が同一人物だったとわかりました。おまけに私は最初、中田という人が担当だったんですが、1Fへ行く直前に「中田は帰り、担当が岩下に代わりました」と言われたんです。ところが現地へ行ってみると、岩下氏から「あの中田ですが、実は自分です」と言われて、はぁ?っていう感じでした。しかも、以前メールで、「私は募集の担当もしながら昼間は原発で作業員として働いているから、日中は電話に出られません」と言っていたにもかかわらず、どうも今回が初めての原発のようでした。 桐島 複数の会社と偽名を使って募集をかけていたんですね。それで、次に林さんが行かされたのは、RH工業(5次)の上の鈴志工業(3次)の事務所だったとか。 林 はい。6月12日に鈴志(3次)の専務から社員経歴書が配られ、これからエイブル(1次)に行って経歴書を書くから、このとおりに書いてくれと言われました。でも、この社員経歴書に書かれている福島県の三ツ谷工業は知らない会社です。3月までここで働いていたことになっていますが、私は今年の5月以前に福島に来たことがない。同僚にも聞いてみると、それぞれ1個ぐらい知らない会社がある。 桐島 経験者に仕立て上げられたわけですね。エイブル(1次)ではどんな説明がありましたか。 林 まず、「皆さんには今回、ご存じのとおり少し線量の高いところでの作業を行なってもらいます」と話がありました。「4号機建屋のそばにフランスのアレバ社の除染装置があって、その攪拌(かくはん)機を交換しなければならない。しかし地面は汚染水で汚れているので、遮蔽のために皆さんにはゴムマットを地面に敷いてもらいます」と。 桐島 作業内容は事前に聞いていましたか。 林 いや、初耳でした。そのとき「不安があるようでしたら手を挙げてください」と言われたんですけど、直接の雇用主じゃなかったので言い出せず、誰も手を挙げる人はいませんでした。その後、エイブル(1次)の担当者から「たぶん1Fでは初めてのことですが、今回、皆さんのために酸素ボンベを用意してあります」と言われたんです。でも酸素ボンベって、明らかにおかしいでしょ。 桐島 酸素ボンベを使う現場なんて聞いたことがないです。つまり線量が極めて高いから、ボンベなしだと放射性物質を吸い込んじゃって危険だと。 林 酸素ボンベを2本背中に背負った写真が示されたのですが、直に酸素を送り込むようになっている。いったいどんなところだよって思いました。しかも、後から来る人のためにゴムマットを遮蔽用に敷くってことは、どう考えても線量が高い。そんな場所での作業なら最初から言ってほしかった。私は交通費1万円くらいで長野から福島まで来られたけど、飛行機で3万円も4万円もかけて来ている人たちもいました。彼らにとっては酷です。 ■「放射能は8日たてば消えます」 林 それから2日後の6月14日、元請けの東京エネシスで線量についての説明がありました。現場でのAPD(携帯型線量計)設定値は最大で9ミリシーベルトを考えていて、APDが3回鳴ったら交代してもらう。おそらく、5~10分程度で交代してもらうことになるだろう、と。 桐島 APDは設定値の5分の1刻みでアラームが鳴りますから、9ミリで設定していたら3回鳴った時点で5.4ミリ。5分で交代したら1分当たり1ミリですね。1時間いたら、法律で決まっている年間被曝上限の50ミリシーベルトを超える。とんでもない現場ですね。 林 私もその場で計算したんですが、ほかの人たちは意味がわかってなかったんじゃないかな。1ミリだったら大丈夫じゃないかという反応でした。 桐島 元請けの東京エネシスの年間被曝上限は16ミリです。一日約5ミリなら、3日ほどで年間の被曝上限に達して原発で仕事ができなくなります。 林 そうです。説明会が終わった後、RH工業(5次)に「自分は1年契約で原発で働くと契約を交わしているのに、3日程度でいっぱいになってしまう。その後どうするんですか」と聞いてみたんです。 桐島 なんと言われました? 林 被曝した線量は8日たてばなくなるから大丈夫と言われました。累計で足していくもんじゃなくて、減っていくから増えないんだよって。 桐島 どういうことですか。 林 毎日1ミリずつ浴びるとしますよね。初日に1ミリ、2日目で2ミリ。そうして8日目になると、初日の1ミリがゼロになっているから、次に1ミリ浴びても大丈夫だと。でも、それが本当なら7ミリ以上にならないじゃないですか。明らかにおかしいですよね。 桐島 確かに放射性ヨウ素131の半減期は約8日ですが、それ以外のセシウム137などの核種は残りますからね。林さんたちを騙そうとしたんでしょうか。 林 いや、その人は本当に信じているように見えました。で、ある程度の線量を浴びたらもっと低いところへ行くから大丈夫、1年は仕事があるからと説明を受けました。だけど、年間被曝上限量を超えてしまったら、どう考えても働けない。その後の保証は何もないんです。大丈夫、大丈夫と言っているだけ。実際に、そのときの同僚で引き続き1Fで働いている人はひとりもいませんしね。 ■「お得意さんに意見はするべきじゃない」 この直後にアレバ社製除染装置のある建屋内で水漏れ事故が起こって林氏らの作業は中止となり、幸運にも線量の低い現場に回されることになった。だが、林氏は1次下請けのエイブルの現場責任者と議論したことが原因で、作業を開始したその日にクビになる。 *** 桐島 エイブル(1次)の責任者に苦情を申し立てたそうですね。 林 6月19日の初日の作業が終わって免震棟に上がるとエイブル(1次)の責任者がいたので、疑問に思ったことをその場で聞いたんです。例えば、同僚に原発で働くのが初めての20歳そこそこの地元のコらがいて、最初に内部被曝を測定したら2000カウントという高い数値だった(注・原発で働いてない人は通常1000カウント以下)。つまり、地元民というだけでそれだけ被曝している。その上、被曝の危険性なんてよく知らない彼らに線量の高い現場の作業をさせようとしている。 それでエイブル(1次)の責任者にどう思いますかと振ってみたんですね。すると彼は、「本人は了解の上で来ている。あなたがいやだったら来なくていい」と。もちろんそうなんですが、「もしあなたの子だったら1Fで作業をさせますか」と返したら、「絶対にさせない」と言われて。それでちょっとしたやりとりがあったんです。 そしたら、その日の帰りに電話があって、同僚全員、鈴志工業(3次)に来てくれと言われました。 桐島 エイブル(1次)から電話がいったのですね。 林 事務所に行くと鈴志工業(3次)の社長やTSC(4次)の人がそろっていて、「お得意さん(エイブル)に意見するべきじゃない」と言われて。最終的に、「エイブルさんから『林さんは来させるな』っていうことらしいんで、今回はこれで帰ってね」と言われました。 桐島 その場でクビですか。 林 クビとは言われませんでしたが、もうこれ以上の作業はいいですよって。口調はそんなに激しくなくて、諭すようなトーンでした。それで、22日にホールボディカウンターの検査を受けて帰りました。 ■事実確認に行ったら2時間もの恫喝! 林氏は解雇された後、いったん長野へ帰る。だが、彼の頭の中には、どうして高線量の現場で自分が働かされることになったのかを知りたいという思いが渦巻いていた。何重にも連なる下請け企業。そのどこまでが作業内容を把握していたのかを調べるため、彼は再び福島へ向かう。そこでまた理不尽な出来事に遭遇する。 *** 林 何次請けまでが高線量作業を知っていたのか。フルマーク(6次)もRH工業(5次)も知らないようだった。TSC(4次)は所在も何も知らされてない。それで、鈴志工業(3次)の社長に聞けばわかるんじゃないかと思い、鈴志の事務所に行きました。 桐島 社長には会えましたか。 林 事務所に社長がいなったので、連絡をつけてもらうと、「社長は会う必要はないと言っています」と言われた。するとすぐにRH工業(5次)の社長から自分の携帯に電話があって、「そういうことはするな」と言われました。でも、そのまま帰るつもりもなかったので、さらに上の会社に行くことにしました。鈴志(3次)の上はテイクワン(2次)ですが、ここも所在地がわからないので、さらに上のエイブル(1次)に行きました。 桐島 順々に上がっていったわけですね。 林 エイブル(1次)の事務所へ行き、テイクワン(2次)の連絡先を教えてほしいと頼んだのですが、教えてくれない。何か証拠になるものはないかと思い、「それでは自分の労働者名簿のコピーをください」と言ったら、1時間ぐらい待たされて。そしたらRH工業(5次)の社長が車で来て、鈴志(3次)の社長が会うから一緒に来いと。 桐島 手を焼いたエイブル(1次)からRH工業(5次)に連絡がいったんだ。それで慌てて迎えに来た。 林 鈴志(3次)の事務所に着くと、鈴志の社長、専務、TSC(4次)の人など6、7人に囲まれ、怒鳴られました。「あんた、なんなんだ」「いったい何がしたいんだ」「おまえは左翼か」「営業妨害がしたいのか」。約2時間、ほぼ怒鳴られっ放し。会話にはならないですね。「ですから、自分は何次請けまでが高線量だと知っていたか聞きたいんですよ」と言おうとしても話を遮られて、「『ですから』ってなんだ」って言われる(笑)。本当に会話ができなくて、あー、もうこれはダメだ、と思いました。挙句の果てに、「おまえじゃ話が通じない」と、私の実家へ電話し始めたんです。 桐島 えっ、親にですか!? 林 電話に出た母親に「おたくの息子さんが福島に来て問題を起こしているんで、説得してくれないか」と。電話が終わると鈴志の社長が「もう二度と、関わった会社へ私は訪問しませんという内容の書類を作るから、それにサインして帰れ」って言うんです。拒否したら、また親に電話ですよ。「おたくの息子さんはサインしないから、お母さん、福島まで来てサインしてください」と。 桐島 長野から来いと。 林 母は、「一応うちの息子もいい大人なんで任せてます」と答えたようです。その後、鈴志の社長らは、私のことを訴えるっていう相談を始めてました。「これ訴えられるよな」「ああ」というやりとりがありました。 *** 缶詰め状態からようやく解放され、らちが明かないと思った林氏は、知り合いに相談し、個人で加入できる労働組合の派遣ユニオンを紹介される。派遣ユニオンは東電と下請けを合わせた8社を相手に団体交渉要求を開始する。RH工業のみ団交に応じ、交渉は現在も継続中だ。同時に、林氏はそれまでのやりとりを撮影した動画をネット上に公開【https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=B121taGznWM】し、反響を呼んだ。 *** 桐島 作業員の労働環境について思うところはありますか。 林 作業員を東電が直接雇えばいいんです。もしくは国策なんだから作業員を公務員化する。それが無理なら、せめて元請けがちゃんと雇用して面倒を見てあげる。横並びになれば、多少は報われると思います。 桐島 そうすれば給料のピンハネもされないし、労働条件は守られますね。原発自体はどう考えていますか。 林 半減期まで何万年もかかるような核のゴミを処理できないのなら、原発を使うべきではない。それから、田舎で人のいない所に造って、そこにお金で縛りつけて、原発がなければ町が立ち行かなくなる状況に追い込むシステムが一番気に入らない。事故が起きたら作業員の犠牲は必ず必要になるということもはっきり実感しました。そんなシステムはやっぱり間違っていると思います。 *** 林氏から聞き取りを行なった後、取材班は事実確認をすべく東京エネシス以下7社にコンタクトを取ろうと動いた。ところが、ある会社は電話で林氏の名前が出ただけで取材拒否、別の会社は弁護士事務所を通してやはり取材拒否のFAXを送ってきた。何度も電話し留守番電話を残しているのに、いまだ話さえできていない会社もある。もし読者の中に1Fで働くことを検討している人がいたら、どうか慎重に下調べを行なってほしい。これがすべてとは言わないが、林氏が受けたようなとんでもない待遇は今後も起こり得るのだ。 (取材・文/桐島瞬)
【速報】11.26福島の子どもたちの人権侵害に対し世界(国連人権理事会)が見解を表明.動画. 年間20ミリの避難基準を非難~国連報告者. http://www.ourplanet-tv.org/?q=node%2F1470 東京電力福島第一原子力発電所事故に関連して11月26日、国連人権理事会の「健康に対する権利に関する特別報告者」のアナンド・グローバー氏が記者会見を開き、声明を発表した。   アナンド・グローバー氏は、原発事故により、日本国内の健康に関する権利が守られているかどうか調査する目的で来日。11月15日から26日の約10日、東京や福島に滞在し、政府機関や自治体関係者、NGO、市民団体などを対象に、ヒヤリングを重ねてきた。   グローバー氏はまず、日本における健康の権利状況について、事故後の安定ヨウ素が配布されなかったことや、SPEEDIの情報が公開されなかったと指摘。避難基準が年間20ミリシーベルトに設定されている現状について、放射線管理区域の設定やチャルノブイリ事故の基準、疫学的知見などの間に一貫性が見られないと厳しく非難した。    また、健康調査については、対象地域が福島県に限られているのは問題だとして、汚染地域全体で実施するよう日本政府に要請。調査の項目が限られていることや、自分の医療記録にアクセスできない状況も問題視し、包括的で、長期的な内部被曝調査やモニタリングを行うことを推奨した。   このほかにも、原発作業員のモニタリングや避難の権利、食品の基準、除染について言及。避難や健康調査、除染などのあり方を決定するプロセスに、子どもや妊婦、障がい者、高齢者など、社会的弱者を含めた被害地域の住民が参加できるようにすべきだとし、今年6月に成立した「子ども・被災者支援法」の基本方針の策定に、まず、当事者を参画させるべきだと求めた。   グローバー氏の調査結果は来年6月に最終報告書が国連人権理事会に提出される。   (国連人権理事会 特別報告者のプレス・ステートメント(全文) http://unic.or.jp/unic/press_release/2869/   プレスリリース12-058-J 2012年11月26日 達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利に関する 国連人権理事会特別報告者 アナンド・グローバー. 訪日期間:2012 年11 月15 日~26 日 プレス・ステートメント 2012 年11 月26 日 東京 記者の皆様、ご臨席の皆様 最初に、日本にお招きいただき、興味深く充実した会合や各地の訪問調査プログラムを円滑に進められるよう手配いただきました日本政府の皆様に、心より感謝申し上げます。今回の訪問中、政府関係者の方々、東京電力株式会社の役員の方々、医療・法律専門家の方々、そして地域や市民社会の代表者の方々にお会いしました。福島県および宮城県で地震、津波および原発事故の被害に見舞われた地域も訪問しましたが、訪問する先々で常に温かく丁重に迎えていただきました。また、政府高官の方々とも率直な意見を交換いたしました。特別報告者としてのミッションが円滑に進むよう、手配いただいた政府・関係省庁の方々のご尽力に感謝しております。この場をお借りいたしまして、貴重なお時間をいただき経験を伝えて下さった皆様全員に感謝申し上げます。 達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利(「健康を享受する権利」)に関する国連人権理事会特別報告者としてのミッションを説明した簡単な資料を、この会場に用意しております。端的に申しますと、私は健康を享受する権利の実現に関して国連人権理事会および国連総会に報告・勧告する独立専門家です。国連人権理事会から任命を受けましたが、国連に雇われているわけではなく、名誉職という立場で今回の任務を遂行しています。独立専門家として、私なりの結論と提言をまとめるべく、専門的判断を下します。 本日の発表は、予備的考察の一部に限らせていただきます。詳細につきましては、2013 年6 月に国連人権理事会に提示する最終報告で発表いたします。 ご臨席の皆様 今回の私のミッションは、対話と協力の精神を胸に、日本がいかに健康を享受する権利を実行しようと努めているか把握し、それを首尾よく実現させるための方策並びに立ちはだかる障害について理解することです。より具体的には、地震、津波、原発事故という三重の災害への対応に伴う課題と方策、そこから得た教訓やグットプラクティスに焦点を当てることなどを通じて、東日本大震災を経た現在の状況における、健康を享受する権利の実現に取り組んできました。 ここで本題に入る前に、まず大切なご家族を亡くされた方々に対して、心からお悔やみ申し上げます、そして地震、津波、原発事故の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。 2011 年3 月11 日、東北地方を地震、津波、そして人災による原発事故が次々と襲い、日本は未曾有の原発事故に見舞われました。死者約1 万8000 人、負傷者は数千人に達した この非常事態に対して、積極的にリーダーシップを発揮した日本政府に敬意を表したいと思います。 また、政府による東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会および国会による東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(NAIIC)がまとめた報告書などの様々な報告書にも留意しています。この件について活発な議論を歓迎します。 原子力発電所で事故が発生した場合の災害管理計画について近隣住民が把握していなかったのは残念なことです。実際、福島県双葉町の住民の方々は、1991 年に締結された安全協定により、東京電力の原子力発電所は安全であり、原発事故が発生するはずなどないと信じてきたのです。 独立した立場からの原子力発電所の調査、モニタリングの実施を目指し、原子力規制委員会を設立した日本政府は賞賛に値します。これにより、従来の規制枠組みに見られた「断層」、すなわち、原子力発電所の独立性と効果的なモニタリング体制の欠如ならびに、規制当局の透明性と説明責任の欠如への対応を図ることが可能になります。こうしたプロセスは強く望まれるものであり、国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の報告でも提言されています。従って、原子力規制委員会の委員長や委員は、独立性を保つだけでなく、独立性を保っていると見られることも重要です。この点については、現委員の利害の対立を開示するという方策が定着しています。日本政府に対して、こうした手順を出来るだけ早急に導入することを要請いたします。それにより、精査プロセスの独立性に関する信頼性を構築しやすくなるでしょう。 皆様、 原発事故の直後には、放射性ヨウ素の取り込みを防止して甲状腺ガンのリスクを低減するために、被ばくした近隣住民の方々に安定ヨウ素剤を配布するというのが常套手段です。私は、日本政府が被害にあわれた住民の方々に安定ヨウ素剤に関する指示を出さず、配布もしなかったことを残念に思います。にもかかわらず、一部の市町村は独自にケースバイケースで安定ヨウ素剤を配布しました。 災害、なかでも原発事故のような人災が発生した場合、政府の信頼性が問われます。従って、政府が正確な情報を提供して、住民を汚染地域から避難させることが極めて重要です。しかし、残念ながらSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射線量の情報および放射性プルームの動きが直ちに公表されることはありませんでした。さらに避難対象区域は、実際の放射線量ではなく、災害現場からの距離および放射性プルームの到達範囲に基づいて設定されました。従って、当初の避難区域はホットスポットを無視したものでした。これに加えて、日本政府は、避難区域の指定に年間20 mSv という基準値を使用しました。これは、年間20 mSv までの実効線量は安全であるという形で伝えられました。また、学校で配布された副読本などの様々な政府刊行物において、年間100 mSv 以下の放射線被ばくが、がんに直接的につながるリスクであることを示す明確な証拠はない、と発表することで状況はさらに悪化したのです。 年間20 mSv という基準値は、1972 年に定められた原子力業界安全規制の数字と大きな差があります。原子力発電所の作業従事者の被ばく限度(管理区域内)は年間20 mSv(年間50 mSv/年を超えてはならない)、5 年間で累計100mSv、と法律に定められています。3 ヶ月間で放射線量が1.3 mSv に達する管理区域への一般市民の立ち入りは禁じられており、作業員は当該地域での飲食、睡眠も禁止されています。また、被ばく線量が年間2mSv を超える管理区域への妊婦の立ち入りも禁じられています。 ここで思い出していただきたいのは、チェルノブイリ事故の際、強制移住の基準値は、土壌汚染レベルとは別に、年間5 mSv 以上であったという点です。また、多くの疫学研究において、年間100 mSv を下回る低線量放射線でもガンその他の疾患が発生する可能性がある、という指摘がなされています。研究によれば、疾患の発症に下限となる放射線基準値はないのです。 残念ながら、政府が定めた現行の限界値と、国内の業界安全規制で定められた限界値、チェルノブイリ事故時に用いられた放射線量の限界値、そして、疫学研究の知見との間には一貫性がありません。これが多くの地元住民の間に混乱を招き、政府発表のデータや方針に対する疑念が高まることにつながっているのです。これに輪をかけて、放射線モニタリングステーションが、監視区域に近接する区域の様々な放射線量レベルを反映していないという事実が挙げられます。その結果、地元住民の方々は、近隣地域の放射線量のモニタリングを自ら行なっているのです。訪問中、私はそうした差異を示す多くのデータを見せてもらいました。こうした状況において、私は日本政府に対して、住民が測定したものも含め、全ての有効な独立データを取り入れ、公にすることを要請いたします。 健康を享受する権利に照らして、日本政府は、全体的かつ包括的なスクリーニングを通じて、放射線汚染区域における、放射線による健康への影響をモニタリングし、適切な処置をとるべきです。この点に関しては、日本政府はすでに健康管理調査を実施しています。これはよいのですが、同調査の対象は、福島県民および災害発生時に福島県を訪れていた人々に限られています。そこで私は、日本政府に対して、健康調査を放射線汚染区域全体において実施することを要請いたします。これに関連して、福島県の健康管理調査の質問回答率は、わずか23%あまりと、大変低い数値でした。また、健康管理調査は、子どもを対象とした甲状腺検査、全体的な健康診査、メンタル面や生活習慣に関する調査、妊産婦に関する調査に限られています。残念ながら、調査範囲が狭いのです。これは、チェルノブイリ事故から限られた教訓しか活用しておらず、また、低線量放射線地域、例えば、年間100 mSv を下回る地域でさえも、ガンその他の疾患の可能性があることを指摘する疫学研究を無視しているためです。健康を享受する権利の枠組みに従い、日本政府に対して、慎重に慎重を重ねた対応をとること、また、包括的な調査を実施し、長時間かけて内部被ばくの調査とモニタリングを行うよう推奨いたします。 自分の子どもが甲状腺検査を受け、基準値を下回る程度の大きさの嚢胞(のうほう)や結節の疑いがある、という診断を受けた住民からの報告に、私は懸念を抱いています。検査後、ご両親は二次検査を受けることもできず、要求しても診断書も受け取れませんでした。事実上、自分たちの医療記録にアクセスする権利を否定されたのです。残念なことに、これらの文書を入手するために煩雑な情報開示請求の手続きが必要なのです。 政府は、原子力発電所作業員の放射線による影響のモニタリングについても、特に注意を払う必要があります。一部の作業員は、極めて高濃度の放射線に被ばくしました。何重もの下請け会社を介在して、大量の派遣作業員を雇用しているということを知り、心が痛みました。その多くが短期雇用で、雇用契約終了後に長期的な健康モニタリングが行われることはありません。日本政府に対して、この点に目を背けることなく、放射線に被ばくした作業員全員に対してモニタリングや治療を施すよう要請いたします。 報道関係者の皆様、 日本政府は、避難者の方々に対して、一時避難施設あるいは補助金支給住宅施設を用意しています。これはよいのですが、 住民の方々によれば、緊急避難センターは、障がい者向けにバリアフリー環境が整っておらず、また、女性や小さな子どもが利用することに配慮したものでもありませんでした。悲しいことに、原発事故発生後に住民の方々が避難した際、家族が別々にならなければならず、夫と母子、およびお年寄りが離れ離れになってしまう事態につながりました。これが、互いの不調和、不和を招き、離婚に至るケースすらありました。苦しみや、精神面での不安につながったのです。日本政府は、これらの重要な課題を早急に解決しなければなりません。 食品の放射線汚染は、長期的な問題です。日本政府が食品安全基準値を1kgあたり500 Bq から100 Bq に引き下げたことは称賛に値します。しかし、各5県ではこれよりも低い水準値を設定しています。さらに、住民はこの基準の導入について不安を募らせています。日本政府は、早急に食品安全の施行を強化すべきです。 また、日本政府は、土壌汚染への対応を進めています。長期的目標として汚染レベルが年間20 mSv 未満の地域の放射線レベルは1mSv まで引き下げる、また、年間20~50 mSv の地域については、2013 年末までに年間20 mSv 未満に引き下げる、という具体的政策目標を掲げています。ただ、ここでも残念なのは、現在の放射線レベルが年間20 mSv 未満の地域で年間1mSv まで引き下げるという目標について、具体的なスケジュールが決まっていないという点です。更に、他の地域については、汚染除去レベル目標は、年間1 mSv を大きく上回る数値に設定されています。住民は、安全で健康的な環境で暮らす権利があります。従って、日本政府に対して、他の地域について放射線レベルを年間1mSv に引き下げる、明確なスケジュール、指標、ベンチマークを定めた汚染除去活動計画を導入することを要請いたします。汚染除去の実施に際しては、専用の作業員を雇用し、作業員の手で実施される予定であることを知り、結構なことであると思いました。しかし、一部の汚染除去作業が、住人自身の手で、しかも適切な設備や放射線被ばくに伴う悪影響に関する情報も無く行われているのは残念なことです。 また、日本政府は、全ての避難者に対して、経済的支援や補助金を継続または復活させ、避難するのか、それとも自宅に戻るのか、どちらを希望するか、避難者が自分の意志で判断できるようにするべきです。これは、日本政府の計画に対する避難者の信頼構築にもつながります。 訪問中、多くの人々が、東京電力は、原発事故の責任に対する説明義務を果たしていないことへの懸念を示しました。日本政府が東京電力株式の大多数を所有していること、これは突き詰めれば、納税者がつけを払わされる可能性があるということでもあります。健康を享受する権利の枠組みにおいては、訴訟にもつながる誤った行為に関わる責任者の説明責任を定めています。従って、日本政府は、東京電力も説明責任があることを明確にし、納税者が最終的な責任を負わされることのないようにしなければなりません。 訪問中、被害にあわれた住民の方々、特に、障がい者、若い母親、妊婦、子ども、お年寄りなどの方々から、自分たちに影響がおよぶ決定に対して発言権がない、という言葉を耳にしました。健康を享受する権利の枠組みにおいては、地域に影響がおよぶ決定に際して、そうした影響がおよぶすべての地域が決定プロセスに参加するよう、国に求めています。つまり、今回被害にあわれた人々は、意思決定プロセス、さらには実行、モニタリング、説明責任プロセスにも参加する必要があるということです。こうした参加を通じて、決定事項が全体に伝わるだけではなく、被害にあった地域の政府に対する信頼強化にもつながるのです。これは、効率的に災害からの復興を成し遂げるためにも必要であると思われます。 日本政府に対して、被害に合われた人々、特に社会的弱者を、すべての意思決定プロセスに十分に参加してもらうよう要請いたします。こうしたプロセスには、健康管理調査の策定、避難所の設計、汚染除去の実施等に関する参加などが挙げられるでしょう。 この点について、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」が2012 年6 月に制定されたことを歓迎します。この法律は、原子力事故により影響を受けた人々の支援およびケアに関する枠組みを定めたものです。同法はまだ施行されておらず、私は日本政府に対して、同法を早急に施行する方策を講じることを要請いたします。これは日本政府にとって、社会低弱者を含む、被害を受けた地域が十分に参加する形で基本方針や関連規制の枠組みを定める、よい機会になるでしょう。 ご清聴ありがとうございました。 * *** *

2012年11月25日日曜日

原発のない世界を願う 『100人の母たち』からのメッセージ. http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-12061 「子どもを守りたい」「いのちを守りたい」という人々の思いが世界に広がっていきますように。 ★原発のない世界を願う『100人の母たち』から抜粋 息子へ 原発が爆発したあの日、世界は変わってしまった。 お父さんとお母さんは、 まだ1歳になったばっかりのあなたを ビニールに包んで東京を飛び出した。 あなたは昆布をしゃぶりながら笑っていたね。 まだ、何が起こったのかを知るには、ちいさすぎたものね。 ブログTOP 2012/11/25 原発のない世界を願う 『100人の母たち』からのメッセージ 「子どもを守りたい」「いのちを守りたい」という人々の思いが世界に広がっていきますように。 ★原発のない世界を願う『100人の母たち』から抜粋 息子へ 原発が爆発したあの日、世界は変わってしまった。 お父さんとお母さんは、 まだ1歳になったばっかりのあなたを ビニールに包んで東京を飛び出した。 あなたは昆布をしゃぶりながら笑っていたね。 まだ、何が起こったのかを知るには、ちいさすぎたものね。 あの日から一年が経ち、 あなたは元気に2歳の誕生日を迎えました。 そうか、 あなたは原発が爆発した後の 日本しか知らずに生きて行くのよね。 外で遊ぶ時間が限られてる場所があるのは、 当たり前の世界なんかじゃないんだよ。 放射能が入っていない食べ物を選んで食べるのだって 当たり前じゃない。 差別があるのも、争いが起こるのも、 当たり前なんかじゃない。 お母さんは、お母さんが今まで生きて来た世界が 当たり前だと思って暮らしていました。 原発は嫌いだったけど、 原発で作った電気で毎日当たり前に暮らしていた。 原発は嫌いだったけど、 声に出して伝えた事はなかった。 どこかで当たり前だと思ってた。 仕方ないと思ってた。 ごめんね ごめんね。 あなたの大好きな石ころにも あやまらなくちゃいけないね。 あなたの大好きな砂にも泥にも 亀にも魚にもアメンボにも... ごめんなさい ごめんなさい。 これから、あなたが歩んで行く世界で 、 おかしいなって思う事がたくさんあると思う。 そのときは、どうして?って言っていいのよ 納得行くまで聞いていい。 考えていい。 立ち止まっていい。 だってさ、大好きなヨーグルト、牛乳、キノコ、 山盛り食べたいよね。 「あまい、つめたい、美味しい」ソフトクリームも 本当は食べたいよね。 どうして?って怒っていいよ。 もっと怒っていい。 いっぱい怒っていい。 大人にだって怒っていいんだよ。 イヤなことがあったら「いや」って言い続けていい。 理由なんていらないよ。 いやなモノはいやだって言ったらいい。 自分で考えて、自分で決めて、 あなたの道を歩んで下さい。 当たり前なんてないんだから 自分でつくって行くんだから。 お母さんはすべてをかけてあなたの命を守ります。 あなたが、あなたの足で歩んで行けるように。 だから変わってしまった世界を、 ぼちぼちと歩いて行こうか。 そしてその先の世界には原発はいらない。 原発はいりません。
(橋下徹の政治と人間蔑視) http://m-hyodo.com/election-5/#more-214 1 『モーニングバード』の軽さ 千葉の、国民の生活が第一立候補者の記者会見を見た。 千葉県は、もともと自由党時代から小沢と縁の強かったところとわかった。単身三宅雪子が乗り込むのではなさそうだ。 多くの仲間がいて、「生活」党からの立候補者も多い。海外メディアも注目するなかで、千葉県が「生活」党発信の中心となりそうだ。 今朝の『モーニングバード』で、例によって小さく三宅雪子の千葉での立候補を取り上げていた。 そのコメントはひどかった。 司会者もコメンテーターも不勉強で、結果的に嘘を垂れ流す。 今朝も「維新・みんな」以外を第4極に括って、もっとも考え方が違う政治家たちの野合のように解説していた。 国民連合を知らないのである。第1極に対抗するのが国民連合である。国民の生活が第一、社民党、新党大地・真民主、減税日本、新党日本、改革無所属などで構成。 次期衆院選で、消費税増税廃止・凍結、脱原発、TPP反対を共同公約と掲げる選挙協定まで結んでいる。 衆議院は地元に密着した人を選ぶべき、とコメンテーターの飯田泰之が口走ったのに呆れた。 このバカは、地元から出る自民党の60%が、既得権益にあぐらをかく世襲議員だとも知らないのだ。 地元から出ろといわれたら、新人に可能性のない土地など日本の殆どである。 マスメディアの石原慎太郎礼賛、反中国の姿勢が酷い。『モーニングバード』など、番組冒頭に「慎太郎万歳」と叫び、終わりに「打倒中国」と叫んで、早く幕を降ろしたらいいのだ。 2 橋下徹の政治と人間蔑視 『zakzak』の11月22日付けが「前原大臣に橋下流の求愛…維新“女性刺客”擁立せず」と題して次のように報じている。これほど橋下徹なる男のいかがわしさ、胡散臭さを物語るものはない。 「21日、大阪市で行われた日本維新の会の第3次公認候補発表。 (中略) 日本維新は府内全選挙区での候補擁立方針を掲げていたが、2区については「(橋下徹代表代行の)政治判断があった」(維新幹部)として擁立を見送る方向に。5区についても空白区となる可能性が高まった。 (中略) 日本維新の関係者によると、国家戦略相の前原誠司氏(50)らと対決することになる2区については、太陽の党推薦の女性新人をあてる方針だったが、「橋下徹代表代行の政治判断があった」(日本維新幹部)として擁立を見送る方向に。 (中略) 自民党前総裁の谷垣禎一氏(67)らが立候補する5区では、公認内定者もおらず、候補者擁立を見送ることが濃厚となった」 (引用終わり) わたしは一貫して第3極などというものはない、と発言してきた。 平成の野合トリオ、慎太郎・橋下・渡辺は、第1極である。対米隷属、国民よりも、1%の富裕層に仕えるのが本質の第1極である。 それを橋下によって証明された形になった。民主党の前原、自民党の谷垣の選挙区には候補者をたてないというのだ。あきらかに仲間の共倒れを防止するためである。 こういう橋下徹の手法を、血脈から問題にする人は多い。これまでの世間を騒がせた橋下批判は、殆どかれの出自と絡む切り口だ。 しかしそれはあまり有効ではないように思われる。逆に、逆差別の反撃に遭うだけだ。問題にすべきは出自ではなく、やはり橋下の政治思想である。橋下の「維新八策」には夥しい未来の〈血〉が塗り込められている。 私たちは、未来から現在を見て、橋下の政治と人間蔑視を否定する必要があるのである。 さらに、『J-CASTニュース』(11月22日付け)が、「維新の山田宏前区長が突然「国替え」 石原伸晃氏への「刺客」回避した?」と題して次のように報じた。 「日本維新の会が目玉候補のひとりと位置づける山田宏前杉並区長(54)が「国替え出馬」することになり、その理由について憶測が広がっている。山田氏は衆院議員時代から杉並区(東京8区)が地盤で、その後も3期11年にわたって区長を務めたことから、知名度は抜群のはずだ。 ところが、2012年12月16日の衆院選で出馬することになったのは東京19区(国立市・国分寺市・小平市・西東京市)から。前回09年衆院選で8区から当選したのは自民党の石原伸晃前幹事長(55)で、伸晃氏とバッティングするのを避けたとの見方が出ている。 (中略) 同日、山田氏はブログで 「私は、長年お世話になりました杉並区でと希望しておりましたが、党本部からの要請で東京第19区となり、特に杉並区民の皆様には本当に申し訳なく思っております」 とつづり、11月19日に都庁で開いた会見でも、 「中学や高校は国立で故郷」と話しながらも、「本来は杉並から出たかった」とこぼした。国替えは、維新の方針だったことが分かる。では、その理由はどこにあるのか。09年の衆院選で東京8区から当選した石原伸晃氏をめぐる、2つの説が指摘されている。 ひとつが、「親ばか」説。伸晃氏の父親は維新の会代表の石原慎太郎氏。維新の会が、「親ばか」として知られる慎太郎氏に配慮して、伸晃氏に「刺客」を送るのを避けたとの見方だ」 (引用終わり) ここで紹介されているもうひとつの理由とは、出ても勝てそうにないから、山田を鞍替えしたというものだ。 しかしこれは山田の悔しさを見ても的外れだ。山田には十分に勝算はあったのである。 橋下徹への人間不信が広がっている。それは大きく括って3点ある。 (1)「維新八策」の本質は、対米隷属、官僚隷属、弱肉強食の新自由主義、小泉・竹中政治の復活であること。 (2)日本維新の会に入党する政治家たちが、当選がおぼつかない、既成政党の三流政治家たちで、日本維新の会が選挙互助会として見られてきたこと。 (3)橋下徹の、政策をくるくると変える、無節操な野合を繰り返す、私利私欲の政治姿勢が明確になってきたこと。 まことに「維新八策」は、米国と財務省を喜ばせる政策のオンパレードである。 もし実現されると、日本は市場原理主義に席巻され、またぞろ日本各地に年越し派遣村ができるだろう。
(三宅雪子のシロアリ退治) http://m-hyodo.com/election-3/ 1 ふたつの希望 現在、日本にはふたつの希望がある。 ひとつは小沢一郎の政治謀略裁判の、無罪判決が確定しそうなことである。 3人の指定弁護士は、どうやら小沢裁判の上告を断念するらしい。 19日の協議で最終決定するということである。だから明日(月)には小沢は晴れて無罪になっている可能性が高い。 もともと秘書を含めて、小沢裁判は、政権交代に危機感を深めた既得権益支配層が仕掛けた政治謀略裁判である。 村本道夫、大室俊三、山本健一の3人の指定弁護士には、その根本の認識と、自分が検察官役であるという認識が、最後までなかったことを、厳しく指摘しておく。 ふたつ目の希望は、日本国民の不幸の元凶である野田退治に、国民の生活が第一(以下、「生活」党と略称)の、三宅雪子が乗り出したことである。 ところで小沢も三宅も民主党の離党者である。ふたりが離党した、シロアリが巣くう民主党から、先に見ておこう。 さて、鳩山が辞任したとき、菅・野田ら、無能で未熟な民主党の議員たちが総括したのは、米国と官僚に隷属して、うまくやろうということだった。つまり鳩山辞任を最低の鞍部で総括したのである。 これは、換言すれば本家の自民党型の政治をやろうということである。この舵の切り方には、民主党の無能と未熟さが透けて見える。 民主党には、不勉強で、相当な素人が集まっている。これはこの国の行く末を案じていうのだが、かれらは職業を変えた方がいいように思われる。 それはこの先、何年政治家をやっても成長が見込めない、根本的な人間としての欠陥を、かれらに見るからだ。 ブログランキング・にほんブログ村へ かれらの舵の切り方は極端だった。米国と官僚、自民党の指示のままに、国民に約束した、消費税増税をやらないというマニフェストを反故にして、消費税増税を「命を賭けて」やったのである。 今回の解散も、3党合意の産物のように思われる。自・公が知らなかったフリをしているが、野田との談合を批判されたくないからだ。解散まで3党で決めたといわれたくないのである。 野田は暗愚である。だから周りにバカにされる。それは嫌だから嘘を吐いてバカにされないようにしてきた。 野田が口を開けば嘘が出てくる。しかしバカの嘘であるから、すぐに露見する。それを野田の担任は、通知簿に「正直の上にバカがつく」と揶揄した。 バカの野田はそれを褒め言葉と勘違いした。国会の党首討論で、自分が嘘吐きでないことの証明とした。 嘘吐きだが、その嘘がすぐにバレる、バカな野田は、最後まで自民党野田派として振る舞った。そして民主党を、自・公に売り飛ばしたのである。 そのため、民主党の最後は、自民党野田派に乗っ取られ、自民党に指示されたものになった。 野田のような、自分の政党を潰して、その功績で選挙後に自民党に拾ってもらう前代未聞のバカ総理は、二度と現れないだろう。 野田は、次は日本をTPPで売り飛ばすつもりだ。 そのバカ総理に、民主党議員たちは両議員総会では拍手し、国会では万歳三唱をしていた。哀れというか…。わたしが政治家からの転職をかれらに勧めるのは、かれらのように大勢順応の事なかれ主義の政治家は、ただの数あわせの存在にすぎないからである。いくら長くやっても、国民にとっては意味ある存在ではないのだ。 その哀れな民主党の良質な部分は、ほとんど「生活」党に離党した。マニフェストの「「生活」党」の原点はこの離党者のなかにまだ息づいている。 だから宗主国の米国、官僚、財界、「記者クラブ」メディアといった既得権益支配層は、この「生活」党を恐れ、「生活」隠し、「国民連合」隠し、「小沢」隠しを続けるのである。 たまに「生活」党を露出させるときは、平成の野合トリオ、慎太郎・橋下・渡辺を盛り上げるためだ。 この国のマスメディアはそういう存在なのだ。この国のマスメディアが国民のために、あるいは正義のために、既得権益支配層と闘ったことなど一度もない。 現在も、消費税増税には賛成しておきながら、新聞には増税するな、と主張する始末である。メディアとしての矜恃もなければ社会人としてのモラルもない。 そのマスメディアは、選挙後は自民党の安倍政権という既定路線で走っている。 このおぞましい状況裏で、もっとも大切なのは、第3極などというでっち上げにだまされない、ということだ。 第3極とはいったい誰が作ったキーワードであろう。 非常に悪質なキーワードだ。まったくのでっち上げであり、政策で見ても、勢力(日本維新の会とみんなの党、太陽の党を合計してもわずか10議席だ)から見ても、そもそも第3極なんてないのだから。 平成の野合トリオ、慎太郎・橋下・渡辺は、第1極である。東京と大阪を行ったり来たりしながら、御用メディアの話題を引っ張っているだけだ。最後は必ず適当にやって野合する。 政策、アジェンダが笑わせる。対米隷属がかれらの共通点であり、国民よりも1%の富裕層に仕えるのが、かれらの本質である。 政策だ(日本維新の会)、アジェンダだ(みんなの党)、といったところほど、米国の国益にそったTPP賛成の政策を掲げており、日本国民のための政策などないのである。 橋下がTPPを後生大事にし、野田がTPPを選挙の争点にすると言い出したのも、この者たちの米国隷属を物語るものである。 その証拠に、太陽の党は早々とTPP賛成にまわり、解党して維新と合流したではないか。 平沼は、いったいどうしたのだろう。TPPは、郵政民営化以上の売国政策である。選挙後に政界再編成があるにせよ、こういう権謀は平沼らしくない。これでは平沼はただのマキャベリストになってしまった、といわれても仕方あるまい。 慎太郎・平沼は錯覚している。そんなに橋下徹の力はない。若き日の慎太郎の方が遙かに大きい。しかし慎太郎、平沼らは、野合することで、これまでの政治的な歴史をすべて捨て去ってしまった。まったくの失敗である。「原発も消費税もささいなこと」でない。さらにTPPも反対から賛成に回れるような「ささいなこと」では決してないのだ。 日本維新の会の松野頼久が、今度の選挙は「『既成政党対第三極』という構図の選挙戦だ」と語っている。マスメディアがさかんに第3極騒ぎをもり立てる動機はこれである。 既得権益支配層の考えは、日本維新の会に勝たせ、「生活」党の票を消すことである。小沢が勝ったら、消費税増税も原発もTPPも推進できなくなるからだ。 2 三宅雪子のシロアリ退治 「生活」党の衆議院議員三宅雪子が、野田退治のために、現在の群馬4区から千葉4区へ鞍替えする。 そのことを三宅は11月16日のツイートで明らかにした。 「国民の命と暮らしを守るため、それらを脅かしている一番の責任者である野田総理と千葉4区で闘う決心を致しました。お支え頂いた群馬4区の皆様、心からお詫び申し上げます。消費増税廃止、原発ゼロへ、TPP参加反対の政策とともに、福祉と社会保障の充実を軸に命懸けで頑張ります」
(断ち切られた人生.チェルノブイリのリクビダートル達.) http://midori1kwh.de/2012/04/29/1793 「チェルノブイリは警告する(Tschernobyl mahnt)」というウエブサイトがある。そこには1986年から2000年に至るチェルノブイリ原発の事故とその経過について、ドイツのグリーンピースがまとめた「スキャンダルの年代記」と題した記録が掲載されている。その記録の最初の部分には次のように書かれている。「1986年4月26日午前1時23分(モスクワ時間)、チェルノブイリ原発で爆発事故発生、27日原発に隣接するプリピャチ市封鎖、当局は住民を3日間仮設テントに収容すると通知、原子炉の消火活動が続く。28日、スエーデン、ノルウェー、フィンランドで高度の放射能検出。ソ連当局は原子炉の事故を否認。4月28日21時、タス通信がチェルノブイリ原子力発電所で深刻な核の事故が起きたという最初の公的な発表をした。事故発生から40時間以上も経ったあとでの発表であった」と。 上記の「スキャンダルの年代記」を見ると、4月28日、「風の関係から大気中に放出された放射能がドイツ連邦共和国に流れてくるとは考えられない」とリーゼンフーバー連邦研究・技術相、さらに、「危険なのは原子炉周辺の30キロから50キロ範囲のみであるため、ドイツ連邦共和国には危険は及ばない」とツィンマーマン連邦内務相が述べている。ドイツの公的機関が原子炉事故の影響に対する初めての警告を発したのは5月3日のことであった。事故の影響を受けて、ドイツではバイエルン州で最も高い線量が計測された。26年を経た現時点でもバイエルン州の一部地区では狩猟やきのこの採取が制限されている。「1986年5月21日、プリピャチ市は完全に避難対象区域となった。1986年の避難は原子炉から30キロ範囲の住民が対象であったが、1989年の第二次避難では15キュリー(1キュリーは3.7×1010ベクレル、すなわち37ギガベクレル)以上の汚染が確認された地域から10万人を超える住民が移住を余儀なくされた」と年代記は記述している。 この事故から25年後の2011年、「失われた場所 - 断ち切られた人生 (Verlorene Orte - Gebrochene Biografien)」という写真集が、ドルトムントにある「国際教育・交流センター(Internationales Bildungs- und Begegnungswerk)」より出版された。2003年以降、16回にわたってベラルーシとウクライナを訪ねた写真家リュディガー・ルブリヒト(Rüdiger Lubricht)が、ゴーストタウンと化したプリピャチ、立ち入り禁止地帯となったウクライナやベラルーシの無人の村落を「失われた場所」として写真に収めている。この写真集の後半にはチェルノブイリ原子力発電所事故の直後、事故処理作業に従事したいわゆるリクビダートル31名のポートレートと証言が掲載されている。チェルノブイリの事故処理に動員されたことで、人生が「それ以前」と「それ以後」に分断されてしまった人たちだ。 この写真集の中にある「リクビダートル - 忘れられたヨーロッパの救済者」と題したテキストの抄訳を以下に記しておく。 1986年から89年にかけて、60万から80万の人たちがチェルノブイリに動員された。そのうちの約30万人が事故直後から2年間、同地で活動した。正確な数はわからない。1990年から91年、ソ連政府がチェルノブイリの長期にわたる影響を認めざるを得なくなった段階で、ようやくリクビダートルの統一的な登録作業が始められた。しかしこの時点では動員についての記録は不完全かつ欠陥の多いものとならざるを得なくなった。(・・・中略)リクビダートルとして知られているのは、爆発した原子炉の消火、原子炉を覆う「石棺」の建設、30キロの立ち入り禁止地区から住民の避難に立ち会った人たちのことであり、今ではYouTubeで彼らの活動を撮影したフィルムを見ることができる。(・・・中略)しかしその他の多岐にわたる作業に動員されたリクビダートルも、危険な放射能汚染にさらされた。たとえば周辺地域の除染、地面の開削、住居や車両の洗浄、道路舗装などである。技術者、技師、建設作業員、科学者、パイロット、医療従事者をはじめ、運転手、料理人、クリーニング業者、店員などありとあらゆる職種の人たちがチェルノブイリに送りこまれたのである。半分以上が軍隊に所属、あるいは予備役から召集され、アフガニスタンでの軍事活動からすぐにチェルノブイリに送られた者も少なくない。彼らの背景がいかに多様であるにせよ、チェルノブイリが彼らの人生を決定的に断ち切ったことは共通している。チェルノブイリ以後の人生はすっかり変わってしまったのだ。 現在、リクビダートルの存在はほとんど忘れられている。彼らには、無料の治療、住居の入居権、追加休暇、早期の年金支給といった法的な補償が約束されているとはいえ、ソ連解体後の経済情勢の変化の中で、彼らは自分たちの権利を戦い取らなければならない状況にある。特に困難なのが、彼らの病状がチェルノブイリでの動員によるものだという認定を勝ち取ることだ。この点については、国際原子力機関(IAEA)よりも、該当する諸国の対応のほうが進んでいる。例えば、ウクライナでは2005年、チェルノブイリでの作業で主たる扶養者を失った1万7000を超える遺族が遺族年金を受けるようになった。これに対してIAEAはチェルノブイリによる明らかな死亡事故として31件しか認めていない。これは1986年4月26日、原子炉火災の消火活動によって急性放射線障害で死亡した消防員たちである。 この写真集は「チェルノブイリの大惨事の渦中に一人一人の人間がいることを示した」と評価されている。心に刻むことを通して過去から学び、そこから未来を築くことが、この写真集を発刊した「国際教育・交流センター」の設立趣旨だという。「今後、人類は数世代にわたって放射能汚染という困難な遺産を背負って生きなければならない。我々の子孫の人生基盤を破壊しない社会と経済のモデルを作り上げるように、チェルノブイリは我々に警告を発しているのだ。そのために必要なのは、記憶の文化である」と「国際教育・交流センター」の事務局長は序言で述べている。 日本政府は去年の暮れ、原子炉が「冷温停止状態」にあり、事故は「収束した」と発表した。しかし、福島の原子力発電所では今なお多くの人たちが作業に当たっている。その人数はどれくらいにのぼるのだろうか。その人たちにはどのような背景があるのだろうか。また、彼らには今後どのような人生が待ち受けているのだろうか。チェルノブイリの最も危険な場所で困難な作業に従事したリクビダートルの多くが、今も甲状腺癌、白血病、循環器系などの病気と闘い、苦しい生活を強いられている。チェルノブイリ事故から26年、写真集「失われた場所 - 断ち切られた人生」を見ながら、福島原子力発電所およびその周辺で働いている人たちのことを考えずにはいられない。
(小沢の無罪確定と三宅の出陣) 投稿日:2012年11月21日 http://m-hyodo.com/political-situation-10/ 1 小沢の無罪確定 小沢一郎の無罪が確定した。 わたしがツイッターで、そしてメルマガですでに断言したように、検察官役の指定弁護士(村本道夫、大室俊三、山本健一)は上告しなかった。 これは政治謀略裁判であり、小沢がすでに政権与党を離党し、小沢首相を阻止する危機感と必要性が、既得権益支配層のなかで薄れたことが大きい。 民主党の岡田、菅、野田、江田。自民党の麻生。法務官僚。小沢バッシングを加え続けた「記者クラブ」メディア。何度でもいうが、かれらは謝罪すべきだ。小沢個人に対してもだが、日本国民にもわびるべきだ。 首相になった筈の無実の政治家を、裁判で縛り、民主党政権を、鳩山、菅、野田に渡すことで、今日の政治の惨状を作ったのだから。 しかもこの惨状は自民党に引き渡され、今度は、民・自・公に「みん・石原維新」が野合する。対米隷属で既得権益支配層に仕える消費税増税、原発推進、TPP参加の野合勢力が出来る可能性が生まれている。 関係者はすべて歴史で裁かれることになろう。 『NHKニュース』は、11月19日に、「小沢一郎代表 無罪が確定」と題して、次のように報道した。 「国民の生活が第一の小沢一郎代表が強制的に起訴され、1審と2審で無罪が言い渡された裁判で、検察官役の指定弁護士は、「上告の理由を見いだすことは難しい」として上告しない手続きを取り、小沢代表の無罪が確定しました。 国民の生活が第一の小沢一郎代表(70)は、平成16年と17年分の資金管理団体の収支報告書にうその記載をしたとして強制的に起訴されましたが、1審の東京地方裁判所はことし4月に無罪を言い渡し、検察官役の指定弁護士が控訴しました。 今月12日の2審の判決で、東京高等裁判所の小川正持裁判長は、「小沢代表は秘書から細かな説明を受けず、収支報告書の記載が正しいと考えていた可能性がある」と指摘し、1審に続いて無罪を言い渡していました。 判決を受けて、指定弁護士は最高裁判所に上告するかどうかを検討していましたが、19日昼前、上告しない手続きを取りました。 この結果、小沢代表の無罪が確定しました。 会見で指定弁護士は、「可能なかぎり慎重に検討したが、上告の理由を見いだすことは難しいと判断した。『被告』という立場を長引かせないため、上告しない手続きを直ちにとった。 強制起訴の裁判で判決が確定するのは初めてだが、自分たちの裁判での活動が十分だったのかなどは今後、検証が必要だと思う」と述べました。 “手続きは妥当” 無罪が確定したことについて、小沢代表の弁護団は、「上告しない手続きを取ったことは妥当で、早期に行われたことは評価するが、1審の段階で無罪を確定させてもよかったのではないか」というコメントを出しました」 「『被告』という立場を長引かせないため、上告しない手続きを直ちにとった」などと恥ずかしげもなくいえたものだ。最後はいい子になっているではないか。 無理筋の裁判を長引かせたのは、上告したこの検察官役の指定弁護士たちである。その中でも村本道夫がもっとも強硬姿勢であったといわれる。山本健一は消極姿勢だった。何が「『被告』という立場を長引かせない」だ。すでに十分長引かせられている。 「1審の段階で無罪を確定させてもよかった」というのがまっとうな見解だ。 期限の26日を待たずに無罪を確定したところで、7日で罪が帳消しになるわけではない。 わたしの耳には平野貞夫の次の批判が蘇る。 「検察官役の指定弁護士は有罪を不服として「控訴」した。これは憲法に違反するもので、指定弁護人の控訴権は法律に明記されていないのだ。そもそも検察審査会での「小沢いじめ」は手続き上も不法であり、その上、捏造調査書を前提とする強制起訴などは、法治国家としてはあり得ないこと」 2 深まる政治の劣化とシロアリ退治 太陽の党が解党して日本維新の会と野合した。 これにみんなの党がやがて野合する。一挙に3党そろって野合しないのは、マスメディアの関心を引きつけ続けるためにすぎない。 野合が完成すれば、平成の野合トリオ(石原・橋下・渡辺)で、対米隷属にして、国民よりも1%の富裕層に仕える第2自民党が完成する。 日本維新の会が脱原発を捨てるかと思えば、太陽の党がTPP反対を捨て、ぶれまくり、野合する。目指すは、いい加減な自民党の別働隊の誕生だ。 類は友を呼ぶ、というが、日本維新の会の国会議員団代表松野頼久衆院議員も、いい加減な男である。古巣の民主党では「TPPを慎重に考える議員連盟」の会長だった政治家である。 いまや180度変わってTPP賛成の立場だ。

2012年11月24日土曜日

福島・二本松:子供の被ばく量増加 野外活動増え. http://mainichi.jp/select/news/20121124k0000m040081000c.html  福島県二本松市が実施した市民の外部被ばく調査で、半数近い小中学生が昨年より線量が増えたことが23日、市民への報告会で発表された。市調査では空間放射線量は昨年比約3割減っており、市の放射線アドバイザーを務める独協医大の木村真三准教授は「昨年は制限された体育の授業や部活動など屋外活動が増えたため。影響が大きい子どもや妊婦は長期的に気を使うべきだ」と指摘している。  今年の調査は6〜8月のうちの2カ月ずつ、乳幼児〜中学生と妊婦ら8327人に個人線量計を配布。6721人のデータを回収、年間線量を推計し分析した。昨年もデータがあり今年と比較可能な小中学生ら4344人中1969人(45.3%)は被ばく量が増加。うち46人は1.5ミリシーベルト以上も増えていた。  全体の平均値を昨年と比べると、小学生は0.07ミリシーベルト減の1.40ミリシーベルト、中学生は0.06ミリシーベルト減の1.40ミリシーベルト。ただ、今年調査した小中学生4210人の76%(3190人)は、一般人に許容される年1ミリシーベルトを超えていた。  調査人数が昨年より4667人も減ったことから、木村准教授は放射線から身を守る意識が低下していると指摘。「記録を残すことが万が一の健康被害への備えになる」と呼びかけている。
野田首相・初街宣 民主党の「脱原発詐欺」に騙されるな. http://tanakaryusaku.jp/2012/11/0005671 民主党という政党は選挙の度に実態とは真逆のウソをつく。前回(09年)の「マニフェスト詐欺」の次は「脱原発詐欺」だ。原発が消費税と並ぶ選挙の大きな争点となると見るや、「原発要らない」に転じた。  きょう午後、国立市(東京19区)での街頭演説に野田首相が来るのというので覗きに行った。民主党の末松義規・立候補予定者の地元だ。  衆院解散後、初めてとなる首相の街頭演説だが、会場の国立駅前ロータリーには聴衆が500人ほどしかいなかった。党首のお越しとあらば、党は組織を通じて動員をかける。にもかかわらず500人足らずというのはあまりに淋しい数字だ。  末松氏の演説には開いた口が塞がらなかった(「 」内が同氏の発言)― ・「民主党は2030年代までに原発をゼロにしていくことを野田内閣で決定しました」。ただの“決定”なのだ。“閣議決定”とは言わない所がミソである。霞が関も含めた政府全体で合意した最高決定ではないのだ。追及されても逃げ道を用意しておく、民主党らしい小ずるい言い方である。 ・「日本という地震大国に原発が要るのか」。大間原発、島根原発、東通原発の建設再開を認めたのは、どこの党だろうか。これらが寿命期間の40年間稼働すれば2050年まで原発は動き続ける。高校生にでも分かるウソをつくのが民主党だ。 ・「大きな天災の前には人工の原発は壊れてしまう」。であるなら、なぜ大飯原発を再稼働したのか?  さらに末松氏は「今が決断のし時なんです」とまで言い放った。民主党が切羽詰まった状態で脱原発に取り組んでいるように聞こえる。明らかな「騙し」である。末松氏は選挙区で配ったチラシで「今、原発を停めたら大混乱になる」と書いているのだ。  演説に耳を傾けていた主婦は「(民主党の脱原発を)信じていない。やってることと矛盾している。2030年代までにゼロにできる根拠を示してほしい」と吐き捨てるように話した。「民主党には入れない」と最後に付け加えることも忘れなかった。
福島県産米の安全キャンペーンが真っ盛り ~「311」で日本国民が真に失ったもの~ http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/6b2d4e82ea16af3297919b8b1751237b その背後に隠されている国家権力の”悪しき思惑”に気づいて欲しいという主旨であり、けっして悪意があるものではないことをご理解いただければと思う次第である。 ここより本題に入るが、収穫の秋を向かえ、福島県産のコメの安全性をアピールするキャンペーンが大々的に展開されている。 以下の記事にあるように、公共放送たるNHKも「全袋検査を実施し、新たに200台の検査機器を導入したからもう安心」としてこのキャンペーンを後押ししているが、果たしてどこまで信じてよいのであろうか? まず第1に指摘しておかなければならないのは、福島県やNHKが胸を張って「安心」と主張するその”検査内容”である。 皆さんもお気づきのように、この福島県産米の検査でチェックされているのはあくまでも「放射性セシウム」のみであり、より毒性の高い「ストロンチウム」「プルトニウム」といったその他の放射性物質についてはまったくその汚染度合いについて検査がなされていないのが実情である。 唯一検査がなされている「セシウム」でさえ、その基準値とされている「1キロ当り100ベクレル」という値は、フクシマ原発事故発生以前は「低レベル放射性廃棄物処理施設にて長期間、厳重に保管することが求められる」とされていたレベルである。 これが、国家権力が国民に放射能汚染物を食させていると言われる所以である。 即ち、「福島県産の新米は安全」とのキャンペーンがおこなわれているが、ここで安全とされる新米は、ユルユルの基準値をクリアしたに過ぎない立派な放射能汚染物同然である可能性が十分にあるということである。 そして第2に指摘しておかなければならないのが、政府や公共放送たるNHKまでが福島県産米の大々的キャンペーンをおこなう”真の目的”についてである。 この度のフクシマ原発事故により発生するであろう健康被害や不動産価値・企業活動その他の社会的損失をマトモに賠償していたのでは、その賠償金額が天文学的なものとなることは自明である。 故に、それを回避するべく、国家権力たる政府・官僚機構が”棄民政策”を選択し、人命よりも己の既得権益と体制を優先するとの判断を下したという事実こそが、一連の全国民への「食の汚染」の拡散を助長しているのである。 即ち、「311」にて我々国民は体制の維持のため、国家権力から既に棄て去られているも同然ということである。 「放射能汚染瓦礫問題」についても同様である。 政府は、「放射能汚染瓦礫」に多額の”プレミア”(カネ)を乗せることにより、財政的に疲弊する全国の自治体の首長連中を懐柔し、全国に放射能汚染を拡散することによって全国民を一様に被曝させ、今後起きるであろう原発周辺住民の健康被害を目立たぬように”希釈”せんとしているのである。 即ち、マトモに対峙していてはとてもじゃないが国体(国家体制)を保てないが故、”特権階級”たる政府関係者・官僚らが大本営と化した大手マスゴミを介して国民を騙さんとプロパガンダを垂れ流し、真実を隠蔽して、己らのみが定員が限られた方舟に乗らんと企てているのである。 小生の上記見解を聞いて「何を馬鹿なことを言っているんだ」「気が狂っているのか」と笑う者もいるであろう。 笑う者は笑えばよいであろう。 今回書き綴っている内容は単なる「仮説」であり、これを証明せよと言われて解を導き出せる話ではなく、信じるか信じないかはこれを読んだ個人の判断である。 ただ、国家権力とは極めて”非情”なものであり、究極の選択を迫られた際は、例外なく体制を保持するがために、平然と民を切り捨てにするものであるということをけっして忘れてはならないであろう。 ◆福島産の新米 知事ら安全性をアピール. 兎にも角にも、福島県産米の安全キャンペーンの裏側には、国家権力のドス黒い”思惑””企て”があることをよくよく理解し、これを注視することが肝要であろう。 我々国民の多くが無意識のうちに国家権力の思惑のままに、本来守らねばならない非汚染地域にまで放射能汚染を拡散する片棒を担がされるという、実に恐ろしく、薄ら寒さを感じる事態が進行しているのである。 今月中旬から福島産の新米の販売が本格的に始まり、都内のスーパーで福島産のお米の安全性をアピールする催しが開かれました。 東京・江戸川区のスーパーの会場には福島県の佐藤雄平知事が訪れ、福島県は新たに200台の検査機器を導入するなどしてコメの安全性をチェックする態勢を大幅に強化したと説明しました。 この中では県内で収穫されたコメについては、任意の抜き取り検査を改めすべての米袋を厳しくチェックしていること、国の基準の1キログラム当たり100ベクレルを超える放射性物質が検出されたコメは出荷しないこと、そしてコメを含む農産物の検査結果は県のホームページですべて公開していることを説明し、安全性を強調しました。 福島県では去年、国の暫定基準を超えるコメが見つかり、出荷の制限を余儀なくされましたが、ことしは放射性物質を吸着する鉱物を水田にまいて除染するなど対策を進めていることから、出荷量は増えると予想されています。 また、この日は来年から始まるNHKの大河ドラマ「八重の桜」にちなんで地元出身の主人公新島八重の寸劇も上演され、福島県の観光もPRしました。 佐藤知事は「しっかりと検査態勢が整っていることを理解いただき、安心して福島の農産物を味わってもらいたい」と話していました。   県は13日、福島市のスーパーで、県産農産物の消費促進を図るイベント「ふくしまの米―安全・安心の取組み」を開き、県職員が県産米の安全確保への取り組みなどをPRした。   吉田肇農産物流通課長ら県職員が店頭に立った。吉田課長は県産の新米や農産物の安全対策について映像を使いながら説明。今年から出荷前に行っているコメの全袋検査について紹介し、「食品の基準値を超えたコメは出荷していない」と安全性をアピールした。   買い物客には整理券が配布され、県産の新米などがプレゼントされた。イベントでは、県産米をPRするキャンペーンクルー「うつくしまライシーホワイト」も加わり、花を添えた。 ◆24年産米の検査結果について  福島県公式HP http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet;jsessionid=8FD73E258269B46C2838C64D917C7CAE?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=31331 1 全量全袋検査結果   県では、今年、県内で生産される全ての米を対象に、米の放射性物質検査を行い、安全性の確保に取り組んでおり、その結果を公表しております。 ~後略~
『TPPで日本、韓国を押し潰すことができる』 ~ウィキリークスがアメリカの外交文書を暴露~ http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/f7bebb603effd5cb37d1476233a2b542 ◆[TPP反対 ふるさと危機キャンペーン TPP“主導国”] 米国外交公文から読む 本音と現実 上  5月19日 日本農業新聞 ニュージーランド外交貿易省のマーク・シンクレアTPP首席交渉官は 「TPPが将来のアジア太平洋の通商統合に向けた基盤である。もし、当初のTPP交渉8カ国でゴールド・スタンダード(絶対標準)に合意できれば、日本、韓国その他の国を押しつぶすことができる。それが長期的な目標だ」 と語った。 (米国大使館公電から) 環太平洋経済連携協定(TPP)交渉でニュージーランドと米国は、農地への投資制度や食品の安全性などの規制や基準を統一した「絶対標準」を定め、受け入れ国を広げることで経済自由化を進めようとしている――。 TPP交渉を主導する両国のこうした狙いが、在ニュージーランド米国大使館の秘密公電に記載されていた両国政府の交渉当局者の会話から浮かび上がった。 ニュージーランドの交渉当局者は「絶対標準」を受け入れさせる国として日本と韓国を名指ししている。 これは国内の規制や基準の緩和・撤廃につながり農業だけでなく国民生活の多くに影響を与える可能性がある。 公電は、内部告発ウェブサイト「ウィキリークス」が公表。 ニュージーランドの当局者らへの取材と合わせて分析した結果を報告する。 囲み記事は2010年2月19日、ニュージーランドのシンクレアTPP首席交渉官が、米国務省のフランキー・リード国務副次官補(東アジア・太平洋担当)に語った内容だ。 シンクレア氏は、TPPの目標が農産物などの市場開放だけではなく、アジアなどで推進する米国型の経済の自由化が両国の長期的利益につながると強調した。 公電は、ニュージーランドのウェリントン市内で行われた両者の会談の概要を、当地の米国大使館がまとめた。 「秘密」扱いだ。外交を担当する国務省だけでなく、農務省や通商代表部などにも送るよう記述してある。 日本農業新聞の取材に応じたシンクレア氏は、公電にある自分の発言に対する真偽については確認を拒んだ。 しかし、TPP交渉では投資や金融、知的所有権など幅広い分野が対象になり、中国を含めたアジア太平洋州で経済の自由化を進めることが交渉の目的であると強調。 実質的に公電の内容に沿った発言だ。 公電によると、シンクレア氏が強調したのは、日本と韓国などに「絶対標準」を受け入れさせることの重要性だ。 農地や農業関連分野への投資が米国などに比べて難しいとされるアジア市場で、TPPをてこにして、自由貿易圏を広げていくことが長期的な目標だと明言。 米国と同一歩調を取る考えを明らかにした。 両国の交渉当局者が、国の違いを超え通商や経済の自由化の障害となる規制や基準を緩和・撤廃させるための仕組みづくりを話し合っていたことがうかがえる。 〈ことば〉 ウィキリークス 政府や企業などの情報を内部告発で入手し、ウェブサイトで公表する組織。 オーストラリアの元ハッカー、ジュリアン・アサンジ氏が06年に立ち上げた。 これまでイラク戦争の秘密情報などを暴露。 米政府などは情報が関係者を危険に陥れる可能性があるとして批判している。 米国大使館の公文書も米政府内の情報提供者から入手し、文書数は25万点に上る。 その一部を、ウィキリークス関係者が日本農業新聞に提供した。 ・TPPの問題点 ニュージーランド・オークランド大学法学部のジェーン・ケルシー教授に聞く ニュージーランド・オークランド大学法学部のジェーン・ケルシー教授に、環太平洋経済連携協定(TPP)の問題点などを聞いた。 ―――TPP交渉での農産物の市場開放についてどう考えますか。 ニュージーランドの農業にとって最大の関心事は米国市場の開放だが、米国は自分のセンシティブなマーケット(重要品目の市場)を守ってきた。 実際、米国とオーストラリアとの自由貿易協定(FTA)交渉は砂糖、牛肉、乳製品の市場開放を制限して決着した。 米国は常にテーブルの上から乳製品を取り除くように努力しており、今回のTPP交渉でも同じだ。 ―――TPPで何が一番問題ですか。 TPP交渉の重要な特徴の一つが、「規制の調和」。 基準や規制を国際的に統一していこうというものだ。 米国が熱心に進めようとしている。衛生基準や知的所有権などが 対象になる。 中国を含めたアジア全体のルールを、米国主導で決めていこうという狙いがある。 ―――ニュージーランドの乳業団体などは何を求めようとしているのでしょうか。 米国市場の開放は期待できないが、投資の面で規制が緩和されれば利点は大きい。 例えばベトナムの農協の酪農事業に出資するとか、チリやペルーでの農地取得を進めやすくなるといったことが想定される。 ―――ニュージーランドにとってどのような不利益が予測されますか。 まず、比較的安価な医薬品を供給している医薬品政策への悪影響だ。 医薬品管理庁が買い入れて安く供給する仕組みがあるが、公的機関が購入することに国際医薬品企業は批判的な態度を続けてきた。 米国はTPPで必ずこの制度の撤廃を要求してくるだろう。 薬の価格を市場原理に任せようという主張であり、日本の公的な健康保険制度が攻撃される可能性もある。 米国の要求が通れば貧しい人たちへの打撃となるだろう。 ニュージーランドは民営化と規制緩和の失敗という負の財産を抱えている。 多くの銀行が規制緩和の中で外資の支配下に入り、小さな町、田舎の銀行店舗が廃止された。 投資分野も問題が大きい。 米国の企業が内国民待遇(進出先の国の企業と同じ権利を保障されること)を得れば、外国でも直接その国の政府を訴えることができるようになる。 (転載終了) アメリカが菅内閣に要求している”ミッション”が、「消費税増税」「TPP参加」「小沢一郎の排除」の3点セットであることは、震災以前のエントリーにて繰り返しコメントしてきた通りである。 ※参考1「週刊ポストが暴露 「与謝野入閣は朝日新聞の進言」」 ※参考2「”土人国家”日本の凋落 ここに極まれり ~小沢一郎元代表・強制起訴~」 ※参考3「またもやIMFが「日本の財政再建遅れ懸念」を表明 ~露骨な消費税増税の後押し~」 そして「TPP参加」が、アメリカによる”カツ上げ”以外の何ものでもなく、通貨切り下げ政策により円高ドル安を加速させるアメリカが、TPPによりあらゆる日本市場を食い物にするのは明らかであることも、以前のエントリーにてコメントしてきた通りである。 ※参考「サルでもわかるTPP講座」 そして今回、上記記事にあるように、ウィキリークスによるアメリカの外交文書の暴露により、「TPP参加」が”八百長”そのものであり、これを推進する菅内閣の外交は”売国外交”そのものであることが立証されたと言えよう。 この公電より、アメリカとニュージーランドが「農地への投資制度」「食品の安全性」の規制・基準を統一した”絶対標準”を定め、日本と韓国を”食い物”にしようという卑しい魂胆が垣間見れるであろう。 「TPP参加」などが実現すれば、ただでさえ震災にて疲弊している今の日本は、まさに「弱り目に祟り目」、壊滅的な経済的ダメージを被るであろう。 ちなみに”賢明”な韓国は、中国などと共に、早々に「TPPへの不参加」を表明していることから、このまま行けば日本の”一人負け”であろう。 今後、菅”売国奴”内閣は、震災のドサクサに紛れて「TPP参加」を死に物狂いで実現しようと画策するであろうが、我々国民はよくよくこの動きを注視することが肝要である。

2012年11月23日金曜日

福島県南相馬市の農地の土壌から最大 24420 Bq/kg 検出. http://ameblo.jp/misininiminisi/entry-11411123824.html
(井戸川双葉町町長・柳原敏夫弁護士ジュネーヴ訪問で話された内容.) http://independentwho.org/jp/2012/11/02/%E4%BA%95%E6%88%B8%E5%B7%9D%E5%8F%8C%E8%91%89%E7%94%BA%E7%94%BA%E9%95%B7%E3%83%BB%E6%9F%B3%E5%8E%9F%E6%95%8F%E5%A4%AB%E5%BC%81%E8%AD%B7%E5%A3%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%B4%E8%A8%AA/ 反原発の街。福島第一原発からわずか3キロに位置する双葉町の町長にとっては夢のような街に違いない。彼のふるさとは福島の原子力発電所が爆発して以来、放射能のために地図から掻き消され、町民は何十年にも渡って町を追われることになった。国連で証言を行うためにジュネーヴを訪れた井戸川克隆町長をジュネーヴ市長レミ・パガニ氏が迎え、ジュネーヴ市民達の心からの共鳴と応援を井戸川氏に伝えた。 コントラトムとIndependenWHOからも数多くのメンバーが駆けつけた。レミ・パガニ市長による質問「汚染地域に住み続けたり、戻されたりさえする住民の健康被害問題を無視する日本政府の政策に対して、井戸川さんに連携してくれる市町村長は他にもいますか?」に対しては「いいえ、私一人だけです!」と言う答え。「いったいどうして?」「他の市町村長は、危険を最小化する行政のウソを信じているからです。本当の放射能汚染数値は公開されません。その上日本政府は年間の被曝許容量を国際組織が推奨する最大基準の20倍にまで引き上げてしまいました:日本の年間被曝許容量は今では20mSvです。世界の他の国ではどこも1mSvなのに。私達はモルモットなのです。 双葉町町長は、チェルノブイリ原発事故後にソ連政府がずっと汚染度合いの低い地域も避難させていたことを指摘した。そうした対策にも関わらず、避難の行われなかった地域での子供達は、現地の小児科達の見積もりによると80%が今現在病気であることを私達は知っている。双葉町町長は子供達が汚染されていない地域に避難させてもらえるよう支援を求めて渡欧したのである。その確固たる勇気に人々は深い感銘を受けた。 国連人権理事会にて 市庁舎における温かい歓待に続いて国連で行われた情報会議は、一変して厳しい雰囲気に包まれていた。井戸川町長と同行の柳原敏夫弁護士はこの場において、避難の有無に関わらず住民達の置かれた真の状況、特に子供達の健康状態を伝えることになっている。二人は日本政府に提出すべき勧告書を準備してきた。これは目下国連人権理事会によって、日本国内で人権が尊重されているかどうか暫定審査を受けているところである。重々しい手続きであるが、様々な組織が世界中を証人に、人権侵害に対して呼びかけを行うことを可能にする。放射能汚染された空気を吸い、放射能汚染された食品の摂取を続け、治療の施されない子供達。これは子供の人権に対する侵害である。さるぐつわをされたマスコミ、虚偽の情報の流布。これは表現と報道の自由の権利に対する侵害である。 *危険にさらされた子供達の避難の権利. 柳原敏夫弁護士は、酷い汚染を受けた郡山市から避難を求めて訴えを起こしている“ふくしま集団疎開裁判”の14人の子供達を代弁する。裁判は現在進行中だ。勝訴すれば同じ危険にさらされているすべての子供達が避難権を獲得する道を開くことになる。その数は20万人から30万人と推定される。日本政府がいかにチェルノブイリから学んで、賠償費負担を逃れ、原子力産業に被害を与えないための政策を実行しているか、柳原弁護士は解説する。例えば許容基準量の引き上げ、内部被曝の体系的測定を避け、統計を取らないことによる既に現れ始めている病気の隠蔽、情報のコントロール等・・・。 *行政による公式の情報隠蔽 井戸川克隆町長は午前に行った発言を再度述べなおした。行政が新たに設置したモニタリングポストの写真が表示される。これらのモニタリングポストは、国際基準設定だったものに比較して、40%少ない空間線量しか表示しない。“こども達を放射能から守る世界ネットワーク”を代表して参加した日本人の若い学生本田貴文さんが、福島地方に住む思春期の女の子の手による手紙を読み上げた:「私は子供を産むことができますか?」「産まれて来る子供は正常ですか?」 ミシェル・フェルネックス教授が登場し、放射能を浴びたり、体内に取り込んだりした後に起こる先天性異常について話をした。「ゲノムが傷つけられ、異常が現れる。その異常は次世代に伝えられていく。福島の周囲では既に流産、周産期における胎児の死亡、体重の足りない新生児、甲状腺に異常を持つ子供、そして突然死の増加が報告されている。癌が現れるのにはしばらく時間が掛かるだろう。」「子供や妊婦を避難させること、すべての住民に汚染されていない食品を提供することが緊急に求められる。 *WHOの前で抗議を続けて5年 井戸川氏と柳原氏はまた、WHO本部前で五年間に渡って日々抗議運動を続けている多組織グループ Independent WHOの“見張番(ヴィジー)”のもとにも挨拶に訪れた。“人々に最善の健康状態を保証する”と言う本来の使命をWHOが果たすことを求める活動家達である。WHOは今では、放射能が人間の健康にもたらす被害を研究する部署すら持たなくなっている。本来の責任を放棄し、原発ロビーの政策を一方的に保証するだけの組織と化しているのだ。その原発ロビーを支えているのは原発大国である。 反原発の街。福島第一原発からわずか3キロに位置する双葉町の町長にとっては夢のような街に違いない。彼のふるさとは福島の原子力発電所が爆発して以来、放射能のために地図から掻き消され、町民は何十年にも渡って町を追われることになった。国連で証言を行うためにジュネーヴを訪れた井戸川克隆町長をジュネーヴ市長レミ・パガニ氏が迎え、ジュネーヴ市民達の心からの共鳴と応援を井戸川氏に伝えた。 コントラトムとIndependenWHOからも数多くのメンバーが駆けつけた。レミ・パガニ市長による質問「汚染地域に住み続けたり、戻されたりさえする住民の健康被害問題を無視する日本政府の政策に対して、井戸川さんに連携してくれる市町村長は他にもいますか?」に対しては「いいえ、私一人だけです!」と言う答え。「いったいどうして?」「他の市町村長は、危険を最小化する行政のウソを信じているからです。本当の放射能汚染数値は公開されません。その上日本政府は年間の被曝許容量を国際組織が推奨する最大基準の20倍にまで引き上げてしまいました:日本の年間被曝許容量は今では20mSvです。世界の他の国ではどこも1mSvなのに。私達はモルモットなのです。 双葉町町長は、チェルノブイリ原発事故後にソ連政府がずっと汚染度合いの低い地域も避難させていたことを指摘した。そうした対策にも関わらず、避難の行われなかった地域での子供達は、現地の小児科達の見積もりによると80%が今現在病気であることを私達は知っている。双葉町町長は子供達が汚染されていない地域に避難させてもらえるよう支援を求めて渡欧したのである。その確固たる勇気に人々は深い感銘を受けた。
(原発‐21世紀の不良資産).グリ-ンピ-ス.ジャパン. http://www.greenpeace.org/japan/Global/japan/pdf/toxicassets_JPEs.pdf

2012年11月22日木曜日

日本は今,岐路に立っています.日本は本当の民主主義を実現していません. これから生まれる子供達は生まれながらにして大きい重い苦の遺産を背負うことになりました. 20万人以上の反原発デモをメテ゛ィアは報道しませんでした. 原発を止めて欲しいという声を政府は完全に無視をしました.この不当な状態を変える為に政治を変えるしかありません. だから緑の党を設立しました.そして来年の7月の参議院選挙にチヤレンジします. 原発を全て廃止し,本当の民主主義を実現する為に緑の仲間達と共に長い長い道を諦めないで歩き続けますと話されました.
2012.11月.18日. 福島県県民健康管理調査検討委員会 (ドイツテレビZDF) 日本語解説.
甲状腺検査「異常なし」でも...福島で広がる"不信""不安"

2012年11月21日水曜日

カルディコット博士 「福島では“犯罪的”で“非道徳”なことが行われている」. http://tanakaryusaku.jp/2012/11/0005637
(カルディコット博士。日本政府とマスコミへの不信感を率直に表した。=19日、衆院会館。写真:田中撮影.) オーストラリアの小児科医で放射能障害に詳しいヘレン・カルディコット博士の記者会見が19日、衆議院第一議員会館内で開かれた。博士は日本各地で講演ツアーを行っている。  衆院解散を受けメディアの関心が選挙一色になるなか、会見には海外のテレビ局1社と数人の記者のみが集まった。カルディコット博士は何度も“犯罪的”、“非人道的”という言葉を多用し、これを伝えようとしないマスコミも批判した。日本社会に対するいらだちが随所に感じられた。  冒頭、カルディコット博士は「福島の高線量地域で、子供や妊婦、妊娠可能な年齢の女性を避難させないのは“医学的犯罪”だ。18歳未満の子供に超音波検査を実施したところ、約40%の子供に甲状腺異常が見つかったという。これは小児科の見地からみて極めて異常だ。」と語り、福島の被曝量がチェルノブイリをはるかに上回っていることを指摘した。  また、子供や妊婦、妊娠可能な女性の移住について「国が費用を負担することが重要なのに、弱い立場の人を守らず、TEPCOを守るために予算を使っている」と述べた。博士は「日本には放射能を帯びた食品を食べることに対する規制がなく」、汚染した食品を「子供に食べさせていることは“medically immoral (医学的に非道徳的)”だ」と国と福島県、沈黙する医学界の不作為を批判した。  博士の来日講演は医師向けのみならず、一般向けにも行われたが、いずれも数百人収容の会場が満員になったという。博士は、聴衆が「どうしたらいいのか必死に知りたいと思っている」ことを感じたという。  「広く一般に知らせる責任がメディアにはあるが、(日本では)そうではないようだ」と、メディアが放射能の被害に無関心であることにクギを刺した。  博士は、「福島の事故は終わっていない。40年かけてきれいにするというが、不可能だ。これから300年以上、土地も人も食物も汚染されたままだ」と警告し、安易な除染や帰還願望に疑問を呈した。ガレキの焼却についても「犯罪行為だ」と断罪した。 質疑応答で筆者は以下の2点について質した― 田中:(チェルノブイリ原発事故が起きた)ウクライナに日本の医師たちが行っており、またウクライナの医師たちも日本を訪問している。日本の政府も医師たちも、4年後からガンが多発することを知っているはずだ。このことについてどう思うか? カルディコット博士:「そうだ。広島、長崎の例からみても(事故後)5年で白血病の発病ピークを迎えることは分かっている。その他のガンはそれ以降からだ。私はなぜ医師たちがメディアで声を上げないのか、驚いている。“Total Blackout(完全な報道管制)”だ」。 「多くの人が福島を忘れているかのように過ごしており、水俣の時よりひどい。 日本政府は他国から良く思われたいのだろうが、(発病の)疫学的数字が明らかになれば、無責任さは免れない」。 田中:ビタミン剤、特にビタミンCが放射能に効くと宣伝し、利益を得ている医師が一部にいるようだが? カルディコット博士:効かない。医学的に間違っている。  最後に博士は「広島、長崎の被爆者は差別されてきたが、日本人のメンタリティから考えて、これから同じことが福島の人々に起こるのではないかと、深く憂慮する」と締めくくった。  福島県出身者に対する偏見はすでにちらほら聞かれる。日本人としていたたまれなくなったのは筆者だけだろうか。

2012年11月20日火曜日

「移住費用は国が負担すべき」カルディコット博士
宮台真司 「アメリカにNO!と言えない野田さんと安倍さん」 『本.アメリカに潰された政治家たち』孫崎享.  → http://amzn.to/TpLUAT
(事故後長期を経た現在における住民の健康とその保全のための戦略.論文掲載.) http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/csijnewsletter_014_ukraine_03_3.2.1.pdf (公衆衛生に対するチェルノブイリ原発事故災害の複雑な要因の影響.論文掲載.) http://blogs.shiminkagaku.org/shiminkagaku/csijnewsletter_014_ukraine_07_3.4whole.pdf
白血病で幼馴染が先週この世を去りました。」31歳女性。知人40代同僚も。カルディコット博士の院内会見文字お越し掲載.木下黄太さんから. http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/a11b769ac69cff4484a91c1f02f853b5 ヘレン・カルディコット博士の大阪市役所、記者クラブでの会見は明日です。 明日の13:30から予定しています。当然、ガレキに関して話します。 橋下市長の表敬訪問を、15分間でもと、再三再四お願いしましたが、衆議院解散前から断わられ続けました。 週末に大阪市が、橋下市長が、ガレキを燃やすことを強行しようとする直前に、被曝に関しての世界的なパワースピーカーであるカルディコット博士の警告を伝えることになります。 政治はパフォーマンスと言い張る橋下市長に対して、そのパフォーマンスを超える警鐘を、彼女は鳴らすつもりだと思います。 そして、おそらく、日本がどこまで駄目になっていくのかを見定める会見でもあります。  海外にいる若い女性と直接スカイプでお話ししました。町田勤務、彼女の幼馴染の若い女性が、半年の闘病で、白血病で亡くなったそうです。その話を友人にしたところ、神奈川県西部在住の友人の同僚男性(40代)も似たような時期に白血病で亡くなっていたそうです。身近で他にも、病の話を聞き続けていて、ご本人もいろいろと考えられているようです。白血病も潜伏期間が通常ならばもう数年かかるのが常識です。ですから、関係ないかもしれません。しかし、被曝症状は、もともとあった疾患や疾患前の身体状況を、促進させると言われています。しかも、強い核種の影響が本当はどうなのか、勿論わかっていません。  とにかく、僕は、こうした話を伝えていきます。兆し。 =================================================== 私の幼馴染(31歳独身)キャリアウーマンで、町田付近で仕事をしていました。原発のこととかは全く知らなかったと思います。2012年4月から具合が悪くなり、病院で検査したところ「白血病」ということでした。そして先週火曜日にこの世から去りました・・・。毎日怒りと悲しみで辛いです。。 原発の問題があったあと、私は地元が神奈川県相模原市なのですが、Mixiやらメールを通じてみんなに避難したほうがいいと伝え続けてきました。・・けど、やっぱり 「これが運命」とか何だとかいって、逆に弟からは「そういうメールをするな!」といわれてしまいました・・。 白血病で亡くなった友達にもメールをしたのですが、「私たち家族は大丈夫だよ。ありがとう」と。今思えばしつこくでも伝えるべきだったのか・・と悔やんでいます。 こちらにすんでいる日本人の友人に私の幼馴染の死を伝えたところ、「え?本当?私の同期も日曜日に白血病で亡くなったの!」と聞き、鳥肌がたちました・・ 私の叔父(70代前半・相模原市)も頭の手術をしたらしいのですが、ずっと調子がよかったのに、突然「頭が痛い」といい、病院に行ったのですが、そのまま今年の春に亡くなりました。 あきる野に住んでいる友達の娘さん(6歳)は川崎病になりました。 今は落ち着いているようです。 今年はもう鼻血の話は聞かなくなりましたが、MixiやらFacebookで去年は鼻血が止まらないとか、肺炎になったとかいう話がすごく多かったです。 この全てが放射能が原因で・・とかは言い切れないのですが、もしかして・・と。 本当に毎日心配と不安でいっぱいです。何かしてあげられないかと。。 今まで木下様にメールをしようか悩んできたのですが、幼馴染の死で、伝えたい気持ちが強くなりました。 少しでも情報を提供できたらと思います。文章を書くのが苦手なので、読みづらいメールですいません・・・。 ===================================================   きのうのカルディコット博士の記者会見は、記者も議員関係者も極めて少なく、僕は昨夜からけさまで、西日本への移動時間も含めて、ずっと悩んでいます。しかも、質問の中身が、一般講演の参加者よりも、はるかに低いレベルのものだったり、あきらかに推進側の視点しかない質問もあって、日本の記者や政治関係者がほぼ全部、「何にもわかっていないし、いまだに見ようとしていない」状況を再認識させられました。ほとんど人のいない議員会館の中を自由に使えたのは面白い体験でしたが、僕のやっていることが、まるで中心部にとどいておらず、己の非力を痛感させられました。  そういえば、この会見に、見知ったテレビ関係者が1人来ていて、3.11.後、はじめて話をしました。彼は、もともと因子はあったそうなのですが、去年の事故の後、白内障になったと僕に告げてきました。福島にも取材に行かれていたようですから、年齢から考えても早い発症は、やはり潜在的な因子がある人が被曝した場合に、促進しやすいということと関連があるのではないのかとも思いました。  このカルディコット博士の院内会見を、僕の講演会を宇部で主催してくれたスタッフが文字お越しをして頂いていました。転載しておきます。  ブログhttp://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/416e97cea21ee803682a8b232a86119aは山口県内の放射能防御に関しての情報が満載です。 =================================================== 皆様ありがとうございます。 私は医師として、また特に子供たちを診る立場の小児科医であったという立場から、本日は福島の事故の医療的な側面から影響についてお話を申し上げたいと思っております。 福島は人類の歴史上最悪の産業事故です。極めて深刻な事故で3つの炉のメルトダウンがおこるという、人類史上初の3連続のメルトダウン事故でした。とにかく莫大な量の放射性物質が放出されました。 そしてひとつ幸運だったことは最初の数日感、風が東から西へふいて、つまり太平洋へ向かってふいていたことです。そのあと風向きが北西方向に変わり、日本の南の方向にまで向かって放射性物質が拡散していくということがおきました。そしてその間、日本政府は放射性物質の拡散についてSPEEDIというシステムをもっていて、拡散の状態の評価があったにもかかわらず、パニックを避けるためというような理由で、国民に情報を与えることをしませんでした。ですから中には最も放射線の高かった方向へ向かって逃げた人が出てしまいました。 私自身、チェルノブイリ事故の推移をずっとそのあとを追って緊密に見てきましたけれども、その中で私が言えるのは、ロシア人の人たちというのは、ロシアの国は日本に比べるともっと積極的に人を移動させる、避難させるということに取り組んだと思います。国民を守るためにそのような行動をロシアの方がとったということを私は感じます。 日本の政府も、それから東京電力も理解していないことは、子供たちというのは放射性物質に対する感受性が大人の10倍~20倍とあるということです。放射線被曝に由来するガンにかかるリスクということで、子供の中でも男の子と女の子を比べた場合には、女の子の方がリスクは2倍になります。 そして成人と比べて胎児と比較してみると、胎児の方がそのリスクは1000倍~何千倍というリスクの高さになります。 そして福島の地域200万人の人がいて、福島市という、福島市も放射線が高いんですが、その地域に25万人の人口が住んでいます。私は日本政府が子供たちを線量の高い地域に住まわせ続ける、住むことを許しているということに非常な驚きを禁じ得ません。チェルノブイリの場合は同じレベルの汚染地域からロシアは子供たちを避難させました。私は日本政府が、日本の国が、東京電力や原子力産業から強い影響を受けたり、あるいは場合によってはコントロールされるというような状況にあることを知っております。 そしてまた政治家の皆さんというのは、医療的な側面や科学的なものに対しての知識があまり深いところまでお持ちではありません。 とくに福島県、特に線量の高い地域にいる子供たち、妊婦、それから子供を産む、出産ができる年齢の方々、そういった方々が高線量地域にいるということは、医療的な側面から見て非常に極めて深刻な問題です。 そして子供たちは一生、生きていく今後の人生の中でガンになる可能性が出てくるわけですが、ガンというのは潜伏する期間が結構長くあるということがヒロシマやナガサキの経験からわかっています。5年とか17年とかそういった長い年月がかかります。 そして当局の皆さんは福島の18歳以下の子供たち8万人の検査をしたと聞いております。とくに甲状腺の超音波検査をしたということでした。 そしてこの検査の中で40%の子供に甲状腺に何らかの異常が見つかったという結果が出ていますが、このような数字というのは小児科の見地からみますと極めてほんとうにまったく希な話であります。 子供たちの中には必ず今後、甲状腺のガンにかかる子供が出てくると思われますが、すでに12歳の男の子で甲状腺ガンが見つかっていますし、今16歳の女児が検査を受けてガンの可能性が極めて高いと言われて、更に検査をしているときいております。そしてチェルノブイリの場合は、このガンがではじめたのが5年ぐらい経ってからだったんですが、今現在日本でこれだけ症状と言えるものが出ているということは、この日本の子供たちは相当高い線量を受けたのではないかということが言えると思います。おそらくチェルノブイリよりも高い線量の被曝を受けたと考えられます。 医師としての私の立場からみると、日本の政府というのは、日本の人たち、人間を守ることよりも東京電力を守ることにがんばっているのではないかというふうに見えてしまいます。 そして高い線量の地域にいる特に子供たち、妊婦、それから子供を産むことができる若い女性なり、子供を産める女性の方たち、こういった方たちを移住させる、そこから避難させるというのは極めて重要なことだと私は考えていまして、そこでその移住のための費用を国の政府がきちんとまかなう、負担するということは非常に重要なことだと私は思っています。 ですから実際、非常に弱い立場にある、こういったような子供や妊婦さんや若い女性、そういった人たちよりも、実際、東京電力を守るために予算を使うということをしているのが、今の日本の政治だと思います。 そして放射性元素というのは食物の中に蓄積します。たとえばキノコ類、ほうれん草、お米、お茶、それから魚。放射性物質というのは、味はしません。匂いも全くしないし、目に見えることもありません。ですから福島からきた汚染した食品を人が口にしているわけですが、残念ながら日本にはその放射性を帯びた食品を食べることに実質的に規制がないというところです。そしてこういった魚とか食品とか放射性物質がある食品、たとえばセシウム137で汚染された食品を食べていると、何年か経った時に悪性の脳腫瘍とか筋肉腫とかその他のガンを発症する、ガンになるという可能性が出てきます。 そして例えば福島県の学校や幼稚園では、放射能を帯びている放射性物質が入っているような食事を子供に与えるというようなことをしています。これは医療的な見地から見ると「非道徳的」と言わざるを得ません。福島からの食品、とにかく毎週すべて検査をする必要があります。 そして検査の結果によっては販売をして口にするということがあってはいけないと考えております。そして魚ですが太平洋の魚には高い放射性レベルが検知されています。これは放射性元素が大量に海に投棄され放出されたからですが、この太平洋に放出されたこの放射性物質の量というのは、人類の過去の史上最高の量です。 私は400人の一般市民の方を前に講演をさせていただきましたが、そこで私が感じたのは、そこに来られた一般市民の皆さんが、一体どうしたらいいのかということを必死で知りたいと思っている、何が起きているかというのを必死で知りたいと思っていらっしゃるお気持ちでした。福島の結果どんな影響が起きて日本に今なにが起きているのかということを、広く一般の人に知らせる責任がメディアにはあると思いますが、今のところ全体的にみてその責任は果たされていないように見えます。 そしてこの福島の事故、これはまだ終わってはいません。まだ続いているわけです。そしていま40年、時間をかけてきれいにするといっていますけれども、科学的に見てきれいにするということはできません。これは科学的に言って不可能です。 セシウム137というのは300年残ります。そして福島はじめその周辺の汚染地域も汚染されたままです。食品の汚染も、そして人が汚染を受けたものも、300年あるいはそれ以上の時間続くわけです。 そして国の政府はどうも今回のこの大災害というか大事故がどれだけ長い時間がかかるものかという現実をよく理解されていないと思います。 そしてこれから疫学的に見ても白血病やガンや先天性の形成異常とかそういったものが今後70年間にわたって次々出てくるであろうということを私は思います。そのことを実は原子力産業も知っているのではないかと思います。福島に今、ガンに対応するための非常に大きな医療施設を作ろうとしていると聞いています。 そしてまた福島の原子力発電所の処理をするために極めて高い線量のところで作業しておられる作業員の方々についても、公に記録が人々に見える形で残されていない状態に今あります。そして高線量のところで作業をする人たちの放射線による被害の状態というのはきちんと記録がなされ、それが公の情報として出されていかなければいけないと思いますが、それが実際に可能になっていくかどうかは、このメディアによっているところが非常に大きいと考えています。 そしてもう一つ、最も重要な点なんですが、日本の多くの人に知っていただきたいことは、もし福島の地域でもう一度マグニチュード7以上の、7を超えるような大きな地震があった場合には、福島原発の4号機、この建物が崩壊する可能性があるということで、ここには使用済み核燃料の冷却用のプールがありますが、これが崩壊しますと、チェルノブイリで起こった10倍の放射性物質がさらに放出されるということが予想されているという点です。 そしてもしそのようなことが起きた場合、日本という国の大半の部分が、もう終わってしまうということです。それほどの大事であるにもかかわらず、多くの人がその現実にはっきりと気づいていないということだと思います。そして政治家の方はすでに、もし4号機に何かあってそういった崩壊とかの事故があった場合には、東京も今度は避難しなければいけなくなるというようなことをわかって言っていらっしゃいますが、一体3000万人の人をどうやって避難させるんでしょうか? そして日本の政府もそれから東京電力も、外国の企業からの助け、あるいはアメリカのNRCからの助けや海外の専門家からの支援を得ることを認めていませんので、得ていない状態にありますので、4号機の補強する、強化をして安全にするためにぜひ協力を仰ぐべきだと考えます。今、日本だけ、東電だけで、いまこの対処をするのに、クレーンを設置して中の使用済み燃料を取り出すことができるようにするのに2年かかるということを言っていますが、その2年間、待っている間に何が起きてもおかしくありません。 そして最後に申し上げたいことは、がれきの問題です。福島の地域から出た、放射能で汚染された地域から出たがれきについて、これを他の地域で焼却するということを聞いています。焼却するということは、ダスト、灰が出るわけです。そのようなことをして、広めるということは、これは犯罪的なことだと思います。私からは以上でございます。ありがとうございました。 ===================================================
(福島県鮫川村で秘密裏に進む高放射能廃棄物の焼却・処分事業.) http://www.eritokyo.jp/independent/aoyama-fnp10399...html 2012年11月16日、私が矢板市で指定廃棄物最終処分場に関連した講演を行った後、多くの方からお礼や激励のメールを頂いた。  そのなかに福島県県南部に住む方からのメールがあった。  そのメールによれば、福島県鮫川村の青生野地区で指定廃棄物の焼却炉及び処分場が建設されることになり、2012年11月15日より土地の造成が始まっているとのことだ。  立地場所は、放牧地で北茨城市、いわき市との境界になる.  国(環境省)は、除染のスピードアップの掛け声と共に、それに伴う落ち葉等の焼却処理を各市町村で進めており、今回の焼却炉は他自治体に先駆けてその第一号となるという。 メールを送られた方は、この10月にこの事業計画を知り、急ぎ鮫川村へ確認したところ、「地権者と周辺の村民30軒に対し説明し同意を得た」とのことで、他市町への説明は行わないとのことであった。その結果、計画は殆どの鮫川村民にも知らされていなかったことになる。  予定地名も「風評を懸念する地権者からの要請のため」非公開とされている。こんな酷い行政対応はあってよいのだろうか?  当初、環境省HPに掲載されていた入札関係資料には予定地名の記載があったがが、村へ連絡を入れた直後に文書は削除されていたという。何から何まで秘密裏だが、税金、公金を使う事業でこんなことは許されないはずだ。  福島県の人口わずか4千人の鮫川村で、焼却処分のために3年間で7億円もかける大型事業となるが、このように地元をまったく無視して推し進められることに大きな不信感が広がっている。  実施主体は環境省、仕様書(本論考の巻末に示す別紙4参照)によると焼却するのは落ち葉や稲わら、堆肥などで、最も汚染度の高いものは3万ベクレル/kgに達している。  8,000ベクレル超の指定廃棄物は本来国が責任を持って処理することになっているが、なぜ市町村で処理しなければならないのか疑問だと。  メールをくれた方が公開質問状や情報公開請求から入手した資料によると、鮫川村に先行する実験が飯舘村、大熊町で実施されたことが分かった。実験結果を見ると数万ベクレル/kgの有機物を燃やした後の灰には50万から2百万ベクレル/kgを上回る数値が出ているという。  このような超高濃度の放射能をもつ灰は、中間貯蔵施設ができるまでの3年間予定地に保管されると国は説明しているが、鮫川村の話では5~10年かかるとの見通しである。  予定地は地下水豊富な水源地であり、このような場所で10年間安全に保管できるのか、その後国は引き取るのかきわめて疑問である。  国は自らの責任を軽減するため、市町村に処理を押し付け、できるだけその場所に埋めてそのまま最終処分場にする可能性があると、不安を持つ人も少ない。  これまで鮫川村と国に対し何度も説明会と資料を求めてきたが、未だに説明はなく、肝心の工事の具体的な内容を記す資料も開示されず、その理由すら示されていないそうだ。  国は各地に設置を進めようとしているが、早期にこれを止めなければ更に多くの住 民が苦しむことになるだろう。  この事業を受け入れた鮫川村長は、国の提示する「安全」という言葉をそのまま信用しているようだが、多くの専門家が汚染ごみの拡散と焼却はあまりにも危険で厳禁であると表明している。 (別添4) 「平成24年度放射性物質を含む農林業系副産物の焼却実証実験に係る調査業務」の概要及び企画書作成事項 Ⅰ 仕様書(骨子) 1.業務の目的  平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質により汚染された農林業系副産物(稲わら、牛ふん堆肥、牧草、バーク、きのこ原木、果樹剪定枝等)が大量に保管されている。これらは長期保管による性状の悪化や臭気問題も懸念されており、早急に処理を行わなければならない状況にある。  の対応策として、焼却処理によって減容化、安定化させることが有効な手段であるが、8,000Bq/kg超の農林業系副産物を焼却した事例が少なく、焼却処理における放射性物質の挙動等に関する知見の蓄積を図るとともに、焼却処理の安全性等を確認していく必要がある。  本業務は、上記の状況を踏まえ、8,000Bq/kg超の農林業系副産物(以下、「焼却対象物」という。)の減容化と安定化を図るため、仮設の小型焼却炉(付帯施設その他本業務の実施に必要な施設を含む。以下、「仮設焼却システム」という。)を設置し、焼却による減容化に関する実証実験を行うものである。 2.業務の内容 (1)仮設焼却システムの基本計画  仮設焼却システムの概要(別紙)を踏まえ、安全性、効率性及び経済性を考慮した仮設焼却システムの基本計画を策定する。計画の策定に当たっては、放射性物質の取り扱いに対する安全性、仮設焼却システム周辺への飛散防止等の措置を講じた構造・仕様を検討する。 (2)仮設焼却システムの設計  基本計画で策定した内容をもとに、焼却対象物の収集・運搬に応じた焼却対象物の仮置き場、前処理設備、焼却方式、焼却炉の構造、排ガス処理設備、管理型処分場での処分を前提とする焼却灰処理設備、焼却灰貯留設備等を検討し、施設仕様を決定する。また、作業全体の流れを踏まえ、作業の安全性、効率性及び経済性のほか、放射性物質の飛散防止、作業員の被爆低減及び周辺環境への影響を考慮した機器仕様を決定し、仮設焼却システムを設計する。なお、本業務実施場所入口の公道から焼却施設(煙突含む)が見えないように設計すること。 (3)仮設焼却システムの施工  設計成果に基づき、各種法令を遵守して、仮設焼却システムを設置する。 設置場所の造成を行う場合は、必要に応じ、地元自治体及び環境省と協議するものとする。また、送電施設、用水施設、公道入口から施設までの搬入路等のインフラを必要な範囲で整備する。 (4)仮設焼却システムの運転・管理 a)作業の安全性、効率性及び経済性を考慮した上で、仮設焼却システムに係る運転管理計画書を放射性物質汚染対処特措法、電離放射線障害防止規則等の各種法令に基づいて作成する。また、実証試験計画書を作成し、焼却対象物を用いた実証試験を実施する。 b)実証試験計画書の作成に当たっては、排ガス濃度、焼却灰等の性状及び放射性セシウム濃度、運転管理データ等を計測し、安全に運転されていることを確認するとともに、焼却対象物を組合せ、焼却灰等の放射性セシウムが高濃度とならず(管理型最終処分場での処分を想定)、安全で安定的な処理が行える条件の調査について計画するものとする。 c)焼却対象物のうち、収集・運搬の対象となるのは、稲わら、牛ふん堆肥、牧草とし、地元自治体の保管場所から仮設焼却システムへ収集・運搬を行うこととする。なお、収集・運搬は、放射性物質汚染対処特措法等関連法令及び廃棄物関係ガイドラインに基づき適切に行うものとする。 (5)焼却灰の管理 焼却灰は、仮設焼却システム設置場所又はその隣接地に、管理型最終処分場での処分を想定し、放射性物質汚染対処特措法令及び廃棄物関係ガイドラインに基づき必要な処理をし保管する。 (6)打合せ協議 各年度に、環境省担当官と事業着手時、業務完了前及び事業実施期間中の必要な時期に行うものとし、打合せ後速やかに、請負者は打合せ記録を環境省担当官に提出する。 (7)報告書等の提出 a)実証試験の調査結果について、随時報告する。 b)各年度事業における成果を整理し、報告書としてとりまとめる。なお、平成24年度業務対象は、上記(1)から(7)とする。また、平成25年度及び26年度対象業務は、上記(4)から(7)の業務とする予定である。 3.業務履行期間  契約締結の日から平成25年3月31日までとする。
 (ふくしま集団疎開裁判」 【報告】国連から派遣された「人権の砦」(特別報告者)に対し、国政の最大課題について日本の国会が機能不全に陥っている事実を提出. http://fukusima-sokai.blogspot.de/2012/11/blog-post_19.html 国連の人権理事会は、福島第一原発事故による子どもをはじめとする住民の命・健康に関する人権侵害を調査するため、健康に対する権利の専門家である特別報告者アナンド・グローバー (Anand Grover) 氏を日本に派遣することを決め、担当のグローバー氏は今月15日に来日して、現在、調査中です。 特別報告者アナンド・グローバーについて->こちら 国連の人権理事会(ジュネーブ)は、つい先ごろ(今月2日)、国連では「福島住民の健康の権利守れ」 という次の内容の勧告を盛り込んだ作業部会の報告書を採択しました。 Take all necessary measures to protect the right to health and life of residents living in the area of Fukushima from radioactive hazards and ensure that the Special Rapporteur on the Right to Health can meet with affected and evacuated people and civil society groups (訳) 放射能の危険から福島の人々の命と健康に関する権利を守るために、必要なあらゆる措置を取ること、 そして、(来日する)健康の権利に関する特別報告者が、日本において、被ばくした市民、避難した市民、市民運動のグループたちと面談する機会を保障すること これは、福島の人権問題が国連の文書に初めて登場した画期的な瞬間でした。なぜなら、それまで、国連に登場する文書は、福島原発事故によって、原子力の安全性が損なわれので遺憾だ、国際原子力機関(IAEA)を支援する(甚大な被害を蒙った福島の被害者の人たちを支援するとは一言も言わない)と言うだけで、今後、核テロ防止のための取組みを行なうとしか述べていないから、あたかも福島原発事故で犠牲者は一人もいなかったかのような記述だからです(例えば2012年国連事務総長の報告書にたった1箇所登場する福島問題〔15頁81→(*)〕)。 しかし、グローバー氏は国際原子力機関(IAEA)から派遣されたのではなく、人権理事会から派遣された人物です。 先ごろ、私たちはグローバー氏と面談し、10月30日にジュネーブの国連でスピーチした福島の現状報告に関する資料を改めて提供すると同時に、日本国家の人権侵害状況を最も端的に物語る事実、つまり解散された日本の衆議院や参議院が、いま、国政の最大の課題である福島問題を全く顧みない機能不全の状態にあることを次のとおり、報告しました(提出したのは英語版)。 98%の国会議員は福島の子どもたちを今すぐ救うという緊急の課題にまともに向き合うことすらできないでいます。命に対する無気力、無関心、無感動の三無主義こそ、今、日本国家の最も根深い病理が端的に現れています(御用マスコミがもてはやす第三極と言われる人たちも、子どもたちの集団避難を語ろうとしない限り、根は同じです)。 もっとも、これは厳密には民主主義の危機ではありません。他人任せの間接民主主義の限界が明らかになっただけです。であれば、民主主義の原点に立ち返って、直接民主主義によって、世直しをするだけのことです。時代は、私たち一人一人に向かって、文字通り、勇気をふるって自ら主権者になれと要求しているのです。                                (文責 柳原敏夫)   ****************************                                  2012.11.16 本日、衆議院が解散されました。いま、国政の最大の課題は原発事故による福島の人々の人権侵害とその救済、とりわけ福島の子どもたちの救済です。なぜなら、福島原発事故は日本の歴史上、最大の人災なのですから。 そこで、私たちは、10月1日、全国会議員宛てに、この国政の最大課題について次の2つの質問状を出しました。 1、チェルノブイリ避難基準で強制移住地域(空間線量が年5mSv以上)に該当する地域に住む子どもたちは、直ちに疎開させるべきかどうか。 2、チェルノブイリ避難基準で移住権利地域(空間線量が年1mSv以上)に該当する地域に住む子どもたちは、直ちに疎開させるべきかどうか。 これに対し、本日11月16日までの間に、以下の回答が寄せられました。 -->  回答結果の一覧 全国会議員721名のうち回答者は16名。回答率は2%強。 質問1について、イエスと回答した者は13名。 ノーはゼロ。 その他が3名。 質問2について、イエスと回答した者は12名。 ノーは1名。 その他が3名。 回答者の殆どが「子ども達を避難させるべきだ」というものでした。 ここから、回答しなかった議員は、「子ども達を避難させるべきだ」と回答できなかったために、回答をしなかったのではないかと推定されます。 しかし、そもそも国会議員は主権者である市民の信託により国政を担当する者です。そうであれば、我々市民が現在の国政の最大の課題と考える「福島の子どもたちの救済」についてどう考えるのか、我々市民に説明する責任があります。ましてや、今回の問題は国が加害者として引き起こした問題です。加害者としても説明責任があります。 にもかかわらず、今回のアンケートで回答をしなかった98%の国会議員は、説明責任を全く果たしておらず、これだけで国会議員失格と言われても仕方ありません。 福島問題で日本国が重大な人権侵害を侵していることは、このアンケートからだけでも自明です。 (*)2012年国連事務総長の報告書15頁

2012年11月18日日曜日

首のグリグリが25mmのう胞⇒甲状腺がん、小さいのう胞もがん、横浜女性。カルディコット博士緊急会見。 http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/e4490b3316c3ac64d1d17bdbcf2fd158?code=AQCWlUYBZB91BIrCti_QFR4-YR58a57mBofnNEVLbEEvI9jIGXmMw16Le0p-GJ-4xbJqXcWK_ww2m0Gu-1BJfzEUGo_rVUTv65B1EmeB19KUewqCbrodpMrFMcqhMdw7GlGeyavKbP2xATV6LU1URVCVU3zn-j_rCbFZ2eJKKFXxh_Dy1Q1IK3feeSU41tKecSDp58MfFJZQBjdMW5MigUhq#_=_ こんどは、横浜の女性のお話です。以前は特に健康上のトラブルはありませんでしたが、3.11.以降に身体におかしなことがおきていて何度かお話を伺っていました。ご自身で、首のグリグリが気になって確認したところ、25mmののう胞でした。これが一か月ほどで30mmに拡大し、変形。それ以外に、小さなのう胞もおありになったようです。この大きいのも小さいのも、のう胞が甲状腺がん(乳頭がん)だった話です。もちろん、年配の女性ですから、元々の要因も考えられなくはありません。しかし、結節⇒がんという状態の報告や腺腫様甲状腺腫⇒がんという報告は、これまでに聞いていましたが、のう胞⇒がんの報告は、僕に届いたのははじめてです。  ======================================   以前にもメールでご相談、お電話でも少しお話させていただいたものです。その際はご親切に話を聞いてくださり、ありがとうございます。その後、甲状腺がんが判明し手術、今週初めに退院しましたのでご報告します。簡単に経過を記します。 私:五十代 女性 横浜 14日早朝より、水と食糧の備蓄、部屋の目張りと洗濯物の部屋干し、不要な外出を控え生活用品の買い物時のマスク着用等に注意してきました。ただし今から思えば政府発表を信じて、あくまでもメルトダウンは起きていないことが前提の防御でしかなかったですが。野菜は今に至るまで、試行錯誤を繰り返しながら安全と思える地方のものを購入しています。野菜以外の食材は、全品検査をしている生活クラブ生協から購入しています。とはいえ検出限界値がそれなりに高いので収拾選択しています。外食の回数は極端に減りましたが、最近少し緩んできていました。 体調ですが、極度の眠気と疲労感、タール状の便に続き初夏から初冬まで下痢、口の中の金属の味等、初期被ばくかと思える症状はありました。昨年末に極度の血圧の上昇(上が250)があり、それ以来降圧剤を服用するようになりました。私の高血圧は生活習慣病によるものではなく、原発性の病気の可能性が高いらしいです。 今年6月 首の小さなグリグリに気づき医師に相談、エコーと血液検査。このときは血圧の診察のついで程度の軽い気持ちで、わざわざ専門医に行くことは考えもしませんでした。 8月  エコーの結果25㎜ののう胞、その他が見つかり、甲状腺専門病院へ。 8月  専門病院で問診、改めてエコーと血液検査。 「この大きさを触診で見つけることはむずかしい。よく自分で見つけることができましたね。」と。 9月  血液検査では、サイログロブリン値が上限値をほんの少し上回るだけで他の値は正常の範囲内。     エコーではのう胞は30mmの他に2~3の小さいものが見つかる。 9月末~ この頃から、のう胞の形状が少しづつ変わり始めるのを感じる。      今になって思えば進行がものすごく早かったのでは。      ぷくっと膨れていたのが固いしこり状になり、喉の奥にかすかな痛みを常に感じるように。 10月 30㎜を細胞診、乳頭ガンが判明 10月 手術に備え頸部のCT撮影   結果、小さなのう胞は問題なし、大きなのう胞のある右の甲状腺を切除することに決定。      手術。切開後、左の小さいのう胞を急遽検査し悪性と判明、結局両方の甲状腺を切除。  一区切りはつきましたが、これが終わりではなくこれからがスタートです。一生涯の甲状腺ホルモン剤の服用、ガン転移の検査、予防が始まります。私のガンが被ばくによるものかどうかはわかりませんが、これが成長期の多くの子どもたちに待ち受けている未来だとしたら、と考えると深い絶望感に身の置きどころもありません。 日本の今の手厚い医療体制がいつまでも続くとは思えないことも大きな不安です。 私のケースが全てにあてはまるものではありませんし、年齢によっても人によっても千差万別なのかもしれません。でも触診や血液検査では見つけにくい場合もあることや、エコーで水泡と思われていても実は悪性である場合もあることは事実としてあるということです。 エコーで異常がみつかったら迷わず細胞診を受けることと、できるだけ短いスパンで経過観察をすることが必要だと思います。 以上、参考にしていただけたらと思いご報告させてもらいました。 ====================================== 右の甲状腺にあったのう胞は当初25mmと大きく、山下俊一氏らのメルクマールライン20mmよりも大きいですから、がんという診断も、年配女性の話と考えると、ある意味わかります。しかし、左の甲状腺にあったのう胞はそれよりも小さいもので、そうしたのう胞もがんという診断になったことを考えると、シビアです。お子さんや若い女性だと、急速に進行し、転移する危険性は否定できません。甲状腺がんは転移しなければ予後はよいのですが、転移すれば大変なことになりかねません。注意して下さい。
「ごめんなさいね。妊婦、子ども、妊娠可能な女性は今からでも東京を離れて下さい。」カルディコット博士。 http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/5e08dd785d3047791d6ee7fcca1057fc きのうのカルディコット博士の講演には、多くの方が詰めかけました。土砂降りの中でしたが、チケットを買ったほとんどの方がいらしていて、ほぼ満席の状態の成城ホールでした。博士ご自身は、東京に午前中に到着され、ホテルで休まれて、この講演に臨まれました。  僕自身、はじめてお話をしたのですが、彼女は、やはり時代の情勢変化に敏感な方で、日本の現況の政治情勢に関しての知識も多く、こうした情勢に関しての質問が矢継ぎ早に言われました。解散の流れや、野田総理への評価、官邸前デモの実態がどうなっているのかなど、知りたがっている話は多かったです。  ご本人は、講演ではいろんなことを話していました。僕は出入りもしていたので、全ては聞きとれていませんが、聞いた中のポイントは、次のような感じです。 ☆メルトダウンが三回起きたことは歴史上今までなかったこと。なにがおきているのか、本当のことはまだ誰もわからない。 ☆日本政府や東電の言っていることは、うそばかりで信用してはならない。 ☆福島の事故では、チェルノブイリの時よりも4.5倍から5倍の量が大気に放出された(ガンダーセンの推測を引用している)と思う。当初は、太平洋上に、次に市街地側へ流れた。今も、続いている。キセノンなどの核種は大量に放出されていることは間違いない。 ☆福島第一原発からおよそ200種類の放射性物質が排出されたが、これらの物質については確認さえ、なされていない。セシウムばかり取りざたされるが、これはあくまで指標の一つ。 ☆チェルノブイリでは立ち入り禁止区域は30km圏だけではないのがわかる。日本政府より、よほどソ連の方が対策を取っている。 ☆汚染が高かったスウェーデンはダウン症と知的障害が増加している。 ☆私なら土壌とハウスダストの汚染を調べます。本来はこれら測定費用を国が出すべきお金で国に要求すべきです。放射性物質は、非常に難しい。目に見えない臭わない。見えるようになると皆さんはわかるようになると思います。 ☆少なくとも、去年ボストンでは、アメリシウムが検出されている。アメリシウムは、プルトニウムよりも毒性が高いもの。日本でも、他の核種を調査しないとならない。 ☆悲しいことだけど一度体内に入った放射性物質を除去する方法はない。蓄積する。 ☆放射性物質は濃縮する。そして何世代も続き、どんどん酷くなる。 ☆福一4号機はM7クラスでいつ崩壊してもおかしくない!もし、そうなった場合はチェルノブイリの10倍もの放射能が放出される可能性。何かあったらすぐにボストンに住んでいる孫をオーストラリアに連れてくる。 南半球と北半球では大気の周り方が違い交わることはない。 ☆こどもの甲状腺ののう胞は極めてまれなものだと、私は認識している。子どもの甲状腺の問題は2種類。液状ののう胞と結節。結節は癌になる可能性がある。転移すると脳に問題が出てくることもあって、チェルノブイリでも知的障害と形成不全が出ました。 ☆(僕が血液検査やエコーの検査の必要性を話した直後)                                           検査するぐらいなら、逃げてください!高い汚染のある場所から、汚染がない場所へ。 ☆(東京23区土壌が平均でセシウム合算800Bq/kgや世田谷区のハウスダストで50gのほこりで75Bq、つまり1500Bq/kg、セシウムが出たことを話すと)                                             ごめんなさいね。私が東京の人間だったら、私は東京に今居ません。妊婦、お子さんやそのお母さん、特に小さな子供がいる方、妊娠可能な女性は、今からでも首都圏から離れて下さい。皆さんにこんな事を言わなくてはならなくて、本当に、ごめんなさい。 ☆事故がまだ終わってない事を常に念頭に置いて下さい。何が起こってもおかしくないのです。 ことし三月に来日したバンダジェフスキー博士に続いて、カルディコット博士も「東京は住めない」と明言しました。こうした、海外の専門家で、本当のことを告げようとする人ほど、はっきりとした警告をおこないます。女性で、しかも優しく、決然と話す感じに、場内の方たちから、博士に対しての共鳴が、強く感じられていたと思います。
〔史料〕福島県立医大の学長「低線量被曝のデータを明らかにして、人類の財産にしたい」 http://alcyone-sapporo.blogspot.de/2012/11/blog-post_6395.html?spref=tw

2012年11月17日土曜日

累積線量結果(文科省調べ)31キロ北西、浪江町赤木手七郎 182.780ミリシーベルト(12日現在) http://www.asyura2.com/12/genpatu28/msg/720.html 福島第一原発周辺の累積線量結果(文部科学省調べ)浪江町赤木手七郎182.780ミリシーベルト(12日現在) 浪江町津島仲沖  (30キロ 西北西)   78.630(12日現在) 浪江町赤木手七郎 (31キロ 北西)   182.780(12日現在) 飯館村長泥    (33キロ 北西)    93.480(12日現在) いわき市三和町差塩(39キロ 南西)     2.405(12日現在) 葛尾村上野川   (31キロ西北西)    27.540(12日現在) 福島市杉妻町   (62キロ北西)      6.589(12日現在) ※単位はミリシーベルト。1ミリシーベルトは1000マイクロシーベルト カッコ内は福島第一原発からの距離。 累積線量は昨年3月23日(福島市は同24日、いわき市は同25日、葛尾村は4月8日からの値)からの値。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 全国の都道府県の 大気中の環境放射線量も載ってます。 宮城  0.059 秋田  0.060 山形  0.078 福島  0.91 茨城  0.083 群馬  0.074 埼玉  0.049 千葉  0.061 東京  0.058 神奈川 0.043 新潟  0.064 富山  0.14 石川  0.096 福井  0.093 山梨  0.053 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
未公表データが存在 放射線量が急上昇. http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121117/k10013569791000.html 去年3月の原発事故で放射性物質がどのように放出したかを調べるのに重要な原発周辺の放射線量について、公表されていないデータが存在することが分かりました。東京電力は未公表の理由について「調査中」としていますが、この中には、事故から5日後の去年3月16日午前に一時的に急上昇しているデータもあり、専門家は「原発で何かが起きた可能性を示しており、詳しく調べる必要がある」と指摘しています。             福島第一原発の事故で放出された放射性物質については、東京電力がことし5月に最新の解析結果を公表し、去年3月15日に2号機から翌16日には3号機から、大量に放出されたとしていますが、具体的な放出経路などは明らかになっていません。 この未解明の謎に迫ろうと、NHKが原発周辺で観測された放射線量について改めて調べたところ、第一原発から南に12キロにある第二原発の値に不自然な点があり、問い合わせた結果、未公表のデータの存在が分かりました。 東京電力によりますと、未公表は去年3月15日午前から4月3日にかけてのデータで、このうち確認できたとして東京電力が明らかにした3月16日のデータを見ると、午前9時40分ごろ、それまで1時間当たり20マイクロシーベルト前後で推移していた放射線量が突然80マイクロシーベルトに跳ね上がり、10分後には87.7マイクロシーベルトまで上昇していました。 線量が上昇する1時間余り前の午前8時半ごろに、3号機の建屋から白煙が大量に噴き出ているのが確認されていて、放射性物質の放出との関連が疑われていますが、何が起きたのか詳しいことは分かっていません。 これについて、事故のあと、原発周辺の放射線量などを調べている東京大学の門信一郎准教授は「事故から1年8か月がたつのに、いまだに未公表があるのは分析を行ってきた立場として大変残念だ。今回のように大きく値が変化するデータは、福島第一原発で何かが起きた可能性を示しており、3号機の白煙との関連を含め、詳しく調べる必要がある」と指摘しています。 東京電力は「なぜ公表されていないのか調査中だ。確認ができしだい公表を検討したい」と話しています。
重要な資料!必読!(広島原爆で無事に生き延びた人たち.1次放射能症の症状など.) http://eichinoyakata.blog47.fc2.com/blog-entry-297.html 私は終戦当時、軍医見習尉官として和歌山市郊外の加多町で小さな派遣隊の防空壕掘りに従事していた大阪海兵団所属の国民兵の救護に当っていた。8月6日の夕方広島に巨大な爆弾が落ちたと知らされたが、その本態については不明だということだった。私の留守宅は広島の中心部から6〜7km離れている草津という町で直接の被害は少ないと思っていたが、8月7日夕方の情報では、広島市の旧市内は人を含めて建物などは壊滅状態であるということだった。 8月15日終戦をむかえ軍隊も解散となり20日頃に何も持たず郷里に帰って来たが、広島駅頭に降りて見て驚いた。広島市内の建物はコンクリート建築の数個を除いてはすべて倒壊し、一面の平原のようになっていた。さらに4・5km西方にある己斐駅(現在の西広島駅)が一望のもとに見えることだ。これはただ事ではないと思った。 自宅の在る草津地区は幸いにも家屋の倒壊は免れたので、多くの市内で被爆した縁者たちが身を寄せていた。被爆直後は無傷であった彼らも、脱毛、発熱、皮膚出血、発熱、歯齦出血、下血しながら、口の中は壊疸性潰瘍となり、8月月下旬から9月初旬にかけて次々と亡くなっていった。いわゆる第二期のもの即ち、被爆後2週目位から発症するもので、死亡するものが非常に多かった。 医薬品としては、ブドウ糖一本でも貴重であり、火傷に用いる油類、リバノール、マーキュロクロームなどの外は、包帯類もない状態だった。赤十字国際委員会駐日主席代表のマルセル・ジュノー博士(Dr.Marcel Junod:1904~1961:スイスの医学者)が来広し、原爆被害の惨状を知ると直ちに連合軍司令部に医薬品の提供を要請したことによって、やっと医療らしいことが出来たのは、9月20日過ぎであった。 それ故、野山の一木一草、薬になるものなら何でもよいという状況であり、医薬品を求める人々の願いはまことに切実であったが、私達医師は為す術もないという状態であった。 以下に述べることは、このような極悪な医療環境の中で、言い換えれば民間療法というか、伝承の智恵による医法しかないような状況下で行われた治療法であったことを銘記していただきたい。それは殆ど医師とは関わりなく行われたもので、表の医学・医療ではなく、アンダーグランドの医療であったので、医師を中心とした原爆医療に於いては、全く無視されてきた分野である。この隠れた医療の智恵を直接大衆から聞いてみたいと思つつこの三十年が過ぎていった。 このような劣悪な中で行われた民間の医療をなんとか掘り起こし後世に伝えたいと最初に企てたのは、日本東洋医学会広島大会を一年後にひかえた昭和43年1968年夏であった。漢方針灸同好の士に呼びかけて資料を収集し、全国から集まる伝統医学の医療関係者に「原爆傷害に於ける民間療法の役割」として報告する積りであった。しかし私一個人の力では思うように情報が集まらずその量も甚だ少なく報告することを諦めざるを得なかった。 次第に何か他の方法で一般大衆から直接体験の情報を得るしか方法がないという思いに至った。しかし年数を経るにつれ生存者は少なくなり、被爆の体験は風化の一途をたどるばかりある。一刻も早く記録に残こさねばと思っていた。 しかしこのような中、私の気持ちを理解して頂いた広島の地方紙中国新聞社山内記者と中国新聞社のご協力で、埋もれた情報をひろく集めるための新聞報道となった。そのおかげで即日被爆者及びその縁者の方々から貴重な情報が頂き、この度その内容を公にするに至った次第です。 今でも原子力発電事故などの放射線障害は、我々の身近にもあり、そして人類が人類の身をもって行った多数の犠牲者の冥福を析るためにも、寄せられた貴重な経験を将来の人類の健康に役立てようと思いこの論文を書いた。 なおこの論文は、核戦争防止国際医師会議で講演するため東洋医学の知識に乏しい西洋医学を主体とした欧米の医師達のための啓蒙論文であることをご理解いただきたい。 1. 死亡率 原子爆弾の爆発によって生ずる甚大な災害は熱線、爆風及び放射線によってもたらされるものであるが、初期原子爆弾傷の重症度は、日米合同調査団の調査結果では、爆心地からの距離が負傷率や死亡率に深く関係していることを示している。それはまた、遮蔽状況によって傷害の程度に差異を生じている。 Table1.1)には戸外の被爆者に於け内での被爆者死亡率であり、Table2.2)木造建物内での被爆者死亡率であるが、Table3.1)はコンクリート建物内の被爆者死亡率である。戸外と木造建物内とは余り差異はないが、コンクリート建物内での死亡率は甚だ少ないようである。 東京帝国大学医学部調査班の増山元三郎氏によれば、広島県可部警察署の検死記録から原子爆弾傷を負い、可部に逃れた人びとの死亡の状況を日を追って調べた結果によると、死亡者の累計が日々増加してゆく模様は、一定の指数関数曲線であらわされ、死亡数はほぼ6日毎に半減していった。即ち、50%が第6日までに、25%が第7日から12日までの間に、結局90%以上の人びとが40日までに死亡した。 2. 一次放射能症の症状(日米合同調査団の資料による3)) (1)悪心 嘔吐 食思不振 これら消化管に対するものは、被爆当日は、被爆者の71%に発症し、その持続は2・3日であったという。 (2)下痢 頻度は20日生存者で37%。1km以内の被爆者では50%という風に高率であった。初期は赤痢などの伝染病と思われていた血性下痢は、20日間生存者2,500名のうち16%であった。 (3)出血斑ないし点状出血 最も早く発症したものは、第2日目にみられたが、発現のピークは第20〜第30日、平均25日であった。その発症頻度は、広島で1km以内49%、5km以遠0.5%、1.5kmを越えると激減する。発現部位は上頭部、顔面、前胸部など上半身に多い。 (4)脱毛 多くの場合、出血斑より早く、第2週目から突然はじまり、1km以内では、平均17.2日で発症頻度は1km以内では69%、3km以遠では2%であった。しかし、戸外または木道家屋内で被爆した場合76%であり、コンクリート建物内では53%であった。 脱毛は、平均1〜2週つづき、8〜10週後に再生がはじまるが、生存者の多くは、12〜14週でもとに復した。死亡者は再び生えることはない。 (5)口腔咽頭病巣 脱毛、出血斑にともなうことが多く、発症頻度は1km以内で61%、5km以遠では7%であったが、病巣は、咽頭や口蓋の発赤と疼痛にはじまり、急速に出血壊死潰瘍形成にすすみ、高度の潰瘍をみた者は多く死亡した。 治癒にむかったものでも軽快に2〜3週を要した。壊死性歯骸炎は、口腔咽頭病巣の10%に見出された。 (6)出血 血小板の減少による出血傾向の亢進の他、粘膜その他の組織の壊死、潰瘍形成、感染などの結果であり、その病像は多様であったが、鼻出血や子宮出血はしばしば止血が困難で、大量の失血をまねいた。また、口腔・直腸・尿道・気道からの出血も少なくなかった。 それは、骨髄の傷害に伴うものであり、最重症群は14日以内に死亡した人であり、240メートルの距離でコンクリート三階で被爆した9名の血液は、8月12日(6日後)、8月13日(7日後)には白血球数は400から125であり、被爆後14日〜17日後にはすべて死亡している(岩国海軍病院) (7)発熱 感染とも関係が深い。Ikm以内で被爆した20日生存者の35%に発熱がみられ、5km以遠では5%の頻度であった。 大量の線量をうけた者では、数時間内に悪心・嘔吐があり、発熱を伴うものである。 重症者では、その後、5〜7日目から体温上昇を来たし、死に至るまでつづくものである。これよりやや軽症のものでは、悪心・嘔吐は間もなく消失し、一時無熱の潜伏期に入るが、脱毛や出血斑が現われると再び発熱すし、高熱のまま死に至るがものと、白血球数が回復し解熱したしたものがあった。 3. 早期西洋医学的治療 被爆直後の医療は、大量の負傷者の発生、医療従事者の不足、薬品衛生材料の欠乏により、困難を極めたことは想像に難くない。 (1)熱傷、外傷 亜鉛華油ないし亜鉛華軟膏の塗布が唯一の処治であった。種油、食用油、ヒマシ油、機械油で代用した場合も多い。ヨードチンキ、マーキュロクローム、リバノール、クレゾール、俑酸水、硬酸軟膏が用いられた。原子爆弾傷の特異性として、外傷による出血の止血が困難であったといわれている。圧迫タンポンまたは、ボスミン溶液をひたしたタンポンが僅かに効を奏したという。 外傷は、化膿或いは壊疸におちいりやすかった。やがて、下痢、血便が現われたが、これは赤痢を疑わしめるものであった。しかし、赤痢菌の培養では陰性であり、抗菌性薬剤も無効であったという。 これは、広島県立医専の玉川忠太郎教授によれば、被爆後は、早速広島県庁に行き病理解剖の必要性を説いたが、許可されず困っていた。しかし次々と死んでいく人々を眼前にすると、矢もたてもたまらず8月20日過ぎ罰せられてもかまわないから病理解剖しようと決意したということであった。解剖所見としては、骨髄痔と肺、心、胃腸などすべては毛細管出血であり、赤痢の潰瘍ではないと県衛生部に報告したと言うことだ。 (2)都築博士治療指針(昭和20年9月3日)4) 現在、脱毛、口内炎、出血、発熱などの症状を訴えるものに対し、 1)重症者(一般症状重篤にして白血球数1000以下) (a)対症療法として鎮痛、強心、止血に注意すること。 (b)事情が許せば、次の中等症者に対する治療方針を準用すること。 2)中等症者(脱毛、口内炎、下痢あるも、一般症状未だ重篤ならず、白血球1,000以上のもの) (a)安静、栄養高き新鮮なる食餌を摂ること。 (b)蛋白刺激療法、自家血筋肉内注入法(自家血20〜30ccを静脈より採取、大腿部筋肉内に注入する。もし行いうるならばならば一日一回同型新鮮血を100cc輸血するもよい。) (c)ビタミンB及びC大量投与、または新鮮なる野菜、果実を与えること。 (d)カルシウムの製剤の投与、塩化カルシウムまたは、ロヂノン・カルシウムなど20ccを1日1〜2回静注。 (e)肝臓製剤の投与、生肝臓、焼肝臓、肝臓末。 (f)生理的食塩水、リングル氏液、5%グルコース1日500cc皮下注入。 3)軽症者 軽度の脱毛あるもの、軽い歯敵炎、下痢あるもの、または、これ等の症状が軽快しつつあるものには、上記中等症の治療に準じて治療するが、特に注意することは、安静を守らしめることである。特異な療法として虹波の投与、食塩の摂取、柿の葉煎汁の投与、アルコール摂取、40%アルコール静注、牛肝油抽出液の筋肉注射が白血球の増加をきたしたという。 戦時及び戦後の食糧難の時代であったので、栄養補給が充分でなかったことも死亡率をたかめた原因の一つに挙げられるであろう。 アメリカ軍進駐後、国際赤十字社のマルセル・ジュノー氏の努力により、ペニシリン、サルファグアニジン、プラスマなどが給与され、悪急性期以後の感染症、血液像の回復に効果を示したと言われている。 (3)早期治療報告(直後から二週間) 前述の治療方針は、9月3日にまとめられたものであって、明らかに放射能症ということが判明した直後の治療についてであるが、それ以前の医療状態はどうであったかについて当時の日本に於ける二大新聞の記事を照会してみたい。 ■朝日新聞・昭和20年8月29日 「頭髪も全部ぬける原子爆弾被害者の臨床報告」 阪大附属病院で収容されている罹災者の病状経過並びに長井助教授の現地視察報告の中から拾った実相である。 1)症例 男子、37歳  中心より3kmで罹災、負傷なし。口の周辺に火傷を負う。当日以来、食事進まず、3日後に来阪。嘔吐感強く、40度の発熱を見たため阪大に入院。脈博は110ないし120という速さであった。口の周辺の傷が拡大腫脹し歯ぐきから出血、全身に斑点状出血があり、頭髪全部抜けた。  白血球は430にまで減少。栄養注射、強心剤を打ったが、全然効果なく、18日目に死亡した。 2)症例 男子、28歳  中心点から1200メートルの工場で罹災。工場の下敷になったが、たいした怪我なく、翌日来阪、入院した。口辺に火傷を負ったが、日時の経過と共に次第に拡大。歯ぐきと扁桃腺から出血、頭髪が脱け、全身に出血の斑点をみたこと前者と同様である。白血球は2000に減少、16日目に死亡した。両者共に肝臓、肺臓などの造血器が腫れ、レントゲン大量照射の場合に類似した症状を起こした。 3)症例 男子、26歳学徒兵  永井隆氏報告。投下地点からIkmの地点にあり、たいした負傷もなく、四〜五日は元気で救助作業に活躍したが、その後、食欲不振、全身倦怠、下痢、40度ないし42度の発熱、血痰の交った咳をする。歯ぐきからの出血、11日目の短期間で死亡。罹災当時活躍したもの程、症状が重く、けがして担架で運ばれた者ほど放射線による被害が少ない。その後400名を収容した同病院では、毎日40名の患者が死亡、殆んど全滅の状態にある。 4)症例 男子、28歳  永井氏報告。周辺地で罹災、何のけがもなかった。広島市内に勤労働具申の肉親を探すために1週間広島市内に滞在、帰宅後間もなく死亡。死亡の状況は、まず脈博に現われる。脈が早く触れられないような時でも、意識ははっきりしている。臨床的に対策樹立の域に達しなかったと報じている。 ■毎日新聞・昭和20年8月21日 「2週間目、黒髪ボロボロ”捨てて置けぬ”わが医学界で徹底究明へ」という表題である。  去る12日東大都築外科の玄関口に衰弱甚しい35、6歳の患者が家人に運ばれてきた。  この患者は、丸山定夫氏を隊長とする移動演劇隊の花形・仲みどりさんである。  みどりさんは隊員17名と広島市福屋百貨店附近の宿舎(中心より700メートル)で罹災した。17名中13名は即死、わずかに丸山氏をはじめ4名が生きていたが、それも次々と亡くなった。みどりさんは、背中に軽い擦過傷をうけた他は、身体的内部症状は認められぬまま一人で元気に帰京した。旬日前の容姿は、極度の食欲不振で今はみる影もなく、入院。4日目罹災後2週間目には房々とした黒髪は抜けはじめ、ちょっとした擦過程度の背中の傷も急激に拡大化膿し、白血球数も500〜600に減少していた。そこで残された手段は輸血以外にはなかったが、輸血した針の傷痕からまた腐蝕しはじめるではないか。  24日朝、罹災後19日目に不帰の人となった。 4. 民間療法 (1)民間薬とは 民間薬という言葉は、日本独特の名称であるがそれは生活の中で自然に見出され、使用されてきたものである。多くの経験と体験により、必要にせまられて自然に生み出されたものである。そして、その用い方は、文字のなかった時代からずっと言い伝えによって伝承されてきたものが多い。民間薬自身は、多くの場合一つの薬草のみで用いられるところに漢方薬との大きな差異がある。 これに対し日本で漢方薬というのは、病人を漢方医学的に診て、種々の症状の組み合わさった症候群を観察し、漢方の原典に記載されている処方を選び投薬する。その原典というのは二千年前、中国で完成された『傷寒論』『金置要略』『千金方』『和剤局方』などの医書である。この原典に書いてある治療法則に基いて治療方剤を選び投薬するわけである。それは、現在の日本に於いては、古典を学習した医師、薬剤師によって扱われているが、そこに用いられる薬物は、中国からの輸入薬が多く、素人が簡単に入手するわけにもいかない。 その点、民間薬は、我々の住んでいる環境の山野から得られるものであるから入手が容易であり、専門家でなくとも、伝承を聞いたり、教わったりして用いるわけである。それは、経験から出発して長年月に亘り確かめ蓄積された人間の生きるための智慧であり市井を照す輝きがある。 特に原爆による巨大な破壊力によって一時に一切が破滅しているときであるから、西洋医薬のみならず、漢方の医薬も全く不足していたわけである。そのときの人間は、自らの智慧によって身のまわりに残っている草木や野菜果物を治療薬として用いる以外にはなかった。私がこの論文をかいた大きな目的の一つは、ここに輝いている人類の智慧の結晶の一部を皆様に知って欲しかったわけである。それを諸賢によって確かめられ、利用して欲しかったのである。 その薬草の種類は、約150種類あるが、それは、民間薬を特に研究した専門家なら上手に使い分けることができ、時には、漢方薬のかわりに民間薬を自在に使いこなせるが、全くの素人に用いられるものは、約20種類ほどの限られものである。 また、「医食同源」という言葉は、日本や中国では自然に感覚的に知られているが、それは、「薬食同源」ともいい、健康を保持するための食事と薬とは別物ではないという考え方をもととしている。キウリ、キャベツ、キンカン、コムギ、サトイモ、ジャガイモ、スイカ、ソバ、ダイコン、タマネギ、ナス、ナツミカン、ネギ、ミョウガ、梅、生姜、蘇葉、桂皮、ナツメ等があるが、植物のみならず、動物、魚貝類もよく用いられている。牡礪、カタツムリ、シジミ、タニシ、ドジョウ、ナマコ、ナメクジ、フナ、コイ、ミミズ、マムシ、モグラ、ヤツメウナギ、郎等がある。 (2)都築博士を囲む座談会(昭和20年9月12日)5)  これは新聞の記事の表題であるが、この広島の地方新聞記事を照会してみたい。 医: 骨髄障害と称して来るものがかなりある。白血球減少のみで死ぬものはそう沢山はいないが。 都築:お灸をすえて骨髄を整理してやると早く治ることになる。 医: 柿の葉を与えて好結果を得た経験あり。 都築:柿の葉にはビタミンが豊富ですからね。お茶と同じようにして煎じてのませるとよろしい。 医: 私はビタミン剤、カルシウム剤、輸血100cc、毎日或いは隔日にやっている。もう少し数を重ねてみなければ、その結果についてはわからない。皮下出血をおこしている人は既に手遅れであると思う。白血球500〜600には、輸血も殆んど効果をあらわしてはいない。お灸も試みたが、1000以下のもの、発熱しているものには効果はない。 とこのように記載されているが、民間薬については、ただビタミンの補給になるからというような薬学知識しかなく、お灸についても、どの経穴を選び、どのように治療するかについての針灸的知識もないわけである。 (3)永井博土救護報告6) 長崎医科大学放射線学教授の長崎市原子爆弾傷害時の昭和20年8月から10月までの間に於ける救護状態の報告書から引用する。 永井博士グループの治療は、大体、4項目にわけられている。 1)環境療法、 2)鉱泉療法、 3)自家移血刺激療法 4)一般療法 (a)外傷 (b)類火傷 (c)早発性血液障害 (d)早発性消化器障害 (e)遅発性血液障害 (f)フオーレル水の少量、肝臓野菜食療法、骨髄スープ、野菜としてはキュウリが多く用いられた。果実として梨、柿がビタミン源として充分与えられた。馬鈴薯、南瓜、冬瓜を副食物として、入院よりは家庭静養法を主としたので、栄養は充分であった。別にビタミンC及びBの注射、高熱に対しては、フェナセチン、ズルファミン投与をしたが、無効であった。 (g)民間療法(医師の指示によらず) 柿の葉、ドクダミ、数珠玉、白南天、ロカイ、青紫蘇、ゲンノショウコ等の煎汁が多く用いられた。酢を飲ませて有効だったという者がある。また重篤な患者が最後だからと言って、日本酒を大量飲んで軽快したのもある。 この他には、日本では民間薬のまとまった報告はない。 (4)私の資料内容 その内容の大部分は、電話、葉書、手紙で報告されたものであるが、日常臨床の外来で聞いたものや原爆医薬史、新聞、小説「黒い雨」に語られているものも少数人っている。 1)協力者の人数 48人であった。そのうち、本人自身によるものは23人であり、その他は家族や親戚の証言によるものである。報告者一人で、二人ないし数人、数十名の報告もあった。 2)爆心地からの距離について(Table4) 距離の判明しているものは、28名であった。表の如く240メートル1人、700メートル6人、800メートル1人、1,000メートル5人、1,200メートル2人、1,400メートル5人、1,500メートル4人、1,700メートル3人、1,800メートル5人、2,000メートル、2,300メートル、2,500メートル、3,000メートルは1人ずつである。 5. 被爆民間療法の種類及び民間薬について 民間療法としては、伝承による民間薬を使用したが、それには、内服と外用とがある。外用は主として火傷に対するものであった。民間薬には、植物性のものばかりでなく、魚介類も多い。その他、吐法及び灸法がある。また日常の食品、果物を薬用ないし準薬用として用いている。table5.のA、B、C、D、E、Fを参照されたい。 下表の如くであるが、できれば一つ一つの症例について詳細に照会して御参考に供したいが、紙面の都合上、代表的な症例を呈示しながら解説したい。 6. 民間薬の種類と症例 (1)ドクダミ(重薬) 爆心からの距離700メートル2人、1,000メートル2人、1,500メートル1人、1,800メートル1人、2,300メートル1人、2,500メートル1人、即ち1,000メートル以内は4名となっている。使用した患者11名のうち距離の不明なものは三名であった。 この報告された11名には死亡者はいないが、それは、効果があって生存している方からの報告が主体となっているからであって、無効または死亡した人の報告は集まらなかったものと思われる。生存者は皆効果があったということである。 症例(1)姉17歳、妹14歳 共に1,000メートルの街路上で被爆したが、幸い大きな火傷、外傷はなかった。 姉は即日、鼻出血と共に高熱を出し、3日間意識不明であったという。覚めてから母親に毎日ドクダミを服用させられ、約1年つづけた。現在、広島大学原医研の外科に看護婦として勤務しているが、妹は元気であったので、ドクダミものまずにいたが、九月初旬、突然発熱、脱毛、下痢、咽喉頭炎、下血などの放射能症を発し、12月下旬には死亡したが自分はドクダミ服用の効果があって、現在まで元気に生きていられると思います。大学でも一般の医師達はこの方面に無関心ですが、先生は、このような民間薬のことを理解して下さることは有り難いと思いますので、お電話致しました、というのである。 症例(2)久米登氏談(『広島原爆医療史』より) 原爆症についてこういう実例があります。 「私の姪が基町の連隊区司令部(700メートル)に於いて下敷きとなり、はい出て3日目に帰ってきました。そのとき相当弱っていまして、すぐ豊田郡安登村に疎開しましたが、そこの医者は、薬はあるがドクダミをお茶代わりにどんどん飲んだ方が良いと言ったそうです。その後、歯鮫炎、脱毛、発熱がありましたが、田舎で食べた新鮮な野菜とドクダミを飲んだお蔭で元気になり、現在では結婚して子供が1人おります。 ところがその妹が、コンクリートの建築の銀行集会所(240メートル)の室内で電話交換手をしていましたが、岩国の海軍病院に入院し、経過は良いといわれていたのが、8月11日には発症し、8月17日には死亡しました。病院に収容されたものが死亡し、田舎の医者にみてもらったものが元気なんです。やはり田舎で養生したのが良かったのでしょう」とこのように言っています。 ところが、この死亡した姪を含め同じ職場の9人はすべて岩国病院に入院し、白血球数が算定されてあったわけです。(『広島・長崎の原爆災害』83頁)。 即ち被爆後6・7日目の白血球はすべて400〜150であり、その後約1週間後には9人共に死亡しているという最重症例の中に入っています。 私はこのように被爆後6・7日目で白血球数が500以下というような重症例にはドクダミ煎茶だけでは効果はなかったのではないかと思います。救われた姪のように3日後から服用したことがよかったように思われます。それによって放射能障害が軽かったので救命されたのでしょう。  症例(1)も3日後から服用している。 ○薬理作用  ドクダミ(重薬)は魚腥草、十薬ともいい、ドクダミ科の全草を乾燥したもので、主成分は methyl‐n‐nonylketone C11H22O、myrcene C10H16、geranialなどを含む精油。 quercetin C21H20O11、KCl、K2Sa4 などである。  薬能は清熱解毒薬に入っている。  また抗菌作用、抗ウイルス作用、利尿作用があるといわれている。中国の臨床的研究では肺膿瘍、大葉性肺炎に桔梗を配合して袪痰作用を強めて用いる。また魚腥草を煎茶としてお茶代わりに飲んで消炎作用を強める。  たとえば、皮膚疾患については、荊芥連翹湯や柴胡清肝散にドクダミを加えたり、胸腹部の炎症性疾患の際、この薬物を加えることによって奇効を呈することが多い。このほか、湿熱による急性腸炎や赤痢などにも用いられる。ドクダミと共に最も頻用される民間薬にゲンノショウコがある。 (2)楠の木の葉  これは一例であるが、あまりにも劇的に治癒したので報告しておきます。 症例 当時、18歳の青年で爆心から800メートルの広瀬小学校校庭にいた。火傷はなく、前額にガラス片による傷と右大腿部打撲があったが、大体元気で暮らしていたところが8月末日(3週後)になり、全身の出血斑、発熱、脱毛、下痢を発症し、次第に重態となり、四・五日後には絶望視されて、家人は葬式の支度をしていたという。母方の祖母が楠木の葉を煎じて飲めというので樟脳の匂いが鼻について飲みにくかったが、これを服用したら、翌日から熱が下りはじめ、一週間後にはすべての出血は止まった。 ただ不思議なことは、この楠の木の葉を飲みはじめたら、頭や大腿の外傷の部位が化膿しはじめて、膿が沢山出た。これは、薬のために膿を出す力が出たように思うというのである。その後たいした病気もせず、42年後の現在まで元気に働いているが、自分の身体の調子が悪いときには、一日この薬を服用することにしているというのである。 ○薬理作用  性味は辛、苦、温といわれている。鼻をつく特異な芳香がある。毒性があり、主として殺虫剤に用いられる。『和語本草綱目』では、霍乱吐下止まざるに煎服すとなっており、転筋、足腫、水腫足より起こるものに洗うとなっている。また楠木の皮を霍乱、吐瀉、小児の吐乳に煎服し、胃を暖め、気を正すとなっている。 楠の木の葉は注射薬として強心剤として用いられるが、楠の木の葉の内服については、古典にも現代にも文献がないようである。 (3)柿の葉  柿の葉に熱湯を注ぎ、数分後にこれを飲む。ビタミンCを多く含むというので、非常に多用されたらしい。柿の葉をお茶代わりにのむということは、9月3日の都築正男教授の講演にも述べられているが、広島では、郊外から爆心地へ肉親の死体探しに一週間、毎日通った人などは夕方自宅に帰ったら、近所の年寄りから毒消しになると言って柿茶を毎日のまされた。その御蔭で二次放射能障害が出ないで、今も元気でいるという人がかなりいるようである。 ○薬理効果  柿の葉は止血、利尿、血圧降下の作用等があるという。  主成分はビタミンC、carotin、cryptoxanthin、rutin、quercitrin等である。また柿渋は火傷に外用されている。 (4)田螺(タニシ)  症例 彼女は爆心地から約1,000メートルのところにある広島女学院の生徒であった。授業中で室内であったため、幸い外傷もたいしたこともなかったが、8月中旬(2週間後)から発熱、出血斑、脱毛、歯齦出血、下血などの放射線障害が出て、8月下旬には瀕死の状態で絶望的であったので、お坊さんが来て、葬式の心積もりであった。ところが、夜になって父が急に家の裏に行き、田から田螺を採取してきて、外の殼層をやぶり、生のままをすりつぶし、臭いので、鼻をつまんで無理矢理のませたところ、翌日から次第に熱が下り、出血もとまって、一命をとりとめたというのである。現在は、結婚して一児の母であるという。 ○薬理作用 性味は、甘寒であり、清熱、水を利すの効能かある。熱による尿閉、黄疸、脚気、水腫、便血、疔瘡、腫毒を治する。 腎臓性腹水の治療に外用することもある。煎汁は熱を療し、酒を醒ます。食べると大小便を利し、腹中の結熱、脚気、手足の浮腫を去るに用いられる。奥田拓男著『岡山の薬草』には、タニシを殼から出し、細かくたたきつぶし、小麦粉を少々加えて練り、和紙にのばし、腫脹の上に張る外用と、水煮して食べると黄疸によいということになっている。しかし、この症例のように、生のまますりつぶして服用するということは、文献にない伝承である。 (5)塩水  1,500メートルの戸外で親子ともに被爆し、父の方は頭部火傷で軽度のものであった。娘の方は、記載がないので不明であるが、外傷も火傷も大したものではないようであった。救護の仕事を夕方までやって夕方自宅に帰り、平素救護訓練をうけるとき、毒を扱ったら塩水を飲むということを聞いていたので、自分と娘は多量の塩水を飲んで床についた。8日の朝まで熱が高くて意識不明となっていたが、不思議なことに、同じ時刻に真黄の水性下痢便を出して熱が下って、元気になったというのである。 7. 生野菜及び果物について 胡瓜、南瓜、トマト、大根、人参、ジャガイモ、玄米、挑、無花果、西瓜等である。 (1)被爆医師の言葉 700メートルと軍隊宿舎で被爆した。その夜郊外で野宿していたとき、畠にあったトマト、キュウリを沢山食べたことが、その後の放射線障害が軽くすんだ原因ではなかったかと思うと証言している。現在71歳の医師として、日常の診療を行っている。 (2)被爆薬剤師の言葉 当時女子中学生で、爆心地から2.5kmで被爆し足の捻挫のみであったが、6日の午後、爆心地を通って夜遅く郊外の自宅に帰ったという。 本人の手紙の一部をそのまま紹介したい。 「……そして、広島に落ちた爆弾は、文明国のアメリカのやったことだから、ただごとな爆弾ではない。おそらく、科学爆弾に違いないといち早く両親が覚り、生活の知恵から家に到着した直後からとにかく体内の毒素を出してしまわなければと、解毒剤として、ドクダミ、ハブ茶、ハトムギ、をお茶かわりに長期にわたり飲ませて下さり、今では健康茶として自分がいちば飲みやすいように調整して、わが家の常用茶として、原爆以来、43年飲みつづけています。わが家の自慢とする健康茶です。  造血剤として、当時は薬もなく栄養剤などはもちろん手に入らず、夏ですから、トマトとかニンジンの赤い色素は造血、強壮作用が強く、カロチンAつまり植物性ビタミンAを多量に含有していることから、貧血になっては、いけないと、とにかく赤い色素のものを食べさせてくれました。またニンジンをすべてのものにすり込んで料理して食べさせてくれました(年中かかさず)。たとえば卵焼き一つをとっても、卵の中にニンジンをすり込み、ネギを入れてまぜて焼くとか、みそ汁の中まで小さく刻むか、すり込むかして色々工夫してくれました。蛋白質源として、豆乳を、当時は牛乳がなかったので、晩にすり鉢に半升くらい大豆を水につけて翌朝そのまますりこぎですってこし、こしたものは煮て、豆乳にし、こしがらはオカラとして、ニンジン、ゴボウ、タマネギを入れていりつけるとかして美味しく食べさせてくれました。  以上すべて母の生活の知恵から、物資のない当時でも創意工夫して色々と食べさせてくれました。その御蔭で、下痢するでなく、頭痛を訴えるでなく、鼻血がぬけるでなく、頭髪が抜けるでなく、歯ぐきから出血するでなく、原爆症特有の症状が全然あらわれず、現在(1987年)でも健康に送日出来る原動力をあたえて下さったのは、すべて両親のおかげであり、感謝しております。……あの悲惨な状態を二度と繰り返さないためにも、恒久平和の祈りを込めて、ここにしたためてみました……現在、私は造幣局の診療所の薬剤師として医療にたずさわっています。直接の被爆者として原爆症状が全然出なかった事は、あくまでも、被爆直後の解毒処置が早く適正であった事、長期に亘る薬草菜として健康茶を飲用しつづけた事、栄養剤としての茶はなくとも、自然の造血剤としての薬はなくとも自然の造血剤として赤い色素の野菜を食べたり、豆乳の飲用というように、自然の薬草、野菜を生活の知恵として栄養源を与え続けて下さった母の恩恵に感謝するものでございます。  ここに私の被爆後の自然療法の体験をしてみて、絶対的効果があったようにおもわれますが、先生の御趣旨に賛同協力させて頂き、先生の御研究に何等かの参考にしていただければ幸いに存じます。  昭和六十三年六月十五日          敬具 西■■子   小川 新先生 この方の両親の行われた治療や養生法は、早期からまことに適切であって感心いたす他はない。この方以外、このような治療・養生をなさって、今でも元気でいられる多くの市民がおられるように思う。 しかし、放射能障害が明らかになった時期、即ち、発熱、下血、脱毛などの重態になってから、このような養生、治療がはじめられた場合には、このように簡単に元気になるわけにはいかないと思う。 8. 灸法 (1)1.8kmで被爆。8月22日頃から下痢しはじめたが発熱脱毛はなかった。ドクダミ、彐モギを煎じて飲んだが効かないので、臍の上に塩を置き、さらにその上に、味噌をおいて約1時間位お灸したら下痢は治ったので、約半月後出勤した。 (2)700メートルコンクリート内被爆で頭部挫創以外、火傷もなく元気であったが、母親が翌日からドクダミをのませてくれたが、半月後からひどい下痢がつづいたので、ドクダミを止め、生野菜をどんどん食べさせられた。最後は針灸師による灸で下痢はとまった。 (3)距離不明であるが、3週後から下痢したので臍のまわりの4ヵ所と三里の灸をした。 (4)二次放射能障害によるもの 姉夫婦、妹夫婦の4人が死去したが、毎日屍体探しのために呉市から通っているうちに、二週後から下痢がつづき、どこの病院でも治らなかったが、築田多古著『実際的看護の秘訣』という本に出ている脊部灸(肺兪、肺兪、腎兪)によって治った。 (5)急性放射能障害の場合 70歳老婦人、被爆地不詳。 被爆後2週間頃から発熱、脱毛、全身斑点、下血、特に子宮出血がひどかったという、意識もうろうの状態であったという。 一夜、夢の中で姑様が観音様のように尊い人の姿で現われ、お灸をすえたら救かるというのである。どこをお灸したらと夢の中で尋ねたら、足の裏を見せてここだというのであった。翌朝、意識が少しもどり、娘にここに灸をすえてくれと言って頼んだが、爾来、出血はとまり、発熱も治って来はじめたというのである。数カ月この足の裏の経穴に灸をすえ、元気になって現在(昭和50年)も健康であるという。 本人にその灸の場所を見せてもらったが、それは腎経の湧泉という経穴であった。その当時、瀕死の重態であったことは、主治医の佐藤先生に関けば分かるという。どうも、他の医師は信じてくれませんが、先生なら信じてくれそうだからお話ししますというのである。 この湧泉穴は、腎臓や生殖器に関係する経穴であるが、東洋医学でいう腎経というのは、膀胱、生殖器の機能にも大きな関係をもっているものである。それはまた、骨や脳脊髄神経とも関係を持ちながらも毛細血管出血にも深い関連をもっている。 狭心症や呼吸困難の発作のときにも、救急療法としてよく用いられる経穴である。放射能障害の重態のときにこの一つの経穴のみで治癒に向かいはじめたことはまさに驚くべきことである。被爆者の体験談を諸賢に報告し、御参考に供したい。 9. 吐法について チェルノブイリもそうであったが、広島でも前述のごとく被爆後から2週間の間に吐気がよく起こっている。 そこで、鎮吐剤を用いることなしに、積極的に吐方を行った例を紹介しよう。 症例1. 当時19歳の男子トラックの運転手であった。当日の正午頃、軍の命令によって被爆者を宇品港まで運ぶため、千田町方面(1.5km)に入りました。宇品港でトラックから患者をおろしましたが、私は、何となしに毒を沢山吸っているのではないかと思い、米を入れる唐米袋を患者の頭からかぶせ、袋の臭気と暑さのために壮気を催すと袋をはずして吐かすことを数十名にやりましたが、その後生存者達は、30年後の今日でも、あの時、あなたが吐かせてくれたお蔭で助かった気がすると言ってお礼を言ってくれるというのです。 症例2. 母24歳、子4歳(当時)、距離700メートル。親子共幸い外傷、火傷は大したことはなかったが、自宅に帰る途中3.5km近くの井戸の水が美味しかったので、この水を飲んでは、指を口の中に入れて吐くことをくりかえした。4歳の子供にも水を飲ませては吐かしてやり、その後何も障害はなかったが、自分は8月31日頃から発熱、脱毛、歯齦出血、下痢等を発症し、一時意識不明となった。ハブ草茶に梅干を入れてのんだり、柿の葉を煎じてのんだが下痢はとまらなかった。イチジクをたべたら下痢もおさまり、諸症状は治まったというのである。 現在母子共に健在であるが、今思うに、あの最初に行った吐法もよかったのではないかと思うとのことであった。 症例3. 或る在広医師の証言から:IPPNW第9回広島大会の医師の証言の中に、爆心地から約800メートルの電車の中で被爆したが、その電車は焼失し、黒焦げとなった。当時17歳の高等学校を1年休学した。現在61歳で、内科医院を開業しておられるが、初め二・三日間、嘔吐、吐気が非常に甚しく、あまりにも口が渇いて、食物がのどを通らなかった。その後、1年間に亘り、重症な放射能障害に苦しんだが、幸い生命は救かったといわれている。 しかし私から見れば、この吐気と嘔吐こそ、この方の救命反応の第一歩であったように思うのである。 現在ならば、輸液しながら、嘔吐したらもっと楽に排毒ができたのではないかと思う。 ○吐法の意義 東洋医学の治療には、汗・吐・下・和という四の法があるが、吐法も大切な医療分野である。ひどく衰弱している時には、適応はないが、体力のあるときには、積極的に吐剤を用いることが教えてある。 当地広島の恵美三伯は吐方によって難病をよく治したといわれるが、現代の東洋医学では、殆んど行われていないものの、二百年前には、胸膜に貯まった毒を出すという意味で積極的に用いられたものである。 先述の被爆者によって行われた仕法は、民間による伝承の知恵による治療の一端ではないかと思われる。 しかるに、NHKで以前報道された広島大、原医研教授のチェルノブイリ原発事故の治療報告によれば、治療の第一に行われたのは、鎮嘔剤投与であったということを聞いて驚いたわけである。 生体が自然に備えている防禦、治癒反応の第一歩を積極的に利用することなしに、吐気嘔吐を止めるということは、排毒作用としての生体反応を完全に無視しているようである。 このことは、チェルノブイリのみならず、日本、米国等国際的な医学の盲点とも申すべきであろう。 10. 毒という概念と治癒の実際、吉益東洞のこと 被爆直後の原子爆弾放射能症、二次放射能症に於いても、人体に於ける放射線の生物学的反応として、骨髄に対する種々の段階の障害が主体となって、白血球、血小板の減少を伴う全身的毛細血管出血に、感染症が加わっている。 この病態に対して、西洋医学では、主として血液検査による病態解析が主となって、輸血とか、骨髄移植などを中心として、その回復を図る治療方法を選ぶことは、まことに適切である。 しかし、先述のごとく毒という概念に立って、放射能症が発症する以前に種々な薬草及び食品による清熱解毒療法、また種々な方法による排毒療法が、素人によって自然に行われていたことは、驚くべきことであった。ただ、なぜこのような解毒療法が行われたのかの疑問が起こる。 それは、原子爆弾投下の当日、広島市内には、異臭がただよっていたので、これを毒ガス入りの爆弾のように解釈した人が多かったようである。それは、短時間の強烈な熱線の作用によって、爆心地では、約3千〜4千度に達していたので、表皮の炭化のみならず、内臓の蒸発状態を招来し、即死または即日死した多数の人(1〜3万人)の焼死のために出た煙が風によって運ばれ、異臭を放ったのではないかと思われる。これを、爆心地から二千〜三千メートル以上の地点にいた人は、毒ガスを伴う新型爆弾という風に理解したのではないかと思う。 しかし、爆発直後からはじまる一次、二次放射能障害については、全然気付いていなかったのである。医師達がこの点について一部のレントゲン医師は3日後位にX線フィルムの感光の状態をみて気付いていたのであるが、病理学的に分かったのは病理学者が解剖を始めてた8月20日以後であったようだ。赤痢と思って隔離されていた患者の血性下痢が放射能症によるものと広島医学専門学校(広島大学医学部前身)の玉川忠太教授によって判明したのは、8月20日以後であった。 なぜ、このように病理解剖が遅れたかは、県庁衛生部が直後から解剖を禁止していた経緯があるのだが、玉川教授は、この指令を破って止むに止まれず20日頃から解剖を開始したのである。縁あって玉川教授の病理解剖のお手伝いしたが、このことは直接玉川教授からお聞きした。 さて、このような状態であったから、一般の市民や患者は放射能障害のことなど到底知りうべくもない。ただ直感的に毒ガスを吸った毒であろうから、これを体外に排泄しなければ大へんなことになると思い解毒療法を行ったのではないかと思われる。 さてこの広島市は、二百数十年前「万病一毒論」の主張で一世を風扉した江戸時代の医傑吉益東洞を生んだ街であるが、彼は凡そ病というものは、必ず毒によるものであることを悟り、病症や疾患像の奥に潜む欝毒を知らずして医の学問はなりたたない主張した。 それは、現代医学的に言えば、体液循環の障害によって生ずる病的状態を毒という言葉で表現したものであろう。 広島の被爆者が、さしせまる危機を毒に因るものと直感し清熱解毒し瀉下し吐した事は、実に適切であった。このような知恵を発揮したのも吉益東洞の影響があるのではないかと思わる。 この吉益東洞の銅像や、記念碑は、広島県医師会館にあり、顕彰碑は寺町報専坊に建てられているが、彼の功績については、伝統医学の専門家のみならず、現代医学のパイオニアの先生からも尊敬されているような次第である。 11. 後障害の問題 この問題を考える実例を申しのべたい。 700メートルの近距離で被爆し、3日目の朝まで河原で過ごしたが、この人の兄が幸いにも近隣の某陸軍病院の軍医であったので、さがし出されると同時に何等被害をうけていないその病院に収容された。火傷の治療は勿論、輸血、輸液等、当時として西洋医学的には最高の治療をうけ救命したが、放射線に敏感な生殖機能が犯され子宝にめぐまれないというのである。 その点、先述の論文に述べたドクダミによって救かった女性、タニシによって救かった女性はそれぞれ一人づつ子宝にめぐまれているという。 また私の知っている放射線科の70歳の医師柴田先生は、8月6日の前日陸軍軍医として爆心地に近い陸軍病院(距離千メートル)に着任し翌朝被爆したが、三次の病院に収容され西洋医学的療法で救命した。数年後漢方療法によって子宝に恵まれたことが漢方を研究する一つの機縁となったという。 情報資料としては甚だ少ないが、後障害の多少はこの解毒療法をなすかなさないかによって決まる領域があるように思う。 そしてこのことは、一次、二次放射能症のいずれかであるかをとわず、また放射性降下物の汚染の障害とも深くかかわっているように思われる。即ち生殖機能障害、血液病、白血病、慢性肝障害、諸種悪性腫瘍等の発病因子の一つとして重要視されるべき問題であるように思われる。 特に最近、チェルノブイリ原発事故の放射線の被害については、初期放射能による被爆をうけた人は、広島原爆よりははるかに少ないが、放射性降下物による被害は原爆より大きいと考えられ、雲や雨にのって放射能降下物は国境を越えてヨーロッパ全域に広がっている。広島原爆の500倍のセシウム137が放出されたということである。牛乳汚染は48万平方km、癌患者発生は6,250人と推定されている。 この点についての疫学的、遺伝学的な科学的観察の成果を無視するものではないが、後障害の実態を精細に観察する実態認識が不足しているように思われる。特に私の場合、東洋医学的証の診断法を利用しながら現代西洋医学を行っているものにとっては、後障害の病態解析が、より厳密であるので悪性腫瘍や肝炎の発病を予知出来ることも多く、それらを予防しうるような解毒治療の実際を日常臨床で行っている次第である。なおこの後障害の観方と治療の実際については、第二報として症例を呈示しながら報告する積りである。 12. 総括 (1)原爆症の一般的病態像についてのべたが、病理学的詳細については、文献を参照されたい。 (2)西洋医学的治療については、医師及び薬材の極端な不足状態であり、多くを語る資料もないので、主として民間に伝承された治療の中に激的な効果を発揮したものがあったので、それを主として報告した。 (3)民間薬・食品類及び吐法、灸治療について述べた。 (4)民間伝承の知恵による解毒療法が有効であり、それは、後障害にも関係することを述べた。 (5)放射能障害に限らず、医学医療に於ける解毒療法の必要性を述べた。 (6)二百十数年前、広島市出身の医傑、吉益東洞の唱えた万病一毒論に学ぶところがあることを強調した。 結語 科学の発達によってもたらされた諸種の血液検査、輸血、骨髄移植等の現代医学的発達を生かすためにも、東洋の英知にみられる伝承の医学医療に対する認識を新にして、多くの病者を救うための総合医学を理想として人類医学が前進することを切望するものである。