2012年10月30日火曜日

(目に余るNHKの情報操作による世論誘導 ~放射線報道(大熊町・飯舘村)~) http://eritokyo.jp/independent/aoyama-democ1005b...html
(残存放射能を無視し続けるABCC ) http://blogs.yahoo.co.jp/erath_water/63803873.html 1970年 8/14号 週間朝日 Atomic Bomb Casualty Commission ・・・原爆障害調査委員会。 十万人の徹底調査! 現在、ABCCには、「死亡調査」、「成人健康調査」、「病理学的調査」の三つの調査を行っている。 そのもとになっているのが『十万人の原簿』といわれているもので、昭和25年の国税調査時にヒロシマ、長崎両市に住んでいた人たちのなかから選ばれている。 対象になる人びとをABCCは、二種類に分けており、(この分け方事態に重大な問題があるのだが、さおれは後で指摘するとして)、被爆当時、爆心地から1万メートル以内の住んでいた人を、爆心からの距離別に抽出した5万人と、別に無差別に抽出した5万人と、別に、性別、年齢構成が同様な「被爆しなかった」5万人の組み合わせ・・・という形式をとっている。 「死亡調査」はこの10万人を対象に、その余命を調べるのが眼目だ。 さらにその名簿から被爆者、「非被爆者」1万人ずつを抽出して、白血病、ガンなどあらゆる病気の発生率を比較調査するのが「成人健康調査」。 「病理学的調査」は、同じ比較を、死亡調査の対象者の死体解剖で行っている。 このうちの、成人健康調査の対象になっているのがさきにのべたクイーンたちである。 いまABCCに来ている「成人健康調査」の対象者は、ヒロシマの場合、毎月500人、「病理学的調査」で解剖される死体は、月に30体ほどになる。この調査で得られたデータは、統計的に処理され、3年ごとに、学会で発表されることになっている。 太平洋米軍総司令部の軍医などの主張によって、終戦後アメリカは、いちはやくヒロシマに『学術調査団』を送りこんだが、その調査団が継続調査の必要から広島と長崎に研究所を設立、その後昭和23年、厚生省の国立予防研究女医が協力してできたのが、現在のABCCである。 だから、ABCCは今も渡島と長崎に二つあるが、調査研究の主体は広島で、規模の上からもABCCといえば、広島というのが常識となっている。 このABCCの調査については、「最初のころは被爆者の心理や感情をよく考えずにトラブルを起こしたことがありました。しかし、だれかがやらなければならなかったことを、終戦直後の混乱期にあれだけの規模でやった、ということはやかり意味があるでしょう。」【原爆病院】重藤文夫院長。 「ABCCがあったからこど終戦直後の医学の暗黒時代にも貴重な資料が保たれた。もし、その資料が日本に渡されていたとしても、その当時の日本の状態では、すぐに散逸してしまったことでしょう。また、ABCCは過去の統計調査なども要望に応じて快く提供してくれる。」=今春ABCCに移った元広島大原医研所長の志水清博士。 といった評価がある。純粋に『研究』という立場からみればそうかもしれない。 しかし、科学は単に科学として、社会から切り離されて存在するわけではないだろう。原爆症は単に肉体だけの問題ではないとことを、本紙前掲のリフトン教授の論文は鋭く指摘しているが、世界でも例のない核兵器による惨禍をうけたヒロシマの人びとを対象に、占領軍がはじめた調査なのである。当然、そこには様々な葛藤が生じてくる。 日米間の力関係をたえず反映! 「核戦争にそなえるために、被爆の記録を集めているのだ」 「検査するばかりで治療はしてくれない。『患者』をモルモット代わりにしている」 「隠然たる実力を広島の医学界にもっている。批判でもしようものなら、仕事がしにくくなる。」 といった、市民や一部の医師たちの声を、「被害者意識」や誤解として、説明するABCC関係者もいるが、この点はどうか? ABCCは、「原爆がもたらす障害諸効果を正しく評価するために・・・、必要データの収拾を指導すべき委員会」(マッカーサー将軍の顧問軍医の覚え書き中の言葉=金井利博「核権力」から)という構想から生まれた。 その必要は、「広島、長崎の生存者は、世界で原爆の洗礼を受けた唯一の集団であるから、ABCCの医学的調査の科学者にとっても、米国の軍部および民間の防衛計画にとっても重要なものである。」(1950年6月17日、米原子力委員会発表。中国新聞社編「ヒロシマの記録 年表・資料編から)というところからきている。 したがって、その動きは、当初、占領軍そのものであった。 調査を拒む被爆者に向かってピストルを突きつけ「アナタ、グンポウカイギニカカッテモイイデスカ」と脅し、少女を全裸にして、体の隅々までライトで照らし出す。 あげくの果てに恥毛の発育状態まで検査する。そのため少女は気が変になってしまった、という話もあるほどだ。 高圧的だったABCCも、しかし、講和条約以後は、協力を要請するという態度に変わった。それとともに、市民の批判は、今度は方向を変えて、日本人職員に向かった。 「死亡調査」の対象が亡くなった場合、いちはやく死体解剖の交渉に姿を見せる連絡員、「成人健康調査」の対象者に調査の協力を要請する連絡員に罵声が飛ぶようになった。 「おまえ、それでも日本人けえ。」 そして、いまABCCは、「日本とアメリカの対等なパートナーシップ」を盛んに強調するようになっている。 まさに、日米関係の推移が、ここにもそのまま投影されているといっていい。それについて、広島に住む詩人・深川宗俊さんは、次のようにいう。 彼には、「成人健康調査」でここに8年間通った経験がある。 「占領軍が駐留していた頃は被爆者を弄んでいたくせに、今になって手のひらを返したように『世界人類のために」などどゴタクを並べて協力を要請する。 そもそも原爆を落とした国が被害を受けた国に乗り込んで調査研究をやるというのは、人道上許されないことではないでしょうか。」 ベトナム戦争が激しかったころ「ABCCはベトナム戦争のために資料を集めている」という噂が立ったことがある。この噂だけに限らず、ABCCは軍事的な施設だという声は前からあった。初代のテスマー所長は軍人で、初期のABCCは入り口に銃剣をかまえた補償が立っていた。またABCCは一時、被爆者の遺体を解剖して取り出した臓器や組織などの標本をアメリカ本国の陸海空三軍共同のAFIP(米軍病理学研究所)に送っていた。 「軍事的に利用される懸念が・・・」 ゲーリング現所長が、昭和32年に着任してからは、市民感情の上から、それではまずいと、米軍二票8本の変換を交渉し始めた。その結果、現在までに昭和22年から32年までの間、AFIP に送られていた約700体の標本が全部返還され、その後の分と合わせて約3500体分の標本が、広島大原医研4階の資料センターに移管されている。 しかし、ABCCに派遣されていたことのある原医研のAさんはいう。 「アメリカでは三軍共同が普通のように、科学もたいていは軍事とつながりをもっている。やっている本人は非軍事目的のつもりでもその結果が軍事的に利用される懸念は十分にあります。」 現代の科学がたえず、そういう危険性をはらんでいる事実は、すでに常識であるといっていい。 疑問は、ABCCの立場にだけ向けられているのではない。実は、さらに重大な疑問が、調査の方針そのもののなかにあるのだ。 前にもふれたように、ABCCが現在行っている調査は、被爆車群と非被爆者群とを設定し、両者の病気発生率その他を比較するという方法をとっている。 しかし、ABCCがヒロシマで非被爆者として設定している2万人のグループの中には、ピカドン後1ヶ月以内に市内に入った人たちtが4000人近くもいるのである。 この人たちを非被爆者群の中に入れているのは、ABCCが残存放射能、または二次放射能を無視するからである。 だが、残存放射能の影響を重視する立場からみれば、これは被爆者同士を比較するという矛盾を犯していることになる。 広島大学医学部の杉原芳夫助教授も、 「非被爆者として設定されている人たちの20%近くが被爆直後の入市者だとすると、それらの人たちと被爆者を比較してみても統計的に有意の差が出るはずはない。 ABCCの調査研究はまったく無意味なものになる。」 と指摘する。 残存放射能の影響を認めるのは日本の医学界では常識である。たとえば、広島大原医研の広瀬文男教授の白血病に関する研究では次のようなデータが出ている。 被爆語3日以内に入市した人で、白血病にかかったのは45人(人口10万人当たりの発生率は、9.69人)一週間以内に入市した人は8人(人口10万に当たり4.04人)。 全国平均は10万に当たり、2.23人だから、発生率としてはきわめて高い。このデータでも残存放射能の影響がはっきり見られる。 広瀬教授は、 「残存放射能が人体に影響するということは白血病ひとつとっても十分に考えられる。残存放射能を受けた人たちを非被爆者として設定するのは無理があるのではないか」 と述べている。これを認めると過去のABCCの研究が全部無意味になるという致命的なものであるが、ABCCは沈黙を守ったままである。 なお25年つづく調査研究 ところで、去年、ABCCの日本遺憾のうわさが流れたことがあった。 「日米対等のパートナーシップ」ということがの手はやされ始めた昨年初めに、ダーリング所長は、「ABCC年報」(68~69年版)の緒言で次のように書いた。 「来年度はプログラムを次の段階に進めることが望ましいと思われる。適当な米国政府当局が、その筋を通してABCCにおける研究の優先政、管理機構、職員の確保と配置、および運営資金について日本政府の意向をうかがうように望んでいる・・・。 ABCCが日本の法律の下で『法人』として再編成されて、専門的指導、職員派遣や財政的支援に対する責任分担の再配分を図るべきかもしれない。」 この発言は、ABCCの日本遺憾を示唆するものと一般には受け取られた。ところがダーリング所長は、ことし3月の記者会見で、 「ABCCはの規模は縮小しない。新たに細胞遺伝学、成人ガンの二大テーマを加えて、今後25年間調査研究をする」と発表した。 このダーリング所長の二つの異なる発言の真意は、地元ではいろいろ取り沙汰されている。 遺憾を示唆するような発言の裏には、当時ベトナム戦争などの影響で、米国内でドル防衛が叫ばれていたことから、予算面でのしめつけがあったのはないか、という推測もそのひとつ。志水清博博士によると、最初のダーリング発言のあとに行われたABCC日本側評議会では、 「ABCCに予算を出している米原子力委員会のオブザーバーから、『研究は継続するが、予算は増やすわけにはいかない。また、アメリカの大学から派遣している7人の研究員は減員する。』という話があった」という。 そのあと、前の発言をひるがえすような今春の記者会見の発表になったわけだが、くいちがう二つのダーリング発言について槙準所長は、「だーりんぐさんはそもそも、日本に移管するとは初めからいっていません。日本画もっと予算をお出しになれば、本当の共同研究体制が整うだろう、という意味のことをおっしゃったわけです。その後、日本の方からその問題についてなんの反応もなかったこともあって、ことしのああいう発言になったわけです」という。 こうしてABCCがヒロシマとナガサキに維持されつづけることは確実になった。原爆が与えた傷害については、んきゅうちょうさしても、被爆者の治療についてはなにひとつ貢献せず、今後も貢献する計画を持たぬABCC。 日本人はその存在を今後なお25年間許さねばならないのだろうか。
(アメリカによる内部被爆隠しと放影研) http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/c6a9b0ff6b1c6ed4c3a46c898a795724 ***** 知られざる放射線研究機関 ABCC/放影研 2112.7.28TBS系「報道特集」 http://www.dailymotion.com/video/xsgr38_20120728-yyyyyyyyyyyy-yyyy-yyy_news?fbc=958 原爆の悲惨さを訴え、今も読み継がれている漫画がある。『はだしのゲン』 放影研の前身であるABCCを描いたこんな場面が出てくる。「なにもくれず、 まるはだかにされ、白い布をかぶせられ、血を抜かれて、身体をすみずみま で調べられたと言うとった。」「アメリカは原爆を落としたあと、放射能で 原爆症の病気がでることがわかっていたんじゃのう。」「く、くそ、戦争を 利用して、わしらを原爆の実験にしやがったのか」 (『はだしのゲン』作者中沢啓治さん(73)談) 「原爆を投下する前にすでに、アメリカはわかってたんですよ。あれが。落 としたあと、どういう放射能影響が出るかということがわかっていて、それ ですぐにABCCを比治山の上に建てるわけでしょう。」 中沢啓治さんは、『はたしのゲン』の作者であり、自身も被ばくしている。 母、キミヨさんは、被ばくから21年後に亡くなった。そのとき中沢さんは、 今も脳裏に焼きついて離れない体験をした。 「ABCCが来てね、オフクロの内蔵をくれというんですよ。棺桶の中にいる オフクロの内蔵をくれって。怒ったんですよ。「帰れ」って。いやあ、あれ はもう、広島市を見下ろす比治山の上から、じっとこうやって見ているんだ よね。今日は被爆者の誰が死んだ、誰が死んだっていって」 ABCCによる被爆者調査の拝見を物語る文書が、アメリカの国立公文書館にあ る。1946年、海軍省が大統領に送った文書だ。 「アメリカにとって極めて重要な、放射線の医学的生物学的な影響を調査す るにはまたとない機会です。調査は軍の範囲を超え、戦時だけでなく平時の 産業農業など人類全体に関わるものです。」(報告書内容) この文章にサインをしたのは、原爆投下を命じたトルーマン大統領その人だ。 「戦争の長引く苦病を短縮し何百万もの若いアメリカ兵の命を救うために原 爆を使用した」(トルーマン談) アメリカ人の命を救ったとする一方で、放射線の調査を命じていた大統領。 その承認を受け、1947年、ABCCが広島で設立された。ABCCが当初最も重視し たのは遺伝的な影響だった。広島・長崎で生まれた被爆者の子ども、被爆2 世を77000人調査した。担当部長として調査を指揮したウイリアム・シャル 氏は死産の赤ちゃんを調べたという。 「死産や生まれた日に死んだ赤ちゃんは、家族の同意があれば、ここABCCで 解剖しました。採取された組織は保存されました。」(放影研の前で、 シャル氏談) 遺伝的な影響があるのかは結論が出ず。被爆2世の調査は今も続いている。 そんな放影研に福島県郡山市から依頼があった。大久保利晃(としてる)理 事長が、市の健康管理アドバイザーとして招かれたのだ。専門的な知識を期 待されてのことだった。 「放射線に被ばくすればするほど、ガンは増えます。これは逆に。だんだん だんだん減らしていったときにどうなるのか。本当にゼロに近いところでも ごくわずかに増えるのか増えないのか。これが一つの問題です。」 「本家本元、広島の研究では増えたのか増えてないのかということは統計学 的に証明できてないです。」(大久保氏の福島での集会レクチャーより) 実は放影研のデータは、福島ではそのまま活用できない。放影研が調査して きたのは、原爆が爆発した瞬間、身体の表面に高線量の放射線を浴びる外部 被曝だ。福島で今、起きていることはこれとは異なる。放射性物質が呼吸や 食べ物から身体の中に取り込まれ、放射線を放ち、細胞を傷つける、内部被 曝だ。 「子どもさんを外に散歩させていていいのか。乳児に外気浴をさせていいのか」 「これ、すべてですね、申し訳ないけれども『良い』『悪い』という形で、私 は返事ができないのですね。」(同レクチャーより) 低線量の内部被曝のリスクについて、大久保理事長は慎重に言葉を選んだ。 そんな大久保氏に講演会のあと、歩み寄った一人の女性がいた。出産を間近に 控えた井上美歌さん(28)だ。 「食べ物からの内部被ばくを気をつけていくことが一番安全なのかなと思うの ですが」(井上さん談) 「特定の物ばかり食べて(放射性物質の濃度が)高いものばかりになってしま うと、危険とは言わないけどできれば避けた方がいいですね」(大久保氏談) 福島の人々の不安に答えられない放影研。その原因は放影研のデータには、決 定的に欠落したものがあるからだ。 「うちのリスクデータには、内部放射線のことは勘案してありません。」 (大久保氏談) 放射線の人体への影響を60年以上調べている放影研だが、実は内部被曝のデー タはないという。しかし言うまでもなく内部被曝は原爆投下でもおきた。爆発 で巻き上げられた放射性物質やすすがキノコ雲となりやがて放射性物質を含ん だ雨を降らせた。この黒い雨で汚染された水や食べ物で、内部被曝が起きたと 考えられている。 「黒い雨の方は、これは当然、上から落ちてきた放射性物質が周りにあって被 曝するのですから、今の福島とまったく同じですよね。それは当然あると思う のですよ。それについては実は、黒い雨がたくさん降ったところについては、 調査の対象の外なんですよ。」(大久保氏談) 内部被曝をもたらした黒い雨は、放影研の前進のABCCの時代から調査の対象外 だったという。もとABCC部長のシャル氏はその理由をこう証言する。 「予算の問題は1950年からありました。研究員たちは予算の範囲で何ができる かを考え、優先順位をつけました。黒い雨は何の証拠もありませんでした。だ から優先順位低かったのです」(シャル氏談) だがABCCが内部被曝の調査に着手していたことが、私たちの取材でわかった。 それを裏付ける内部文章がアメリカに眠っていた。 「1953年にウッドベリー氏が書いた未発表の報告書です。」(公文書館員談) ローウェル・ウッドベリー氏はABCCの当時の生物統計部長だ。報告書には広島 の地図が添えられ、内部被曝の原因となった黒い雨の範囲が線で書かれている。 ウッドベリー氏は、黒い雨の本格的な調査を主張していた。 「原爆が爆発したときの放射線をほとんどまたは全く浴びていない人たちに被 曝の症状が見られる。放射線に敏感な人が、黒い雨による放射性物質で発症し た可能性と、単に衛生状態の悪化で発症した可能性がある。どちらの可能性が 正しいか確かめるために、もっと詳しく調査すべきだ」(ウッドベリー報告書) この報告書にもどつき、内部被曝の予備調査が1953年から1年ほど続けられた。 調査の担当者として日本人の名前も記されていた。ドクター・タマガキ。 「懐かしいですねえ。10何年もここにおったんですから。」(元ABCC研究員 玉垣秀也氏(89)放影研の外で撮影) 玉垣秀也氏は、医師の国家試験に合格したあと、ABCCに入った。黒い雨を含め、 原爆投下後も残った放射性物質、残留放射能の調査を命じられた。玉垣氏は、 原爆投下後に広島に入った救助隊員40人を調べた。5人に深刻な症状を確認し、 うち2人はすでに死亡していたという。 「(放射線を)直接受けた人たちと同じように脱毛がある。それから歯ぐきか らの出血ね、それから下血、発熱と。そういうような症状でしたね。」(玉垣 氏談) しかしアメリカ人の上司は衛生状態の悪化が原因だと一蹴し、この調査を打ち 切ったという。 「(上司は)あの当時の人たちは衛生状態が悪いから腸チフスにかかっても不 思議はない」と。「それを聞いて玉垣さんはどう思われましたか?」(記者) 「私はやっぱり原爆の影響だと思いましたよ。」 ABCCから放影研に変わった後も、内部被曝の調査は再開されることはなかった。 黒い雨による内部被曝の実態は、今も、広島・長崎の研究者の間で論議をよん でいる。内部被曝に関する放影研の姿勢を疑問視する声もある。 広島大学原爆放射線医学科学研究所 大滝慈(めぐ)教授談 「内部被曝のような問題がもし重要性が明らかになりますとですね、アメリカ 側が想定してきたようなですね、核戦略の前提が崩れてしまうのではないかな と思います」 内部被曝への不安を訴えていた福島県郡山市の井上さんは、この4月、元気な女 の子、うららちゃんを出産した。 「春の生まれなので、春の新しい命が芽吹くときに力強く育って欲しいなと 思って、春といったら、うららかなって思いました」(井上さん談) 市役所から届いたバッジ式の線量計。しかしこれでは内部被曝については測り ようがない。 「福島産であれば、「不検出」と書いてあれば買いますけれど、何も貼り出し がない場合は、福島じゃないものを使ってしまいますね」 井上さんが放射性物質を取り込めば、母乳を通じ、うららちゃんの身体に入る。 井上さんは自分の内部被曝を防ぐことで、我が子を守ろうとしている。 「今は「何も異常はない」と言われていますけれど、いつ何があるかわからな いし「自分たちで気をつけてください」ってただ言われているような気がして」 原爆の放射線の影響は、被爆者の生身の体で研究されてきた。それと同じ構図が 福島で繰り返されるのだろうか。 内部被曝を調査の対象から外した放影研。福島の原発事故の発生から1年が経っ た今年3月、大きな方針転換を決めた。それは・・・内部被曝を調査の対象から 外した放影研が新たな方針を決めた。 「過去の業績と蓄積した資料を使ってですね、原発に限らず、一般の放射線の 慢性影響に関する世界の研究教育のセンターを目指そうと。」(大久保氏、放影 研会議の席上で) 取り扱い注意と記された放影研の将来構想、内部被曝を含む低線量被曝のリスク を解明することを目標に掲げていた。原爆投下を機に生まれた研究機関は、今、 原発事故を経て方針転換を余儀なくされている。 ・・・番組の最後にABCCの現場からキャスターと記者が中継 「取材にあたったRCC中国放送の藤原大介記者を紹介します。藤原さんね、この 放影研、放射線影響研究所ですね、やっぱり一般の研究施設とは違いますね。」 「そうですね。こちらの一本の廊下をはさんで、およそ20の検査の部屋が並ん でいます。短い時間で効率的に検査をこなし、データを集めるためです。被爆 者たちはこの廊下を戦後60年あまり歩いてきました。放影研の建物は、ABCCと して発足したころの、かまぼこ型の兵舎がそのまま使われています。」 「VTRの中に登場した『はだしのゲン』の作者の中沢啓治さんの言葉が強烈に 耳にこびりついているのですけれども、人体実験だったんじゃないか、モル モットに扱われたんじゃないかという怒りの思いがですね、伝わってきたので すが、放影研の前進のABCCですけどね、これ、そもそもどういう研究施設だっ たのかという疑問が残りますね。」 「ええ。中沢さんと同じような暗い記憶を大勢の人たちが抱えています。占領 期のABCCは軍用のジープで半ば強引に被爆者を連れてきました。助産師に金銭 をわたし、赤ちゃんの遺体を集めたという元研究員の証言もあります。そうま でして集めた被爆者の膨大なデータが、内部被曝の影響を軽視したことで、福 島で役にたたないということに、やるせない感じがします。」 「そして、311、あの大震災と原発事故を契機としてですね、ようやく1年 以上経ってから、ようやく放影研が内部被曝の研究に再着手するというそうい う方針転換をしたわけですよね。」 「そうですね。ABCC、放影研の調査は、けして被爆者のためのものではありま せんでした。内部被曝の影響が抜け落ちているのに、国はその不完全 なデータを根拠に、被爆者の救済の訴えを切り捨ててきました。今、放影研は 福島県民200万人の健康調査を支援していますが、そこで内部被曝を軽視し た広島の対応が繰り返されてはならないですし、広島の教訓は福島で生かさな ければいけないと思います。」 「そもそもですねえ、日本において被爆者を救うはずの原爆医療でさえ、アメ リカのABCCのデータ集めから始まってしまった悲劇をみて、一体、何のための 医学なのか、誰のための医学なのかという思いをあらためてしましたけれども」 「放影研は将来構想で、低線量被曝を含め、内部被曝のリスクを解明すること を目標に掲げました。しかしその研究は、今、福島で生きる人たちのためには なりませんし、そもそも内部被曝のデータが欠落した放影研にリスクの解明が できるのかは疑問です。なぜ内部被曝の問題を過去に葬り去ったのか、その 検証も欠かせません。」

2012年10月29日月曜日

( 郷原信郎×石塚健司 対談★検察捜査の刃が普通の市民に向けられるとき ) 対談は、産経新聞社記者石塚健司さんのお話から始まったのですが、 やはり石塚さんのご本は直前に読んでおくべきで、肝心の本の内容は全体像としては 分かるのですが、石塚さんが我々に伝えたい事、否、検察へ伝えたい事を正確に把握 するのには「四〇〇万企業が哭いている」を読んでから伺った方が理解度が増したのかも 知れません。参加者はこの検察問題や冤罪問題に関心の深い方ばかりでしたので 後半の質疑応答でも熱心に質問していらしゃいました。 石塚さんは、郷原先生の著書「検察崩壊」についての感想もお話されましたが、 そもそも石塚さんが「特捜部が可怪しい」と追求していらしたのが、特捜部から 検察全体に広がったとの印象を持たれた様です。先生が手を抜いたな・・・ との感想は素人の私にはよく分からない表現でしたが、ミステリー小説の様でいて 実はこの「検察崩壊」は郷原先生が検察に仕掛けた破壊力のある時限爆弾なのだそうです。 その時限がいつなのか?もうタイマーが0に近づく寸前なのか? やはりこの話題も! ◆田代政弘元検事の不起訴処分について。 法律の専門家でなくても当事者(石川知裕議員)の事情聴取もしないで、不起訴決定は 可怪しいと思うのは至極もっともで、検察審査会がこの郷原紙爆弾を見ても尚 不起訴処分相当との結論に達するのかは石塚さんのみならず、国民も注視していると思います。 この不起訴処分は省内のお偉方からの圧力があったのか、なかったのか。。。 あったと見るほうが自然でしょうが、田代元検事と元大阪地検特捜部長大坪弘道氏に 対する処分の差はどの様に理解すべきか?そもそも組織防衛の為にはトカゲの尻尾切りは よくある事で、警察組織でも同じ様です。組織防衛が至上命令なのだから、辣腕検事、 名物検事でもただのコマに過ぎないのですね。 郷原先生のご本やその他からは、検察官は辞めれば検察庁からの経済支配を 受け続けるのか、そうでないのかはかよく分かりませんが、大坪さんには弁護人郷原信郎 との強力タッグで大いに反撃して、勝訴判決をもぎ取って頂きたいものです。 因みに私が当日一番伺いたかったのは、小川敏夫前法相の指揮権発動に関する 郷原先生の生のご発言。民主党野田政権の時でなくても、多分自民党政権であっても 指揮権発動には慎重であったと想像つきますが、何とも後ろ向きな野田さんでしたね。 さて、会場には「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」の八木啓代さん もいらっしゃいました。同性として眩いばかりの八木さんともご挨拶だけさせて 頂きましたよ。リンクを貼りましたので、関心のある方は八木さんの活動をご覧下さいね。 ◆石塚健司さんの「四〇〇万企業が哭いている」について。 ご本の内容は、実は読んでいないのですが、当日の対談である程度理解できました。 朝倉亨さんと仰る「普通の市民」がある日突然粉飾決算で逮捕・起訴される事件ですが、 確かに冤罪とは違いますし、詐欺罪は詐欺罪です。商売をしていれば銀行からの 借入金は回転資金としてつきもの。無借金経営はこのご時世少ないでしょうから、 借金のあるごく普通の経営者でも、検察の思惑次第で一生を棒に振る訳です。 確かに粉飾決算は悪い事=犯罪なので、石塚さんも朝倉さんを援護射撃すべきかどうか 大いに悩んだそうです。 検察改革をしようとしたまさにその時の朝倉さんの逮捕・起訴に、どの様な意味が 込められているのか!?郷原先生と石塚さんのお話を伺っていて背筋が寒くなりました。 朝倉亨さんと経営コンサルタント佐藤真言さんの置かれた現状を伺うにつけ 検察組織に正義などあるものか!と強く感じました。強制捜査が入らなければ 借金は確実に返済出来、普通の生活が続けられたはずなのです。 後半では朝倉さんを支援する会についてご紹介がありました。 亀井静香代議士が呼びかけ人になったそうです。ちょっと可笑しかったのは 亀井さんご自身は会の代表になりたかったそうです。亀井さんと言えば・・・ 郷原先生の亀井静香評も面白かったですよ。でも活字には出来ません(笑) 気になる先生の亀井評価は・・・YouTube動画の第一部 39:35~再生されますよ。 検察上層部が決定した朝倉逮捕・起訴のストーリー! 不祥事により廃止の危機に瀕していた特捜部の姑息な悪知恵! 東日本大震災復興緊急融資制度に絡めて制度を悪用して融資を受けた・・・ ここに検察の小狡さがありますね。そりゃぁ確かに国民は検察に拍手喝采するわね。   石塚健司著「四〇〇万企業が哭いている」 http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%9B%E3%80%87%E3%80%87%E4%B8%87%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%81%8C%E5%93%AD%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B-%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E3%81%8C%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%82%92%E8%B8%8F%E3%81%BF%E6%BD%B0%E3%81%97%E3%81%9F%E6%97%A5-%E7%9F%B3%E5%A1%9A-%E5%81%A5%E5%8F%B8/dp/4062178842/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1350636962&sr=1-1 郷原信郎著「検察崩壊 失われた正義」 http://www.amazon.co.jp/%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%B4%A9%E5%A3%8A-%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%AD%A3%E7%BE%A9-%E9%83%B7%E5%8E%9F-%E4%BF%A1%E9%83%8E/dp/4620321478 八木啓代公式サイト http://nobuyoyagi.com/JAPANESE/index.htm 八木啓代のひとりごと http://nobuyoyagi.blog16.fc2.com/ 健全な法治国家のために声をあげる市民の会 http://shiminnokai.net/ 1-2 郷原信郎×石塚健司 対談★検察捜査の刃が普通の市民に向けられるとき "> (2-2 郷原信郎弁護士【越山会事件を解説】×石塚健司 対談 (質疑応答)
(来日したチェルノブイリの放射能専門家が、福島市民の前で発した重い警告.) http://news.livedoor.com/article/detail/7081417/?fb_action_ids=4753745963621&fb_action_types=og.recommends&fb_source=other_multiline&action_object_map={%224753745963621%22%3A165601650230515}&action_type_map={%224753745963621%22%3A%22og.recommends%22}&action_ref_map=[] この1年半、福島第一原子力発電所から飛散した放射性物質をめぐってさまざまな情報が飛び交い、今なお「心配ない、安全だ」という人と、「危険だ」という人の間には大きな溝が存在する。なぜなら、誰も福島、いや日本の将来に放射能がどのような影響を及ぼすかを断定することができないからだ―。 10月16日、今、日本が置かれている状況を冷静に見ることができる人物が緊急来日した。 チェルノブイリ原発事故で、国土の広い範囲が汚染されたベラルーシにある民間の研究施設「ベルラド放射能安全研究所」のアレクセイ・ネステレンコ所長である。 ベルラド研究所では、チェルノブイリ事故以来、これまでにホールボディカウンターで45万人以上の子供たちの体内被曝量を測定し、39万件に及ぶ食品の放射能検査を行なってきた。 今回、ネステレンコ氏はそうした多くの実績と分析結果を背景に、10月17日、福島市内で「チェルノブイリから福島に伝えたいこと」と題した講演を行なうために来日。いったい何を語るのか。 まず、ネステレンコ氏はベラルーシで事故後にどのような活動をしてきたのかを振り返った。 「ベラルーシでは国の発表したデータは誰も信用していませんでしたから、最初にすべきこととして、個人が使える線量計を作らねばなりませんでした」 国の言うことは信用できないという構図は、日本と一緒だ。 「次に行なったことは、食品を測定できる『放射能地域センター』を学校などに設置し、各家庭から食品を持っていって測定できる体制をつくりました。また、測定だけでなく、どう調理すればいいかを指導するようにしました」 日本では、個人が自由に食品検査をするまでには至っていない。 「さらに、ホールボディカウンターで人体の測定を始めました。45万人の子供たちの体内被曝を測定した結果、子供たちの体内に放射能が蓄積されていることがわかりました。では、蓄積された放射能を減らすためにどうすればいいのか。われわれは放射能を体内で吸着する吸着剤を対策法として考えました。研究の結果、『ビタペクト』という吸着剤を開発し、これまで130万人以上にビタペクトを提供してきましたが、それを飲むことで子供たちの体内被曝量が減るという大変よい結果が得られています」 ビタペクトの主要成分であるペクチンは、体内でセシウムと結合し、さらに人体の代謝の働きをよくするため、セシウムを体外に排出していく作用があるという。 子供の被曝を避けながら、住民が放射能汚染のなかで生活していくためのこうした活動だが、ベラルーシ政府はまったく協力的ではなかったという。そうした経験からか、ネステレンコ氏は日本政府についても痛烈に批判する。 「日本は(避難区域の放射線量基準を)年間20ミリシーベルトとしていますが、これは国家による自国民に対する犯罪行為だと思います。20ミリシーベルトであれば国家にとって都合がいい。なぜなら、『20ミリシーベルトまでは安全』と言っておけば、対策をしなくて済むからです」 そして、彼は今、福島が置かれた状況について語り出した。 「将来、福島でどのような病気が増えるのか、また病気の子供が増えるのかといえば、残念ですが、病気の人が増えると思います。ベラルーシでは低量の汚染地域でも重病の患者が多く出ています。子供の甲状腺がんについて、ベラルーシは悲劇的な状況だというしかありません。低量であっても、放射能は体内に入ると遺伝子に大きな影響を与え、精子の一部や生殖器の一部が壊れると、それが子供にも遺伝し、さらには孫に影響が出る場合もある。しかし、このような予測を言うことは、『大丈夫ですよ、何も危険なことは起こりませんよ』と言うよりはいいのではないでしょうか」 福島県内では「放射能は安全だ」と声を上げる人たちも大勢いる。講演の会場に来ていた福島市内在住の主婦もこう語る。 「福島では『放射能は安全』『ここに住んでも大丈夫です』と言われているので、たまにこういう厳しいお話を聞かないと、自分がどう思っていいのか不明確になってしまうんですね。今日は、放射能は人体へ悪影響を及ぼすということの確認のためにも来ています」 ネステレンコ氏はチェルノブイリで得た経験をすべて投入し、福島の未来のために協力したいと語るが、そこには壁があるという。 「現在、福島原発事故について明らかになっている情報が、言ってみれば氷山の一角で、真実が水の中に隠れているからです」 福島は真実を待っている。 (取材・文/頓所直人)

2012年10月28日日曜日

「封印された核の恐怖」20万人以上の「実験」 死の灰、黒い雨. http://www.chunichi.co.jp/article/feature/arrandnuc/list/201209/CK2012092502100006.html  1945(昭和20)年9月、日本は復興への道を歩み始めた。焼け跡に闇市が出始め、バラック小屋が並んだ。東京では国民学校が再開。歌手並木路子(23)の「リンゴの唄」がはやり、みんなが口ずさんだ。だが、原爆で街じゅうが焼き尽くされた広島と長崎だけは別だった。  現在95歳の肥田舜太郎は当時、広島市駐在の軍医。原爆投下時、市郊外で往診中だった。爆心地から北に7キロ離れた山あいの村を拠点に被ばく者の治療にあたった。  押し寄せた人波は皮膚を垂らし、口から黒い血をこぼしていた。「ただ死んでいくのを見ていただけ。正直、何もできなかった」と、当時を振り返る。  当初はやけどで息絶える人が多かった。投下の4日目から様子が変わる。目尻や鼻から血を流し、頭をなでると毛が抜けた。「どうなってるんだ」。途方に暮れた肥田がさらに驚いたのは、その1カ月後。同じ症状でも「わしは原爆にあっとらん」と訴える患者が続いた。  大本営が国民の戦意喪失につながるから、と原爆の事実を隠したのが原因だった。放射能の危険性をまったく知らされず、投下後、身内の安否確認や救助のため市内に入った人たちが「死の灰」を浴び、体内に取り込んだ。  投下2日後に広島市に戻った現在83歳の高橋昌子もその1人。当時16歳の女子高校生だった。  祖母の看病で岡山県にいた高橋は、姉を捜しに爆心地近くの実家に帰ると、台所で姉は真っ白な骨になっていた。指をやけどしながら骨を拾い集めた。「はあー」ともらしたため息の後、放射性物質を含んだ粉じんなどを吸い込み、内部被ばくした。  1カ月後に異変が生じた。高熱、じんましん、下血…。治まっては再発する原因不明の症状が30年近くも続いた。健康診断で訪れた病院で問診を受け「あなたは被ばく者です」と告げられた時、50歳を過ぎていた。  「体の不調は体質だと言い聞かせてきた。何も知らされずに生きてきたのが悔しくて、涙が止まらなかった」  高橋のように原爆投下後、爆心地付近を訪れた「入市被ばく者」は広島、長崎で10万人以上ともいわれる。爆心地から10キロ以上も離れた場所で放射性物質を含んだ「黒い雨」を浴びて被ばくした人も。  広島原爆から7年後の52年、高橋の元をジープに乗った2人組の米国人が訪れている。復員した男性との間に長男をもうけたばかりだった。  通訳の日本人は「ABCCの調査です」と告げただけ。ABCCは全米科学アカデミーが46年、日本に設立した原爆傷害調査委員会の通称だった。  言われるままに、布団に横たわると、米国人は太い注射器で母子の血を抜き取った。手土産代わりにせっけんを枕元に置くと、採血を大事そうに抱えて立ち去った。その後、今に至るまで何の連絡もない。  ABCCは広島や長崎で被ばくした人たちの健康状態や胎児への遺伝的な影響を調べていた。学術研究が目的とされたが、実際は米国の核兵器研究のデータ集めの側面が強かった。資金提供を申し出たのは、原子力のエネルギー利用などを目指す米政府の原子力委員会だった。 1950年11月に開かれた米原子力委員会の議事録。ウォーレン生物医学部長は「長崎と広島の20万人以上を含む実験結果がある」と発言した  当時、ABCCの日本人スタッフだった現在81歳の山内幹子は「米国人の上司から正確な調査が最優先だと教え込まれた。核爆弾の殺傷能力を研究するのが目的でした」と打ち明ける。  ワシントンの米公文書館に50年11月に開かれた米原子力委の議事録がある。生物医学部長シールズ・ウォーレンは「われわれは、広島と長崎から20万人以上の実験結果を得ることができた」と発言している。  ABCCの調査結果は、日本の被ばく医療に役立つことはなかった。軍医として原爆治療にあたった肥田は戦後、民間医師の立場で被ばく患者の救済に取り組んできた。「米国が治療やデータ公表に前向きだったら、被ばく者医療の質は格段に向上していたはずだ」と言い切る。  肥田は、いつ発症するかわからない内部被ばくこそ核がもたらす大きな罪と考える。深刻な放射能汚染を引き起こした昨年3月の福島第1原発事故もそう。「ただちに健康被害はありません」と繰り返す政府高官の姿を見て「危険性を隠そうという論理は原爆も原発も同じ」と憤る。  福島事故後、90歳を超える肥田は全国150カ所以上を回り、低線量被ばくの危険性を訴えている。「広島、長崎の悲劇を福島で決して繰り返してはならない。それが医師としての私の務め」と話している。

2012年10月26日金曜日

「国民の生活が第一」結党記念パーティーでの小沢一郎代表あいさつ書き起こし.) http://www.asyura2.com/12/senkyo137/msg/727.html 昨日の「国民の生活が第一」の結党記念パーティーは、会場を4000人の全国からの支援者が集まり盛況だった。 冒頭の小沢さんの力強いスピーチを書き起こしてみた。 小沢代表、冒頭あいさつ (以下、書き起こし) 本当に大勢の皆様、お忙しい中を、今日は私どもの結党記念のパーティーにご参加いただきまして、ほんとうに盛大に開催できますことを、一同、皆様に対し、まずもって心から御礼申し上げます。 私どもは既に皆さんお分かりの通り、三年前のあの熱い、自民党の政治ではダメだと、今までの政治を変えなくちゃいけない、そういう考え方のもとに国民みなさまに私達の政策を、私達の主張を訴えました。 そして国民皆さまも、その実行を約束し、その国民皆さまはよくご理解をいただきまして政権を託してくれたわけであります。 しかしながら政権が進むに従いまして、私達が皆様方に約束したそのことが忘れされれ、そして捨てさられてしまいました。 私達はそんなつもりで、国民みなさんに政策を訴えたわけではありません。そして、国会で消費税の大増税という、我々が主張した改革には手をつけず、○○?、この経済状況で、国民のみなさんの生活を直撃する消費税の大増税。このことは、あの3年前に約束しておりません。 私どもは、このままでは、本当に私達は国民のみなさんに、このまま民主党にいることは国民みなさんに対する背信行為であると。 これを我々は認めることができない。 ですから私達は、ほんとうに我々が約束した国民みなさんのための政治を、国民みなさんの政策を、ただ愚直に、ひたむきに一生懸命それを実現するために努力をする。 そう思って新しい党を結成したわけであります。 どうか皆さん、このことだけは、我々も本当に原点に帰り、初心を忘れずに一所懸命頑張るんだ、これからも頑張る、これだけはどうぞよろしくご理解のほうをお願いいたします。 そういう中で、私達「国民の生活が第一」は、新党としての、今、具体的な政策はみんなで論議いたしております。 しかし、当面、とにかく我々が国民みなさんにアピールし、訴えなくてはならないこと、それは何だと。 その中でもちろん、我々が新党をつくったその原因でありました、この消費税の大増税。先ほど、山岡さんからも、また来賓の皆さんからもお話がありましたけれども、何としてもこれは凍結、廃止をしなくてはならない。そのことがまず第一点であります。 それからもう一点は、やはり、これまた来賓の方からもお話がありました、国民の命を、そして将来の日本に対しまして大きなダメージを与える、この原発。これは「原発ゼロ」「脱原発」、これを実現しようということが、私たちのもう一つの大きな主張でございます。 私どもはそういう考え方のもとで先般ドイツへ、既に政府として国として「10年後の脱原発」今年から言えば9年後ですが脱原発を決定しているドイツの事情を視察に行ってまいりました。 その中でですね、政府の担当閣僚とも会いましたし、商工会議所の方とも会いました。経済界の人とも会いました。また、実際に再生可能エネルギーを一所懸命地方でやっている小さな村のみなさんからも意見を聞きましたけれども、その意見交換の中でですね、ドイツはチェルノブイリのあの事故のときに、遠く離れたドイツまで放射能の影響があったと。 その中でこの脱原発の議論が始まったということでありました。 しかしながら今すぐというわけにはいかないという当時の議論でしたけれども、福島の、日本の福島の原発の事故を見てですね、これはもう、このままにしておけない、ということで、「脱原発」をドイツは国、政府をあげて決定したわけであります。 国会では、むしろ原発をかかえている日本と違いまして、ドイツでは国会の全政党が「脱原発」で一致しております。 それから日本では経済界、財界が反対しておりますけれども、ドイツでは経済界も反対してない。 いろいろな、もちろん会社経営上の問題はありますけれども、この脱原発、原発に頼らないで新しいエネルギーを開発してやっていこうという方針については、財界も誰一人異論を唱える人はありません。 私も対話の中で、実は日本で期限を区切って、脱原発を政策として打ち出しているのは、実は「国民の生活が第一」我々だけであります。 こう言いましたら、向こうの大臣も経済界の人も全ての人、あるいは各政党の代表者とも会いましたが、そう我々が言いましたら、本当に不思議な、怪訝な顔をして我々を見てるんです。 「あ、そうですか」と、 「しかし、あなたがたは脱原発を唱えている。我々も一所懸命、いろいろな問題はあるけれども一所懸命それに向かって頑張っている。あなたがたも是非、日本で頑張ってください。一緒にやりましょう。」と、こういうお話をいただいたわけであります。 私は、その意味におきまして、今度の視察は本当に良かったと思いますし、我々の主張が間違ってなかった、これは国民のみなさんのためだ、そういうことを確信するに至りました。 どうか、私どもとしては・・・ (時計をみて)時間がありませんから・・・ 日本はドイツ以上にですよ、この脱原発は我々が努力さえすれば必ずできるんです。 実際、たとえばここ東京ですけれども、今年の夏はほんとに歴史上もっとも暑い夏だといわれましたね。 その東京電力では原子力発電が一基も動いておりませんでした。それにもかかわらず、電力不足はありませんでしたし、停電はありませんでした。 やればできるんです。 ただ、私どもは安易に原発に頼り過ぎた結果、新しいエネルギー開発に・・・ 私どもも含めましてそこに力を注ぐことを、努力が欠けておったということを、私ども自身も反省しながら、今後、本当に将来の日本を安心して暮らせる、子々孫々のために、我々の子供たちのために、孫たちのために、本当にこの政策を実行しなければならない。このように考えている次第であります。 みなさん、私たちほんとうに、きづなの同じ会派の皆さんも合わせましても衆参で60名でございます。 しかしながら、しかしながら、あと10ヶ月以内に総選挙があります。 「そのうち」とはいつ今度の総選挙はですね、私どもがどうのこうのという問題ではなくして、ほんとうに日本が今後、国民の命を、暮らしを守っていけるのか、この震災の復興ができるのか、デフレ経済を脱却し、そして国民の皆さんの生活を守っていけるのか。 その本当に大きな大きな節目の総選挙だと思います。 ですから私たちの考え方を率直に愚直に、ひたすら素直に一生懸命、国民みなさんに訴えていきたいと思います。 どうか我々の志を、気持ちをご理解を賜りまして、今後とも尚いっそうの皆様のお力添えを賜りますよう、 この機会に重ねてお願いを申し上げましてご挨拶といたします。 (以上、書き起こし) 動画 http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1722.html
(鎌倉で ウラン 検出! #放射性 廃棄物並み東京の土) * 日本語訳: Megさん(翻訳されてましたので一部修正し転載しました。m(_ _)m)修正&字幕: Jo2Rayden http://ameblo.jp/mhyatt/entry-11205507746.html * 日本語訳(一部抜粋) NRC原子力規制委員会の委員長グレゴリー・ヤツコ氏: ・福島の原発事故は、どこで起きる原発事故であっても公衆衛生と安全、また環境に対して、非常に受け入れがたい、深刻な影響を与えるということを、世に強く知らしめること­となりました。 ・事前に対応策を講じるという立場で、私たちが将来に関して考えるならば、結局のところ、私たちは原発事故が起きた場合、土地の深刻な放射能汚染や、半永久的な避難、移住­の問題、またそういった人達の生活手段、仕事の世話、地域コミュニティの崩壊をどう防ぐのかといった問題に、どう対応するのかを考え、解決していかねばなりません。 * ガンダーセン氏:NRC原子力規制委員会の委員長グレゴリーヤツコ氏は、こう言っています。「NRCは移住を強いられ、何世紀もその土地に戻る事の出来ない人々が受ける損­害を、原子力発電所の建設を認可する際に行われる費用便益分析の計算に入れていない。」と。 東京に滞在していた時に、いくつか土壌サンプルを取ってきました。 ホットスポットを、わざわざ探し歩いたわけではありません。 ただ普通に町中を歩き、適当に辺りの土壌をすくいビニール袋に入れてきただけです。 一つは、歩道にあるひび割れの中から。 一つは、既に除染済みであるという子供用の遊び場から。 一つは、歩道の脇の苔から。 一つは、私がいた建物の屋上から。 そして最後のサンプルは、東京の裁判所の向かいの道からです。 私は、それらのサンプルについて、きちんと申告し税関を通してから研究所に持ち帰りました。 すべてのサンプルは、アメリカの法律の基準では、放射性廃棄物に値しており、テキサスにある放射性廃棄物処理場に送って処理しなければなりませんでした。 #1 渋谷区; (セシウム134: 5,069Bq/Kg(137pCi/g) セシウム137: 6,179Bq/Kg(167pCi/g) (コバルト60 : 1,480Bq/Kg(40pCi/g)) #2 鎌倉;  (セシウム134: 662.3Bq/Kg(17.9pCi/g) (セシウム137: 666 Bq/Kg(18 pCi/g) ((コバルト60 : 521.7Bq/Kg(14.1pCi/g) (**U235 positive ←ウラン235の存在を示唆) #3 千代田区 遊び場;  (セシウム134 : 962Bq/Kg(26pCi/g) (セシウム137: 1,147Bq/Kg(31pCi/g) #4 千代田区 オフィス・ビル屋上;  (セシウム134: 1,739Bq/Kg(47pCi/g) (セシウム137: 1,739Bq/Kg(47pCi/g) #5 日比谷公園;  (セシウム134: 703 Bq/Kg(19pCi/g) (セシウム137: 851 Bq/Kg(23pCi/g) (コバルト60 : 336.7Bq/Kg(40pCi/g) *1pCi(キュリー)=0.037Bq/g ⇒ *上記数値換算:0.037Bq x1000g = Bq/Kg *参考:従来の放射性廃棄物の基準はセシウムで100ベクレル/kg。それを超えると、ゴミ処理場などに廃棄は許されない。=放射性廃棄物 ・考えてみましょう、それがアメリカの首都であろうと東京であろうと構いません。あなたが、道ばたの花を摘むのに、放射性廃棄物の上に膝つかねばならないとしたら、どう思­いますか? これが、今、東京で起こっていることなのです。 ヤツコ氏が言おうとしている点は、まさにここだと思います。RCの 費用便益分析は「移住を強いられ、自分の世代のうち、もしくは永久にその土地に戻る事のできない10万人の人々が受ける様々な損害や苦痛について」を計算に入れていないと­言っているのです。 ここ首都ワシントンから100マイル以内に、12ほどの原発があります。 東京は、福島から200マイルも離れていました。 しかし、私がいくつか適当に採取した東京の土は、米国では、放射性廃棄物として処理すべきものなのです。 -END
(矢ヶ崎克馬さんから.市民が命を守るために学習して、自分で判断して行動できるようにしなければなりません。そして勇気を出して発言してほしい。主権者が1人1人発言するとすごい力になり、やがて日本を変えていく力になります.) http://hibinoshinbun.com/ わたしは1974年に沖縄に渡りました。  40年前、人権も何もなく、アメリカに占領される時代が続いていた沖縄が我慢できず、大きな団結力で祖国復帰を成し遂げました。ちょうど、職を求めていた時で、沖縄の役に立てないかと思いました。   わたしは放射能の内部被曝の専門家ではなく、もともと物性物理学を専門にしています。その基盤整備をするために、沖縄に渡ったのです。  1996年、アメリカ軍が鳥島で1580発の劣化ウラン弾を打ち込む演習をしました。それが発覚した時、アメリカ軍の「劣化ウラン弾は放射能でない」という発表に、わたしは「うそをつくな」と発言しました。その時すでに、イラクのバスラ地区で大量 の劣化ウラン弾が使われ、大変な発がん、赤ちゃんの死産、奇形が報告されていました。以後、内部被曝の研究を始めました。   2003年には、原爆症認定集団訴訟の弁護団から内部被曝についての証言を依頼されました。文献を読みあさって、被爆者がどれくらい被爆したのかを調べ、ものすごい科学的操作が行われていることに気づきました。   広島に原爆が落とされたのは8月6日、長崎は3日後の9日。それから40日ほどして、日本列島は巨大な枕崎台風に襲われ、放射能が洗い流されました。かろうじて土に残っていた放射能を測定させて、それを科学的なデータとして、内部被曝など起こりようもないことにしてしまったのです。   実際には多くの人が放射能を吸い込み、健康被害を受けているにもかかわらず、国はずっと無視し続け、いまもその姿勢は変わりません。   国はいま、福島の地をどう抑えつけようかと考えています。力まかせに一生懸命、放射能環境は低いことにして、医療態勢も整えようとしません。   だから市民がいのちを守るために学習して、自分で判断して行動できるようにしなければなりません。そして勇気を出して発言してほしい。主権者が1人1人発言するとすごい力になり、やがて日本を変えていく力になります。学習して正しいことを知り、切り抜ける道を開くのです。市民が自ら判断することなしに、日本を改善していくことはできません。   沖縄の人たちはずっと、米軍基地に対してこころを合わせ、普天間基地を撤去して県内に新しい基地を造るな、オスプレイを入れさせない、と反対しています。こういう市民の意思表示があって、日本政府もアメリカもスムーズに新しい基地を造ることなどができないのです。   福島においても、地元の人たちが正しいことをどう判断するか。市民の力を福島で発揮することが、天と地を入れ替えるほどの大きな力になります。言わないと、何も起こりません。
(アニ.ガンダ-セン.福島原発 石棺化必要!(日本語訳) http://junebloke.blog.fc2.com/blog-entry-626.html * 1:13よりインタヴュー開始(日本語字幕)。 「ようこそ、Arnie Gundersenさん。」 Gundersen: どういたしまして。 「第一に、原子炉それ自体は、誰でも知っていると思いますが、完全に即席に除染することは出来ないでしょう。」「しかし、どの様な手段で、私たちは対処するのでしょうか?」 Gundersen: 多くの人々が、福島第一の原子炉は最終的にシャットダウンしたと考えています。地震直後に、原子炉制御棒が原子炉に挿入され、核連鎖反応が止まっています。核燃料は、5年間は物理的に高温なままです。数十年間は、高放射能です。つまり、今起こっているのは、原発が高度に汚染され続けているという事です。多くの崩壊熱がまだあります。 1号機は、昨日、冷却装置の問題のため、約18度温度増加しました。したがって、たとえ公式に冷温停止状態と宣言しても、それらを冷やさなければなりません。4つの原子炉は、すべて高度に汚染されていて、作業は、ほとんどすべて遠隔に行われています。巨大な建設用クレーンがあります。オペレーターはいません。また、それらはこの原発建物の撤去に使ったワイヤーによって行われています。 1号機で最も興味深いことは、それを冷却し続けなければいけないこと。 彼らが、起こっていると考えているのは、ある種の生物的な汚れが生じているのです。パイプは、有機体をその内部で育てているのです。そして、そのパイプは、原子炉に冷却水を流し込んでいます。水温は、まだ摂氏・約80度。華氏・約170度です。したがって、それはまだ沸騰していませんが、その問題が解決されない場合、たとえ、事故後18か月経っても、これら原子炉は再び沸騰し始めるでしょう。 この一年間で、私は考えを変えました。 [熔けた核燃料]は、約5年間は物理的に冷えなければなりません。その後、十分に冷却され、水冷ポンプを動かさなくてもよくなります。5年後に、非常に費用が掛かるが困難な汚染除去および撤去を始めることができると、私は思っていました。 過去18か月で、私は考えを変えました。原発は高放射能です。 問題は、何万もの日本人作業員を高放射能で被曝させるのか? あるいは、これらの原子力発電所を単に[石棺化]長期保存し、そして、100年後に戻るのか? どちらの方法をとっても、1000億ドルの費用が掛かるのです。福島第一原発だけでですよ! 福島県の除染費用を除いてです。4つの原発が爆発したのです。 問題は、[70-100億ドル]も今費やすのか? そして人々に危険な被曝をさせるのか? なんの利得のために? 或いは、コンクリートでこれら原発を石棺化し、100年後に戻ってくるのか? それは日本人が、まだ答えなければならない疑問なのです。 「何をすべきでしょうか?」 Gundersen: 原子炉を石棺化し、後で戻るべきでしょう。なぜ、そのようにしないのかと言えば、見た目のインパクトの恥ずかしさなどが確かにあるのです。 しかし今、私の考えでは、除染作業での人々の生命と癌の可能性の方が重要です。 チェルノブイリで行った、原子炉のまわりを石棺化することを基本的に行うべきでしょう。基本的にそれらをコンクリートで覆うことです。 更にプラントの下の穴からの水と、地下水のくみ上げが絶えず必要でしょう。なぜなら、海洋および地下水への放射性物質の浸出がまだあるので、それが外の環境に漏出しないようにしなければなりません。 私自身の心には、原発の除染作業の単なる物理的影響の為に高濃度放射線に、何万もの日本人作業員を被曝させる行為を、正当化できません。 2) 字幕 18:56 Hillary Clinton and the current administration's intervention in Japanese politics to persuade them to continue on with their nuclear program. ヒラリー・クリントン国務長官と米国現政権が、日本に原子力計画を継続し続けるよう説き伏せ、日本政治に干渉している。 3) 字幕 24:56 Q.1 million cancers coming from Fukushima? Gundersen:"We're seeing that already... Enormous increase in cancer precursor" ・原子力産業は、こう言っています。これら原発事故の結果、100人が癌になるでしょうと。私は、率直に...分析を述べましたが、事故により100万人が癌になるでしょ­う。原発事故の前に信頼されていた、その同じ人たちが今こう言う。事故は起こり得ないと。そして、今、彼らはこう言う、影響は、最小であると。東電と原子力保安院の両方に­大きな不信感があります。市民は、その権威を信頼せず、別の科学情報を探し求めています。 ・私はこの計算数値を、スリーマイル島とチェルノブイリ事故の記録から得ました。その比率から、この事故は、スリーマイル島事故の10万2000倍の量の放射能を放出しま­した。比較可能なレベルでは、チェルノブイリより恐らく3倍も多くの希ガス放出とやや少ない量のセシウムを放出しました。だが、比較可能な点は、日本が、2つの事故より、­より高い人口密度であるということ。スリーマイル島事故では、5年後で、肺癌が統計的に20パーセントの増加を示しました。北カロライナの医学者スティーヴ・ウイングによ­るデータです。その証拠と比率をその人口密度の中で放出された量に当てはめてみると、100万人に癌が発症すると導き出されるのです。私たちは、それを既に見ているのです­。過去2、3か月に検査された4000人の子供達がいますが、そのほとんど半数は、甲状腺結節なのです。通常、甲状腺結節の発症は、子供の1、2パーセントだけなのです。­つまり、私たちは、癌の前兆の甚大な増加を見ているのです。甲状腺がんの予備軍として、検査人数で4000人の子供たちから見ているのです。更に、屋内のほこりのサンプル­として、市民から私たちに送られた電気掃除機のごみバッグがあり、これら家の屋内ほこりは、天文学的放射線数値で、1つのバッグは欧州のラボでテストされましたが、電気掃­除機の中の907グラムのバッグで、10万ベクレルでした。放射性物質は家の中の床にあり、日本人は畳の上で寝たりします。また、私たちは床の上で生活し、座ったりします­。日本での体内汚染は、重要な要因になるでしょう。内部被曝数値の計算では、日本政府もIAEAも、それを考慮に入れていません。 -END-  
(チェルノブイリ調査ツアー報告  その2.) http://besobernow-yuima.blogspot.de/ ■ロガノフスキー博士  9月26日、胎児の放射能被害の研究者(ウクライナでは唯一人)の講演を聞く。 『…被ばくによって左脳(言語の働き)が影響を受けやすく知能低下がみられる。なぜ「左」かはまだ解明されていないが、そこは複雑で、敏感で、新しい、つまり一番難しいところだから放射能や毒性に敏感だ。幼児の言語テストでは、1948年までは同じだったものがネバダでの原水爆実験で知能の低下がみられ、実験を止めてからまた戻った/妊娠時の被ばくが最も危険。病気は様々なものがある(背中の痛み、痙れん、自立神経系、精神異常)。フクシマではストレス、精神的なものがあるだろう。母子への精神的・教育的サポートが必要/不安があれば移住、なければいい。よほど被曝量が多くなければ、中絶の必要はない…』 専門的な話が続く講演だった。私たちは彼の話のどこを取り、どう理解したらいいのだろう。 ■アンドレーエフさん 彼は「リクビダートル(事故処理決死隊)」で、「チェルノブイリ連名」代表だ。 『…4月26日は、冷却水がなくなった場合にどうするかの試験運転中だった。事故で31人が死んだ。あの日、朝9時に目を覚ました。娘を連れて外へ出てしまったが、これは人生最大の間違いだった。爆発で、一つの壁を残し原発にはコンクリートの箱が無かった。妻子の服を替えさせ、窓を閉め、カーテンを閉め、床を定期的に拭くようにいった。放射能の雲が来たが、町の周囲にあった松がプリピャチをかなり守ってくれた。 『バスに乗ってプリピャチから制御盤のある仕事場へ行った。停電で真っ暗、150以上の警報機をまずは止めた。「死か、(責任放棄による)刑務所か」私は死を覚悟して踏みとどまり、マニュアルに違反することをして非常に危険だった2号炉を守り、爆発の連鎖をくい止めた。最後の数分間のことだった。 『IAEAを解体しよう。IAEAはチェルノブイリの本当の情報を出していない。アメリカのいいなりだ。WHOとの関係もひどい。日本政府のしていることは犯罪だ。日本大使館へ行ったが中へは呼ばれなかった。…』 午前中の教授も午後の技術者も、制限がある中での発言だろう。科学者の表現はさらに慎重だ。たとえ講演者が良心的であっても、統計としての可能性を「推測」するのみ。しかし、私はこういう時に「フクシマには言葉を選ぶヒマはない」といつも思ってしまう。 私たちは数や統計ではない。フクシマにも一人ひとりの顔、一人ひとりの喜び、それぞれの生活があり、その私たちの子どもの生命が傷つけられ続けている「事実」は確かにあるのだと。 この点、エンジニアのアンドレーエフさんは一味違っていたように思う。それは働く仲間がむごい死に方をしているのを実際に見ているからではないか。仲間の死について語るとき、目を閉じ苦しそうになった彼が、一方で「日本政府は犯罪者だ」とハッキリといってくれたことがとても印象的だった。 ■チェルノブイリ原発へ. 検問所の脇に「チェルノブイリを忘れないで」 と英語などで書かれたリボン  9/27、首都キエフから北へ約100キロ地点に原発はある。原発が近くなるにつれ、バスの中はピーピーとあちこちで線量計の警報音が鳴り始め、否が応でも緊張が高まる。私たち調査団は2号機へ向かった。白い帽子、白衣、靴カバーを着けて構内へ。構内は案外線量は低いが、うす暗く細長い通路を歩いていて窓にさしかかったら線量は一気に上がったのを覚えている。2号機の制御室では「外国人はこの10年間で初めての許可」とのこと。室内は線量も高く、1μSv/hをずっと超えている。責任者コーリシュさんは事故当時からずっとここで働いている。「日本では被ばく労働が問題になっているが、体調は心配ありませんか」と私。「定期的な健康診査と休暇があります」といった答え。それが十分なものなのかどうか詳しくは分からないが、孫請けのその孫請けなどで労働者は使い捨て、多重な搾取と差別構造の中にある日本の原発事情に比べれば、はるかにマシな労務管理があるように感じた。ともかくも住民を移住させた国は、この点でも日本とは大きな違いがあるだろう。 再びバスで4号機の見える撮影スポットへ。線量は8~13μSv/h。ウワ~ッ、これ以上積算値を上げたくない!と思いつつ、皆さんと記念撮影.
【記事全文】 日刊ゲンダイ「震災復興予算4億4千万円がNHKに流入していた」 http://netallica.yahoo.co.jp/news/20121026-00000003-a_aaac 先月、看板番組「NHKスペシャル」で復興予算流用問題を追及していたNHK。ところがこの公共放送も、復興予算の恩恵にあずかっている。総務省や外務省の予算が、子会社を通じてNHKにドッと流れているのだ。  NHKに復興予算が流れている“カラクリ”はこうだ。  総務省は昨年11月の復興補正予算に「海外への情報発信強化」の名目で、8億1000万円を計上した。復興の状況を各国に伝え、風評被害の拡大を防ぐというのが狙いだ。  総務省はこのうち4億4000万円を、復興をテーマにした30分番組の制作費や多言語化、NHK国際放送を通じての放送費用にあてた。おいしい思いをしたのはNHKだ。 「番組の制作は、2月の公募で優れた企画を出した13の放送局・制作会社に依頼しました。制作費は1本200万~500万円。これとは別に、民放がすでに放送した29本のドキュメンタリー番組も購入しました。計42本を今年2月から10月にかけて、NHK国際放送を通じて世界約130の国と地域に放送した」(総務省情報通信振興課)  番組の多言語化はNHKの子会社、「日本国際放送」が担当。これを放送するに当たり、親会社のNHKに費用を払った。番組を作らせた後は、NHKが丸儲けしたということだ。  総務省は「『NHK』や『子会社』にいくら支払ったのかはお答えできません」と言うが、復興予算の使い道はすべてを明らかにすべきだ。この歯切れの悪さは何なのか。  TV関係者は「NHKや子会社にかなりの予算が流れているのは確実」と言う。 「1本の制作費が仮に400万円としても13本で総額5200万円。番組購入もせいぜい1本数十万と推測されるので、こちらの総額は900万円ぐらいでしょう。公募の選定に関わった広告会社への手数料を差し引いても、3億円以上がNHK子会社とNHKに流れているのではないか。VTRの多言語化は大変ですが、NHKの子会社はノウハウがあり、お手のもの。他国への放送も、今ある機械で完成された番組を流すだけなので、経費はそれほどかかりません。今回の事業には、それなりの意味があると思いますが、額を聞くと“エエッ”と思いますね」(ある放送作家)  この件について、NHKや子会社に詳細を聞いたが、「お調べします」と言ったきり、なしのつぶて。NHKが子会社を財布にしているのは広く知られた話だが、復興でも儲けているとは仰天だ。  NHKは復興予算にたかるシロアリ官僚の実態をいち早く報じた。しかし、それは消費税法案が成立した後だった。オカシイと思ったら、この背景。しかも、NHKに流れたのは総務省がらみの予算だけではない。外務省からも怪しいカネが渡っているのだ。
【世界が注目】10.31国連で日本政府の福島の人権侵害が世界中から審査される日。10.30国連で福島の子どもたちの真実と正義を世界中に伝える日 ) http://fukusima-sokai.blogspot.de/2012/10/blog-post_8149.html 来週、10月31日、国連のジュネーブ事務局(通称、国連欧州本部)で、日本政府が日本で行なっている人権侵害問題について、世界中の国から審査を受ける人権理事会のUPR(普遍的定期的審査)が行なわれます(国連HPの広報記事&日程表)。->当日は国連によりネット中継。 その前日の14時から、同じ国連ジュネーブ事務局の建物内で、日本の人権NGOが主催するサイドイベントで、各国政府や世界のメディア、世界のNGO・NPOを招いて、福島からの声を伝えるために、以下の3名が日本とフランスからジュネーブに行き、スピーチをします(国連から送られてきた日程表の赤字部分を参照)。 ・福島県双葉町の井戸川克隆町長 ・ スイス・バーゼル大学医学部名誉教授ミッシェル・フェルネックスさん(※) ・疎開裁判の弁護団の柳原敏夫 (※)ドキュメンタリー「真実はどこに?―WHOとIAEA 放射能汚染をめぐって 」(2004年)  本年5月、自費で来日。福島原発事故により、低線量の内部被ばくによる健康障害が直接被ばくした子どもたちのみならず、その第二世代により強く現れ、第三世代にはもっとより強く現れるという深刻な遺伝的影響の問題を警鐘して回った。->講演「福島の失われた時間」(2012年5月) これまで、世界の人権問題を検討する国連の組織は60年の歴史を持つ「人権委員会」でした。2006年、さらにその権限を強化するために、新たに「人権理事会」が創設されました。この「人権理事会」の目玉が、UPR(Universal Periodic Review)=普遍的定期的審査です。 これは、国連に加盟する全ての国が例外なく(米国といえどもその審査を免れない)、人類普遍の人権の原理に照らして、人権侵害をおかしていないかどうかを、世界中の国々から社会的に裁かれる(法的な強制力によってではなく、全世界からの注視・社会的名誉によって)という、現代世界の人権保障の新しいメカニズムとして注目されているものです。 だからこそ、日本政府は、この人権保障の新しいメカニズムに対して、日本市民が注目することを恐れ、御用マスコミ、御用学者を使って、極力その存在を知らしめないようにしてきました(外務省のHPにも今月31日のUPRについて一言も書いてありません。疎開裁判の支援者も、つい最近まで殆どの人たちが知らずにいました)。 しかし、日本が情報鎖国のままでも、世界はとっくにこの新しいメカニズムに着目しています。その端的な例が、日本がUPR審査を受けた第1回目の2008年には、日本政府の人権侵害に対して、42ヶ国から質問がありましたが、今回の第2回目(本年10月31日)には、既に約2倍の83ヶ国からの質問が予定されていることです。世界からみて、この4年間で日本の人権状況の何が変わったのか。福島原発事故以外、ありません。 国境なき最悪の人災である原発事故により、日本においてどのような人権侵害が発生しているのか、 いま、全世界が注目しています。 このUPR(普遍的定期的審査)の大きな特徴の1つは、その国の人権侵害を審査するにあたって、市民の声を積極的に取り上げることです。具体的には、人権NGOによる事前の情報提供です。上に紹介した、UPR審査の前日、国連建物内で実施される、人権NGOによるサイドイベントもその重要な1つです。 いま、日本の政府も国会も、福島の子どもたちの集団避難の即時実現に目もくれません。これこそ言うまでもなく、日本国がおかしている最も深刻な人権侵害です。この事実を私たちは、国連の日本の人権侵害を裁くUPR(普遍的定期的審査)の場で世界中に明らかにする積りです。 以下は、その英文のお知らせです。 NGO INFORMATION MEETING (JAPAN) in United Nations Office at Geneva 世界中の知り合いにこれを拡散していただけたら幸いです。 皆さまの注目と協力をお願いいたします。

2012年10月25日木曜日

(第13回目調査.福島県の福島市と飯舘村で行った空間放射線量調査) http://www.greenpeace.org/japan/monitoring/13th/ 東京電力福島第一原発事故からおよそ1年半が経ちました。 「政府の発表する情報を信頼していいのでしょうか…」「説明が不十分で、矛盾を感じる」といった声を被災者の方からお聞きします。 そこでグリーンピースは放射能汚染の状況に関して、福島県の福島市と飯舘村で独立性の高い調査を実施して透明性の高い情報を届けるとともに、住民の方々の状況をお伺いしました。 今回の調査は10月16日から19日までの4日間、福島県の福島市内 315カ所、飯舘村 95カ所、合計410カ所で実施しました。 福島市内 【調査内容】 通算6回の調査を行ってきた福島市では、以下の点を重点的に調査しました。 現在の空間放射線量を測定し、過去の調査結果と比較することにより、経過・傾向を把握する。 公的機関の「モニタリングポスト」の測定値が周辺の放射線量をどれほど的確に反映しているか検証する。 これまでの調査で見つかったホットスポットが除染されたか、対策の効果を検証する。 【調査結果】 多くのモニタリングポストで周辺より低い放射線表示 調査した40カ所のモニタリングポストのうち、75%に該当する30カ所が周辺の放射線量より低く表示されていました。 モニタリングポストから半径25m以内の放射線量を計測した結果、モニタリングポストの表示より4.5倍も高い放射線量を計測した場所もあります。 これは、モニタリングポストの付近だけが集中的に除染されていることなどが原因です。 政府による除染は不十分 福島市では、多くのホットスポットが残されたままで、効果的な除染が進んでいないことが分かりました。 児童公園さえ、除染が終わっておらず、放射線の影響を受けやすい子どもたちが安心して遊ぶことのできる環境ではありませんでした。 飯舘村 【調査内容】 2012年7月に避難区域が再編され、除染計画がたてられた飯舘村では、複数の環境における空間放射線量を測定しました。 また、村民の方たちへ聞き取りを行って現状を把握するとともに、避難区域の再編が適切かどうかを検討しました。 ※2012年7月17日、全域が「計画的避難区域」に指定されていた飯館村は、放射線量の高さに応じて、三つの避難区域に再編されました。 「帰還困難区域」:年間積算線量50ミリシーベルト超の地域。原則的に5年間立ち入り禁止とされる。 「避難指示解除準備区域」:同20ミリシーベルト超~50ミリシーベルト以下の地域。立ち入りはできるが、住民の帰宅まで数年かかるとされる。 「居住制限区域」:同20ミリシーベルト以下の地域。立ち入りはでき、住民の早期帰宅を目指すとされる。 ※グリーンピースの調査は「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」内で実施いたしました。 【調査結果】 飯舘村での除染には限界がある 避難している村民の帰還を目指し、飯舘村では政府主導による除染作業が多く行われていました。 草野地区では、試験的除染後でも、毎時5マイクロシーベルト(地上から1mの高さ)を計測した地点がありました。 操業を再開した工場では、毎時13マイクロシーベルト(地上から1mの高さ)の地点があり、近隣の住居では毎時9マイクロシーベルト(地上から1mの高さ)のホットスポットが見つかりました。 さらに、森林に広く覆われた飯舘村の地理的な環境を考えると、除染の効果は相当限定的になると考えられます。 (結論) 今回の調査を通して、政府は以下の取り組みを強化する必要があるとグリーンピースは考えます。 *人口が密集している地域、子どもの生活環境を優先しての除染 *モニタリングポストの再評価 * 除染の効果の評価 (避難区域再編時などに)コミュニティを破壊しないアプローチ・意思決定への住民参画 * 適切な放射線防護の情報提供
(福島第一原子力発電所の事故により拡散した放射性物質の汚染状況調査報告ビデオ(2012年10月16日~19日実施) グリーンピース・インターナショナル 放射線防護アドバイザー リアナ・トゥール) (2012/10/23 グリーンピース放射線調査、福島市と飯舘村で実施 ――福島市内のモニタリングポスト 信頼性に疑問) http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/press/2012412/pr20121023/ 国際環境NGOグリーンピースは10月23日、福島県の福島市内と飯舘村で10月16日から19日に行った放射線調査(それぞれ315か所、95か所)の結果を発表しました。県庁所在地である福島市内のモニタリングポストでは、設置場所の除染により周辺の放射線より低く表示される例が多く見つかりました。また、7月に避難区域が再編された飯舘村では、国から事業再開が認められた工場も依然として高濃度に汚染されていることを確認しました。 国際環境NGOグリーンピースは10月23日、福島県の福島市内と飯舘村で10月16日から19日に行った放射線調査(それぞれ315カ所、95カ所)の結果を発表しました(注1)。県庁所在地である福島市内のモニタリングポストでは、設置場所の除染により周辺の放射線より低く表示される例が多く見つかりました。また、7月に避難区域が再編された飯舘村では、国から事業再開が認められた工場も依然として高濃度に汚染されていることを確認しました。 今回の放射線調査では、福島市では福島駅周辺・渡利などの地区を中心に315カ所を計測しました。モニタリングポストは40カ所を調査し、75パーセントにあたる30カ所で、周辺の放射線量よりも低い値が示されていました。中にはモニタリングポストから25メートル以内の場所で、表示の値より4.5倍も高い放射線が計測された場所もありました。これは、モニタリングポスト設置場所の表土の入れ替えなどの除染措置が行われていたためと考えられます。また、避難区域が再編され、除染後に住民の早期帰還をめざす飯舘村では、95カ所で放射線調査を実施し、国から事業再開が認められた工場で毎時13マイクロシーベルト、近隣の住居で毎時9マイクロシーベルトのホットスポットも見つかりました。試験的除染が実施された草野地区では、毎時5マイクロシーベルトの場所もありました(いずれも高さ1メートルで測定)。 グリーンピース・インターナショナル放射線防護アドバイザーのリアナ・トゥールは、「政府のモニタリングポストは設置場所が除染され、数歩離れれば放射線値はすぐに高くなります。これらのモニタリングポストが、住民のみなさんに誤った安心感を与えるのではないかと懸念します。福島市全体としては除染は進んでおらず、多くのホットスポットが残されたままです。事故から1年半たった今でも、最も急ぐべき児童公園の除染も終わっていません。飯舘村では多くの除染作業が行われていましたが、森林に覆われたこの地域の除染には限界があります」と指摘しました。 グリーンピース・ジャパンのエネルギー・核問題担当の鈴木かずえは、「今現在子どもを含め、住民が住んでいる場所の除染を急ぐべきです。飯舘村では住まいや田畑が高濃度に汚染され、元の暮らしを取り戻すことは困難です。汚染されていない場所で新しい暮らしを始められるように、正当な補償をするべきです」と訴えました。
(冷笑に負けない~福島市の母子が味わった被曝と自主避難への強い風当たり) http://ameblo.jp/rain37/entry-11381370550.html 幼い家族を守ろうと、周囲の冷笑にもめげずに暮らしている親子が福島市内にいる。子どもたちの被曝回避を口にすれば露骨に変人扱いされ、自主避難先から戻ってきたことを裏切り者のように中傷される。この1年半の苦しみを、母子は涙ながらに語った。原発事故直後、安全ばかり強調した国や県。自主避難者への偏見と無理解…。話すほど怒りは高まるが、母子の願いはただ一つ。「幼い家族を守りたい」 【避難先で浴びた質問「東電からいくらもらった?」】  子どもを守るのに、どうしてこんな想いをしなければならないのか。  A子さん(35)は母子避難先の山形県南陽市では「東電からずいぶんと金をもらったんだろ」と質問攻めに遭い、避難を中断して帰った実家のある町内会では「何で戻ってきた?」と責められた。小学4年生になった娘は「どうせもう、被曝しちゃってるんだから、しょうがないんでしょ」と口にする。  娘との母子避難が実現したのは、昨年10月のことだった。  娘が限界に達していた。日々、被曝を最小限に抑えようと注意することが増えていたA子さんとぶつかることが多くなっていた。  「もう被曝しているんだから、どうせ病気になるんだから、土でも何でも触らせてよ」  南陽市への避難が決まったときには、娘が誰よりも喜んだ。自由を謳歌した。「これで、やっと空気を吸える」「土を触っても良いんだよね?」「水道水を飲んでも良いよね?」。冬になると積もった雪に大喜びして遊んだ。A子さんは当初、半年ほどで福島市に帰ろうかと考えていたが、気づけば半年をあっという間に過ぎていた。だがしかし、母子ともに徐々に気持ちが後ろ向きになっていた。避難生活は10カ月で終了した。  「年配の方には非常に親切にしていただきました。でも、多くの人が『福島の人は東電からいくらもらっているの?』と好奇心丸出しで聞いてくるんです。次第に福島から来たといえなくなってしまいました。知り合いになった福島の人と公園で話していれば『山形には、昼間から公園で遊んでいるお母さんはいないよ』と陰口をたたかれました。結局、よそ者なんですね。周囲の方が温かくしてくだされば、もう少しは避難生活を続けられたかな」  娘は多くは語らなかったが、転入した小学校でつらい思いをしているようだった。別の地域に転居しようかと考えたが、避難者には「1県1アパート」の原則がある。A子さんは民間借り上げ制度を利用したので、光熱費だけの負担で済んでいた。そのため、転居するなら家賃を自己負担するか山形県以外の県に移るかの選択を強いられた。持参した線量計は、アパートの周囲の地面に置くと0.3μSVを示した。自宅周辺の除染が始まるとの情報もあった。「福島市と大差ないのなら帰ろうか」。娘もうなずいた。失意のまま、母子は今年4月、福島市の実家に戻った。原発事故から1年が経っていた。 民の声新聞-山形に避難 避難先で被曝を心配せず雪遊びをしたA子さん の娘。しかし、避難生活は10カ月で終了した 【被曝より避難より水や食料、だった事故直後】  A子さんの母親・B子さん(55)は当初、原発が爆発したと聞いてもピンとこなかった。 今まで原発のことなど意識したことがなかったし、第一、事故が起きたからといって、60km以上も離れた福島市にまで放射性物質が飛んでくることなんて無いと思っていた。そんなことより、今日一日の食料を、水をどうするか。大地震以降、その日その日を生きるのに精いっぱいだった。近所のヨークベニマルは、夜になっても水や食料を買い求める人でごった返していた。誰もが今日を生きることしか頭になかった。被曝のことなど、頭の片隅にすら無かった。そんなとき、思わぬ話が舞い込んできた。  「え?避難?事態はそんなに深刻なの?」  息子の勤める福島市内の外資系保険会社に、東京本社から「バスを用意するから避難したい人は申し出るように。ホテルでの宿泊代も会社で負担する」とのメールが届いたのだ。マスクも1年分用意するという。3月14日のことだった。  自宅のテレビでは、地元テレビ局のアナウンサーが「レントゲン撮影と同程度の放射線量ですから大丈夫ですよ」と呼びかけている。枝野幸男官房長官(当時)は「ただちに人体に影響ない」と繰り返していた。避難するべきか、B子さんは大いに悩んだ。家族会議も開いた。しかし結局、いつまで避難生活が続くのか先が見えないこと、逃げることで周囲に大げさに映るのも嫌だということからバスへの乗車を見送った。後で確認したら、会社が用意したバスに乗った社員や家族は一人もいなかったという。  「国もメディアも、被曝の危険性をきちんと教えてくれれば孫も守ってあげることができたのに…」  インターネットを通じて同じ福島市渡利地区の高濃度汚染が伝わってきたのは4月に入ってからだった。家族間で被曝の話題が増えるようになった。孫は少し遅れて新学期が始まった小学校への通学を再開していた。自宅の周囲の放射線量は18-20μSVもあった。テレビでは、内閣官房参与・小佐古敏荘氏が涙ながらに開いた記者会見を伝えていた。 原発事故直後よりは下がったとはいえ、いまだに 0.8-0.6μSVもの放射線量を計測する福島市内 の文知摺観音付近。放射線や被曝の話をすると 「変人扱いされる」とB子さんは話す 【避難者は裏切り者、というレッテル】  母子3代で味わった自主避難の苦労。  「こんなにいじめられるくらいなら、いっそのこと原発事故の爆発でひと思いに死んでしまった方が良かった」とA子さんは話す。「子供を守るための避難で苦労をしていることがメディアでぜんぜん報じられないのが悔しいです。政府の指示も無いのに勝手に避難している、大丈夫だと言っているのに避難しているという位置づけでしょ?子どもを守りたいだけなのに」。  B子さんは、所有する600坪もの土地を、除染で生じた汚染土の仮置き用に使ってほしいと市に申し出たが、いまだに実現していない。これまで家庭菜園として活用してきたが、汚染を思うと野菜作りをする気分にはならない。「自宅の敷地内に仮置きすると言っても、庭の無い方もいるでしょう。そういう方に使ってもらいたいのですが、行政の腰は重いですね」。おまけに、子どもたちを被曝から守ろうと声をあげると、町内の住民から面と向かって「頭がおかしい」と誹謗されるという。B子さんらが暮らす自宅の庭では、私の線量計は0.7μSVを超した。  「国も県も嘘つき。初めに本当のことを言えば良かったんです。専門家は今からでも良いから本当のことを言って欲しい。孫を守りたいんです」 A子さんには、娘の通う小学校の保護者から「よくも戻って来られたな」とののしられた。「そんなに被曝を気にするのなら帰って来なければ良かったのに」とも言われた。避難すると張られる「卑怯者」「裏切り者」のレッテル。苦しみ悩んだ末に戻ったふるさとで受ける仕打ちにA子さんもB子さんも涙が止まらない。これがすべてではないが、これもまた、被曝地・福島の一つの現実。A子さんはつぶやいた。  「やっぱり私は裏切り者なのかな…」

2012年10月24日水曜日

(ドイツの長い反原発運動の歴史 ) http://midori1kwh.de/2011/09/01/396 ドイツ初の原子炉は研究用として1957年にミュンヘン郊外のガールヒングに建設された。初の商業用原子力発電所は1962年にマイン川沿岸の小さな村カールに完成している。当時、ドイツ経済は急成長を遂げており、原子力発電は大いに歓迎され、第二の産業革命を生むとまでも言われた。1960年代末までに西ドイツで運転を開始した原子力発電所は 6カ所に及んだ。 1973年のオイルショックは原発建設に一層の拍車を掛けたように見受けられた。1970年代に西ドイツで運転を開始した原子力発電所は11カ所となっている。1980年代には新たに13カ所で発電が開始されている。殆ど全てが1970年代に計画されたものである。 しかし一方で、放射能の危険に対する知識が国民の間に次第に広まっていくと、原発に対する不安も徐々に出てきた。 ドイツ初の反原発運動は南ドイツのライン川沿いの町、ワインの産地ブライザッハ(人口当時約6000人)で起きた。1969年、そこに原子力発電所が建設されることに決まったのだが、その発電所の冷却塔から排出する水蒸気が、彼らの造るワインの質に悪影響を与えるかもしれない、とブドウ栽培の農家やワインの醸造業者らが強く反対したのだ。彼らは当局に対し何度も異議を申し立て、示威運動を繰り返した。その結果、この計画は1973年に放棄され、発電所はブライザッハから10数キロ離れたヴィールという土地に建設されることになった。 しかしヴィール一帯はドイツで日光が一番強く、ワインの名産地として知られるカイザーシュトゥール地域に当たる。「冷却塔から出る水蒸気が太陽光を遮り、我々の恐れる霧の発生を助長する。また、発電所の冷却水はライン川の水温を上げ、生態に悪影響を及ぼす。我々はこののどかな地域が第二のルール工業地帯になることに反対する」と住民は訴え、原子力発電所の建設に猛反対した。当初僅か27人だった反対者グループには近辺村落の住民も加わり、反対運動はどんどん膨らんでいった。そして1975年、遠方からの参加者も含めて合計2万8000人が発電所の建設現場に侵入して行ったデモには、警察の放水車が出動するまでに至った。それをテレビが全国に報道し、原発反対運動は一気に全国的な運動に広がっていった。 トリウムやプルトニウムなど、ウランよりさらに危険な核燃料が登場してきたことも反原発運動に拍車を掛けた。ライン川下流のカルカーに建設されたドイツ初で唯一の高速増殖炉 – ここでは1973年から建設が始まっている − は反対運動を真っ向から受けた。1977年に同地で行われたデモには4万人が参加している。ノルトライン・ヴェストファーレン州のハム=ユントロップに建設されたトリウム高温ガス冷却炉 − 建設開始は1971年 − もそれに劣らぬ反対を受けていた。反原発運動は勢いを増し、1979年秋、当時西独の首都だったボンには各地から10万人もが集まり、大きな反原発デモを繰り広げた。 こうしたドイツの反原発の動きを顧みる際、特にその運動が政治に与えた影響をみるにあたって、緑の党の存在は忘れられない。同党は1970年代の環境意識の高まりから生まれ、1980年代には全国レベルで組織形成されるようになった。1983年からは連邦議会に議員を送り出している。緑の党は一貫して反原発の立場を貫いており、議員らは議会で反原発を唱えるだけでなく、議会外でも積極的に反原発運動を支援してきた。 なお、反原発運動の初期の動機が、知らない間の発電所からの放射能の漏れとそれによる身体への害に反対するものだったのに対し、1979年3月28日の米国スリーマイル島の原発事故以後のモチーフは、想定可能な最大規模の事故の阻止などへと広がっていく。原子炉の不具合や操作ミスによる事故に加えて、飛行機の墜落、地震などによる事故が想定されるようになった。21世紀に入ってからは、これにテロリストによる攻撃が加わる。また、核廃棄物の処理、増える使用済み核燃料の貯蔵も次第に大きな問題になっていく。 バイエルン州ヴァッカースドルフに計画された核燃料再処理工場の建設事業は1980年代に政治的にも最も問題となったプロジェクトの一つだった。100億マルクという膨大な資金を投資して125ヘクタールの土地に10年間の建設期間を掛けて完成される予定だったこの工場は、原子力発電に反対する人たちをじっとさせてはおかなかった。1985年12月の建設作業開始以来、外部から駆けつけた反対派は近隣の住民もその運動に巻き込み、彼らの行動を阻止するために出動した警官隊と激しく衝突した。1986年3月にはデモ隊の中から2人の死者まで出している。但し1人の死因は心臓麻痺で、もう1人も喘息発作が死因だったという。 この反対運動は1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故後いっそう激しさを増し,あたかもドイツ国内で内乱でも起きたかのような場面さえ出現した。10万人以上が参加した6月のデモでは、デモ隊の中から怪我人や警察に逮捕される人たちが多く出た。3000人が出動した警察側にも怪我人と死者が1人出た。死者はデモを見張るヘリコプタ−のパイロットだった。 建設工事は、工場完成後に運営に当たるはずであった電力企業のフェヴァ(現在はエーオン)が1989年に仏コジェマと協力協定を結んだ後に中止された。 1990年代からはフランスで処理された使用済み核燃料の運搬が反原発運動にデモのきっかけとなった。核燃料を積んだキャスク(使用済み核燃料輸送容器)がドイツを横断して、最終貯蔵施設が見つからないまま、中間貯蔵施設に指定されたニーダーザクセン州のゴアレーベンに運ばれる度に、大勢のデモ隊が繰り出し、鉄道線路脇などに集まり、運搬を妨害した。ときには線路に横たわったり、或は身に付けた鎖と線路を溶接してしまったりする人も出るなどし、警官隊との衝突は避けられなかった。キャスクの外側で高い放射能が検出され大問題となったこともある。 ドイツの反原発運動は21世紀に入ってからも続いていた。キャスクの運搬は続いているし、環境に優しい代替エネルギーが十分に得られないことや、口では脱原発を唱えても実際には原発に固執する政治が続いていたからだ。そして、政治家や一般市民の間でも、チェルノブイリのような事故が旧ソ連外で生じることはあるまい、という確信が強かった。それを覆したのが福島の原発事故だ。 ドイツの反原発運動は目的を達成したように見受けられる。 (補遺): 1973年に計画されたヴィールの発電所は結局完成せず、敷地一帯は1995年以降、自然保護区域に指定されている。 ハム・ユントロップのトリウム高温ガス冷却炉は1987年6月に運転が開始されたものの、1988年4月には停止している。 カルカーの高速増殖炉の建物は1985年に完成したが、ここでは発電が行われることはなかった。スリーマイル島の原発事故発生一日後の1979年3月29日、ドイツ連邦議会は「核燃料の将来に関する調査委員会」の設立を全員一致で決定しており、そこでは高速増殖炉の長短所も勘案された。しかしカルカー発電所に最終的に終止符が打たれるのは7年後にチェルノブイリ事故があってから以後のこととなる。潜在的な危険が、最終的にぬぐい切れなかったことが理由だ。敷地は現在遊園地になっている。 核燃料再処理工場が計画されたヴァッカースドルフは現在、イノベーション・パークとなり、約20の企業にスペースを提供している。
(信頼できない福島での放射線測定公表.ドイツグリ-ンピ-スの報道.) *グリ-ンピ-スの報道を,日本の新聞が全て報道していません.だから,ドイツグリ-ンピ-スの報道を,皆様に知っていただきたいと思います.* http://www.greenpeace.de/themen/atomkraft/presseerklaerungen/artikel/offizielle_strahlenmessungen_in_fukushima_unzuverlaessig/ (ドイツグリ-ンピ-スの報道.) **(信頼できない福島での放射線測定公表)* 福島のモニタリングポストは、放射線リスクを低く示そうとしている. グリーンピースの放射線専門家は福島での除染状態は不十分であり, 子供たちの多くの遊び場所は原子力事故後1年半以上経ってもまだ,除染されていなかったとSmital氏は述べている. グリーンピースの核物理学者や原子力専門家は, 政府は子供たちの健康よりも損害賠償を低くすることに重い重点を置いている. そして,福島の40以上の放射線モニタリングポストの内, 75%以上が低い放射線量が示されていることを発見した. 福島駅に近い,25メートル半径は駅の放射線量より,6倍も高い放射線量であった. 当局によって除染された場所にモニタリングスポストが設置されていた. しかし,ほんの数歩離れた場所で,我々が測定したら,射線量が "著しく増加"した とHeinz Smital氏は述べている. 我々は、政府が福島の人達に,誤った安心感を与えていることに懸念する. *{除染は、人口密度の高い地域を中心にされなければならない.} 調査チームは、果実の木の茂み、子供の遊び場所で多数のホットスポットを発見した。 飯舘村の住宅地で毎時500マイクロsv(USV / H)迄の放射線量を検出した. 2012年9月に許可されて,再び操業開始した工場では,毎時13マイクロsvまで検出された. その近くの街では毎時9マイクロsvを検出した. 福島市とは対照的に、我々は飯舘村で多くの除染作業を見たが、山や森林が多く,除染は非常に困難であり、除染により,新たに汚染の危険性が高くなると言える. これらの除染作業は、愚かであるとグリーンピース·ジャパンの反原発運動家鈴木さんは述べた. インタ-ナシヨナル・グリーンピースは、国民の健康を保護する為に,早急に,より多額の金銭の援助をするよう日本政府に要求した. 又,酷く汚染された避難区域の除染の取り組みも十分ではないが.除染作業は福島市の人口密集地域を中心に行わなければならないと日本政府に要求した. (福島県内の各地域での放射線量,食品検査結果PDF.海洋検査結果PDF掲載.) http://www.greenpeace.org/international/en/campaigns/nuclear/safety/accidents/Fukushima-nuclear-disaster/Radiation-field-team/#data (ドイツグリ-ンピ-スから.) (EMI.KIYOMIZU訳.)
動画.インタ-ナシヨナル.グリーンピースは、福島の原発事故後,被災地で放射線量測定を続けている.日本政府は住民を無理に帰らそうとしている.

2012年10月23日火曜日

(橋下徹の暴力団性 - 佐野眞一による人格批判の急所 ) http://critic5.exblog.jp/19311313/ 週刊朝日の橋下徹批判の問題に関して、読者の方から次のようなメールを頂戴した。「佐野眞一さんの作品に心から敬意を表する者として、このブログに非常に励まされました。今回のハシシタ連載、ここまでタブーに果敢に挑戦して橋下徹を批判できるジャーナリストは、おっしゃる通り今の日本では佐野さんしか思いつきません。彼の作品が、本となって世に出ることを心から願います。偉大なる俗物、独裁者、大衆迎合の大変危険な男が、日本を動かす政治家になり、さらに今後も増長しようとしています。自分を批判するものにはヒステリックに攻撃を加え、論点をすり替えて大衆を扇動する様は、まさにハシズムです。昨今のワイドショーや報道番組での佐野批判を見ていると、このハシズムに犯されていく社会に非常に恐ろしくなります。私は某新聞社に勤める一記者です。同業者の中にも、残念ながら橋下を支持する者が少なからずいます。既存の政党への嫌悪感から橋下に期待を抱く人たちの気持ちは分からないでもありません。しかし、この男の仮面の裏に隠されたものを見抜かなければ、日本はまた暗黒の時代に逆戻りする気がします」。朝日が白旗を揚げて早々に屈服して以降、佐野眞一叩きはさらに激しさを増し、今回の一件は、週刊朝日と佐野眞一による悪質な部落差別であり、世俗の偏見につけこんだ悪意の暴論だったとする認識と評価が固まった。 週刊朝日の怯弱な降参劇はともかく、当の佐野眞一までが遺憾の意を表し、公開の場で自らの主張を堂々と弁明せず、「今回の記事は週刊朝日との共同作品であり、すべての対応は週刊朝日側に任せています」などと言って姑息に退散している以上、最早、佐野眞一を擁護する意味も理由もなくなった。この肩透かしの釈明には脱力させられる。連載を中止して朝日が懺悔し、佐野眞一も戦線放棄して遁走したのだから、事件として決着収束で、政治的には全面敗北に他ならない。「血脈主義だ」「部落差別を助長した」「人権侵害だ」と決めつけた橋下徹の側が勝利した。こうなると、今さら記事の中身は実はこうだと私などが反論しても、それが説得力を持って人に届くわけがない。が、あの記事で橋下徹の出自を論じている部分は、決して被差別部落の血脈という事実が強調されているわけではない。その論点を特に問題化したのは、むしろ記事を攻撃した橋下徹自身や橋下徹の支持者たちである。客観的に読んで、出自で焦点となっているのは、部落ではなくて暴力団の要素だ。橋下徹の父親の親戚という人物の証言の形式で、橋下徹の父親の少年時代から青年時代、そして自殺の直前までの情報が載っている。こんな記述がある。「ワシ一回、河内の志紀の方にあった博打場の手配師から、来てくれって呼ばれたことがあるんや。そのときビッキャンが博打場でケンカしとったの覚えとる」(P.23)。 「ケンカの相手は無期懲役で仮釈放されよった男やったけどな。その男が女に手を出そうとしたとき、ビッキャンが血相変えて相手をどつき倒したんや。橋下がテレビで相手をめちゃめちゃ言うて負かしてしまうのは、ビッキャンの血や」(P.23)。どうやらこの人物も、河内方面のその世界の関係者だということが分かる。佐野眞一の今回の作品において、橋下徹の血脈を問題にし、その「非寛容な人格」と「厄介な性格の根にある橋下の本性」(P.22)を告発するとき、照準に捉えられている核心は、橋下徹の暴力団性という真相に他ならない。橋下徹の人格と所業はきわめて暴力団的だ。佐野眞一は、この要素は父親譲りのものだと描いている。橋下徹は、サラ金大手「アイフル」傘下の取立業者である商工ローン会社「シティズ」の代理人弁護士を務めていた。1999年から2005年までの間で、利息制限法を超える高額の利息支払いを求め、一日でも遅延すると、残金を一括して支払うように債務者に迫り、債務者から全国的な訴訟を起こされてきた、とネットの情報にある。この時期が多重債務問題が最も深刻な問題となっていた時期だった。そして、2003年に日本テレビ系の「行列のできる法律相談所」にレギュラー出演する。司会者は島田紳助。島田紳助が推挙した登板で、橋下徹は「テレビ界に呼んでくださった島田紳助さんにも本当に感謝しています」と語っている。二人の関係に暴力団の影が介在することは誰もが想像する。 佐野眞一の連載は、島田紳助との関係も視野と構想に入れていたかもしれない。今、政界の橋下旋風を受けて、島田紳助の復帰話が噂になっている。島田紳助の電撃引退の後、芸能界で一瞬だけ綱紀粛正の動きがあったが、本命と思われたビートたけしが無傷で生き残り、結局のところ、徹底することなく元の木阿弥となっている。このことは、福岡県の暴力団対策が頂上作戦へと進まず、何やら膠着状態になっていることと無関係でないように思われてならない。政治権力の上の方で、本格捜査に二の足を踏ませている反動の条件が働いている。そのことはまた、グレーゾーン金利擁護の動き(竹中平蔵・安倍晋三)とも関係しているように推測される。要するに、日本の政治全体が暴力団に乗っ取られようとしているのではないか。暴力団的なものに覆われようとしているのではないか。橋下徹の政治現象を見て危機感を抱くのは、何よりそういう問題である。弱者を痛めつけて収奪する新自由主義の手口は、まさしく暴力団のそれであり、橋下徹や竹中平蔵や麻生太郞の毒々しい思想性は、極論すれば、反社会的な暴力団的論理の政策への反映であり、暴力団的手法の合法化と正当化であると言える。この点、小泉純一郎の家系と血脈の問題について、すなわち暴力団性と新自由主義の内面的連関について、2009年の政権交代期にもっと掘り下げて検証し、意味を確認して一般言説化する必要がわれわれにはあったのだろう。 被差別部落の出身者となることは、人には選びようもないことだ。だが、生まれながらの暴力団員はいない。それは血の問題ではない。したがって、それは差別ではない。親が暴力団であっても、子が暴力団的生き方をするかしないかは、本人の選択の問題である。この点、今回の週刊朝日事件で、多くの者は橋下徹の巧妙なスリカエ工作に引っかかり、このルポを部落差別の人権侵害だと認めてしまった。橋下徹の人格における暴力団性という視角で問題を照射すれば、これまでのアカ狩りや教育基本条例や口元チェックやマスコミ記者リンチについても、全体の構造と本質がクリアに読み解けるのではないかと思われる。橋下徹の政治分析においては、個々の政策を問題にしても有効な切り口にならず、説得的な言論にならない。個々の問題や憲法違反等々については、例えば赤旗新聞などが取り上げて詳しく糾弾して書いている。しかし、それらの政策論的、あるいは法律論的な橋下徹批判は、全く人々の関心に触れることなく、無視され、橋下徹の急所を衝くことがない。事実としてワークしていない。想田和弘的な「メタ」の言葉遊びは尚更で、まさしく小熊英二の言う「グーグル=橋下徹」論的なガベッジ・コレクションで終わるのみだ。結局、これまでの橋下徹をめぐる言説の中で、政治論として最も近いところを掠ったのは、小熊英二のグーグル論だった。放っとけば自滅するから、あれこれ言って橋下徹に燃料補填するのは止めとけという消極的処方である。 私は、徒労に終わり、言説市場を賑やかせただけの数多くの橋下徹論の中では、香山リカと小熊英二を相対的に評価する。前者は、橋下徹の問題が人格心理や精神分析の問題だと投げかけた点で点数を与えていい。切り口は人格論である。だが、単に「病気です」では問題の解明にはならない。やはり、橋下徹の問題を考えるに当たっては、導きの糸は、辺見庸の「橋下徹はテレビがひり出した汚物である」の言葉であり、ここからしか説得力を構築することはできず、攻略法は組み立てられないだろう。どうすれば、決定的な橋下徹批判を世に問い、確立させることができるのか。どの方法に拠れば、橋下徹が言語道断な存在だと人々に悟らせ、距離と断絶を覚醒させることができるのか。そのカギは、橋下徹の暴力団的な本質の暴露だ。暴力団(ヤクザ)的なものが政治権力を専横し壟断しつつある倒錯現象に気づかせることだ。自分自身が、暴力団的なもののパフォーマンスを面白がったり、容認したり、快哉を挙げている一人であることに気付かせることである。暴力団的なものが、お笑いから芸能界に浸潤してテレビを冒し、テレビからマスコミに浸潤して報道全体を冒し、マスコミから政界に浸潤して政治全体を冒している。橋下徹が自己演出するイメージは梟雄であり、人々の支持は梟雄への期待と惑溺である。テレビとは、辺見庸が言うとおり、人の意識そのもの。善悪の判断基準を支配するマインドコントロールの装置と環境だ。暴力団は社会の敵であり、市民生活の脅威である。橋下徹の論理と動機と本性が、限りなくそれに近いと意識できれば、拒絶感が醸成されることだろう。 政治家は政策のみによって批判されるべきという主張は間違っている。政策だけでなく、カネやセックスの醜聞が槍玉に上がるのは当然だし、現に東国原英夫や中田宏はそこで窮地に立っている。松本龍や鉢呂吉雄や柳田稔のように失言や暴言で大臣職を追われる者もいる。漢字が読めないという、義務教育の基礎的学力に問題がある者もいる。政治家は資質が問われる。今回、週刊朝日と佐野眞一を糾弾する者で、特にこの論法を振り回す左翼は、政治家は資質でも批判されるという一事を忘れている。また、同じく特に左翼からの論法で、橋下徹の子どもたちに不当な人権侵害が及ぶからという言い分があった。これはスリカエの詭弁だ。本来、人間は、どのような生まれであれ、自分が家庭を持って子どもを養育する立場になれば、子どもたちに迷惑が及ばないように身を律して社会生活を営まむのが当然ではないか。なぜ、闇世界金融の用心棒をやるのか。橋下徹の出自が問題にされるのは、生い立ちと橋下徹の政策や政治行動に因果関係があるからであり、弱者を嗜虐して愉悦するサディズムが散見されるからだ。大阪市長であり、政党党首であり、マスコミが寵児にして英雄扱いする以上、生い立ち情報は必ず一般に漏れる。そして、どのような生まれ育ちであれ、品行方正に務め、後ろ指をさされないように生きている者は多くいる。逆境をバネにして、人に貢献する仕事をして尊敬を勝ち得ている者は無数にいる。橋下徹は逆のパターンなのであり、だから権力を握ると危険だと警戒され、週刊朝日的な報道が絶えない。 最後に、橋下徹や右翼のスリカエに短絡し、「部落差別」のレッテルでアレルギー反応を起こして付和雷同した無知な左翼はどうでもいいが、政治学者を名乗る中島岳志の今回の発言には失望と落胆を禁じ得ない。中島岳志は、ウェーバーのPariah論を知らないのだろうか。今回の問題は、社会科学としては、まさにPariah Capitalism論の出番であり、この概念を方法として適用し、真相を考察しなければならない政治事件であろう。社会科学にタブーはない。政治学者は法律家でも評論家でもない。「部落差別」に単純化して橋下徹に肩入れするなど、呆れてものが言えない。橋下徹という対象をウェーバーのPariah論で分析する上で、佐野眞一は絶妙のノンフィクション素材を提供しようとしていた。
(文科省観測、線量実態反映せず 福島でグリーンピース調査.) http://www.47news.jp/CN/201210/CN2012102301001859.html 環境保護団体グリーンピースは23日、福島市内で放射線量を独自に調査した結果、文部科学省のモニタリングポストが置かれた地点の多くで、周辺の線量の方が高いケースがあったと発表した。  モニタリングポストの土台となるコンクリートや金属板などの遮蔽効果や、設置時に地面が除染されていることが原因とみられ、「政府は住民に誤った安心感を与えるべきではない」と、より正確な線量を公表するよう改善を求めた。  グリーンピースは16~19日、福島駅周辺や渡利地区など市内315カ所を調査。 2012/10/23 18:10 【共同通信】
(生活・小沢代表 「原発ゼロを国として推進してゆきたい」 http://tanakaryusaku.jp/2012/10/0005419
年内解散・総選挙の観測気球が上がるなか、『国民の生活が第一』の小沢一郎代表が今夕、記者会見した。小沢代表は「3年前の政権交代時の訴えをもう一度主張してゆきたい」「原発ゼロを国として推進してゆきたい」と選挙戦を貫く政策の柱を述べた。     17日から3日間の日程でドイツを訪れ脱原発事情を視察した小沢代表は次のように話した――  「ドイツでは、政権、国会、財界、マスコミが10年後に原発ゼロを決めた。私自身が確信を持って進めて行けるものと強く思った。日本の福島原発の事故を受けて、ほとんど全てのドイツ国民がきれいな再生可能エネルギーに変えようと全政党賛成でこれを決めたと言う。  ドイツ国民の8割はこれに異論はないだろうと政府の人が言っていた。経済界も9年後に廃止する原則について一切異論はないとのこと。日本の福島事故を(深刻に)受け止めたドイツだが、福島原発を抱える日本でなぜできないのか?  大手マスコミの調査でも6割が(脱原発)だそうだ。全国民にまんべんなく問えば8割以上になるのではないか。政治、行政、産業界、原発に関連した既得権、利権の体質がまだまだ強く残っており、国民の命や暮らしより、既得権を守るほうに重点が行っていると思う。  旧体制が原発の維持、再稼働、新設など推進を主張している。国民の意志に大きく反することと思う。自信をもって原発ゼロの政策を国として推進していきたいと思っている」。  民主党がいとも簡単に捨て去った政治改革については次のように強調した――    「半世紀にわたる自民党中心政治が時代の変化に対応できないと思い、民主党で政権交代したが、結果として民主党は国民との約束を反故にし、手を付けようとせず、旧来政治の延長に陥っている。  もう一度3年前に主張した抜本的な政治・行政機構の改革をめざし、時代の変化に対応し国民の生活を安定させる。3年前の政権交代の考え方、訴えをもう一度主張していきたい」。

2012年10月22日月曜日

(福島原発行動隊 米国で「原発利権」を告発 )
(人権なき裁判所。裁判官など「国家の共犯者」達の暴走。そのアクセル役が弁護士達です, * 判決文をねつ造した裁判官・竹林俊憲 ) http://warabij.ti-da.net/c161708.html (沖縄からの情報提供.)http://chikyuza.net/n/archives/27241 沖縄ではいまオスプレイ配備、米兵による婦女暴行など揺れていますが、首相官邸前での脱原発などその根っこは人権問題だと考えています。 本人訴訟の民事裁判をとうして見えてきた、人権なき裁判所。裁判官など「国家の共犯者」たちの暴走が始まっています。そのアクセル役が弁護士達です。「報道弾圧」の吉竹幸則さん以上の不当な裁判が行われていました。ブログ「わらびジャ-ナル」で検索してもらえれば、その実態が御覧になれます。情報拡散をよろしくお願いいたします。 http://warabij.ti-da.net/c161708.html
チェルノブイリ報告】 ホットスポットの村 医師「心臓疾患、奇形が目立つようになった」 http://tanakaryusaku.jp/2012/10/0005368 チェルノブイリ原発から西へ約150キロのナロジチ村を訪れた。針葉樹と広葉樹の入り混じった森が広がり、牛が牧草を食む平原を川が流れる。そのまま一幅の絵画になるような景色だ。  1986年4月26日を境に風光明媚な村の様相は一変する。風が運んで来たのか、あるいは放射能雲がもたらしたのか。大量の放射能が村に降り注いだのである。30キュリーを計測したという記録が残っている。いわゆるホットスポットだ。村人は2週間後、一斉に避難した。  村は現在、移住権利区域(※1)と移住義務区域(※2)に指定されている。村人はいったん帰還したものの次々と村外に移住していった。村役場によれば事故前に8,000人いた人口は、現在3,500人にまで減った。  ゲラシモバ・オレナさん(主婦・54歳)はチェルノブイリの事故当時、妊娠4ヵ月だった。事故が発生したことは知っていた。だが原子力発電所から遠く離れたナロジチ村が放射能で汚染されたことは、2週間後に避難させられるまで全く知らなかった。  オレナさんは、自宅で飼っていた乳牛のミルクを飲み、鶏の卵を食べた。庭の野菜も口に入れた。6ヵ後に生まれたのは、心臓に疾患がある男の子だった。  「将来、子供たちがこんな悲惨な目に遭わないことを願っている」。オレナさんは涙を拭いながら語った。 DNA傷つき遺伝する無限地獄  「49歳の男性が心臓の病気で死に、昨日葬式があった。あっちの家の35歳の男性は3日前に死んだ。心臓疾患や脳溢血で死ぬ人が多い。子供は病気にかかりやすくてね」。庭先の枯葉を掃きながら老婆は話した。村の墓地を訪れ墓標を見ると、30代、40代で鬼籍に入った人が目につく。  子供の健康が気にかかった筆者らは、ナロジチ中央国民病院を訪ねた。「生まれつき心臓に疾患を持った子供や頭の大きな奇形児が目につくようになった。100%とは言えないが、チェルノブイリ事故の影響と考えられる」。こう語るのは小児科副部長のミシュク・オレナ医師だ。 「母親が放射能汚染された村の食材を口にしていたからですか?」 「いいえ、遺伝が原因です」。  今の子供たちは、事故当時親だった世代の孫にあたる。祖父母のDNAが放射能で傷つけられ、それが父母に、そして孫に遺伝するのである。無限地獄ではないか。  小児科部長のマリア・パシュク医師は「完璧に健康な子供はいない」と言い切る。「子供たちは肺、胃腸、腎臓などに疾患を持つ。風邪をひくと余病を併発しやすい」と続けた。  「チェルノブイリ事故による放射能の影響ですか?」  「(ウクライナ)保健省はチェルノブイリ以外の原因は認められない、としている」。マリア医師は説いて聞かせるように話した。  事故当時ナロジチ村に降った30キュリーは約3μSv/hにあたる。日本政府はそれよりも高い「3・8μSv/h ( 20mSv/y)以下」の地域に人々を居住させているのである。  子供のみならず福島の人々の数年後、数十年後の健康状態が気がかりだ。  マリア医師によれば、「福島周辺の医師28人が先月ナロジチ村に視察に訪れた」という。医師たちがホットスポットでの住民の健康に関心を持っていることだけは確かなようだ。子供の避難に役立たせるのかは、ともかくとして。  《文・田中龍作 / 諏訪都》 ※1 555kBq/㎡~185kBq/㎡ ※2 1480kBq/㎡~555kBq/㎡ ※1、※2とも政府が引っ越し費用を持ち、家を買い取る。 チェルノブイリ, ナロジチ村, ホットスポット, 原発, 福島, 避難.

2012年10月21日日曜日

モニタリングポストに人為的操作!?「郡山・相馬・南相馬30~65%も少なく表示」 10/5矢ケ崎克馬氏(会見内容書き出し・資料)  http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2444.html
ドイツZDF「放射能汚染した福島」

2012年10月20日土曜日

北区の40代再従兄が心筋梗塞で突然死。「大阪ガレキ阻止・岩手県陳情書作戦」】木下黄太さんから.) 2012-10-21. http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/bf6bcba847b2a7c2abaf59b440a19338?code=AQDCJ3o36rfAxnLKX0IeTsiE8OGjOc038a5lf0Qm7_crlICr7Nrpvj2I-KQW3OLKUqwJHnEqrtOKU_PkkzrDm2ffyQe19aRZ4ljptVZK4_IfJowPBWxar1jkoLHvw08ptL5WXOkx5euBF00g2iux1kTrDI-6JJbhJh4CMbzP1o6R7KcsRKjpmSpoQpbiV-tsk0rUopcOR0cO4DwrRuGtXZiE#_=_  いろんなお話が、電話でありました。ご本人は20代後半の女性です。生理の異常や婦人科系の疾患、顔がはれるなどの身体症状があり、北海道に保養に行き軽快されたそうですが、現在も懸念されて生活されています。茨城県西部在住。ご本人から、メールもいただきました。  「木下さん、こんばんは。 東京の北区に住む再従兄が心筋梗塞で亡くなりました。 40代の若さでした。 救急車で搬送されたのですが間に合いませんでした。 異変はすでに始まってます。父の話によると倒れて搬送されたけど間に合わなかったそうです。進行がとても早かったようです。再従兄は病気とは無縁で、学生時は水泳の選手でした。おじさん夫婦はショックで連絡もできない状態で、親戚の方から訃報を聞きました。 まだ家族ともども信じられずにいます。おじさんたちについては 住んでいる場所が北区の滝野川の近くで畳屋さんを営んでいます。 畳屋を親子で切り盛りしていました。  北区の状況は、瓦礫の焼却などあまりいい状態ではないこと、 子どもたちの体調が悪化していることを知り、本当に怖く感じています。 私が願うのは、再従兄の死を無駄にしたくないことです。 独身で亡くなっていったこと、親子で畳屋を続けたかったことを思うと不憫でなりません。  話は変わりますが、私の住んでる場所は茨城です。 内部被曝もかなり酷いかもしれません。 野菜、米、肉、牛乳、卵、ほとんどが県内です。 生協で牛乳、魚、卵は買ってますが、体調はよくありません。 婦人科の病気をもっているので 基礎体温の乱れや月経のトラブルもあります。  今回、過少月経のため、排卵がうまくいかず薬を使用して月経を起こしました。こんなこと本当にいままでありませんでした。ぜひ女性の方は、月経にトラブルがあったら必ず婦人科へ行ってください。 放置せず、恥ずかしがらず、将来をふまえぜひ通院してください。あと免疫低下もあります。 311後、腟炎を二度起こしました。 原因はわからず、カンジタ腟炎の腟錠を入れ治しました。   周りの人たちのことも書きますね。まず、私の身近な知人ですが、30前半にもかかわらず老けました。五月に名古屋から引っ越してきた知人のお子さんは、咳が止まりません。そしてご夫婦で農家をやってる知人の旦那さんは、病気をしたことがないと自慢してたのですが、病気をしやすくなりました。かなり体調に変化を起こしてます。それは知人に限りませんでした。水戸にいる私の弟も20代にもかかわらず、30代くらいにみえました。おそろしいことが始まっていることを肌で感じています。 弟には家族がいるので、是非逃げてほしいと思っています。 木下さん、何年か先、チェルノブィリより恐ろしいことが起きるのは確実だと思います。時々、福島がアウシュビッツなら茨城はダッハウだと冗談を言いますが、内心は怖くてたまりません。  それから、月二回ほど、都内の東葛飾地区へ行きますが、気のせいだとよいのですが、子どもたちの顔色あまりよくないです。 目の下にクマを作っていたりした子をみかけます。しかし、再従兄の死を考えるともう気のせいではないのだと感じています。 初期被曝、仕事による被曝、食べ物による被曝、すべてが関係してるようで本当に悔しくかなしいです。 悲しいことは、再従兄のことで 十分です。 子供に先立たれることほど、悲しいことはありません。どうか少しでも体調に変化があったり、辛かったら気を付けてください。 」  身近で突然なくなられる方の話が、懸念していた中でおきている現実です。いろんな意味で、この女性も心身に変調を感じている。そうした中で、このようなリアルに直面した時、人はまず祈ることしかできないのかもしれません。ただし、祈りながらも、次のフェイズに向けて、決断し、行動しないと、僕は何も始まらないと思います。
小出裕章氏、〈ふくしま集団疎開裁判〉にメッセージ. http://www.janjanblog.com/archives/82612
 ◇◆◇ 被ばくし続ける子どもたち ◇◆◇  子どもたちが、被ばくし続けている――。  9月28日、文部科学省前の集会(毎金・17時~19時)で、郡山から参加した女性は、呆(あき)れたように、その実態を語った。  「けさ9時半の時点で、郡山の空間線量は0.8~0.9マイクロシーベルト/時もありました。にもかかわらず、その線量の中で〈子ども祭り〉が平然と行なわれているのです。『ここまでやるか、郡山…』と思い……悲しさや怒りを通り越して愕然(がくぜん)としました。子どもたちは〈被ばく〉について十分な知識を持ち合わせていません。子どもたちの健康は、おとなが責任を持つべきなのに、このあまりのひどさには言葉がありません」(注) (注)下記矢ヶ崎氏の計算によれば、「年間1ミリシーベルト」の被ばく限度を守るには、1時間当たりの線量は、0.114マイクロシーベルト/時である。郡山での線量0.8~0.9マイクロシーベルト/時というのは、その8~9倍もの値である。後述の小出裕章氏も、0.6マイクロシーベルト/時を超えるようなところは〈放射線管理区域〉にしなければいけないと語っている。 ◇◆◇ 矢ヶ崎氏、都内で記者会見 ◇◆◇  10月5日午後、自由報道協会主催の記者会見が行われ、矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授と「市民と科学者の内部被曝問題研究会」の〈モニタリングポスト検証チーム〉メンバーが、福島県内の〈モニタリングポスト〉の“不正確さ”について改めて詳細な報告を行なった。  同氏は、そもそも被ばく許容量が原発事故後に「20ミリシーベルト/年」に突然引き上げられたことについて強い怒りを隠さない。  「ひとたび放射能事故が起きたら、放射線に対する人の抵抗力が20倍になるというのならともかく、事故後に、許容量がいきなり20倍にも引き上げられるようなことに対して、すべての国民が怒りを発しないといけません。同時に、マスコミには、〈国民のいのちを守る〉という視点で、この問題を報じてほしい。」  「モニタリングポストによる放射線の測定で、福島県民の健康が守られることが大事なのに、調査していくと、これほどまでに県民の健康が足蹴(あしげ)にされ、切り捨てられているのかということに驚きを禁じ得ませんでした。」  「基本的には、住民の集団移住などの健康保護策を最優先すべきです。それなのに、線量が高い中を『帰還して、ふるさとの“復興”をしなさい』と言うのは、まさに、住民の〈いのち〉切り捨てそのものです。」  記者会見の席上、放射線計測に対する、意図的な操作の可能性も指摘される中、矢ヶ崎氏は、引き続きモニタリングポストの検証を継続していくことを述べた。  ◇◆◇ 「どこに安心・安全があるのか?」 ◇◆◇  17時からの文科省前集会(10月5日)では、光前弁護士から、10月3日付の毎日新聞スクープ記事、つまり、「健康管理調査」に関する“秘密会議”の存在をすっぱ抜いた記事についてコメントがあった。  「こういう内部告発はとても意味があるし、この告発をした人を私たちみんなが守っていかなければいけません。〔庁舎を見上げて〕文科省で働くみなさんも、社会正義のために告発をできる人はどうぞしてもらいたい」  福島県中通りから上京したKさん(71)もマイクを握る。  「いったい、いまの福島のどこに安全、安心があるのか?国や東電がついてきた数々のウソは、まさに犯罪です。こういうウソを私たちが信じて来たことも問題です。これからは、私たち全員が、原発について、そして復興について、深く考えて行かなければいけないと思います」 ◇◆◇ 山本太郎さん「みなさんスッキリしましたか?」 ◇◆◇  〈ふくしま集団疎開裁判〉の支援者らは、20時前には、集会場所を潮見坂(注:脱原発テントから国会方面にのぼる坂)上の交差点に移し、21時半過ぎまで、おもに官邸前抗議行動を終えて帰る人たちに向けて、呼びかけを行っている。  10月5日は、俳優の山本太郎さんも駆けつけて、マイクを握った。その第一声がふるっている。  「官邸前で、《原発反対~!》と大きな声で叫んで来て…どうですか、みなさんスッキリしましたかぁ~?」  そこで大きな拍手と歓声があがると、すかさず山本さんはこう続けた―。  「でもね、みなさん――。大きな声を出してスッキリするだけでは困るんですよ。みなさんが、スッキリしたまさにこの瞬間にも、福島では子どもたちは被ばくさせられているんです。」  「放射線管理区域にしなくてはいけないようなところに、子どもたちを閉じ込めておく――これは、国が子どもたちのことを見殺しにすることを決めたということでもあるのです!」  「子どもたちに、もう(被ばくの)結果は出ていますよね?平成24年に福島県のおこなった〈健康管理調査〉の結果では、43%もの子どもたちの甲状腺に、しこりやのう胞ができていることがわかりました。まだ1年半で、すでにこれだけの結果が出ているのです」  「大手マスコミは、こういう重要な事実を伝えようとしません。だったら、私たちが一人ひとりで、伝えて行きましょう!福島の子どもたちが見殺しにされているこの現実を、どうかみなさんの友だち、知り合いに教えて、〈ふくしま集団疎開裁判〉を支えてください」 ◇◆◇ 小出裕章氏との電話中継 ◇◆◇  山本太郎さんのあとで、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏と電話中継があり、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の森園さん、柳原弁護士、光前弁護士、それに山本太郎さんらが電話をつないだ(以下、敬称略)。 〔森園〕町内会の運動会のことですが、グランドは“除染”をして、線量が0.25マイクロシーベルト/時ぐらいなのですが、まわりの(除染していない)場所は0.7とか0.8ぐらい線量がありました。こういう現状をどうお考えですか。 〔小出〕放射線量が毎時0.6マイクロシーベルトを超えるような場所は、本来〈放射線管理区域〉にしないといけないところなのです。一般の人々は、そんなところにいてはいけないし、子どもは放射線に対する感受性が高いので、早く避難しないといけません。 〔柳原〕そういう〈放射線管理区域〉にしなくてはいけないような場所からの避難について、〈ふくしま集団疎開裁判〉の第1審(2011.12月判決・原告敗訴)で、郡山市は「転居は自由である」と言いました。つまり、簡単に言えば「逃げたい人が、勝手に逃げればいい、どうぞご自由に」という姿勢です。こういう郡山市の姿勢についてどう思われますか。 〔小出〕(苦笑)まったくあきれた話です。現在、福島県のかなりの地域が「1平方メートルあたり6~10万ベクレルの汚染」があると推定されます。日本の法律によれば「1平方メートルあたり4万ベクレル」を超えるところは〈放射線管理区域〉にしないといけないのです。そういう場所であれば、子どもはいてはいけないし、おとなだって逃げなければいけない。それを「逃げたい者は勝手に逃げろ」式の言い方は、まったくひどい話です。 〔光前〕いま、放射線量の測定結果が(矢ヶ崎氏らによって)問題になっています。この測り方ですが、どういうところに注意すればよいのでしょうか。 〔小出〕みなさんがお使いの測定器は、いわゆる簡易型のタイプだと思います。それらは、たとえば10台機器を並べれば、10台値(あたい)が違う…というようなものです。ですから、その測定器で出た値そのものを気にするというよりは、相対的な線量の高低を知る目安にするとよいでしょう。つまり、この機器で向こうを測ると高い数値が出た、それに対してこちら側は比較的線量が低い…というような具合です。 〔森園〕福島のある場所では、除染をしたあとに、モニタリングポストを設置して「1マイクロシーベルト/時あったものが、0.4まで下がりました。よかったですねぇ~」なんてことをやっているところがあります。 〔小出〕「除染」という言葉を、原発事故以来よく聞くのですが、放射性物質を人間の力でゼロにすることはできません。「除染」という言葉でおこなっているのは、単に、放射性物質の“場所を動かしている”だけです。(注:場所を移すだけであるから、当然移した先の場所で被ばくの問題が出てくる。また、小出氏は別のところで、一部だけ汚染されているような場所での「除染」は一定の効果はあるかもしれないが、山も川も田畑も汚染されてしまっているような場合は、そもそも除染の意味がないという趣旨のことを述べている) 〔柳原〕10月3日付の毎日新聞で、福島県の「健康管理調査」にかかわる〈秘密会議〉のことがすっぱ抜かれました。こういう裏での〈秘密会議〉のありようをどうお考えですか。 〔小出〕相変わらずだなと思いました(苦笑)。原子力ムラの人たちは、このようにして、これまで自分たちの好きなようにものごとを進めて、現在まで生き延びて来ているのです。 〔山本〕そういう原子力に関わって来た人たちは、いま現在、福島の子どもたちがたいへん危険な状態にあることを知っているのですよね? 〔小出〕学問的には(注:科学的な知識としては)わかっているでしょう。ただ、彼らは、できることなら今まで通りに「安全、安全…」と言いたがっているのだと思います。子どもたちを救うことについて(そういう原子力推進派の)研究者たち(の学問的な良心が目覚めること)に期待することは…むずかしいでしょう。私は、これまでそういう原子力推進を進めて来た人たちは(その罪悪の大きさから)刑務所に入れるほうがいいと思います。 〔山本〕小出先生…これからもどうか力を貸してください! 〔小出〕……。私はこれまでの原発訴訟での体験から、裁判に絶望して来た人間です。…ですから、できることは限られていますが、その中でできることはしたいと思います。 〔柳原〕今日はお忙しいところありがとうございました。  大手メディアでは報道されない、子どもたちの〈いのち〉を守るための活動は、司法への提訴(2011年6月)以来、確実に支援の輪を広げつつある――。
(アニー・ガンダーセンの報告.もっと悪かったかもしれない) ディーゼル発電機の冷却水を供給していた。 これらのポンプが動かなければ、ディーゼルはダメになる運命にありました。 沿岸部のポンプが壊れたのです。 それこそが福島第一原発事故の根本原因です。 福島第一原発事故の本当の原因についてお話ししたいと思います。 そして、福島第一だけではなく、他の3つの原子力発電所にある10の原子炉も、事故寸前だったことについて。 http://fairewinds.org/ja/content/%E3%82%82%E3%81%A3%E3%81%A8%E6%82%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%82%82%E3%81%97%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84 もし私が「福島の事故の原因は何か」とたずねたら、きっとあなたは、想定外の巨大な津波が原発を襲い、ディーゼル発電機を水浸しにしたためだ、と答えるでしょう。 では、もし私が、ディーゼル発電機を高いところに動かしたら、この事故は防げたでしょうか、と聞いたら? そこでもあなたはきっと「そのとおり、それで問題は解決するだろう」と答えるでしょう。 しかし、それは間違いかもしれません。 私はフェアウィンズのアーニー・ガンダーセンです。今日私は、福島第一原発事故の本当の原因についてお話ししたいと思います。 そして、福島第一だけではなく、他の3つの原子力発電所にある10の原子炉も、事故寸前だったことについて。 3月11日にマグニチュード9の大地震が日本から160キロ沖の太平洋で起こり、衝撃波が日本列島を襲いました。 日本列島の原発は素早く停止しましたが、あの地震に原発が耐えることができたかどうかについては、決定的な証拠はありません。 しかし45分後には、巨大な津波が日本列島を襲い、これらの原発を壊滅させました。 これは福島第一原発だけではありません。 津波は福島第一、福島第二、女川、東海原発を襲いました。 全ての原発は同じ津波によってダメージを受けました。 事故から1週間後、私はCNNに出演し、ジョン・キングに言いました。「福島第一原発をノックアウトしたのは地震でもなく、ディーゼルを全滅させた津波でもありません」と。 私たちは、海沿いのポンプの損傷を映したサテライトビデオを取り上げました。 ご覧いただいているように、めちゃめちゃになっています。 これらのポンプは比較的頑丈にできていました。 地震や自然災害に堪えられるようにデザインされていました。 しかしご覧の通り、沿岸部はまるで金属スクラップ置き場のようです。 あなたの車には、エンジンの前にウォータポンプがあるのをご存知ですね。 ウォータポンプが壊れたら、エンジンは故障します。つまり、福島第一原発で起きたのは、まさにそれです。これらのポンプは、あなたの車のエンジンの前のウォータポンプにように、ディーゼル発電機の冷却水を供給していたのです。 これらのポンプが動かなければ、ディーゼルはいずれにせよダメになる運命にありました。 ディーゼル発電機が海抜30メートルだったとしても関係ありません。 沿岸部のポンプが壊れたのです。 それこそが福島第一原発事故の根本原因です。 これを「究極的なヒートシンク喪失」と私たちは呼びます。 ここでのキーワードは「究極的」です。原発を冷却するためには、海水を引き込む必要があるのです。しかしその同じ水を使って、ディーゼル発電機を冷却しなくてはなりません。だからディーゼルは水浸しにならずとも、動かなかったはずです。 このヒートシンク消失の問題は福島第一原発の1〜4号機だけに起きたのではありません。福島第一の6基の全原子炉、さらに福島第二、女川、東海原発でも起きていたのです。これらの原発には、全部で14基の原子炉があります。そこには37のディーゼル発電機がありました。 そのうちの9機が津波で動かなくなりました。 これらのディーゼルは、福島第一の1〜4号機のものです。しかし15の他のディーゼル発電機も動かなくなっていたのです。主要メディアも原子力産業界もそのことについては語っていません。それらのディーゼル発電機は水浸しになりませんでした。実際に起きたことは、福島第一原発の1〜4号機だけではなく、すべての原発でこの沿岸のポンプが壊れて、少なくとも一つのディーゼル発電機の冷却ができなくなり、壊れたのです。 2011年12月21日に、チームH2Oプロジェクトが書いた報告書で「福島第一原発事故から学ぶ教訓は何か」が議論されました。250ページにも渡る報告書で、ウェッブサイトもあります。しかし私にとって鍵を握るページは、108ページです。とても複雑なグラフが書かれていますが、説明しましょう。ピンクのグラフは、洪水によって破壊されたディーゼル発電機を示しています。ご覧の通り、福島第一原発のディーゼルは洪水で破壊されています。しかし福島第二のディーゼルも洪水で破壊されています。さらに重要なのは、他の15のオレンジで示されているグラフです。 これは15のディーゼル発電機が洪水ではなく、冷却システムが壊れたために動かなかったことを示しています。ですから9の発電機は洪水で壊れましたが、それらはポンプがこわれたのでいずれにせよ作動しなかったでしょう。それに加えて15の発電機は、冷却ができなくなったために壊れたのです。福島第一、福島第二、女川、東海の4カ所の原子力発電所には37のディーゼル発電機がありました。24は津波で全滅しました。 ここで重要な教訓があります。それはディーゼルをどこに設置しようと関係ない、ということです。冷却ポンプは水がある場所、つまり水辺に設置するしかありません。原子力産業界はそのことを語りません。 彼らが言っているのは、ディーゼルを高いところに動かすとか、より頑強にするとか、洪水から防ぐ、ということだけです。しかし実際、ここで解決しなければならない重要な鍵は、水辺にあるポンプをどうやって守るか、ということなのです。 そして、メディアも原子力産業界も触れたくないもう一つの重要なことがあります。この事故が起きたとき、誰もがすでに現場にいました。福島第一では千人が、福島第二でももう千人が働いていました。もしこの地震と津波が12間後に起きていたら、福島第一には100人、10キロ離れた第二にも100にしかいなかったでしょう。道路も地震や津波で壊されているので、人々は働きにいこうとしてもいかれなかったでしょう。 この千人のヘラクレスのようなヒーローの作業員のたちの努力によって、世界は今経験している以上のさらに深刻な状況から救われたのです。もし事故が夜に起きたと想像してみてください。おそらく10の原子炉がメルトダウンを起こし、女川と東海でも問題が起きていたでしょう。 福島第一原発事故に言及する時、3つの原子炉が爆発し、一つの使用済み燃料プールが壊れているので、一つの事故ではなく複数の事故と呼ぶべきだと思います。さらには、事故は福島第一だけではないのです。福島第二も何日間も危険な状態でした。女川も一日以上、トラブルがありました。そして東海でもトラブルがあったのです。つまり3月11日には14の原発が危険な状態だったのです。しかし世界は福島第一原発にしか焦点をあてませんでした。 ペンシルベニア州のある市民科学者が、一基以上の原発で事故があった場合は、事故の国際レベルをもう一つ増やすべきだ、という素晴らしい提案をしていますが、私も同感です。みなさんもご存知でしょうが、福島第一とチェルノブイリは起こりうる最悪の事故と考えられるレベル7です。この国際評定にレベル8を加えるのは、放出された放射能の量のことは関係ありません。私は福島第一はチェルノブイリより多くの放射性物質を放出したと思います。しかし、もしほぼ同量だったとしても、そこが重要なのではありません。重要なことは、事故が複数の原子炉で起きたこと、そして複数の原子力発電所に影響を与えた、ということです。 ポーツラインしが推奨しているのは、私も彼に同意見ですが、我々は国際事故評定にもう一ランクを加えるべきだ、ということです。 レベル8が必要です。 これは放出された放射能の量は関係ありません。複数の原発で、あるいは複数の原子炉がかかわったとき、事故は私たちが体験したものよりはるかに過酷になりうるからです。 すでに言いましたが、実際、もしこの事故が12時間ずれていたら、日本の終わりを意味していたでしょう。たまたま2千人の人が現場にいて働いていたために複数の原子炉を危機的な状況から救うことができたのです。 今日、ここから学ぶ教訓が二つあります。まず一つ目は、原子力産業界はポンプの位置を変えるか、またはポンプを洪水にあっても作動する水中ポンプに変えるべきです。 二つ目は、IAEA(国際原子力機関)はレベル7を越える事故が存在することを認め、レベル8を創り、そのときは国際協力が不可欠であることを認める必要があります。 もし国際社会がレベル8という評定をもってさえいれば、それは単独ではなく複数の原発が危険であると認識できたでしょう。実際、4カ所の14の原子炉が危険だったのです。もし世界のコミュニティがもっと早く動いてさえいれば、世界は福島第一原発事故の影響を最小限にすることができたでしょうし、日本人への被曝も最小限にできたでしょう。 どうもありがとうございます。私はアーニー・ガンダーセンです。これからもみなさんに情報をお伝えし続けます。

2012年10月19日金曜日

小沢一郎氏と河合弘之弁護士のドイツ視察・その2. http://tkajimura.blogspot.de/
さて、昨日の続きですが、まずは二枚の写真をご覧ください。今週明けのベルリンの天気は、気温も下がり悪天候でしたが、「国民の生活が第一」の小沢一郎氏らのドイツ脱原発視察団が到着した日から好転し、二日目の昨日はご覧のように、ドイツ語で「黄金の10月」と呼ばれるにふさわしい紅葉が政府中枢の広場でも堪能できました。このような好天は、ほんの数日しか恵まれません。 ドイツ国会議員と会談を終えた小沢氏と河合氏の満足感が見えます。 10月18日の午後、連邦議会環境委員会の委員長らと議員会館で会談を終えた5名の訪独団のには、ドイツでは脱原発促進政策だけではなく、文字どおり天も味方したかのようです。気温も18度まで上がり、コートも不要なほどでした。 小沢一郎氏の紹介は必要ないでしょうが、訪問団に参加している河合弁護士は、フクシマ事故後に脱原発弁護団全国連絡会を呼びかけ代表となり→脱原発全国ネットワークでは、先月、会期末の国会に提案され継続審議となっている脱原発基本法案を海渡雄一弁護士らとともに超党派の国会議員を巻き込んで市民議員立法として作り上げた日本の筋金入りの反原発弁護士の代表格であることを、あらためて強調しておきます。 以下10月17日、18日のベルリンでの様子を、多くの日程の中から拾って、重点的に写真で紹介します。 (17日の太陽光発電施設の視察) 視察第一日目のこの日は、正午、アルトマイヤー環境大臣との会談(これは日本からの随行記者皆さんがすでに報告している通りです。ケチくさく、けしからんことに会談本体には日本大使館関係者だけが傍聴し、記者団は会談前後のぶらさがりの取材しか出来ませんでした。今度アルトマイヤー大臣に合う機会に苦情を言っておきます)を終えた午後、ベルリン近郊の昨年末に完成したばかりの太陽光発電施設を視察しています(前項のその1の冒頭の写真がそれです)。 施設に着いた両氏。 ここの施設は、ベルリンのシュパンダウ地区の郊外にある有限会社→Saferay社が、昨年末に約2ヶ月の工期で建設しています。同社は2010年から世界中に太陽光発電施設を建設している新しいベンチャー企業のひとつです。  会社の目的としては、ドイツではエネルギー促進法(EEG)で再生エネルギー施設の建設営業には国からの援助特典があるが、それが消失するのを待つ前に、援助なしで自社投資だけで採算が取れる施設を実現しようとすることにあるとのことです。つい最近にはこの部門の商敵である中国にも進出しているとの説明がありました。  さてここの施設は、1930年代には、世界一周した気球船ツェッペリンの飛行場であり、戦後はベルリンの壁に沿った旧東ドイツの軍事境界線緩衝地帯となったため、壁崩壊後も空き地であったところを利用して建設されています。今でも滑走路跡が残っているとのことです。そこは雑草が生えにくいのでありがたいとのことでした。 日本大使館の広報担当官もメディアの多さにびっくりしていました この発電施設の発電能力は21メガワットで、太陽光モジュールはドイツのキューセルズ社のものです。小沢氏の発電能力に関する質問には、このモジュールは太陽光の強い例えば南米のチリでは北国のドイツの倍ぐらいとなり、日本ではそのおよそ中間ほどでしょうととの説明がありましたが、ここでは間違って通訳されていましたので補完しておきます。 広大な施設を見学したあと、記者団のインタッヴューが始まったとたんに、薄曇りの間から陽が射し始めました。 小沢氏は陽のあたる人物のようです。 質問に答えて「日本では太陽光発電も良いですが、 わたしの地元の岩手でも温泉地の地熱発電がドイツよりもはるかに有望だと思います」などと良いご機嫌で答えていました。 わたしはこの人物に初めて合ったのですが、タフです。日本との7時間の時差など無かったように昨夕に到着したばかりのこの日も、早朝からベルリンの中心を一時間ほど散歩したとのことです。 脱原発でもたつく民主党を割って新党を結成 し、脱原発の旗を揚げて、河合弁護士らの能力に注目して脱原発基本法案の国会提案に飛びついた政治感覚はなかなかのものです。ドイツを視察して、脱原発構想が夢想ではないことを実感すれば、間違いなく増々タフになるでしょう。 *ついに陽の当たる河合弘之弁護士 河合弁護士といえば、このブログでも早くから紹介しましたが、何度も日弁連環境部会のドイツ視察でお会いしています。 ずいぶん前からわたしは通訳もかねてドイツの初期の太陽光発電や、最新の原発の視察につきあったものです。 今回の訪問の連絡が事務所から あったので取材に出向きましたが、この日も施設の入り口を小沢氏と並んで入って来たとたんに、わたしを見つけてカメラの放列の前で「やーやー、梶村さん」と走って来て握手されたり、国民の生活が第一の副幹事長の松崎哲久衆議院議員には「この人はドイツの脱原発の生き字引だから」などと大げさに紹介されたりして、何度も面食らわせられました。これには、お互いに何十年も前からの高木仁三郎学校の生徒であったことが背景にあります。  高木氏から学んで、何十年も原発差し止め訴訟で敗北に敗北を重ねて来た苦労と怒りが、この人物の今日のものすごいエネルギー源です。この日久しぶりに合って、請われて撮った写真は、ドイツの脱原発の「陽の当たる河合弘之」のポートレイトとなっています。このような河合氏の表情は滅多に観られないのではないかとおもいます。 この日、彼がわたしにぶつけた最初の質問は「ドイツ人はどうして反原発意識が強いのか理由がどうもわからない」でした。歴史的背景を説明して「それは二度と故郷を失いたくない。もう一つは二度と加害者にはなりたくないという歴史認識が根本にあるからです」というのがわたしの回答です。これについては→「フクシマが日本社会に問いかけるもの」を参照して下さい。 (18日のドイツ連邦議会環境委員会の与野党議員との懇談。) 二日目はドイツの商工会議所などとの懇談がありましたが、ここでは議員会館で行われた、ドイツ連邦議会環境委員会の与野党議員との懇談を取り上げます。 この模様は一時間足らずの短いものでしたが、記者にも公開で、ありがたいことにIWJで 平山茂樹さんが実況中継されており、録画も観ることができます。二つにわかれていますが録画は→ここと、→ここです。 長いものではないので是非ご覧くださり、ネットで拡散して下さい。平山氏は残りの南ドイツでの視察も中継録画されるようです。感謝します。 ここには緑の党の代表委員としては、もちろん前項でも紹介しましたようにバーベル・ホェーンさんが話しています。この会談での彼女の特に大切な発言は、ドイツでは再生エネルギー促進で、発電主が大企業の独占体制から、発電の民主化の実現として地方自治体と市民の手に徐々に移行しつつあるとの指摘です。今では風力や太陽光発電の普及で、発電主が全国で100万人ほどになっており、その11%が農民である。このようにして地方経済の活性化に有効である、との指摘でしょう。  この日の通訳の女性は非常に優秀な方ですが、朝からの疲れもあってか、日本を良く知っているホェーンさんが「Atomdorf=原子力村」という日本語のドイツ語直訳を使った時にとまどっておられました。原子力村はいまや日本の原子力ロビーの代名詞として世界中に知られているのです。 議員懇談を終えて。国民の生活が第一訪問団4名のみなさん。右が松崎哲久議員。背景は国会議事堂。 さて、懇談を終えた小沢氏に、感想を聞くと「日本では期限を決めた脱原発政策を持っているのが我が党一つだけであることにドイツの議員さんは驚いていたようだ」との感想でした。議員会館前でのインタヴューでは、会談で出された日本の増加するプルトニウムの問題に関しての質問に対し「原発を維持してプルトニウムを保持することが日本の抑止力となるとの主張があるが、内外に余計な誤解を生むだけであるから、そんなこことは発言すべきではない」との旨の返事がありました。 これは正論であり、わたしも全くその通りであるとおもいます。最近のこの手の発言は、ドイツのメディアでも極右政治家の本音として報道されています。日本を危険視しているのは決して中国、韓国などアジア諸国だけではないのです。 このような小沢氏の表情は珍しいでしょう。 終わりにドイツの日本人記者の長老である永井潤子記者が、ベルリンの印象を尋ねますと、「緑が多くて本当に奇麗ですね」と破顔一笑され、翌日から南ドイツへでの視察のため空港に一行は向かいました。 そこでは、廃炉が決定し稼働中止したの原発と、再生エネルギーで電力の自給自足を実現している自治体を視察する予定です。 この訪独団は日本の圧倒的多数の願いである河合弁護士らの苦心による 脱原発基本法という希望の鈴を進んで身につけて実現しようとする日本の政治家の方々です。 80%の市民が脱原発を支持し、再生エネルギーで持続可能な社会を実現しつつあるドイツの現場を訪れて、この構想の実現こそが危機にある日本が立ち直る、最善で最短の道であることを小沢氏らは確信されるでしょう。 また、ドイツでは、大飯の再稼働にもかかわらず、日本がドイツを追い越してもっと早期に脱原発を実現するのではないかとの見通しもあることを皆さんに伝えておきました。知日派のドイツ人は日本人には思いがけない能力があることもよく知っているのです。 日本の皆さん、白ネコでも黒ネコでも脱原発法を支持するネコは日本を救う良いネコです。近いうちに、おそくとも来春あたりには総選挙があるでしょう。市民の力で政治家たちに脱原発基本法という鈴をつけて回りましょう。国会議員の過半数が鈴をつけるか否かに日本社会の将来はかかっています。
(命と健康をかけた子どもたちの闘い) http://besobernow-yuima.blogspot.de/ 昨年3月11日の東北沖大地震を発端とした東京電力福島第1原子力発電所の事故により、福島県をはじめとする広大な国土が放射能で汚染された。のみならず、いち早く福島県に送りこまれた長崎大学の「放射線医療の専門家」を自認し、莫大な医療利権を帯びた山下俊一氏らの強引な放射線安全キャンペーンが福島県の社会全体を覆いつくしてしまった。 原発事故の10日後の21日、国際放射線防護委員会(ICRP)が日本政府宛てに声明を出し、事故緊急時の年間被曝基準20~100ミリシーベルト、事故収束後の現存被曝基準1~20ミリシーベルトを医科学的根拠も示さずに勧告した。文部科学省はこれを国際スタンダードと称し、学校生徒らの屋外活動制限基準を20ミリシーベルトとする旨を福島県に通知した。かくして、県内の子どもたちに対する毎時3.8マイクロシーベルトという途方もなく違法な高線量被曝が容認されることになったのである。 このように命と健康にかかわるリスクがないがしろにされる政治・社会状況のなか、郡山市の小中学生ら14名が「年間1ミリシーベルト以下の安全な場所での教育の実施」を求めて福島地裁郡山支部に提訴した。この通称「ふくしま集団疎開裁判」は、緊急避難的な仮処分を求める申立事件である。だが、なぜか審理はだらだらと長引いた。 裁判所の申立却下判断がくだったのが、提訴半年後の昨年12月16日。野田佳彦首相が福島第一原発「冷温停止」と事故「収束」を宣言したのと同日である。 読者のみなさんは、内閣官房「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキング・グループ(WG)」をご存知だろうか。このWG会合は昨年11月から12月にかけて開かれ、11月28日の第5回会合では、ICRP科学事務局長クリストファー・クレメント、ICRP第4委員会委員長ジャック・ロシャール両氏が「緊急時から現存被曝状況への移行」と「ベラルーシにおけるエートス・プロジェクト」に関するプレゼンテーションをしている。 第8回となる最終会合が開かれたのは、12月15日のことであり、「福島県県民健康管理調査『基本調査(外部被ばく線量の推計)、甲状腺検査』の概要について」と標題する文書が配布されている。政府の事故収束宣言と地裁の決定がその翌16日であるのは偶然の産物でないと考えても、あながち間違ってはいないはずだ。 さて、その地裁決定だが、その理由として、①除染作業が続けられ、線量が落ち着いている、②小中学生らには転校・移転の自由がある、③原発事故の責任は郡山市にない、などと郡山市の主張のみを追認。なかでも不当きわまりないのが、「年間100ミリシーベルト以下の低線量被ばくによる健康への影響は実証的に確認されていない」という御用学者の弁舌をオウム返ししたような理由付けである。 目下、抗告審が仙台高裁で係争中であるが、この審理も異常に長引いている。10月1日に審尋期日(法廷審理)が設けられたが、抗告人(原告)弁護団によれば、判事らのポーカーフェイスに遮られて、これからの裁判の見通し予測はむつかしいようだ。 このところ、福島県健康管理調査をめぐる状況が急展開しつつある… l 9月11日、子どもの甲状腺検査について3回目の結果発表。のう胞や結節という異常を示すAⅡ・B判定の割合が前回発表分の36%から今回の44%と急拡大。小児甲状腺がん発症1例の報告。福島県立医大はこれを「放射線とは無関係」と断言。 l 10月3日、毎日新聞が「調査検討委員会に秘密会」とスクープ報道。村田文雄副知事が県議会で謝罪。 l 10月5日、続報「検討会議事進行表(シナリオ)を県が作成」 AⅡ判定者の再検査が2年後でよい、小児甲状腺がんは事故と無関係など、あらゆる結論は県が作成したシナリオに沿ったものであることが、これで暴露されてしまった。裁判官でなくても良識人であれば、いまや福島県や御用学者らによる放射線安全キャンペーンが隠蔽・虚偽による世論誤導にほかならないことは天下に明白である。 だがそれでも悲しいことに、国際原子力ロビーや国家意思による締め付けは強大であり、裁判の行方は予断をまったく許さない。 命と健康を守るための子どもたちの闘いを全うさせることができるのは、こころある人びとの良識、そして支持と支援だけである。 わたしたち「ふくしま集団疎開裁判」の会は、東京、郡山、仙台など各地で街頭アクションを展開するとともに、「世界市民法廷」をネット上に開設し、市民がみずから陪審員となって、自主的な評決を行うように世界市民に呼びかけている。また同時に仙台高裁に提出する要請書について署名活動を推進している。 「ふくしま集団疎開裁判」の会 代表 井上利男 2012.10.05記

2012年10月18日木曜日

「日本人を被曝から守る為、放射能防御の国際同盟創設を」バンダジェフスキー博士からのメッセージ。) http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/5d56f92da5b2ea298aab356eec71ef88?fm=rss ベラルーシ国立ゴメリ大学医学部創設者であり、放射能による健康被害の発見者でもあるユーリー・バンダジェフスキー博士が日本から帰国した。福島原発事故から一年後、博士は日本に招かれて講演を行い、放射能防御をテーマにした医療養成セミナーを実現させた。ダヴィッド・シェーアンが博士にインタビューを行った。 日本滞在についてお話いただけますか?  12日間の滞在の間、私は10回の講演を夜行い、昼間は医師達と一緒にセミナーを行いました。これらのセミナーは、木下黄太氏による”放射能防御プロジェクト”の一環として行われました。木下氏は私を大変温かく迎えてくださり、日本滞在中常に付き添ってくださいました。木下氏はまた、我々の活動がより認知され、支持を受けることが出来るように国際的な同盟を築くことに賛成してくださっています。特に私の願いは、汚染地域で本当に起きていることをコントロールするための国際同盟を創設するために、近い将来キエフで国際会議を開くことです。もちろん”バンダジェフスキー友の会”もこのプロジェクトに参加します。 同盟についてもう少し詳しくお話いただけますか? 我々のホームページ http://chernobyl-today.org/ でご覧いただけるように日本の友人達は共同の仕事を続け、放射能被害に対する住民の健康を守る共同作業を行いたいと私達に書き送ってきてくれています。私達が創設しようとしている国際同盟は、もちろん科学的なデータを基盤に働くものです。 日本人は今回の事故に対してどのように反応しましたか? 日本人が政府の沈黙に対して行動を起こさなければいけないと理解したのは明らかです。何千もの日本人が自分達の未来、そして特に自分の子供たちの未来を心配しています。彼らはもっと情報を欲しがっており、信頼出来る情報を得るには政府は常に当てになるわけではないこともわかっています。例えば東京の住民達は力を合わせて、かなり精度の高いガイガーカウンターを入手することに成功しました。この機械は非常に高い線量を記録し、彼らは大変気を揉んでいます。その結果、多くの人々が東京を去り、家はずっと簡素でも、汚染の比較的少ない地方に移り住みました。滞在中、私は一年間放棄したままの家を見に戻ってきた家族にいくつも会いました。胸の張り裂けるような光景でした。 日本人達は反対運動を起こしたのでしょうか? はい。私は滞在中に信じられない数の反対者を見ました。チェルノブイリ事故後のベラルーシ、ウクライナ、あるいはロシアでの汚染地帯の住民よりもずっと大きな運動を起こしています。日本人はとてもやさしく教養のある民族ですが、原発事故に対して怒っています。その上日本人は連帯感が強く、前進するためには力を合わせるしかないことをわかっています。これは非常に大切なことです。このような運動が、健康を守るために効果的なプログラムを実現させることを可能にしてくれると願っています。 何故政府は沈黙したままなのでしょう? これは真のパラドックスです。日本は何千年と続いてきた文化を持ち、幾つかの分野においてはヨーロッパよりも進んでいます。強い経済力や在外邦人共同体の発達は、福島事故に対応するにあたって様々なことを可能にし得ると思うのです。例えば汚染していない食物の提供など。ところが原発事故に関する国民の情報は十分ではないことを私達は見てきました。チェルノブイリ事故の時と同じです。当時ソ連政府の中には強力な原発ロビーの存在があり、情報は封印されてしまいました。当時のソ連のような独裁体制下と、現在の日本のような現代民主主義体制下と、情報隠蔽のプロセスは酷似しています。 低量の被曝は問題なのでしょうか? 私達の研究では、低量の放射能、非常に低量の放射能でさえが、人体組織に取り込まれると、健康にとって大変大きなリスクを持つ要素であることを確認しています。それに対してウクライナ、ロシア、そしてベラルーシ政府は、閾値(しきいち)があると主張し、閾値以下ではまったく危険がないとしています。私達の研究はそれとは逆の結果を示しています。特に深刻なのはセシウム137です。脳も含めたすべての組織に侵入するからです。放射性セシウムは細胞エネルギーのバランスをかく乱します。そして人体組織にアンバランスを根付かされるのです。 つまり汚染地域に住む人々の健康は脅かされていると言うことですね? 残念ながらそう言うことです。子供達は心臓や血管の問題を起こしています。汚染地域に住む人々が放射性物質に汚染された食品を消費しているのならば(それは毎日起こっていることですが)、特に子供たちは絶対に医療検診を受け続けなければなりません。これは医者達にはよく知られている基本の病理プロセスです。このグラフを見れば何故子供たちが病気なのかわかるでしょう。 ゴメリ地方の解剖(1997-1998)を元にした人体組織へのセシウム137蓄積量 緑=成人 赤=子供 1.心筋 2.脳 3.肝臓 4.甲状腺 5.腎臓 6.脾臓 7.骨格筋 8.小腸 先ほど心臓と血管の問題の重要性を強調されましたが そうなのです。放射能汚染にさらされると、子供の心臓・血管体系が障害を受けるリスクが高まり、成人してからの心臓病のベースとなります。このことは Yves Michel 社から出版した私の本にも説明したとおりです。またチェルノブイリの汚染地帯ではその他の癌性や非癌性の数々の病理が非常に広がっていることもわかっています。日本の汚染地帯に住む人々も放射能にさらされています。 現在されている仕事の内容を教えていただけますか? 汚染地帯に住む人々の健康問題を総合的に把握しようとしているところです。実際、人々の健康に関する決定的要素が慢性被曝である一方、その他の化学的、生物学的な要素もこの地域の人々健康を冒していると考えられます。放射性物質と化学的・生物的汚染物質との間の相互作用がもたらす結果については研究が不足しています。汚染地帯に住む人々の間に蔓延している免疫機能・内分泌機能の障害を引き起こしているものが何なのかをもっとよく理解したいと思っているのです。例えば、牛の飼育には、屠殺するまで牛の健康を維持するために抗生物質が多く使用されます。抗生物質を多量に吸収した牛肉を消費すると、その抗生物質は人体組織の中で、慢性被曝のために変容してしまった肝臓や免疫体系が原因で、さらに複雑な影響をもたらす可能性があります。科学と医学はこう言った疑問に関心を寄せ、もっと深い研究を進めていかなければなりません。 状況を進展させるために具体的に私達は何ができますか? まずは客観的な情報へのアクセスが必要です。そしてその情報を得るには、様々な異なる汚染地域での住民の被曝量、食物の汚染量を測定し、伝達するための道具が必要です。このようなインフラ設備を設置するための知識は既に存在し、日本の人々にはそれを実現させる力があります。次には、そうした放射性物質の源を遮蔽するためにあらゆる手段を尽くさなければなりません。例えば肉や牛乳、チーズ、レタスなどの汚染食品は決して食べてはいけませんし、破棄しなければいけません。日本人の大きな利点は、非常に強力な社会組織のネットワーク力です。これは汚染地域に”清潔な食品”の供給を実施することを可能に出来るでしょう。汚染地域産の食品が論外であることは言うまでもありません。 日本に対して楽観的ですか? 状況は悲劇的ですが、日本人は社会的に非常によく組織されています。みなでよく考え、人の話によく耳を傾け、習得が速いです。特にセミナーでは医師達の聴講レベルや彼らが私にする質問のレベルの高さに驚きました
チェルノブイリ事故後の旧ソ連医学者と日本の医学者 ――イリーンと重松の連携が3.11後の放射線対策にもたらしたもの―― (2)チェルノブイリ事故以前の状況と直後の対応) http://shimazono.spinavi.net/?p=397#more-397  イリーン『チェルノブイリ:虚偽と真実』の第1部は「チェルノブイリ事故直前のソビエトにおける放射線医学の科学的レベルとその状況」と題されている。ここでは、イリーンがこの分野の権威者として大きな力をもつ立場に至る過程が述べられるとともに、その立場でチェルノブイリ事故後の事態に対応する際、どんな困難を抱えていたかの説明がなされている。一方でソビエト連邦のこの分野の科学は高い水準にあったという主張と、しかし、チェルノブイリに十分対応できないような多くの限界があったという弁明が述べられており、その意味で分かりやすい叙述とはいいがたい。  ソビエトの放射線医学の限界ということだが、一つには秘密の分厚い蔽いがかぶされていた。そして放射線防護についての研究は少なかった。 「若い研究者や興味を抱いている読者に科学研究の主な結果を知らせるために、科学者たちは厳しい検閲とその他の科学論文の発行に伴うわずらわしい問題点をうまく切り抜けなければならなかった。原則として、公開された研究成果は一部であり、多くは未公開で発行を禁止されていた。」(5ページ) 「……人体に及ぼすイオン化放射物からの防護方法について基礎的な情報や有用な放射線学に関する科学論文は少なかった。特に放射線事故に関するものは稀少であった。実際多くの科学者は、事故の対策や対応に取り組む余裕がなかった。また同時に、原則として防護をとりあげた論文の中で、放射線防護だけを取り上げた論文は全く見あたらず、事故の時にどうすればいいかを人々に知らせる記事は、原則として限られた部数しか印刷されなかった。」(5ページ)  これらの記述をとおして、イリーンは旧ソビエトでは事故時の放射線防護について適切な知識をもっている人はほとんどいなかったことをほのめかしている。また、こうした事情があったために、チェルノブイリ事故に際しての対応もうまくいかなかったという主旨の弁明と見なすことができる。たとえば、安定ヨウ素剤が使えなかったことへの弁明らしきものも見られる。しかし、ヨウ化カリウム製剤は工場で大量生産されていた。そして 「子供の使用時の注意も含めた薬の説明書を添えて緊急時につかえるように適当な条件で貯蔵された。チェルノブイリ事故が示したように、無責任な態度とこの薬を住民に迅速に供給するシステムの欠如により大きな問題が巻き起こった。住民防御の権威者も医療スタッフもこの錠剤の説明書のストックがあることを全く知らなかったのだ。」(68ページ)  安定ヨウ素剤を使わない決定にイリーンが関わっていたことは、ここでは触れられていない。こうした叙述と、「殆どの研究分野の科学者の知識とその成果は国際的な基準に一致していて、ソビエトの科学者は海外の科学者に決して遅れてはいなかった」(67ページ)という叙述との間には矛盾があるが、これはイリーンが自分が指導して立案された旧ソ連の事故対策方針は適切だったという主張と、うまくいかなかったのは旧ソ連内でこの分野が立ち後れていただめだという主張の双方を成り立たせようとするところから来ている。  イリーンは自らが、国際放射線防護委員会(ICRP)や国連放射線影響委員会(UNSCEAR)(とりわけ後者)の他国の関係者たちとの交流を通して多くを得たことを誇る叙述も行っている。フランスのビエール・ペレリン、アメリカのフレッド・メットラーらとの交流がチェルノブイリ事故対策を立案する際に大いに力になったことが示唆されている(18~24ページ)。だが、他方、これも容易でなかったことが述べられている。イリーン自身、KGBにより5年間、国際会議への参加を禁止されていたとも述べている(19ページ)。  イリーンは叙述の背後に、自らが外国の専門家と組んで世界的な防護基準にのっとった対策を示したにもかかわらず、旧ソ連内の科学者たちにそれが受け入れられなかったことは残念だったという主張を込めている。  「もしチェルノブイリの事故の前にロシアの科学者の中にこういう基本的な仕事について少しでも知っている人がいれば状況はかわっていたかも知れない。すなわち世界の科学者たちによって何十年かけてつくられてきたこのような放射線防護の哲学についてや、国連放射線影響委員会によって詳細にわたって示されている疫学的データの研究と解釈の方法論について何が最も重要であるのかを知っている科学者がいたとしたら、チェルノブイリ事故の結果として起こった医学的な出来事に対するバイアスのかかった評価は存在しなかったであろう。その誤ちが、世間の人々の考えに悪影響を及ぼすことになってしまった。」(22ページ)  日本の福島原発事故の場合は、当初からICRPなど国際的な放射線健康影響・防護研究者組織と組んで対応がなされた。旧ソ連と比べると、日本では世界の原発推進勢力が形作ってきた国際的な放射線専門家集団と連携関係にある度合いが強かったと言えそうだ。ウクライナやベラルーシにはそうした国際的専門家集団とは異なる立場の科学者がおり、イリーンのような旧ソ連の指導的科学者と対立しつつ住民の健康のために早くから立ち上がったが、日本ではその動きがだいぶ弱い。政府と連携した専門家集団に押さえ付けられているかっこうだ。  旧ソ連内で自分の立場が通りにくいことを察知したイリーンは、チェルノブイリ事故後、ソ連放射線防護委員会のリーダーとして、外国の専門家と話し合って、適切な防護基準について立案することを思い立った。そして、1989年5月の国連放射線影響委員会にこれを議題として取り上げるよう提案した。その討議の結果、国連放射線影響委員会は5月12日「放射性物質による長期汚染」と題する文書を「記者発表」した。  「チェルノブイリ核事故に対する放射線防護に関する旧ソ連邦の決定は、現在の国際的な放射線防護政策と一致していると考えられる。これは、IAEAによって開催された放射線防護の非公式の会議で認められた。(中略)旧ソ連邦の国家委員会の議長であり、国連放射線委員会のソ連代表であるイリーンが、チェルノブイリ事故後の汚染状況と現在までにとられた対応策を参加科学者に報告した。また、世界的に採用されている改革と一致した対応策が行われた最初の数年後に残っていると思われる問題について、特別な注意が払われた。しかしながら、この様な汚染を引き起こした核事故の健康への長期影響については前例がない。ソ連邦の放射能汚染地区ら(ママ)居住する人々の生涯最大被曝線量を350ミリシーベルトとすることは正しい方法と考えられ、参加者の同意を得られた。許容線量はソ連邦政府によって決定されることが同意された。なぜならICRP勧告に従い、許容線量がその地区の状況や事故の規模に基づくからだ。」(23~24ページ)  ここで示されている「生涯最大被曝線量350ミリシーベルト」はイリーンが提起し、これによって住民の移住をできるだけ抑えるための政策として採用されかかったものだ。しかし、その後、多くの反論によってイリーン提起の基準は退けられ、もっと厳しい基準が設けられることになった。第2部以降のこの書物の叙述の主要な論脈は、その経緯を述べようとするものだ。  このことから分かることは、イリーンは自らが関わって来た国連放射線影響委員会(UNSCEAR)、そしてそれと密接な関係にあるICRP,IAEAのお墨付きを得て、放射線防護のための移住をできるだけ少なくする対策を主張したということだ。だが、それも科学的根拠とはあまり関わりがないものであり、引用した国連放射線影響委員会の「記者発表」も「国際基準に一致しないけれども許容する」という主旨だった。  社会的コストを考えれば移住は減らした方がよいと考えたイリーンは、その立場をUNSCEAR、ICRPで通して、それを支えに何とか正当化しようとした。他方、原発事故の影響をできるだけ小さく抑えたいという動機を強くもつ国際専門家集団もイリーンのその立場を後押ししたのだろう。  以上、第1部の要点を述べてきたが、このように、本書では科学的な評価よりも政治的な駆け引きについての叙述が大半をなしている。第2部「チェルノブイリでの日々」では、イリーンが1986年4月のチェルノブイリ事故の直後に、住民避難に強く反対した経緯について詳しく述べている。「私は、人々の基本的な生活の活動を妨げる方法にはどれも反対した。必要なのは、都市の放射線のデータについての情報を毎日発行することや、専門家が一般状態を都市住民に説明する必要も含んだ、よく考え抜かれた高度に専門的な説明であると述べた」(124ページ)大都市で避難を行えばたいへんなコストを産む。一方、何とか線量は限度に達していない。放射性ヨウ素もそうだ、と。  この決定は後に厳しく批判さ れた。90年2月、ウクライナ最高会議でイリーンの論敵シェルパックは、86年5月に「キエフの住民の避難をする(子供を含めて)理由がないとする意見を支持した専門家たちの責任を問うことを要求」(188ページ)した。イリーンらソ連の権威者たちはキエフから出て行けとの運動もあった。イリーンはウクライナの疑似「専門家」達と戦ったと述べている(137ページ)。89 年5月の声明でUNSCEARは、ソ連は独自の政治的な判断を許容されるということを言っているにすぎないのだが、イリーンは生涯最大被曝線量350mSVは「正しい方法」であることを強く主張した。  この経緯のイリーン自身による叙述を読めば、イリーンらがこの基準を政治的に押し通したことが明白である。イ リーン自身は国の代表として国際機関に出ている自分とその仲間こそが正統な専門家であり、他の専門家のいうことは取るに足りないという理解で、唯一の「科学的真理」宣布者としての権威を行使するとの考えを示している。  以上のようなイリーンの叙述は、七沢潔『原発事故を問う―チェ ルノブイリからもんじゅへ』(岩波新書、1996年を参照すると一段と見通しがよくなる。七沢著の第1章、第4章にイリーンの名が出てくる。イリーンはキエフの住民、とりわけ子どもたちを避難させない政策を 支える科学者の主軸だったことが分かる。  また、86年5月3日の段階で住民に安定ヨウ素剤を渡さない決定もイリーンの判断に基づくもののようだ(七沢『原発事故を問う』(37ページ~)。オルリク副首相(ウクライナ共和国)はこの日、こう述べたという。「放射線医学の専門家で、ソ連医学アカデミー副総裁のイリイン博士は、今住民に渡さない方がよいといっています。彼は10日分しかないから、今、使ってしまうと、この先もっと深刻な事態になった時に使えなくなる―という主張です。 ヨード剤の配給は見合わせましょう。」(57ページ)。  この時イリーンは事故原子炉からさらに放射性物質が大幅に放出されることを怖れていた。5月7日にイリーンと放射線測量の専門家、ユーリー・イズラエリ国家水文気象委員会議長がモスクワから到着。2人はキエフでの「汚染状況は、子どもを含めた住民の健康に危険をもたらすものではない」、「現在、食品にふくまれている放射能の値は、住民に危険をもらすものではない」と主張。2人は12時間かけて3通の勧告書を作成。例年どおりのキャンプ以外の子供の避難は不要だとした。また、「情報の一元化」などを指示しもした。  ウクライナ共和国最高会議議長のシェフチェンコ女史は これに反対、疎開を主張した。結局、5月9日、夏休みキャンプを早めて実行するという形で実質的な疎開案を採用した。25日までに52万6千人の母子・妊婦が疎開 した。(『原発事故を問う』67-71ページ)  ウクライナ政府のこの決定に対し「ソ連政府は露骨に不快感を表した」。ウクライナ側の対応が住民にパニックを起こしたと批判した。そして、5月14日被曝許容線量を引き上げるという「きわめつけの通達がモスクワのソ連保健省…から送られてきた」。「ソ連保健省は…次のような新しい基準を採用した。14歳以下の子どもと妊産婦の場合、年間10レム (100mSv)、一般人の場合は50レム(500mSv)まで許される。それ以下の場合、住民の疎開などの特別な措置はとらない」。イリーンはさすがにこれには反対して後に10レムまで引き下げられた。  それまでのソ連では年間5mSv(0.5レム)だったから、 20倍に引き上げた。その頃のキエフの線量は毎時0.5ミリレム(5μSv)というからかなり高い。(そういえば日本も1mSvを20mSvにと 20倍あげた)。七沢氏は次のように概括している。  「住民保護の対策を決める際の客観的な目安となるはずの被曝線量が、国の都合で勝手に変えられる。その動機としては、まずむやみに人の移動を認めて、パニックに導かないという政治上の大方針があった。そして 同時に、被曝線許容量を引き上げることで人の移動をさせない背景には、経済的要因もからんでいた」 (73ページ)。七沢はこう述べて、ICRPの「最適化」の論を説明するイリーンの言葉を引く。 「わが国にかぎらず、日本でもイギリスでも、アメリカでも、非常事態が起こったら、普段のレベルよりも高い基準が導入されるようになっています。これは仕方ないことだと思います。たとえば、キエフ市民三百万人が本当に疎開するとなったらどれだけの社会的費用がかかることでしょう。もちろん被曝による健康上のリスクは生じますが、それを、この社会的費用とを秤にかけて考えなければならないのです」(73~74ページ)  結局、モスクワとウクライナは妥協した。5月15日に疎開第1陣が出発した。イリーン著『チェルノブイリ:虚偽と真実』の第2部と七沢の叙述を見ると、放射線健康影響の専門家としてキエフに派遣され、ソ連側の立場を押し通そうとしたのがイリーンだということがよく分かる。当時、事故による放射線の健康被害がどれほどに及ぶか、イリーンの側に確かなデータはほとんどなかったはずなのだが。
(Fukushima Never Again ドキュメンタリ-フイルム).米国人eltzer氏のドキュメンタリ-フイルムです. 3十万人の子供たちはまだ被爆している. カリフォルニアの映画監督eltzer氏の新しいドキュメンタリーは東電と日本政府の隠蔽工作.情報封鎖をフイルムで描いている. 福島の母親、原子力専門家や労働組合員が日本の人々,世界の人々,子供たちを守る為,人権と正義のために戦っている最初のドキュメンタリ-映画である. http://www.youtube.com/watch?v=LU-Z4VLDGxU
被災地にまわらない復興予算、増税を原子力村の延命に使わせてはならない! <加藤哲郎(かとうてつろう):一橋大学名誉教授・早稲田大学客員教授> http://chikyuza.net/n/archives/27028
◆2012.10.16 久しぶりで震災被災地をまわってきましたので、一日遅れの更新です。今回は岩手と福島です。陸前高田の旧市街は、がれきが大分片付いていましたが、ホテルや道の駅の大きな残骸はそのまま。町そのものは市役所・病院・商店・仮設住宅他丸ごと高台に移したかたちで、復興はまだまだ。よくテレビで報じられる大船渡の被災地中心にできた仮設商店街・屋台村は、客も品揃えもまばら。復興の意気は感じられますが、仮設は仮設です。地元の人々の懸命な努力と想いが、痛いほどにわかるだけに、ここに投入さるべきだった震災復興予算19兆円の使途には、驚き、あきれます。自衛隊機の購入や調査捕鯨のグリーン・ピース対策、大阪・姫路の税務署の耐震改修、はては「もんじゅ」や核融合の研究まで入り、なんと原子力村の延命・再編にも使われています。他方で、被災地の個人事業主が知恵を集めた『中小企業グループ補助事業』では、予算不足で申請の6割が却下されている不可解。これが、所得税・住民税増税でひねり出された震災復興予算の実態です。消費税増税の行き先をも、暗示しています。新幹線が福島に近づくと、それまで0.05μSv/hだった放射線量が、目に見えて大きくなります。福島駅で0.20,福島市内では0.60以上も記録しました。福島から川俣町、飯館村、南相馬市に入り、6号線を浪江町から双葉町へと南下して、途中で立入禁止となり南相馬へ逆戻り。このコースで最も高い線量は、南相馬でも浪江町でもなく、30キロ圏外の飯館村で、広く1.00を越え、山道に入ると1.20-1.40に達します。南相馬市街地では0.20-0.50でしたから、同心円での避難区域設定のいい加減さ、SPEEDIが生かされなかった昨年3月決定的時点の決定的無策が、改めて悔やまれます。無人のスーパーやコンビニの看板も不気味ですが、浪江町「警戒区域」には時間の止まった津波の被害がまざまざ。仮設住宅に10万人、県外避難者6万人がさまようこんな状態で「収束」を強弁し、けっきょく不要だった大飯原発を再稼働させ、いまだに脱原発の腰が定まらない野田内閣に、改めて怒りを覚えます。 ◆10月上旬はノーベル賞の季節、一昨年のノーベル平和賞は亡命者中心の独立中国ペンクラブ劉暁波に授与され、矢吹晋・加藤哲郎・及川淳子『劉暁波と中国民主化の行方』で論じましたが、今年の文学賞は、中国政府公認中国ペンの莫言に授与されました。しかし国際ペンクラブホームページは、劉暁波と莫言の写真を並べて、獄中作家の釈放を求めています。平和賞はEU(欧州連合)に。国際赤十字などは第1回のアンリ・デュナンから三度ももらっていますから、国際組織の受賞そのものはよくあること。でも、このタイミングでの受賞には意外の感。そして、医学・生理学賞の山中伸也教授の受賞は、素直に喜びたいところ。特に共感できるのは、次の2点。第1に、「特許」についての山中教授の考え方、新自由主義・市場原理主義の時代には「独占させないための特許」が必要という考え方、ウェブ上の問題にも、応用できそうです。第2に、現代日本で最も生産的な京大iPS細胞研究所ですら、その担い手の9割が、任期付きか非正規雇用の研究員たちであり、そのことに山中所長が大きな危機感を持っていることです。国の財政危機のしわよせをまともにうけた、日本の科学技術体制の危機です。最先端で応用性も高いiPS細胞研究ですら、貧弱な研究予算で人件費が出せないのですから、基礎研究、人文・社会科学研究は推して知るべし。その小さなパイをめぐって競争が激化し、産学協同から軍学協同、果ては経歴詐称から虚偽業績申告まで産み出す構造的問題。かつて廣重徹『戦後日本の科学運動』(こぶし文庫)が告発した体質の再現です。そしてそれが、1954年に日本で「原子力の平和利用」が出発した背景であり、原発「安全神話」が作られ、安富歩さんのいう「東大話法」が跋扈し、原子力研究者のほとんどが「原子力村」に組み込まれる一因になりました。 ◆前回更新で入れた1954年3月21日『読売新聞』夕刊トップ、アメリカ大統領アイゼンハワーの「アトムズ・フォー・ピース」演説の3か月後、ビキニ水爆実験で被爆した第5福竜丸乗組員のケロイド写真と「原子力を平和に、モルモットにはなりたくない」という見出しには、当時の中曽根康弘ほか改進党議員たちが提案した2億3500万円の原子力予算通過の事情が隠されています。この写真の2週間前、3月4日に吉田自由党内閣補正予算中に滑り込ませた原子力予算は、衆院を通過していました。3月11日には日本学術会議が「平和利用」の条件付きで承認にまわり、3月13日『毎日新聞』社説は「原子力研究を期待する」と宣言しました。第5福竜丸被爆帰港の『読売新聞』スクープは、その3日後、3月16日でした。その1週間後がこの「原子力を平和に」の写真です。その詳しい経過は、先日9月29日の早稲田大学20世紀メディア研究所第70回公開研究会で「日本の原発導入と中曽根康弘の役割 1954-56――米軍監視記録Nakasone Fileから」と題して報告し、10月8日号『エコノミスト増刊 戦後世界史』の加藤哲郎「原爆と原発から見直す現代史」にも「1954年3月が分岐点だった」と書いておきました。予算が通ったら反対から条件付き承認へと1週間で「転向」した科学者側の事情については、山崎正勝さん『日本の核開発』(績文堂)が詳しく述べています。その条件とされて最終的に55年末原子力基本法に入ったのが、もともと占領期に「原子力の平和利用」の唱道者であった武谷三男が発案した「平和利用3原則=自主・民主・公開」でした。 ◆この過程を「議論にあけくれる学者を札束で目をさまさせた」と公的な『原子力は、いまーー平和利用の30年』(日本原子力産業会議編、1986年)の冒頭に書き込んだのは、自ら被爆者で湯川秀樹の愛弟子の一人であった森一久でした。山崎さんも引用していますが、これは当初茅誠司に中曽根康弘が「札束で頭をひっぱたいた」と語った話として核物理学者に伝えられ、武谷三男が「原子力と科学者」(『著作集』2,396頁)で広めたものです。当時、朝永振一郎は「札束で学者のおしりをひっぱたいた」話として紹介し(『毎日新聞』54年4月2日)、中曽根自身は、1965年の「原子力開発への準備」(日本原子力産業会議『原子力開発十年史』)で公式に否定した後、『政治と人生』などでは、茅に対して「札束でほっぺたを打って目を覚まさせる」と言ったのは同僚議員の稲葉修だったとしています。ここでは「札束=予算のエサ」で学者をひっぱたいたことは共通していますが、「頭」なのか「おしり」なのか「ほっぺた」なのかが対立しています。私は朝永の「おしり」説が一番説明力があると思っています。というのは、「頭」や「ほっぺた」にはいかにも政治家が学者を脅迫・強制したようなニュアンスがありますが、どうやら54年3月時点では、学者のなかにも原子力研究をやりたい、でも原爆体験からの慎重論・反対論があるから大きい声ではいえない、研究費が少なくて海外情報収集さえままならないから何とか予算がほしいという雰囲気が相当ありました。日本学術会議内では茅誠司・伏見康治の提案にもとづき原子力の基礎研究を再開すべきか否かの検討を始めた段階でした。そこに、いきなり原子炉作りのための2億3500万の予算が提案され、造船疑獄で揺れる「政争の具」として、あっさり通ってしまいました。そこで茅誠司・藤岡由夫・伏見康治らは、予算がある以上、条件さえつければ、学者の力で軍事研究への応用は阻止できる、原子力研究を統制できると考えて、一気に「平和利用」の名目での中曽根・稲葉の誘惑、原子力研究費の魔力にとびついた、というあたりが真相と思われます。脅迫や強制ではなく、すでに前のめりになっていた科学者たちに、「研究費」のエサを与え、「おしり」にムチを入れたら一気に走り出した、ということでしょう。 ◆後に中曽根康弘と伏見康治の対談「黎明期、そして今後の原子力開発は」(『原子力文化』29巻7号,1998年7月)で、中曽根は当時の新聞に「原爆予算」「中曽根が予算を出して、また原爆を作るんだろう」と批判されたと認め、伏見は、日本学術会議の「平和利用3原則」を「我々の提案は、中曽根提案が出てから大急ぎでつくったんですよ。我々の間では『中曽根さんはきっと原子兵器を作るに相違ない。それにはくつわをはめなくちゃだめだ』と(笑)」いうものだったと認めています。この対談で中曽根は、予算提案時に学術会議から公式に抗議に来た茅誠司が、「できちまったから仕方がない」と述べたことも明かしています。「これは内心は通してくれというんだ。私はそう読みました」。こうして、1年半後の1955年12月13日、国会での原子力基本法の提案理由の説明で、中曽根康弘は「各国の共通の特色は、この原子力というものを、全国民的規模において、超党派的な性格のもとに、政争の圏外に置いて、計画的に持続的にこれを進めているということであります。どの国におきましても、原子力国策を決定する機関は半独立自治機構としてこれを置いておきまして、政争の影響を受けないような措置を講じております」と述べ「政争の具」ではなく「国策」であると強調して、原子力基本法と原子力委員会発足をほぼ満場一致で通過させます。統一したばかりの日本社会党右派の松前重義(東海大学学長)を味方につけた、科学者の弱みを握った政治家中曽根らの工作で、日本の原子力発電は出発します。 ◆ 「平和利用3原則」は基本法に入りましたが、「安全」は原則になりませんでした。5人の委員のうち3人、湯川秀樹・藤岡由夫・有澤広巳が学界から入った原子力委員会は、初代委員長正力松太郎の強引な運営と財界の支援のもとで、基礎研究をじっくり進めるどころか、すぐに外国の原子炉を輸入して実用化する方向に進みます。湯川秀樹はそれに抗議し、「健康上の理由」で委員を辞任します。その代わり、科学技術庁も発足して、原子力研究の予算は他分野から突出して優遇され、多くの原子力村住人を育てます。あまり注目されることはありませんが、55年原子力基本法制定時の中曽根康弘の提案理由には、「日本の原子力の問題というものは、広島、長崎の悲劇から出発いたしました。従って、日本国民の間には、この悲しむべき原因から発しまして、原子力に対する非常なる疑いを持っておるのであります。すでに、外国においては、原子力はかっては猛獣でありましたけれども、今日は家畜になっておる。遺憾ながら日本国民はまだこれを猛獣だと誤解しておる向きが多いのです。これを家畜であるということを、われわれの努力において十分啓蒙宣伝をいたし、国民的協力の基礎をつちかいたいと思うのであります」と原爆を猛獣に原発を家畜にたとえ、「安全神話」作りを提唱して、産業としての原子力に道を拓きます。歴史的には、原子力を「 エネルギー源の問題を主として外国は取り上げておる。日本は広島、長崎のエレジーとして今まで取り上げてきておった。この国内の雰囲気の差と国外の界囲気の違い、これを完全にマッチさせるということが、まず第一のわれわれの努力であります。広島、長崎のエレジーとして取り上げている間は、日本の原子力の進歩は望むことができません。外国と同じように、動力の問題として、産業の問題としてこれを雄々しく取り上げるように、われわれは原子力政策を推進したい」というのは、英語の「Energyエナジー=エネルギー」と「Elegyエレジー=悲歌」をかけた、ハイカラ青年政治家中曽根らしいレトリックでしたが、あいにく英語は苦手の当時の国会議員たちにはほとんど通じなかったようです。「ヒロシマからフクシマへ」の転換点となった日本における「原子力の平和利用」の出発は、「原子力の夢」と研究予算の誘惑に負けた科学者たちと、いつかは原爆を持ってアメリカと対等にと願う政治家たち、それに巨額予算に新たな儲け話をかぎ取った産業界の合作でした。湯川秀樹博士のノーベル賞受賞で湧いた「科学立国」の夢が背景にあって、ジョン・ダワー風に言えば、「原爆を抱きしめて」原発が経済成長の土台になっていくのです。山中伸也教授の受賞が、これを他山の石として、日本の科学技術の新たな展開への手がかりとなることを期待します。 「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml 〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/

2012年10月17日水曜日

(劣化ウランの用途の大半が軍需用で、民生用は被曝危険性のため極めて少ない。錘としての用途程度だ。それなのに住友化学千葉工場にある65トンの劣化ウランは何に使われる? 軍事用以外考えられない) (住友化学千葉工場で火災 劣化ウラン65トン保管 地図と場所) http://portirland.blogspot.jp/2012/10/sumitomokagaku-tibakoujou-kasai-rekkauran-tizu-basho.html?m=1#Nm5jwPQ.twitter_tweet_count_m 以下********袖ヶ浦市議会議員twitterより抜粋*********** 9月7日 昨日の議会一般質問で、 市内臨海工業地帯に65tもの劣化ウランがあること、 周りにタンクがあり、地震による側方流動で爆発炎上した場合に 劣化ウランが飛散し内部被爆の可能性もあることを指摘。 万一に備えて安定よう素剤を学校などに備えるように要求。 市は前向きに検討すると答弁しました。 10月25日 劣化ウランについては、九月議会でも問題にしましたが、 IAEAの管理下にあり、容易に移動できないため、 少なくとも、工場地帯からの撤去を求めて行きます。 ***************************************************** 住友化学の工場内に劣化ウランがあることが確認できると思います。 現状、容易には動かせないようですしね。 住友化学の劣化ウランへの考え方について、以前、雑誌で回答しています。 ***************************************************** 劣化ウラン200トン 化学メーカー4工場に眠る 8月27日付けの日本経済新聞によると、1960年代後半から70年代前半にかけ、化学メーカーで触媒として用いられた劣化ウラン約200トンが、今も国内の大手4社の敷地内に、貯蔵されたままになっているという。 劣化ウランは、原子炉等規正法に基づき厳重に管理されており、国際原子力機関(IAEA)の査察も受けている。これまでに放射能漏れなどの事故は起きていない。 約68.8トンを貯蔵している住友化学工業は、「工場内に占める管理区域はごくわずかで、保管状況のチェック費用も年間数万円から数十万円程度」というが、「核燃料物質なだけに、早く処分したい」と三井化学(約71.1トン)、昭和電工(約44.5トン)、旭化成工業(約8.5トン)とともに口をそろえる。 国の原子力委員会は今年3月、ようやく触媒用劣化ウランの処分方法の検討に入り、年内には基本方針をまとめたいとしているが、処分を始める時期のめどはたっていない。 現在、官民合同の協議会を作り、資金や処分場確保策などを検討しているものの、メーカー側からは、「処分コストが現在の保管コストを上回るようでは意味がない」との声も出ている。 ***************************************************** 自衛を考えないとどうしようもないですね。 住友化学から積極的に対策に動くという事はなさそうです。 (住友化学 千葉工場) 〒299-0195 千葉県市原市姉崎海岸5番1号 TEL:(0436)61-1313 FAX:(0436)61-2229 地図は出光興産側をさしています。 上記の住所は、東電の清水社長が天下りした、富士石油に隣接するほうです。 広い工場ですが、事故があったのは、どっちなのでしょうかね。 今回、火災は既に鎮火しましたが、住友化学は、速やかに劣化ウランの状況について、声明をだすべきではないでしょうか。現状、保管側からの積極的な対応もなさそうですし、周辺住民が情報感度を高める必要がありそうですね。 
(ヤブロコフ・ネステレンコ報告.)チエルノブイル事故後ウクライナ,ロシア,ヨ-ロッパで起きた,放射線による健康被害の報告です.) http://www.asahi-net.or.jp/~pu4i-aok/core/bookdata/1000/b1083.htm 疾病率(morbility)、障害(impairment and disability) 白ロシアでは1985年には健康な子供は90%であったが、2000年には20%に低下 白ロシアでは1986ー1994年の時期に新生児の死亡率は9.5%に上昇。ゴメル地方で死亡率最大205%という数値は早産が増えたためと1996年に ジーコビッチによって報告されている。注)死亡率が100%を超える理由はその定義が((早産の死体数)+(生きて生まれたが、その後放射線障害で死亡し た数)) / (生きて生まれたが、その後放射線障害で死亡した数)のため 事故の後始末に働いた若者は5年後に30%は病気になった。10年後には健康な若者は9%以下 ウェールズのホットスポットでは1986-1987年の新生児の体重が1.5kg以下に低下した (加齢の加速) 白ロシアでは幼児の消化管上皮の老化 ウクライナ寿命が7-9年短くなる 事故の後始末に働いた若者は同年より10-15年早く病気になり寿命は5-15年短くなる 事故の後始末に働いた男子の81%、女子の77%は心臓病になった (循環器系の疾病) 白ロシアでは避難者の血液とリンパ系疾病は事故後9年ではその前より3.8倍増えた。汚染地域に住民は他の地域の住民に比べ2.4倍になった ウクライナでは事故後12年間は循環器系の病気が11-15倍に増えた ロシアのブリヤンスク県では事故後10年間に渡り、子供の白血球数が極端に低くなった 白ロシアの新生児の赤斑が事故後2倍になった 事故処理労働者の致命的心筋疾患が一般人の平均の2.5%から22.1%に増加 (遺伝子損傷) 電離性放射線は遺伝子を損傷する。この損傷遺伝子は数世代に渡って残るであろう。汚染地帯では染色体異常が沢山観察された チェルノブイリの遺伝子に与えた影響は放射線強が広島や長崎の数1,000倍以上であったのでこれを多量にあびた第一世代への影響が大きかった 事故直後の半減期の短い放射性物質にさらされた人、バックグランドと同じレベルに下がるのに300年を要するストロンチウム90、セシウム137と共存し て生きる人、プルトニウム、アメリシウム汚染地域に住む人、およびその子供達は7世代にわたって影響が残るであろう ノルウェーでは染色体異常10倍になっているのが56人の成人で観察された スコットランドで21番染色体が1本余分に存在するトリソミー症(ダウン症)が2倍 セシウム137が3Ci/km2(111,000Bq/m2)のロシアのチェルノブイリ近辺で染色体異常が2-4倍になった オーストリアで17名の成人の染色体異常が4-6倍になった 白ロシアで1987-1988年にかけてダウン症が49%増え、その他の国でも1987-1994年にかけ17%増 放射線をあびた両親の子や白ロシア、ウクライナに住んでいた子供のサテライトDNAの突然変異が2倍 白ロシアで事故後6年時点でウクライナにおいて放射線を浴びた父をもつ子の先天性発達異常は他の地区の1万人当たり960-1200人に比し、1,135 -1,376人と増え た。脾臓、副甲状腺、甲状腺、副腎皮質、卵巣、睾丸などの内分泌線の疾病は3倍になった (内分泌系) ウクライナでは1988-1999年にかけ、内分泌線の疾病が8倍になった 白ロシアで1987年、事故の後始末に働いた人の子の免疫細胞に重大な変化が見られた ウクライナの汚染地域では免疫細胞と体液が大きく損なわれた ロシアの汚染地域に住む子供達に抗酸化と交感神経系の機能不全が見られた (呼吸器系) 一般人、事故の後始末に働いた人の区別無く、10-15年後に免疫力の低下にとともに鼻咽頭および気管支疾患が増える。汚染が15-40Ci/km2に居 住していた子供は3年後に3.5倍。汚染地帯に住んだ女性から生まれた新生児の非感染性の呼吸器系障害は9.6倍。事故の後始末に働いた人の慢性肺疾患は 事故後15年間に10倍になった (泌尿器系) 放射線はホルモンのバランスが崩れるために腎臓、膀胱、尿路、卵巣、精巣が影響を受ける。2000年までのデータでは生殖器の不全は女子で5倍、男子で3 倍になる。1981-1995年間に白ロシアでは子宮内膜症が2.5倍になった。不妊症は1986年に比べ1991年には5.5倍。このうち精子異常は 6.6倍であった。1988-1999年に泌尿器生殖器疾患は2倍となった。54.1%の妊婦に癇前症、貧血、胎盤の破壊と多量失血が見られた。事故の後 始末に働いた人は1988-2003年の間、泌尿器生殖器疾患が10倍となった。 (骨格・筋肉系) ホルモンバランスのずれ、または破骨細胞と造骨細胞が放射線で死ぬことにより骨粗鬆が増える。歯がだめになることにより健康障害が発生する。慢性の筋肉痛 は正常な生活を阻害する。骨筋系の欠陥は特に子供の発育と活動の障害となる。ウクライナの事故の後始末に働いた人の筋肉と腱の障害は1991-2001年 にかけ2.3倍となった。ウクライナでは胎盤のセシウム137が0.9-3.25Bq/kgだった子供に中空骨や脊椎軟骨の損傷がみられた。ロシアでは事 故の後始末に働いた人の30-88%に骨粗鬆 (神経系) 低放射線レベルでも神経系への影響は大きい。高度神経系においても視覚神経系においても神経精神病理学的不調においても同様である。脳は放射線に対し敏感 であることの証拠が増えている。中央ならびに自律神経系を変えて脳障害を引き起こす。高度汚染地域では低度汚染地域に比べ幻覚・幻聴がより頻繁に経験され る:白内障、ガラス体の変質、焦点調整不能、紫外線脆弱性、結膜炎 (消化系) 事故の後始末に働いた人には消化器官の疾病が増え、汚染地域で生まれた赤ん坊の先天的消化システムの機能不全が見られた。低放射線の影響は変わっていて胃 腸器官上皮の機能は子宮内にいる期間だけでなく影響を受ける。事故の後始末に働いたロシア人の消化器官疾病は9年間に渡り7.4倍になった。白ロシアでセ シウム135が検出された若い避難者の40%は胃腸器官疾病患者であった。ウクライナの5-15kBq/m2レベルの汚染地域の人 々と、管理グループを比較すると、胃の粘膜の退化が5倍、腸の変質が2倍であった (皮膚) 汚染地帯では事故直後、皮膚と皮下組織の病気が増えた。原因としては外部からの放射線に加え、内蔵疾患の影響が考えられる。1988-1990年において 皮膚疾患は4倍になった。ロシアの汚染地域の子供とティーンエイジ世代の60%で皮膚疾患がみられた。事故の後始末に働いた人で乾癬を発症した人の97% は神経系と胃腸に問題を抱えていた (感染症) 放射線は寄生虫など我々の共生生物たる微生物相、動物相に働きかけて生物共同体を変えてしまう。汚染地域では食中毒、胃腸炎、敗血症、ビールス性肝炎、呼 吸器系ビールスが増える証拠がある。 病原菌が強くなったのか人間が弱くなったのか、両方なのかはいまだ不明である (先天性奇形(CM)) 汚染地帯では子供の遺伝的異常、先天性奇形が増える。手足、頭、身体の損傷を含む。先天性奇形はいまだ増えつつあり、その程度は汚染度に比例することは仮 説ではなく、事実である (腫瘍) 1986-2056年のガン患者は9,000-28,000人とするWHO予測は過小評価である。I-131とCs137だけでもヨーロッパで 212,000-245,000人、その他世界で19,000人であろう。高濃度Te-13、Ru-103、Ru-106、Cs-134と長期にわたる Cs137、Sr-90、Pu、Amは数百年の影響をのこすであろう (死亡率) 1990-2004年のウクライナ、ロシア、白ロシアの死亡者21.2万はチェルノブイリ事故が原因で全死者の4% 事故の後始末に働いた若者の総数83万人の15%の11.2-12.5万人は2005年を迎えることなく死亡 ヨーロッパの数億人の住民のうち、数十万人がチェルノブイリが原因ですでに死亡し、これからも増え続ける ドイツのババリア州では1987年の死産率は45%増えた デンマーク、ドイツ、ハンガリー、ノルウェー、ポーランド、ラトビア、スエーデン男女比逆転、死産が増えた 英国では事故後10ヶ月間は妊娠後期の胎児死亡率が増えた スエーデンでは事故直後と1989-1992年の幼児死亡率が増加 ロシアの事故の後始末に働いた若者で事故後12年以内に死亡した人の87%は30-39才であった セシウム137の汚染強度が555kBq/m2(15Ci/km2)以上の地域住民の平均寿命は8年短縮された 1999年のウクライナの汚染地域の死亡率は1,000人当たり18.3人で他の地域の14.8人より28%高くなる 1994-2004年のロシアの汚染地域のブリヤンスク県の死亡率は22.5%増えた。特に45-49才でみると87%増加.   (環境への影響) 影響は人間だけでない。哺乳類、渡鳥、昆虫、森林、農作物がダメージを受けている 放射線は植物の形態異常、腫瘍を生じる 動物相も放射線で影響を受ける。これは人間と大差ない ミツバチは完全に居なくなった 微生物相はあまり研究されていないが放射線を受けての変化は急速である 食料の汚染が最大の問題

2012年10月16日火曜日

(独の物理学者 日本の脱原発は「いまがチャンス」 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121016-00000007-sasahi-soci 福島原発事故を受けて、ドイツは2022年までに国内17基の原発すべてを閉鎖することに決めた。ジャーナリストの邨野継雄氏は、ドイツの古都フライブルク市の環境保全局長であり、核技術を専門とする物理学者でもあるディーター・ヴェルナー博士に、3.11以降の福島第一原発の有り様をどのように見つめていたのか尋ねた。 *  *  *  震災と原発事故から6週間もたつと、さすがにニュース番組がこれらの話題を扱う頻度は少なくなっていった。しかし博士の心の中には、「あっという間に数万人の人々が故郷を失ってしまった」という事実が重くしこりのように残り続けた。博士は、学会や自治体交流で7回の訪日経験があり、なおさら他人事には思えなかったという。  一方で、1986年にチェルノブイリ事故を受けて特別市議会が決議したフライブルクの“脱原発宣言”は正しかったと、再認識したともいう。 「市が掲げてきたスローガンと政策を再確認して『ああ、これでいいんだ』と思ったんですね。連邦レベルでの法整備も、売電価格の見直しも、経済的な再試算も、国がやらざるを得なくなったと思いました」  ヴェルナー博士の思惑通り、フライブルク市があるバーデン・ヴュルテンベルク州議選で「緑の党」を中心とした野党が勝利。さらに連邦議会が脱原発を宣言するのは、その3カ月後、2011年6月30日のことだった。  博士は「慎重に申し上げたいのだが」と前置きして、言った。 「私たちは40年かけて脱原発に至ったんです。日本とフランスがいまだに原発推進を国是としていることが、私にはまったく理解できません。倫理的にアクセプト(受容)できないものに持続性があると主張するのは間違いです。先進工業国であるならば、技術的、経済的に、世界のために何をなすべきかを考えなければなりません。日本にとっては、いまがチャンスなのではないでしょうか」
自主避難者が経済的理由で「心ならずも」福島県に帰還するケースが増加. 避難の長期化による経済的負担や家族が分かれて暮らす多重生活による精神的負担が増し、放射線への不安を抱えながらもやむを得ず自宅に戻ったケースも目立つ。 http://www.minyu-net.com/news/news/1016/news1.html http://www.peeep.us/b2ae638d
(ホットスポットが残る郡山市の学校 ~除染の限界~ http://www.asyura2.com/12/genpatu28/msg/154.html 【原発】ホットスポットが残る郡山市の学校 ~除染の限界~ http://blog.goo.ne.jp/humon007/e/4bfa39ee0ab9056cc9ee713380becc7d 2012年10月16日 語られる言葉の河へ  (1)昨夏、郡山市の小中学校は、外の線量が高いため窓を開ける機会は限られていた。屋外活動は3時間に限られた。暑さ対策として、葦のすだれと扇風機が支給され、今年も支給が継続した。  だが、昨夏は閉め切った教室内が大変な暑さとなり、扇風機は熱気をかき回しただけ。鼻血を出すなど体調を崩したり、勉強の能率が落ちた子どもたちが多かった。【「安全・安心・アクションIN郡山」の保護者】  (2)郡山市は、これまで学校や通学路を数度にわたって除染した。線量の高い学校を中心に、昨年5月から校庭の表土を除去したり、校舎内の洗浄や、保護者を動員して通学路を除染するなど多大な労力を投入した。  市教育委員会は、今年3月23日、学校における屋外活動を3時間に制限していた昨年来の措置を新学期から解除した。除染などで屋外平均0.2μSv/時以下になり、「学校がもっとも安全な場所になっている」のがその理由だ、という。  各校は、窓を再び開放し始めた。  (3)武本泰・「安全・安心・アクションIN郡山」顧問は、情報開示請求で、市教委の衝撃的な内部文書を入手した。   (a)1月23日付け通知「学校敷地内ホットスポット調査について」は、各小中学校に中庭、側溝、体育館裏、生け垣など計8ヵ所を列挙し、同月25日までに「線量が高いと思われる箇所を各校で1箇所選定し、放射線量を調査票により報告」するよう求めた。これを受けて、市内の86小中学校は「学校敷地内ホットスポット調査票」にこの8ヵ所に数値を記入した。結果は、12の小中学校で「計画的避難区域」設定の目安となる年間被曝線量20mSv相当の3.8μSv/時超のホットスポットが確認された。   (b)武本顧問が追加入手した2月22日(4月4日提出分も加えると)、総計で3~6μSv/時が21校27地点、6~9.99μSv/時が18校23地点、「測定不能」とされる9.99μSv/時以上は5校6地点。  (4)市教委は、(3)のホットスポットが発生しているのを知りながら、(2)の屋外活動制限解除を行ったことになる。  そのためか、市教委は、5月から6月にかけて計84の小中学校で<側溝など比較的放射線量が高い場所の除染を始めた。・・・・市の委託を受けた業者が側溝の洗浄や体育館裏の落ち葉除去などに当たった>【5月8日付け「福島民報」】。  だが、市教委は、今後のホットスポット調査や除染計画は「当面予定していない」。また、ホットスポットの存在が確認された後に屋外活動が解除された点については「危ない場所は限られているので、そこには近づかないように指導している。平均的には除染などによって校庭の線量は下がっており、今後もこの方針に変更はない」。  (5)では、5~6月の除染は効果があったのか。  郡山の全小中学校のグラウンド脇に設置されたモニタリングポストの数値によれば、10月1日午前0時段階で、0.23μSv/時以上が36校あり、機械故障1校を除く全体の42%に達した。最高値は0.63μSv/時。【福島県がホームページで公表している「各地の定時測定」】  ホットスポットではなくとも、除染の「支援」が必要な学校がこれだけ、まだ存在する。  市教委は、現在もホットスポットの調査を各学校で継続していることを認めているが、なぜか現在まで数値を公表していない。  「除染で安全になった」という主張が揺らぐような高い数値が出ているので、情報を隠しているのではないか。【武本顧問】  (6)市議会では6月、「小学校そして中学校へのエアコン設置を求める請願書」が提出された。「学校敷地内にはホットスポットが生じていることが判明し、窓を開放しての学校生活は、外部・内部被曝を防止する見地から回避すべき」とし、窓を完全に閉め切ることを前提に「エアコン設置」を要求したのだ。  だが、保守系が圧倒的多数の市議会は、否決した。反対の理由は、    ①除染業者のお陰で震災以前の郡山に戻った。    ②節電が叫ばれている今、エアコンで電力を使うのはいかがなものか。    ③子どもに我慢をさせるのも教育・・・・  (7)ふくしま集団疎開裁判【注】弁護団の柳原俊夫・弁護士はいう。  「除染に効果はなく、土建屋の利益のために行われているのは明らか。それを口実に子どもたちを避難させず、被曝させているのは故意の殺人に等しい。いつまでこうした犯罪的行為を続けるつもりなのか」  【注】「【原発】金曜デモの変化・主張の多様化 ~ふくしま集団疎開裁判~」 http://blog.goo.ne.jp/humon007/e/1adc1aa4e3e2d40bd2e71bb1716c8eed  以上、成澤宗男(編集部)「除染したから「安全」はウソだった ~ホットスポットが消えない郡山市の学校」(「週刊金曜日」2012年10月12日号)に拠る。  
「広島は逃げるように立ち去るべし」 江田島海軍兵学校と原子爆弾) http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20121016/p1 坂本典昭『福祉行政最前線』高輪印刷株式会社、1990年。 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I025774932-00  13日に亡くなった私の祖父は、いくつかの書物を自費出版しています。そのうちの一つは、市役所での仕事を中心にした自分史のようなものになっています。これは老齢に達した人がよく書くジャンルではないでしょうか。その本の冒頭部に、1945年8月6日以降に関する記述があったので、ここに抜き書きしておきます。私には興味深い証言に思えました。この時、坂本典昭は江田島の海軍兵学校にいました。16歳です。  そして、運命の日、あの悪魔の火の爆発が8月6日午前8時15分、広島で爆発いたします。  江田島の生徒館の中庭で体操を終わり、直立していた小生、ピカッとマグネシュウムを焚いたような閃光と、熱風の風圧を首に受けて思わず首筋に手をやります。  ガラガラと生徒館の雨樋が崩れ落ち、何事ならんと振り向けば、なんと山のごとき火柱が数千米もそそり立ちさらに、火柱の上からモクモクと巨大な雲が、どこまでも盛り上がって行きます。やがて、「ドーン」と腹にこたえる爆発音、「地球が爆発したんだ」あの巨大な火柱から大地が割れて、自分の方に割れ目が伸び、その割れ目に落ちて、死ぬかもしれぬ、と思った時には、なにか知らないラッパが鳴り響き、夢中で一目散に、身近の防空壕に飛び込んでいました。  壕の中で、燃料タンクは岩国にあり、これは7月の空襲で一日中燃えていた、火山のたぐいは広島には無い、されば、今の大爆発は空襲による爆弾か?そういえば、閃光のあとで爆音が聞こえた気がする。ときどき壕から首を出して広島の方角を見ると、天空が爆発の雲に覆われて、青天が一挙に曇天に変わっていました。  生命はどうやら大丈夫らしいと判断し、壕から出たのは、12時、すぐに昼食をとり予定の課業にかかろうとしたら、生徒は生徒館で待機せよとの命令、なにかな?と思って待っていると、さらしの布が支給され、横30糎、縦60糎ぐらいの布を半分に折り、袋縫いをさせられる、なんのことかわからぬままに縫い上げると、頭からかぶり、眼のところに印しをつけて、小さな穴をあけさせられる。  そこで、お達しがあり、生徒は今後、この袋を左のポケットに常時入れ、右のポケットには手袋を入れ、常に靴下をずらさずに引っ張り上げ、空襲警報が発令されれば、肌を露出してはならぬ、と厳命される。  2日後の英語の授業で、広島の惨状を英語教官から英語で聞かされる。広島は80%の家が破壊され、20万人が殺されたとの悲惨な英会話の授業に、帝国海軍のメッカ江田島は急に敗戦ムードが漂い、あの厳しい規律が乱れ、規律を正す鉄拳制裁も無くなりました。  8月9日、ソ連参戦の訓示を受けるために、全員が練兵場に走っていた時のこと、「校内の動作は凡て駆け足」この鉄則が破れて、生徒が走るのを止めて、立ち止まります。前を走っていた生徒から止まりかけて、やがて、全員が立ちつくし、皆んなが南西の方角を眺めます。そこには、あの広島と同じ茸雲が、マッチ棒の半分くらいの大きさで、青空の彼方に立ち上がっていました。  「二発目が落とされた」生徒全員は暫くの間、凍りつくような思いで、じっと立ちすくんでいました。  2、3日後、物理の教官から、原子爆弾の説明を聞く。アルファ線、ガンマー線、ベーター線などの放射能の被害の話だが、なんのことやら理解ができない。ただ、陸軍の兵士で飯合を持っていた兵士が、放射線を反射し被害が大きいとの話が耳に残っている。  やがて、敗戦。広島経由で帰省となるが、「広島に滞在してはならぬ。広島の水を飲んではならぬ。広島は逃げるように立ち去るべし」との厳しい教官のお達しがあり、小生宇品で海軍のトラックを待つ間、喉の乾き堪えかねて、ほんの少し、壊れた水道の水をごわごわと飲みました。(2–4ページ)  戦後40年以上たってからの回想であるため、この証言を細部にいたるまでそのまま信頼してよいかはわかりません。ただ記述に備わっている具体性は、坂本が大筋において当時江田島の海軍兵学校で起こっていたことを正しく伝えていると推測させます。軍はただちに原子爆弾の危険性を認知し、投下されたその日の午後には肌の露出を禁ずる命令を末端の生徒にまで下していたこと。8月11日か12日には、兵学校の物理教官が原子爆弾のメカニズムと放射線障害について講義を行っていたこと。敗戦後、放射線被害を避けるために広島に長居してはならぬとの命令を生徒たちが受けていたこと。これらの諸点は事実であるとみなしてよいと思います。