2013年7月27日土曜日

バンダジェフスキー博士 来日講演、〈内部被曝〉への警鐘. http://www.janjanblog.com/archives/98749 バンダジェフスキー博士が、7月20日、都内で『体内に取り込まれたセシウム137の医学的生物学的影響』と題する講演〔主催:バンダジェフスキー講演プロジェクト〕を行ない、およそ1000人の人たちが、チェルノブイリ原発事故による健康被害の事例に耳を傾けた。以下は、その要旨である。 ◇◆◇ 1年ぶりの来日で感じること ◇◆◇  親愛なる皆さん、今回は2回目の日本訪問、そして(今滞在での)最後の講演になります。この会場にこんなに多くの人が集まったのは、福島原発後の事故後の状況、体内に蓄積された放射性物質に関する情報の少なさ等によるものと考えます。  1年前の来日時、(原発をめぐる)事態がうまく進んでいないのは、事故直後で時間が経っていないからだと私は思っていました。時間が経てば、原発事故であろうと何であろうと問題がきちんと処理されなければいけない――それは国家の義務でもあります。  しかし、2年経っても事故の状況は必ずしも明らかではありません。私のもとには、環境や食品に関心を持つ(一般の)人たちが来ていますが、政府関係者等からの問い合わせはありません。  昨日、外国人記者クラブ(日本外国特派員協会)で会見をしましまたが、ウクライナをはじめ海外の記者からたくさんの質問がありました。ところが、日本ではチェルノブイリ原発事故以降の汚染地域での人々の健康や生活の問題に、あまり関心が高くないようにも感じられます。  しかし、現地では決して見逃したり無視したりできない現象が今も起きているのです。チェルノブイリ事故以降の、放射性物質の人体への影響については日本でも私の論文が邦訳されていますから、興味のある人はどうぞそちらもご覧になって下さい(注1)。 (注1)バンダジェフスキー博士の論文は次の2つが邦訳されている。  【1】 『放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響 ~チェルノブイリ原発事故 被曝の病理データ~』  【2】 『放射性セシウムが生殖系に与える医学的社会的影響 ~チェルノブイリ原発事故 その人口損失の現実~』  いずれも、合同出版から(定価各1800円)。   ◇◆◇ 私の研究テーマ――「内部被曝」 ◇◆◇  今日は私の研究についてお話したいと思います。内部被曝が、人間の健康にどういう影響を与えるかについてです。  「シーベルト」の単位を使って外部被曝を測る方法はあります。原発作業員などは、高線量の外部被曝に注意して、そのデータを計測しますが、内部被曝はそれとは別のものです。内部被曝とは、体内被曝であり、体に取り込まれた放射性物質(例 セシウム)から放射線が出て人体に悪い影響を与えるというものです。  チェルノブイリでも福島でも、放射性物質が(原発事故で)空気中にばらまかれ、それらが降下して土壌に入り、さらにその放射性物質が作物に吸収されて、その作物を食べる人の体に入るのです。  人の体に入った放射性物質が、水や牛乳、その他の食物から体の中に入ってから蓄積するのには、何年もかかります。今日お話する放射性物質は、もともと自然界には存在しなかったセシウム137で、その半減期は30年です。  これらの放射性物質は、体内で生命維持に必要な細胞に悪い影響を与えます。それは外部被曝よりも、もっと深刻な影響です。本来、人間の健康に関わるIAEAやWHOは、この内部被曝をまったく無視しているのです(注2)。  【1】 P7~8より 「『弱い放射能』の考えは外部被曝だけに当てはまる。放射性元素が体内に取り込まれた内部被曝では事態は一変する。その影響はかなり大きく、放射性元素の崩壊による放射線とそれが生体組織と細胞の代謝過程にもたらす毒作用が問題になる。(略)しかし、体内に取り込まれた各濃度の放射性元素が生体全体や個々の臓器系に与える影響についてはまったく無視されてきた」 (注2) 【1】の論文では、豊富なデータとともに「1心血管系」「2腎臓」「3肝臓」「4免疫系」「5造血系」「6女性の生殖系」「7妊娠の進展と胎児の成長」「8神経系」「9視覚器官」の9つに分けて、セシウムと各器官への影響が紹介されている。 1986年のベラルーシ共和国 セシウム137による汚染マップを使って説明するバンダジェフスキー博士   ◇◆◇ 汚染地での健康被害そして人口減 ◇◆◇  ベラルーシでは、1993年以降、死亡率が出生率を上回り、全体として人口増減がマイナスになっています。1994年から2008年まででベラルーシの人口は約60万人減りました。これは、人口全体の5.9%が減った計算になります。  ベラルーシには1990年代に約1000万人の人がいましたが、そのうちの66万人が亡くなりました。いまも減少の一途をたどっています。  特に汚染の強いところ、チェルノブイリ原発事故でもっとも被害が大きいとされたゴメリ州ベトカ地区では、子どもの疾病率が高く、大半の子どもが亡くなっています。  こちらの2005年のウクライナの死亡率を示す図表〔注:本記事では略〕を見てください。チェルノブイリ原発から30キロの場所にある(ウクライナの)イワンコフ地区では人口1000人当たりの死亡率が30%を超えています。2008年のベラルーシでは、死因の52.7%が心血管系疾患で、がん等よりも数が多いのです。イワンコフ地区では(心血管系疾患が死因の)70%を超えます。  【1】 P15より 「とくに、心血管系疾患で死亡した患者の心筋には、消化器の疾患で死亡した患者より、確実に多くのセシウム137が蓄積していた」  【1】 P17より 「放射性セシウムが人体の臓器や組織に取り込まれると、明らかな組織的代謝的変化が起こり、個々の臓器の異常と生体全体の疾患を伴うようになる。放射性セシウムは、重要臓器や組織に侵入するので、体内にセシウムが少量でも取り込まれると、生体にとって脅威となることは避けられない」  【1】 P18より 「チェルノブイリ事故後、突然死したゴメリ州の患者の部検標本を検査したところ、99%の症例で心筋異常が存在することが明らかになった。とくに注目すべき所見は、びまん性の心筋の異常で、これはジストロフィー病変と壊死の形態をとり、毒作用が働いている証拠である」   ◇◆◇ 「きれいな土地」に住む人たちへの健康被害 ◇◆◇  深刻な状況は、汚染地の人たちだけではありません。放射性物質を含んだ食品の流通によって、汚染を受けていない、“きれい”な地域の人たちにも疾患が広がったのです。  私は、ゴメリ医科大学で10年間研究を続けましたが(注:1990年~、1999年に逮捕、2001年に収監)、政府は汚染食品を国中に流通させ、子どもたちが体内被曝(内部被曝)したのです。本来は、人々の健康に責任を持つべき国が何もして来なかったし、今も(政府は)何もしていないのです。  体内被ばくのモニタリングも、1998、1999年に弾圧を受けて、モニタリング(データを集めること)が行なわれなくなりましたが、チェルノブイリ事故による複数の汚染地で、被曝の状況と人々の健康や病変について注目していたので、内部被曝と健康被害について私たちは考察することができるのです。  子どものがんの発症は、2000年から2008年の8年間で2倍になりました。原発事故の後、放射性ヨウ素を取り込んで、甲状腺がんが増えて来ました。ベラルーシでは、21世紀になって生まれた子どもたちにもがんが発症しています。  【1】 P47~48より 「1987年から1997年にかけて、ベラルーシ共和国では、腎臓がんの症例数が2.4倍、甲状腺がんの症例数は3.5倍、直腸がんの症例数は1.4倍、結腸がんの症例は1.6倍に増加した。胃がんの症例数は、実質上変わらなかった。同時期に(1987~1997年)、ゴメリ州では、農村部の住民で腎臓がんが4倍に、都市部の住民で2.2倍に、肺がんは農村部の住民で1.6倍、都市部の住民で1.5倍に増加した」 「どんな量の放射性セシウムでも発病の原因になり得る。すなわち現在の基準はもっと厳しくすべきで、食品中の放射性セシウムの許容基準を下げて行政基準にすべきである」(【1】P51より)   ◇◆◇ セシウムの、心血管系への影響 ◇◆◇  放射性セシウムが体内に取り込まれるとどうなるか――実験用動物の心筋組織では、(アルカリフォスファターゼやクレアチンフォスフォキナーゼのような)酵素の活性が抑えられ、その結果として心筋の収縮機能に、筋原繊維の萎縮などの病変が現れるのです。  セシウムが体内に入っていない子の80%は心電図が正常でしたが、セシウムが蓄積されて、10ベクレル/kgを超えると、心電図が正常な子どもは半分に減り、100ベクレル/kgになると、正常な子どもはほとんどいなくなります。  私たちはこれらの研究データをもとに公的な機関(行政機関)に働きかけましたが、行政は私たちの言うことに耳を貸さず、(私がゴメリ医科大学の学長を務めた)10年間で何も変えられませんでした。  【1】 P18より 「3~7歳のゴメリの子どもたちでは、放射性元素の体内蓄積濃度が平均で30.32±0.66Bq/kgに達し、心電図異常の頻度が体内の蓄積量に比例することが明らかになった。(略)心電図の診断と同様に、さまざまな量のセシウム137を体内に取り込んだ子どもたちの血圧を分析したところ、体内蓄積量との相関関係が認められた。」   ◇◆◇ 内部被曝のモニタリング体制確立を ◇◆◇  私が言いたいことは、体内に蓄積された放射性物質の測定を行なわなければいけないということです。その体内被曝の量が明らかになれば、1990年代のゴメリ地区で私たちが集めたデータ ―これは(原発事故が原因で)亡くなった子どもたちが遺してくれた貴重な資料なのです―と照合して、どのようにすれば健康に過ごせるかが対策を考えることができます。  (福島原発事故の起きた日本でも)「体内被曝」のモニタリングシステムを確立しないといけません。そうすれば、日本においても、住民の健康について、ある程度の予測が立てられるようになります。(注3) (注3) 講演後の質疑応答で、「福島の子どもたちにのう胞や結節が見つかっていること」について質問が出たが、「体内被ばくの具体的データが無いと何とも言えない」とバンダジェフスキー博士は答えていた。 但し、講演会でバンダジェフスキー博士は「突然死」した40代の2人の男性を紹介したが、その内部被ばくの値は、ひとりは45ベクレル/kg、もう一人は142.4ベクレル/kgとひらきがあった。   ◇◆◇ 女性への影響 ◇◆◇  次に、若い女性のホルモン分泌と体内に蓄積されたセシウム137との関係について紹介します。  体内に蓄積されたセシウムが40ベクレル/kgのグループは、女性の体から分泌されるエストラジオールが有意に少なくなっています。その40ベクレル/kgのグループでは、プロゲステロンについては逆に多くなっています(注:詳細は、【2】論文あるいは【1】のP34~35を参照のこと)。  つまり月経周期のホルモン分泌が正常でなくなり、それがいろいろな重大な病気の原因になるということです。ホルモン分泌が異常になれば、正常な受精が出来なくなりますし、胎児も健康に発育できません。  セシウムが生殖器に与える影響については、それをまとめた論文がありますから、ぜひそちらを見てください(注:合同出版『放射性セシウムが生殖系に与える医学的社会学的影響』のP12~15及びP39等)   ◇◆◇ 胎児への影響 ◇◆◇  胎児の先天的異常は、「10万人当たりの新生児の異常」が2000年の「359.5」から2008年の「558.7」へと、8年で1.5倍に増えています(注4)。口唇裂のような異常の他に、心臓や脳の先天的異常も見られます。動物実験では、160ベクレル/kgで脳や心臓の奇形が多く見られました。 (注4)【2】論文P9にも同じ記述がある。  【1】 P37~38より 「統計データでは、セシウム137で汚染された地域の住民の間で、先天性欠損の数が年々増加している。多因子性の欠損がもっとも多いが、それは遺伝的素因と特別な環境要因の両方の産物である。(略)神経性の先天的奇形(無脳症、脳瘤)を持つ胎児で放射性元素の分析をしたところ、ほかの胎児と比べてセシウム137の胎盤濃度が際立って高かった」  体内にセシウムが入りさえしなければ、先天性奇形や、臓器に対する悪い影響は現れません。例えば、妊娠中はセシウムで汚染された食物を食べないことなどもそうですが、  ○ 食品全般の放射線検査  ○ 体内被曝量の検査  この2つの実施が、今後、特に重要です。   ゴメリ州ベトカ地区の1996~1997のデータによれば、体内セシウムが50ベクレル/kgの子どもたちの30%に白内障が見られましたが、このデータを提供してくれた子どもたちのほとんどがすでに亡くなっています。少量の体内被曝が、結果として彼らの命を奪ったのです。  イワンコフ地区でも内部被ばくを予防するためのプロジェクトが始まっていますし、ヨーロッパでもそうです。その「人々の健康を守るためのプロジェクト」は、福島の人たちにもひらかれています。  チェルノブイリの周辺地域で見られたような人口減が日本では起こらずに済むこと、若い世代の健康を守られ、希望が与えられることを願っています。 (了)   〔 後 記 〕  バンダジェフスキー博士の講演を聴いて、特に次の3点が印象的だった。ひとつは、放射性物質の影響が「甲状腺がんの増加」といった単一の現象だけではなく、体のあらゆる臓器に対して、悪い影響が出るということ。ふたつ目には、2000~2008年で胎児の異常が1.5倍 「21世紀になって生まれた子どもにも異常」等、1986年のチェルノブイリの悪影響が非常に長期にわたって及んでいること。 そして、国の無策(無策だけではなく博士自身への政治的弾圧や被害の隠蔽)によって被害が今も拡大していること、の3つである。 ――そう言えば、福島の原発事故直後の、あの言葉が思い出される、「健康には直ちに影響はありません」 まったくその通り、バンダジェフスキー博士は放射性物質が体内で長い時間をかけて蓄積することで、あらゆる臓器に深刻な影響が出ることを客観的データで示してくれた。  《 備 考 》 ◎ 会場外で「内部被ばくをウクライナ製の椅子型検査器ANTIDOZAで測定する」というチラシを配っていたNPO団体によると、その検査器でセシウム134と137、それにカリウムの体内の値を10分前後で測定できるという。チラシによれば、検査費用は4500円(割引価格)とのこと。 ◎ バンダジェフスキー博士が取り上げた〈 内部被曝 〉については、同博士の著作の他、次の新書が非常にわかりやすい(同書P 51には、バンダジェフスキー博士の研究について言及がある)。  肥田舜太郎 著 『内部被曝』 (扶桑社新書)              《関連サイト》 ◎ ウェブ上で見られるバンダジェフスキー博士の研究について  http://fukushimavoice.blogspot.jp/2013/02/test.html ◎ 哲野イサク氏による、ウクライナ等の人口増減問題レポート  http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/genpatsu/ukraine1.html ◎ 消費者庁 「食品と放射能Q&A」 〔下記サイトの(6)〕  http://www.caa.go.jp/jisin/index.html              《関連記事》 ◎ 肥田舜太郎氏 講演  http://www.janjanblog.com/archives/81777 ◎ 2012年9月にチェルノブイリ近郊を訪れた郡司さんの報告  (チェルノブイリ原発から70キロ離れた保育園での、園児130人の現状)  http://www.janjanblog.com/archives/81575 

2013年7月25日木曜日

バンダジェフスキー博士7月21日東京専門家用講演会メモ下書き  http://takenouchimari.blogspot.jp/2013/07/721.html ( チェルノブイリの健康影響について) Health impact after Chernobyl wascaused by inhalation of iodine 131 into thyroid, massive contamination of the soil and food chain intrusion. (ヨウ素の甲状腺の呼吸による被曝) (土壌の大量汚染) (食物連鎖) (セシウム137は原発が始まってすぐに環境に検出され始めた。推進派は、無害だと言い続けてきた。) As a matter of fact, Cs 137 was detected right after the operation of nuclear power plant, but the promoters kept saying, "it is safe." (Csは崩壊するとベータ線とガンマ線出して、バリウムになるが、Baも大変毒性が強い。だくさん論文有。細胞中にBaが入ると大変危険。) Cs emitts beta and gamma rays while decaying into Barium, which is highly toxic. There are many papers which shows the toxicity of Ba, too. Especially, when Ba gets into the cells, they are very risky. (Csは細胞中に入ると化学的に影響し、放射線プラス化学影響がある。) Cs has chemical toxicity along with radioactive toxicity. (外部被曝よりずっと危険である。) Internal exposure is much more dangerous than external exposure. (外部被曝の危険を全く違う内部被曝に置きかけてしまっている国際機関。) However, international organizations are calculating the risk of internal radiation based on the external one. (外部被曝が1mSvであれば影響なしといい、600~700Bq/kgの内部被曝に相当するが、実際はこれよりずっと低くて影響。) They say, 1 mSv (equivalent to 600~700Bq/kg) is harmless, but there are health impacts under much lower levels. (どこも体内影響は研究してこなかった。危険であることが証明されてしまうから。) No laboratories have been conducting the studies of internal radiation, since that would prove the danger. (バンダジェフスキー博士の経歴) Let me briefly introduce my personal history. (90年に研究を始めた時には、すでに教授職を持っていた。) When I started my study in Gomel in 1990, I was already a University professor. (もともと先天性奇形の専門。ゴメリ医科大学を創設して研究を始めて。) My expertise was originally "congenital malformation." I founded the Gomel Medical University and started my study. (ゴメリは汚染地帯で医者が逃げてしまった。) Gomel was a contamianted area and doctors fleed from the city. (ゴメリ医科大学の学長をしながら、私は研究をした。) Therefore, I continued my research while I was a rector at Gomel Medical University. (当時、私には、先入観がなく、ただ住民の病気の原因を調べていた。) In those days, I didn't have any prejudice on radiation effects and simply tried to search for the causes of diseases among the residents. (そのために動物実験も使って、セシウム濃度と病気の関係も調べた。) For this purpose, I also did animal experiments to find out the relationship between Cs body concentration and diseases. (住民の体内濃度のモニタリングシステムも構築した。) (誰もやっていなかった。ベラルーシ企業も協力) I established a Cs monitoring system for residents. (In those days, nobody was doing that and some Belarus companies cooperated for that.) (その後、ベラルーシでもロシアでもウクライナでも同じような研究をしている人はいない。) After my research, nobody in Belarus, Russia, or Uklaine has done a similar research. (チェルノブイリの復興に巨額の費用が使われているのに、健康に与えるはっきりしたことを言える人がいなくなっている。) Though vast amount of money is being used for reconstruction of Chernobyl, there is almost nobody who can talk clearly on health impacts. (データを隠すための様々な方法が旧ソ連にあり、住民は知らずに食べていた。) The former Soviet Union used various ways to conceal the data of contamination, and residents ate contaminated food without knowing it. ( ゴメリの駅に保管されていた汚染牛肉も流通。住民は知らなかった。) For example, stored beef at Gomel station was contaminated but it was distributed all over the country, and of course the residents didn't know about it. (ゴメリの子供と、非汚染地帯の子供も調べたら、非汚染地帯でも体内被曝を検出。) So I checked the Cs body concentration of kids both in Gomel and uncontaminated areas, and found kids in both areas were contaminated. (ゴメリでは医科大学の学長だったこともあり知られていたのだが、研究を出したら、州の人々が敬遠。) I was known as the rector of Gomel Medical University in the local society, but when I started my research, local municipal officers started to be away from me. (保健大臣も研究を机の中にしまっただけ。政府へも手紙、それから自分への弾圧が始まった。) One day, I gave my rearch paper to the Minister of Health, then he just put my paper in his desk drawer. I also sent the same to the goverment. After that, oppression started against me. (食品の基準値というものがあるが、基準値以下であれば、危険でないということはない。) There is so called reference level for food, but it is wrong to say that the food is safe if it is under the reference level. (牛乳は100Bq/lで、まったく安全でない。検査員も98だとか数値を言わず、子供たちがそれを飲んでしまう。) For example, milk cannot be safe at the level of 100Bq/l. The inspector does not say the sample was 98 Bq/l and children drink it without knowing it. (そういう牛乳を数日間飲めば、かなりの放射性物質が子供の体にたまってしまう。これが安全と言えるだろうか?まったくのまやかしである。) If the child keeps drinking that milk for several days, considerable amount of radioactive materials can be accumulated in his/her body. Can you call this is safe? This is solely a fake declaration of safety. (大事なのは過去の政治家の過ちをつくことよりも、これから人々を守る決定をすること。) The most important thing is to make decisions to protect people from now on rather than pointing out the past mistakes done by the politicians. (事故のあと、実際の汚染状況が伏せられていた。事故が起こったことさえ、隠していて、5月1日のデモに子供も含めて動員された。) But after the accident, the real situation of contamination had been concealed. Even the accident itself was concealed and on May Day festival, residents including children were mobilized for parades. (8年間の収監の後(刑務所でも書いて、フランスで出版された)、2006年から国外退去でフランス滞在) After I had been imprisoned for 8 years (I was actually writing in the prison and the book was published in France), I was ousted from my own country since 2006, and had been staying in France for several years. (フランスのクレモントという町に住んでいた。何年間か住んで居心地が良かったが、汚染地帯で研究をしたかったので、その後ウクライナに。(ベラルーシには帰れないので)) I used to stay in a French town called Clemont, where I spent time for several years comfortably, but I wanted to do study in a contaminated area, so I went to Ukraine. (Of course I could not go back to my country.) (フランスで出版された本(放射能の問題と刑務所の中で考えていたことが書かれてある分厚い本)に、皆がサインを求めたが、皆私が何を書いたか、わかっているのだろうかと思った。) (この部分、私は会場でも笑いが起きたし、私も非常におかしかった。本当にバンダ博士は頭はいいし、率直な人です。大好き。) Everyone asked for my autography in the book I published in France (the one I wrote about the issue of radiation and my thoughts while I was in the prison), but I was wondering whether he/she understood what I wrote. (1964年450ピコキュリーのセシウムが入っていた。69年には50ピコキュリーになっている。(Marey AN、 et al 1974)) In 1964, already 450 pCi/kg Cs was detected in soil, which became 50 pCi/kg in 1969.(Marey AN、 et al 1974) (しかし事故後に図書館から消えてなくなった。というのは、これくらいなら危険がないと書いていたので。しかしなにかなんらかの放射能汚染があったら、緊急の対策がなされなければならないと書いてあったので。) However, the book disappeared from major libraries after the accident. The book said, "contamination of this level has no risk, but if there is any additional radiation contamination, there should be some urgent measures to be implemented." (ゴメリの小さな図書館で学生が偶然見つけた。その後私はこのデータを公式の場所で使い、ベラルーシ議会でも引用した。国会議長が、ゴメリ大学医学長に注意深い対処をといい、数か月後私は処分を受けた。) The book was found by a strudent in a small library in Gomel. After that, I used that data in official places and cited the figures in the Parliament of Belarus. Then, the chairman of the Parliament said that special attentions should be paid to the rector of Gomel Medical University and several months later, I was dismissed. (ロシアでは今でも隠されている。) In Russia, even now, the figures have been concealed. (数か月前にロシアの記者のインタビューに答え、チェルのの前にも汚染があったと言ったら、それは掲載されなかった。編集長が言うには、この本がロシアじゅうの図書館にないので信ぴょう性がないと。しかし私の公式サイト、chernobyltoday.orgには掲載されているので、多くの人が閲覧できる。) Several months ago, when I said in an interview by a Russian reporter, "There had already been contamination even before Cheronobyl," that statement was omitted from the article. The chief editor told me that my statement was not credible since there wasn't the book in any library in Russia. However, the figure is listed on my official site, chernobyltoday.org, where many people can take a look. (国の人は何を怖がっているのか?このデータでこれまで原子力が怖くないと言ってきたことが覆ってしまう。) What is the people in the authority side scared of ? They kept saying that nuclear power is nothing to be worried about, but if the data before the accident is relased, their statement could be proven to be false. (IAEAもだ。放射能の被害は、チェルノブイリから始まったとしか言っていない。) The same thing can be said about IAEA. They say the contamination started only after the Cheronobyl. (ベラルーシでは、74年の汚染が86年以降の汚染地帯と一致する。この情報も重要である。) In Belarus, the contaminated area in 1974 coincides with the contaminated area since 1986. This information is very important. (味方の人でもチェルノブイリ以前の汚染を言うなと、チェルノブイリが過小評価されるから言うなと言う。) Even some people in our side tell me not to talk about the contamination before Chernobyl, since contamination from Chernobyl could be underestimated. (しかしチェルノブイリ以前から、これらの地域が汚染されていたことを言わないでいることはできない。) However, I cannot keep silence on the contamination of these areas before the Chernobyl accident. (チェルノブイリ以前から50年の長きにわたって汚染にさらされてきた。) These areas had been contaminated for 50 years including the years before the Chernobyl accident. (出生率の低下はチェルノブイリ以前からあったが、汚染もあった。学者たちはそれを隠して、以前から出生率が下がっていたという。) Birth rate decrease had been observed before the Chernobyl accident, but there had been contamination also. Some scholars insist that the birth rate has been decreased even before the accident concealing the pre-accident contamination. (心血管疾患については書くなとベラルーシで言われていることがある。) As for cardiovascular diseases, some institutes in Belarus tell the doctors not to write in the medical record. (虚血性心疾患も汚染地帯が高い。) But in contaminated areas, ischemic heart disease is high. (悪性腫瘍の発生率は都市部よりも農村部が高くなっている。汚染食品を多く食べているので。 都市も安全ではないが。) Cancer incidence rates are higher in rural areas than urban areas, because people in rural areas eat contaminated food more. Of course, that doesn't mean that urban areas are safe. (ベラルーシに住んでいた時、ふつうに食べていたので私もやられてしまった。ある時首都のミンスクでブルーベリーをたくさん買った。ミンスクの近郊でとれたものと思っていた。ブルーベリーで何度か体調を壊し、食中毒かと思っていたら、汚染地帯が産地だった。) While I was living in Belarus, I was eating normally, and I got sick. I bought a lot of blueberries in Minsk, the capital of Belarus. I thought these blueberries were from some surburb of Minsk. I had food poisoning symptoms several times after eating blueberries (I thought I had food poisoning), but I later knew that the berries came from contaminated areas. (ウクライナのイワンコフ地区で自分の体内濃度を測ったら、そのイワンコフ地区の住民よりも高かった。汚染食品を食べていたので、私の濃度も高くなっている。) When I checked my body Cs concentraion in Iwankov District in Ukraine, my figure was higher than the local residents, since I had been eating contaminated food. (セシウムは子供により多く蓄積されている。) Cs concentrates more among children. (そして甲状腺には特に多く蓄積されるので、セシウムも甲状腺がんに寄与している可能性が高く、それに関する研究が必要である。) Especially, accumulation in thyroid is high, so there is a high possibility that Cs is contributing to thyroid cancer. This issue should needs further studies. (21世紀になってから生まれた子供に甲状腺がんが多くみられるが、彼らは初期被曝をしていない。) For example, children born after year 2000 did not get initial exposure, but there are many thyroid cancer children. (甲状腺がんがヨウ素ばかりではないという点は非常に肝心である。) It is very important to know that radioactive iodine is not the sole contributor to thyroid cancer. (福島でも食品汚染からも甲状腺がんが増える可能性がある。) There is a possibility that thyroid cancer will be increased from food contamination in Fukushima. (動物実験の結果も人間と一致していた。体重あたりの濃度と臓器濃度を比べると臓器のほうが高くなる。) Cs concentration level result coincided between animal experiments and those of human beings. Internal organ's concentration was much higher compared with the average per kg per body. (ソ連の教科書ではセシウムは主に骨格筋に蓄積するとあり、それ以外の説明はなかった。骨格筋は重量が多いので、それは確かであるが、濃度となると心臓などの重要臓器のほうが高い。) In a textbook by former Soviet Union, Cs is supposed to accumulate in skeletal muscle, without any further explanation. That is true since the weight of skeletal muscle is much, but as for the concentration, internal organs such as heart is higher. (私たち以前には内臓にたまるセシウムを計測する人はいなかった。) However, there was nobody who checked the Cs concentration in internal organs. (ここで1999年ベラルーシのTVでの番組をみる。) (Here the screen shows the TV program aired in Belarus in 1999.) (バンダの慎重に行っていた動物実験。) The screen shows aminal experiments carefully prepared. (放射性物質の注入。) Injection of radioactive material into a rat. (体内濃度の測定) Measuring the body concentration (解剖) Dissection (臓器の組織標本を作る。) Preparing tissue samples of internal organs (組織をパラフィンのブロックにして、) The tissue is separated for paraphine block (次のシーンは、(人間の)死体安置所) The scene shows the mortuary (解剖して取り出した臓器の研究) Organs were extracted after dissection (心臓、その他の臓器がプレートに載っている。) Heart and other organs are placed on the plate. (心臓の標本作り) Sampling of the heart is prepared. (心臓の中にどのくらい放射性物質が蓄積しているかを測定(鉛の入れ物に入れて測定する)) Measuring how much radioactive materials are accumulated in the heart (Measureing was done in a lead container) (重量を測り、正式標本のために、一部を切り取り、プレパラートに。) The organ was weighted and for official sampling, a part was extracted set for prepalate. (結果の検討。) Staff discussing the result. (45Bq/kgの心臓で) In case of heart with Cs 45Bq/kg concentration (ミトコンドリア(細胞のエネルギーを作るところ)の変性が見られる。いくつかのミトコンドリアがくっついてしまっている。) Mitochondoria (producer of cell energy) structure was altered and multiple number of mitochondorias were joined. (心臓の組織の中の酵素、アルカリホスファターゼとクレアチンホスホキナーゼを測ったが、蓄積が多い動物では半分になっていた。(これらはミトコンドリアの活性に必要な酵素で、エネルギー供給源が減少)ほかの臓器でも同じ傾向。) Enzymes alkaliphosphatase and creatinehoschinase were measured in heart. In case of animals with high Cs concentration, these enzymes were half of normal figures. These enzymes are necessary for activation of mitochondoria, so energy supply will be suppressed for cells. The same can be said in organs other than heart. (私の大学の女子学生が、少しぽっちゃりしていてダイエットしようと運動していたら、心停止による突然死になった。しかし誰も放射線の原因には触れない。) One of my school's female student who was a bit chubby was trying to do a diet by exercising. Then she suddenly died due to heart failure. However, nobody was talking about the cause of her death in connection with radiation. (心電図の測定。1992年にこの心電図の表を作った。小児科で心臓病、子供の心電図を専門としていたガリーナ・バンダジェフスカヤがこの表を作った。) This is the measurement of heart ECG. My wife, Garina Bandazhevskaya made this table. She is a pediatrician specialized in heart diseases and child ECG pattern. (初めはゴメリ州の子供30Bq/kgの子供で測っていた。) At first we were examining ECG of children with 30Bq/kg Cs concentration. (対照群として非汚染地帯を選んだり、またベトカ地区というところがゴメリ地区では汚染がひどかったが、彼らも含めた。) As a control group, we chose some uncontaminated area, and also we picked even more contaminated area such as Petka, worse than Gomel. (心電図異常に、10Bq/kgで大きな差が表れる。) At 10 Bq/kg, ECG shows a big difference. (心臓の場合だけではない。) This is not only true for the heart. (遺伝的な欠陥を持っている人もたくさんいる。プラスなんらかの外的要因で誘発される。) At 10 Bq/kg, there are many of those who have some genetic defects, which were induced by some other factors besides Cs. (私たちは多因子性の奇形を研究した。) We studied the congenital malformation caused by multiple factors. (少量のセシウムでも遺伝的な素因が発現する誘因になるのではないかと考えた。) We assumed that even small amount of Cs could induce genetic defects. (誘因となり得るもの:鉛、火事を消すために鉛を大量に投入したが、それで周辺に大量にばらまかれた。) Lead could be another factor. Lead was massively poured into the reactor, which was scattered in large volume in the surrounding of Chernobyl. (様々な地域で子供の血液中の鉛の濃度を測定したら、高い値だった。) When we checked the lead concentration in children's blood in various areas, they showed high figures. (鉛は、イオンが細胞膜を通過することによって行われるエネルギー産出をブロックする。ゴメリ州の子供の心電図に異常が多いのは、鉛も関与しているのではないかと思った。) Lead can block the energy production generated by ions passing cell membranes. I assumed that the high rate of ECG abnormality among Gomel children could be partially attributed to lead. (ウクライナで今、ほかの化学物質が関与しているのではないかという研究をしているが、鉛以外にも様々なものがわかっていて興味深い。) Currently in Ukraine, we have been conducting studies to search for other chemical substances which could be attributable for residents' ill health. It is quite interesting to know relationship with substances other than lead. (しかしながら、汚染地帯で見られる病変で、放射能の影響が一番多くみられる。) However, radiation effects are observed most among all the disease indusing factors in contaminated areas. (突然死した43歳の45.5Bq/kgの心臓組織。心筋の溶解と重い浮腫が見られる。セシウムはび漫性の影響を与える。) This is the photo of heart tissue of 43 year old man who died suddenly with 45.5 Bq/kg Cs concentration of heart. Cardiac muschle dissolution and serious edema are observed. Cs cause diffuse lesion. (び漫性の障害は、虚血性心疾患の図とはかなり違う。) This kind of diffuse lesion look quite different from ischaemic myocardiac disease. (突然死した人を解剖すると、心筋梗塞などになっていないのに亡くなっている。びまんせいの組織が出てきて、わけがわからなかった。そしてこのびまんせいの障害を見て、何が起こっているのかと。) For example, when I dissect a person who died suddenly, that person hasn't got myocardiac infarction but had some diffuse lesion. At first I could not understand what was going on when I looked at the diffuse lesion. (そして動物実験で同じ状況を作り出して、組織を見て、びまんせいの障害が出ていたので、原因がわかった。) Therefore, I established the same environment with experimental animals and observed their internal tissue and found the diffuse lesion, so I found out the cause. (放射能障害による心筋症であることが分かった。) In this way, I came to be aware that the myocardiac disease was caused by internal radiation effect. (しかし、推進側は黙っている。) However, the nuclear promotors keep their silence. (心臓だけでなく、ほかの臓器にも影響は及ぶ。) This effect can be seen in other organs, too. (エネルギー不足が起こると、収縮が起こる。心筋やほかの臓器に過収縮が起こる。 エネルギー不足からカルシウム不足、過収縮が起こる。) When energy level is in deficiency, arctation occurs. Excess arctation occurs in cardiac muscle and other tissues.  Due to energy deficiency, calcium gets also deficient, whicb causes excess arctation. (同様に血管が障害されると腎臓にも影響が及ぶ。) Likewise, when blood vessels get harmed, kindney gets affected. (腎臓では糸球体に血液がいかなくなり、糸球体が壊死する。溶ける氷現象と名付けた。これが起こると隠れた形で慢性腎不全が起こる。) In kidney, blood stoppes circulating glomeruli, resulting in necrosis. I named this glomerulus necrosis as, "melting ice syndrome, " which causea chronic kidney failure in a hidden manner. (放射性物質が体内で増えると尿素が多くなる。窒素代謝がうまくいかなくなるから。 これが一定期間続くと慢性腎不全となる。) Increase of radioactive material causes increase of bodily urea due to failed nitrogen metablism. If this trend continues for a certain period of time, it will cause chronic kidney failure. (ゴメリ州では多くの住民が慢性腎不全を持っている。) In Gomel, many residents have this chronic kidney failure. (ベラルーシにも透析センターがあるが、あまりに多くて処理がしきれない状態。 透析を受けれずに亡くなる人もいる。) In Belarus, there are dialysis treatment centers, but there are too many patients to treat, and some have died because they couldn't get one. (特徴的なのは、はっきりとした炎症反応がない。肝臓でも一緒である。) What is unique about this symptom is that there is no clear inflammatory reaction. The same can be said about liver. (あるべき炎症反応がないということは、免疫系が抑制されていることが考えられる。) Lack of inflammatory reaction means suppression of immune system. (放射線によって免疫系が抑制されることは、様々な人が論文を書いている。) Various people write thesis regarding the suppression of immune system caused by radiation. (脾臓にも放射性物質がたくさん蓄積される。) Lots of radioactive material get accumulated in spleen, too. (次は肝臓。脂肪とたんぱく質の変性と肝細胞壊死。) Let me show you the photo of liver with radiatioactive material accumulation. You can see the alteration of fat and protein and necrosis of liver cells. (汚染地帯では、脂肪肝が多くみられる。結果、体全体の代謝機能が低下する。) In contaminated areas, there are lots of people who suffer from fatty liver. As a result, metabolism in the entire body gets decreased. (肝臓の中くらいの障害が多くみられる。) There are many patients who have medium level liver failures. (1990年に私はゴメリにやってきて、ふつうの食生活をしていた。) In 1990, I came to Gomel and had an ordinary diet. (3か月後、60Bq/kgのセシウムがたまった。) After 3 months, my Cs body concentration became 60 Bq/kg. (しかし当時は34歳で若くて気に留めていなかった。) But in those days, I was 34 years old and young, and I didn't pay much attention to that. (少し疲れは感じていたが、学長として仕事がたくさんあったので。) I tended to feel a bit tired, but I had a lot of work to do as the rector of the university. (大学の研究室で機能を調べるために、自分の血液を採取して検査したら、私の肝臓の指標は悪いと言われた。) One day, in order to check the functionality of our university laboratory, I examined my own blood and then I was told that my liver index showed bad figures. (2週間後、休暇をとって、母の実家に行き、数週間いた。) Two weeks after that, I took several weeks off to my mother's house. (その後ゴメリに戻ったら、体内濃度は減り、血液は元に戻っていた。) After I came back to Gomel, my Cs body concentration was decreased and my blood index became back to normal. (私は汚染地帯にいて、ふつうの人と同じように住んで研究すべきだと思っている。遠いところで研究していてはならないと思っている。) I believe scholars should study staying in the contaminated area and live like other residents do. I think it is not allowable for researchers to stay at a remote area to conduct a study. (自分も汚染地帯にいて、一般の人と同じことを体験したほうが、もっと客観的に分析することができる。) You can have more subjective views and analysis if you stay in the contaminated area and go through the same experiences like other residents do. (チェルノブイリ事故の後、日本の学者たちがたくさん来て情報を得たのに、彼らの情報はどこにいったのか?) After Chernobyl, lots of Japanese scholars came and obtained a lot of information, but where is it now? (明日は東大の先生と会うが、調査をするよりも、行動をする時期だと思う。) Tomorrow, I am going to meet some professor from Tokyo University. But now is the time to act rather than studying. (私がゴメリで働いていた時も、チェルノブイリを支援をしようとする基金の人たちや、学者、TV局の人たちが撮影をしていった。) While I was working at Gomel, those who tried to raise funds for Chernobyl, scholars, TV staff members shot our workplace. (女性の生殖系に放射能が与える影響について) Impacts on female reproduction system (初めは子供たちの体内セシウムのモニタリング、それから大人の測定に移った。) At first we conducted internal Cs monitoring on children and then moved to adults. (若い生殖年齢のセシウムと血中のホルモン、エストロゲンとプロゲステロンのを調べた。) We checked the internal Cs among young people at reproductive age and also checked the hormons in blood, estrogen and progesteron. (40Bq/kg以上の女性は、エストロゲンの分泌が少なくなっていた。そしてプロゲステロンが多くなっていた。) Females more than 40 Bq/kg had less estrogen and more progesteron. (このようなホルモン分泌では、受精卵の着床や、胎児の発達、そして正常な赤ん坊の発達が難しくなる。) With these pattern of hormon secretion, implantation of fertilized ovum, development of fetus and baby will become difficult. (また汚染のひどいところで、思春期の女性を調べたら、同じような状態だった。) The same can be said for female in puberty age in contaminated areas. (そのデータは私が学長をしていた時の最後の発表だが、同じ新聞に私が逮捕されたことも記された。) This data became the last release of my study as the rector of and in the newspaper on the same day, my arrest was reported. (その後、ルカシェンコ大統領が汚染地帯に住んでいて大丈夫だという発表。) After that, President Lukachenko announced that it would be safe to keep living in the contaminated area. (先天性奇形を持った胎児の体内のセシウム蓄積量は非常に多い。そして胎盤に蓄積しているセシウムの量別に血中コルチゾール濃度を見た。蓄積が多いほど、母親と胎児の血中コルチゾール濃度の差が大きくなっている。母親が高く、新生児が低くなっているのである。これは出生後の抵抗力に問題をもたらす。) Cs concentration in fetus with congenital malformation is quite high. We checked the cortisol level in blood in accordance with the Cs concentration in placenta. We found that the difference of cortisol concentration between mother and the fetus was greater when Cs concentration was high. That is, mothers had higher cortisol than new borns. This will affect the stress resistance of newborns. (コルチゾールは肺組織の発育に重要な役割を果たしている。) Cortisol also plays an important role in the development of lung tissues. (肺胞の発育に影響にもたらし、無気肺となる可能性にあるし、空気に混ざって入ってくるものに対する抵抗力が少なく、感染症にかかりやすくなる。これらは新生児にとって命の危険となる。) It will affect the development of alveolus, which could result in atelectasis. Also such babies cannot resisit foreign substances included in the air, and become more liable to get infectious diseases, which could threat the lives of newborns. (ベラルーシでは2000年から2008年の間に先天性奇形が1,5倍に。) In Belarus, the congenital malformation became 1.5 times higher bewteen 2000 and 2008. (ゴメリ州のほうが奇形率が高いが、ほかの州でもたくさん見られる。) The rate is higher in Gomel, but there are many congenital malformation in other states. (男性のほうが女性よりもセシウムをより多く蓄積する。) Men accumulate Cs more than women. (しかし妊婦の場合は非常に多く放射性セシウムを取り込む。胎盤に大量のセシウムが蓄積される。胎盤は磁石のように放射性物質を引き付ける。) However, in case of pregnant women, they absorb a lot of radioactive cesium and massive amount of Cs could be accumulated in their placenta. Placenta is like a magnet for radioactive materials. (胎盤は胎児の体に有害なものが入らないようにするものだが、セシウムは胎児の中に入っていくのが実験動物でも確かめられている。) Placenta blocks harmful material to intrude into fetus, but Cs can pass through it to fetus, and this was proven in animal experiments. (セシウムは多因子性の遺伝障害を子供に誘発させる。) Cs can induce genetic damages on children through multiple causes. (遺伝子的に素因があり、誘発因子が入った時に発現するのである。) On top of genetic diathesis, when inducing factor intrudes into the body, such genetic damage developes. (最も重大なものは中枢神経、特に脳の遺伝的素因である。) The most serious one occurs on central nerve system, especially on the genetic diathesis of brain. (心臓の先天性奇形のための研究と基金を設けるキャンペーンがよく行われている。) There are many campaigns for studies and fund-raising for children with genetic heart defects. (しかし、妊婦がセシウムを体内に入れないようにする、予防については誰も言わない。) However, there is nobody who talks about prevention, where pregnant women tries not to take Cs into their bodies. (ウクライナでの国際プロジェクトでは、特に新生児の健康を守るのを重点的に行われている) In Ukranian International Project, lots of efforts are made to protect the health of newborns. (動物実験) Animal Experiment (カラスムギ穀粒中のセシウム137濃度を変えて28日投与。) We gave oats with various concentration of Cs 137 to rats for 28 days. (大脳半球の分泌物に違い。グリシンが減り、グルタミン酸が多くなった。) As the result, there were differences on the secretes from cerebral hemispheres.Gricin was decreased and glutamic acid was increased. (後ほど、こういう脳になった動物がどういう行動をとるかを動画でお見せする。) I will show a video of rats with these brain problems and let's see their behavioral problems of them. (放射能入りのえさのラットは血中の尿素の濃度が高くなる。) Rats fed with Cs had higher concentration of urea in their blood. (子供の白内障が増加。ゴメリ、ペトカ地区。) (Bandazhevsky et al, 1997,1998) Child cataract is increased in Gomel, Petka district. (Bandazhevsky et al, 1997,1998) (子供が白内障になること自体が異常である。) It is quite abnormal for children to get cataract. (50Bq/kgを超えると35%が白内障。) 35% of children got cataract when their Cs level goes beyond 50Bq/kg. (30Bq/kg以上の子供には常に重要臓器に影響が続く。長寿命放射性核種取り込み症候群と呼んでいる。) For children who is more than 30 Bq/kg has consistant impacts on important organs. I call it SLIR. (事故後に、個々の臓器に注目し、全体を注目していないという医学界の間違いがあった。) After the accident, medical society only paid attention on individual organs no the entire system, which was wrong. (初期にはモニタリングシステムもなかったので、こういう現象にも思い当たらなかった。) In the beginning, there was no monitoring system, so I didn't come to think of this kind of syndrome. (全身症状の評価がなかった。) There was also no evaluation system for the entire body system. (子供、胎児の場合は、細胞が外的要因に弱いため、症状も非常に重くなる。) In case of children and fetus, they are vulnerable to outside factors, and their symptoms tend to be very serious. (ゴメリ医科大学に着任した時に、医者を募集し始めた。) When I took the office of rector at the Gomel Medical University, I began recruiting doctors. (大学で免疫学の講義をしながら、有望な学生に研究所に残ってもらおうと思った。) While I was giving lectures on immunology, I tried to find promising students to remain in our laboratories. (そして実際に研究グループを作った。その中に22歳の女の子がいた。とても賢く仕事ができる子だった。) Then I established a study group. In our group, there was a female student who was 22 years old. She was very smart and capable. (一番有望な学生の一人だった。) She was one of the most promising students. (しばらくたってから、彼女の友人から彼女の肝臓に大きながんがあることを聞いた。90年か91年のことだった。原発性の肝臓がんは頻繁には起こらない。しかし、チェルノブイリ事故の後、その例が多くなった。) After a while, her friend told me that she had a very big cancer in her liver. It was either in 1990 or 1991. Primary hepatic cancer is a very rare disease. But the cases of primary hepatic cancer. (研究をしている間、特に苦痛を訴える出なく、仕事をしていた。常に私はその間、心配していた。) While we were conducting our research, she didn't complain particular pain and did her work. I was always worried about her. (ある日、彼女は仕事に来なかった。彼女の写真は今も我々のサイトに残っているが、私が一番 最初に大きなショックを受けたことだ。) One day, she didn't come to the office. Her photo still remains in our website. Her death was one of the most shocking events for me in the early days. (去年初めて今年の初めに終わった実験) A new strudy which started last year and ended the beginning of this year (生殖腺への放射線および化学物質の影響) (動物実験をつかった生殖損失を見た。) Impacts of radiation and chemical substances on reproductive organs. We witnessed the loss of reproductivity through animal experiments. (2011年に汚染地域で収穫したカラスムギの安全性を評価する。) (50Bq/kgセシウム137  17.2Bq/kg ストロンチウム90) We evaluated the safety of the oats cultivated in the contaminated area in 2011. (胎児の先天性奇形が見える。骨格が融合してしまったところが見える。) You can see congenital malformation of fetus. This fetus has anastomosis of skeletons. (子宮の中で死んでいる胎児がいる。) We also observed fetuses in mother's womb. (脳の逸脱、こうしんれつ 口蓋裂) This fetus has a brain deviated. This one has cheiloschisis, and this one has cleft palate. (脾臓がない子供) This baby rat has no spleen. (毛がない子供) This baby rat has no hair. (おなかが腫れている、腸にカスがたまり、消化がうまくできない。) This baby rat has swallon stomach due to accumulated gas and cannot digest food well. (胃と肝臓に腫瘍を持った子) This baby rat has tumor on his stomach and liver. (頭蓋に異常を持った子供)。 This baby rat has abnormality on his skull. ストレス反応を示すメスの子(オスの子はこうならない) This baby rat has stress reaction. (Strangely, only female baby rats and no stress reaction was observed among male rats.) (生後45日目、赤血球とヘモグロビンが減少。) This baby rat is 45 days old and its erythrocytes and hemoglobine were decreased. (他の血液指標も異常が見られる。) Other abnormalities were observed in other blood indexes. (特徴的なのは尿素が多くなっている。) What was typical among these rats was the increased urea. (腎臓の損傷も起きている。) There were damages on kidney too. (政府は、カラスムギの実験をしたところに人々を帰還させようとしている。) The government is trying to return people to the area where I conducted the oats study. (私がどんなに嫌われているかわかると思います。) Now you can guess how I have been hated by authorities. (真実の追及には困難が伴う。) Pursuing truth accompanies difficulities. (今では私は一人ではなく、ウクライナ科学アカデミーも賛同するし、環境と健康という分析センターを創設した。) Now I am not alone, but Ukraine Science Academy is supporting us and we have founded Center for Analysis on the Environment and Health. (ウクライナで大きなプロジェクトが始まっている。今年公式に始まったプロジェクトである。これを実現するために5年間闘った。= In Ukraine, a big project was initiated from this year officially. I fought for the realization of this for the past 5 years. (2008年4月、欧州議会で、汚染地帯で客観的な研究をするための必要を話した。長い時間かかって、やっと認めてもらい、EUが資金出した。ウクライナの汚染のかなりひどいイワンコフ地区で健康の研究も始まった。) In April 2008, I talked about the need to study objectively in a contaminated area at European Parliament. After a long time, the project was admitted and EU provided some fund. In Iwankov district in Ukraine, where the contamination is serious, health survey was also started. (土壌の汚染、化学物質の含有量も測定、そして地域の土壌と食品の放射性物質、人体の放射性物質を計測するラボラトリー。) There, contamination of the soil and inclusion of chemical substances are measured. Also, the soil and food contamination and human body contamination are measured in the laboratory. (子供7500人全員のモニタリング。重要臓器のモニタリングも。生化学検査など。) We are also monitoring all the 7500 children living in the area including the monitoring of organs though biochemical inspection. (子供たちには10か月の間、ヨウ素を含むサプリメントを上げる。妊婦健診と胎児検診も常に行う。) For children, we gave iodine suppliment for the duration of 10 months and conducted pregnant women and fetus inspection. (妊婦さんは期間中、ヨウ素のサプリメントとビタミンとミネラルのサプリメントを。) We also provided suppliment of iodine, vitamin, and mineral to pregnant women. (地区の中央病院に母子保健センターを設け、胎児・新生児の健康チェックもする。) We also established the Mother/child center in the central hospital and conduct fetus and newborns' health check. (汚染していない食べ物をどうやって手に入れるかというカウンセリングセンターもある。) We also have a counseling center for giving advice on how to obtain uncontaminated foods. (20年前にやっていなければならないこと、そして僕はそう20年前に本にそう書いていた。= These kinds of activities should have been done 20 years ago, and I wrote the same in my book 20 years ago. (EUの国際プロジェクトの専門家としてかかわっている。これを福島のために参考にしてほしい。日本の市民や学者の方々がこのプロジェクトに参加することは大変重要である。) I am involved in this EU international project as an expert. I want our project to be used for Fukushima. It is very important for Japanese citizens and scholars to join this project. (事故のみでなく、元からあったもの、放射線もその他の化学物質もかんがみなければならない。) We have to consier not only radioactive materials emitted from the accident, but also chemical substances, too. (予防の中には、有害物質が体に入らないようにすることが含まれる。) When we talk about prevention, we need to protect ourselves from all the toxic materials. ―質疑応答― 曽根盛信也さん リクビダートルの診療にかかわっていた看護師です。 1点:伝統的な東洋医学では未病を治すのが知られていると思いますが、どのように活用していますか? 湯川さん(新潟の放射線医学の専門家) キレート剤の効果は?→ペクチンは複雑な問題で、好ましくない側面もある。話すと長くなる。私のペクチンの研究を始めた一人であるが、92年のウクライナ科学アカデミーの研究員が来て、効果を調べてくれと言った。依頼された研究を行い、同僚の一人は大きな論文で学位をとった。私の研究ではペクチンと粘土を混ぜたものが一番吸着してくれた。ペクトパルという薬剤だ。ペクトパル以上に吸着してくれるものを私は知らない。その後、ペクトパルについて誰からも情報をもらっていない。いくつかの研究所が何種類かのペクチンを使おうとしている。 しかしペクチンを作るのは難しい。りんごの皮と実の間の部分だが、すぐ酸化してしまうので、しっかりした施設がないと作れない。きちんとしたところで作ろうとしていると聞くと疑問がわく。もうひとつの問題は、ペクチンが代謝全体に与える影響があまりよく知られていないということ。腸内のイオン交換がどうなるのか、よくわかっていない。子供に対して長期にわたって使うということだとその作用が十分にわかっていない。だから100Bq/kg以下の人に使うのは、反対です。もっと大きな人に、1週間とか10日間だけ使うというのであれば、賛成です。20~30Bqだったら新たに取り込まないほうが、勝手に排出されるからそのほうが早いと思っている。 子供たちを支援する施設でどのくらいのペースで甲状腺検査と心電図検査をやりましたか? 検査の頻度については、土壌汚染や体内被曝が大きいところでは、少なくとも3か月に一回。 木村さん:日本でもWBCを使って、事故現場から30km県内で測っていて、外部被曝で2mSV、土壌汚染数百万ベクレルから数千万ベクレルが散在していて、1万人近く調べているが、9割がたが20Bq/kg以下だという結論を出していて、食事さえ気を付けていれば、安心と結論している。 福島の半分以上は移住権利、移住義務ゾーンなのだが、子供たちがい続けている。移住の権利が認められなくなりそう。遮蔽の問題で、日本では低く出るのではないか。 20Bq/kgは低いとは言えない。その先生(早野教授)とは明日会うので、見てみたいと思う。WBCの制度の問題は、くだらない話。ゴメリでWBC研究は、まず自分が測った。そして危なくないと言っている役所と話をした。役所の人々にも測ってやると言った。ただ、彼らは言うには、機械を調整するために待ってくれと言った。 私の結果は60Bq/kg。お役所の机の上には、ベトカ地区のデータが置いてあった。20Bq/kgという測定が出ていた。私が60Bq/kgなのに!30分間機械を調整した後、彼らは私の結果を受け入れた。彼らが機械を低く修正していたのだ。 早野教授からは、その後、バンダジェフスキー博士にメールが入り、「通訳はつけないで英語で直接会話したい」と言ってきたそうです。しかしバンダはロシア語とフランス語しか話せない。「たった一人のロシア語通訳に聞かれたくない話なのか?私はこんなに大勢の前で話しているのに」と博士は怒っていた。 その後、一応、早野教授とバンダジェフスキーは話し合いをしたそうだが、一番重要な10Bq/kgについて、早野氏は以下のようにごまかしの回答ツイッター ryugo hayano@hayano 仲介者が30分で打ち切り合図.バ氏は構わず質問を続け,10Bq/kg以上は危険と,持論を述べる.10Bq/kg以上の子供は昨年春以来極稀と伝えるが,多分あまり納得していない. これをみて、すかさず、私も早野氏に質問。もちろん返事は来ないが。 Mari Takenouchi@mariscontact @hayano 早野さん、10Bq/kg以上は危険なのですよ。特に子供において。それでまれにしかいないと言って、「今までに」いったい何人出ましたか?少しくらい犠牲者が出てもいいとおっしゃるのですか? 早野氏とバンダ博士のやりとりをいつもの工作員たちが、早野氏のことを褒めちぎっている。これだけでも早野氏の立ち位置が分かるまとめサイト→ http://togetter.com/li/537667 その他にもバンダ氏を誹謗中傷しているサイトを、御用学者と取り巻き工作員が立ち上げている!ありえないマナー違反だ。国際問題に発展してもおかしくないと思っている!!(怒) →http://togetter.com/li/536772

2013年7月23日火曜日

ドイツ反原発活動家から山本太郎の国会議員としての戦いについてメッセ-ジが送られてきました,自民党やマスコミは,山本太郎を潰すための戦いをすぐ始める,彼等にとって,山本は邪魔者である. 生活の党の優秀な議員(森ゆう子.三宅雪子議員など)が山本太郎をサホ゜-トしなければならない.山本太郎の身辺を守る為に,ガードマン数名が必要である.彼の生命は危険である.日本の過去の歴史でも証明されているように,邪魔者は殺される.3年間に山本太郎のような人材の育成をする事,3年後に5人の山本太郎を国会に送る事, 日本で起こっている真実を知っている有権者は多くの人達に事実を知らせる戦いを今から開始しなければならない, 腐敗した日本政府を変革するのは有権者一人ひとりが立ち上がる事である 日本は広島長崎の原爆で被災者は棄民され.沖縄も犠牲にされ棄民された,福島原発事故でも,被災者は棄民された!もう,黙っていては駄目なのだ! 日本の腐敗政党を打倒するのは,君達,国民の力である.福島の子供達を守る政党を選ぶのだ, 山本太郎,生活の党,緑の党がある!多くの日本国民にこのことを伝え,自民党,維新の打倒,腐敗したマスコミの打倒をする事,日本の有権者は,戦えば必ず出きるのだ!思考教育を初め,腐敗した日本政府を打倒する国民になる事,これが真の民主主義である.

2013年7月9日火曜日

フクシマその後.「がんばれ」スローガンに偽りの放射線測定.福島第一原発事故から1年半経った日本での印象 Annette Hack, Thomas Dersee著(アネッテ・ハック、トーマス・デアゼー) http://donpuchi.blogspot.de/2012/12/12.html Durchhalteparolen und falsche Strahlenmessungen 「がんばれ」スローガンに偽りの放射線測定 福島第一原発事故から1年半経った日本での印象 Annette Hack, Thomas Dersee著(アネッテ・ハック、トーマス・デアゼー) 本文のPDFファイルはこちら:http://www.strahlentelex.de/Stx_12_622-623_S01-09.pdf 日本の東北地方にある福島県を今訪れると、国際放射線防護委員会(ICRP)、国際原子力機関(IAEA)、経済協力開発機構(OECD)、国連(UNO)の高低さまざまな地位の人間に遭遇するのを避けることはできない。それに、あらゆる日本や海外の大学から学者がそれぞれ違った動機でこの地域に入っている。 2011年3月、大地震の結果、太平洋沿岸に建っている福島第一原発が制御できなくなり爆発した。これによりいわゆるメルトダウンが起こり、大量の放射性物質が撒き散らされた。 「今は事故を起こした原発周辺に住む400万人の人々の状態を心配する学者がたくさんいるが、それはその人たちを助けることにはならない、なぜならこの人たちが知りたいのは、どうやってこれから自分たちを守っていけばいいのか、だからである」。これは、2012年の「核のない未来賞」受賞者である医師、振津かつみ氏が2012年11月13日に福島市で「子供を守る会」の女性・母親たちを前に講演し、現在の状況を語った言葉だ。彼女は、フクシマではチェルノブイリの10倍の住民が被害を受けたと考えている。 状況は今でも不透明だ。1986年のチェルノブイリ原発事故と違い、福島第一の原子炉の状態はいまだに安定していない。それに加え、使用済み燃料を入れた巨大な燃料プールが事故で破壊された原子炉の上に、ダモクレスの剣のように宙吊りになっていて、次に大地震が起きれば崩壊するかもしれない、そうなればこれまでよりもっと最悪な事態が待っている、という危険性を持っている。この事故現場からは今でも放射能が環境に流出している。そしてこれは、地図でカラーに塗られた場所だけにあるのではなく、日本中にある。「今の日本でも、チェルノブイリのときと同じように行動する以外、手はありません」と振津氏は説明する。技術が進んだ今は当時のチェルノブイリよりもっといろいろなことが可能だと思っている日本人がたくさんいるが、それは間違いだ、ということを。土を削り取り洗浄する以外、なんにもできることはないのだ。そしてそれだって皆、自分たちでしたのです、そのために自衛隊が来て、やってくれたわけではないのです、と。 国際放射線防護委員会(ICRP)の催し:放射能と学校教育 元アレバ社、今はICRPにいるジャック・ロシャール指導の下、ICRPは2012年11月10日に伊達市の市役所で、学校教育における放射能をテーマに公開セミナーが催された。伊達市の西側は福島市に面している。伊達市に小国(おぐに)という町があるが、こののどかな田舎町に降り注いだフォールアウトの線量はきわめて高いものがあり、20キロ圏内の警戒地区のようだ。強制避難はされなかったが、小さい子供のいる親たちは別の町へ移っていった。そして子供たちが今またスクールバスで小国小学校へと通っている。子供たちは線量計を首からかけ、毎日外で30分運動することを許されている。彼らが外で運動している時は、線量計はロッカーに入っている、と報告を受けた。 市役所には学校の校長、文科省代表、大学教授、各種団体の役員、そしてヨーロッパ、カナダ、アメリカから来たICRPやOECDの原子力機関のメンバー、フランスの放射線防護原子力安全研究所(IRSN)から7人が現れた。どうやらフランスは日本の「過ち」から学習したいらしい。というのも、次の原子炉事故はヨーロッパ、それもことにフランスで起こるのではないかと怖れられているからだ。ドイツからはOECDのミヒャエル・ジーマンが来ていた。数十人の人が聴衆としてきていたが、講演者の数よりずっと少ない。 ある学校の女性の校長が報告するに、生徒の親たちと教師で自分の学校を除染したから、彼女の学校で線量を測定すれば、「ほんの数ミリシーベルトしかない」という。すると彼女の横に座っていた男性が彼女の耳元になにかを囁くのが見え、校長先生は照れくさそうに笑いながら間違いを訂正した。「もちろんマイクロシーベルトの間違いです。」 新福島農協の代表者が、測定結果を紹介した。130分間ゲルマニウム検出器で測定したが、「ほとんどなにも」見つからなかった、という。消費者は、ことに東京の人たちは福島産の製品を避けている、と彼は語る。彼らのトレードマークとも言える名前は大損害を蒙った、と。それに、2012年4月に1キロ当たりの基準値を100ベクレルに下げたが、これは農業にとってかなりの負担だ、という。 そのあとにはマーケティング専門家が出てきて、ツイッターを利用して小規模の店や最終消費者を「啓蒙」する方法を説明した。大きいデパートやスーパーは全然問題ないんです、と。 もうこれで十分、と私たちは会場から立ち去った。「福島産のおいしいりんごや柿を食べさせるため」ICRPの代表自ら、自分の家族を連れてきている横で、「ほんのわずかな」マイクロシーベルトやベクレルが長期にわたってどれだけの損傷をもたらすか、公職についている人たちや団体の役員たちにどうやって説明したものだろう? 似たようなプロパガンダの催しが、今度はIAEAの企画で郡山市で行われることになっている。市民運動家たちはすでに、反対運動を起こすため動員を始めている。 甲状腺スクリーニングプログラムの公の説明 2012年11月10日の午後には、甲状腺スクリーニングの責任者である、福島県立医科大学の鈴木眞一教授が、福島氏で記者と200人ほどのの市民たちの前で話をした。子供たちの間で甲状腺のしこりや嚢胞が劇的に増加していること、それから甲状腺がんが確認された患者第1号については、この放射線テレックスが2012年10月4日付の前号ですでに報告した。 講演会の司会者を相手に超音波による甲状腺スクリーニング検査を実践してみせた後で、鈴木教授は一部かなり興奮、または怒りを隠せないでいる聴衆をなだめようとした。 福島県に住んでいる子供を持つ親たちが、自分たちの子供を単に医学研究の材料として扱われることに拒否感を抱いていることがここで明らかになった。甲状腺検査の結果は充分に説明されていない、もっと集会を開いて、同じような立場にいる人たちが意見を交換できる場所を作るべきだ、との声が客席から上がった。データばかりで異常が発見された人間に対してはなんら関心がないとしか思えぬ、そしてこれらの所見の原因についてはちっとも問われていない、と聴衆は訴えた。 鈴木教授はそれに対し、被爆に関する「政治的議論」は一切しないつもりだ。彼は甲状腺専門家であって、放射線専門家ではない、というのだ。すると、この前の同様の説明会では、放射線専門家の意見を聞くと約束したじゃないか、と誰かが言い返した。鈴木教授は、専門家二人が一緒になれる日程が見つからず、だから今日は彼一人なのだ、放射能の質問に関しては彼は答えられない、と答える。「しかし日本人の甲状腺は原則的に充分にヨウ素が足りている。機能障害や甲状腺の病気が増加したかについては、自分には確認できない、なぜなら自分はフクシマの事故の情勢に関してはなにもわからないからだ」といい、それからこう付け加えた。「チェルノブイリの甲状腺がんの原因が放射能かどうかについてもはっきりわかっていないではないか」。 聴衆の一人が「放射能のせいではない、という前提ばかりがいつもあるが、それはいったい何という学問か」と苦情を言うと、鈴木氏は、自分は今の時点でわかっていることしか報告できないのであり、放射能の影響は確定できない、それを検査する方法はないのだ、そして「放射能が原因でできた甲状腺がんと、他の原因でできた甲状腺がんを見分けることは私にはできません」と語った。 個人的にアドバイスを受けたい人には、鈴木氏は単にコールセンターに問い合わせるよう述べるに留まった。しかし、福島でも次第に甲状腺センターができ、ここで一人一人話をすることができるようになるだろう、しかし今のところ、今回の甲状腺診断には充分な小児甲状腺専門家がいない、今専門家を養成している最中で、2年後にはその人たちが対応できるようになるだろう、という。 ある母親が、福島に帰った子供たちしか診察されないというのは問題ではないか、という点に触れた。本来なら、国中の子供たちが診察を受けるべきではないのか、と。それに対し鈴木氏は、そのうちきっと体制が整うだろう、と約束した。 ある父親は、セカンドオピニオンに関する問題に触れた。政府のアドバイザーである山下俊一が医師たちに要請文書を出したので、彼の子供は追加検査を拒否されたのである。それに加え、自分の子供の診療データを手に入れるまで、苦労したという。2度目の検査後には、データを渡すのを拒まれたそうだ。別の場所でしてもらうことのできた3度目の検査でやっと、データがもらえたという。 また、福島事故後の甲状腺総線量はチェルノブイリと比較してわずかであったという鈴木氏のコメントに対し、「そんなものはまだ全然調査していないではないか」という指摘が聴衆者から出た。事故後、甲状腺総線量は単に局部線量計で出したに過ぎない、ちゃんとした測定ができないのに、なぜチェルノブイリよりずっと少ないなどと言えるのだ? という意見だった。 ある農家の女性はこう苦情を漏らした。「皆、もう長く生きられないのに、どうして検診料を自分たちで払わなければいけないんですか? 私はあの時山下の安心させるような発言を素直に聞いて、一日中高線量の畑で働いていたんです、野外で働いている原発労働者と同じように」。福島県は、農民の検診は必要ないと判断している、と鈴木氏は答えると、伊達の農家の男性が怒りをあらわに発言した。「我々は、自分たちがどれだけ被爆したかも、これからどうなるかもわからないのに、県の行政官庁はただ宥めようとばかりしている、しかしこのままでいるわけにはいかない」と。 国際放射線防護委員会(ICRP)に対抗するものとしての市民会議 福島市民の協議団体であるふくしま会議が2012年11月9日から11日まで、ICRPに対抗する会議を開いたが、たくさん人が集まり、とても活気溢れるものだった7つのワークグループの代表者がそれぞれ11月11日のプレナリーセッションで自分たちの協議結果を紹介した。 例えば、東京から太平洋沿岸の南相馬に引っ越してきてそこの病院で働いているある精神科医は、不安と医者に対する不信感が非常に高まっているという報告をした。おそらく10年経ってからでないと、どのような保護対策なら効果があり、どれが効き目がなかったか、ということはわからないのだろう、そして検査データが被検者の手元に残るようにしていかなくてはいけない、と彼は語る。そして、この会議は、どうやって皆でこの支配的な不安感を克服していけるか、といういい例なのだ、彼自身は将来、自助グループをつくってそれをサポートしていきたいと考えている、と話した。さらに、南相馬の市民グループたちは自らのイニシアティブで健康調査を行うことを考えているそうだ。 ドイツから訪れているオブザーバーとしては、このような不安感をどう評価すべきかと問わずにはいられない。なんといったって、この不安感は、実際に存在している実に不確かで不安な状況が主な原因となって生まれてきているのだから。 ある医師も言葉を添え、データは検査を受けたものの手元に残るべきであり、全身測定や甲状腺検査のデータを決して渡してはならない、でないと誰にどう使用されれるか分かったものではない、と語った。 ある人は、スポンサーシップを組織し、ネットワークを作り上げて、子供たちがせめて一時的にでも、またはできるなら1学年分でも福島から疎開できるようにしたい、と話した。それに対し、それより福島でも子供たちが安心して住めるような条件を作り出すべき(そして作り出せるはず?)だという人もあった。 福島大学に再生可能エネルギー研究所ができた、という報告もあった。当大学では再生エネルギーに関する意識を高めようと努力しているが、まだあまり成功していない、という。例えば会津などの辺鄙な場所では、原発があっても冬になると停電することがあるのにもかかわらず、いまだに原子力エネルギーは不可欠だと思っている人が多いのだ、と。この前の夏はデンマークから専門家が訪れて、子供たちと一緒に風車を建てたという。それで、子供たちの親も、風力でエネルギーを作ることができると納得したのだそうだ。 それから司会者が、自分が子供時代に受けたエネルギー教育について語った。子供の頃、彼は学校で原発の絵を描き、それでとても褒められたそうだ。それで、彼はもう1基原発の絵を描いたという。今では彼は分散型エネルギー供給賛成派で、ドイツの電力供給会社シェーナウ(訳注:チェルノブイリ後、市民グループが自ら作った電力会社)のことを会場で話した。 再生可能なエネルギーに真剣に取り組んでいるチェルノブイリの援助グループの紹介もあった。このグループは233人からなるネットワークで、たとえば新しい原発建設の計画などの話が出ると、活発に行動を起こすのだそうだ。福島だけでなく北日本全体で別の発電のあり方に対する意識が変わりかけているようだ、と司会者が語る。南相馬では畑はもう使い物にならないが、再生可能エネルギー発電ならできるので、ことに女性たちがそのために奮闘しているという話だ。 若者たちのグループが、この会議は全国の支援を受けて行われた前回の会議と比べると、明らかに小規模だ、だからこれからは小さな歩みでアクティブになり、誰かの助けを待っているのはやめよう、と結んだ。 官庁のモニタリングプログラムと不正操作された測定結果 福島市の駅の後ろの広場に足を踏み入れると、ジャック・ロシャールを始め、ICRPのセミナーの参加者が宿泊していたリッチモンドホテルの横に、公的機関の空間放射線量測定器モニタリングポストが立っている。これは太陽電池で動いているので、その下に設けられているディスプレイは日中しか光らない。2012年11月9日にはこの数値が15時頃、0.284マイクロシーベルト/時を示した。我々の独自の測定では、すぐその近辺で、0.45、0.58、0.64マイクロシーベルトだった[1]。 比較しよう。福島原発事故前、日本の文科省は空間放射線量として毎時0.04と0.05マイクロシーベルトの間の値を記していた。ドイツでの通常値の半分に過ぎないが、これは、日本の土壌にはドイツよりわずかにしか自然ウランが含まれていないからである。私たちは今回日本中を回ったが、どこに行ってもこのような値はどこにでもなかったことが表1で見ていただける。 保険局に勤める人が後で教えてくれたところによれば、2011年5月には、福島市の駅前では1.811マイクロシーベルトが計測され、これまでで一番高かった計測値は24マイクロシーベルトだったということだ。 福島県だけでも、今やこのような計測器が線量モニタリングと市民への情報の目的で1000台も立っている。しかし、どれも表示している値がことごとく小さいようだ。南相馬にある市民放射能測定所(CRMS)のグループがこのような計測器を200台システマチックに検査したところ、この計測器の多くが、実際の値の3分の1から3分の3くらいしか表示しないことがわかった。我々も無作為に計測してみたが、それを裏付けている(表3)。計測器の設置場所はことにしっかり清掃されているか、検出器の下に金属プレートが取り付けられていることを、南相馬の市民放射能測定所のメンバーが突き止めた[2]。 これに関して、国民の間では次のような噂が飛び回っている。あるアメリカの企業が最初の測定器設置を委託された。ところが日本の環境省は、表示された数値があまりに高かったので、なんとかならないかと書面で苦情を送った。そのアメリカの会社はでも、計測器は計測するためにあるのだから、とその頼みを拒否したので、今度は、環境省の要望に対して理解を示す日本の会社が受注した、というのだ。 京都大学の原子力工学助教、今中哲司氏(訳注:原文では京都大学物理学教授、と書いてあるが、訂正した)は、2012年11月18日の夜に福島市で行われた講演会で聴衆から似たような質問を受け、それに答えて、モニタリングポストははっきり言って間違った数値を出している、と語っている。それから、ICRPがしているように、ガンによる死亡者数を数えることだけが大切なのではない、チェルノブイリでは、年間放射線が1ミリシーベルト(約毎時0.114マイクロシーベルト)を超えないところもあるのに、それ以外の病気がたくさんある、これらの値を使って、どれだけ放射線による被害者を受け入れることになるのかという議論を避けようとしているのに過ぎない、と彼は話す。 のどかな地方である飯舘村の住民たちも、公的機関が立てたモニタリングポストを規則的にチェックしており、値が20%は低すぎる、と言っている。水俣病のときのように、病気の原因となるには値が低すぎた、と20年後にいわれないように、自分たちで測定する、と彼らは話している。まだ線量が高い飯舘村の住民の一部は、原子炉事故6週間後にやっと、そして今中氏を中心とするグループが測定をしてからやっと避難となった(放射線テレックス2012年8月2日号614-615、2~3ページを参照)。日本の国家は現在、責任を最下位の行政レベルになすりつけようとしている、とのことだ。 これが意味するのは、モニタリングをもとにこれまで作成され公開されてきた放射線量マップは、実際の状況ではなくて不正に手を加えたものである、ということだ。 市民の手による独立した測定所 だからこそ必要性が増すのが、市民放射能測定所(CRMS)のような独立した市民測定所の活動だ。日本中で今は約100箇所にある。そのほとんどにはヨウ化ナトリウム検出器が備えられている。CRMSが福島と東京に設置している測定所のいくつかでは、セシウム134と137をはっきり分別できるゲルマニウム検出器で測定を行っている。この検出器が測定を始めてから初めて、セシウム134とセシウム137の比率が最初のフォールアウトでどこでも1対1であったわけではなく、セシウム134の方が食品にずっと多く取り込まれていることがあることが、一般に知られるようになった。ヨウ化ナトリウム検出器の測定限界がわかったので、今では横浜の市民測定所でも、ゲルマニウム検出器を購入することを考えている。 測定所の中には特定の専門分野をつくったところもある。たとえばいわきのCRMSでは主に給食を測定している。田村では測定所をつくるために借金をした。2011年にはここで、主に米が測定された。しかし、農協も同じく測定を始めたため、農家は米をもうCRMSの測定所に持ち込まなくなった。米を測定しても今では、2011年ほど高い放射性セシウムの値が出なくなった。キロ当たり20ベクレルかそれ以下だ。しかしこれは、飯舘村に面している小国などの一定の場所での稲作が政府により禁じられ、田んぼが作付けされなくなったからだけだ。ここで作られた米は去年、基準値とされているキロ当たり500ベクレルを超えることが多かった。小国からはすでに、若手の住民たちは村から別の場所に移っていっている。年配の住民たちが現在測定所を運営し、もしかしたら数十年後に今の若者たちがまた帰ってくるかもしれないという希望から、それまで村を守るつもりだ。彼らはキノコを二度煮する。そうするとセシウムの値が10分の1に減るのだ、と彼らは語った。 二本松ではキロ当たり80ベクレルもの放射線セシウムを含んだ野菜が見つかった、とそこのCRMS測定所の運営者が報告している。これを受けて農民たちは、これらを汚染されていない野菜と混ぜて、キロ当たり20ベクレルにすることを考えたそうだ。しかし、これはブランドを監督しているエージェンシーが許可しなかった、という。 東京の世田谷では消費者向けの対応をして活動し、東京で売られる福島産の商品を測定している。南相馬の南で採れた野性のキノコで、キロ当たり最高1万5000ベクレルものセシウム全放射能値が見つかった。そこのすぐそばには立ち入り禁止区域があり、そこの空間線量は1時間当たり40から50マイクロシーベルトだ。果物の柿には約80ベクレル(キロ当たり)あるということである。 福島市のCRMS測定所では、食品を自分で買って測定するというプロジェクトを始めた。ある若い母親がほしい物を探し、買い物をしていた。 福島県外の市民の手による測定所は、福島から疎開してきた子供づれの親たちの出会いの場所となっていることが多い。京都や札幌にある測定所も、こうした親たちのイニシアティブで生まれたものだ。 北海道の道庁所在地札幌市は、福島から疎開してきた人たちによる、線量の多い場所から子供たちを札幌、または北海道に招待して、心身を休め、思い切り外で遊んでもらおうというイニシアティブを後援している。このプログラムにはしかしたくさんの寄付が必要で、そのための銀行口座もドイツで開設された[3]。このプログラムをできるだけたくさんの人に知ってもらうために、札幌市のホームページにドイツ語版のサイト「福島の子供たちを守りたい」が映画つき情報で新設された[4]。 どの測定所も、食品測定はガンマ線スペクトロメーターだけで行っている。ベータ線だけのストロンチウム90の測定所が市民の手でもできるかどうかは、まだわからないが、できることが望まれる。というのも、これで測定を始めれば、国自体も食品のストロンチウム測定を公開せざるを得なくなるからである。ドイツでは、チェルノブイリ事故の後、市民のイニシアティブでストロンチウム測定を自ら行うことには成功しなかった。ともかく、これまでこの測定をわずかしか実行せず、また測定結果をわずかしか公開しなかったことは日本の官庁の重大な欠陥といえる。 観光客と住民 我々の6週間にわたる、広島から青森までの本州、なかでも関西地方、岐阜、福島県、それから四国、北海道をまたがる横断旅行で、空間線量を測ったものを表1に記録した。ここに書いてある24時間ある1日の平均値は、持参した空間線量計で24時間に渡り5分ごと測定し保存した値を算術平均したものだ。これから6週間の旅行での全放射線被爆量を計算すると、227マイクロシーベルトとなる。飛行機の往復がすでに、82マイクロシーベルト、あるいは36%分に当たる。0.1マイクロシーベルトのドイツでの滞在に比べ、これは126マイクロシーベルト、または125%の増加となるが、ここには飛行機の往復分合計80マイクロシーベルト(82μSv 〜 0.1μSv × 22時間)または63%が入っている。0.04~0.05マイクロシーベルトであった原発事故前の日本での滞在と比べ、負担は147マイクロシーベルト、または184%増加したということになる[5]。 これらの線量評価で注意すべきは、日本では現在、どのホテルも西洋式、つまり高いビルで建てられていることだ。夜、ビルの上の方の階に宿泊するということは、ツーリストにとってほぼ毎時0.1マイクロシーベルトの値が軽減されることを意味する(福島市のリッチモンドホテルの6階で)。これだと一日の平均がぐっと減る。屋外、伝統的な1階や2階建ての家、道路などを走っているときの被爆量はずっと高くなることがあり(表2と3を参照)、これが一般の市民の被爆量に相当する。さらに注意すべきは、これらの値が外的な被爆量(外部被爆)であり、食品や呼吸を通じて体内に取り込まれる内側からの放射線同位体摂取ではないことだ。これらはそう簡単に評価できない。 がんばれスローガンと偽りの情報 日本政府や官庁の政治は今のところ、「歯を食いしばってがんばれ」的なムードを広めることにある。日本語が読めれば、だが、ドイツから訪れた旅行者がいたるところで出会う壁や横断幕は、東ドイツの国づくりスローガンを思い出させる。「フクシマ、がんばれ」などの文字が花に飾られ福島市の駅前広場や不動産屋のショーウィンドーにあったりする。「私たちは全力で故郷福島を支援します」とか「笑顔・皆に好かれる福島」、「未来へ向かおう、福島は屈しない」などは福島県だけではなく、あらゆる場所の店のショーウィンドーに見られる。札幌には明治時代に札幌農学校演武場(訳注:原文では旧道庁とあるが間違いと思われるため私の独断で訂正)があった時計台がある。学校の生徒たちがここに集まり、この建物の絵を描いたのが展示されていたが、その1枚には、国家のスローガンがそのまま見えた:「がんばれ時計台!」 公式の20キロ圏内の立ち入り禁止区域以外の線量の高い地域から避難した住民たちは、不確定なことがたくさんあるにもかかわらず、故郷に帰るよう呼びかけられているらしい。そのために今、偽情報のキャンペーンが行われている。偽りの線量測定値もあるが、プレッシャーもある。立ち入り禁止区域と同じくらいのフォールアウトの線量がある地域から避難した住民たちが受け取ってきた月々の金銭的支援はこれまで10万円だったが、2013年4月からはもう支払われなくなる。だからたくさんの人たちは、線量の高い場所に帰り、研究材料の候補者となっていくより他に方法がないのだ。帰還すれば、お子さんたちは無料で検診を受けられるのです、と心配する母親たちに話して聞かせるのである。 さらに解決していないのは、離れ離れになった家族の問題だ。これは京都から札幌まで、福島県内外で第一の問題である。父親たちは仕事のために、または大きい子供たちや子供をもつ母親の兄弟が故郷に残り、どこにも行きたがらない年老いた両親の世話をしている。伝統的に、年老いた世代の面倒を見ることが求められている母親たちは小さい子供を連れて避難し、伝統的な役割ができなくなっている。京都など福島からの避難者たちに無料で住まいを提供する町もいくつかあるが、3年に限られている。 除染の試み 日本のすばらしい風景、ことに福島県の森の見事な秋の紅葉を見ると、まったく事故を起こした福島第一の原子炉から外気に出された放射能性物質の目に見えない危険のことなど忘れたくなる。しかし土が詰められたプラスチックの袋が山積みになってうるのも、よく見かける風景だ。これは、いわゆる「除染作業」が残したものである。公園、学校の校庭、人々がよく集まる寺や公共の場所などの周辺から表面の土を削り取り、空間線量を低くしようとしているのだ。しかしこれは不完全にしかできないし、ある一定の期間しかもたない。なぜならその背景には畑や森や山があり、そこは変わらず放射線を出す物質に汚れていて、風向きや天気によってまたその周辺に飛ばされるからである。「除染など不可能です、放射能をどこかに移動させるだけなのです」と京都大学の今中氏は語る。しかも空間線量というのは、地面の汚染だけと相関関係にあるわけではない。標準には、地面から1メートルの高さのところで測定した空間線量は、もっと広い周辺との別の状況次第でも変わる。従って除染は本当は不可能なのだと、広島大学の原爆放射線医科学研究所の大瀧教授夫妻も、2012年11月18日に福島市での講演会で語っていた。彼らはこうした調査を休みの日に行っているのだと強調していた。 例を挙げよう。東京の世田谷区は「除染」を行った会津の川場に林間学校の寮を持っている。心配した生徒の親たちの依頼で、東京のCRMSは2012年9月8日に除染を調査した。結果はこうだ。土壌の表層5cmを剥ぎ取って新しくした後の地面線量は次のとおり。   セシウム134:4.88±0.64Bq/kg   セシウム137:5.68±0.86Bq/kg  除染された場所のすぐ傍にある落葉:   セシウム134:3546±172Bq/kg   セシウム137:5459±221Bq/kg 焚き火 福島県庁の「これまでどおりに生活しよう」という軽率な市民への勧告は危険な結果を招きつつある。放射性降下物で汚染された畑からはよく煙が立ち昇るのを見かける。農民たちは畑の有機物のゴミや稲などを、堆肥にする代わりに伝統的な方法で焚き火で燃やしているのだ。これにより付着していた放射性物質がまた放出され、舞い上がり、空気で分散されてそれを息で吸い込むことになる。この習慣に反対するイニシアティブもないわけではない。しかし役所が何もせず放っておくので、市民のイニシアティブには農家の人たちにこれの危険性を気づかせるための啓蒙運動をかなりしなくてはならない。 福島のプリピャチである双葉町 立ち入り禁止区域から避難した人たちの問題も、いまだ解決されていない。埼玉県にある旧埼玉県立騎西高等学校校舎には今でも、始め双葉町から避難してきた1400人のうちまだ約200人が住んでいる。事故を起こした福島第一の原子炉から遠くない双葉町の状況は、チェルノブイリのプリピャチに相当する。双葉町の町長井戸川克隆氏は町こそ失ったものの、今でもここの住民たちの利害代表者であり弁護士でもある。私たちが2012年11月6日にこの埼玉の、もと学校校舎にある彼の事務所に迎えられたのは、彼がジュネーブからちょうど帰ってきた後だった。彼はジュネーブの国連人権理事会で、今の問題について報告を行ってきたのである。2011年にベルリンの映画祭で彼や双葉町と、避難を余儀なくされた住民たちについてのドキュメンタリー映画を見て覚えている人もいるだろう。彼がジュネーブで読み上げた講演の原稿を、この放射線テレックスに掲載する許可を得たのでお読みいただきたい(訳注:この翻訳の最後に日本語版の読めるリンクを掲載)。そうこうするうち国連は特別報告者として、弁護士のアナンド・グローバー氏を「達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利」を調査するべく日本、それも福島県に派遣した。2013年春に彼は報告書を提出するつもりだと、福島市のCRMS測定所に2012年11月18日に30分訪れた際、彼は語った。 山下の件 福島県は福島第一で原子炉事故が起きてから、住民たちに健康調査を実施することを決めた。そのために設けられた県民健康管理調査検討委員会は、一般公開の会議の前に「秘密会議」を行っている。この準備会議で委員会メンバーの調査結果に対する意見を「比較」し、「共同の見解」と公開会議でのシナリオをつくり上げていたということが、2012年10月3日付毎日新聞で報道された。 福島県は、この記事報告によれば、この準備会議は「委員会における混乱」を防ぎ、住民たちの心配をなくすために必要だったと説明している。毎日新聞記者の非難を受け、県ではこうした会議が適切でなかったと認め、今後はこのような秘密会議は行わないと表明した[6]。 福島大学医学部の副学長であり同県の原子炉事故後のあらゆる調査研究を統率する山下俊一がこの委員会の会長だ。彼は今では日本の国民の間で、健康被害を顧みずに福島県の住民たちをできるだけ大人しく県内にとどめさせるために雇われている、実に怪しい人物として見られている。2012年11月18日の午前中、彼はまたもや健康管理調査検討委員会の公開会議に出席していた。この会議もしかし、これまでのと同じようにどうやらリハーサルされていたらしい。「予備会議」があったことが、後日認められている。真実味のない和やかな情景の中、山下はほとんど一言も語らず、委員会のメンバーがUの字になって席についている中、その正面の真ん中に特別席が設けられてかなり距離を置いて座っていた。まるで、会議の上空を漂っている感じだ。 まず、医科大学の報告者が、一般市民の外部被爆量はほぼ完全に(99%)実質的線量は1ミリシーベルト以下だったと主張した。ただし避難者の被爆量を計算するのは問題が多い、なぜなら彼らは一箇所に留まらず、あちこちを動いているからだ、という。 別の者が、小児甲状腺がんを診断されたこれまで唯一のケースに関し、これは放射能から来てるかどうか評価をするのは難しい、と述べた。今はまだ何もいえない、というしかない、と語る。 この公開会議の最後の方で、委員会メンバーの二人の女性が質問をし、これからの調査プログラムやり方に関し提案をした。これに対しては決まり文句の回答があった。「検討してから決定します」と。 出席していたたくさんの記者や市民の代表者たちは、2時間も続くこれらの会議を、賞賛に値するほどの忍耐でじっと、大人しく聞いている。しかしとうとう聴衆の一人がかっとなって声を上げ、文句を言った。市民の不安や懸念を、委員会はなんとも思っていないのか、と。 すると、山下は無言のまま会場を去ってしまった。委員会のメンバーたちは驚いて立ち上がり、大声を出した者のことを無視して自分たちも足早に席を立った。記者やカメラマンたちの多くもそれでその場を去ったが、3台のカメラだけが残って、このシーンを撮り続けた。残ったわずかな人たちも、何も質問ができないことに腹を立てていた。 その後、委員会のメンバーのごく数人が、記者の質問には答えてもいい、と言った。鈴木教授は甲状腺がんに関する質問に対し、今はなにも言えない、なぜなら長野県では過去にも、放射線とは関係のない甲状腺がんが数件見つかっているからだ、と答えた。最後には山下もまた現れて席についた。 外部被爆は委員会の報告によれば少ないとのことだが、内部被爆のデータはあるのか、との質問に対し、世界保健機関(WHO)によれば福島の事故前は、1時間当たりの許容値が100マイクロシーベルトだったのに、福島の事故後には50マイクロシーベルトになっている、と山下が答える。しかしこのような線量を見積もるのは大変難しい、と。福島県のホームページでは、この発言が10ミリシーベルトに訂正された。これは、山下の誤りだった、という。2011年3月21日、22日には山下は、20マイクロシーベルトまでなら問題ないといっていた。当時福島市ではこれほどの空間線量があったのだ。 ある記者が、甲状腺がんを診断された子供はいったい何歳なのか、と聞くと、鈴木は子供の個人情報は保護すべきであり、まずは全体の調査結果を待たなければいけない、と答え、それがいつ終わる予定かを話した。そしてチェルノブイリの甲状腺がんは特別だった、たとえばリンパ系にとても速くまわるのだ、と言ってから、足早に会場を立ち去った。 聴衆者から次のような非難の声が上がった。「どうしてこのような調査に金をかけるのだ、誰がたくさん被爆をしたかわかったんだから、その人たちの面倒を見るべきだ」。それに対して山下は、広島と長崎のデータから100ミリシーベルト以下ではなにも確認されていない、と語った。 「この会議にも準備会議があったのでしょう。次の準備会議には私たちもぜひ出席させていただきたい」とあるジャーナリストが要請した。そして、この会議の議事録がインターネットに出されるかとの質問に対しては、いや、公開にふさわしい状態ではないからだめだ、という答えだった。その次の質問に対しては答えもなかった。「ここにはたくさん専門家がいるが、誰も彼も放射線との関係を否定する人ばかりだ。この委員会のメンバーはどのように選ばれたのか?」、それから「IAEAは今度は郡山で一般公開の会議を催すというが、この委員会も出席するのか?」これを山下が否定すると、「誰もそこに行かないのは変だが、ほかにIAEAへの結びつきがあるのか」と質問があると、今度こそ会議は無言のまま終了となった。目に付いたのは、大きな放送局と主要新聞社、そしていくつかの市民メディアが質問をしただけで、地方の新聞からは何も質問が出なかったことだ。 総括:日本の市民、ことに福島県の市民たちは福島の原子炉事故後、不安や苦しみを持ちながら、政府や役所から見捨てられているだけでなく、積極的に偽の情報キャンペーンで言いくるめられ、嘘をつかれ、騙されている。その目的は、チェルノブイリでわかっているような健康被害を一切顧みず、福島県の高線量の地域でも住民を住まわせたままにするためである。それはそこに住むたくさんの人間たちにもわかり、彼らは市民イニシアティブを組んでよりよい情報を集め、自分たちの運命を自分たちの手で掴もうと努力している。これには希望が持てるし、できる限りの支援をする価値があることだ。 感謝:私たちの日本での旅行中、どこに行っても大変快く迎えられ、暖かい手と友情を差し伸べてもらったことに、心より感謝する。
ドイツミュンヘン環境研究所.(広島,長崎,60年.狂気は決して終わらない) この記事から,私達は,広島,長崎を2度と繰り返さない為に,学ぶ事ができます. 私達,日本人は原爆の経験者として,又,原発事故による未曾有の苦しみを経験している中で核兵器廃絶反対の運動をする責任があると思います. 60 Jahre Hiroshima und Nagasaki: Der Wahnsinn nimmt kein Ende 原文.http://umweltinstitut.org/radioaktivitat/atompolitik/60-jahre-hiroshima-und-nagasaki-der-wahnsinn-nimmt-kein-ende-82.html 「ミュンヘン環境研究所から.」 (広島,長崎,60年.狂気は決して終わらない)emi.kiyomizu訳. 「 広島と長崎の原爆投下60年後に警告する.」 国際原子力機関(IAEA)の会長、モハメド·エル·エルバラダイは、2004年に次のように述べている. 核戦争の恐怖は,今日ほど大きいことはない.私は、核兵器が冷酷な独裁者やテロリストの手に落ちることを恐れている。 私は,広島の悲惨な思い出が忘れられるのが恐れる. 原爆60周年記念に,我々はこの機会に,原爆の破滅的な影響を思い出し,そのような,又,それに似たシナリオが繰り返されることを防がなければならない. 「この無意味なエスカレーションは,どのように起こったのか?」 広島の歴史は,日本の真珠湾攻撃から始まる. 米国にとっては,今日でも,警告なしの、もっとも陰湿な攻撃であり,痛い点である. 日本政府の権力による,大きな挑発であった. 東京で日本の研究をしたドイツ語研究所の会長Florian Coulmasによる,最近の証拠で、米国政府に対しての真珠湾攻撃は,とても驚くべきことを示している. 米国は最終的には口実をもって,日本に対して, 軍事行動を行うことを,すでに長く計画していた. 「原子爆弾の使用についての議論.」 第二次世界大戦で,ドイツや、ソ連は原子爆弾が使用される可能性があることを恐れていた. 米国は,最も破壊的な兵器を開発する為に,加速していた. 優秀な科学者達は,物理学者ロバート·オッペンハイマーの巨大な原子力プロジェクトを進めるために "マンハッタン·プロジェクト"に参加した. 最後に、研究者は、1945年7月16日 ,ドイツの降伏後,ニューメキシコ州の砂漠,アラモゴードで, (TNT)21000トンの爆発力を持つ „Trinity“という名前の原子爆弾で核実験を行なった. フランクリン·D·ルーズベルトの急死後,1945年4月に,米大統領トルーマンは新しい秘密兵器に魅力を持った. 戦争の終わりに近ずいていたのに,トルーマンは核兵器を使用しようとした. 1945年6月, 連合軍の諜報特別委員会と米国陸軍省の両方は,日本の降伏を予想することは可能で, 爆弾を使用する必要は無かった. 日本は荒廃し、軍事的にも弱体化していた. モスクワは 最後の同盟国であったが、日本から 回避しようとした. 日本政府のリ-ダ-シップは消失していたのに,それにもかかわらず、トルーマンは、破壊の指令を与えた. ポツダム宣言で要求したように ,日本は 即時かつ無条件降伏した。 原爆の使用は、米国自身の兵士の損失なしに,そして,ソ連の援助なしで,新しい大統領に勝利を与えた. 米国政府は,まだ同盟国であり将来の相手,モスクワ対して,早い段階で壁を作ろうとした. 東欧において,ソ連の優位権力が始まっていた. 又,アジアにおいて権力が拡大される事を,トルーマンは嫌った. そして,緊張状態になり,最終的には冷戦の絶頂に達した. 「日本で使用されるに原爆についてのいくつかの可能性について議論された.」 1.破壊力のデモンストレーションとして、無人の森に投下する。 2.軍事目的の軍需生産工場. 3.可能な限り最大の心理的効果を与える,戦争に免れた都市に原爆を投下すること. *2番目と3番目の組み合わせが選択された. 1945年7月24日に戦闘攻撃する予定された都市は,次のとおりである:広島、小倉、新潟、長崎市。 両方の可能性が満たされる広島は、主要な攻撃都市として選ばれた. 米国は日本が降伏する事を要求したが,1945年7月28日,日本政府は最終的に拒否した. 原子爆弾の使用が決定された. 日本国民に対しての警告はされなかった。 「大惨事の道を取る」 1945年8月6日の朝,13000トンの爆発力を持つ,5000℃の熱さのウラン爆弾„Little Boy“ が 時速1500キロの速度で広島の港町に投下された. 約4キロの半径内は,熱の圧力で,全ての生命が破壊され,耐震に耐える建物だけが残った. 約80,000人が即座に死亡した. 爆発で生き延びた人々は,急性放射線症の症状と戦った. 加えて,感染症や内出血の犠牲者がでた. 攻撃に対しての準備がされていなかったので,主な建物は破壊され,効果的な治療は、ほとんど不可能であった. 数週間以内に、別の60,000人は、放射線被爆の影響で死亡した. 原爆の爆撃の後,アメリカは,日本の国民に知らせる為に, 飛行機で様々な都市に,降伏の要求の紙キレを投下し,ラジオでニュ-スを報道した. 最後の強烈な一撃で、心理的な影響が無いように,日本の降伏を強制した. 日本は降伏に同意しなかったので,さらに爆弾攻撃で脅かした. 1945年8月8日、ソ連は中立協定を発表した. それによって反日本の戦争に入った。 日本は最終的に敗北していた.それでも,まだ降伏宣言をしなかったので,第二の原爆投下が米国によって実行された. 「原子爆弾Fat Manは、日本の残りを攻撃.」 1945年8月9日,爆撃機は小倉の街に向かう. 長崎は攻撃地として,計画されていた. Fat Manは, 22000トンの爆発力を持つプルトニウム爆弾で,そこにある軍需工場を破壊しようとした. また,視界が悪く その攻撃地を逃したが,昼頃,人口密集地に原爆投下した. 壊滅的なシナリオは、長崎で繰り返された. 1キロの半径内の、ほとんど全ての生命が消滅した. 主に木造住宅からなる町は、ほぼ完全に破滅した. 約75,000人は即死し,続いて,原子爆弾の影響として50,000人が放射線の病気になった. 二回の原子爆弾投下で、日本はついに降伏し、第二次世界大戦は終わった。 1998年の最後の統計で,広島の犠牲者は273,212人であった. 長崎で登録された死亡者数は137,339人に増加した。 死者数は増加を続けている。今日までに、毎年1000人が白血病になり,また,様々な癌で死亡しており,終わりが見えない. 「アメリカは正当化しようとする」 トルーマンは,核爆弾の使用は,日本の侵略に対して必要であり,米軍兵士10万人の命が救われたと主張した. 多くのアメリカ人は,この戦争で巨大破壊したにもかかわらず、道徳的であり正しかったと,彼等は思っている 軍事司令官デワイト.D.アイゼンハワーは、ずいぶん早い時期から、軍事戦略的に原爆投下の必要性について、犯罪は不必要で, 米国の前例のない戦争を避けようとしていた. 「全ての核リスクの基礎」 広島と長崎は、大きな研究プロジェクトの出発点である. 戦争後,医師達は 87000人の被爆生存者の健康状態の記録を始めた. 1950年から,日米共同研究で,2つの都市の約12万人の被爆生存者の医学的監視が始まり,様々な調査が行なわれた. これらの研究による知見は、原子力分野におけるリスクの基礎になった. それは原子力発電所の労働者の放射線量を決める為,又,原子力施設における事故の場合の災害防護計画に用いられた. それらは又、私たちの放射線防護規定を決めるために用いられた. 2001年に,ドイツの放射線防護令が改正された.全体の放射線の影響はまだ知られていないが 市民は放射線量1.5ミリシーベルトから、年間1 mSvに減少され確定された. 現在では,誰もが,放射線は、想像していたよりも危険であると認識されている. 「生存者の悪夢」 原爆の被爆生存者は長年,汚名を着せられた。 彼らはハンセン病患者のように扱われた. 差別されない為に,被爆者である事を隠そうとした. 国民の大部分は,彼等と結婚することを恐れ,彼等の子ども達を得ることを避けた. しかし、被爆生存者は "被爆者"として,自分たちの権利と経済的補償と医療保障の要求を始めた. 被爆者は,次の世代に被爆の影響が続くか,まだ,明らかにされていない. 日本政府は,その次の世代、"被爆二世"が,あるいは,彼等の子供たちが被爆者として認めるのを 反対しようとした. 当然、多くの金が原因している.国の研究者は,日本政府の考えを支持した. 広島放射線影響研究所(RERF)の遺伝研究部門の所長,Nakamura Nori氏は, 「私達は、今日でも,次の世代に,原爆にたいする影響が続くか科学的な証拠が無い.」と述べている. 現在まで、日本と米国政府の研究所は共同出資であった. 両国政府は,原爆の影響を最小にしようとしており,放影研の研究者の中立性について疑問が持たれる. 科学者達は,被爆者の2世について,特別に多くの研究をしていない事を自分達で認めている. 初めて,2001年に約10,000人の被爆者について,大規模な臨床研究が始まった。 研究結果は1〜2年かかった.被爆二世の会の会長平野氏は,おそらく,そこに政治的計算がされていると考えている. 被爆者の代二、代三世代が原爆が影響だという証拠があれば、補償のための費用が増大することを日本政府は望まなかった. 「核兵器は世界を安全にしない.」 広島の後60年,警告する. *5つの核保有国、米国、英国、フランス、ロシアと中国は依然として2万個以上の核爆弾を持っている. *イスラエルなど核保有国は,核兵器を保有していることを公然と秘密にしている. *インドとパキスタンは違法である核兵器を持ち,カシミールをめぐる戦争でそれらを使用すると脅している. *さらに北朝鮮は現在、核保有国であると宣言した。 *イランは核保有国クラブに参加しようとする新たな候補者である. *米国は権力として,その核に固執し, 防衛の為に使用する為だけでなく,率先して,核兵器で攻撃している. *2005年5月の代7回.核非拡散条約会議で, 米国だけでなく他の核保有国も,彼らは核兵器の武装禁止をしなかった. *依然として米国は, "核の共有"の傘の下で核兵器を使用する事を維持し, 他のヨーロッパ諸国も準備している. (ドイツ政府は2011年福島原発事故後,脱原発を発表した.) 「人間として許されるべき事ではない.」 原爆60年後も,多くの質問がされている. 科学者達は, 例えば,女性の癌の発生率は男性より2倍多い事や, 被爆生存者の 突然に起こる疲労感や血圧上昇や傷が癒らない等,説明できない. 信頼のある見解ができるのには,まだ時期尚早である。 広島と長崎の恐怖の記憶は,まだ色あせない. 米国は 核のタブーを無視し, 新しい世代の為に,ミニ核兵器を開発し,脅威を与えるだけでなく,実際に核兵器の使用を行い,十分に米国の意図を示している. 幸いなことに、米国上院は、2005年10月後半に,新たな核兵器の開発のための資金提供を中止し, ミニ核兵器の為の資金は削除された. ブッシュ政権はその発表に対応して,破壊する核兵器の開発に努力した. 米国は核戦略に大きく貢献したが,核兵器減少については,まだほど遠い状態である. 他の国を脅かす為に,人民の為の核開発計画を行なっていると装って,違法な核兵器を製造している. この行動が成功していることは,イスラエル、インド,パキスタンが,すでに証明している. さらに北朝鮮も核爆弾を保有している事を発表している. イランが、原子力を保有している事を発表するのは時間の問題と思われる. 米国政府は自分達にとって,爆弾は問題ではなかったが, "間違った手"に所持されるのは望まなかった. だから,米国上院は,新たな核兵器の開発を拒否し,ミニ核兵器の準備が終了されたことは,非常に歓迎されることである. しかし、他の国の核武装への取り組みは、もはや止める事はできない. 「軍縮はされていない.」 2005年1月10日の環境ニュースで,核の無い世界を作るために,私達は緊急な行動を実行する必要がある,と述べてている. これに加えて,2010年に広島市長は, 国際的に法的拘束力のある,核兵器禁止条約が必要であると要求している. 核の新興国が,独自の核兵器開発を放棄することにより,これが実現できる. 北朝鮮やイラン,どの国も,核禁止が必要である.自分達自身が核武装を解除する必要がある. 核のない世界を実現することは,続いて広島や長崎のような事が起きないという事である. Lichtner Sumiko 2012/11/10 ミュンヘン環境研究所からの(広島,長崎,60年.狂気は決して終わらない)を和訳しました. これは,日本の人達にとって,役に立つか分りませんが,広島,長崎は2度と繰り返されない為に,学ぶ事ができます. 私達,日本人は原爆の経験者として,又,原発事故による未曾有の苦しみを経験している中で核兵器廃絶反対の運動をする責任があると思います. 60 Jahre Hiroshima und Nagasaki: Lichtner Sumiko さんの表示アイコン
IPPNWドイツ支部の記事,(広島と長崎の原子爆弾による後遺症) http://www.ippnw.de/commonFiles/pdfs/Atomwaffen/Medizinische_Spaetfolgen_von_Hiroshima_und_Nagasaki.pdf 原爆の医学的な影響は数多くあるが。ほとんどは、放射線被爆で起る疾病である. 加えて,負傷による障害のように,社会的,精神的ストレスがある. 過去50年間以上にわたり、癌の率、特に乳癌、甲状腺癌、肺癌や血液癌(白血病)が広島と長崎の住民の中で,大幅に増加した。 疫学的データの収集は非常に違っているので,正確な数は確定できない.(下記参照) 他の疾患では、例えば,貧血、緑内障、ケロイド,および先天性奇形,疲労症状により "原爆ブラ·ブラ病",めまい、痙攣、等が原子爆弾の影響により起こっている. 又,肝臓や心臓疾患,トラウマなどの心理的影響などが後の被爆影響として,数多く報告されている. 原爆投下後の最初の年は,感染症、ホームレスなどで多くの犠牲者がでた. 約4,000人の子供たちが,両親を失ったと推定できる.本当の数字は、はるかに多いと思われる. 完全に破壊された。瓦礫を片付けるのに、4年の歳月を要した. 老人達は,彼等を助けてくれる家族が無い状態であった. さらに,トラウマを通して心理的影響を引き起こし,罪悪感(死人に対しての)や,生存者にたいしての非難は,心理的,心身症を起こした. さらに、人々はまた,全く新しい経験で非常に不安定な状態であった. 続いて死亡するので,被爆した人々は皆,死亡するだろうと思い,大きな恐怖感を抱いた. "放射線被爆に対する評価の間違いは,今日も続いている" 広島,長崎の原爆の被爆者は,今日では,放射線被爆による影響を科学的予想できるただ1つの人達である. しかし,後遺症として起こる、癌の発生や死亡率は,統計的に間違いがある. したがって,長年にわたり放射線のリスクは大きく過小評価された. ごく最近まで,有る線量迄は,放射線は無害であるとされた. 広島と長崎の原爆攻撃の5年後, 米国の研究機関(ABCC)が日本で設立された. 原爆の生存者,約20000人が登録された.そして,2年毎に検査された. この研究所は1975年に日本に主権が移り,放射線影響研究所 (RERF)と改名された. 全ての2万人の被爆生存者だけではなく,高放射線被爆した人達も,対象グル-プとしてみなされた. 1950年代に,放射線の低線量にさらされた対象グル-プの1部において科学的調査がされた.爆発の中心部(爆心地から始まる) {2.} 人々は、さまざまな同心円に(爆発中心地から)割けられた. 200ミリシーベルト(mSv)の放射線量を被爆した,低放射線量グル-プ(と呼ばれる)は100.000人だった. これらの人々のデータに基づいて,線量率曲線を示した. 放射線被爆の計算で,被爆した低放射線量グル-プは,放射性降下量は無視された. また、中性子線も含まれていない. もう一つの問題は、対照グル-プの選択であった. 米国研究所は広島,長崎の原爆が落とされた中心地の人達を選択しなかった.(市外地の人達を選択した) でも,対照になったグル-プの人々は,放射性降下物で数回被爆した人達であった. したがって,同じように被爆したグル-プの中での(放射線による健康被害の)差は小さい. 明らかに,登録された人々の放射線の影響が過小評価されている. このような偽の科学的なデータに基づいて,放射線曲線が作成された. この資料は,低放射線被爆した人々や,危険な放射線の影響を受ける人々の労働安全基準などに,長い期間,使用された. 1970年代半ばまでの,科学的な考えは,低レベル放射線による健康への影響は無いとされている.(白血病を除いて) しかし.広島,長崎原爆25年後,対象にされたグル-プで腫瘍が増加した. しかし、低エネルギーのX線より,高エネルギーガンマ放射線は生物学的に危険であると認められなく,厳しかった. 日本の被爆調査対象グループのデータに対しての批判は,被爆生存者のグル-プの中で,健康な人が多数いることが,考慮されていない. 又,最初の5年間で多くの人々は,検査が始まる前に死亡した.さらに多くが戦争中に死亡した. 社会的な差別で,生存者は "被爆者"として扱われ,多くの人々は偏見のため秘密にしていた. 加えて、1945年-1950年までに生まれた奇形の子供が多数いるが登録されていない。 50年代に、英国の疫学者 Alice Stewart は,妊娠中のX線診療で後で生まれて来る子供が白血病になることを発見した. この診断は,双子や 胎児位置異常にも関係する. 50年後の今日,白血病のリスクにおいての知識は,(無数の試みにもかかわらず否定されたが)一般に科学的に受け入れられた. 放射線防護国際委員会ICRPは、最終的に受け入れた. ICRP,権威ある諮問委員会は 先進諸国の興味しだいの,規定を維持している. 低放射線量被爆した国民が,たとえば診断用X線によって,又は自然放射線により突然変異が起こり,癌が発生すると推定されることは残念である. {3.} 放射線量増加とともに癌や疾病が増加する確率を示すことができる. 放射線量被爆を少くすれば,癌の可能性は低い.半分の放射線量で、半分の結果がでる. そして放射線量が0ならば,リスクも0になる. 人間の放射線被曝の影響は放射線量により死を受け入れることを意味する. {4.}-2.(Hall X (2002):原爆による人体の長期的な影響.核兵器.AZ.) http://www.atomwaffena-z.info/atomwaffen-geschichte/einsatz-von-atomwaffen/langzeitfolgen/index.html Atomwaffen A-Z | Langzeitfolgen (原爆による人体の長期的影響) 今日まで,原爆投下による被爆生存者は半世紀を経過しているが,放射線の影響により,癌の病気で死亡している. 犠牲者については少しだけしか知られていない.ほとんどの人は(多数の幼児を含んでいる)最初の5年間で死亡している. これらの人々についての統計は無い. 死亡者は,ほとんど調査されなかった.理由は,行方不明だったり,死亡者は腐敗の理由で,急いで焼かれた. 解剖されても,臓器は変質していた.死亡者の血液において,骨髄の急性損傷だと確定することはできなかった. 原爆の影響での,流産や死産の正確な高い数を知ることができない. 高い放射線被爆により,胎児の遺伝的損傷が発生する. 胎内被爆で生まれた多くの赤ん坊が精神的、身体的な障害が現れ.他の子供たちよりも遅い発達を示した. 1950年から,広島と長崎の犠牲者はABCC(原爆傷害調査委員会、米国と日本の共同機関)により, 1975年から、RERF(米国国立科学アカデミーの支援の下に放射線影響研究所)が調査した. これらの研究の結果では,低放射線被爆の影響で起こる障害について,専門家の意見が統一されていない. RERFは1950年-1954年までの期間と1978年まで,白血病の発生率が増加しているのを報告している. 広島の人達の、白血病率は15倍であった.長崎の人達は,日本の人口と比較して,白血病率は7倍高かった. 他の癌の発生は後に報告されている. 1955年から,甲状腺癌の発生が増加した.1965年から、乳癌、肺癌が増加した.そして,1975年からは胃と大腸癌の発生が増加した. 遺伝子損傷と一般的な健康の悪状態はRERF(放射線影響研究所)は調査していない. 放影研は,高放射線にさらされた被爆者の間で,癌の発生率が高いことを発見した. 大半の人々は,低放射線量被爆であった. 放影研は、病気のリスクが増加すると信じなかった。 しかし,後に,低放射線量被爆によっても,癌を引き起こす可能性があると報告している. しかし、放影研の科学者の権威は大きかった.その背後に非常に強力な​​政治勢力があった. この結果,他の科学者が誤りを指摘しても認められなかった. 放影研は一般的疾病の貧血、特別の血液疾患,白内障などは、調査しなかった. 放射線とは何の関係もないと放影研は説明した. この報告は.他の科学者から認められなかった. 又、一般的に"原爆ブラ·ブラ"病、疲労、めまい、けいれん症状などが知られている. RERFはストレスの原因によって起こる精神疾患と決めた. 放射線が原因で遺伝子損傷が続くということは,今日まで明らかでない. 又,後に,2世代だけ遺伝子損傷を継続するということも,まだ明らかでない.

2013年7月1日月曜日

ドイツTAZ紙:デルテ・ジーデントプフ医学博士インタビュー.これから日本の方々を襲おうとしている健康問題は想像を絶します。しかも政治と原子力産業はそのことを黙認しているのです! http://sekaitabi.com/taz.html 「一番ひどいのは、責任者達がチェルノブイリから何一つ学んでいないことです。 チェルノブイリ事故よりもさらに規模の大きい福島原発事故に対する対応ぶりには、私は茫然自失としています。 日本政府が避難地区を事故に見合った範囲に拡大しなかったこと、女性や子供達を即座に安全な南部に避難させなかったことに対しては、ただただやり場のない怒りを感じるだけです。 そうした適切な措置を取る代わりに、国民はシステマティックに騙されてきました。実際の危険に関する情報は伝えられない、あるいは伝えられても誤った情報である。なんという無責任でしょう。 これから日本の方々を襲おうとしている健康問題は想像を絶します。しかも政治と原子力産業はそのことを黙認しているのです! 世界中で! チェルノブイリの先例を見れば、事故の規模についてはある程度想像が出来るでしょう。多くの人々がチェルノブイリははるか昔のことだ、ウィキペディアで調べられるような過去の事故だと考えています。しかし汚染地域の住民達は1986年から現在までチェルノブイリ事故と共に生活してきているのです。 事故による被害は収束するということを知りません。自然災害と違って、原発事故の被害は時間の経過と共に減少していく代わりに増大していくのです。しかもその期間は今後少なくとも300年間にも及びます。 このことに関しては後ほどもっと詳しくお話しましょう。(Gesundheitliche Folgen von Tschernobyl, 20 Jahre nach der Reaktor- Katastrophe )」 人々は何十年にも渡って汚染地域で生活してきた その前にまず 何故私達が援助活動をベラルーシーで始めるようになったのか、 手短にお話しましょう。 チェルノブイリ事故による汚染地域の大部分はベラルーシにあるのです。 当時のソ連邦に降下した放射性物質の70%が当時の旧ソ連ベラルーシー共和国に降り注ぎ、国土のおよそ四分の一が放射能汚染されました。ベラルーシーの国境は原子炉から約15キロの距離にあります。 それだけではありません。事故後、風向きが変わって放射能雲がモスクワに向かい始めたとき、ヨウ化銀を用いた人工雨によって、大急ぎで放射性物質のベラルーシー領域への降下が促進されたのでした。もちろん住民には何も知らされませんでした。 五月初旬のよく晴れた日、突然空からべとべとした黄色い雨が落ちて来たと人々は語ります。このことは長年の間住民に明らかにされず、ただ移住が行われ、指令が出され、人々をなだめすかせるようなことが行われただけでした。計測器は厳重に禁止されていました。 特に汚染がひどかったのがゴメルとモギリョフでした。このモギリョフ地方にあるのが、私が20年来足を運び続けている小都市コスジュコヴィッチなのです。 ゴメルとモギリョフ両地方は大きな面積が放射能汚染され、約百万人が移住させられましたが、移住を実行するためにはまず大きな都市や区域に家々を建設しなければなりませんでした。 ミンスク(ベラルーシー首都)周辺には大きな街が建てられました。新しい住居に移住できるようになるまで、多くの人々は十年間も汚染地域に住み続けなければなりませんでした。そして今でも多くの人々が汚染された土の上に住み、農業に従事しています。 ソ連邦が崩壊した後には、こうした措置の責任はすべてベラルーシーが負うことになりました。私達の「区域」だけでも8000人の住民が移住させられました。26の村が取り壊され、土に埋められました。 放射能汚染地域の村々の多くは、空っぽのまま取り残されています。そこには老人達が帰郷したり、町で生活していけないアフガニスタンやチェチェン戦争の旧軍人達が住み着いたりしています。 チェルノブイリ周辺の閉鎖区域でも似たような光景が見られます。古い村に人々は電気も水道もないまま住み続け、自分達の手でなんとか生き延びています。 この地域の地面は砂地です。ベルリンと同じで、白樺の森はベルリンからモスクワまで続いています。この土地では地下水は浅く、放射性物質が年に2センチずつ沈下していくと考えると、現在では地下50センチまで達していることになり、地下水まであとわずかです。 国家予算の半分 そういうわけですから、彼の地では大々的な変革が起こりました。ベラルーシーは莫大な医療費を負担しなければいけませんでした。チェルノブイリ事故後十年、十五年に渡って行われてきた国土に対する対策、校庭の除染ですとか、取り壊しなど。 いったいその汚染土がどこに運ばれていったのか私は知りません。こうした費用はすべてベラルーシーが負担しなければなりませんでした。おそらく国家予算の半分はチェルノブイリ事故処理のために消えていったと思われます。 とうとうある時期、ソ連時代のような比較的気前の良い措置を実施し続けることは望まれなくなり、また続けることも不可能になったのです。 ルカシェンコ大統領がチェルノブイリ事故は収束したものであり、博物館に収めるべき過去の出来事であると発表したのはそのためです。放射能汚染されていたベラルーシーの地域はすべて安全になったと公式表明されました。 旧リキダートア達(事故処理作業員)で証明書を保持する者には、事故後20年間、「石棺費」と呼ばれる補償が支払われてきました。また移住をさせられた人々も請求権を所持していました。こう言った手当てが広範囲に中止されてしまったのです。 決して多額ではありませんでしたが、その他に無料に施されていた医療手当ても廃止されてしまいました。またチェルノブイリ事故の影響と認められてきた幾つかの病気も、現在では容易には認められなくなりました。 事故を起こしたチェルノブイリ原発とその周辺地域には、およそ百万人の「事故処理作業員」 が送られました。ほとんどが若者です。そして多くがベラルーシー出身でした。今日こうした作業員のほとんどが身障者です。肺癌、甲状腺癌、心臓疾患、腎臓や胃腸の障害、白血病のほか、精神病を病んでいる者もあります。すでに約十万人が40~50代で亡くなっています。自殺をした者も数多くあります。 それなのにあっさりと「チェルノブイリは過去のものだ」といわれるのです。ミンスクでは抗議運動が起こりました。そして現在キエフでも旧リキダートア達が、ウクライナ政府が目論んでいる年金や手当て打ち切りに対してハンガーストライキを行ったところです。 例えばベラルーシーでは、被害者達は幼稚園や学校給食が無料だったり、子供達は特別のヴィタミン剤や保養を受けることも出来ました。保養こそ今でも年に一度受けることが出来ますが、その他の措置はすべて打ち切られてしまいました。ヴィタミンたっぷりの給食もです。 被害者達は今でも証明書を所持していて私達に見せてくれますが、実際には価値がなくなってしまったわけです。事故当時の請求権はすべて廃止されてしまったのです。そもそも収入が少ない上に体も壊している人々にとって、こうした廃止や短縮はすぐに響きます。 今もちょうど共同体は毎年恒例の増税を行ったところです。つまり水道代と暖房費。例えばこの暖房ですが、田園地帯を通って耐寒措置の施されていない配管から都市や大きな住宅、団地に送られるので、途中で多くの熱が失われてしまいます。そして人々は失われた暖房分も支払わなければなりませんから、村に住んだ方が安くあがることになります。 国民の生活を圧迫する国家巨大赤字は、確かにチェルノブイリ事故処理を原因とする面もありますが、ずさん極まりない経済体制によるところも大きいのです。 ベラルーシーのハイパー・インフレは目下113パーセントにも昇ります。国民の平均所得は月々150~300ユーロ(約1万5千円~3万円)です。外国での就労は認められていません。 反対運動はまったく存在を許されない ベラルーシーと新たなEU参加国であるポーランドやラトヴィア、リトアニアへの国境は非常に近いです。 しかし問題はお金や国家破綻の脅威だけではありません。20年間この国はどうにも民主主義を樹立させられずにいるのです。政権に対する反抗はまったく許されません。それでもなお抗議運動が起こるのです。新しい原発建設と言うとんでもない政治決定に対する抗議です。 ベラルーシーは原発を所持しません。しかし福島原発事故後間もなくルカシェンコは、ロシアの支援を受けて、リトアニアとの国境から20キロの場所にあるオストロヴェッツに原発を建設すると発表しました。その後ルカシェンコとプーチンの間で契約も締結されました。 建設費用は50億ユーロ以上掛かると言われていますが、この新型でまったく安全な原発により、クリーンで安価なエネルギーの供給が可能になり、雇用も増加するというお決まりのプロパガンダが行われています。東でも西でも原発産業はまったく変わりません。 (中略:デルテさんのベラルーシー訪問や支援活動について語られますが長いのでいったん略させていただきます) さて、現地の人々の健康状態についてお話しましょう。ドイツでは耳にすることのない内容です。重要なことは次のことをよく念頭に入れておくことです: 事故から時間が経過するとともに、人々の健康と生物学上の被害は甚大になっていくのです。ドイツ政府もマスコミも、ルカシェンコ大統領と同じ様にこの事実から目を逸らそうとしています。事故は過去のもの、博物館入りしたものと言う政治決定がなされたからです。 身を隠す母親たち チェルノブイリ事故後、様々な異なる被害の波が発生しました。 最初の波はまず成人に襲いかかりました。リキダートア達、放射能汚染した村を訪れた医者やその他の人々、そしてそう言う場所に住んでいた人々の多くが間もなく癌で亡くなったのです。 またもう一方で、間もなく子供達も被害を受け始めました。ベラルーシーではヨード不足が蔓延しています。ベラルーシーには海岸がありませんから。 その点日本は幸運でした。蔓延するヨード不足のため、ベラルーシーの子供達は甲状腺に大量の放射性ヨウ素を取り込んでしまいました。放射性ヨウ素は半減期が短いので、最初の十日間で取り込まれたことになります。 またチェルノブイリ事故後、被害を受けた妊婦を全員堕胎させる試みが行われました。しかし一部の妊婦達は身を隠してしまったのです。 そしてその翌年生まれてきた子供達の間にも、甲状腺癌が現われたのでした。甲状腺癌はチェルノブイリ事故以前には子供にはまったく見られなかったのに、今では4000人の子供の甲状腺癌がベラルーシーでは公的に認められています。 この子供達は手術を受け、放射性治療を受けました。それでも一生ホルモン投与を続けなければ、クレチン病 (甲状腺機能低下による先天性の病気; 体の奇形・白痴症状を伴う)を患ってしまいます。 こうした一連の治療は、後年発症した機能障害のケースも含めて、事故から25年が経過した今日でも無料で行われるべきです。 続く世代には血液の病気が増発しました。ですから私達は「チェルノブイリは遺伝子の中で荒れ狂っている」と表現するのです。 そしてこの現象はあと300年間続くことになるでしょう。これはストロンチウムとセシウムの半減期30年を十倍して計算した大まかな期間です。そして少なくとも7から8世代を意味します。 半減期が2万4千年のプルトニウムには言及しません。糖尿病も問題の一つで、成人のみならず子供や特に新生児に見られます。かつてはありえなかったことです。 糖尿病に対して、ベラルーシーは二種類のインシュリンを購入して、すべての患者に対応しようとしています。しかし子供には少なくとも三種類のインシュリンが必要です。これはNGOが面倒を見なければ、手に入らない状態です。NGOはまた、不足している知識を人々に広める役割も果たしています。 さらなる問題としては、子供の視力障害、白内障が挙げられます。また女性の間では乳癌が増加し、患者の多くは5年以内に命を落としてしまいました。もしかしたら被曝によって引き起こされる癌は、通常の生活の中で発生する癌よりもタチが悪いのでしょうか? 奇形の数も増えました。堕胎は大きなテーマです。ベラルーシーには避妊費用を負担できる人がほとんどいないのです。ですからこれは大きな問題です。 また逆に不妊に悩む夫婦の問題も発生しています。コスチュコヴィッチでは30%の夫婦が、望まない不妊に悩んでいます。また現在6,7,8,9歳の子供達の間で悪性腫瘍が増加し、新たな問題となっています。脳腫瘍や骨の腫瘍です。 まだまた問題はあります。放射能汚染した地域では、傷口がなかなか癒えないのです。これはドラマチックでした。 原因は免疫力の低下。骨に取り込まれたストロンチウムのせいです。骨の中では血液が製造されますが、それが常に被曝を続ける状態になるわけです。ちょうどエイズと同じような状況で、抗体が製造されなくなるために予防接種が効かないのです。 そのために予防接種にも関わらず急性灰白髄炎(ポリオ)が増加しました。予防接種が効かなくなったせいと栄養状態が悪いせいで結核も増加しました。 その上人々は自家菜園に雨水を撒き、秋になると今でも汚染度の極めて高いキノコや野いちごを収穫します。 傷ついた細胞 被曝が直接引き起こす健康被害にはまた、身体又は精神に障害を持つ子供の増加があります。女性の卵巣は胎児の状態ですでに形成されることをよく知っておかなければなりません。 そして細胞の多くは約8百万個の卵胞に発達します。母体が受けている傷はすべてこうした細胞に伝達されます。胎盤という保護膜がありますが、よりによって放射性物質はこの部分に凝縮しやすいのです。傷ついた卵子は修復されることができません。誕生時に1~2百万個が傷ついていることになります。 思春期では約40万個がまだ残っています。依然傷ついたままの卵子を持った母体が妊娠すると、それに応じた障害が引き起こされるのです。 もう一つ知っておかなければならない大事なことがあります。 こうした遺伝子の障害や癌と言った症状の原因はすべて低線量被曝だということです。これはリキダートア達を襲った被曝症状とは別物なのです。そして責任者達はこのことを頑なに認めようとしていません。 身体に取り込まれた人工放射性物質が内臓器官を傷つけるのは、波長の短い放射線を発するためです。放射性物質が細胞を傷けた場合起こりえる現象は四通りあります: 1)細胞は即死する 2)細胞の機能が障害を受ける 3)細胞は劣化し癌に変わっていく 4)細胞は修復される 4)が可能なのは成長した細胞だけです。胎児には修復機能は全く備わっていませんし、子供の細胞も修復はできません。子供の細胞は成長と分裂を行うように出来ているだけで、修復機能は徐々に取得されていくものなのです。 そのため、子供達はひときわ被曝の脅威にさらされています。福島の妊婦と子供達が即座に避難させられなければいけなかったのもそのためなのです! 原子力産業の規模というものは、私達などにはまるで想像も及ばないほど巨大なものです。あまりに多くの経済的利権、お金が背景に絡んでいます。 そして原子力産業とそのロビイスト達(これに含まれるのは政治家や関連組織ですが)は、徹底して冷笑的な存在であり、それに見合った行動を取ることだけは私達にもわかります。 まずは被曝許容基準量が一番の例です。ベラルーシーとウクライナでさえ、被曝許容基準は私達(ヨーロッパ)よりも低いのです。 とにかく世界には完全に中立の機関が一つとして存在しないのです。WHOには、放射線防護の専門家はたった1人しかいません。それにどっちみちWHOは発言なんてできないのです。放射線問題に関しては完全に口を封じられてしまっているからです。 1957年にIAEA(世界原子力機構)との間に結んだ協定によって、WHOは、本当の放射能危機に関するいかなる報告を行うことも阻止されているのです。 私達はこの口封じの協定を断固として弾劾しなければなりません。IPPNWはこの協定の破棄を求めています!この協定を破棄することで、WHOはようやく自らの憲章前文を正当に実施することが出来るようになるかもしれません: 「最高水準の健康に恵まれることは、 あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつ」 IPPNWは、2011年8月に公表したFoodwatch リポートにおいて明白な表現を行っています: 「許容基準の設定とは、結局のところ社会が許容する死亡者数を意味する」 デルテ・ジーデントプフ医学博士について 医学博士デルテ・ジーデントプフ。1942年オルデンブルグ(北ドイツ)生まれ。 同地でアビトゥア(大学入学資格)まで学び、1961年からヴュルツブルグ、ベルリン、ゲッティンゲンで人間医学を学ぶ。1966年学位取得試験、1968年博士号取得。1967年結婚し、子供二人を持つ。1970年からはヘッセン州ディーツェンバッハの共同診療所に一般医・心理セラピストとして常勤。2003年現役引退。 ジーデントプフ博士は1981年の創設当時からIPPNW (核戦争防止国際医師の会)に所属する。90年代はじめ「ディーツェンバッハ・コスチュコヴィッチ友の会財団」を設立。年二回、ベラルーシに医療器具、衣服、自転車、ミシン、コンピューターなどの支援物資を送付するなどしている。 ドイツでは20年来、チェルノブイリの子供達のための療養滞在が組織されて来ている。ディーツェンバッハ市ではホストファミリーが毎年夏にベラルーシーの子供達を迎える。
木下黄太「報告:日本列島は被曝地帯と化している」 (松井英介「低線量」内部被曝から子どもたちのいのちと人権をまもるために.)