2012年8月31日金曜日

(捨て場なき原発ごみ 10万年消えない危険・・・ 前編) (捨て場なき原発ごみ 10万年消えない危険・・・ 後編)
IPPNW「チェルノブイリ健康被害」新報告と、首相官邸資料「チェルノブイリ事故との比較」との驚くべき相違. http://peacephilosophy.blogspot.de/2011/04/blog-post_17.html

2012年8月30日木曜日

(今、福島の子供たちに何が起きているか、甲状腺障害 、呼吸機能、骨髄機能の考察・・・深川市立病院内科医師松崎道幸氏の論文) http://radiation7.blog.fc2.com/blog-entry-371.html 甲状腺障害 1. 内外の甲状腺超音波検査成績をまとめると、10 才前後の小児に「のう胞」が発見される割合は、0.5~1%前後である。 2. 福島県の小児(平均年齢10 歳前後)の35%にのう胞が発見されていることは、これらの地域の小児の甲状腺が望ましくない環境影響を受けているおそれを強く示す。 3. 以上の情報の分析および追跡調査の完了を待っていては、これらの地域の小児に不可逆的な健康被害がもたらされる懸念を強く持つ。 4. したがって、福島の中通、浜通りに在住する幼小児について、避難および検診間隔の短期化等、予防的対策の速やかな実施が強く望まれる。 5. 以上の所見に基づくならば、山下俊一氏が、全国の甲状腺専門医に、心配した親子がセカンドオピニオンを求めに来ても応じないように、文書を出していることは、被ばく者と患者に対する人権蹂躙ともいうべき抑圧的なやり方と判断せざるを得ない。 呼吸機能、骨髄機能 1. 福島県中通地方は、チェルノブイリの高汚染地区に匹敵する放射能汚染が続いている。 2. チェルノブイリの疫学調査から、そのような地区に長期間居住する子供たちに深刻な呼吸機能異常と骨髄機能異常が見られることが指摘されている。 3. 将来のあるこども達に起こるおそれのある不可逆的な健康被害を予防するためには、速やかに汚染地域から避難する必要があることは明白であり、それこそが痛苦のチェルノブイリ事故から我々が学び取るべき教訓である。  (医師松崎道幸氏の論文.) http://1am.sakura.ne.jp/Nuclear/kou131Matsuzaki-opinion.pdf

2012年8月29日水曜日

【福島】IPPNWが勧告「子供や妊婦の被曝を年間1ミリシーベルト以下に」 http://alcyone-sapporo.blogspot.de/2012/08/ippnw.html?spref=fb ノーベル平和賞。核戦争防止国際医師会議。IPPNW。 ☆被ばく年1ミリシーベルト以下に=ノーベル平和賞団体が勧告―東京 (時事通信) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120829-00000062-jij-soci http://www.webcitation.org/6AGuhSSOV 勧告では、子どもや妊婦の被ばくが年1ミリシーベルト超と予想される場合、移住を希望する人の住居や雇用、教育などを支援するよう求め、東京電力福島第1原発事故で1ミリシーベルト超の被ばくをした人の登録制度を早期に確立することも要望した。 《おまけ》 ☆Scientists fear increased genetic defects in Fukushima (ドイチェ・ヴェレ) http://www.dw.de/dw/article/0,,16170549,00.html http://www.peeep.us/73baa3bd A series of ultrasound examinations conducted on over 40,000 children in Japan found 35 percent of the children to have lumps or cysts. "That is not normal among children," Eisenberg, who is also a retired pediatrician, told DW. He added that the figure was alarming. He, along with some of his colleagues, requested access to Japan's birth statistics for the time since the disaster at the Daiichi nuclear power plant in Fukushima. As of now, he is still waiting for access to be granted. 日本の40,000人以上の子どもたちに一連の超音波検査を実施した結果、その35%にしこりや嚢胞が見つかった。 「子どもたちにとって、これは普通じゃない」と、かつて小児科医でもあったアイゼンベルグ氏は語った。同氏は、何人かの同僚とともに、福島第1原発の大事故があってからの期間について、日本の出生に関する統計を取得できるよう要請している。いまのところ、取得が認められるのを、同氏はまだ待っているところだ。
3/3 国際シンポ「福島原発事故と健康問題~教訓と課題」
2/3 国際シンポ「福島原発事故と健康問題~教訓と課題」 東京電力福島第一原発の事故は、子どもたちを含む多くの被災者、原発労働者そ して全国の人々の健康にどのような影響を与えているのか。 福島における健康管理対策の現状はどうなっているのか。 事故後の経過の中から、私たちが学ぶべき教訓は何か。 健康対策と被害の予防のために、今後どのような措置がとられるべきか。 その中で医療者が果たすべき役割は何か。 1985年にノーベル平和賞を受賞した国際組織「核戦争防止国際医師会議 (IPPNW)」の世界大会が8月24~26日に広島で開催されるのに合わせて開催されるこのシンポジウムでは、同会議の医学者らを討論者に交えて、国際的な視点からこれ­までの教訓と今後の課題を議論します.
1/3 核戦争防護国際医師団体Ippnwとの国際シンポ「福島原発事故と健康問題~教訓と課題」

2012年8月28日火曜日

こうして住民避難はどんどん後回しにされた. http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35976
(子供の甲状線癌について.Josefson Zimmerman の論文). 小児の甲状腺結節の発生率は、臨床研究では1%から1.5である.甲状腺結節のある子供は、甲状腺結節のある成人と比較すると、悪性の甲状腺疾患発生率が4倍も高い危険性がある . 変化性の甲状腺癌は,一般的には小児内分泌腫瘍である.小児期において,悪性腫瘍(0.5%から3%)になる. 甲状腺は、一般的には2次の腫瘍につながり 悪性腫瘍に対しては放射線治療を受ける.. 甲状腺癌は成人では広く研究されているが小児科の文献は、はるかに少ない. なぜならこの病期は希で少いからである. 甲状腺癌を持つ子供には,その原因,病気の状態、臨床症状、治療などの詳細なケア-が必要である 小児(患者)においての放射線治療については、多数の異議論がある. http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18806721
「原発差止判決」を書いた元裁判官、官邸前で訴える http://ht.ly/dfe3L 数ある原発差し止め訴訟で次々と原告住民側が敗れる中で、ただひとり「原発差し止め」判決を書いた裁判官がいる。その2006年3月の判決文では、多重防護策が有効に機能しない可能性や炉心溶融事故のおそれが指摘された。判決はその後高裁で覆(くつがえ)され、最高裁で原告敗訴が確定したが、判決文の中で指摘された重大な原発事故は、判決からわずか5年後、現実のものとなった。 文部科学省前で、「ふくしま集団疎開裁判」の支援者らに紹介される井戸弁護士。(撮影・三上英次 以下同じ)  勇気ある判決文を書いた金沢地裁の井戸謙一裁判長(当時)。いまは滋賀県で弁護士として多忙な日々を送る井戸氏が、8月24日に上京し、官邸前で福島原発事故についてマイクを握った。以下はその要旨である。 ◇  今回の福島での事故、原発事故が起きてしまったということもたいへんショックでしたが、それにもまして、私は2つのことに大変驚きを禁じえませんでした。  ひとつは、これほどまでに国が国民を守らないのかということです。福島の人たちにヨウ素剤を配らない、スピーディ(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータを隠す、そして、極めつけは年間20ミリシーベルトまでの被ばくを国民に強要するという姿勢です。もともとの年間放射線量の許容限度は1ミリシーベルトなのです。その20倍もの放射線量を、子どもたちを含めた国民に強いるなどいうことは断じて許されません。  今後、「第2のフクシマ」を起こさないということは大事なことです。しかし、それ以上に大切なのは、いま、現に苦しんでいる人たち、放射能の危険にさらされている人たちを助け出さなければいけないということです。  ソ連は事故から5年経って、避難活動を本格化させました。いまなら、フクシマは事故から1年半です。今からでも遅くありません。放射能の被ばくは少なければ少ないほどよいのです。まだ間に合います! 文科省前で、伝統的な福島盆おどりをおどって「集団疎開」も何もしない文科省に抗議の意を示す人たち。列のいちばん後ろにゼッケンをつけた柳原弁護士の姿が見える。そのゼッケンにはこう書いてあった。「福島の子どもたちの、言葉にならない言葉に、どうぞ耳をすませてください」  ふたつめの驚きは、政府が平然と国民の意思を無視し続けていることです。日米安保の時、岸首相は「安保に反対しているのは、ごく一部だ」と言い(自らの立場を正当化しようとし)ました。しかし、今のこの状況を見れば、大多数の国民が、国の原発推進策に反対していることは明らかです。  原子力規制委員会の人事を見てもそうです。いわゆる「原子力ムラ」の人間を、委員会の過半数を超える委員に任命するなど、まともな人事のはずがありません。  いったい誰のために政治をしているのか?  何のために政治をしているのか…と強く疑問に思います。 ◇  続いて、その井戸弁護士とともに「ふくしま集団疎開裁判」で代理人を務める柳原弁護士からも、「マスコミが報道しないこの裁判について、多くの人に知ってもらいたい」とあいさつがあった。  わわざわざ滋賀県から駆けつけて、官邸前の抗議行動の熱気を感じた井戸弁護士、あふれかえる人波について「今日初めて見て、人の多さに驚きました。これだけの人たちが集まるというのは、それだけの危機意識を人々が持っているということでしょう。こうやって一般の人たちが行動を起こし続けるというのは、ある意味で希望ですね」 井戸弁護士は最終の新幹線で滋賀にとんぼ帰りだったが、それにはわけがある。翌25日には、彦根市で初めて反原発の抗議集会が開かれ、それに参加するのだという。  2006年の差し止め判決文を見て、長年の友人でもある柳原弁護士は興奮して井戸氏に電話をかけたという。よくあそこまでふみこんだ判決が書けたな――そういう思いで理由を尋ねると、受話器の向こうで井戸氏はこう答えたそうである。  「あの判決文は私が書いたんじゃない。ペンを握る私の手のうしろにいた、たくさんの市民の熱意があの判決を書かせたのだ。サイレント・マジョリティーがあってはじめて、あの判決が書けたのだ」 (了)    ◎井戸弁護士、柳原弁護士らが代理人を務める「ふくしま集団疎開裁判」のサイト。4月26日に福島県から発表された「福島県民健康管理調査」では13市町村の3万8000人の子どもたちの、何と38%に「のう胞」が発見されている。詳細は下記サイトにて。  http://fukusima-sokai.blogspot.jp/

2012年8月27日月曜日

(領土問題についての見解-国民の生活が第一 幹事長 東 祥三) http://www.seikatsu1.jp/blog12082402.html この夏、韓国の李明博大統領の竹島訪問、香港の活動家らによる尖閣諸島上陸、それに先立つメドヴェーチェフ大統領の国後島訪問と、我が国への挑発行為が繰り返されています。こうした事態は、あらゆる政治情勢において混迷を続ける野田政権がその脆弱性を露わにするにつれ、本来は友好関係にあるはずの近隣諸国からも完全に見透かされた結果、我が国の主権が侵害されているものです。こうした我が国への主権侵害は断じて許してはならないものであることは言うに及ばず、まさに今や「我が国の外交崩壊」と称すべき異常事態であります。 何が日本外交の崩壊をもたらしたのか、それは、現政権による要諦なき国政運営と外交政策によるものです。そもそもが、現政権が国政の要諦、外交の方針を持たないことが問題の本質です。突き詰めていえば国政の要諦とは国民に平和と安心を保障することであり、それに基づく外交とは日本国領土における国民の安全と繁栄を守りつつアジア太平洋地域をはじめ世界の平和と繁栄に貢献するために、諸外国に対して我が国の立場を事実をもって主張し理解させることです。それが、まったく出来ていないのが現政権です。 アジア太平洋の平和と繁栄には、日米中韓の協力は欠かせません。一時の感情に流されず、将来をしっかり見据えた冷静な対応が必要です。同時にいざという時の備えを粛々と整えておくことが肝要です。その備えとは日米同盟を基軸として我が国の領土の守りを固め、また、他国によって主権が侵害されている領土に関しては、当事国や国際社会に対して我が国にこそ事実に根差した主張があることを徹底して理解させる外交です。 これまで、野田政権は我が国の領土を守る備え、つまりは防衛の強化をしっかりとしてきたでしょうか。これまで、野田政権は他国による主権侵害に対して強い主張をもって国際社会を巻き込みながらの外交を展開してきたでしょうか。答えはいずれもNOです。 理不尽な消費税の増税にばかり気を取られ、それらを怠ってきました。理念なきままの国家運営がもたらしたもので起こるべくして起こったのが今日の「日本外交の崩壊」であります。 「備え」がなければ、「憂い」が出てくるのは当然です。この夏、繰り返されてきた竹島や尖閣への主権侵害は、専門家の間では年初来、その可能性を指摘されていた事態です。それに対して全く無策だった上に、事が起こり政府から出てきたのは、「毅然とした対応」という言葉です。外交において口先だけの対応ほど、危険なものはありません。必要なのは確かな防衛力の整備と事実で主張する外交の展開です。 我が国は、一刻も早く日本の安全保障、日本の外交を立て直されなければなりません。韓国とは同じ米国の同盟国同士であります。アジア太平洋の平和と繁栄に寄与する責任を共に負う国同士であります。中国とは今年、日中国交回復40周年を迎えた友好国同士であります。こうした観点を踏まえつつも我が国への主権侵害に対しては安全保障面からも外交面からも具体的な対応を日常的に進めるべきであります。今回の事態の教訓は、理念なき国家運営は我が国の主権を守ることができないという事実です。わが党は、国内外の問題に対して自立と共生の理念に基づいた具体的な施策を提言することで事実に基づき主張する日本外交を確立してまいります。
放射能汚染下における日本への14の提言.  原子力の犠牲になっている私達の子供達ヘレン・カルディコット医学博士.翻訳. http://akiomatsumura.com/wp-content/uploads/2012/08/Helen-Japanese-translation-+-bio-for-web.pdf
チェルノブイリ視察経験者による福島県民の体調不良に関する考察 http://www.twitlonger.com/show/cp4918

2012年8月25日土曜日

暗黒医療:医師たちは福島の子供たちを見捨てるのか. http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1508.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitte
福島の子どもを守るための100万人署名に参加してください. 福島の状態と放射線量です.
毎週金曜日に脱原発の抗議行動が24日も官邸周辺で行われた。22日に呼びかけをしている首都圏反原発連合のメンバーが野田総理と面談した後、初のデモ。来週にも予定され­ている原子力規制委員会の人事案の本会議採決を前に、「人事案撤回」を強く訴えた。   このほか、国際環境NGOFoEジャパンや福島老朽原発を考える会ら4団体は、大飯原発の断層に関する再調査や規制委人事案撤回を求め18時半から経産省別館前、20時半­からは環境省前に移動して抗議集会とヒューマンチェーンを行い環境省を取り囲んだ。   郡山から静岡県に避難している長谷川克己さんは、人事案が報道された8月以降、毎週金曜日、環境省前に新幹線で駆けつけ、抗議行動に参加している。長谷川さんは「まだたく­さんの子どもたちが福島に残っている。なぜ、福島に残らざるを得ないかというと、文科省、経産省、環境省が、年間20ミリリーベルトという恐るべき基準を敷いて、子どもた­ちをとどめているからだ」としたうえで、「郡山の幼稚園で除染をしたが、山も川も汚れている福島では除染では限界があることがすぐにわかる。しかし、今回、原子力規制委員­会の田中俊一は除染ありきの考え方を進めている。命や子どもを守ろうとせず、原子力推進の未来を守ろうとしているかだら」と訴えた。   このほか、東京電力前ではスクリーンが設置され、福島第一原発の作業員の映像などが上映される中、抗議行動が展開されたほか、総理大臣の公邸に最も近い官邸裏でも抗議の声­があがった。さらに、郡山の子どもたちが被曝線量の低い地域での教育を求めて起こしている「ふくしま集団疎開」の弁護団や支援者らも、文科省前や財務省上など、場所を変え­ながら断続的に抗議行動を行った。金曜日の抗議行動は、都内だけでなく、福島や大阪をはじめ、全国各地で行われている。   焦点となっている規制委員会の人事案について、FoEジャパンや福島老朽原発の会のメンバーらは28日の夕方5時、内閣官房原子力安全規制組織等改革準備室に対して署名を­提出し、撤回を申し入れる予定だ。   

2012年8月24日金曜日

反原連と野田佳彦との8/22面会 - 仲介者は辻元清美 http://critic5.exblog.jp/18877190/ 一昨夜(8/22)のテレビのニュースは、反原連と野田佳彦との官邸面会が中心だった。また、政府が新しいエネルギー政策を決めるために実施した「討論型世論調査」の結果や、大江健三郎らの「脱原発基本法」制定をめざす全国組織の設立など、原発関連の問題の報道で埋まった。尖閣や竹島の話題が、一時的にせよマスコミの表面から後退したことは幸いだ。野田政権は、選挙目当ての人気取りの思惑で、反原連との面会を大きな「慶事」としてマスコミに報道させる政治に動き、前日(8/21)からNHKを通じて予告宣伝、当日(8/22)はNHKの7時のニュースのトップに持ってきた。野田政権が従来の方針を変え、「原発ゼロ」の方向へ踏み込んだ姿勢を国民に印象づけ、目前に迫った選挙で原発政策が争点になったときに、民主党を有利に差別化すべく目論んだ政治と言える。この動きを主導しているのは菅直人で、9月の代表選に向けて、原発問題をテコにして党内で浮上しようとする狙いが見える。昨日(8/23)の朝日も、1面トップに「討論型世論調査」で「原発0%」の支持が最多だった結果の記事を出し、その横に反原連と野田佳彦との面会の記事と写真を配している。朝日の2面の記事には、政府が将来の原発比率として策定を目指した本命の「15%」が、パブコメを含めた世論によって撃退され、見直しを余儀なくされた事情が詳しく書かれている。 昨日(8/23)の朝日の1面記事となった面会の写真には、反原連側と政権側が左右に向かい合ったテーブルの正面奧に、すなわち構図の中央に、辻元清美が立っているのが映っている。私が見たNHKとテレ朝のニュースには、辻元清美の姿はなかった。どうやら他局の報道では、14時前に議員会館から官邸に入る反原連の一団を先導して、辻元清美が歩いている姿が撮られていたらしい。朝日の写真の構図は、この面会の政治の一つの真実を証左している。Misao Redwolfが面会後の会見で、この面会を仲介した一人の人物の存在を言い、その者の仲介の首尾の結果、反原連側の要求が通って、面会の始終がネットで生中継されるようになったと漏らしていた。官邸と反原連を仲介した人物の名をRedwolfは言わなかったが、ズバリ、辻元清美だ。反原連側が辻元清美、官邸側が首相補佐官の手塚仁雄。この二人が舞台裏を根回ししている。そのため、まるで7/31の政治家との対話集会の延長のように、菅直人と小熊英二が席に着いていた。今回の面会は、まさに菅直人・辻元清美・小熊英二がホストとなって仕掛けた政治だ。反原連側に小熊英二が座っていた理由について、反原連は会見で説明していないし、質問して聴こうとする記者もいなかった。小熊英二は反原連のメンバーではない。メンバーではないから、中立の立場で7/31の対話集会の司会もやった。 反原連のメンバーではない者が、抗議団体の代表の一員として総理大臣との面会の席に座ってよいのか。政府は、そうした者との面会を官邸で設定してよいのか。これは総理大臣の公務で、運営はすべて税金でなされている。7/31の対話で、平岡秀夫が言っていた反原連の団体としての形式的妥当性の問題が、今後も説明を求められ続けるに違いない。菅直人・辻元清美・小熊英二による政治策動の怪しい正体は、早速、一日後の規制委人事の政治に現れていて、民主党は人事案を国会で通すことを政調役員会で決め、前原誠司の一任となっている。菅直人は規制委人事案に反対していない。この8/22の面会の政治がいかに茶番で、見せかけだけの人気取りのショーであり、「デモの皆さんにお会いしてお話を伺いました」という既成事実作りのものだったかが分かる。NHKの報道が、こうして「官邸前デモの代表」を民衆のヒーローのように扱ったことで、官邸前デモの市民権はさらに確たるものになり、同時に反原連のアウェアネスとプリファレンスも一気に上がる事態となった。4年前の派遣村と反貧困のように、今後、反原連幹部(特にRedwolf)に対するマスコミからのアプローチが続く展開になるだろう。マスのレベルで反原連(Redwolf)に関心が高まり、それを扱った情報が商品として市場で売れるからだ。が、そのことが、官邸前デモの動員数を増やす結果に繋がるかどうかは不明だ。 反原連と同じスタイル、すなわちシングルイシュー主義のデモを全国に拡散する方向に導くかどうかも分からない。面会後の1時間の記者会見は、私にとっては30分間の面会以上に注目すべき内容に満ちていた。反原連の「シングルイシュー」の思想的中身と内部での緊張が吐露されていて、いろいろと考察するヒントが与えられたように思われる。記者の質問は、これからこの運動をどう政治に繋げていくか、という角度のものが多かった。それは、このデモを見ている多くの国民の関心事である。どれほどデモをやっても、政治が反原発の政策方向に転換しなければ意味がないし、今のところ、政治がデモに影響を受けている徴候はまるで見られない。その点を反原連がどう考え、どのような展望を持っているのかという点に質問が集中した。その回答は、Redwolfと原田裕史の間で少しニュアンスが違っていた。「政治を変える必要性」についての認識とスタンスに温度差があったように感じられる。極端に言えば、原田裕史の見解は、そうした期待が反原連に集まることを拒否する姿勢を示している。自分たちは「シングルイシューで」同じデモをするだけという限定で自己完結していて、そこから先に運動を発展させようという契機がない。Redwolfも結論は同じだが、原田裕史に較べれば、そこにジレンマを持っている口振りだった。つまり、極端に言えば、デモだけやっても政治を動かせなければ意味がないという焦燥感に近い。 反原連が国民の期待に応えて政治変革の力になる必要への回路を残している。原田裕史はたんぽぽ舎の人間で、おそらく反原発運動のキャリアが長く、これまでの挫折や失望の積み重ねの上での一種の諦観があるのだろう。原田裕史にとっては、「シングルイシュー」の反原発デモが続いている今の現状が成功なのだ。長い間、このスタイルのデモを考えてきて、それがようやく実を結んでいるのである。そこから踏み出すという発想にはならない。割り切っている。政治との断絶の意識が強く、ある種のシニシズムを漂わせている。

2012年8月23日木曜日

政府に対する、放射能汚染食品の摂取による内部被曝の回避に向けた七つの提言. http://www.acsir.org/info.php?15 市民と科学者の内部被曝問題研究会) 内閣総理大臣 野田佳彦殿  私たち、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」は、東京電力福島原子力発電所の事故に伴う放射線による被曝に対し、市民と科学者が一体となり、特に低線量による内部被曝を含む被曝問題に積極的に取り組み、子どもたちをはじめとする全国の市民を守って、被曝の影響を最小限にする研究を行って市民に提供し、また政府のパブリックコメントに応ずるなど多面的な活動を行っております。 つきましては添付させて戴きました「放射能汚染食品の摂取による内部被曝の回避に向けた七つの提言」をお読み下され、これらの提言をお取り上げいただきますようお願い申し上げます。 放射能汚染食品の摂取による内部被曝の回避に向けた七つの提言 2012年8月6日 市民と科学者の内部被曝問題研究会 理事長 澤田 昭二 <目 次> はじめに  ◆政府に対する七つの提言  (1)限りなくゼロベクレルを目指す  (2)第一次産業従事者(生産者)と消費者に対する補償  (3)第一次産業従事者の権利保障と放射能汚染のない食糧の大増産  (4)四囲の海洋における放射能汚染調査の徹底と安全な海産物の安定供給  (5)河川・湖沼水と沈殿物の放射能汚染調査の徹底と安全な飲料水の安定供給  (6)高性能の放射能汚染迅速調査システムの開発・実用化  (7)給食食材の安全確保ならびに全出荷食品の放射能汚染調査とベクレル表示  ◆提言の理由と背景  1.呼吸による内部被曝と飲食による内部被曝  (1)呼吸による内部被曝  (2)飲食による内部被曝  2.放射能汚染食品の「暫定規制値」と「新規格基準」(新基準値) (1)2011年3月17日の「暫定規制値」  (2)2012年4月1日からの「新規格基準」(新基準値) (3)原発事故後は低レベル放射性廃棄物以上かそれ並の汚染食品が流通し得る  3.放射能汚染食品の「出荷制限」の法的根拠と公的な食品調査の実態  (1)放射能汚染食品の「出荷制限」の法的根拠  (2)食品の放射能汚染の公的調査の杜撰な実態  (3)新基準値に基づく食品の放射能汚染の公的調査結果の姑息な公表方法  4.放射能汚染食品の規制値の歴史 (1)チェルノブイリ原発事故直後  (2)ICRP 1990年勧告以後  (3)海外の事例  (4)ICRP(国際放射線防護委員会)の身勝手なご都合主義  はじめに  今回の東電福島第一原発(以後、福島原発)事故による放射線被曝が一般の人びとに及ぼす影響は、外部被曝と内部被曝に分けられます。しかし、全国的にみれば、主として呼吸または飲食による内部被曝が問題です。内部被曝の影響を重視する程度を別にすれば、科学者・技術者の立ち位置の如何にかかわらず、内部被曝が問題であることは共通認識となっていると申し上げてよいでしょう。このような状況のなかで、私たち市民と科学者の内部被曝問題研究会は、この内部被曝が生態系や人体に及ぼす影響を、ことのほか重視します。  本年6月25日、東電発表の「原子炉建屋からの追加的放出量の評価結果」によれば、現在でも1~3号機から空中へのセシウム-134とセシウム-137の合計放出量は少なくとも10,000,000Bq/h (ベクレル/時間)以上です。その他の放射性核種の放出量をはじめ、海水中や地中への放出量は一切明らかにされていませんが、看過できない量であることは間違いありません。したがって、児童・生徒たちや妊産婦が緊急疎開することが望ましい福島県内の高汚染地帯や、関東のホットスポット地域などを除けば、放射能汚染食品を摂取することによる内部被曝の回避が、現在の最重要課題であると考えられます。  放射能汚染食品の出荷制限や摂取制限に関しては、昨年3月17日に急遽発表された国の「暫定規制値」や今年度(2012年4月1日)から適用された「新規格基準」(新基準値)があります。ところが、これらの値の拠り所はICRP(国際放射線防護委員会)の勧告であり、このICRP勧告には人びとに放射線被曝を一方的に強制するなど大きな問題があります。しかも、チェルノブイリ原発事故後における我が国の放射能汚染食品の輸入規制値に始まる規制値の歴史をひもとけば、そのときどきの規制値はさも科学的に算出されたような装いをしてはいますが、まったく一貫性が無く政治・経済的ご都合主義で定められたものであることが、すぐにわかります。放射能汚染食品の規制値は、人びとの命と暮らしを守るためではまったくないということです。それに加えて、公的な放射能汚染調査の実態を見れば、ほとんどの農林水産物が無検査のまま市場に出回っていることがわかります。 したがって、現状のままでは放射能汚染食品の摂取による内部被曝を回避することは、市民団体の緻密な精力的活動を除けば、実際問題として不可能です。  ここでの重要課題は、政府の「事故収束宣言」による帰還運動とは裏腹で、人びとは放射能にひどく汚染された地域には住もことができず、家畜・家禽等の飼育を含む農林水産業はできないということを大前提として、放射線感受性の高い子どもたちをはじめとする人びとの命と暮らしを守ることを最優先する政治です。そして食品の安全・安心の観点からは、放射性セシウム(本年3月までは放射性ヨウ素も対象)による放射線被曝リスクだけを、もっぱら測定しやすいガンマ(γ)線に頼って評価する政府の基本姿勢を改めることです。すなわち、アルファ(α)線を放出するプルトニウム238、同239や、ベータ(β)線を放出してイットリウム90になり、さらにベータ線を放出して安定したジルコニウムになるストロンチウム90などにも着目し、放射性ヨウ素や放射性セシウムが一連の崩壊過程で放出するベータ線にも着目することです。 そこで当市民と科学者による内部被曝研究会は、放射能汚染食品の摂取による内部被曝の回避に向けて、第一次産業生産者の生活と生産活動の補償ならびに自然・農林生態系の保全を大前提とする緊急対策を構築するために、日本政府に対して七つの提言を申し入れます。 ◆政府に対する七つの提言 長期にわたる内部被曝の人体に及ぼす影響については、ECRR(欧州放射線リスク委員会)の2003年の勧告と2010年の勧告および、ユーリ・I・バンダジェフスキー(2009)、アレクセイ・V・ヤブロコフら(2009)、IPPNW(核戦争防止国際医師会議ドイツ支部)(2011)などが多数の事例を紹介しています。これらの事例を紐解けば、ICRPや日本政府、政府に近い学者等の主張とは大きく異なり、かなりの低線量の内部被曝でも多様な疾病の原因になることが明らかです。したがって、とくに妊婦の体内で成長中の胎児や生後間もない乳幼児、児童・生徒、生殖可能な青年男女などは、呼吸ならびに飲食による放射性物質の体内取り込みを可能な限り回避することが強く望まれます。  ここにおいて、人びとが放射能汚染されていない食品を摂取できるように、中央政府も地方政府も、家畜・家禽や山野草を含むあらゆる農林水産物について、限りなく放射能汚染のない食品の生産・流通を進める政策が不可欠です。  なお、1960年代から自民党政権が進めた、従属的な日米安保体制と加工輸出貿易立国を謳う自由化・開放経済体制によって、もっとも衰退したのが第一次産業であり、なかでも自給的農業を伴う林業の衰退は大きく、中山間地域や離島を中心に過疎化・高齢化が急速に進み、集落としての社会・共同体機能が失われ、やがて消滅に向かう「限界集落」や「超限界集落」が増え続けています。また、農業と水産業の軽視政策は、農村と漁村の衰退と休耕地・耕作放棄地の増大ならびに食糧自給率の顕著な低下をもたらしました。 したがって、東日本大震災と原発事故という自然災害と人災によって壊滅的な被害を蒙った第一次産業の担い手たちを救済しつつ、自然・農林生態系の保全と食糧生産力の向上を図るためには、地域の枠を超えた集団移住・集団疎開を住民の意思に沿って総合的に推進することを保障する国家的政策が不可欠です。この事業が成功すれば、生活の場を奪われた人びとの新たな生活が保障され、かつ環境保全と安全な食糧生産も保障されます。 そこで、私たち市民と科学者の内部被曝問題研究会は、政府に対して以下の七つの提言を緊急に申し入れます。 (1)限りなくゼロベクレルを目指す:ECRR 2010年勧告に倣い、一般人の年間被曝限度を0.1mSv(ミリシーベルト)以下、核施設作業労働者の年間被曝限度を2 mSvとすることを提案します。さらに、ドイツ放射線防護協会(Gesellschaft für Strahlenschutz e.V.)の推奨レベルよりも厳しい放射性セシウムの1kg当たりの規制値として、当面、乳児~青少年は1Bq以下、成人は4Bq以下を提言します。 (2)第一次産業従事者(生産者)と消費者に対する補償:上記(1)の提案内容を保障するためには、規制値を超える汚染産品を市場に出さないことが不可欠であり、その大前提として、東電と政府には第一次産業従事者(生産者)と消費者の生活と健康を守る義務があります。そこで、早急にそのための法整備を行うことを提言します。 (3)第一次産業従事者の権利保障と放射能汚染のない食糧の大増産:故郷への帰還の展望がみられない高汚染地域の第一次産業生産者には、非汚染地域または汚染のきわめて軽微な過疎地域の限界集落・超限界集落などへの集団移住または集団疎開によって生産活動を続ける権利を保障し、遊休農地、限界漁港背後集落等の積極的な利活用を図り、自然・農林生態系の保全と安全・安心の食糧大増産の担い手となってもらうことを提言します。 (4)四囲の海洋における放射能汚染調査の徹底と安全な海産物の安定供給:福島第一原発から放出されて太平洋に集積する放射性物質は、汚染水の意図的・非意図的な放流と空からの放射性降下物の他に、山岳森林地帯から河川を下り河口からの放射性流入物があり、この問題は早晩、日本海にも及びます。したがって、日本海をふくむ四囲の海域のきめ細かな放射能汚染調査の継続・徹底と公表を進めるとともに、すべての漁港・市場に放射線計測器を設置し汚染海産物が流通しない体制の構築を提言します。 (5)河川・湖沼水と沈殿物の放射能汚染調査の徹底と安全な飲料水の安定供給:特に東北・関東甲信越地方の背骨に位置する山岳森林地帯は、福島原発事故によって大量の放射性降下物が蓄積し、種々の放射性物質の貯蔵庫として機能しながら河川を通じて流域から海に向けて放射性物質を拡散し続けています。したがって、安全な飲料水を安定供給するために、流域河川・湖沼水と沈殿物のきめ細かな放射能汚染調査の継続・徹底と公表ならびに除染対策を進めるとともに、淡水産汚染食品が流通しない体制の構築を提言します。 (6)高性能の放射能汚染迅速調査システムの開発・実用化:本来は、公的機関による無料調査が原則ですから、そのために不可欠なベルトコンベアー式検知器(例えば最新のGBO検知器では30 kgの米袋を10秒間で1 kg当たり25Bqまで計測可能)など、調査システムの精度と速度をいっそう大幅に向上させるための開発・実用化研究の緊急実施ならびに、全出荷食品のきめ細かな調査体制の構築を提言します。 (7)給食食材の安全確保ならびに全出荷食品の放射能汚染調査とベクレル表示:子どもなど被曝弱者には安全な食品の供給が特に重要なので、全保育園、幼稚園、学校等の給食食材の安全確保のため、産地選定ときめ細かな高精度の放射能測定の義務化を提言するとともに、市販食品に放射能のベクレル表示の制度化を提言します。同時に、市民団体または個人等で実施されている放射能汚染調査をいっそう広めるとともに、これに要する経費を東電と政府が支弁することの制度化を提言します。 ◆提言の理由と背景 1.呼吸による内部被曝と飲食による内部被曝 (1)呼吸による内部被曝 空中に浮遊する放射性物質を吸気と共に吸い込むことによって生じ、放射能雲(プルーム)からの降下物を直接的に吸い込む場合と、地面、家屋などの諸構造物あるいは植物の葉や落葉などに吸着した放射性物質が乾燥して空中に巻き上げられ、あるいは水面の波のしぶきによって空中に撒き散らされ、さらには「除染」作業によって、再度浮遊した放射性物質を二次的に吸い込む場合とがあります。 2011年3月11日の東日本大震災以後、福島原発の数度にわたる爆発で空中に放出された放射性物質がプルーム(放射能雲)として風下に流され、各地で放射性降下物として落下し地表の空間線量の著しい増加をもたらすことが予測されていたにもかかわらず、人びとの健康と安全を蔑ろにした政府と東電は、この過酷事故の正しい情報を直ちには公表しませんでした。とくに政府が、文科省の緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による予測情報を米軍には3月14日に知らせながら、国内の人びとには3月23日まで知らせなかったため、福島県内の飯館村などはもとより茨城県、栃木県、群馬県などの少なからぬ地域の人びとが、大量の放射性ヨウ素(I)や放射性セシウム(Cs)などを吸い込んでしまいました。これは、国家的な未必の故意により、人びと、とくに放射線感受性の高い子どもたちや胎児を宿す妊婦さんたちなどが呼吸によって放射性物質を体内に取り込むことによる内部被曝の国家的強要であり、国家的犯罪以外の何物でもありません。 (2)飲食による内部被曝 飲食による内部被曝は、原発事故によって放出された放射性物質が、森林から河口までの流域一帯に広く降下することによって飲料水が放射能に汚染された場合にまず生じ得ます。また、放射性物質が流域一帯の田畑や牧草地などに降り注ぎ、栽培・飼育動植物が直接・間接に放射性物質を吸収または沈着することによって農畜産物が放射能に汚染された場合、さらには放射能に汚染された内水面の淡水魚などや海洋の水産物が生物濃縮によって高濃度の放射能に汚染された場合に生じえます。  福島原発事故に起因する放射能汚染食品の飲食による内部被曝を回避するためには、万全の放射能汚染検査体制によって、汚染飲食物の出荷制限(視点を変えれば、東電買取り)を確実にすすめ、人びとが飲食による内部被曝を回避できるようにすることが不可欠です。 2.放射能汚染食品の「暫定規制値」と「新規格基準」(新基準値)  福島原発の過酷事故以降、4月上旬までの厚労省による暫定規制値に関連する一連の決定を振り返ると、如何にもいわゆる泥縄式に対応してきたことが伺えます。 まず、3月17日の「放射能汚染された食品の取り扱いについて」(食安発0317第3号。厚生労働省医薬食品局食品安全部長からの、都道府県知事、保健所設置市長、特別区長宛の、いわゆる「暫定規制値」通達)が出されました。これには、①放射性ヨウ素(混合核種の代表核種I-131)、②放射性セシウム(Cs-134、Cs-137)、③ウラン(U)、④プルトニウム(Pu)と超ウラン元素のアルファ核種の4種類について指標が示されています。 その背景として、「飲食物摂取制限に関する指標について」(1988年3月6日、原子力安全委員会原子力発電所等周辺防災対策専門部会 環境ワーキンググループ)と「原子力施設等の防災について」(2003年7月、原子力安全委員会)の存在があります。 以下、3月21日「食品の出荷制限について」(原子力災害対策本部長=菅直人首相からの各知事宛の、いわゆる「出荷制限」通知。福島、茨城、栃木、群馬のホウレンソウとカキナなど)、4月4日「食品規制の二方針」(「食品についての規制について」(枝野幸男官房長官記者発表。原子力災害対策本部長が、①汚染区域の設定、解除は、「市町村単位など、県を分割した区域毎」に行う、②出荷制限の解除は、「1週間毎に検査」し、「3回連続で暫定規制値を下回った品目、区域」について行うことを決定、4月5日「魚介類中の放射性ヨウ素に関する暫定規制値の取扱いについて」(食安発0405第1号。魚介類中の放射性ヨウ素は、当分の間、「飲料水及び牛乳・乳製品以外の食品として暫定規制値が設定されている野菜類中の放射性ヨウ素と同一の暫定規制値である2000 Bq/kgを準用」、4月88日「水稲の作付制限」(「イネの作付けに関する考え方」(原子力災害対策本部。水田土壌から玄米への放射性セシウム(Cs)の 移行率10 %の指標。「玄米中の放射性セシウム濃度が食品衛生法上の暫定規制値(500 Bq以上は出荷制限) 以下となる土壌中の放射性セシウム濃度の上限値5000 Bq」を超える水田で作付け制限)などです。 (1)2011年3月17日の「暫定規制値」  「飲食物摂取制限に関する指標について」(1998年3月6日、原子力安全委員会原子力発電所等周辺防災対策専門部会 環境ワーキンググループ)では、①放射性ヨウ素(混合核種の代表核種I-131)、②放射性セシウム(Cs-134、Cs-137)、③プルトニウム(Pu)及び超ウラン元素のアルファ核種の3種類について指標が示されています。 ① 放射性ヨウ素:甲状腺等価線量として年間50 mSvを上限目標とし、飲料水、牛乳・乳製品、野菜類(根菜、芋類を除く)の3食品に50 mSvの2/3をあて、残り1/3は保留することにして、3食品の各々に50mSv×2/3の1/3ずつを割り当て、飲料水と牛乳・乳製品の摂取制限指標は1kg当たり300 Bq、野菜類のそれは2000 Bqと定めています。 なお、これ以前の防災指針では、ヨウ素131は単一核種として扱われ、それぞれ1 kg当たり、飲料水100 Bq、牛乳・乳製品200 Bq、葉菜6000 Bqでした。 ② 放射性セシウム:実効線量5 mSv/年を上限目標とし、かつストロンチウム90(Sr-90)/セシウム137(Cs-137)比が0.1の場合のストロンチウム90の寄与も含めて5 mSvとし、飲料水、牛乳・乳製品、野菜類、穀類、肉・卵・魚その他の5食品に5 mSvの1/5ずつを割り当て、1 kg当たりの摂取制限指標は、飲料水、牛乳・乳製品では200 Bq、野菜類、穀類、肉・卵・魚その他では500 Bqと定めています。 なお、ストロンチ90/セシウム137比0.1を超える場合、及びその他の核種の複合汚染の場合は、これらの寄与を考慮して指標を低減して運用するとしています。 ③ プルトニウム及び超ウラン元素のアルファ核種:年当たり実効線量5 mSvを上限目標とし、アメリシウム(Am-241)、プルトニウム(Pu-238、Pu-239、Pu-240、Pu-242 )等のα核種の放射能濃度の合計に適用して、1kg当たりの摂取制限指標は、飲料水、牛乳・乳製品では1Bq、野菜類、穀類、肉・卵・魚その他では10 Bqと定めています。   なお、調理された食事に供される乳児用市販食品には、1Bqを適用しています。  2003年7月、原子力安全委員会は、1999年に茨城県東海村で起きたJCO臨界事故を受けて、1998年3月の上記「飲食物の摂取制限に関する指標について」の原形(放射性ヨウ素・放射性セシウム、プルトニウム及び超ウラン元素のアルファ核種の指標)に、ウラン(U)を加えた指標を決定しました。すなわち、ウランについては、飲料水、牛乳・乳製品の摂取制限指標は1kg当たり20 Bq、野菜類(根菜、芋類を除く)、穀類、肉・卵・魚その他のそれは100 Bqと定めました。なお、放射性ヨウ素のみ、乳児用調製粉乳と乳の指標を300 Bqはなく100 Bqと低くしています(ただし、いずれも調理して供されるものに適用)。  したがって、昨年3月17日の通達による「暫定規制値」は、2003年7月の原子力安全委員会決定「原子力施設等の防災について」の指標値をそのまま援用したもので、①放射性ヨウ素(混合核種の代表核種I-131)、②放射性セシウム(Cs-134、Cs-137)、③ウラン(U)、④プルトニウム及び超ウラン元素のアルファ核種の4種類について指標が示されています。なお、①放射性ヨウ素は、崩壊過程でベータ線を放出(ベータ崩壊)して放射性キセノンとなり、続いてこれがガンマ線を放出(ガンマ崩壊)して安定なキセノンになり、②放射性セシウムは、ベータ崩壊して放射性バリウムになり、続いてこれがガンマ崩壊して安定なバリウムになるので、一連の崩壊過程でベータ線とガンマ線を放出します。③ウランは、長年月にわたる一連の崩壊系列の過程で、10回以上もアルファ崩壊またはベータ崩壊を繰り返しながら新たな放射性核種となり、最終的に安定な鉛になりますので、体内に取り込めば被曝量は甚大です。④も③に似て、一連の崩壊系列の過程でアルファ線崩壊やベータ崩壊を繰り返しますので内部被曝量は甚大になります。 (2)2012年4月1日からの「新規格基準」(新基準値)  前提として、物理学的半減期の長い放射性セシウム(Cs-134、Cs-137)、ストロンチウム(Sr-90)、ルテニウム(Ru-106)、プルトニウム(Pu-238、Pu-239、Pu-240、Pu-241)の合計が年間1 mSv以下とすることとしています。しかし実際には、セシウム以外については検査に時間がかかるため、セシウムのみを対象とし、各核種の検出比(Cs-137を1.0としたときの比)を固定的にPu-238:Sr-90:Ru-106:Cs-134:Cs-137 =0.000002:0.003:0.02:0.29:1.0であるとして、これらを含めて基準値を定めたことになっています。しかし、この割合がいつでもどこでも普遍的で正しいかという問題があります。また、米、牛肉や大豆など一部の加工食品については、今年(2012年)12月31日までに製造・加工・輸入された食品は賞味期限までは従来の暫定規制値がそのまま適用されるなどの問題もあります。 それはそれとして、放射性セシウムについての新基準値は、食品を4分類して1 kg当たり飲料水10 Bq、牛乳50 Bq、一般食品100 Bq、乳児用食品50 Bqと定められました。 (3)原発事故後は低レベル放射性廃棄物並みかそれ以上の汚染食品が流通し得る  ここで示した1998年3月の「飲食物の摂取制限に関する指標について」や2003年の「原子力施設等の防災について」、さらに今年度からの「新基準値」をみると、さまざまな要因を考慮した計算に基づいて得られた値を指標値としており一見科学的な根拠があるように見えます。しかし、そもそも原子炉等規制法によれば、原発から通常排出される廃棄物のうちセシウム137が1kg当たり100 Bq以下のものは、低レベル放射性廃棄物として同法に基づき処理・保管されることになっています。 ですから、昨年3月17日から今年3月31日までは緊急時だからという理由で、低レベル放射性廃棄物の放射能汚染度を大幅に超える500 Bqを超えない野菜・穀類や肉・魚貝類等は食べても安全とし、4月1日からも一般食品は低レベル放射性廃棄物と同じ100 Bq以下なら安全としているわけです。さらに、一連の食品の規制値に関する歴史をひもとくと、後述のとおり、その欺瞞性が鮮明に見えてきます。 3.放射能汚染食品の「出荷制限」の法的根拠と公的な食品調査の実態 (1)放射能汚染食品の「出荷制限」の法的根拠  「食品衛生法」には放射能汚染食品に対応する条項がまったくありません。原発の「安全神話」により、食品の放射能汚染については想定すらしなかったのでしょう。そこで、厚労省は、もしも規制値を超える放射能汚染食品が見つかった場合には、第6条の2「有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、若しくは付着し、又はこれらの疑いがあるもの」に相当するものとして、出荷制限することにしました。  食品添加物のリスク評価においては、「安全な混入量が実験動物に悪影響を示さない投与量÷100」 として安全基準が求められ、曲がりなりにも表面上はゼロリスクが基本です。しかし、放射性物質については、後述のとおりICRP(国際放射線防護委員会)の諸勧告が基礎となっているため、ある程度の人の死を大前提としており問題です。 (2)食品の放射能汚染の公的調査の杜撰な実態  国の指示に従って地方自治体が行っている公的検査の実態についてみると、暫定規制値については、①放射性ヨウ素(混合核種の代表核種I-131)、②放射性セシウム(Cs-134、Cs-137)、③ウラン(U)、④プルトニウム(Pu)及び超ウラン元素のアルファ核種の4種類について指標が示されていますが、実際には①放射性ヨウ素(I-131、I-134)と②放射性セシウム(Cs-134、Cs-137)由来のガンマ線しか調べていません。ですから、内部被曝でもっとも問題となるアルファ線やベータ線は埒外に置かれています。しかも、調査件数があまりにも少なすぎます。なお、学校給食の食材調査では、全食材の一括調査などの方法に、保護者から疑問の声があがっています。 全国の調査実績:昨年3月17日から本年3月16日までの1年間にわたる食品調査実績は、山野草や淡水魚、海産物を含めた全国の調査総数は126821件ですから、1日平均347.5件、都道府県単位でみれば1日平均10件にも及びません。 このうち、全都道府県のうち放射能汚染の深刻な総理指示対象自治体4県(福島・茨城・栃木・群馬)と、それらの隣接自治体等1都12県(青森・岩手・宮城・秋田・山形・新潟・長野・埼玉・千葉・東京・神奈川・静岡・山梨)の計1都16県中、青森、新潟、山梨以外の1都13県から、放射性ヨウ素または放射性セシウムの規制値を超えた食品が、110598件中1183件見つかり、出荷制限措置がとられました。 福島・茨城両県の調査実績:最も深刻な福島県でさえ一年間の調査総数は20672件で、700件が規制値を超えていました。1日平均では57件中2件が超過食品(たけのこ、露地・原木しいたけ、ほうれんそう、アブラナ科野菜、コモンカスぺ、アユ、アイナメ。原乳、牛肉、猪肉など)ということです。二番目に深刻な茨城県では、一年間の調査総数は12430件で85件が規制値を超えていました。1日平均では34件の検査で4、5日に1件の割合で規制値を超えた食品が見つかるという状態です。福島県や茨城県でさえこのような状態ですから、ほとんどが無調査のまま出荷されていることになります。 水産物の調査実績:2011年10月7日現在の水産物の放射能汚染調査実績は、調査総数2579件で127件(福島県116件、茨城県7件、群馬県4件)が規制値を超えていました。内訳は、海産魚類1650件中66件が規制値越え(福島県59件、茨城県7件)、無脊椎動物(イカ、タコ類)389件中12件(福島県)、海藻類55件中8件(福島県)、加工品(魚介類)24件中0件、広域回遊性種(海産魚類中のカツオ、ビンナガ、イカ等)23件中0件、淡水魚類(アユ、ヤマメ、ワカサギ、ウグイ、イワナ等)432件中41件(福島県37件、群馬県4件)、哺乳類(クジラ)29件中0件でした。1日平均13件ですから、調査数があまりにも少なすぎます。 なお、海洋の汚染は、事故直後に表層生物(浮魚)で始まり、5月中旬に海藻類、下旬に底生生物(底魚。アイナメ等)に及びました。底生魚類でも、ゴカイやエビ、カニを食べるアイナメの汚染が、小魚を食べるヒラメよりも大きいという特徴があります。また、淡水魚は、海水生物よりも生物濃縮がいちじるしいという特徴があります。河川流域の内水面は今後とも、山岳森林地帯に降り注いだ放射性降下物(人工放射性物質)の流入が漸増し続けるため、厳重な注意が欠かせません。  主食の米の調査実績:2011年の作付制限は、土壌中の放射性セシウムの玄米への移行係数0.1を基に乾物土壌1kg当たり5000 Bq以上の水田が対象でした。国の玄米調査法では、旧市町村ごとに1 ~5点の予備調査で200 Bqを超えれば概ね集落ごとに1件ずつ本調査し、暫定規制値500 Bq以下なら出荷できます。 福島県知事は、栽培可能な水田から収穫した玄米に規制値を超えるものがありませんでしたから、当初すべての県産米が出荷可能であることを高らかに宣言しました。しかし、調査されず不安に思った山間の農家の要請を受けた地元JAなどの自主調査で、山間などの水田から規制値を超える汚染玄米が続出しました。国の定める調査点数がいちじるしく少なすぎたのです。福島県は、急遽、調査地点・農家数を大幅に増やして、「米の放射性物質緊急調査」を進めました。特定避難勧奨地点のある地域や玄米のモニタリング調査でわずかでも放射性セシウムが検出された地域については、出荷を当面見合わせることにして、緊急に全戸調査を実施したのです。 福島県は、緊急調査結果に基づき以下のことを決めました。100 Bq以下の地域の米については、出荷見合わせを解除する。100 Bq以上で500 Bq以下の地域の米については、特別隔離対策の対象となるよう国に要請し、引き続き出荷を見合わせる。出荷できる地域において諸般の事情で未調査となった農家の玄米も調査するとともに、国の特別隔離対策を活用して100 Bqを超える県産米が一般に流通しないように努める。また、2012年産米からは全袋調査することにしました。  なお、2012年2月28日、農水省は、今年の稲作について、昨年産米の出荷規制地域の作付制限と、玄米が100 Bq以上、500 Bq以下の地域の作付について、全袋調査などを条件に認めることを決めました。しかし、作付け可能な全汚染田の玄米の調査密度の飛躍的な濃密化までは言及していません。玄米の放射能汚染が新規制値を超えたために出荷できない生産農家への十分な補償はもちろんですが、危険な汚染米が絶対に流通しないように国と県と東電はしっかりした対応・対策が不可欠です。 現状では主食のお米でさえ、国の定める調査基準は調査件数が圧倒的に少なく、ほとんどが無調査で出荷される状態です。 (3)新基準値に基づく食品の放射能汚染の公的調査結果の姑息な公表方法 2011年3月17日から始まった暫定規制値に基づく公的調査の結果は、3月19日から集約して厚労省のホームページに公表され、2012年3月30日までは全都道府県の日々の詳細な調査結果の多数の表と、それらを集約した積算値を鳥瞰できる1枚の表「食品中の放射性物質検査の結果について(概略)」が掲載されていました。ですから、上述の(2)食品の放射能汚染の公的調査の杜撰な実態の項では、全国の調査実績や福島・茨城両県の調査実績を難なく紹介することが出来たのです。 2012年4月1日から始まった、新基準値に基づく公的な調査結果についても、4月6日までは従前どおりの掲載方法で、「食品中の放射性物質検査の結果について(平成24年4月1日以降検査実施分)(概略)」という表がありました。ところが、2日休んで4月9日からの公表では、この「(概略)表」が消えてしまいました。 4月6日の「(概略)表」をみると、福島県では、6日に農産物を78件調査して、8件(フキノトウ、タケノコ)が新基準値100 Bqを超えていました。水産物は前日までに44件調査して、15件(海水魚のアイナメ、シロメバル、ヒラメなど)が新基準値を超えていました。茨城県では、6日まで農産物を27件調査して、7件(原木シイタケ、タケノコ)が規制値を超えていました。水産物では、6日に28件調査して、2件(淡水魚のイワナ、ヤマメ)が規制値を超えていました。その他では、6日に4件調査して3件(乾シイタケ)が規制値を超えていました。 ですから、このホームページの作成担当官は、このまま従前どおりに「食品中の放射性物質検査の結果について(平成24年4月1日以降検査実施分)(概略)」を編集していくと汚染食品の頻度が目立ちすぎると感じたのでしょうか。姑息にも、同表の掲載を止めてしまったのです。こんな所にも、放射能汚染を軽微に見せたい政府の思惑が現れています。 姑息といえば、新基準値が適用された20日後、農水省は「食品中の放射性物質に係る自主検査への対応に関する通知」なるものを食品産業事業者向けに発出しました。政府は、一片の局長通知で、「全国の住民が自分たちの食べる農林水産物の安全性の自主検査をするな」と命令したのです。自主検査をするなら、国の基準値を指標にしなさい、という命令です。主権在民の日本国憲法をいただく我が国において、このような人権無視の横暴が許されて良いものでしょうか。本来、何人も、各自の意思に従って、いかなるものを飲食しようが、麻薬及び向精神薬取締法や酒税法などに違反しない限り、政府からとやかく規制されるいわれはありません。しかも、この新基準値の決定プロセスにおいても、パブリックコメント募集期間中に、新基準値を審議する放射線審議会の前会長(東北大学名誉教授)中村尚司氏および現会長の丹羽太貫氏が、複数の関係学会会長に厳しすぎるという「やらせ」意見書の提出を各学会会員に要請する文書を出していたことが判明しています。 そもそもは、昨年3月11日から顕在化した、政府の情報隠しの「大本営発表」体質と「御用学会・御用学者」等の「大政翼賛」体質のなせる業です。野田佳彦首相による2011年12月16日の「事故収束宣言」と「避難区域見直し」発表から6月16日の「大飯原発再稼働」の最終決定までの一連の道理に背く暴挙は、人びとの命と暮らしをまったく顧みず、基本的人権を踏みにじる現政府のこの間の国政の異常さを如実に示すものです。 4.放射能汚染食品の規制値の歴史 (1)チェルノブイリ原発事故直後  1986年4月のチェルノブイリ原発事故当時、一般人の年間の線量当量限度は5mSv/年(ICRP 1977年勧告に基づく)でした。厚生省は、旧ソ連圏や欧州からの放射能汚染食品の輸入を規制するため、一般人の線量当量限度5 mSv/年、汚染輸入食品の割合、国民の食品摂取量、食品による被曝割合等による推計値を求め、さらに米国やEC(欧州共同体)の規制値を参考にして、輸入規制値を定めました。すなわち、全食品の放射性セシウム(セシウム134とセシウム137の合計)について、1kg(またはlittle)当たり370 Bq以上で輸入禁止としました。 (2)ICRP 1990年勧告以後 1990年、ICRPが一般人の年間の線量当量限度を5 mSv/年から1/5の1 mSv/年(年間がん死リスクは10万人に1人)に下げる勧告を出しました。そこで1998年、政府はこのICRP勧告を受け、一般人の年間被曝許容限度を1 mSv/年に下げました。しかし、ヨウ素やセシウムの輸入規制値を1/5に下げることはしませんでした。そして2011年3月17日の通達にみる野菜や穀物のセシウムの暫定規制値は1kg当たり500 Bqでした。 (3)海外の事例 ちなみに、ウクライナでは、一般人の年間被曝許容限度は同じく1mSv/年ですが、放射性セシウムの暫定規制値は、1kgまたは1little当たり飲料水2 Bq 、牛乳100 Bq 、野菜40 Bq、肉類200 Bqとなっています。また、ドイツの放射線防護令は、一般人の年間被曝許容限度を0.3 mSv/年としています。ドイツ放射線防護協会は、この限度を基準にして、放射性セシウム汚染食品の摂取制限として、乳児~青少年は1kg当たり4 Bq以上、成人は8 Bq以上の食品を摂取しないように推奨しています。この推奨値でも、人口8000万人のドイツでは毎年1200~12000人の癌死の増加が予測されています。この予測値を人口1.278億人の日本に当てはめれば、癌死の増加はこの1.6倍です。 (4)ICRP(国際放射線防護委員会)の身勝手なご都合主義  ICRPは、1928年のICR(国際放射線医学会議)総会で発足したIXRPC(国際X線およびラジウム防護委員会)を1950年に改称して発足し、現在に及んでいます。そこで、現在までの主要な勧告を見てみましょう。年代が進むごとに、米国を頂点とする国際的な「核開発利益共同体」の身勝手なご都合主意が台頭し、彼らの意のままに勧告が成案化される様が、赤裸々に見て取れます。ICRPは、その名称とはまったく裏腹に、核施設作業従事者や一般人の放射線防護を二の次にして、彼らの意のままに安上りの核開発を進めるための道具でしかありません。  1950年勧告:ICRPと改称後、初の勧告であり、核施設従事者にのみ、150 mSv/年(3 mSv/週)の許容線量を設定しました。一般人向けの具体的な許容線量は示さず、「被曝を可能な最低レベルまで引き下げるあらゆる努力を払うべき」(to the lowest possible level)という文言だけに留まりました。言葉だけといえ厳しい表現になった背景には、遺伝学者によるショウジョウバエの突然変異実験において「遺伝的障害」が明らかになったことがあります。しかし、具体的な許容線量を明記することは、米国の抵抗によって叶わなかったのです。  1954年勧告:年間許容線量は、核施設作業従事者 150 mSv/年、一般人 前者の10分の1(15mSv/年)であり、「実行可能な最低レベル」(the lowest practicable level)という一段下がった表現になりました。  1958年勧告:年間許容線量は、核施設作業従事者 50 mSv/年、一般人 5 mSv/年で、「実行可能な限り低く」(as low as practicable)と、さらに一段下がった表現になりました。  1965年勧告:「社会・経済的要因を考慮の上、容易に達成できる低さ」 (that all doses be kept as low as is readily achievable, economic and social consequences being taken into account )と、いよいよICRPの本性を露わにしたもので、「ALARA勧告」と称されます。一般人の5 mSv/年を「線量当量限度」と称することにしました。  1973年勧告:「合理的に達成できる低さ」(as low as reasonably achievable)と本性を幾分見えにくくしましたが実態は変わらず、これも「ALARA勧告」と称されます。  1977年勧告:新システムとして、三原則「正当化」「最適化」「線量限度」(justification, optimisation = as low as reasonably achievable, application of dose limits)を導入しました。「正当化」とは、原発などの核開発には代替不可能な便益があるということです。「最適化」とは、1965年のALARA勧告の「社会・経済的要因を考慮の上、容易に達成できる低さ」のことです。「線量限度」とは、人びとの被曝限度を定める際に「集団線量」概念を導入し、「費用」対「人命救済効果」分析を行い、放射線障害による人びとのある程度の死を前提とする安上りの費用で核開発を進めようとするものです。この勧告では、核施設作業従事者の年間被曝限度についても、「線量等量限度」と称することにしました。 1990年勧告:核施設作業従事者の従来からの線量当量限度50 mSv/年に、「あるいは100 mSv/5年」という付帯事項が付きました。また、一般人の線量当量限度5 mSv/年が1 mSv/年に下げられました。ただし、基本的な線量計測量である人体の吸収線量に関する同勧告の定義は、「各組織・臓器内の平均線量を意味する」ということで平均化してしまうなど、同勧告には内部被曝を無視・隠蔽するためのさまざまな作為が感じられます。 本来、アルファ線やベータ線による内部被曝が微細なピンポイントで生じることを念頭に置けば、ICRP勧告の如き「内部被曝隠し」ではなく、ECRR(欧州放射線リスク委員会)の2003年勧告や2010年勧告の如く、内部被曝を正当に評価する勧告になる筈です。結局、IAEA(国際原子力機関)もWHO(世界保健機構)も、米国と国際的な「原子力ムラ」のエゴに牛耳られ、その中心にICRPが鎮座していたのです。そして彼らは、世界の放射線科学全般を、政治・経済的観点を重視する内部被曝隠しの似非科学に仕上げ、世界中の市民に一方的な犠牲を強いる体系を構築していたのです。 ですから、このようなICRPの勧告に依拠する食品の放射能汚染の「基準値」が、私たち住民の味方である筈はありません。  私たち市民と科学者の内部被曝問題研究会が政府に対して七つの提言をした理由と背景は、以上のとおりです。 以上
(伊藤鹿児島知事側へ違法献金? 組織的に"あっせん" 名義借りで企業献金偽装の疑いも ) http://hunter-investigate.jp/news/2011/11/post-133.html 不適切献金や杜撰な政治資金管理の実態が明らかになっていた伊藤祐一郎鹿児島県知事の陣営に、またしてもカネがらみの疑惑が浮上した。  鹿児島県知事選挙が行なわれた平成20年、伊藤知事の資金管理団体は、知事本人を含む164人から2,041万9,711円にのぼる個人献金を受けたことになっていたが、HUNTERの取材で、このうち42人・345万円分を特定の建設業者が"あっせん"していたことが分かった。あっせんについて、定められた政治資金収支報告書への記載はない。また、献金原資の一部が献金者本人のカネではなかった可能性も生じている。  原資が建設業者のものだった場合、政治資金規正法で禁止された企業献金を個人献金に偽装していたことになる。  当初、取材に応じるとしていた建設業者側は、事実関係を突き付けられた後に態度を一変させ、取材拒否に転じている。 「あっせん」の事実  知事の資金管理団体「いとう祐一郎後援会 祐祥会」が、鹿児島県選挙管理委員会に提出した平成20年分の政治資金収支報告書によれば、同団体がこの年に集めた政治資金は合計5,125万7,349円。  このうち知事本人分(259万4,711円)を除いた個人献金は、計163人からの1,782万5,000円で、献金者の職業欄には、「医師」と「会社役員」しか記載されていなかった。    職業欄の記載が、祐祥会側の推測に基づくもので、記載内容に虚偽の疑いがあることは先月24日に報じていた(記事参照)。    この取材の過程で、収支報告書の職業欄には「会社役員」とされながら実際には役員ではないことが明らかとなっている鹿児島県南大隅町に本社を置く「百次建設」の社員が、事実関係を認めたうえで、同社関係の献金を会社がまとめて処理していたと明言。  祐祥会の会計責任者も、個人献金が「紹介」によるもので、紹介者から個人名と住所だけしか書かれていない「納付書」をもらっていたことを認める話をしていた。  百次建設側と祐祥会側の話を総合すると、百次建設がらみの献金は、事実上の"あっせん"によるものだったと見られる。    政治資金規正法は、同一の者によってあっせんをされた寄附について、その金額の合計額が年間5万円を超えるものについては、その寄附のあっせんをした者の氏名、住所及び職業並びに当該寄附のあっせんに係る寄附の金額、これを集めた期間及びこれが当該政治団体に提供された年月日などを政治資金収支報告書に記載しなければならないと定めているが、祐祥会の政治資金収支報告書にはあっせんを示す記載はなかった。 「百次建設」取りまとめ分への疑問  百次建設側が取りまとめた献金について確認するため、改めて平成20年の祐祥会の政治資金収支報告書を調べたところ、登記簿や取材によって同社で「役員」や「社員」であることが明確となっている人間の献金日は次の日付に限定されていた。 1月21日、2月27日、3月19日、4月16日、5月21日、6月13日、7月17日、8月29日、9月26日、10月20日、11月27日、12月22日。  この日付に一致する献金は、期間に違いがあるものを含めて42人分・345万円となる。  祐祥会の政治資金収支報告書に記載された順番に、献金が行なわれた月、個別の合計金額、献金者の住所地をまとめた。 1、 1~12月   12万円   鹿屋市寿 2、 1~5月     5万円   大隅町根占南 3、 1~12月   12万円   鹿屋市田崎町 4、 1~12月   12万円   鹿児島市春山町 5、 1~12月   12万円   同所 6、 1~12月   12万円   鹿児島市吾平町麓 7、 1~12月   12万円   肝付町新富 8、 1~12月   12万円   大崎町野方 9、 1~12月   12万円   鹿児島市郡山油須 10、1~12月   12万円   鹿児島市鴨池 11、1~12月   12万円   肝付町後田 12、1~12月   12万円   鹿児島市玉里団地 13、1~12月   12万円   肝付町野崎 14、1~11月   11万円   南大隅町根占川北 15、1~12月   12万円   鹿児島市田上 16、1~12月   12万円   鹿児島市西陵 17、1~12月   12万円   鹿児島市武男 18、1~12月   12万円   鹿屋市吾平町下奈 19、1~12月   12万円   錦江町馬場 20、1~12月   12万円   鹿児島市原良町 21、6~10・12月 6万円   日置市伊集院町麦生田 22、6~10・12月 6万円   大崎町野方 23、6~7月     2万円   日置市東市来町湯田 24、6~7月     2万円   同所 25、6~10・12月 6万円   大崎町野方 26、6~10・12月 6万円   大崎町野方 27、6~10・12月 6万円   大崎町野方 28、6~10・12月 6万円   鹿児島市伊敷 29、6~12月    7万円   志布志市志布志町志布志 30、6~7月     2万円   鹿児島市新屋敷町 31、6~7月     2万円   同所 32、6~10・12月 6万円   大崎町菱田 33、6~12月    7万円   鹿児島市武岡 34、6~7月     2万円   鹿児島市東谷山 35、6月        1万円   鹿児島市坂之上 36、6~10・12月 6万円   鹿屋市上谷町 37、6~12月    7万円   大崎町野方 38、6~12月    7万円   同所 39、6~10・12月 6万円   鹿屋市輝北町下百引 40、6~12月    7万円   大崎町新領 41、6~12月    7万円   同所 42、6~10・12月 6万円   大崎町野方   HUNTERが確認した献金者の内訳は、代表取締役を除く百次建設の役員全員と社員、百次建設の子会社の役員全員と従業員、そのほか百次建設と関係の深い建設業者の役員とその家族などだった。    献金した期間に違いはあるものの、42名の毎月の献金日は百次建設の役員らの献金日と同じで、百次建設側が当初認めた「うち(百次建設)で取りまとめた」とする話を裏付けるものだ 実態は「企業献金」?   "あっせん"の事実が益々濃くなってきた形だが、取材を進める中、関係者から「知事の政治団体に個人献金をした覚えはない」という話が飛び出した。  つまり、献金の原資が記載された個人のカネではなく、百次建設または他の第三者によって提供されたということだ。  この話が事実で、献金原資が会社のカネなら、実態は「企業献金」だった疑いが生じる。  政治資金規正法が、政党および政党の政治資金団体以外の政治団体に対する企業・団体献金を禁止しているのは言うまでもない。  前掲のリストでも分かるように、1月から12月までの1年間分が18人、6月から10月までに12月を加えた6か月分が10人、6月から12月までの7か月分が6人など、何らかの都合で複数のグループごとに献金額(期間)を合わせた形となっており、それぞれのグループの献金原資が同一であった可能性を示唆している。  百次建設に対し、42名分のリストを提示し事実関係の確認を求めたところ、担当者は、前回の取材で百次建設側が献金の取りまとめをしていたことを明言した社員だった。 百次建設側が取材拒否  取材の趣旨について説明したところ、調べてFAXによる回答をすると約束したが、翌々日になって確認を入れると「個人的なことなので、お答えしないことにした」と態度を一変させている。取材拒否である。  本当は企業献金ではないか、と追及したが、百次建設の担当者は「違います」と叫ぶように言って、一方的に電話を切ってしまった。何をかいわんやである。  匿名を条件に話をした同社関係者からは、「百次建設かその関連会社が、関係者の名前を借りて献金した可能性がある」と示唆するものや、「そんな(政治家に献金するような)余裕はない」とあからさまに献金を否定する話が出ている。  祐祥会側は、献金を受ける際、紹介者にすべてを委ねていたとする説明をしており、相手先の確認もせぬまま振込みを受けていたことを認めている。こうした手法が企業献金を黙認するためだった可能性も否定できない。     これまで問題になった知事側への不適切な献金は、すべて知事選が行なわれた平成20年に集中しており、知事の選挙資金が疑惑まみれだったことを証明するものだ。  

2012年8月22日水曜日

福島県でプルトニウム検出と文科省が発表。サンプル採取から1年以上経過している上に、楢葉町の警戒区域解除後に発表しています。マスコミはその点も追及すべきではないでしょうか。 http://portirland.blogspot.jp/2012/08/fukushima-purutoniumu-genpatsujiko-kuni.html
「ルポ 原発作業員 ~福島原発事故・2年目の夏~」/故郷を放射能に汚染されてなお、原発での仕事を生活の糧にせざるを得ない作業員たちの日々
【放射能】ドイチェ・ヴェレ「福島で増えつつある“遺伝子の欠陥”と人体」 http://www.dw.de/dw/article/0,,16170549,00.html ☆福島で増えつつある遺伝子の欠陥を、科学者たちは怖れている(DW English) http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/636.html 原子力 (福島で増えつつある遺伝子の欠陥を、科学者たちは怖れている) 福島原発の大事故の影響は、いまや、蝶に見られるようになった。人体もこの影響を受け始めるかも知れないと、研究者たちは心配している。 福島での核のメルトダウンによる放射線の結果として、奇形が見つかったのは、シジミチョウ科の蝶だ。 この科の蝶は、世界のどこでも見つかっている。この蝶は、環境の変化に非常に敏感だ-水から大気汚染まで、化学物質から放射能まで。 そのため、科学者にとって、シジミチョウは健全な環境について優れた指標となる生物だ。シジミチョウが病気になったとき-たとえそこに、目に見える問題が何もなくとも-それは生態系のどこかに問題があるという意味だと、放射線の専門家で核戦争防止国際医師会議(IPPNW) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E6%88%A6%E4%BA%89%E9%98%B2%E6%AD%A2%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E4%BC%9A%E8%AD%B0 の会員、ヴィンフリード・アイゼンベルグ氏はDWに語った。 「日本の科学者たちの発見は、驚くに当たらない。チェルノブイリ以後に実施された研究には、類似の発見があった」と、同氏は説明した。 蝶・ネズミ・鳥に奇形 1986年のチェルノブイリ原発の大事故の後にも、福島の蝶に最近見られたものと類似の奇形が、昆虫に観察できた。 現在もなお、研究者たちは取り組みを続けており、大事故があってから52世代目の野ネズミには、汚染されていない地域の野ネズミの約100倍の遺伝子の突然変異があることを発見したと、アイゼンベルグ氏は語った。 ツバメも大きな影響を受けた。チェルノブイリやその周辺地域では、鳥は絶滅したも同然だ。そこでまだ生きている鳥たちは、「頭が非常に小さく、成鳥にまでうまく育つ割合は非常に低い。」と、アイゼンベルグ氏は説明した。 人々にも原子力の放射線の影響がだんだん現れるようになると、ヴィンフリード・アイゼンベルグ氏は怖れている しかし、遺伝子の欠陥を子孫に受け継いでいくのは、動物や昆虫だけではない。チェルノブイリの9カ月後、トリソミー21-DNAの21番染色体が1本余分に多い病気(ダウン症候群として知られている)-を持って産まれる新生児の数が顕著に増加した。 この期間は-チェルノブイリの外側でも-奇形や流産の数が特に多かった。放射線防護協会のレポートによれば、チェルノブイリの大事故の結果、ヨーロッパ全土で18,000~122,000の人々に遺伝子の欠陥がある。 小量の放射線でさえも危険性がある 突然変異を起こさないために、細胞が受けることのできる放射線の限界は、明らかでない。ミュンヘン・ヘルムホルツセンターにある放射線防護研究所のペーター・ヤコブ所長は、小量の放射線でさえも、ダメージを与えるには十分だと、DWに語った。 しかし、ヒトの細胞には、長い時を経て進化した優れた防御システムがある。どのような異常が細胞分裂の間に発生しても、ある酵素がそのほとんどを確実に修復する。しかし、放射線に短い時間被曝した後、短時間にそれを修復するとき、次の世代の細胞に受け継がれるような、より重大な異常をもたらす可能性が生じる。長期的には、それが癌につながる可能性がある。さらに、その突然変異が精子や卵子の細胞に発生したとき、病気の原因となるこういった突然変異が、次の世代に受け継がれる危険性がかなり高くなる。 病気に対する恐怖 原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)が実施した研究では、福島での原子炉のメルトダウンの結果として、日本で甲状腺癌や白血病の数が顕著に増加することはないであろうという結論が出ている。それでも、動物や昆虫の研究結果がヒトのためにきちんと声を出すことができないとしても、奇形の蝶は自分たちのために声を出していると、アイゼンベルグ氏は語った。 日本の40,000人以上の子どもたちに一連の超音波検査を実施した結果、その35%にしこりや嚢胞が見つかった。 「子どもたちにとって、これは普通じゃない」と、かつて小児科医でもあったアイゼンベルグ氏は語った。同氏は、何人かの同僚とともに、福島第1原発の大事故があってからの期間について、日本の出生に関する統計を取得できるよう要請している。いまのところ、取得が認められるのを、同氏はまだ待っているところだ。
「脱原発法」制定求め始動 大江健三郎氏や弁護士ら) http://www.47news.jp/CN/201208/CN2012082201001151.html  「脱原発法制定全国ネットワーク」を設立し、記者会見する大江健三郎氏=22日午前、衆院第1議員会館 【関連動画】 「脱原発法」制定求め始動  ノーベル賞作家の大江健三郎氏ら脱原発を目指す作家や弁護士らのグループが2025年までの全原発廃止を目標とした「脱原発基本法」制定を求め全国組織を設立し、22日記者会見した。  グループは「脱原発法制定全国ネットワーク」で、代表世話人は大江氏のほか、宇都宮健児前日弁連会長や音楽家の坂本龍一氏、茨城県東海村の村上達也村長らが務める。法案を早期に国会に提出し、可決するよう各政党や国会議員に働き掛ける。  ネットワークが作成した法案要綱によると、「(原発は)エネルギー安全保障上、極めて脆弱なシステム」と指摘。
動画. ドイツでのINDECT反対デモ.INDECTとは市や国がMAILやTWITTER,FBも車も監視し我々個人の情報が集められる,個人の私生活が監視され,危険な法律である,我々は監視されないで自由に生きる権利がある! http://anonnewsde.tumblr.com/post/26552539345/info-was-ist-indect-indect-it-will-be-that ANONYMOUSがINDECTの事を説明し私生活が監視され,とても危険な法律だと反対している動画です.

2012年8月21日火曜日

(福島より、SOS!-福島の現実です.) http://89wonderful.blog71.fc2.com/blog-entry-185.html 福島の被災者をこのまま放っておいてはいけない。 皆様は福島の被災者の現実をご存じですか?  私は昨年の6月から支援活動を始め、現在は広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、は南相馬(小高、原町、鹿島)の仮設住宅、借り上げ住宅、施設、幼稚園、小学校、中学校、あわせて100カ所以上の方々に支援品送りをさせて頂いている者です。一時は川内村、都路、葛尾村にも支援をさせて頂いておりました。そうした中で、福島県の方々の苦悩を知るにつけ、この苦悩を見て見ぬふりしてはならないと思うようになりました。どうか、皆様、現実の姿を知って、救いの手をさしのべていただきたくお願い申し上げます。  まず、支援品についてです。福島は未だ寝具、衣類、下着、食器、生活消耗品、水、お米、調味料、食品などが不足しており、皆さまの温かいご支援をお願い申し上げます。  災害当初から支援は宮城、岩手に集中しておりました。福島は、原発への恐れからでしょうか、福島へ支援は入ることなく、宮城、岩手に流れておりました。支援品があふれて困っているとお聞きした宮城に、福島にお願い出来ないかと問い合わせましたが、他県に入ったものを福島に流すのは無理とのこと、ここでも決まりがあることを知りました。  私たちの義援金についてお話しさせていただきます。これは日赤の方からうかがった話です。私たちの義援金はそのまま県に渡し、県から市町村、そして被災者にと委ねたそうです。海外からの義援金は被災者への家電6点セット、教育支援、体育館、病院修繕費、ソフト事業費に。日赤としては国から資金をもらうことはなく、以前からの日赤の資金で毛布配りをしたとのことでした。被災者に義援金のことをたずねると、一家族につき5万円、7万円、30万円と町によって異なっておりました。それにしても余りにも少ない義援金。私たちの義援金はどこに使われてしまったのでしょう? 被災者にとって悲しかったことは、国からのお見舞金が何もなかったことです、とおっしゃっていました。  東電の補償金についてお話しいたします。東電は賠償金の一部として昨年秋頃、単身者75万円、一家族(2人でも7人でも一様に)100万円支払いました。しかも申請のためには何ページもの書類を書かせられて。しかし、この賠償金は仮払金なので、全額返すように言われ、12月頃から被災者は返金させられています。また、昨年6月から3カ月毎に、精神的損害金が一人10万円ずつ支払われるようになりました。しかし、このお金も仮払い金なので、6月からの3カ月分を返済するように言われ、被災者は自動的に引かれています。つまり、単身者は105万円、3人家族なら190万円を返金しなければならないのです。人によっては、毎月の10万円で返金することにした、という人もいます。何ということでしょう。お金のない被災者は、どうやって生きて行ったらよいのでしょう?  国民年金のある人は月6万円で生活しています。光熱費、交通費すべてを6万円で。雪国の会津は灯油代の出費も加わり、食費が無く、食事を抜いている人もいると聞きます。被災者に国は生活保護制度を適用できないものでしょうか?  国民年金の年齢に及ばない人、住宅ローンの残っている人、仕事が見つからない人は、さらに深刻です。ある中学校の校長先生から「食事を食べないで来る子もいる。子どもたちはお八つをするチャンスがないので、せめて学校でお八つを食べさせたい。お菓子の支援が欲しい」と頼まれたとき、経済上の深刻さに唖然としました。  双葉町の町役場の責任者からうかがった話ですが、3月11日に職員は出張で仙台に行っていたそうです。それで当日双葉町にいなかったからと言って、東電はその人に賠償金を出さなかった、とのことです。かわいそうに、その職員は、家を新築して3月13日に入る予定だったとのこと。一日も住むことなく、ローンだけが残り、東電からは賠償金ももらえないのです。  福島の被災者に対する国や東電の対応については、いっさい報道されないために、地元の人でさえ本当のことが分からず、「あなた達は東電のお金で楽な生活をしているんでしょう」と言われ、子どもまでもがいじめにあっています。周りから白い目で見られている被災者たちは、お世話になっているからと小さくなって生活し、家の中にこもりがちになり、孤独とストレスで、鬱病、パニック症候群になっていく人が多く、自殺者が絶えなくなりました。死んだ方がまし、死にたい人の気持ちがよくわかる、とよく耳にします。実際、また葬式?と思うほど、仮設の自治会長さんはしょっ中、葬式先から電話を寄こします。私どもが支援している方のお兄様も自殺されました。原発で入れない地域のスーパーの店主。生きる希望を失ったようです。  東北の方は、被災前は何世代も一緒に住む大家族が多いです。肩を寄せ合って生活していました。しかし原発によって、家があっても家に住むことが出来ず、家族はバラバラに引き裂かれ、年寄りは一人仮設に預けられ、冷蔵庫の使い方もわからない方、料理作りをしたこともない80代の方が、細々と生活しています。子どもの声が聞こえない、ひっそりとした仮設で、部屋にこもって出ようとしない人や精神的におかしくなった人、救急車の世話になる人が多くなったと、自治会長さんも悩んでいます。  若い夫婦も、夫は仕事を求めて出稼ぎに行き、親子バラバラになり、精神的に不安定になった妻はアルコール依存症になり、子どもも不安定になり、家族崩壊状態です、と言って小学校の校長先生は胸を痛めておりました。  仮設住宅は人間の環境としては考えられないほど最悪です。私にはとうてい我慢できないと思いました。4.5畳という狭い部屋、押し入れは半畳。収納場所がないため、最低限のものしか置けません。周りに品物を置くと空きスペースは寝るのがやっと。手足を十分に伸ばせません。隣の人の話し声が聞こえるので、小さい声で話したり、テレビも小さい音にして聞いているとのこと。屋根はトタンなので、今は冷房をしないとサウナ風呂に入ったよう。窓は一つでベランダもないので、玄関の戸を閉めると、真っ暗で風通しが悪く、穴蔵に入ったようで、夜は寝られず、熟睡できません、と言います。2~3人家族は4.5畳2間、プライバシーを守ることもできず、空間がありません。ある被災者は、「ここにいると息が詰まりそうで頭がおかしくなります」と言いました。  冬になり暖房をすると結露で床や畳が濡れ、湿気でカビが生えます。また、仮設は杭にチェーンで止めている所もあり、大風が吹くと家が揺れて怖いという所もあります。人間には生活環境が大切で、これでは心身の病気になっていくのは当たり前と言えないでしょうか? 被災者を一日も早く、この環境から救えないのでしょうか? 本腰を入れてアパート等を作り、被災者を仮設から解放できないのでしょうか?  除染について、被災者の声をお伝えします。 「わたしたちの町は、もう住めないことが分かっている。30年40年帰れないことも分かっている。だのに、住めない所をどうして除染するのか。お金を捨てているようなものです。それよりも被災者の生活安定に目を向けて欲しい。別なところに新しい町を作って欲しい。新しい住まいも作って欲しい。除染ばかりに目を向けず、被災者の生活をまず第一にして欲しい。汚染された所は仕方がない。そこを廃棄物置き場にしたら良い。ふる里を失うことは辛いです。しかし、前を向かなければならない。私たちはもう住めないと思っているのですから。しかし、東電と国は除染したがる。そして解除したがる。解除して自宅に帰れると、補償金を出さなくて済むからです。国と東電は一つです」と、ある被災者は言いました。  最近、驚いていることがあります。南相馬市小高区は来年の5~7月ごろ除染することになりました。その前に復興庁は2000万円の予算を出し、被災者に日当で草刈り、ガレキ処理をさせることになりました。「雇用の確保に、ということですが、それは放射能を浴びさせることです」と役場の人も言いました。実際、現場で働く被災者が30分草刈りしたら1.25マイクロシーベルトあった、と言います。彼は担当者に言ったけど無視された、とのこと。現場には役場の人は来ていません。被災者はマスク無しで、普段着姿で働いています。弁当も出ません。そして、5月から働きだして、3カ月過ぎましたが、今でもお金は出ていません。8月10日過ぎに出ると言われた言葉を信じて、被災者たちは黙々と働いています。「お金のない我々は農協からお金を借りて生活しています。8月10日過ぎにお金が入ったら、農協に返金するつもりです。1日8時間、月~土曜日まで働いています。休みは雨の日と日曜だけです。」  皆さま、福島の方々は悲しすぎませんか? 全てが人道的に許されることでしょうか?これは、国をあげての「いじめ」になりませんでしょうか? いじめは犯罪行為でもあります。私は国の無関心、対策の先延ばしに、ナチスのユダヤ人虐殺が重なって感じられます。どうぞ皆様、被災者を救ってください。皆様のグループに現地の方をお呼びしてお話を聞いて下さい。そして物品や義援金のご寄付をお願い申し上げます。ご協力頂けます方は、よろしくお願い申し上げます。   ******************************************:: 以上。  
(そう、どこも戦争。同じ会社で40歳代女性と30歳女性社員が相次いで甲状腺ガン、新宿区、この夏の出来事。) http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/9ed9e72eda4ef878e2511820d2d88587 2012-08-21 15:46:12 | 福島第一原発   可視化した死のリアリティを皆が見据えることが、可視化されない死のリアリティを皆が感ずることに通じると僕は思っている。そう、どこも戦争。今の日本にとって、特に思う。 ====================================================  「私の親族が新宿区内で働いてました。40代の方は社長の奥さんです。微熱が続きずっとだるさが続いてたので詳しい検査をしたところ初期の甲状腺ガンでした。そして30歳の方は社員の女の子です。この方は、だるさと微熱がだるさが続いたので、検査をしたらやはり初期の甲状腺ガンでした。2人共手術を終えて、その後は体調も回復に向かい今は普通の暮らしにもどりつつあります。私の別の親族がアメリカに住んでおり、爆発当時から危険を教えてくれてたので私も気を付けてました。子どもいますので。」  これは、両方とも、この7月に起きたことと、ご本人から伺いました。会社が同族的な小規模の会社、従業員数は多くないそうです。何千人、何万人いる会社なら、偶然の発生確率はあると思いますが、桁が2つ以上は違う小さい会社です。初期に見つかった甲状腺ガンは予後は極めてよいですし、実際に術後の状況よいようです。ただし、こうした報告が、同じ場所の、同じ環境でいる、ごく少人数で同時期に複数人おきていることを知ってほしいと、思います。この夏の出来事です。  さて、伊豆半島、特に東伊豆のエリアが1000q/kgから2000Bq/kgの汚染は、伊東市内や熱海市内で見つけることは難しくありません。一碧湖近くの住宅地で2万Bq/kgを超える汚染も見つかっています。このエリアからの健康情報が、数か月前からこんな感じで届いていました。 「伊豆半島周辺の大きい病院からの情報です。最近、伊東から(箱根の山を越えて)の患者さんが増えており、 皮膚に赤い斑点が出たり、のどが痛くて仕方が無いといった症状で通院している方が多いとのことでした。 その症状は一向に治る気配がなく、病院側は、国からの指示があるのか?放射能の影響とは言えないとのことでした。」  そして、ある中学生におきた身体症状の詳細と、その伊豆・伊東エリアでの状況を再度を送ってくださいました。発疹→腫れ上がり→免疫不全と腸炎。こういう感じ進行するのは、典型的なパターンとも思います。 「伊豆市(伊豆市山間部に居住)の方から直接話しがあり、今年3月に息子さん(当時中学3年生、現在高校1年生)の 足や顔に赤い発疹が出来、その後足が膨れ上がって歩けなくなったそうです。(画像で確認をしました。) さらに、免疫不全、腸炎となりその地域で大きな病院に入院をし、退院はしたものの、現在も通院しているとのことでした。 当時、学校のグラウンドを裸足で走る様な活動があったとのこと。 この病院には、伊東からの患者さんが増えているものの、 医師は放射能の影響とは認識していても、患者さんには、教えないことと同様に 今回も伊豆市の方にも原因については明確な答えを出さない様です。」

2012年8月19日日曜日

グローバルフードシステムと呼ばれる世界の食料貿易動向および穀物メジャー企業の実態についての調査研究の第一人者である、ブルースター・ニーンさん、キャサリン・ニーン­さんから、TPPについて、日本の人たちへ送るメッセージ. http://enzai.9-11.jp/?p=12307
ドイツ新聞.日本と中国の紛争. 両国が尖閣諸島の権利を主張しているのは埋蔵されている 石油·ガスが原因か! 日本は尖閣諸島を制御したのは1885年であると主張, 中国はDiaoyu島は地図や本が証明しており明王朝時代中国に属していたと主張した. 東京都の石原慎太郎知事は尖閣諸島を買う事を4月に発表した。 北京の日本大使丹羽宇一郎は、それが中国と日本の間の紛争を悪化させる可能性があると6月に警告した。 埋蔵されている石油とガスが原因で尖閣諸島紛争は継続するだろう. 9月末の第四十回中日記念日に中日国交正常化は困難と思われる. http://www.sueddeutsche.de/politik/streit-zwischen-japan-und-china-japaner-hissen-flagge-auf-umstrittener-insel-1.1444503
【再褐】 『尖閣諸島問題』 その真相 2012年08月19日 | Weblog 以下に取り上げたのは、今からちょうど2年近く前の「尖閣問題」に関するエントリーである。 『尖閣諸島問題』 その真相 http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22 2010年9月24日 尖閣諸島における漁船衝突事件に端を発する中国・台湾側の行動が日に日にエスカレートしているとの報道が連日なされている。 偏狭の無人島であるはずの尖閣諸島が何故ここまで騒ぎになるかと言えば、その根底に「領土問題」があるからである。 漁業権の問題も勿論であるが、日本と中国・台湾が同領土に拘る(こだわる)最大の理由は、「イラクにも匹敵する程の海底資源(1000億バレルもの石油、ガス田)が埋まっている可能性があるため」である。 実際、それまで尖閣諸島に何の興味も示さなかった中国・台湾が、1971年に地下資源埋蔵の可能性が確認された途端、「領有権」を主張し出したというのが事の経緯である。 では、今回の一連の騒動は中国が日本に対して、尖閣諸島の領有権奪還を目的におこなっているということであろうか? 外見上はそう見えるが、その答えは「否」である。 結論に入る前に、尖閣諸島については、以下の通り、2点の興味深い事実が存在する。 ①尖閣諸島近辺に豊富な海底資源があることは、69年~70年、”アメリカの犬”である「国連」による調査にて判明した。 ②同時点で尖閣諸島は日本領ではなく、アメリカ領であった。 ”石油利権”確保のためなら、戦争を起こしてでもそれを略奪してきたアメリカが、実にアッサリと日本に尖閣諸島を返還しているのは明らかに不可解である。 では何故アメリカは尖閣諸島の海底油田をみすみす放棄したのであろうか? ひとつには、実際問題として、尖閣諸島に埋まっている海底油田の開発が、技術的にも、経済採算的にも、海洋環境保全的にも、割に合わないためであろう。 即ち、「旨味に乏しい」「おいしくない」ということである。 そしてもうひとつには、日本・中国・台湾による”争い事””諍い(いさかい)事”を創出する目的のためであると推測される。 つまり、日中台が連携し”親アジア化”することのないよう、海底資源の奪い合いをするよう仕向けるべく”地雷”を仕掛けたということである。 上記①にあるように、アメリカの手先である「国連」が尖閣諸島の海底資源の存在を示した情報元であるところに”胡散臭さ”が漂っており、実際のところ、1000億バレルもの石油が存在するという話もかなり”誇張”されたものであろう。 アメリカ戦争屋からすれば、極東地域は、主戦場である中東地域に次ぐ”ビジネス(金儲け)の場”である。 第2次大戦後、中東の継続的混乱状態を創出する目的で、イスラム教の聖地エルサレムにイスラエルを建国したのと同様、極東地域の混乱状態を創出する目的のひとつとしてアメリカが仕掛けたのが、今回の尖閣諸島問題であろう。 上記より、今回の尖閣諸島問題の裏側には、「アメリカ戦争屋」が暗躍しているとみるのが妥当であろう。 そして、その真の狙いは、「日中による軍事衝突ではなかろうか?」と小生はみている。 今回の中国側の一連の過剰行動は、明らかにパフォーマンスがかっており、これは中国の国家レベルでの意思ではないであろう。 アメリカに「戦争屋勢力(デイヴィッドRF系)」と「銀行屋勢力(ジェイRF系)」があるように、中国も大きく分けて「北京閥」と「上海閥」という勢力図・勢力争いが存在し、決して”一枚岩”ではないのである。 国家間に起こっているどんな問題でも、その国家を”一枚岩”のものとして捉えて物事は見てしまうとその全貌は見えてこない。 それぞれの国家には、大概、対抗する2つ(以上)の勢力があり、そのいずれかが敵対している国家の一派と結託しているものである。 日本のマスゴミや”御用評論家”連中は知ってか知らずしてか、国家が一枚岩である前提レベルでしか物事を見ないため、”外交オンチ”も甚だしく、話を聞いていても「事の真相」が一向に見えてこないのである。 今回の尖閣諸島問題で言えば、「アメリカ戦争屋」と「上海閥」が結託し、問題をエスカレートさせ、場合によっては紛争(戦争)にまで発展させようとしているものと思われる。 (あくまで個人的な「仮説」である) 何故なら、尖閣諸島あるいは日本海沖にて有事が発生すれば、「アメリカ戦争屋」は”親アジア化”の阻止と武器・弾薬の一掃セールで大儲けができ、対する「上海閥」も崩壊寸前のバブル経済による弱体化により「北京閥」に対して国内での影響力・発言力が弱まる懸念を払拭・回避できるというメリット・狙いがあるからである。 即ち、「アメリカ戦争屋」「上海閥」両者の思惑が一致したのが、今回の尖閣諸島における騒動の真相であるのではなかろうかというのが小生の見解である。 ジョセフ・ナイ ここで、アメリカの”ジャパンハンドラーズ”の大物・ジョセフ・ナイが以前に取り纏めたという興味深い報告書が存在するので紹介したいと思う。 その報告書は、「対日超党派報告書」― Bipartisan report concerning Japan ―というものであり、その内容は以下の通りである。 1.東シナ海、日本海近辺には未開発の石油・天然ガスが眠っており、その総量は世界最大の産油国サウジアラビアを凌駕する分量である。米国は何としてもその東シナ海のエネルギー資源を入手しなければならない。 2.そのチャンスは台湾と中国が軍事衝突を起こした時である。当初、米軍は台湾側に立ち中国と戦闘を開始する。日米安保条約に基づき、日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。中国軍は、米・日軍の補給基地である日本の米軍基地、自衛隊基地を「本土攻撃」するであろう。本土を攻撃された日本人は逆上し、本格的な日中戦争が開始される。 3.米軍は戦争が進行するに従い、徐々に戦争から手を引き、日本の自衛隊と中国軍との戦争が中心となるように誘導する。 4.日中戦争が激化したところで米国が和平交渉に介入し、東シナ海、日本海でのPKO(平和維持活動)を米軍が中心となって行う。 5.東シナ海と日本海での軍事的・政治的主導権を米国が入手する事で、この地域での資源開発に圧倒的に米国エネルギー産業が開発の優位権を入手する事が出来る。 6.この戦略の前提として、日本の自衛隊が自由に海外で「軍事活動」が出来るような状況を形成しておく事が必要である。 実に恐ろしい内容である。 このアメリカ政府の戦略文書は、クリントン政権時、CIAを統括する米国大統領直属の国家安全保障会議NSCの議長で、東アジア担当者でもあったジョセフ・ナイが、米国上院下院の200名以上の国会議員を集め作成した、対日本への戦略会議の報告書である。 クリントン政権時代と聞いて「古い」と思うことなかれ、「アメリカ戦争屋」はいつの時代も極東地域の「パレスチナ化」を想定しており、極東にて物事がうまく運ばない場合は、いつでも”代役”である東アジア諸国を戦争に導く腹積もりがあるということである。 アーミテージ元米国務副長官 この他にも、やはり”ジャパンハンドラーズ”の大物・アーミテージ元米国務副長官が、2000年に対日外交の指針として、ジョセフ・ナイら超党派と「アーミテージレポート」なる報告書を作成している。 その報告書もやはり、日本に対して有事法制の整備を期待する内容がこと細かく盛り込まれた、恐ろしい内容となっている。 (具体的に、尖閣諸島や集団的自衛権の行使にも言及されている) これらの報告書に書かれた内容が「アメリカ戦争屋」の行動のベースにあると考えるならば、尖閣諸島問題の裏側でアメリカが糸を引いている可能性が極めて高いというのが小生の見解である。 よって、我々日本国民は、このような政治的背景がある可能性があることを認識し、決して中国の挑発に乗らず、”反中感情”などを持たないことが肝要である。 日本国民が感情的になって”反中”を叫べば、喜ぶのは「アメリカ戦争屋」であり、それに従属する政府・官僚・マスゴミをはじめとする売国奴連中らである。 最後に、TV各局で流されている中国本土における「反日行動映像」はごく少数の人間によるもの(”ヤラセ”疑惑もあり)であり、中国全土でみれば、そのような反日的行為はほとんど見られないというのが実情との情報を耳にしているので、”反中”を焚きつけるようなマスゴミ報道にはくれぐれも騙されないよう、冷静に受け流すべきであろう。

2012年8月16日木曜日

米国国家安全保障の調査で日本は原子力産業を利用して,1980年代以降から兵器級プルトニウム,70トンを蓄積!CIAは1960年代以降,日本は秘密に核兵器計画をしていた!と報告. 日本政府は続いて、宇宙プログラムを装い核爆弾プログラムを謀っていた.原子力産業を利用し秘密に核爆弾プログラム を行なっていた 中国、インド、パキスタンよりも大きな核兵器を作るのに十分であると米国国家安全保障ニュース·サービスの調査で明らかになった. http://www.dcbureau.org/201204097128/national-security-news-service/united-states-circumvented-laws-to-help-japan-accumulate-tons-of-plutonium.html (米国は、日本がプルトニウムを蓄積する為に援助する法律を回避した.米国国家安全保障ニュース.サ-ビスからの報道.)
小出裕章(京大原子炉実験所助教) 「たね蒔きジャーナル」存続呼びかけ. 無料ボランティア出演の呼びかけ、スポンサー料の市民による寄付を呼びかけています。詳細はこちら → http://www.tanemakifan.net

2012年8月15日水曜日

(東電福一4号機で汚染水漏れ セシウム3234億ベクレル.2012/08/14) http://portirland.blogspot.jp/2012/08/toden-osensui-fukuichi-4goki.html
【意見映像】福島の子供の甲状腺に半端ない異常が起きてる件.2012年1月に福島県の子供たちの甲状腺の異常の有無についての超音波検査の結果の一部速報が出ました。それによると二次検査が必要とされる5.1mm以上の結節を持つ­子供が0.7%いたそうですが、その影には追加検査は必要ないとされる微細な結節やのう胞を持つ子供が全体の29.7%もいたそうです。関係者は良性だから問題ないと言っ­ていますが、うpなりにいろいろ検討した結果、本当にしゃれにならない異常事態がおきているとの結論に達しました。福島は確実にチェルノブイリ化の道をたどってます。関係­者各位の医者や行政担当役人や政治家の方、この映像はどう思われますか?
ドイツ新聞.福島原子力事故により、原発地域周辺で蝶の奇形が起こった.沖縄琉球大学科学者は蝶の子孫3世代まで奇形が継続する事を発見した.被爆したシジミチョウを調査し,幼虫は先天性損傷で目や翼の奇形が起こった. 研究者は幼虫を飼育し,子孫の18%が奇形を示し,三世代でも、34%が奇形を持った.福島事故六か月後,福島原発周辺地域の、240匹のクモを調査し,それらのクモの子孫に52%の奇形が現れていると 雑誌 "科学レポート"に書いている. 調査は、福島原発から放出された放射線により蝶の組織が損傷している事を示している.沖縄大学の研究者達は他の動物の研究を計画している. http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/fukushima-strahlung-fuehrt-schmetterlingen-zu-mutationen-a-849972.html
赤ちゃんが小児がん、神経芽腫。「一刻も早い避難を」と訴える御両親。東葛エリアでない千葉。 http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/53cdfbf00aba0bb0ccea694cd12f11a4 )首都圏放射性物質要注意】 千葉の日本分析センター。  この夏に入って7/9~16 セシウム合算70MBq/k㎡。  7/30~8/6で40MBq/k㎡。地表の降下物で確認されています。    セシウム134も137も検出されています。ことしの四月頭に検出されて以来のことです。まだ続いています。http://t.co/NwbWnAT5   またしても敗戦状態にある日本。きょうの敗戦記念日は、僕の肩には重くのしかかります。夢見も悪いです。  共和党の大統領候補のロムニー氏は、「我々は日本とは違う。今後10年、100年かけて没落し、困難に苦しむ国にはならない」と断言しています。アメリカから見た場合、3.11.による日本の更なる敗戦はあきらかで、それをむき出しで突きつけられているだけです。そのままが、現実です。こういう現実をいつまでも直視しない日本人、特に大半の東京人の感覚は、僕には超絶的な思考としか言えません。現実とは隔絶した人々と僕の意識の隔たりは大きいものがあります。90年代にソ連がどれだけ混迷したのかを知ればわかる話なのに。   さて、千葉県内のある大きな病院で治療を続けている親御さんのお手紙を転載いたします。これは、転地や保養の関連のプロジェクトにお申込みをされていた方です。それが、生まれて数か月のお子さんに小児がんが発覚した話です。東葛地域ではありませんが、千葉市内と同様に、県内では標準的に汚染されているエリア。土壌汚染で1000Bq/kgの汚染はふつうにあるだろうなという地域のお子さんです。親御さんが去年の3/15や3/20などの初期被曝が想定される日程の中で、それをどこまで避けられていたのかは、はっきりとはわかりません。しかし、汚染の状態が判明してから食べ物のと飲み物には気を使われていて、マスクもされていたと言います。食べ物のと飲み物の内部被ばくはまず避けられている。それ以外の吸気は完全にはわからないと、僕は読ませていただいて、思いました。  もちろん神経芽腫はまれな病気で、被曝が原因と断定するのは、難しいです。しかし、まず、この文章をお読みください。 ==================================================== こんばんは、 本日は、大切なお知らせがあり、メールさせていただきました。 先にプロジェクトのご通知をいただき、交通手段の確保や情報収集などの準備を進めてきたところです。 しかしながら、(ことし)4月に生まれた子どもの腹部に腫瘍が発見され、病院に緊急入院し、妻は子どもに付き添って病院に泊り込む事態となってしまいました。 これまでの検査により、小児がんの一種である「神経芽腫」との診断が下され、明日は、腫瘍の一部を採取し、その悪性度を判定するための手術を行う予定です。 病巣の詳細がすべて明らかになったわけではありませんが、担当医師からは、今後数ヶ月から1年程度、治療を続けることとなりそうだといわれております。 私たち夫婦は、原発事故以降、不要な外出を避け、水や食材に気を配り、できる限りの防御を心がけていただけに、わが子に下された診断に、残念な思いでいっぱいです。 腹部にできた腫瘍が、原発事故で放出された放射性物質の影響であるか否か、個別事例について科学的に証明することは困難なのかもしれません。 しかし、原発から撒き散らされた放射性物質による小児がんが、今まさに発生し始めており、今後それが統計的に明らかになってくるのではないでしょうか。 そう考えると、とても恐ろしい。 現在「神経芽腫」の年間発生件数は200程度だそうです。これから先、この病気のほか、白血病や脳腫瘍など、小児がんを発症する子供が増えてしまうのではないかと大変危惧しております。 多くの親御さんが、放射性物質の影響を心配しています。 一人でも多くの子供たちが避難を実現し、健康な体を保ち続けられることを願ってやみません。 そして、避難を躊躇されているご家族に対して、一刻も早く行動を起こされるよう、訴えたい気持ちでいっぱいです。 すみません、私どもの状況説明が長くなってしまいました・・・。 乱文にて失礼いたしました。取り急ぎご報告いたします。 【さらにこの後のメールより】 妻は、放射性物質の影響を早い段階から心配し、空間放射線モニターを携帯し放射線量の高い場所には近寄らないようにしていましたし、外出するときはマスクをつけ、水はペットボトルの水を使用し、食材は産地を吟味し、外食はほとんどしていません。 その意味では、我が家の食卓において、食材から体内に放射性物質が入る機会は、ゼロではないにしろ、他の家庭に比べて非常に少ないものと考えています。 しかし、子どもは小児がんになってしまいました。 病が放射性物質の影響だとすると、我が家の対策では不十分であったといわざるを得ません。 それは、経口・呼吸・皮膚からの吸収による内部被爆に加え、環境中の放射線による外部被曝の影響をより深刻に捉える必要があることを意味しています。 私は、妻が食や生活環境に配慮してくれているので、我が家では、放射性物質の影響を受けないものと高を括っている部分がありました。 これから治療にどれだけの時間がかかるのか分かりませんが、治療にめどがついたら、この先の対応について、真剣に考えなければならないと思っています。 病とその治療の過程いおいては、さまざまなことを考えさせられます。少しずつ自分の考えを整理していきたいと思っております。 ===================================================  神経芽腫に関しては、「南ドイツの放射能汚染された地域では,チエルノブイリ後,子供達に非常にまれな腫瘍が多くみられた(いわゆる神経芽細胞腫)」という記載がGesundheitliche Folgen von Tschernobyl - IPPNWにあります。「マインツ市小児がん登録制度のデ-タを用いた研究が1993年に発表された。1988年生まれの子どもで-事故の2年後、汚染度の高い地域で-小児腫瘍のなかでもまれな神経芽細胞腫が統計的に有意に増加していた。そのがんの頻度は土壌汚染度に比例して増えていた。」(この部分は「北陸医師の会」http://isinokai.blogspot.jp/2012/03/6-2007-lss-life-span-study-0.htmlの翻訳より)                               汚染のひどい南ドイツから同市に受診に来た子どもが多かったと言いいます。神経芽腫は小児がんの中でもまれです。生後まもなくであれば(一年以内)、比較的予後がよいとされるのが、本当に救いではあります。  こちらの病院では、小児のさまざまな患者が増えているとも聞きます。おそらく、関東エリアで、本当にまともな医師、特に小児に関して実態をそのまま見据えて、対応する小児科医であればあるほど、被爆に関連した疾病の発生に備えている状態だろうと僕は思います。しかし、関東圏で、本当にこのことを見据えて、血液像や甲状腺のチェックを、きちんと現場でおこなっている良心的医師は少ないです。というか本当に、なかなか見いだせない。こうしたことを、自分の診療の中できちんと突き詰めておこなう意志のあるお医者さんは是非僕にご連絡ください。困ったている人たちは、関東圏に多くいて、対応する医師は、本当にパンク寸前の状態なのです。→nagaikenji20070927@yahoo.co.jp

2012年8月14日火曜日

「原発作業の下請けは被曝隠し」仏の社会学者、勲章拒否で訴え/ルモンド紙(8月8日) http://franceneko.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/88-2caa.html
中心が枯れて周縁に分散し始めた「金曜の官邸前デモ」 http://critic5.exblog.jp/18828063/ 政治は生きものであり、刻一刻と状況が変わる。官邸前デモも同じで、様相は少しずつ変化し、前週と同じだったデモは一つもない。7/20のデモに出たあと、 8月に入ると参加者は減るだろうと予想したが、案の定、8/3のデモの動員数は4000人(警察情報)で、2週間前の半分程度になってしまった。この前後から野田佳彦の面会が浮上し、政治の話題になって世間の関心を集めたが、8/10も動員数を挽回できず、いわゆる夏枯れ状態が続いている。主催者(反原連)の関係者からは、デモのルーティン化と隔週開催の弱音が吐かれるようにもなった。今週はお盆休みであり、8/17に動員数が急回復する条件はない。8 /10のデモも警察の厳重警備で締め上げられ、官邸前の歩道空間への人の集結を阻まれて干上がらされ、メインスポットである交差点のスピーカーズ・コーナーは閑古鳥だったのだろう。官邸前に人を集めさせない警察の地道で巧妙な作戦が効を奏している。実際のところ、反原連のデモは、次第に「官邸前デモ」から「国会前デモ」へと姿を変えている。官邸前の空間は熱が冷める一方で、派生的なスポットだった国会前が盛り上がる状況になっている。そしてさらに、「金曜の反原発デモ」は、反原連主催の18時から20時のデモではなく、その後の環境省前や経産省前での抗議行動が熱を帯び、一般の注目を浴びて主役になりつつある。 /環境省前の抗議行動は、「再稼働反対!全国アクション、国際環境NGO FoE Japan、福島老朽原発を考える会、原発を考える品川の女たち、プルトニウムなんていらないよ!東京、経産省前テントひろば」が主催している。反原連とは別の団体だ。反原連の「官邸前デモ」がマンネリ化し、動員人数が減ってくれば、金曜のデモ参加者は当然ながら熱い刺激と感動のある抗議の現場を探すようになる。反原連のデモを支えるために官邸前に出かけているのではないからだ。デモへの参加は宗教的行為ではなく、デモに出る市民は新興宗教の信者ではない。デモは政治の手段である。いわゆる「官邸前デモ」は、主催者にとっても負担感と忍耐感の強い、単調でヘビーなノルマの反復のような性格のものに変わっていくだろう。それは、「同じ事を繰り返すことに意味がある」とする反原連の原理主義が、逆に彼らにとって重荷になり、マルクス的に言うなら、桎梏に逆転した弁証法(反対物への転化)を意味するものだ。政治の手段である以上、それは状況と情勢の変化に応じて柔軟に選んでいかなくてはならない。加えて、ネットで常軌を逸した暴言や挑発を繰り返し、独善に徹して他者を傷つける排除と詭弁と攻撃を止めないところも、デモ参加者の支持や熱意を冷え込ませている一因として否めない。反原連のネットでの爬虫類的な狂暴ぶりと毒牙が周知されてから1か月以上経つが、事態は悪化するばかりで改善の徴候が見られない。 /気になる動きとして、8/7に前原誠司が、「多くの方々が(デモで)集まる中、面会する人が代弁者たり得るのか懸念を持つ。一活動家がすべてを代弁する形で会うことがないようにしてほしい」と言い、反原連と野田佳彦との面会に疑問を呈する発言をしている。同じ日、枝野幸男が反原連と野田佳彦の面会に反対を表明、結局、国会情勢の緊迫を理由に8/8の面会は流れた。当初、反原連は8/10に再日程を調整中と言っていたが、8/10の面会もなく、盆明けに先送りされている。これは、財界側(原子力村側)からの反撃による政治だが、前原誠司の一言は、側近などがネットでの議論状況を監視している結果と言えなくもない。8/8の面会へと動いたのは前原誠司だと私は睨んでいるが、同じ前原誠司が今度は面会を中止・先送りする行動に出た。無論、本音は面会など避けたいのだ。しかし、やるなら菅直人の影響を排除したい。盆明けの面会が実現するとして、前原誠司らの対応は変わっておらず、取り込むか潰すかの二つに一つの方針だろう。反原連の個々についての身辺調査に時間を使った可能性もあり、そうであれば、文春や新潮を使ったネガティブ・キャンペーンが考えられる。前原誠司は、反原連がネットの中で「官邸前デモの代表」として認められていない事実を知っている。平岡秀夫の議論とも関連するが、反原連が政治の世界と接触を深めるほど、この正統性の問題が浮上して論議になることは避けられない。 /だから、反原連の主旨に賛同しない者たちはデモに来るなと言っているのだが、この論法は、デモ参加者全体に通用しないのは当然のこと、反原連をデモの代表として呼ぼうとする官邸側にも通用しないことは言うまでもない。政府と政権は、官邸前デモ全体の代表者と会いたいからだ。もう一つの詭弁論法は、デモの代表などという運動体の正統性の問題は、いまどき流行らない話なので関係なく、無視してよいという身勝手な理屈である。これもまた、デモ参加者には通用するかもしれないが、およそ政府に通用する議論ではなく、政府に税金を払っている国民としては、首相には正しくデモの代表に会ってもらわなくては困る。反原連がデモの代表かどうかは、決してゴマカシたり無視してよい問題ではないのだ。さて、前原誠司以上に、もっと気になる動きとして、橋下徹が再び府市エネルギー戦略会議を稼働させ、「原発ゼロ」を言い始めたことだ。飯田哲也が、また府市エネ戦の特別顧問に戻ると言う。騙される人間は何度でも騙される。大飯再稼働に手を貸した橋下徹が、わずか2か月で、また「脱原発」の衣装を着て政治の表舞台で踊り始めた。 「脱原発」をアピールして、総選挙で維新の票を稼ぐ狙いだ。厄介なのは、全マスコミが橋下徹の味方についている点である。特に、この間ずっと反原発の姿勢で報道をしている古舘伊知郎の報ステが、橋下徹を担いで宣伝しまくり、「橋下徹=脱原発」のイメージ作りに手を貸している。橋下徹が「脱原発」を回収する図への警告は、ずっと記事で繰り返してきたところだが、選挙が近づいて、またこの問題に頭を悩ませなければならなくなってきた。

2012年8月13日月曜日

(2011/3/18 ヘレン・カルディコットさん記者会見 核・福島 )
【政治】野田政権下で海外に14兆円をプレゼント~『5兆は韓国?』 http://kimsoku.com/archives/7264763.html 10日の衆議院予算委員会で質問に立った自由民主党、森ゆうこ議員が野田政権下で国際機関に 約束した資金提供総額を14兆円と断じた。うち韓国への提供は約5兆円となっており、ネット上で 物議をかもしている。 ■ 野田政権になってから海外にプレゼント  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 野田佳彦首相が政権の座について、まだ1年にもならないが、その間に外国や国際機関に提供を 約束した資金は、総額で約14兆3,000億円にのぼる。 内わけはIMFへの資金保証が5兆円、その他発展途上国への円借款などが多く見られる。1国に 対する最大の支援は韓国への700億ドル(約5兆円)にのぼるスワップ支援。ネット上ではこれを とらえ、「なにゆえ韓国を優遇する?」との声が上がっている。 ただ森議員の意図は、「他国を支援する余力があるのに消費税を増税するのか?」との質問で あり、支援の是非を問題視しているわけではない。 ■ わかりにくいスワップ支援  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ スワップ支援とは、韓国がもし手持ちの外貨が不足して、通貨危機に陥った際には、日本がすぐに 外貨(米ドルおよび円)を用立てて助ける、という取り決め。 相互的な取り決めなので、実際に起きる可能性は小さいが、日本が通貨危機に陥った際には、 韓国が外貨を用立てる。 1997年に発生したアジア通貨危機を教訓に、チェンマイ・イニシャティブと呼ばれる支援体制が 構築された。日韓のスワップ支援協定は、これに基づくもの。 麻生政権下では支援の限度額を130億ドルに定めていたが、野田政権下でいきなり700億円に 大幅増額された。 ■ スワップ増額のメリットはあるか?  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 韓国の経済規模は、日本に比べるとかなり小さい。また貿易への依存度が高いため、通貨危機 が起こりやすい。1997年のアジア通貨危機では、韓国経済も大きなダメージを受けた。 大手メディアは「日本が隣国を助けるのは当然」と説明するが、700億ドルもの保証が日本に もたらすメリットは小さい。 強いて言えば、韓国経済に対する信用度が増し、ウォン高につながれば、相対的に円安となり、 対外貿易では有利になる、といった利点があげられる程度。 ただ、あくまでいざというときの支援限度額を定めただけであり、野田政権下で5兆円がプレゼント されたわけではない。その点の理解は必要だ。 ソース:税金と保険の情報サイト http://www.tax-hoken.com/news_acUOZ1pVMs.html?image 引用元:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1342251800
孫崎享氏の講演会『戦後史の正体』・・・「危ないことを話す時は誰かがしゃべったことにする」 http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1629.html 以前、防衛大学にいるときに『日米同盟の正体~迷走する安全保障 (講談社現代新書)』を書いた。 世の中の日米関係の考え方は変わった。 ちなみに防衛大学は、「戦争に突っ走る人たちを作ってはいけない」ということで、特に社会科学の先生方はリベラルの人が多かった。 防衛省の認可する大学相当となっている。 先生は学問の自由はあるべきだとしている。 「日米同盟の正体」の出版は防衛省のOKをとってあった。 2005年の2+2、「日米同盟未来のための変革と再編」lは日米同盟を根本的に変えるものだった。 参照記事: ■日本の民主党政権も“日米同盟の拡大”を踏襲 今回の日米2+2が意味するもの 孫崎 享(日経ビジネス2011年6月30日) http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110628/221164/?rt=nocnt ≪ 通称、日米安全保障協議委員会が6月21日ワシントンで開催された。日本側から松本剛明外務大臣,北澤俊美防衛大臣、米国側からクリントン国務長官,ゲーツ国防長官が出席した。 * 2+2は「安全保障条約」を実質的に変えるほどの力を持つ)  近年、日米安全保障協議委員会は、日米間の安全保障関係で極めて重要な役割を負っている。過去の会議では、その時々の重要課題について協議するケースが多かった。1998年は弾道ミサイル防衛の技術研究、2000年は思いやり予算、2002年は北朝鮮の核開発問題で合意を発表している。  そして 2005年になり重要性は一段と高まった。2005年10月に日米双方は「日米同盟:未来のための変革と再編」に合意した。この合意まで、日米間の安全保障の基本は日米安保条約であった。同条約は日米協力の範囲を「極東」に限定している。さらに日米が共同で軍事行動を取るケースも他国が攻撃した時にほぼ限定している。  しかし「日米同盟:未来のための変革と再編」は日米安保条約の取り決めを越えて、日米共同の軍事行動の範囲を「世界」全体へ、かつ共同軍事行動を取るケースを「国際的安全保障環境の改善のために実施する」と拡大した。例えばサダム・フセインの存在が国際的安全保障環境にマイナスと判断すれば、サダム・フセインが他国を攻撃していなくとも、その排除を「国際的安全保障環境の改善」と位置づけることができる。ある意味では、軍事行動に対する制限を大幅に排除したと言ってよい。この2005年の2プラス2合意が今日の日米同盟の根幹となっている。≫ ************* <やはり反響が大きいのが天皇の米軍基地容認の部分だろう。> <昭和天皇はGHQ側に「沖縄を半永久的に軍事占領してほしい」と伝えていて、沖縄の現実は今でも基本的に昭和天皇の要望通りになっている> これは進藤栄一という当時筑波大学助教授が、雑誌『世界』に「分断された領土」という論文を書いた。(後に本も出版している) 分割された領土―もうひとつの戦後史 (岩波現代文庫) これには日米関係のある意味隠しておきたい「天皇陛下とアメリカ」について書かれていて、著書本人に会って話を聞いた。 発表した時に右翼に狙われると思いホテルをとっていたが誰も何も言わなかったという。 不都合な事実には反論せず、あたかもそれが何の意味も持たないように黙殺されていた、ということで、それがマスコミを含めた日本の学会の常套手段だ。 ************ <あとは興味深かった事> 「イスラエルというのはものすごく怖い国で軽率な発言をすると危ない」という。 『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 1』という本がある。 アメリカの国会議員で6割以上が彼らの言うとおりになる。 アイパックの年次総会には必ずアメリカの大統領候補がいく。いかに私があなた方の利益を守れるかを競い合うとのこと。 1960、70年には黒人問題を取り上げられたが今はない。 1940,50年代の映画では、ユダヤ人はアメリカの中で蔑視されていたことがわかる。 黒人の市民権活動にはユダヤ人が入っていた。黒人の地位が上がれば、ユダヤ人もあがる。 80年末からはユダヤ人はエスターブリッシュの中に入っていった。 米国の国会議員の中で面と向かってイスラエル政策を批判する政治家はいない。 アイパック(イスラエルロビー)は米国の議員達にこういう。 「一年に2つか3つだけは支持してください。もし支援してくれれば選挙資金を援助します。もしだめだったら他の人を支援します」 ブッシュ政権で、一番最初にやった政策はエネルギー政策で「脱中東」だった。 エネルギーの7割は国内、3割は外国に依存し、その16%が中東に依存。全エネルギーの中東依存は5%で、意識的に下げてきた。 これは安全保障と同時にイスラエルロビーの効果。 参照: AIPAC 米国のイスラエル・ロビーの仕組 アイパック ■ アメリカ・イスラエル公共問題委員会(-こうきょうもんだいいいんかい、The American Israel Public Affairs Committee=AIPAC、エイパック)アメリカ合衆国において強固な米以関係を維持することを目的とするロビイスト団体、利益団体である。アメリカにおいて、全米ライフル協会をも上回る、もっとも影響力のあるロビイ団体とする報道もある。AIPACの年間予算は5,000万ドルに上るという。 ************* あとは印象に残るのは、「危ないことを話すときは誰かがちゃべったことにする」とのことだ。 以前、久間防衛大臣が「イラク戦争はおかしかった」と言って、アメリカから糾弾された。それは自分の言葉で話したからで、孫崎氏は危ないところは全て引用しているとのこと。 また、あまり大きな図は描かないようにしている。 一つ一つの事実に基づいて、小さな事実を提示して考えていただこうとしている。 *たとえば911の問題* 誰も問題にできないような事実をまず示す。 1.1ヶ月前の8月くらいにCIAがテロ事件が起こる可能性を言ったが、米国政府は何も対応をとらなかた。 2.ブッシュの中枢の人たちがプロジェクト4「ニューアメリカセンチュリー」という団体に入っていて、この団体が「米国において第二の真珠湾攻撃があったら望ましい」と言っていた。 この二つの事実を提示して、あとはみなさんが判断をお願いしているとのこと。 また尖閣諸島問題について 政府は日本固有の島であるから領土問題はないといっている。 いろいろ調べるとかならずしも日本のものではない。 石原慎太郎東京都知事が尖閣を買うと発言したのは米国の「ヘリテージ財団」 bilderberg54こと中田安彦氏からコメントいただいた。 ≪まあヘリテイジって米海軍系のシンクタンクですからね。海軍の権力を温存するようなゲストを呼びますよね。≫ *盛り上げることで日本の軍備を整える。中国脅威論を煽る。* *核に対する抑止力は幻想* 日中の戦いにアメリカが参戦したらシアトルを攻撃すると言われれば、自分の国を犠牲にしてまで相手の国を守ることはない。 それに島々の防衛は日本が行うと2+2に書いてある。 *尖閣問題で米国が日本につくことはない。* *中国は尖閣諸島を棚上げしている。* 1.日本が管轄していいということを中国が認めているということ。北方領土や竹島とは違う。 2.中国は自分で軍事力を使って介入するとはしていない。 東京都には外交能力がない。飛行機を持ってない。そういう者が外交問題を言うものではない。 石原さんがやっているのはかき混ぜること。 韓国でも大統領が竹島に行った。次の大統領候補も竹島に上陸するかどうかを問われることになる。 係争地を抱えている時には、それをエスカレートさせるべきではないというのは鉄則。 (以上、メモ&要約)
【ファビアン・ゲオルギさん(フランクフルト大学社会研究所助教) ドイツ反原発運動―なぜ成功したのか 地域に根を張り、民主主義を貫き 「核国家」への根源的批判と結びつく】 http://mdsweb.jp/doc/1211/1211_45g.html ( ドイツの反原発運動は5つの時期に区分される。)  第1期(1971~77年)では運動が登場し、戦闘性を増大させた。南西部のヴィール村の原発建設に対して今のウォール街占拠と同様の占拠行動が取り組まれた。  第2期(78~86年)、運動はピークに達し、多様な人々が加わった。原子力への批判は、近代の科学技術や国家、資本主義自体にも向けられるようになった。例えば「核国家」という概念。危険な原子力技術は抑圧的な国家の存在によって初めて確保される、というものだ。  同時に、反原発運動出身の多くの人が緑の党の結成で議会制度に取り込まれ、国家にすり寄るNGOに加入するなど、運動の弱体化も生じた。  第3期(87~94年)は停滞と危機の時期。ドイツ再統一や人種差別、高い失業率など多くの他の争点が浮上した。  第4期(95年~2001年)、運動はルネッサンスを迎える。核廃棄物貯蔵施設のある北部のゴアレーベンへの再処理核燃料容器の搬入を阻止する大規模な封鎖行動が毎年闘われ、若い世代を中心に数万人が結集。社会民主党と緑の党の連立政権とエネルギー大企業との間で、30年以内に原発から離脱する「核をめぐる妥協」が結ばれる。だが運動の側の批判に対し、緑の党は「感謝せよ、抗議活動をやめよ」と要求した。  第5期(02~11年)、しかし運動はやまなかった。右派政権は原発の稼働を延長する政策転換を行なったが、フクシマのショックが襲い、今年6月、連邦議会は2022年末までにドイツを原発から離脱させることで合意した。 (ドイツはなぜ脱原発を決定したのか。)  第1の最も重要な理由は、反原発運動の強い圧力と運動への広範な世論の支持だ。  第2に、08年以来の世界経済危機が、グリーン・エネルギー部門に軸足を置く資本蓄積戦略への転換を促した。  第3に、資本主義秩序を支持する諸勢力は、信頼を失った新自由主義に代わる「グリーン・ニューディール・プロジェクト」により正統性の回復を図る必要に迫られた。 (運動自体が強かった)  ドイツの運動の成功には外的要因と内的要因がある。  外的要因の第1は、州政府が強力な権限を持つ連邦制と、法廷で原発に異議を申し立てることを容易にする「行政裁判」というドイツの制度。  第2は、緑の党の相反する側面を持つ役割。緑の党が存在しなければ、社民党は反原発の立場には移行しなかっただろう。他方、緑の党は、原発への批判を放射線や核廃棄物の問題に限定し、資本主義社会の産物とする根源的な批判を脇へ追いやった。  第3は、歴史的な条件の変化。  外的要因より重要なのは運動それ自体の強さだ。私は4つの点に光をあてたい。  第1は、原発に近い地域のコミュニティに深く根を張ってきたこと。  第2は、異なる政治的考えを持つ多様な人々、多様な社会集団をこの運動が束ねていること。激しい論争の後には異なる見解を受け入れることで、運動は強くなった。  第3は、対抗的文化を創り出したこと。これは自律と団結、自己決定と連帯、草の根民主主義と直接行動によって特徴づけられ、新たな生活のあり方にかかわるものだ。  最後に、原発への批判が資本主義に対する広範な批判の一部となっていたこと。原発批判は、生態系の破壊への、成長に基礎を置く資本主義文明への、権威主義的な警察国家である「核国家」への根源的な批判と結びついていた。
ドイツ・左翼党のエネルギー政策担当ドロテ・メンツナー連邦議会議員の脱原発運動についての質問への回答を紹介する。今回は、国際連帯の意義と日本の反原発運動へのメッセージ。 http://www.mdsweb.jp/doc/1196/1196_03d.html (インターネットを有効に)  ――国際連帯の意義についてどう考えていますか。  資本と大企業はグローバルに活動しています。私たちが社会主義者として、資本主義の経済秩序を克服しようと欲し、平和と社会保障と自由を単なる夢にとどまらない普遍的な目標として掲げるのなら、私たちは可能なかぎり緊密に協力することによってしか、それらを達成することができないでしょう。  そうした協力のためには、個人的にも面識を作り、外国のパートナーたちの闘いを現場で体験するのはたしかによいことです。そのことはしかし、費用と距離のせいで非常にまれにしか行なわれませんし、少数の人しか行なうことができません。ですから、外国の仲間とのそのような交流について同志たちに報告をすることは、過小評価できない意義を確実に有しています。  しかし、経験を交流するために、そして、たとえば派遣労働はドイツと同様に日本でも問題になっているということを学び、これに対抗する共同の戦略を発展させるために、もっと多くの活動家の参加を可能にするような交流のあり方を追加的に開発しなければなりません。思うに、私たちは現代のコミュニケーション手段、とりわけインターネットをまだ十分にうまく使いこなせていません。たとえば、重要な問題が英語で議論されているため、可能なかぎり多くの人々が討議を理解し、行動のアイデアから法律の提案にいたるまでの重要事項について意見を交換することができるような共同のインターネット・フォーラムは、長い間欠如したままです。  私の確信するところでは、目下の経済危機はまだまだ終わりに達していません。この危機に関しては、まさにそうしたコミュニケーションの手段が切実に必要とされていると信じています。 来年、日本再訪を予定   ―(第41回全交大会の印象をお話しください。)  全交の大会は私にとってたいへん印象深い体験でした。この大会に招待されたことは大きな名誉であっただけでなく、私個人にとって大きな収穫でもありました。私は、左翼党が全交の活動に可能なかぎり広範囲にかかわるよう促すべく努力するつもりです。  私はこの大会で多くの新しい刺激を受け、多くのことを学びました。そして、この大会は私個人にとって、継続的な共同の仕事、できることなら集中的な共同の仕事の出発点であるという印象をもっています。次の日本訪問を来年の初めにするという計画を、私はすでに視野に入れています。今度は日本にもっと長く滞在することで、地域のグループと対話をすることができるでしょうし、必要があれば喜んで報告や発表をさせていただきたいと思います。  当然のことながら私は、日本と日本の同志の皆さんが福島での災害にどのように立ち向かっているかということも知っています。2006年初めて訪問して以来、日本の土地と社会と文化は私を魅了し、住む人々は私を感嘆させています。その日本について、私は今では多くのことを学び、日本をまるで自分の故郷であるかのように感じています。私はそのことに感謝しています。  ――(日本の原発廃止運動や民主主義勢力、若者たちへメッセージを。)  エネルギーとしての利用と軍事利用の両方をふくむ原子力技術から脱出しようと思うとき、私たちは社会のなかで最も手ごわい相手に直面することになります。私たちにとってだけでなく将来の世代にとっても致命的な危険をもたらすこの技術は、もっぱら利潤獲得の利害関心のみによって正当化され、根拠づけられています。反原発の闘いは息の長い闘いであり、創造性と連帯とを要求する闘いです。 * しかし、私自身の経験からこう言えることですが、これは以下の2つの面においてやりがいのある闘いです。 (1)私は、反原発の運動のなかで出会ったほどのよき友人、そこで見つけたほどの多くの連帯とお互いへの気づかいを、別の場所では決して見いだせませんでした。 (2)たとえ闘いの成果が乏しく思えるときがあったとしても、私たちが忍耐をもって粘り強く取り組むなら、成果は乏しくなったりしないはずです。もしも反原発運動が存在しなかったとしたら、ドイツは今日、17基ではなくて50基以上の原子炉を擁しているでしょうし、核燃料再処理施設を備えているでしょうし、1つではなくて多数の核燃料工場をもっているでしょう。 反原発運動は世界共同体  現代がどれほど悲劇的に見えようとも、時代は私たちのほうを向いています。社会的正義と平和と健全な環境は、私たち万人にとっての財産です。それらはすべての人が享受できるものでなければなりません。それらは、いま生きている世代や、いわゆる豊かな国の人びとだけでなく、ウランが採掘されているナイジェリアのような国の人びとも享受できるようなものでなければならないのです。私たちは他者を犠牲にして生きていこうとは思っていません。  反原発運動という世界規模の大きな共同体の一翼を担ってください。なぜなら、守られなければならないのは私たちの世界、私たちの未来であって、私たちを犠牲にしながら利潤を得ている大企業の世界や大企業の未来ではないのですから。
2大原発事故、福島とチェルノブイリの安全宣言は「放射線影響研究所」理事長2人が発表している http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65718788.html
首都圏反原発連合スタッフの野間易通が、「デマ」認定した人達の排除を名指しで明言 http://blogs.yahoo.co.jp/neverland20050918/29874203.html 首都圏反原発連合の主催スタッフの一人である野間易通が、「デマ」と認定した人達を排除していくべきとのツイートをしています。 主催者としてではなく、個人の発言であるとしていますが、問題の排除発言が実態としてどう機能するかが問題です。 主催者でもある野間が排除を明言したということは、デモ・集会からの排除の実効性を持つ訳ですし、また、「デマ」との認定は一体どこで誰がどういう基準で認定したのかも明らかではありません。 要するに、彼らの気に食わない相手は「デマ」認定して排除する、そういう結果をもたらすであろうことには目に見えています。 また、自分達と「大物国会議員」との繋がりを誇示するかのようなツイートもしていますが、こうした手口も悪質です。しかし、「大物国会議員」とやらも、いとも容易くツイッター上で呟いてしまう野間なんぞに言ってしまうのは、軽率過ぎはしないか?という気もしますが…。 首相官邸前抗議をはじめ、首都圏反原発連合が主催するデモ・集会等が野間が言うような恣意的な排除を行っていくのなら、それはもうナチスの運動と大して変わりありません。 首都圏反原発連合の若いスタッフ達はさしずめ親衛隊であり、彼らの排除方針に賛同的な参加者は嬉々として「デマ」認定した人達の排除に加担していくことでしょう。 これが多数意志だ、民主主義だ、と肯定されていくならば、異端とされた人が排除されていくことになるのは必然であり、反原発・反体制を装ったファシズムでしかありません。 日本ブログ村(下記URLをクリック願います) http://eco.blogmura.com/radioactivity/
そこが聞きたい:低線量被ばくの影響 インゲ・シュミッツ・フォイエルハーケ氏. http://mainichi.jp/select/news/20120809mog00m040009000c.html ◇健康リスク無視するな−−インゲ・シュミッツ・フォイエルハーケ氏(76)  −−放射線影響研究所(放影研)が実施した原爆被爆者の健康リスク調査に対し、83年に批判する論文を出しました。どんな研究だったのですか。 ◆放影研の調査は、直接被爆者の健康リスクを入市被爆者(原爆投下後に爆心地に入った人)や遠距離被爆者と比べていた。そこで私は日本人のがんなどの平均的な発症率や死亡率と比較し、入市被爆者や爆心地から2・5キロ以上離れた所にいた遠距離被爆者の相対的なリスクを求めた。その結果、白血病や呼吸器系・消化器系のがんによる死亡率は全国平均を上回り、発症率は甲状腺がん、白血病、女性の乳がんで1・5〜4・1倍だった。放射性降下物(黒い雨、死の灰など)による内部被ばくの影響が大きいことを示す結果だが、当時の学界の常識とは異なっていたため、国際的な医学雑誌に論文を投稿したところ、いったん掲載を拒否された。その後、編集部から提案を受け、論文ではなく編集者への手紙という形で掲載された。  −−放影研による原爆被爆者の研究は、国際放射線防護委員会(ICRP)による放射線の健康リスク評価の基礎データになっています。 ◆確かに、放影研の調査は重要な情報だ。しかし、原爆投下から最初の5年間のデータが欠けている▽心身が傷つき適切な医療を受けられなくても生き残った「選ばれた人々」のデータである▽原爆投下後の残留放射線を無視している−−などの理由で、限定的な情報でもある。一方でこの数十年間、原子力施設の事故や原発労働者、医療用X線照射、自然放射線などに関して、さまざまな研究で低線量被ばくの健康影響が裏付けられてきた。だが、そうした研究の多くは広島・長崎のデータと矛盾することを理由に無視されてきた。ICRPのリスク評価は特に、長期間受け続ける低線量被ばくの影響を過小評価しており、がん以外の病気への意識も欠けている。  −−日本の原爆症認定を巡る集団訴訟では残留放射線による内部被ばくで健康被害を受けたと訴えた原告側が勝訴してきました。しかし、国は「内部被ばくの影響は無視できる」という従来の主張を変えていません。  ◆多くの国で同様のことが起きている。公の機関が内部被ばくを認めれば、原発労働者の健康リスクに対して責任を認めざるを得ないからだ。原発労働者は、福島で被ばくした人々と同じ問題を抱えている。  −−東京電力福島第1原発事故後、日本では政治家や一部の専門家が「100ミリシーベルト以下の被ばくはほとんど影響がない」などと説明してきました。  ◆これまでの医学的知見を全く無視した説明だ。100ミリシーベルトを下回る線量でのがんの発症は既に医学誌などで報告されている。放射線は細胞の突然変異を促進させ、これ以下なら安全という線量の「しきい値」は存在しない。予防原則に立って被ばくを低減させる対策が必要だ。  ◇「線量」市民が把握を  −−放射能への不安から来るストレスのほうが放射線そのものによる健康リスクを上回るという意見や、過剰な反応による経済活動への影響を心配する声もあります。 ◆騒ぐことのリスクが放射線による健康リスクを上回るという説明は、常になされている。ドイツでもチェルノブイリ原発事故後、同じ主張が展開されたが、科学的根拠のない主張だ。経済活動よりも、これから生まれる子どもを含めた市民の健康こそ、最も大事なことではないだろうか。もちろん、何も分からずに騒ぐのはよくない。環境中や食品の放射線量、個々の被ばく線量をきちんと測定し、それが何を意味するかを市民自らが知ろうとすることが大事だ。  −−福島事故後の日本政府の対応をどう評価しますか。  ◆福島第1原発の半径20キロ圏内を警戒区域に指定したことは評価している。避難区域の設定で年間20ミリシーベルトを目安としたことも、大規模な原発事故に準備のなかった政府の選択として理解できなくはない。だが現在、他の原発を再稼働させ、意識を「復興」に切り替えようとしていることは、国民に対して非常に無責任ではないか。 ◆騒ぐことのリスクが放射線による健康リスクを上回るという説明は、常になされている。ドイツでもチェルノブイリ原発事故後、同じ主張が展開されたが、科学的根拠のない主張だ。経済活動よりも、これから生まれる子どもを含めた市民の健康こそ、最も大事なことではないだろうか。もちろん、何も分からずに騒ぐのはよくない。環境中や食品の放射線量、個々の被ばく線量をきちんと測定し、それが何を意味するかを市民自らが知ろうとすることが大事だ。  ◆騒ぐことのリスクが放射線による健康リスクを上回るという説明は、常になされている。ドイツでもチェルノブイリ原発事故後、同じ主張が展開されたが、科学的根拠のない主張だ。経済活動よりも、これから生まれる子どもを含めた市民の健康こそ、最も大事なことではないだろうか。もちろん、何も分からずに騒ぐのはよくない。環境中や食品の放射線量、個々の被ばく線量をきちんと測定し、それが何を意味するかを市民自らが知ろうとすることが大事だ。 広島・長崎の原爆、あるいは過去の大気圏核実験では、まき散らされた放射性物質の総量が明確だ。しかし福島の場合、正確な放出量が今もって分からない。質・量ともに原爆をはるかに上回る核燃料が無防備な状態で存在し、今後安全に回収できるかも不明だ。事故直後より大幅に少ないとはいえ、放射性物質の放出も続いている。事実の深刻さを認識すべきだ。 ………………………………………………………………………………………………………  ■ことば  ◇欧州放射線リスク委員会(ECRR)  国際放射線防護委員会(ICRP)や国連科学委員会、各国の政府から独立し、放射線被ばくによる健康影響を科学的に評価することなどを目的に97年に設立された市民団体。03年と10年にリスク評価の方法などを示す勧告を発表している。本部はベルギー・ブリュッセル。  1935年、ドイツ・ニーダーザクセン州生まれ。ブレーメン大で実験物理の教授として放射線の健康影響を研究。市民団体「ドイツ放射線防護協会」創設メンバー。04年からECRR委員長。

2012年8月12日日曜日

2012年8月9日木曜日

日本人がほとんど知らない国際協定「ACTA」★欧州議会が大差で否決するまでの流れまとめ. http://matome.naver.jp/odai/2134349028503346401
(アニ-(Gundersen氏からの英文メール。その和訳.) 福島の住宅の室内の放射線量.アメリシウム241、ウラニウムが減衰した物質の線が複数、さらにプルトニウム239およびプルトニウム238が発見されています.) http://twitdoc.com/upload/proust11/boston.pdf This is the gamma spectrum for an indoor dust sample from a home in Fukushima City, Japan. (これは、日本の福島市の住宅で採れた室内塵のガンマ・スペクトルムです。) The sample arrived this morning, and was run for 1800 seconds on our smaller Nal gamma spec. (塵芥は今朝到着し、我々は所持している小さい方のNal gamma specに1800秒かけました。) The dust sample weight 3.5 grams, and it is the yellow trace in the attached file. The white trace is natural uranium/thorium standard (続き)material. Unlike past house dust samples, this one has lines for americium241, uranium decay products, and traces of plutonium-239 and-238,in addition to the radioactive cesium. (Cs134&Cs137 were at 2,365Bq/kg total) (塵芥サンプルは、3.5グラムで、添付ファイルに、黄色い痕跡として示されています。白い痕跡は、自然界の(?)ウラニウム/トリウム標準物質です。過去に見た家屋内の塵芥サンプルとは違い、このサンプルには、アメリシウム241、ウラニウムが減衰した物質の線が複数、さらにプルトニウム239およびプルトニウム238の痕跡が、放射性セシウムの他に見られます。(Cs 134と137の総量は、2365Bq/kg)) The reason for the overlay of the natural uranium/thorium standard material is to highlight the peaks for U &Th in the dust sample. (白い線で)自然界のウラニウム/トリウムの標準物質を並列したのは、当該塵芥サンプルにおけるウラニウム/トリウムのピークを際立たせるため。) I do not have a plutonium standard material, but by comparison to my americium-241 standard, the total americium & plutonium is on the order of 5 to 50 Bq/Kg combined. (私のところには(並列できればした方がよい)プルトニウムの標準物質はないが、手持ちのアメリシウム241標準物質と比較すると、(当該塵芥サンプルの?)アメリシウムとプルトニウムの総量は合わせて5から50Bq/Kgの範囲.)
瓦礫広域処理から1900億円にからむ巨大疑獄事件へ. 震災瓦礫の広域処理問題は、石巻市の瓦礫全量の処理が鹿島・清水・西松・佐藤・飛島・竹中等JVに1900億円で発注契約済であり、しかもその後瓦礫総量が半分近くに減っ­ても減額がされないまま、さらに宮城県から北九州市に存在しないはずの瓦礫の巨額の広域処理という事態に及んで、刑事事件(詐欺罪の容疑)の様相を帯びてきた。 1900億の巨額発注の闇と、宮城県、北九州市を被告とする刑事告発、そして疑惑の目は環境省、細野大臣にも向けられることとなった。 ●北九州市の瓦礫処理、宮城県の「二重カウント」巨大疑惑 青木奏氏(環境ジャーナリスト/3・26政府交渉ネット事務局) ●東京新聞社会部記者・比護正史執筆.
(野田首相の断末魔の叫び? 政府広報 70紙の全面広告に2億4,000万円弱) http://www.data-max.co.jp/2012/08/08/_704000_dm1718_1.html 消費増税関連法案の参議院採決と衆議院の解散をめぐり、与野党に緊張が走っていた8月5日の朝刊、内閣官房国家戦略室の全面広告が掲載された。「つくろう。2020年のグッドニュース。」との見出しがついた同広告は「日本再生戦略」に関するもので、右下には野田佳彦首相の顔写真も掲載されている。内閣府によると、中央紙5、ブロック紙3、地方紙62の計70紙に同広告は掲載され、その費用は2億4,000万円弱であるという。  政府広報については、年間40億円ほどの予算が組まれており、新聞広告については広告代理店を通じて年間で掲載できる段数をとっているという。また、広告は、内閣・各省庁の要望に応じて作られ、5日の全面広告についても、前もって企画・制作されていたもの。しかし、与野党の関係が緊迫した状況にあったこともあり、国民からは「野田首相の悪あがきか」「マスコミへのバラマキではないか」といった批判の声もあがっている。  NET-IBの取材に対し、内閣府広報は「段数をまとめておさえることで広告費をおさえている」と説明。しかしながら、インターネットの普及により、新聞の販売部数が減っている今、費用対効果の点で、全国の新聞70紙へ全面広告を掲載することについて疑問符をつけざるを得ない。同広告もまた、内容の詳細に関しては、キーワード「日本再生戦略 国家戦略室」によるインターネット検索や、問い合せ先の電話番号を記載するなど、新聞広告だけでは完結していない内容となっている。

2012年8月7日火曜日

茨城から沖縄に避難した十五歳の高校一年女子生徒が恩師にあてた手紙。 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=259643 お元気ですか?私たちは沖縄に移住し、 父、 妹は茨城に残っています。  私は確実に被爆をしています。症状がかなりでています。主に甲状腺が腫れたり、鼻血 じんましん 免疫力低下などです。            自分でもびっくりするくらい体に異常が起きていて、あのまま茨城にいたら、近い将来 死んでいたかもと 沖縄の医師に言われました。   先生方は 公務員ですから、動けないことも、放射能について生徒に教えることができないのもよく分かっています。 様々な情報から真実を知った時、すごく苦しみました。もうすでに何人の人が死んでいるのか、ご存知ですか?私たちの世代が、あと10年後、それよりも早くごっそりいなくなると言われています。       茨城にいる友達が心配で仕方ありません。ネットを通して、みんなに情報を流していますが、 今がよければいい どうせ子供産めないから、うちの親は公務員だから動けないなど将来に対して後ろ向きな考えばかりです。仕方ありません。高校生が事実を知っても、親に言えず、不安な毎日を過ごすばかりです。だから その親に一番 放射能の怖さを伝えられるのは教師だと思いませんか? そのためにリスクはかなりあるかもしれません。それでも子供たちは 大人の宝物ではありませんか?今の子供たちを守れるのは大人しかいません。 残念ながら、国は子供の命より経済をとってしまいました。もし、将来 がんが増えて、国に あの時の放射能が原因だと 訴えても 因果関係なしといわれるでしょう。 原発が爆発したときの「 ただちに影響はない」、 ただちにですよ!将来はどうなのかです。  もし、今までどおり普通に暮らしていれば、将来苦しむことは、はっきりわかっています。 私は今がよければいいなんて絶対に思いません。今 なんてどこでもできます。今いる場所によって将来が大きく変わるのです。私はこちらにきてよかったと本当に思います。 ですが、一番気掛かりは 茨城 関東 東北にいる子供たちの未来。本当に怖いです。誰も悪くありません。誰も責められません。 しいていうなら、国と東電。私たちは皆 被害者です。だからこそ、自分の命は自分で、子供の命は親で 守らなければいけないと思います。                     先生 どうか放射能について真実を調べてください。どうかそれを たくさんの人に教えてあげてください。大事な生徒を守ってください。 そこからは、それぞれが決めることです。                                                 茨城での食生活 空気感染に十分お気をつけてください。ありがとうございました。   =============================================  茨城県より9月に沖縄に移住した 高校一年の女子生徒さんの手紙です。 4月より自転車通学で水戸へ登校。往復で五キロ以上、 雨が降っても、傘ささないで半年近く通いました。体調不良が多くなり、大量鼻水 や鼻血、鼻血は1日に、二回から三回ふつうに出始め、首が腫れてのどが痛み、顔にむくみ、胸の上と腕に赤い大きな発疹も出ているそうです。  ネットを通して、茨城の同世代のみんなに呼びかけているそうですが、そちらから返ってくる答えが「のどが痛い」「鼻血が突然出る」「体が前より疲れやすくなっていてだるい」という体調不良を訴える友達が多くなっているそうです。漠然とした不安を抱えている女の子たちが多いそうで、あきらめにも似た気持ちを彼女へ吐露してくることも多いといいます。 若い世代の女の子たちの中で、リアルにこうしたやり取りがされていることを知ると、この社会のあり方はどうすべきなのかと思います。  闘っていくしかないと、僕は思っています。
「ビキニ水爆実験」映画『~放射線を浴びた~X年後』予告編
ドキュメント「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして」書き起こし. http://gennpatyu.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/nhkx-939e.html 友人が見つけてくれたこの放送の動画です。合わせてご覧下さい。 http://www.veoh.com/watch/v274059643k9c58ME   以前から保存していたわたしの一番大事な動画が、この放送内容の続編に当たるのではないか?と思い出しました。第五福竜丸事件のその後、日本の女性たちの勇気ある頑張りが描かれています。こちらも是非ご覧になっていただきたいです!  ~母親たちの反核運動~3000万の署名、大国を揺るがす~(第五福竜丸が伝えた核の恐怖) http://www.youtube.com/watch?v=rdtAG64FbYI  --------------------------------------------------------------------- ↓ここから書き起こし  (福島原発爆発映像)2011年3月、原子炉から放出された放射性物質がばら撒かれました。一般市民に向けられる線量計。繰り返される「ただちに健康影響は無い」という言葉。(線量計を向けられる子供の姿)目に見えぬ放射能の恐怖に人々は不安を抱いたままです。しかし今から58年前、同じこの日本で線量計が人々に向けられたことは知られていません。そして日本全土が放射性物質でスッポリと覆われたことも。救済されることなく死んでいった多くの人々がいることも。  元高校教師 山下正寿さん(67歳)  アメリカが太平洋で行った、水爆実験による放射能被害を27年に渡り調査してきました。  撮影したフィルムには被曝した漁師たちの証言が記録されています。  ●漁師①「ピシャーンと目を奪われるぐらいピカーンと、これはどうしたんやろと。そうしたところ真っ赤になって。」  ●漁師②「ピカッとキノコ雲が出て、水平線から水平線までいった。サーッと全部。」    1954年(昭和29年)3月1日、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験。  広島型原爆の1千倍の破壊力を持つ水爆が、マグロ漁船・第五福竜丸を襲います。死の灰によって乗組員は被曝。6ヵ月後、通信長の久保山愛吉さんが急性放射能症のため急死。いわゆる「第五福竜丸事件」です。しかし、放射能で汚染された「死の海」にいたのはこの船だけではありませんでした。    ●第二幸成丸乗組員①「全員ガイガー計数器といいますか、あれでこう測られた。針はプッと振り切れてますわね。」  ●第二幸成丸乗組員②「私が測られた頭で、1500(カウント)と言われた。」  ●第二幸成丸乗組員③「ガイガー測定器メーターいっぱい振り切ったね。もう体一帯どこもかしこもね。」    キャッスル作戦と名づけられた水爆実験は、3ヶ月の間に6回行われました。    ・1回目 1954.3.1 ブラボー   ・2回目     3.27 ロメオ       ・3回目     4.7  クーン       ・4回目     4.26 ユニオン      ・5回目     5.5  ヤンキー      ・6回目     5.14 ネクター        セシウム・ストロンチウム・ヨウ素・プルトニウムなどが海を汚染。さらに上空に吹き上げられた多量の放射性物質が漁船を襲いました。やがて多くの乗組員たちが次々と死んでゆきます。    ●新生丸乗組員の妻「窓を開けて血をポッタリ吐いて死んでいた。」  ●新生丸乗組員「その船に乗っていた人間がどんどん50代60代で亡くなって。」  ●第二幸成丸乗組員の妻①「もう皆、若くしてね、亡くなってしまったから。ほとんど亡くなりましたね。」  ●第二幸成丸乗組員の妻②「バタバタバタと亡くなっていったんだよね。」  ●第八昇栄丸乗組員「皆早く死んでしもうた。」  ●尾野スミエさん「私の兄と姉婿と乗っていた皆が亡くなってしもうた。私の夫は兄と一週間違いで亡くなった。2年前ぐらい前に姉婿が亡くなった。夫は背中が痛いと言い出して病院に検査にいったらもう手遅れでね、すい臓も肝臓もガンで侵されていてね。」    高知県土佐清水市に放置されていたマグロ漁船「第五住吉丸」はかつて第五福竜丸と同じ海で操業していました。  1987年、見つけたのは高知県で教師をしていた山下さんと生徒さんたちでした。  住吉丸は本当に被曝したのか?残留放射線の測定を試みます。  バリバリバリバリ・・(測定器の音)「うわあ、どういうこと?怖いね、これ」←大人も子供も真剣な顔で見ている。  バリバリバリバリバリバリバリ・・・(測定器の針が振り切れる)    35年が過ぎているにも関わらず、船体からはセシウム134・ストロンチウム90などが検出されました。  調べてみると、乗組員11名中8名がガンのため亡くなっていたのです。山下さんは50代の男性が何人も亡くなっていることを知り、衝撃を受けます。    ● 山下さん「教師になって帰ってきてこの事件にぶつかりましたから、第五福竜丸だけのはずなのにおかしい。しかも自分の身近な人が関係しているということは、すごく緊張感がありましたからね。人の問題ですからね、漁船の救済どこもしないですからね、誰かがやらなければならないことですよね。」    1985年、山下さんは仲間の教師や高校生たちと共に被災者の聞き取り調査を行いました。  救済されることもなく口を閉ざしてきた漁師たち。高校生の懸命な姿が生存者や遺族の心を開いていきました。  被曝した魚を水揚げした船は、東北から九州まで全国に渡っていました。その内、高知県の船が1/3。  3年にわたる調査の結果、高知県内で消息がわかった乗組員が241名。被曝から34年すでに1/3が死亡していたのです。    (調査用紙に残された生々しい証言)  ●第八順光丸 乗組員「実験直後めまい・ヤケドあり。」  ●第七大丸  乗組員「歯茎から出血。白血球少ない。」  ●第一徳寿丸 乗組員「キノコ雲を目撃。二週間後脱毛が起こり、顔が真っ黒くなる。」  ●第八順光丸 乗組員「だるさ・脱毛」  ●第二幸成丸 乗組員「29歳で被災、脱毛が起こった」  ●第七長久丸 乗組員「水爆との関連は不明だが、機関長は2年ほど前に胃ガンで死亡。甲板長は30歳で胃ガンで死亡」    《漁師たちの無念を晴らしたい》山下さんの活動は、高校教師を辞めた後も続いていました。  (長崎県南島原市口之津町の平三義さんの妻、平チミさんのお宅)  当時ビキニ海域にいたのはマグロ漁船だけではありませんでした。貨物船「弥彦丸」の乗組員・平三義さんは40歳の時、岡山大学付属病院で放射性物質による白血球減少症の疑いとの診断を受け、被爆者健康手帳の交付を求めます。  しかし、長崎・広島の被爆者でないというだけで申請は却下されたと言います。    ●山下さん「体はだるいゆうて、よく言われたんですね?」  ●チミさん「そうですねえ、もうキツイキツイゆうてからですね、寝たり起きたり寝たり起きたり」  ●山下さん「もうちょっと早ければよかったんですけど、今からでもすごく調べたいと思っていますので・・」  ●チミさん「もう(生存者は)口之津にはいられないですもんね、3人、4人いられたんですけどね。」  ●山下さん「まあでも大変でしたよね、ずっとそうやって看病したり病院に行ったりせないけんのはねえ。」  ●チミさん「運命と思わにゃ仕方ないですよね、苦労しました。そっちこっちにね、病院通いばっかりだったです。」    ●山下さん  「漁民の体を通して、ガンとか心臓発作とかそういう病気を通して《なぜ俺はこんな目にあって死ななきゃいけないのか》 という想いをずっと積み重ねられているわけですからね。その時初めて明らかになるという、そういう意味で怖いですよね。何十年も経たないと明らかにならないという、何十年経ってやっと漁船員の死を通して立証されようとしているということですから。」    調査中、山下さんは被曝の実態解明につながる重要な手がかりに出会います。それは「第二幸成丸」船長の崎山秀雄さんが記録した漁業日記でした。通常、航海が終わると廃棄される漁業日記。偶然発見されたこのノートから船の位置や操業の様子、被害の実態をたどることができたのです。  ◎日記「1954年(昭和29年)2月24日晴れ、14時30分浦賀出航。一路マーシャルへ。」   紙テープで彩られた浦賀港、航海の無事と豊漁を願って駆けつけた家族に見送られ、第二幸成丸は2週間を掛け南太平洋を目指します。    ◎日記「3月1日、連日向かい風強く引き続き続行中。」  出航して6日目の3月1日、アメリカは一回目の実験となる水爆ブラボーを爆発させます。第二幸成丸の通信長・山下昇一さんの無線を傍受。「第五福竜丸が死の灰を浴びた」      ●第二幸成丸の山下通信長の妻・山下尚子さん  「もう自分がツーツー(無線)でやってるでしょ、それでもうその時にわかったらしい。福竜丸が(死の灰を)被ったということ、彼らがやられたということを無線で聞いたらしいです。灰を被ったということをね。ほんで(爆心地に)一番近くにいることもわかるでしょ?わかって船員には伝えたらしいです。」  ●第二幸成丸の乗組員・有藤照雄さん  「通信長が『静岡の船が空から灰のような物が降ってきて、珍しいとみんな拾ったらしい』ゆう話を聞いたんですよ。」    第五福竜丸が死の灰を浴びて岐路を急いでいた頃、第二幸成丸はマーシャル諸島に向け船を進めていました。アメリカが決めた危険区域を避け、3月11日からマグロ漁を始めます。操業中の3月27日、アメリカは2回目の水爆ロメオを爆発させます。33kmの上空に吹き上げられた放射性物質が、第二幸成丸にも降り注ぎました。    ●第二幸成丸の山下通信長の妻・山下 尚子さん  「こう雲といいますか、あのあれはね遠くから見たそうです。ほんでやっぱり離れてるけど(死の灰を)被ってたらしいですね、船も。」  ●第二幸成丸の乗組員最年少当時19歳・桑野浩さん  「鮮明に覚えているのはまず飯の鐘が鳴るでしょ、ダーっと若い人がトモ(船尾)に走って行くあの時にパラパラと降っているなということが何回もあったんですわ。生存されている方は同僚では私と同じようにきちっと帽子を被って合羽を着て、ある程度防護はしてましたね。まともに灰を体に入れた人はやっぱり早死にしてますね。」  ●第二幸成丸の乗組員・松野繁樹さんは知らず知らずの内に除染をしていました。  「ブリッジの上とかマストとか煙突ね、漁具を置いてあるとこね、そこなんかは水を掛けたけどね、水に流されてね水のはけ口に(死の灰が)溜まっとったんですね。ま、それは覚えてますわ。」      乗組員たちは放射能で汚染されたマグロを食べ海水を浴び、死の灰の積もった船で30日間を過ごしました。  ◎日記「4月25日9時30分、浦賀にひとまず入港。15時東京魚河岸に係留、直ちに原子カウント検査」    第二幸成丸を待っていたのはカメラのフラッシュとガイガーカウンターのけたたましい音。港は騒然としていました。マグロに激しく反応するガイガーカウンター、命がけで捕ってきたマグロが目の前で廃棄処分される様子を第二幸成丸の乗組員は呆然と見ているしかありませんでした。    ●第二幸成丸の乗組員① ←紙に絵を描きながら説明 「放射能かかった魚は全部ここへ選別しましてね、ハシケ積んでから、だからどの船もこういう格好して捨てられた。」  ●第二幸成丸の乗組員②  「かためてトラックに積んでどこに捨てたかは知らんですわ。全部放棄ですよ。」  ●第二幸成丸の乗組員③  「こんな馬鹿げた話があるでしょうか。自分でもうね、ろくに睡眠もとらんと働いて捕ってきた魚を捨てるなんてもう考えられないですよ。」    第二幸成丸の被曝は新聞でも報じられました。読売新聞(1954年4月16日)に「築地にまた放射能船」  「方向探知機から4192カウント、乗組員の頭から224カウントの放射能反応が認められた。    ●第二幸成丸の乗組員①「私はね、ガイガー測定人を案内したんですよ。それで私の頭で1500(カウント)と言われた」  ●第二幸成丸の乗組員の妻・浜町霞さん「俺らも調べられたーゆうて。私は何カウントの放射線を浴びてたということも聞いてないしね」  ●第二幸成丸の乗組員②「ガイガー計数器といいますか、全部こんな全員こう(測定)やられたからね。針がもうプッと振り切れてますからね」    操業の様子や船の線量を細かく記録していた崎山船長。ところが日記には人体やマグロの線量は書きとめられていませんでした。これにはある理由があったのです。    (高知県室戸市)  ●第二幸成丸の崎山船長の妻・順子さん  「私たちもね、しゃべりたくないんですよ。こんな事をしゃべったって何にも無いづくで、あの漁協そのものはそれ(被曝)を公にせられると漁協も成り立たん、魚も売れん。そうすると何十隻もの漁船を抱えてるから、地域も成り立たん。その補償をもらうことよりも、まず今日明日の生活をどう守るかっていうことのほうが先やなかったんですか。だからその時分てゆうたらそこへ日本の国がやっと自分でこうつかまり立ちが出来るかというような情勢でしょ。で、その柱は何かゆうたら石炭と魚ですから、あんたらの思う感覚とは全然・・うん、そんな中で私たちはこういう経験をしてきてるからね、あんたたちが考えたらそら「崎山さんおかしいやか、そりゃなんでそういう何で・・」そんなん、その当時は。で、そういうことをおかしいやないかゆうて気づいてる人たちもあって『船員に補償がなけりゃいかん問題や』思った船員さんもおるかもわかりませんけんど、そんなことを口に出して言いでもしたら船に乗れません時代でした。それだけは言うときます。」←カメラを正面から見てハッキリ最後の言葉を言ってます    水爆実験後、海流により日本に迫る放射能汚染。日本近海の魚も被曝していました。その年、延べ992隻の船が被曝した魚を廃棄。6回に及ぶ実験で海の汚染は強まって行きます。    ところが水爆実験からわずか7ヶ月、日本政府は突然マグロの放射能検査を中止します。その4日後、次のような文書をアメリカと交わしています。「ビキニ被災事件の補償問題に関する日本側書簡」アメリカ合衆国政府は日本政府が前記の2百万ドルの金額を受諾する時は、全ての請求に対する完全な解決として受諾するものと了解します」日本円で七億1千万円、政府は2/3をマグロ関係者の損害に当て、残りは魚の廃棄に対する補償や第五福竜丸乗組員の治療費などに配分するとしています。日本政府は2百万ドルと引き換えに事件に幕を引き、その後すべてのマグロが食卓に上がったのです。    当時、口を閉ざすしかなかった乗組員たち。彼らはいったいどれぐらいの放射線を浴びていたのでしょうか。    (二本松市のアドバイザーを務める野口邦和さんの公演「放射能から家族を守る食べ方の安全マニュアル」風景)  この野口さんに乗組員の浴びた放射線量の算出を依頼しました。第二幸成丸から検出された4000カウントを元に乗組員が被曝した瞬間の放射線量を算出します。(算出はGM-10ガイガーミューラカウンタの線量率換算計数を利用しています)    計算中の野口さん「ああ、とんでもない数字になりますね」←独り言のような感じで  「えー方向探知機がまあ4000CPMの汚染があったと。これを3月27日のロメオ実験による汚染だとすると、時間当たり48.5ミリシーベルトになりますね。ですから例えば10時間そこにいるとね、約485ミリシーベルト、まあ約500ミリシーベルトですよね。500ミリシーベルトというと白血球が減り始める、そういう線量に相当します。10時間いるだけでも。やはり相当な被曝、急性障害が起きてもおかしくないような被曝がね、あった可能性が大ですよね、これは。」  第二幸成丸の乗組員22名、過酷な運命を背負った彼らは40代50代の若さで次々と亡くなっていったのです。    第二幸成丸の数少ない生存者の一人、有藤照雄さんは現在横須賀に住んでいます。偏見や差別を恐れ、長い間口を閉ざしてきました。  有藤さん「終戦当時だから紙が悪いね。第二幸成丸・・(←保険証か身分証?を見ながら)ずーっと50年間なんにも言わず自分の中だけに秘めて、経験したことを家族にも誰にも言わなかった。妹たちにも。」    その後、有藤さんは自分の経験を妻に明かしました。  妻・光江さん「米軍だってあれでしょう、そういう実験をして人体実験みたいなもんだよねえ。主人が放射能を受けてから子供が二人産まれてるじゃないですか?それで何にも子供はね、具合が悪いとか白血球が多いとか少ないとかそういうことも全然出ないし、だけどこの子達、父親に遺伝して体のどっかにあるんじゃないかなあ思って、私は本当死ぬまで心配だよね。」    そもそも被曝したことを認められていない有藤さんたちは、国から医療費などの支援を受けることはできません。乗組員やその家族は放射能の影響に怯えながら、生きて行かなければならないのです。  2年前、南海放送が入手したアメリカ原子力委員会の機密文書。そこには6回の水爆実験で生み出された放射性物質による汚染の実態が克明に記録されていました。「5月初期のヤンキーの実験の際、太平洋高気圧が強まり日本には大量の放射性物質が降下した。多分、夏と初秋の実験では日本は最も放射能汚染されるであろう。」    1954年3月1日、多くのマグロ漁船が操業する中、アメリカ原子力委員会は水爆ブラボーの実験を実施。放射性物質は東西に広がりわずか一週間でアメリカ本土にまで達しています。5月5日、5回目となる水爆ヤンキー。すると今度は日本が。徐々に日本列島を脅かす汚染地図。そして5月17日、日本は放射性物質にすっぽりと覆いつくされたのです。    放射性物質の広がりを示す地図に、第二幸成丸の航路を重ねてみます。  ・2月24日、 第二幸成丸は日本を出航。  ・3月1日、  ブラボーが爆発。  ・3月9日、  第二幸成丸は放射性物質の領域に突入。  ・3月11日、 死の灰を浴びながら操業。  ・3月27日、 2回目となるロメオが爆発、新たな放射性物質が乗組員を襲います。  ・4月1日、  操業を終えた第二幸成丸は岐路に着きます。    こうしてマグロ漁船の被曝は、当事者であるアメリカの機密文書によって裏付けられることになったのです。更に驚くべきことは実験の一年前、すでに122箇所の観測所が設置されていたことです。日本には三沢や東京など5箇所、被曝で苦しむ広島と長崎でもアメリカは  観測を行っていたのです。    ●日本大学専任講師・野口邦和さん  「えーアメリカはね、もう世界的な規模で汚染されることはわかってたはずですよね。というのはあのレポート見れば、えー120箇所か130箇所ぐらいにね、そういった測定地点を設けて、本当に世界的な規模でね、フォールアウトの影響を調べてますから。てことはあの世界的な規模でね、原爆実験をやればそれは汚染が広がると承知していたんだと思うんですね。」    広島私立大学の高橋弘子さんは、当時アメリカがある想定をしていたことを突き止めました。  ●高橋さん「これは私が核実験東京△△である原子力委員会の資料から入手してきた、あのー文書なんですけども何でこういう影響があったのかとそれを示す地図です。先ほどの航海地図を、この今度はワシントンDCを爆心地として置き換えたものがこの地図なんですけども。」    原子力委員会は水爆ブラボーがアメリカ本土で爆発したと想定し、どのような被害が出るかを検証していたのです。爆心地はワシントンDC、被害想定はおよそ200キロ離れたフィラデルフィア。    ●高橋弘子さん「(文書を見ながら)屋外にいた場合は100%が被曝して死亡率が50%、全ての人がまあ何らかの形のその病気になるというそういうことが述べられてます。」    久保山愛吉さんが亡くなった、あの第五福竜丸が被曝した位置がちょうどフィラデルフィアにあたります。アメリカは第五福竜丸事件からその2年後、核実験を再開。日本の漁船は汚染が続くその海でマグロ漁を続けたのです。そしてアメリカは世界最強の核兵器を手に入れたのです。    ●豊子さん「ああしんど、登れんようなった。」←日傘とリュックで、急な山道を登る年配の女性・豊子さんが映る。  高知県宿毛市、ここに生存者わずか2名という船がありました。  ●豊子さん「おじいさん、ようか来ました。」←ご主人(新生丸の乗組員)のお墓に着く。    11年前のこと岡本豊子さんが自宅に帰ると、夫の清美さんが玄関先に倒れて死んでいました。  ●豊子さん「今日は一人やないぞねえ。いっつも一人やきに。」「昨日きて長いことお話ししちょるきに。」←お墓のお掃除をしながら。    6人の仲間たちとこの高知からマグロ船に乗り込んだ夫・清美さん。マグロ船・新生丸もまた死の灰を被った船です。次々と死んでゆく仲間を見送り、自らも病と闘った末に亡くなった清美さん。闘病生活を支えた豊子さんは、果たすことの出来なかった夫のその無念を  知っています。    事件から34年が過ぎた1988年救済を求め、全国初となる「被災船員の会」が高知県に発足します。代表世話人となった清美さん。  議会に働きかけ医師と連携し、自分たちで健康調査を行いました。被曝の事実を国に認めさせたい、しかし夫は生前妻の前で意外な言葉をもらしていました。  ●豊子さん「絶対これ(事件の解明)は成功はせんねゆうて、ゆいよりました。」  ●インタビュアー「これは成功せんというは、どういう・・・?」  ●豊子さん「(苦笑)これは成功せんでしょう、これは国が相手やきに。自分らのあれでは出来んことやもんねえ。ねえ、そうやかね。国相手やから自分らがどう思っちょってもなかなか・・・。まあ元気でおっただけ幸せ・・、直に亡くなった人もおるしねえ。」    被災船員の会はその後、会員の死亡が相次ぎ解散を余儀なくされたのです。    新生丸の乗組員のお墓は港を見下ろす小高い丘の上に並んでいました。←豊子さんの案内で乗組員たちのお墓へ。  ●豊子さん「ここです、昭和58年の5月の28日か。61歳て書いてある、61歳。」  ●インタビュアー「若いですねえ。」  ●豊子さん「昭和58年6月の16日、52歳。52歳。」  ●インタビュアー「若いですね。」  ●豊子さん「この人もガンやった。」    被曝の事実を認められないまま亡くなっていった乗組員。新生丸に乗った男たちは19名、すでに17名が死亡しています。    (東京都内、全日本海員組合を尋ねる山下さん)  調査を始めた頃、40歳の現役教師だった山下さん。ビキニ環礁での被爆事件を解明し、被災者を救済したいと今も活動を続けています。  ●組合員「週に1回ぐらい出よったんですよ、この当時。今は月3回ですね。」←海員しんぶんを見ながら。 現在は、乗り組員たちが被爆者健康手帳を交付されるように働きかけています。  ●山下さん「広島・長崎以外でも、明らかにビキニ被災によって影響を受けた人間に原爆手帳を申請してくれと。こういうことをほとんど人に知られていないので、やっぱりあの是非海員組合としても引き続きですね、また取り上げてもらったらと思うんですけども。」  ●組合員「そうですね」    (高知県教職員組合・青年部の激例会にて)  ●山下さん「マグロ漁してたというだけでなくてね、第五福竜丸ほどではないけど火の玉を見たという、いわゆるあの爆発を見たという人が10数人いました。この問題はなかなか・・・」    事件から58年、残された時間はありません。    (旅館?の部屋に帰宅した山下さん)  ●インタビュアー「こんなにしんどい思いして(事件に対する認識が)変わりますかね?」 ● 山下さん「(日本酒?を飲みながら)ははは、それはやってみないと分からないから。そんなに急に変わるなんて初めから思ってはせんよ。ちょっとずつコツコツ穴を開けるようにせないけん。谷川でねえ、カニが穴開ける。赤い子のカニが。それが堰を切る時があるんだよ。セメントで固めたものにね、カニが穴開けてね。赤い子がおったらイカンゆうてね、赤い子がね、セメントを破って穴を開けるっていうね、まあそんな気持ちよ。はははっ」  ●インタビュアー「先生は赤い子ですか?」  ●山下さん「そう、赤親やけんど。ははははは。まあいずれ変わるときが来るだろうと思ってやらんと、しんどうてできんよね。」    日本中を放射性物質が覆ったあの日からおよそ60年。(福島原発の爆発映像)またこの日本に放射性物質が降り注ぎました。    ●第二幸成丸・崎山船長の妻 順子さん  「そーら今でもそうやか、あの出しよる(発表している)その記者会見じゃなんじゃらでゆうもんも、私たちが知りたいこととあの人らの言うことは違うように私は思うけんど。うん、だから私らがなんぼそんな話(ビキニ事件)したって、そんなの(誰も)知らんことやきん。ただ、いつの時代にも弱い者にシワ寄せが来るというのは、いつの時代も一緒。うん、いつの時代も一緒や!」    被曝したことを認められず、原因さえわからないまま死んでいった多くの乗組員たち。事件から58年、彼らは自らの死を通して無言のメッセージを送り続けています。  ↑書き起こし終わり  -----------------------------------------------------------------------   【お願い】これをお読みになり、また動画をご覧になられて、同じように衝撃を受けられた方にお願いします。出来る限りの拡散をしていただけないでしょうか?忘れ去られてはいけない事実があることを、一人でも多くの日本人に知ってもらいたいのです。 (ネクタリーナ)
【論文】ロシアの官民協調型の市民運動(御用デモ)「ズバートフシチナ」はなゆ-さんから.) http://www.facebook.com/hanayuu999/posts/411463002245745 (ズバートフ主義~zubatovshchina) 20 世紀初頭のロシアで労働問題に関連してとられた政策。具体的には,当時の高揚した労働運動を弾圧のみでは押さえきれないとみた治安当局が,保安部の監視の下で一定の合法化された労働者活動を許し,それによって労働者の急進化を阻止し,体制側にひきつけようとした動きをいい,モスクワ保安部長官ズバートフ Sergei V.Zubatovの発案になるのでこの名で呼ばれた。1901年,モスクワで最初の官製組合がつくられ,以後ミンスク,キエフなどにもつくられた。 ズバートフは、労働者の運動をなくすには、彼らを扇動するインテリと労働者を切り離し、政府が派遣したスパイ労働者を使って政府御用労働組合を作り、政府と労働組合の両者でシャンシャンとことを運べば、労働者と政府の軋轢は穏健に解決すると考えたようです。ところが、この「警察社会主義」は、むしろせっかく作った組合に社会民主主義者が潜入しストの拠点と化してしまったりしてやっぱりうまくいきませんでした。 こういうわけで、ズバートフは内相プレーヴェによって追放されてしまいました。 ☆血の日曜日事件 (1905年) http://j.mp/Ph1Ee2 1905年1月9日は日曜日で、請願行進はガポン神父に主導された。ガポンはロシア正教会の司祭であると同時に、国家秘密警察の給与を受ける工作員であったともいわれている。 (略) 当局は軍隊を動員してデモ隊を中心街へ入れない方針であったが、余りの人数の多さに成功せず、軍隊は各地で非武装のデモ隊に発砲した。 (略) ガポンが事件以前から組織していた労働者の集会は即日解散させられ、ガポンは直ちにロシアを離れた。 ガポン神父はサンクトペテルブルクの労働者を集め、労働者組織を作り上げた。組織の目的は産業革命が始まりつつあったロシアの労働者の権利を保護し、モラルと信心を高める事にあった。組織は規模を急拡大させ、12の支部に8,000名の構成員を数るまでになった。 (脚注:これらのガポン神父の活動にはロシアの秘密警察オフラーナの資金が用いられていたと言われている。) (略) 1905年1月22日(ユリウス暦1月9日)前日のゼネラル・ストライキに続き、ガポン神父の組織した労働者たちが冬宮にいるニコライ2世への嘆願を目的にペテルブルクの大通りでデモを行っていた。この列に警備部隊が発砲し、数千人の犠牲者がでた。 ▼世界の労働運動の歴史~ズバトフ労働組合(ロシア)▼ http://www.mcg-j.org/mcgtext/sekaino/sekaino.htm このような“違法”な労働組合の活動、ストライキに対してツアーリ専制政府のとった第一の対応が警察、軍隊等の暴力装置による強権的な弾圧であったことは言うまでもない。 だが頑迷なツアーリ反動政権と言えども、単なるムチだけでは労働者を抑え込むことが出来ないことを知らされたのだ。実際、失業や賃金の切り下げが餓死状態に直結する当時のロシア労働者は、闘うことなくして生きる途がなかったのである。 専制政府が打った手は上からの労働者の組織化である。それまで社会主義政党は勿論のこと、ストライキや労働組合は非合法であった。非合法であろうとも、労働組合は社民党の協力の下、強固な闘いを展開していた。ツアーリ官憲はこの急進的、革命的組合活動を抑え込むためにまず組合指導部から急進派、社会主義派を追放しようとしたのである。元々非合法の組合に“追放令”を出した所で何の意味もない。戦闘的指導部と労働者大衆を切り離し、大衆に一定の幻想を与え、 “穏健な”活動に留めるには官製の労働組合が不可欠である。権力の側が労働者を囲い込むために“労働組合”を組織するのである。こうした組合はその後ズバトフ型労働組合と呼ばれるようになったが、その由来は、ロシアの憲兵大佐スバトフが創始者であったからである。1905年の革命の発端となった血の日曜日事件の“主役”坊主ガボンが組織したペテルブルク工場労働者協会もこうした組織の一つであった。 ☆Sergei Vasilyevich Zubatov (官製労働組合の組織化による帝政ロシア労働者の懐柔・囲い込みに邁進していた保安部長官セルゲイ・ズバートフ)
要警戒! ACTA.. ACTA が施行されたら、ネットメディアはお終いです.ACTA 施行後は、言論弾圧に対する自衛・防御手段はなく、日本国憲法によって保障された「言論の自由」や「自由権」又「平和的生存権」など役に立ちません. http://enzai.9-11.jp/?p=12146
ベルリンの警察はデモする市民の権利の擁護者である/警視庁警察官のみなさんへの情報です/追加として「見守り弁護団」の弁護士さんへの情報です.写真掲載. http://tkajimura.blogspot.de/2012/08/blog-post.html
(広島,長崎の原子爆弾による人体影響.米軍フイルム.1946年にアメリカ陸軍の空軍部隊が撮影した)

2012年8月6日月曜日

自棄で暴走を始めた野田首相. http://gendai.net/articles/view/syakai/137986 <献金87人の職業を「虚偽記載」の重大疑惑>  なぜ、国会や大マスコミが騒がないのか不思議だ。ドジョウ首相の「政治とカネ」「黒い疑惑」が次々に発覚しはじめている。 「野田首相 前後援会長は21億円を詐取していた」――という週刊文春のスクープは衝撃的だ。  首相の有力スポンサーである医療グループのオーナーが、診療報酬を不正請求し、年間21億円も騙(だま)し取っていたという。患者の保険証を無断でコピーするなどして不正請求していた。不正請求はレッキとした犯罪である。  首相とオーナーは相当、深い関係だ。分かっているだけでも905万円を献金している。献金の見返りなのだろう。野田も、彼が園遊会に出席できるように、総理枠で推薦するなど便宜を図っている。  よほど義理があるのか、総理就任後も、オーナーが創立した「政経倶楽部」という団体にまで顔を出している。野田は「政経倶楽部」についてこう語っている。 〈私が、今、定期的に毎月出席している例会は、唯一「政経倶楽部」だけです。月に1回ですと、もうブレーンに近い存在でしょうね〉  ここまで肩入れするのは異常だ。いったい、2人の間になにがあるのか。相手は21億円を詐取したとされる人物である。  まだ明らかになっていない「癒着」があるのではないか。 「黒い疑惑」は、それだけじゃない。長年にわたってデタラメな「政治資金収支報告書」を提出していたことも明らかになってきた。  虚偽記載の時効(5年)が過ぎていない2007~2010年だけでも、「報告書」に載っている個人献金者87人の職業を偽って記載していた。たとえば、首相の地元・船橋市の選挙管理委員会の事務局長は「会社役員」とされていた。100人近くも職業を偽るのは、単純なミスじゃない。意図的なのは明らかだ。隠さなければならない理由があったのは間違いない。  野田首相をよく知る人物が言う。 「ああ見えて首相は、“黒いカネ”にまみれているのが実態です。つい最近も、暴力団関係者に便宜を図って逮捕された葬儀会社の社長から140万円のカネを受け取っていたことが発覚しています。県議時代から貧乏だった首相は、ダボハゼのようにどんなに怪しいカネでも平気でもらっていた。もし、大手メディアが本気で調べたら、仰天する『政治とカネ』のスキャンダルが出てくると囁かれています」  ありもしない小沢一郎の「政治とカネ」を騒ぎたててきた大手メディアと東京地検は、ドジョウ首相の「疑惑」こそ追及すべきだ。  どんなにダーティーな首相でも、韓国などと違って、日本では辞めた後に逮捕されることはまずない。しかし、ドジョウ首相の「疑惑」は、他国なら検察が動いておかしくないものだ。
ドイツ.ドユッセルドルフ市で行なわれたACTA反対の大抗議デモです. ベルリンを初め,50都市で大きなACTA反対デモがありました. (ポ-ランドでも大きなデモがありました.)この結果ドイツ政府はACTAを取り止めた.
米国新聞.日本人は放射性セシウム汚染により食物連鎖に悩んでいる。日本の食品検査システムが悪く国民の信頼はもはや無い。広島県の椎茸は法定基準を超え放射性セシウムは福島から広がっている.又,河川や湖,沼が汚染されている.1980年代の薬害エイズ事件と同様に、日本の厚生労働省は再び積極的な検査計画に欠如!日本の都道府県での食品検査で2,300以上のサンプル(2012年8月2日)は放射性ヨウ素及び/セシウムが法定基準以上である.(汚染された河川、湖,沼、湾の一覧表.新聞内掲載) (食品の検査結果表.新聞内掲載.) http://globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=32184
続・東電下請け会社による被曝数値偽装を通してみる「原発の実情と将来」 http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/255d7f8f4f9f98045dd24dab8d2e39fa
[広島原爆の日]核の本質を問う転機に.沖縄タイムスから.) http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-08-06_37373 原爆投下から67年目の「鎮魂の夏」がめぐってきた。  広島市できょう開かれる平和記念式典には、福島県浪江町の馬場有町長も参列する。浪江町は福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされている。原発事故後、福島県の自治体の首長が同式典に出席するのは初めてとなる。  原発事故により平穏な生活を奪われ、放射線による健康不安を抱えた福島。原爆で家族や友人を奪われた広島。福島と広島の無念さは共通している。馬場町長はそう考え、「被爆地にならうべきことは多い」と出席を決めた。  3・11以降、多くの日本人にとって広島・長崎の体験を「福島」と切り離してとらえることは困難になった。広島と長崎、福島の教訓から私たちは何を学んだのか。端的に言えば、放射能汚染は人類の存亡そのものを脅かす、ということではないか。この現実を直視し、被爆者・被爆地を二度と出さない決意が求められている。世界に向けて「ノーモア・ヒバクシャ」を発信する義務がわれわれには課されている。  この国は長年、「奇妙な常識」にとらわれてきた。「反核」と「反原発」を唱えることは別問題という意識だ。どちらも多分に政治性を帯びた問題である。核の本質を問えば、原爆も原発も同じなのは明白だ。  にもかかわらず「核兵器廃絶」は良識的な主張で、「反原発」は非常識で過激という言説がまかり通ってきた。原発は、科学の進歩や地域を潤す豊かさの象徴として国民に広く受け入れられてきた。  3・11後、既得権益でつながる「原子力ムラ」の腐敗が浮き彫りになった。それでもなお、ムラの住民は健在だ。  将来のエネルギー・環境政策に関する意見聴取会で、中部電力の現職課長が「福島第1原発事故で放射能の直接的影響で亡くなった人は一人もいない」と持論を展開した。  放射能汚染で故郷を追われた人たち。子どもの内部被ばくに、恐れと罪悪感を抱き生活する親たち。除染のめどが立たず、畑や家畜を失い、自殺に追い込まれた人もいる。こうした事実を知りながら原発を手放せない。利権というより、信念として原発を「抱きしめる」人たちが、まだこの国には少なからずいる。  被ばくは原発労働の現場でより深刻だ。福島第1原発の作業員の「集団被ばく線量」は事故前の年の約16倍。一部作業員が、線量計を鉛板のカバーで覆い、線量を偽装したケースも発覚している。  広島、長崎の原爆の惨劇を経験した日本がなぜ原発を推進したのか。絶えず足元を見つめ直す必要がある。「核の平和利用」の背景には、核拡散防止条約と、同体制維持を図る米国の存在がある。日米基軸に全てを委ね、経済発展のためには原発は必要とする世論がこれを支えてきた。  原子力基本法に「我が国の安全保障に資する」との目的が追記された。住民の安全を守ることよりも、国力の維持に重きを置く傾向が増している。「被ばく」する側にいるのは、常に弱い立場の国民であることに留意したい。
【広瀬隆さんから】8月6日東京地検に田中俊一を告訴!! http://hibi-zakkan.net/archives/13584129.html

2012年8月5日日曜日

福島原発事故責任者に対する告発状受理に関する声明文. http://kazuyuu.up.seesaa.net/image/8E69C881E697A5E69DB1E4BAACE59CB0E6A49CE3818CE5918AE799BAE78AB6E38292E58F97E79086.pdf (2012年8月1日告発人・広瀬隆.明石昇二郎.) 私たち告発人のみならず、膨大な数の国民が、この日 を待っていました! ... 2011年3月11日の東日本大震災に伴って発生した東 京電力福島第一原子力発電所における一連の爆発事 故発生と、それに伴う放射能大量放出による一般市民 の大量被曝傷害という「国家規模の重大犯罪」に対して、 告発人・明石昇二郎と広瀬隆が提出した告発状を、本 日2012年8月1日、東京地方検察庁が受理しました。 毎週金曜日に首相官邸前で原発反対を叫び続け、全国 から代々木公園に結集し、国会議事堂を包囲してきた、日 本の巨大な民衆の憤怒が、これからはすべての原子力行 政と、安全宣伝に奔走してきたあらゆる責任者に向かうこと を意味します。公然と、犯罪者は生き延びてきましたが、も はや彼らは安堵して眠りにつくことができなくなったのです。 この告発状受理に引き続いて、本年6月11日に福島県民 1324人の福島原発告訴団が、明石・広瀬の二名が告発し たのとほぼ同じ犯罪事由を挙げて集団告訴を起こした「福 島地検における捜査」が始まります。さらに本年3月5日、東 京電力株主42人が、勝俣恒久会長ら現・旧東電歴代経営 陣27人に対して、福島第一原発事故による巨額損失をもた らした責任をとって、5兆5000億円を東電に賠償するよう東 京地裁に求めた「株主代表訴訟」を起こしていますが、この 裁判も幕を切ります。すべてが、いっせいに始まるのです。 その意味において、東京地検の福島原発事故責任者 に対する告発状受理は、国民の悲願が果たされる歴史 的な起爆剤になるでしょう。 すべての電力会社が、東京電力と同様に、大事故発 生の可能性を知りながら対策を放置してきたことは、あ らゆる報道事実によって検証されていますので、本捜査 が正常に進めば、すべての電力会社の歴代幹部が、同 じ罪に問われます。もはや、原子力発電所の再稼働は、 あり得ない出来事になったと言っても過言ではありませ ん。事故直後に福島第一原子力発電所の爆発映 像が福島中央テレビで放映され、すべての国民 の目がそれをしかと見届けていながら、本日まで、 その犯罪行為が司法の手で捜査されず、野放し になってきました。当該事故の発生以来、これら の大量被曝傷害罪は、明白なものでありました。 これは、国民の目から見て、「ひき逃げ犯」の実 名を知りながら、その犯人たちが公然と社会的 な活動を続けているという、金輪際許しがたい状 況でありました。なぜこの重大事件が本日まで司法によって捜査され なかったかといえば、国会事故調査委員会、政府事故 調査委員会などが、事故原因の究明に取り組んでいた ため、東京地検としては、2011年7月に上記二名の告発 人によって提出された告発状を受け取りながら、事故最 大の責任者であり、また当該事故関連の内部資料を所 有する東京電力本店に入って、それらの資料を段ボー ル箱に詰めて持ち出すことが、公的な事故調査の妨げ になったからです。 しかし本年7月には、国会事故調査委員会、政府事故 調査委員会、いずれの最終報告書も公式に出され、も はや事故調査の妨げになる要因が一切なくなったこと によって、ようやく、全国民の目が注がれる捜査に着手 されたのです。ただし、国会、政府の両事故調の報告書も、未解明の 部分が多々あります。見解が真っ向から対立していると ころもあります。つまり事故調ごとに「見解」が一致して いません。事実の究明はまだ道半ばなのです。その理 由は、両事故調には「強制捜査権」がなかったためです。 悲劇の再発を防ぐためにも、そして被災者の救済のた めにも、「正しい結論」を出さずにうやむやのまま終らせ ることなど断じてできません。 そして、その「正しい結論」を導き出すことができるの は、検察官の皆さんであり、警察官の皆さんです。 ぜひ、国民の切なる期待に応えて欲しいと思います。 福島原発事故は、科学的に予見できる事故であった にもかかわらず、それを回避する手段を一切講じなかっ たという事実から、「未必の故意」に相当する重大犯罪 であるのは明白です。しかるに被告発人たちは、「想定 できなかった」などという虚言を弄して、その罪から免れ ようとしてきました。彼らが一様に、原発の運転は安全 と言い続け、危険な発電法を踏襲してきた行為は、人間 の生命・生存に対する兇悪な犯罪であると、科学的、医 学的に断定されるでしょう。なおかつ、これらの者が権 威ある地位・職権を悪用してこれら行為に明け暮れてき た行為は、とりわけ厳しく断罪されるべき性格を持って いるため、私たちはこれを刑事事件として刑事告発し、 司直の手に委ねることにしました。東京地検においては、あらゆる法令を駆使し、 今後、このように日本国民が被害を受けることが 絶対になきよう、法的にも、社会的にも、厳しい 制裁を加えることを強く求めます。国民に代って、 急ぎ被告発人たちの罪と悪事を白日の下に晒し、 法に基づく正義が実行されることを、ここに強く望 みます。 以上、すべての方々に、ご報告いたします。
福島の原発事故、捜査開始へ 地検が告訴受理 広瀬隆さんのpdf資料.とても重要です.読んでください. http://kazuyuu.up.seesaa.net/image/8E69C881E697A5E69DB1E4BAACE59CB0E6A49CE3818CE5918AE799BAE78AB6E38292E58F97E79086.pdf
(野田首相との面会を求める反原発市民団体代表とは何者か.天木 直人氏から.) http://www.amakiblog.com/archives/2012/08/04/
放射能ガレキは、既に盛大に燃やされている!高松市役所幹部職員「この情報は口外しないように」 http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/f3756c1b7cb99fbe86587be0619030ae

2012年8月4日土曜日

ACTAに反対するドイツ海賊党とは?ネット時代にあった著作権者とユーザー保護を. http://ameblo.jp/kawaokakappa/entry-11258974021.html
坂本龍一さん「脱原発」訴え、総理官邸前の金曜デモに参加.

2012年8月2日木曜日

【原発】意見聴取会における結論誘導の手口~保安院~. http://blog.goo.ne.jp/humon007/e/24562d9f548a9d1e128f734d282b72d9 原子力安全・保安院も、当然、官僚が政治家をあやつるテクニック【注】を用いる。「意見聴取会」もその道具の一つだ。  (1)ストレステストの評価結果の妥当性を判断すべき保安院は、「再稼働の可否は政治レベルで総合的な判断を行う」ものとし、責任を転嫁した。  ちなみに、保安院が提出した審査書を受ける安全委の斑目春樹・委員長はストレステストの内容そのものに疑問を投げかけている。  (2)「ストレステスト意見聴取会」では、大飯原発3、4号機の安全性評価について論点や問題点がいくつも出た。  にもかかわらず、保安院は途中で議論を打ち切った。  (3)伊方原発で特に懸念されるのは、基準地震振動の想定の甘さだ。伊方原発の近くには日本最大の活断層である「中央構造線」が走っている(最大1,000km)。にもかかわらず、四電が伊方で地震の評価対象としているのは、その一部(54km)だけだ。  井野博満・東京大学名誉教授jは、「伊方原発設計の前提となっている基準地震動は過小評価との指摘があるので、東日本大震災の知見を踏まえた見直しをすべき」と訴えたが、保安院側は「地震動評価の見直しは他の意見聴取会で行うのでここではやらない」と逃げた。  (3)志賀2号機では、津波による浸水を防ぐ「水密扉」が全部で14か所に設置されているが、すべて主導で開閉する仕様になっている。津波に襲われた時、確実に閉めるためにどんな対策をしているかを井野名誉教授が質したら、「開けたらすぐ閉める」旨の貼り紙をした、と回答があった。  “貼り紙”が津波対策と言えるだろうか。  これまでの審査を総合すると、電源車や非常用ポンプの配備以外は、新たに施した対策は基本的にないに等しい。  にもかかわらず、電力会社が出してきた評価結果を保安院は“妥当”とした。その審査書の記述からは、「結論ありき」の姿勢が読み取れる。  (4)「結論ありき」の姿勢が如実に表れているのが、審査書の“書き方”だ。伊方の審査書は、そのほとんどが、先に再稼働が決まった大飯原発と同じ構成、表現なのだ。  <例>大飯原発の審査書では「1.8倍の地震」と書かれている箇所が伊方では「1.5倍」に、同様に「11.4mの津波高さ」の部分が「14.2m」と数値部分だけが書き換えられている。大部分は、大飯原発の審査書をコピー&ペーストしたような文章となっている。  保安院側が結論を変えないつもりであることがよくわかる。  中身もいい加減だ。  <例>伊方の審査書では、基準地震動(570ガル)の1.5倍の「855ガル」に耐えられるとしている。その根拠は、「福島第一を襲ったのは基準地震動の1.1倍の揺れだったから、1.5倍くらいを想定しておけばいいだろう」というくらいのものだ。  しかし、実際は、2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発は最大1,699ガルの揺れに襲われている。855ガルを超えたら「想定外」と言い訳するだけだろう。  (5)こうした傾向は、保安院が実施している他の意見聴取会にも見られる。設備の健全性を評価する「高経年化(老朽化)技術評価に関する意見聴取会」がそうだ。  長年の原発運転によって構造物がどれだけ弱くなるかを算出する「脆化予測式」が学術的に誤っていることが判明している。井野名誉教授の指摘に、他の委員も、事実上誤りを認めた。これは設備の規格自体を見直さなければならないほど大きな問題だ。  にもかかわらず、保安院は「ここは学術的議論をする場ではない」という言い逃れで押し通し、ついに美浜2号機の運転延長の手続きが決定された。  【注】「【官僚】政策立案の成功が続く最大のからくり ~審議会システム~」     「【政治】官僚が政治家をあやつるテクニック ~財務省による民主党支配~」  以上、井野博満(東大名誉教授)「「大飯の審査書をコピー&ペースト」「いい加減な地震想定」・・・・“ドミノ再稼働”への無責任論議を明かす」(「SAPIO」2012年8月1・8日号)に拠る。    原子力安全・保安院は、2月13日、大飯原発3号機、4号機のストレステスト審査書を原子力安全委員会に提出した。続いて、伊方3号機の審査書を3月26日に提出し、いずれも事業者のストレステスト報告書は妥当だと結論づけた。  審査書の結論部分の文言は、「福島第一原子力発電所を襲ったような地震・津波が来襲しても同原子力発電所事故のような状況にならないことを技術的に確認する」。  これは到底、技術的にみて判断基準と言えるものではない。福島第一原発と大飯原発/伊方原発では、設定されている基準地震動の大きさも違うし、想定された津波の高さも異なる。同じような地震、同じような津波とは何を意味するか、まったく論拠がない。  (1)津波(保安院の理屈)・・・・福島第一原発で設計時に想定されていた津波の高さは5.5mで、来襲した津波の高さは15mだった。大飯原発では当初の設計高さは1.9mで、その高さに9.5mを足した11.4mの津波に耐える対策を講じてあるので、福島第一原発と同等の津波がやってきても大丈夫。  9.5mを足すことに何の意味があるのか?    (2)地震(保安院の理屈)・・・・福島第一原発では600ガルの地震動が設定されていて、実際に襲ったのは1有り程度(75ガル)超の地震だった。よって、福島同様の地震でも大丈夫。  (1)と同じく奇妙な理屈だ。  (2)には、奇妙以上の大きな問題が隠れている。それは、福島原発事故では、地震によって設備や機器が事故の引き金になるような損害を受けなかった、ということを前提している問題だ。  保安院は、これは「福島事故の技術的知見に関する意見聴取会」で審議した結論だ、という。だが、この意見聴取会は、東電と原子力安全機構(JNES)の解析結果だけをもとに議論している。その解析が偏ったものではないか、大いに疑問だ。  地震による機器や配管の損傷が疑われる(田中三彦『原発を終わらせる』、石橋克彦・編、岩波新書、pp32-34)。  政府事故調も国会事故調も地震による損傷の可能性を否定していない。  以上、井野博満(東京大学名誉教授)「市民の常識と原発再稼働 ~安全は誰が判断するものなのか~」(「世界」2012年6月号)に拠る。
『戦後史の正体』を知り日本の独立を実現する. 植草一秀氏の『知られざる真実』 http://blog.goo.ne.jp/fugimi63119/e/098b50e2977819ee3182441820f21e3e
孫崎享「今だからみえる原発と日米の関係」 http://chikyuza.net/n/archives/24957 *(孫崎享氏“ 何も知らない人が読んだら卒倒する「戦後史の正体」/日米、安保改定をはさむと立場が180度変わる/”など) http://d.hatena.ne.jp/nk2nk2/20130826 *(孫崎氏によれば、東京地検特捜部は日本政府ではなく、米国関係者)

2012年8月1日水曜日

(首都圏の汚染を調査した団体「放射能防御プロジェクト」の報告結果2011年08月10日) (報告によると、埼玉県三郷市早稲田が最も高い数値を検知したようで、これはチェルノブイリ事故に当てはめると「第2区分・一時移住区域」となり移住の義務があることになるという。) (東京都江戸川区臨海町の植え込みからはセシウム合計3693Bq/kgが検出された。) (東京都文京区小石川4丁目では合計2500Bq/kg(6月2日)が検出されているが、同区小石川5丁目では25Bq/kg(同日)ほどしか検出されず、放射性物質が均一には拡散していないことがわかる。) (千葉県松戸市紙敷の園庭ではセシウム合計7031Bq/kg) (同じく松戸市松戸では3179Bq/kgが検出されている。) (埼玉県三郷市早稲田の植え込みが今回最も数値が高い結果で、14140Bq/kg。) (茨城県取手市藤代の庭ではセシウム合計3380Bq/kg) (東京池袋でも61713Bq/kgと高い数値が検出されたポイントがある。 ただしここは事故以来一度も掃除していなかった道路の縁石だそうです。) ▼ 高い数値が検出された場所 (埼玉県三郷市早稲田の植え込み - 14140Bq/kg) (東京都江戸川区臨海の植え込み - 3693Bq/kg) (千葉県松戸市紙敷の園庭 - 7013Bq/kg) (千葉県松戸市松戸の庭 - 3179Bq/kg) (東京都豊島区巣鴨の道路脇の砂 - 61713Bq/kg) (茨城県取手市藤代の庭 - 3380Bq/kg) (東京都墨田区八広の植え込み - 4254Bq/kg) ▼ 小出裕章氏のコメント. (お送りくださった調査結果、拝見しました。当たり前のこととは言え、すごいですね。 ごく一般の場所が、放射線管理区域以上に放射性物質で汚染されてしまいました。 被曝を規制するための多くの法令も意味を失い、私たちは変わってしまった世界で生きる以外にありません。 人々が生活する際、ごく容易に接触する場所で試料を集めることが大切ですし、行政にそうした調査を求めるべきと思います。)