2012年8月13日月曜日

ドイツ・左翼党のエネルギー政策担当ドロテ・メンツナー連邦議会議員の脱原発運動についての質問への回答を紹介する。今回は、国際連帯の意義と日本の反原発運動へのメッセージ。 http://www.mdsweb.jp/doc/1196/1196_03d.html (インターネットを有効に)  ――国際連帯の意義についてどう考えていますか。  資本と大企業はグローバルに活動しています。私たちが社会主義者として、資本主義の経済秩序を克服しようと欲し、平和と社会保障と自由を単なる夢にとどまらない普遍的な目標として掲げるのなら、私たちは可能なかぎり緊密に協力することによってしか、それらを達成することができないでしょう。  そうした協力のためには、個人的にも面識を作り、外国のパートナーたちの闘いを現場で体験するのはたしかによいことです。そのことはしかし、費用と距離のせいで非常にまれにしか行なわれませんし、少数の人しか行なうことができません。ですから、外国の仲間とのそのような交流について同志たちに報告をすることは、過小評価できない意義を確実に有しています。  しかし、経験を交流するために、そして、たとえば派遣労働はドイツと同様に日本でも問題になっているということを学び、これに対抗する共同の戦略を発展させるために、もっと多くの活動家の参加を可能にするような交流のあり方を追加的に開発しなければなりません。思うに、私たちは現代のコミュニケーション手段、とりわけインターネットをまだ十分にうまく使いこなせていません。たとえば、重要な問題が英語で議論されているため、可能なかぎり多くの人々が討議を理解し、行動のアイデアから法律の提案にいたるまでの重要事項について意見を交換することができるような共同のインターネット・フォーラムは、長い間欠如したままです。  私の確信するところでは、目下の経済危機はまだまだ終わりに達していません。この危機に関しては、まさにそうしたコミュニケーションの手段が切実に必要とされていると信じています。 来年、日本再訪を予定   ―(第41回全交大会の印象をお話しください。)  全交の大会は私にとってたいへん印象深い体験でした。この大会に招待されたことは大きな名誉であっただけでなく、私個人にとって大きな収穫でもありました。私は、左翼党が全交の活動に可能なかぎり広範囲にかかわるよう促すべく努力するつもりです。  私はこの大会で多くの新しい刺激を受け、多くのことを学びました。そして、この大会は私個人にとって、継続的な共同の仕事、できることなら集中的な共同の仕事の出発点であるという印象をもっています。次の日本訪問を来年の初めにするという計画を、私はすでに視野に入れています。今度は日本にもっと長く滞在することで、地域のグループと対話をすることができるでしょうし、必要があれば喜んで報告や発表をさせていただきたいと思います。  当然のことながら私は、日本と日本の同志の皆さんが福島での災害にどのように立ち向かっているかということも知っています。2006年初めて訪問して以来、日本の土地と社会と文化は私を魅了し、住む人々は私を感嘆させています。その日本について、私は今では多くのことを学び、日本をまるで自分の故郷であるかのように感じています。私はそのことに感謝しています。  ――(日本の原発廃止運動や民主主義勢力、若者たちへメッセージを。)  エネルギーとしての利用と軍事利用の両方をふくむ原子力技術から脱出しようと思うとき、私たちは社会のなかで最も手ごわい相手に直面することになります。私たちにとってだけでなく将来の世代にとっても致命的な危険をもたらすこの技術は、もっぱら利潤獲得の利害関心のみによって正当化され、根拠づけられています。反原発の闘いは息の長い闘いであり、創造性と連帯とを要求する闘いです。 * しかし、私自身の経験からこう言えることですが、これは以下の2つの面においてやりがいのある闘いです。 (1)私は、反原発の運動のなかで出会ったほどのよき友人、そこで見つけたほどの多くの連帯とお互いへの気づかいを、別の場所では決して見いだせませんでした。 (2)たとえ闘いの成果が乏しく思えるときがあったとしても、私たちが忍耐をもって粘り強く取り組むなら、成果は乏しくなったりしないはずです。もしも反原発運動が存在しなかったとしたら、ドイツは今日、17基ではなくて50基以上の原子炉を擁しているでしょうし、核燃料再処理施設を備えているでしょうし、1つではなくて多数の核燃料工場をもっているでしょう。 反原発運動は世界共同体  現代がどれほど悲劇的に見えようとも、時代は私たちのほうを向いています。社会的正義と平和と健全な環境は、私たち万人にとっての財産です。それらはすべての人が享受できるものでなければなりません。それらは、いま生きている世代や、いわゆる豊かな国の人びとだけでなく、ウランが採掘されているナイジェリアのような国の人びとも享受できるようなものでなければならないのです。私たちは他者を犠牲にして生きていこうとは思っていません。  反原発運動という世界規模の大きな共同体の一翼を担ってください。なぜなら、守られなければならないのは私たちの世界、私たちの未来であって、私たちを犠牲にしながら利潤を得ている大企業の世界や大企業の未来ではないのですから。

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