2012年10月15日月曜日

<エトス・プロジェクト>を通して国際原子力ロビーは何を目指しているのか? その5 ドキュメンタリー映画『真実はどこに?』(原題:核論争)の監督ウラディミール・チェルトコフの証言. http://echoechanges-echoechanges.blogspot.fr/2012/10/blog-post_14.html ベラルーシにおける<エトス・プロジェクト>を取材して、事情をよく熟知しているチェルトコフ監督の論考(12月発売の『日本の科学者』1月号に掲載予定)を、事態の緊急性に鑑み、特別に、このサイトに事前に公開することを許可して頂いたので、以下に掲載する。(ただし、転載は禁じます) 7月17日に、私が<エトス・プロジェクト>の日本上陸に警告を発してから、あらゆる誹謗中傷やデマが、ツイッターやネット空間で飛びかわった。これらの罵詈雑言は、自分は名名乗らず、相手を欠席裁判にかけて言いたい放題のレベル、つまり<2チャンネル>レベルの、根拠も論拠も曖昧な勝手な言説である。秋になって、これらの放言は、少し収まって来たかに見える。しかし、現地の福島の住民の方々の生活環境が改善されたわけでも、放射能が低下したわけでもない。県内の医者達や専門家の無言と多くの無関心の最中で苦しんでいる方々は多い。その中で、ジャック・ロシャールの福島ダイアローグは続き、小さな村に、フランス人達がやって来て、あたかも説教を垂れる風景は、異常である。ICRP(国際放射能防護委員会)は、日本の関係者を動員して、<福島エートス>以外にも、<福島ステークホルダー調整協議会>という名の、あたかも公式の組織のふりをした民間組織に過ぎない団体が、<ピーチ・プロジェクト>だの<心の除染>とかを提唱し、その推進者、半谷輝己氏は、低線量汚染など、何にも心配することない、と言い切っているおそろしいデマゴーグである。 こうした言説を、相対化するためにも、チェルトコフの論考を紹介しておく。 コリン・コバヤシ ーーーーーーーーーーーー チェルノブイリの犯罪 —フクシマへのひとつのモデル ウラディミール・チェルトコフ  四半世紀にわたって計画された犯罪が、ヨーロッパの中心部で、しかも重大な責任の下で、情報の遮断と、技術の進んだ西洋文明世界に蔓延した無関心の元に、押し進められている。軍事・民事の原子力産業界のコンセンサンスを守るため、原子力ロビーと公的医学界は、故意に26年にわたって、チェルノブイリによって汚染された広大な大地という実験場で、数百万の民衆を余儀なく、身体の新たな疾患を実験される人間モルモットにしているのである。子供たちは、実験室の動物のように扱われ、フランス、ドイツ、また彼らを観察しているフランスのNGOのCEPN[1] 、ムタディス・コンサルタント[2]、ETHOS, COREなどは、共同責任者といえる。 同じ運命が、フクシマの惨劇で汚染地に住む日本の住民たち、子供たちにも待ち受けている。なぜなら、同じ戦略が同じ中心人物たちによって、日本で行なわれようとしているからだ。同じ疑似科学的裏付けを持って、同じ権力者の下で行なわれようとしているのである。 それを証明するために、以下に、チェルノブイリで、世界の科学界、政治界がベラルーシの子供たちにもたらした異なったレベルの悪の帰結を導いた責任者たちの陰謀を紹介しよう。それは、まず、原子力と健康の責任者である国連の部局による惨事の影響の管理である。IAEA国際原子力機関は、原発の推進者であり、WHO世界保健機関は、<全ての民衆を最も高い健康状態へと導く>のが目標だ。この二つの機関は、科学的、医学的権威の高所から、一般的には原子力分野において、安保理事会の理事国五カ国によって強制された犯罪的政策を実践し、担保にする。チェルノブイリの惨事の汚染地域において、とりわけ福島で。 この政策は、科学とは無縁の、無知の立派な戦略のうえに、科学性のよそおいをこらすために、行なわれる。原子力ロビーの右往左往のやり方は、広島・長崎の原爆体験を引用して、チェルノブイリを説明しようとする。原爆爆発のフラッシュのような強い線量と比べられるチェルノブイリ地域の低線量放射線の存在によって、観察された症状が事故で起こったとするには、先験的に不可能であると説明する。しかしながら、この二つの出来事と健康を害するそのメカニズムは、同じではない。一つの事象は他の事象を説明しない。チェルノブイリでは、原爆の爆発は起こらなかったのだ。二つの原子に由来する爆発が起こったことと10日間続いた火事があった。原発の周辺の環境中の背景となる放射線量は低い。しかし、熱気による爆発時に、莫大な量の人工放射線が放出され、風と雨で拡散された。長期にわたって継続するこれらの核種は、環境を汚染し、植物、動物、人類を汚染する。この放射線は、原発の周辺で作業しながら放射線粒子を摂取し、吸い込んだ数十万の若い事故処理作業員<リクビダートル>の健康と生命を破壊し、未来世代を汚染し続けるだろう。遺伝子と遺伝子周辺組織への損傷は、<リクビダートル>の子孫に受け継がれるし、第一世代では知られなかった病疫がその次の世代にも引き継がれるだろう[3]。 WHOとIAEAは、最初の作業に関与した<リクビダートル>の50人ほどの死亡と2056年になるまで約9000人の補足的ガン病者しか認定していない。ところが、2001年、ウクライナとロシア連邦での公式データでは、関与した<リクビダートル>の10%が死亡し、30%が病弱だと報告していたのである(ソ連圏すべてから集められた<リクビダートル>は80万人以上である)。汚染地帯で暮らしているベラルーシの200万の農民と25万人以上の子供たちは、チェルノブイリ事故の影響から無事らしい。毎年、ベラルーシで増大し悪化する病気の大半は、公式には、ストレスや<放射能恐怖症>、そして、両親のアルコール依存症のせいにされている。 IAEAの放射線防護と核廃棄物の安全局長、またICRPの副会長であり、アルゼンチンの放射線防護庁長官であり、IAEAからUNSCEAR国連放射能科学委員会のアルゼンチン代表で、WHOの顧問でもあるアベル・ゴンザレスは、スイスTVが撮影した2001年キエフでの会議で、次のように表明した。このような低線量のもとでの放射能と病気の相関性を証明するものを得ることは不可能であり、それは、解決不能な認識論的な問題である、と。彼は文字通り、「このレベルに関しては直接、認知する手段を持っていません。私たちは知らないのです!」と述べた。 逆に、私たちは、バンダジェフスキー教授が9年間の厳密な科学的研究によって、この主張された無知を粉々に破壊したため、刑務所で過ごし、亡命させられたことを知っている。ユーリ・バンダジェフスキーは、ゴンザレス氏のように物理学者ではなく、解剖病理学者であるため、その可能性を認めることを拒否したいたIAEAの職員ゴンザレスが不足していたと主張するところの「直接認知の手段」を制御していたのだ。彼は相関性を発見し、低線量で体内に取り込まれた放射線核種と必須臓器との間の因果関係の証拠を確立した。 私は、取材の間、フランスの非政府組織の専門家たちが、ベラルーシの子供たちを、放射線防護も適切な医学的介護もなく、余儀なく原子による未知のあらゆる病気で苦しませた有害な政策の積極的遂行者の役目を負っているのを見出したのだ。ヨーロッパの金持国から資金を得たこうしたフランスの諸組織は、住民の汚染に関するデータを集め、過剰な汚染を避けるためのやり方について講座を行なった。しかし、彼らが観察した子供たちを治療することはなかった。もっとひどいことは、身体組織から放射性核種を排出することを促進させるペクチンをベースとした食品添加剤を、汚染の大きい子供たちに配給することを拒み、子供たちを、必須臓器への障害が改善不可能となる限界値以上の状態に放置したのである。 26年前に始まったこのような話の当事者たちは誰なのか? 彼らの目的はなんなのか? 正確には何を意味するのか? チェルノブイリの惨事の影響についてのソビエト政府の無策と虚言を前にして、事故の初期段階で、異議申し立てをし、燃えている原発から100キロ離れたところへ住民を避難させるよう主張した物理学者ワシリー・ネステレンコ教授は、科学アカデミー会員で、ベラルーシ科学アカデミーの原子力研究所所長であったが、1987年7月に、パニックへの不安の種をまく人物としてその職を罷免され、1990年に国の組織を離職し、汚染された子供たちを救済するために、ベルラド独立放射能研究所を立ち上げた。ベラルーシの最も汚染された村々に、370の放射能測定地区センターを設置し、そこで、放射能防護に関わる医者、教師、看護婦を養成し、汚染を減少させるために食物をどのように扱えばよいのかを家族に教えた。「除染」時期の短い間、まず政府から支援を受け、今日、これらの地区センターは、原子力ロビーによる状況掌握が再開されるや、閉鎖された。 1996年、ネステレンコは、ウクライナ、ロシア政府の厚生省がセシウム137を吸収剤として奨励したりんごペクチンをベースとした食品添加剤を適応させ、成功した。一ヶ月の治療で、子どもの臓器の放射性核種の量は60-70%減少させることができるのだ[4]。 1994年、ネステレンコは、ゴメリ医科大学の学長、解剖病理学者で医者のユーリー・バンダジェフスキーと知り合う。彼は1991年から汚染地域に暮らす住民の新しい疾患の病因学の研究をしていた。その妻、小児科医で心臓病医のガリーナとともに、バンダジェフシキーは、心臓の機能的、形態的変質の重大性と頻度が、臓器のなかに摂取された放射性セシウムの量に比例して増大することを発見した。彼は「セシウムの心臓筋疾患」、つまり幼児、青年、成人における心筋の退行性障害を伴う心臓病である。突然死は、あらゆる年齢のひと、—子どもにさえも— に引き起こされる。体重に対して、キロあたり50ベクレル以上だと、不可逆的な損傷が必須臓器に現れる。 1996年から、ベルラド研究所は、ゴメリ医科大学と共同で作業を始めた。ネステレンコは、村々を行き通い、西洋のNGOから寄贈されたホール・ボディ・カウンターを使ってセシウム137の体内組織への汚染度測定に集中した。二つの研究組織は、セシウム137による汚染の少ない食事療法をすると、子どもと実験用の動物によって、必須臓器に対する不可逆的な損傷を避けることができることを明らかにした。科学のための全く新しい研究の道が開けたのである。 1999年4月、この二人の科学者は、ベラルーシ議会から、チェルノブイリ事故の影響に関する医学的研究に厚生省放射線医学研究所による国家予算の使用が認可され、また線量記録台帳を確認する作業委員会のメンバーとして、招待を受けた。彼らの結論は、厚生省に近い委員会のメンバーを落胆させた。彼らは、分離された報告書に署名し、住民の健康に関する責任者、ベラルーシの安全保障理事会へ報告書を送った。この理事会は厚生省の線量記録台帳を抜き取り、ネステレンコとバンダジェフスキーの結論に基づいて、緊急に資料を再検討するよう求めた。厚生省は、ルカチェンコ大統領に報告書を送付し、そのなかで、厚生省の研究所の作業を厳しく批判し、省が1998年に、170億ルーブルのうち、唯、10億ルーブルだけが有益に使われたと述べている。1999年7月13日、テロリズムに対するルカチェンコの公布した法令により、バンダジェフスキーは逮捕された。証拠がないにもかかわらず、買収の疑いで、ベラルーシ最高裁判所軍事法廷で、8年の刑を受けた。 エトス・プロジェクト その間、1996年に、<エトス>(1901年の非営利アソシアシオン法によるNGO)と呼ばれるフランスの研究者グループは、ネステレンコ教授によって管理されているオルマニー村の放射線測定センターを支援に来た。ここでは彼らの測定データを収集することと、チェルノブイリでの汚染地域の放射線防護を教育するためであった。<エトス>は、CEPN(原子力分野における防護評価の研究センター)の発現であり、EDFフランス電力公社、CEAフランス原子力庁によって、1996年に創設された。仏原子力ロビーが積極的に代表されているのである! <エトス>の目標の一つは、欧州連合に、原発事故と半減期の長い放射性核種によって汚染された地域の管理について、「社会的信頼を獲得することと放射能の質にたいする継続的な管理の手法」を定義する本を書くことだった[5]。三年間、1996年から98年の間、<エトス>は、オルマニーの地区測定センターの測定データを集積し、ネステレンコによって養成された人材を使い、設備投資されたセンターを使って食品の放射能測定を行なったのである。そのことによって過剰な作業を強いられた女性技師に何の残業手当も支払わずにである。フランス人研究者たちにとっては、ネステレンコがベラルーシ当局によってオルマニー村から、そしてストリン地区の他の4つの村から追い出されるその日までは、裕福で実り多い共同作業であった。 実際、<エトス>連合体は、V・ネステレンコの教訓を学び、今は、彼からその地位を奪うために、彼が所有していたデータを収集したのである。まさに盗作であるが、根本的な欠陥を持っている。すなわち、仏原子力ロビーによって計画された<エトス>の任務は、健康問題の根幹を排除するという越えがたい規約の定める限界を持っていた。<エトス>は住民の健康問題に関する権能を持っていなかったのである[6]。では、この根本的な権能がないのに、チェルノブイリに何をしに来たのか? <エトス>に協力していた社会学者の友人が、<エトス>プロジェクトを指揮していたジャッック・ロシャールは、原子力庁から来た人物であり、彼の任務の定義は、驚くべき処方、「地歩を確保する」というものだと私に言った時、私は事態を理解し始めた。 ネステレンコによる養成が終わり、<エトス>は、チェルノブイリ地域における放射能防護の科学的参照項として、国際プロジェクト<COREコア>の調整者となるために、ヨーロッパで紹介することができるようになった。<CORE>は「チェルノブイリによって汚染地となった地域での生活条件の復権のためのコーペレーション」の略称で、創設会員は、ベラルーシ政府のチェルノブイリ委員会、国連開発計画、仏・独大使館、欧州委員会、スイスの開発協力局、ユネスコ、世界銀行、そしてベラルーシの4つの地区である。 2003年6月18日、NPO<チェルノブイリ/ベラルーシの子供たち>の名で、私は、この計画についての詳細なる批判を書き、国会議員、ヨーロッパの政治、行政当局に送付した。この手紙に同封されているノートの中で、私は以下のように、明確にした。 「この計画は、1986年以前では20%の子どもだけが病気だったのが、チェルノブイリの惨事によって、80%以上の子供たちが病気である地方の問題を、抽象化してしまうものです[7]。コア計画の覚え書きは、5年の活動後に、その有効性を評価する予定をしています。私たちの批判は、このプロジェクトの起源から、考慮されてしかるべきです。なぜなら、汚染された大地での健康の惨事は、悪化しているのであり、重大な伝染病のように増大しているからです。国際社会から17年間も放置された汚染された住民たちは、適切な医学的治療が予定されていないプロジェクトで、これ以上、5年間も待つことはできません」と。 返事はなかった。<エトス=コア>作戦の役割は、08年2月20日付けの『ルモンド』紙の記事が「フランスは、フランス領土内にチェルノブイリ級の事故の影響に備える準備をしている。そしてASN原子力安全局は、<エトス>の調整役であったムタディス・コンサルタント社に委ねたチェルノブイリの事故後の管理の経験に戻って再検討する研究を始めた。」 この作業の目標は、「フランスと欧州連合の社会的、経済的、政治的コンテキストにおいて、事故後の管理の予防体制の展望を検討する上で、この経験に戻って検討することの適確さを評価する」ことであった。 「ベラルーシのコンテキストにおける事故後の管理の経験へもどって行なわれた再検討」と題された総論報告は、すべて<COREコア>の提唱者である三人、ムタディス・コンサルタント社のジル・エリアール=デュブルイユ、CEPNのジャック・ロシャール、パリーグリニョン国立農業研究所のアンリ・オラニョンによって署名された。 こうして、原子力ロビーと核開発を続ける諸国家によって、政治的にも経済的にも援助され、表面的には、チェルノブイリの惨事で生み出された諸問題を援助するために奔走するように見える<エトス>は、実際には、ネステレンコやバンダジェフスキーのような独立科学者たちが幾多の障害を乗り越えて明らかにした健康の惨事を認知することへの障害を形作ったのだ。原子力ロビーにとっては、惨事が起こった場合、「社会的信頼」を定着させるために、放射能のある質を定義することにあった。汚染されたモルモット=子供たちから得られた科学情報は、西洋の観察者たちにとっては、変わらずにそのままであった。というのも、放射性核種によって体内に負荷された放射能は、<COREコア>が放射能吸引剤の投与をする経済支援を拒否したために、変化していなかったからである。ヨーロッパの金持諸国における原子力苛酷事故のその後の管理のために有益なデータの収集を最終調整した見かけは独立した区画による障害のひとつの国際的パズルである。1990年にウクライナの緑の運動の指導者だったが、ソ連の<民主化された>ソビエト最高議会に議員として選出された医師で作家のユーリー・シチェルバクは、私にこう語った。「あるフランス教授が、この事故で最も大切なことは何だと考えるか聞かれて、『これは面白い、私の研究室で、かような実験に関わることができるとは思っても見なかった。今、私はそれを観察出来る』というのですよ」「あなたは、こうした人たちの臆面もない態度と姿勢を、想像出来ますか」と彼はといって、話を終えた。 私は、彼を憤慨させた臆面のない態度が、事実、ヨーロッパ諸国家のレベルで計画された犯罪を先取りしていたということを、シチェルバクが想像できたかどうかは知るよしもない。つまり、ペクチンのように効果があり、人体に耐えられる自然製品による予防薬を、私たちのところで起きるかも知れないある惨事の影響をどのように管理するべきかを研究するために、チェルノブイリの子供たちに与えるのを拒否することである。それは許しがたいことなのだ。 私はジャック・ロシャールに書き送った。「チェルノブイリ汚染地域の放射線防護は、一人一人の子どもの身体組織や彼らが摂取する食べ物に適応した科学なしには、不可能です。これが、誤った一般的統計データを発表し続けるために、ベラルーシ厚生省はしたくないことなのです。それが、具体的な測定によって、明らかに汚染の本当の線量が分かるホール・ボディ・カウンターを使ってネステレンコ教授がした仕事に対する反対理由です。これらは、子ども一人一人に限定した予防薬のための基礎的なデータであり、体内に取り込まれた放射性核種の負荷と解剖病理学者バンダジェフスキーによって研究された多くの病気の相関関係を成立させるものなのです。しかしまた同時に、まだ始まったばかりのチェルノブイリの惨事の実際の規模を明らかにするのです。科学に関わらないこと、しかし、教育や社会学的な基盤だけに関わることは、無知と不確定の中に、そのまま状況を放置するベールのアリバイとなるのです[8]。ベラルーシ人たちが自分の運命を自分の手中にすることをあなたが期待するのは、もっともなことです。ベラルーシ人たち、それは何よりもまずネステレンコのような科学者たちです。彼らの知識が正当なる放射能防護政策を課するのか、一切の放射能防護がないだけかのどちらかです。これらの科学者たちなしに、罠にはまった貧しい農民たちは、手段も知識も持たず、彼ら自身の運命に立ち向かう力を獲得することは一切ないでしょう。ネステレンコの370の地区センターは再建されるすべきです」と。 ウラディミール・チェルトコフ ジャーナリスト。NPO<チェルノブイリ/ベラルーシの子供たち>の共同創設者で会員。著書「チェルノブイリの犯罪 —核の強制収容所」アクト・シュッド社、2006年刊。チェルノブイリに関するドキュメンタリー映画の監督、とりわけ「サクリフィス」(2003年)、「核論争」(日本語題名:真実はどこに?)(2004年) (訳:コリン・コバヤシ)

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