2012年7月10日火曜日

(被曝の現実を直視しない東京の人々。あるロシア人と僕の対話。木下黄太氏から.) http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/baf773d8ccce31cc97eb11a27a8b5bf5?code=AQBwyQr5-qZdCZrfjHHMAOTbq0fXmVeyZnU8hTbCTIQTDzfumzz6WWBhpgWvNwjOS1r78DDF3iqlfM2agAIq3Tf1Cb3pRcGGTPica28jINkrQmzh2KsPb7SP_XAV8hFm0DCiXDwqFKtR4CH9D70NqzQlA0q0c3MiGwoszVO0-iiEAgwQfsPBPWs3Je4FDrYO4ax-mqHolI-L1yTUPow4iL_b#_=_ 歴史の教訓に学べる人というのは、わずかなのかもしれません。日本在住のロシア人ですら、ウラジオストクやハバロフスク出身者の場合、地元での被害がほぼ認識されないレベルであることから、福島の事故では日本人同様に日本政府の言うことにあまり疑念を持ちません。モスクワ出身者の感覚は少し違います。  同様に、同じウクライナ人の中でも、クリミアなど被害が軽微な地方では比較的意識が低いようです(ロシア極東部出身者よりはよほどマシですが)。 チェルノブイリの時も、隠蔽の意志を持った政府当局者に多くの人々が騙されました。しかしソ連は核戦争マニュアルを準備しており、国家レベルの危機という認識はありました。日本の場合は政府当局者が隠蔽以前に危険性の認識に著しく欠けているため、より悪い結果が予想されます。 国家的洗脳の外側から見ると、洗脳された人々の意識は馬鹿げたものです。しかしそれを引き寄せないと、彼らは救われない。容易ではありませんが、なんとかやらないといけない、と思います。 ヤブロコフチームの研究(NY科学アカデミーのレポート)は、被害レベルという意味では信頼性が高い(ウクライナ人の実感レベルではもっと多いようですが)と思います。 =====================================================  このメールの後に、僕と彼とは次のような感じで、対話しました。ロシア人で発生5年後の状況を知り、また長く日本で暮らしている彼は、おそらく普通のロシア人よりも、日本人よりも、はるかに良い意味でインテリな人物です。そうした立場のロシア人の認識と僕の認識のやりとりを読んでいただいて、みなさんにわかることも、さらにあると思います。 木下「気を許して沈没したのは、歴史が証明しています。」 彼 「そうなんです。僕の元同僚でも実際に負けた(対策をやめた)人が居ます。今急性症状がいろいろと出ていますが、数的(死者数)的にはまだまだ序章でしょう。それまではきちんと認識している人は『大げさ』『嘘つき』扱いをされるんでしょう。ラディオフォビヤ=放射脳というレッテル。これも歴史通りの展開です。」 木下 「悲しいかな。そのレッテルがあとでひっくり返る構図もまるでおんなじでしょう。ただペースの速さから考えると後三年はかからないと思います。最長で一年半。短ければ半年内に様相が変わります。僕の感覚では。あの時代とメディア環境も違い、隠ぺいは難しい。体調不良も。」  彼「そうですね、7-8年後あたりがピークとはいえ、今は被害はもっと早く伝わるでしょう。『東京に住む人々が何を守ろうとしているのか。』国家的洗脳の歴史を考えると理解できることですが、実際に以前からの知人と会話すると、感性的にまったくピンとこない。ここはとても苦しいところです。」  木下「僕も感性的にわかりません。危険をわかって一度避難した人間が、ただ東京にとどまっている現実もあります。感覚的になぜなのかはわかりません。理解できません。苦しいですが、なんとか踏みとどまらないとなりません。」  彼 「そうですね。多くの人にとって、絶対的マイノリティになることはとても恐ろしいことなんでしょう。理性的に考えれば、生活レベルを下げて西で生きることは問題なく可能な筈です。それを『命よりも大事なものがある』などというのはごまかしです。自分の命よりも大切なものがあるとしたら、他人の命を救うことだけでしょう。ほかにはありえない。リクビダートルは国家の非常な命令であれ、無防備な手作業で、自分の命よりも大切な行為をしたといえなくはない。しかし東京で生きる、ということは全くそんな価値はない。即時的な福島県民の意識に媚びて、復興の声に応えよなどという。全くおかしい。 ソ連が『労働者の祖国』を自任したことを、全くの誤りだと正しく喝破した人々が、今『故郷を求める』福島や関東の人々の即時的意識に媚びる。馬鹿げたことです。木下さんの現場とは異なりますが、僕にはそういう怒りがあります。」  木下「僕にも理解できません。目の前の現実を直視ないことの度が過ぎます。いや、そうした現実を知っている人間とそうでない人間の差は大きいんです。ものすごく大きいんです。」  彼「確かにそうです。でもそれだけだとするならば、直接体験の無い人は被害が出るまで救われない。しかし実際には直接体験がなくてもきちんと避難している人がいる。」  木下「肝心要の東京の壁が破れません。僕が二十年かかわっていた人たちの駄目な意識が一番ネック。最も親しかった人間さえ、拒絶しかありません。みんな避難したくない。できない。いずれかです。」  彼「東京で報道の立場に居る人たちで、直感的に自分の生命の危機を感じる人はいないんですか?」  木下「安心していないが、大丈夫と思いたい。説得に耳を貸しません。『なにかあったら、自分のせい。木下さんは一ミリも悪くない。』『まわりがばたばた倒れたら避難するかもしれないが。』『指図は受けない。自分で決める。』こういう言葉ばかり。なぜいるのか。なぜ安全と考えるのか説明はない。ごまかす。怖いけど、それを認めない。つらいです。」  彼「おそらく合理的に安全だと言う理由は持っていないのでしょう。きちんと勉強したことは無いのですが、洗脳された意識というのは多重構造があるんじゃないか、と思います。潜在意識では『自分が多数者と共有している考え方はどこかおかしい』と感じながら、その危機感を表に出すと一気に自分がマイノリティに転落することがわかっているので、それを自ら抑圧する。きっとその方も生理的恐怖は持っているのでしょう。しかし吉本隆明の言うところの『共同幻想』が生命感覚とは逆に働く。」  彼「(例えば)オウムには外側の社会が目に見えるところにあって、そこに還ることができた。いまはそれがない、という違いがある気がします。そういう意味では、戦前の日本やナチス、スターリン主義の社会と共通したものも感じます。」  木下「まさしく同感です。戦前の日本よりも厳しいです。とくに認識が壊れるまでは。」  彼「ヨーロッパでは抵抗の伝統を命綱とすることができましたが、日本では反体制派も皆解党し転向していった。これがなぜだったのかをキチンと反省しようということで戦後主体制論争というのがあった筈なのですが、結局今回それが生かされなかった。なぜ日本人があの戦争を許したのかという精神構造を、反省した筈の議論さえどこかに忘れてきてしまった。」  木下「誰も覚えていない。そもそも今自分たちが当事者と思わない。当事者意識の欠如は凄まじいです。ほんとに東京の人はリアルを見ていない。僕が感じいてた数百分の一も。話にならない。」  彼「そうですね。東京で一人の人が生活すること自体、汚染地社会の歯車を一つ多いままに保ってしまうことであり、罪であるという認識がない。」 木下「まさに。それでも、助けたいんです。まだ突破方法があるのか探します。道は険しいです。」  彼「そうですね。被曝で東京人の思考レベルが下がっているのもあると思います。」 ==========================================================

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