2012年7月10日火曜日

(残存放射能を無視し続けるABCC) http://blogs.yahoo.co.jp/erath_water/63803873.html 1970年 8/14号 週間朝日 Atomic Bomb Casualty Commission ・・・原爆障害調査委員会。 十万人の徹底調査! 現在、ABCCには、「死亡調査」、「成人健康調査」、「病理学的調査」の三つの調査を行っている。 そのもとになっているのが『十万人の原簿』といわれているもので、昭和25年の国税調査時にヒロシマ、長崎両市に住んでいた人たちのなかから選ばれている。 対象になる人びとをABCCは、二種類に分けており、(この分け方事態に重大な問題があるのだが、さおれは後で指摘するとして)、被爆当時、爆心地から1 万メートル以内の住んでいた人を、爆心からの距離別に抽出した5万人と、別に無差別に抽出した5万人と、別に、性別、年齢構成が同様な「被爆しなかった」 5万人の組み合わせ・・・という形式をとっている。 「死亡調査」はこの10万人を対象に、その余命を調べるのが眼目だ。 さらにその名簿から被爆者、「非被爆者」1万人ずつを抽出して、白血病、ガンなどあらゆる病気の発生率を比較調査するのが「成人健康調査」。 「病理学的調査」は、同じ比較を、死亡調査の対象者の死体解剖で行っている。 このうちの、成人健康調査の対象になっているのがさきにのべたクイーンたちである。 いまABCCに来ている「成人健康調査」の対象者は、ヒロシマの場合、毎月500人、「病理学的調査」で解剖される死体は、月に30体ほどになる。この調査で得られたデータは、統計的に処理され、3年ごとに、学会で発表されることになっている。 太平洋米軍総司令部の軍医などの主張によって、終戦後アメリカは、いちはやくヒロシマに『学術調査団』を送りこんだが、その調査団が継続調査の必要から広島と長崎に研究所を設立、その後昭和23年、厚生省の国立予防研究女医が協力してできたのが、現在のABCCである。 だから、ABCCは今も渡島と長崎に二つあるが、調査研究の主体は広島で、規模の上からもABCCといえば、広島というのが常識となっている。 このABCCの調査については、「最初のころは被爆者の心理や感情をよく考えずにトラブルを起こしたことがありました。しかし、だれかがやらなければならなかったことを、終戦直後の混乱期にあれだけの規模でやった、ということはやかり意味があるでしょう。」【原爆病院】重藤文夫院長。 「ABCCがあったからこど終戦直後の医学の暗黒時代にも貴重な資料が保たれた。もし、その資料が日本に渡されていたとしても、その当時の日本の状態では、すぐに散逸してしまったことでしょう。また、ABCCは過去の統計調査なども要望に応じて快く提供してくれる。」=今春ABCCに移った元広島大原医研所長の志水清博士。 といった評価がある。純粋に『研究』という立場からみればそうかもしれない。 しかし、科学は単に科学として、社会から切り離されて存在するわけではないだろう。原爆症は単に肉体だけの問題ではないとことを、本紙前掲のリフトン教授の論文は鋭く指摘しているが、世界でも例のない核兵器による惨禍をうけたヒロシマの人びとを対象に、占領軍がはじめた調査なのである。当然、そこには様々な葛藤が生じてくる。 日米間の力関係をたえず反映! 「核戦争にそなえるために、被爆の記録を集めているのだ」 「検査するばかりで治療はしてくれない。『患者』をモルモット代わりにしている」 「隠然たる実力を広島の医学界にもっている。批判でもしようものなら、仕事がしにくくなる。」 といった、市民や一部の医師たちの声を、「被害者意識」や誤解として、説明するABCC関係者もいるが、この点はどうか? ABCCは、「原爆がもたらす障害諸効果を正しく評価するために・・・、必要データの収拾を指導すべき委員会」(マッカーサー将軍の顧問軍医の覚え書き中の言葉=金井利博「核権力」から)という構想から生まれた。 その必要は、「広島、長崎の生存者は、世界で原爆の洗礼を受けた唯一の集団であるから、ABCCの医学的調査の科学者にとっても、米国の軍部および民間の防衛計画にとっても重要なものである。」(1950年6月17日、米原子力委員会発表。中国新聞社編「ヒロシマの記録 年表・資料編から)というところからきている。 したがって、その動きは、当初、占領軍そのものであった。 調査を拒む被爆者に向かってピストルを突きつけ「アナタ、グンポウカイギニカカッテモイイデスカ」と脅し、少女を全裸にして、体の隅々までライトで照らし出す。 あげくの果てに恥毛の発育状態まで検査する。そのため少女は気が変になってしまった、という話もあるほどだ。 高圧的だったABCCも、しかし、講和条約以後は、協力を要請するという態度に変わった。それとともに、市民の批判は、今度は方向を変えて、日本人職員に向かった。 「死亡調査」の対象が亡くなった場合、いちはやく死体解剖の交渉に姿を見せる連絡員、「成人健康調査」の対象者に調査の協力を要請する連絡員に罵声が飛ぶようになった。 「おまえ、それでも日本人けえ。」 そして、いまABCCは、「日本とアメリカの対等なパートナーシップ」を盛んに強調するようになっている。 まさに、日米関係の推移が、ここにもそのまま投影されているといっていい。それについて、広島に住む詩人・深川宗俊さんは、次のようにいう。 彼には、「成人健康調査」でここに8年間通った経験がある。 「占領軍が駐留していた頃は被爆者を弄んでいたくせに、今になって手のひらを返したように『世界人類のために」などどゴタクを並べて協力を要請する。 そもそも原爆を落とした国が被害を受けた国に乗り込んで調査研究をやるというのは、人道上許されないことではないでしょうか。」 ベトナム戦争が激しかったころ「ABCCはベトナム戦争のために資料を集めている」という噂が立ったことがある。この噂だけに限らず、ABCCは軍事的な施設だという声は前からあった。初代のテスマー所長は軍人で、初期のABCCは入り口に銃剣をかまえた補償が立っていた。またABCCは一時、被爆者の遺体を解剖して取り出した臓器や組織などの標本をアメリカ本国の陸海空三軍共同のAFIP(米軍病理学研究所)に送っていた。 「軍事的に利用される懸念が・・・」 ゲーリング現所長が、昭和32年に着任してからは、市民感情の上から、それではまずいと、米軍二票8本の変換を交渉し始めた。その結果、現在までに昭和 22年から32年までの間、AFIP に送られていた約700体の標本が全部返還され、その後の分と合わせて約3500体分の標本が、広島大原医研4階の資料センターに移管されている。 しかし、ABCCに派遣されていたことのある原医研のAさんはいう。 「アメリカでは三軍共同が普通のように、科学もたいていは軍事とつながりをもっている。やっている本人は非軍事目的のつもりでもその結果が軍事的に利用される懸念は十分にあります。」 現代の科学がたえず、そういう危険性をはらんでいる事実は、すでに常識であるといっていい。 疑問は、ABCCの立場にだけ向けられているのではない。実は、さらに重大な疑問が、調査の方針そのもののなかにあるのだ。 前にもふれたように、ABCCが現在行っている調査は、被爆車群と非被爆者群とを設定し、両者の病気発生率その他を比較するという方法をとっている。 しかし、ABCCがヒロシマで非被爆者として設定している2万人のグループの中には、ピカドン後1ヶ月以内に市内に入った人たちtが4000人近くもいるのである。 この人たちを非被爆者群の中に入れているのは、ABCCが残存放射能、または二次放射能を無視するからである。 だが、残存放射能の影響を重視する立場からみれば、これは被爆者同士を比較するという矛盾を犯していることになる。 広島大学医学部の杉原芳夫助教授も、 「非被爆者として設定されている人たちの20%近くが被爆直後の入市者だとすると、それらの人たちと被爆者を比較してみても統計的に有意の差が出るはずはない。 ABCCの調査研究はまったく無意味なものになる。」 と指摘する。 残存放射能の影響を認めるのは日本の医学界では常識である。たとえば、広島大原医研の広瀬文男教授の白血病に関する研究では次のようなデータが出ている。 被爆語3日以内に入市した人で、白血病にかかったのは45人(人口10万人当たりの発生率は、9.69人)一週間以内に入市した人は8人(人口10万に当たり4.04人)。 全国平均は10万に当たり、2.23人だから、発生率としてはきわめて高い。このデータでも残存放射能の影響がはっきり見られる。 広瀬教授は、 「残存放射能が人体に影響するということは白血病ひとつとっても十分に考えられる。残存放射能を受けた人たちを非被爆者として設定するのは無理があるのではないか」 と述べている。これを認めると過去のABCCの研究が全部無意味になるという致命的なものであるが、ABCCは沈黙を守ったままである。 なお25年つづく調査研究 ところで、去年、ABCCの日本遺憾のうわさが流れたことがあった。 「日米対等のパートナーシップ」ということがの手はやされ始めた昨年初めに、ダーリング所長は、「ABCC年報」(68~69年版)の緒言で次のように書いた。 「来年度はプログラムを次の段階に進めることが望ましいと思われる。適当な米国政府当局が、その筋を通してABCCにおける研究の優先政、管理機構、職員の確保と配置、および運営資金について日本政府の意向をうかがうように望んでいる・・・。 ABCCが日本の法律の下で『法人』として再編成されて、専門的指導、職員派遣や財政的支援に対する責任分担の再配分を図るべきかもしれない。」 この発言は、ABCCの日本遺憾を示唆するものと一般には受け取られた。ところがダーリング所長は、ことし3月の記者会見で、 「ABCCはの規模は縮小しない。新たに細胞遺伝学、成人ガンの二大テーマを加えて、今後25年間調査研究をする」と発表した。 このダーリング所長の二つの異なる発言の真意は、地元ではいろいろ取り沙汰されている。 遺憾を示唆するような発言の裏には、当時ベトナム戦争などの影響で、米国内でドル防衛が叫ばれていたことから、予算面でのしめつけがあったのはないか、という推測もそのひとつ。志水清博博士によると、最初のダーリング発言のあとに行われたABCC日本側評議会では、 「ABCCに予算を出している米原子力委員会のオブザーバーから、『研究は継続するが、予算は増やすわけにはいかない。また、アメリカの大学から派遣している7人の研究員は減員する。』という話があった」という。 そのあと、前の発言をひるがえすような今春の記者会見の発表になったわけだが、くいちがう二つのダーリング発言について槙準所長は、「だーりんぐさんはそもそも、日本に移管するとは初めからいっていません。日本画もっと予算をお出しになれば、本当の共同研究体制が整うだろう、という意味のことをおっしゃったわけです。その後、日本の方からその問題についてなんの反応もなかったこともあって、ことしのああいう発言になったわけです」という。 こうしてABCCがヒロシマとナガサキに維持されつづけることは確実になった。原爆が与えた傷害については、んきゅうちょうさしても、被爆者の治療についてはなにひとつ貢献せず、今後も貢献する計画を持たぬABCC。 日本人はその存在を今後なお25年間許さねばならないのだろうか。

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