2012年7月12日木曜日

放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、 - 第五福竜丸、1954年3月1日に、アメリカ軍の 水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた、遠洋 マグロ漁船の船名である。無線長だった久保山愛吉がこの半年後の9月23日に死亡 した。 http://www.dailymotion.com/video/xo5uvc_20120129-yyyyyyyyyy-yyyyyyy-yyy_news#rel-page-under-5 1954年。18ヶ所の漁港に鳴り響くガイガーカウンターの音。水揚げされる被ばくマグロ。南太平洋から戻るマグロ漁船の船体や乗組員の衣服、頭髪、そして魚からも、強い放射能が検知された。アメリカが太平洋で行った水爆実験は、広大な範囲で大気と海水と魚などを汚染。「放射性降下物」は、日本やアメリカ本土にまで届いていた。しかし事件から7ヶ月後。被ばくマグロが続々と水揚げされる中、日本政府は突如、放射能検査を打ち切った。数日後、両国政府が文書を交わし、事件に幕を引いたのだ。人々の記憶から消え、歴史から消し去られた被ばく事件。なぜ、これまで明るみに出なかったのか。そこには、両政府の思惑と人々の切実な思いがあった。8年にわたる取材から事件の全容を浮かび上がらせる。 ※日本政府がいかに国民ではなくアメリカの方を向いてきたかがわかります。またビキニ水爆実験の被爆はフクシマのX年後の姿を示しています。

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