2013年2月8日金曜日
安倍「危機突入」政権の原発推進政策にドイツは危惧
.http://tkajimura.blogspot.de/2012/12/blog-post_29.html …
南ドイツ新聞2012年12月28日論評.
(分割支払いの脱原発)
クリストフ・ナイトハルト.
日本の新首相安倍晋三は就任後の初日に大音声で原発撤退からの撤退を布告させた。現時点ではまだ無傷の50の原子炉のうち48が稼働停止中している。安倍はもっと静かにではあるが、正確には3年以内に推進再促進について決定すると述べた。原子力経済に援助されている安倍は核エネルギーを望んでいる。しかし彼は有権者の支持も同時に望んでいる。だからこそ彼は彼の資金提供者が聴きたいことを大声で言わせたのである。彼は当面は実施を望んではいない。
この3年の期限で彼は責任からこっそり逃れるのだ。過去50年間にそれより長く政権にあった首相はわずかに3人でしかない:安倍は4番目にはなることはない、それにふさわしい忍耐力が彼には欠けているのだ。その間に日本は、原子力ロビーと国民の多数との間の手詰まり状態で麻痺することになる=安倍政権でさらに緑のエネルギーのための時間と技術を失うのである。
前任者の野田佳彦首相は脱原発を唱えたが、それは有権者の支持を望んだからだ。彼の民主党の少数となった残党は、いまや原発支持者を党の代表として選んだ。とはいえ日本は核エネルギーの再推進にはほとんど近づいてはいない。日本人の大多数はその拒否から二度と外れはしない。というわけで原発撤退からの撤退の布告は、政治がさらに国民から乖離したことを明確にしたのである。
(翻訳者梶村の解説:おそらくデスクがつけたであろうこの東京特派員の論評の見出しはあまりふさわしいものとは思えませんが、原発ロビーの代弁者である安倍政権の成立で、政権と国民との間の乖離がさらに拡大したことを端的に指摘しています。多数派の日本人が決して原発促進を容認することはないことを断定しており、安倍政権は将来への時間の無駄であると単刀直入に厳しいく指摘しています。彼も安倍氏が→野鴨ではなく忍耐力のないひ弱い家鴨であることをちゃんと見抜いているのです。29日翻訳追加、30日訂正)
フランクフルターアルゲマイネ紙2012年12月28日論評
(後退の役割)
ペーター・ストュム.
ある政権が、何十年もの長きにわたりやってきたことが正しかったので、それはこれから数十年も間違いではないかもしれないと主張すれば、それは首尾一貫していると言えよう。しかしそれはまた後退姿勢であるとも言える。真実はおそらくその中間のどこかにある。
安倍首相の日本の新政権が今、原子力の民需利用を再び強化すると公言すれば、それが大きく注目されることには間違いない。ドイツにおけるように原子力のテーマがすでに真剣には論争にならないところでは、おそらく大半が納得できないところであろう。だが例えば日本の近隣諸国では事情は全く異なっている。日本だけでなく、そこでも最終処理の計画がないにもかかわらず、中国人も韓国人も原子力に賭けている。またその他の諸国でもエネルギー転換をここで直ぐに強制しようとするドイツの厳格主義はなじみがない。
とはいえ、はたして日本のように、相当に地震の危険性が高い国で、(推定上で)より安全な原子炉を再稼働させるだけでなく、原子力発電所の新設までを考慮するとまで公言することが、はたして賢明なことであろうかと疑問を呈することは許されてしかるべきだ。2011年3月の福島での爆発の後に起こった経験は、まさにそれを確信させるものではない。この間の多くの検証作業は、営業企業である東電が、お粗末な危機管理を行ったことを証明している。政府はこの面を継続的に改善するよう介入する可能性を明らかに持っていなかった。今これが改善されるのであろうか?新しい規制官庁がひとつできはした。しかしそれの判断がどれだけ自由であるかは、少なくとも未知である。政治的意思があるところには、行政管理の途がある。そして何かが起こったとき、原発が安全であるのか否かが示されるのである。
原子力エネルギーの急速な放棄は、いずれにせよ過度の国家負債を処理しなければならない国としての日本の経済をさらなる危機に陥れるかもしれない。しかしまさに日本のようなグローバルな経済大国としては、一件(再生エネルギー確保)に、他の一件(原子力)を早急に廃棄することなしにとりかかることが、より賢明ではないのかと熟慮すべきであろう。これこそが未来に向けた政治であろう。安倍首相の強さは明らかに別のところにある。
(訳者梶村のコメント:同紙はドイツの保守本流の一流紙です。非常に控えめな表現の論調ですが、要するに「安倍政権の原発政策はお利口ではなく愚策である。また経済大国としても危なく心配だ」と主張しているのです。南ドイツ新聞の単刀直入さとは対極的な文体で、特に最後の一文は慇懃無礼なまでの強烈な皮肉です。安倍首相の強さは見出しにあるように後退の役割にあるとしているのです。それを読み取ることがこの論評の解釈の要です。
これを NHKをはじめ日本の大メディアの論説委員諸氏は、よく耳をほじくって傾聴すべきでしょう。
同紙は朝日新聞や毎日新聞と同様に伝統的に原発促進の論調を続けてきましたが、この論評にもあるように次第に変わり、フクシマで完全に原発放棄を受け入れました。その面では朝日、毎日の論調とよく似ています。ただし、国家の赤字財政に批判的なことは両紙とはまだ異にします。
ドイツでは読売新聞のような原発推進の論調は完全に死に絶えました。過去の遺物です。産經新聞などは議論の範疇の枠外です。また上記のリベラル一流紙の南ドイツ新聞は、現在の中日、東京新聞の論調に近いと言えます。30日翻訳追加)
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