2013年2月12日火曜日

依存」というのは、この国の社会病理なのだろう。 http://alisonn003.blog56.fc2.com/?no=344 3.11を契機としてその傾向は特に顕著なのだが、つまり「何が現実か」ではなく、「何が現実として都合がよいか」がすべての前提なのであり、各自が事実でなく自分の作り上げたコンテキスト(文脈)を現実規則とするという、ある種のシンドロームに陥っているのだと思う。 「放射線は無害である」>「健康被害はない」>「ゆえに原子炉事故による災禍などない」というコンテキストはその最たるものだけれど、マスメディアはこの狂った論法に基づいて世論合意を画策しているのであり、かくも我々の認識とは外在事実ではなく‘文脈’によって形成されているわけだ。 それはなにも報道者だけでなく、為政者、行政者、教育者、宗教者、学識者、果てはブロガーに至るまで、認識を洞察ではなく詭弁のなかに見出そうしている。 あいかわらず壮烈な被爆地で数十万人の児童や妊婦が日々ごとに生命を縮減されていながら、700余名の国政議員はガン無視を決め込んでいるのであり、自治体や教育現場に属す下級官吏は被曝という事実そのものを非存在として学童を騙り、むしろ核廃棄物レベルの食物摂取を励行し、メディアはこれを賛美しているのだけれども、このようなアンチヒューマニズムが実践される事由は、現実というものがすでにコンテキスト(文脈)依存的存在だからだ。 「被曝はない」>「疾患の発生などない」>「ゆえに自分たちに責任はない」、という論法であり、浅はかで、幼稚で、現実逃避的で、自己欺瞞的で、あらためて人間退行的な論法だ。慄然として社会現場はこのような文脈構造によって成立しているのであり、むしろ成熟やヒューマニズムや道理というものがすでにtaboo(禁忌)と化している。 被爆地ではエライお坊さんが原発推進勢力の広告塔と化してらっしゃるのだけれど、一仏教者として言わせてもらうが、こんなことに仏教や文学の権威を用いることはやめて頂きたい。どうせ社会貢献を目指すのであれば、3.5兆円と試算される宗教法人課税によって被爆地児童の疎開費用を捻出するとか、そうした運動に取り組んで頂くことはできないものだろうか? どれほどブッディズムの理説を並べたところで、人間生命の価値や尊厳を凌ぐものはないのだし、そもそも禅の祖師方が貴方の言動をみられたらどのような苦言を呈されるか、一度謙虚に考えてみるべきだろう。 膨大な数の学童から甲状腺の異常が発見されているのに、被曝という物理的問題を精神的問題にすり替えるとか、つくづく「道を知ることと、歩めることとは異なる」のであり、これほどの仏教者ですら立場や利害によって認知的不協和に陥るというのは、かつて自分のメンターであった方だけに大きな衝撃だ。 おそらく頭の中では正当化言説というコンテキストがきっちり、精緻に、美的かつレトリカルに出来上がっているのだろうけども、こどもの被曝はとまらないのであり、むしろ激化しているのであり、とりかえしがつかないのであり、ここはぜひ「八正道」という教義の原点に立ち返り、原子炉事故の災禍という現実を「正見」して頂きたいと思う。

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