2013年1月7日月曜日

脱原発社会実現のため安倍壊憲政権と闘い、非暴力民主主義革命の道を歩もう . http://tkajimura.blogspot.de/2013/01/blog-post.html 人類史最悪の原発事故フクシマ後、2年目の新年2013年を迎えました。 今年は読者のみなさまに少しでも平安が取り戻せることをお祈りいたします。    昨年の元旦にわたしは→「今年を原発ゼロ元年に:二河白道と『文殊菩薩の恥』」と書きました。実際、5月5日のこどもの日には、原発稼働がゼロになりましたが、野田政権の裏切りで残念ながら大飯の二機が再稼働となりました。しかしそのころから日本市民の反対行動は全国的に本格化しています。それもあり、民主党政権は一昨年末に福島の4機を「冷温停止状態」と宣言したちょうど一年目の12月16日の総選挙で壊滅的敗北となり、そのため小選挙区制の間隙を利用して原発推進の安倍自民党政権が圧倒的な衆議院議席数で権力を奪回しました。    この選挙結果の惨状に失望したのは日本の市民だけではありません。世界中の脱原発を願う市民が、ため息をついているのです。 というのも日本の原発ロビーは巨大な世界中の原発ロビーの主要な部分であるからです。ヨーロッパだけでもドイツなど数カ国では国家政策としての脱原発が実現しようとしていますが、まだまだ世界では少数派です。 欧米の心ある市民たちは、「何時何時でも身近でフクシマが起きるかもしれない」と他人事ではなく「明日は我が身だ」と危惧しているのです。したがって(島国の日本にはこのことが大変に伝わりにくいのですが)日本市民の脱原発運動には、このように懸念する世界市民の支持と期待が背景としてあるのです。そのこともみなさまにお伝えする努力を、細々ですが今年も出来るだけこのブログでも続けたく思います。  日本の政治情勢は次第に悪化しています。安倍政権は傲慢にも最悪の人道犯罪である原発事故を無視するだけでなく、新規原発建設まで公言しました。安倍晋三はいまや世界の原発マフィアの希望の星となりました。  しかし日本社会の実情は全く別です。昨年秋にドイツ放射線防御協会の友人たちが日本をゆっくり訪ねて、各地の市民運動を訪問しましたが、その活発さと事故以来の日本市民の放射線防御に関する知識の早急な深化に大変驚いています。  というのも、1986年のチェルノブイリの事故後には、当時のソ連邦内の実情も隠されており、ようやく89年の東欧の市民民主主義革命後に始まった東西の市民交流によって、実態が次第に判明したのです。ドイツの反原発運動がチェルノブイリの影響のおおよそを認識するまでには事故から少なくとも10年かかっています。    この事故から25年後に起きたフクシマ事故の後、直接の被害者となった日本の市民はわずか1年半の間に、四半世紀に蓄積された最新の科学的知見を早急に学んでいます。 もちろんそこには多くの市民科学者のみなさまの大変な献身的努力がある(その代表が→ACSIR)からこそ可能なのですが、それにしても、事故前には「福島に原発があることも知らなかった」ような市民たちが、例えば内部被曝の知識をこれほど身につけつつあることは驚きであるとドイツの友人たちは述べています。いまでは、市民運動のほうが、知識量からして大半の国会議員たちを遥かにしのいでいることは間違いありません。素晴らしいことです。  また、市民たちは政治面でも、例えば1956年にできた国連機関であるIAEAが、→原発推進を目的としてWHOという人類の健康促進の重要機関に→協定で猿ぐつわをはめ、フクシマ事故の影響をなんとかして「希釈し無害化しよう」としていることもかなりしっかり認識しています。例えば政府中枢と福島で「エートス・プロジェクト」が何を画策しているのか(このブログでは、→ここと→ここです。)、また 「ミスター100ミリシーベルト」がなぜ福島へ乗り込んだかも見抜いています。ここでも、市民運動のほうが、大半のメディアより認識と批判力を遥かにしのぎつつあります。これも素晴らしいことです。 このような日本市民の能力をわたしはおおいに誇りに思っています。  そして本年は、市民の間では、現在の政治と大メディアの惨状を克服し、日本を安心して生きることのできる社会にするためには、民主主義革命が必然であるとの認識が深化することになるであろうとわたしは考えています。このことは極めて現実的要請なのです。  この革命の舞台は、まずは家庭であり職場です。すなわち日常生活の現場がそれなのです。 かつての東欧諸国の非暴力市民民主主義革命もそうでした。現在、フクシマの被曝被害が日常生活で隠しようもなく出てきつつあります。今年は顕著になるでしょう。ドイツでの研究でもそれを示唆するものが出てきています。もはやこれは防ぎがたいのです。  巨大原子力技術破綻の恐ろしさを体験しつつある社会の市民の怒りは、多かれ少なかれ体制変革へ帰結するのです。おびただしい犠牲を払いながら絶望から逃れ、二河白道を渡りきるためにはこれは不可避な要請であるからです。かつての→ソ連邦が崩壊した契機がこれでした。あれは原子力体制の最初の崩壊であったのです。  そして日本でのそれは、現行の平和民主主義憲法の市民の手による実現となるでしょう。安倍晋三政権は、新規原発計画まで宣言し、さらに平和憲法を市民の手から奪い破壊しようとする壊憲政権です。このような退行政権と闘い、本当の民主主義を実現しない限り、脱原発を実現し再生エネルギー持続社会の実現も絵に描いた餅です。市民の非暴力民主主義の自発的連帯だけが日本を救うことが出来るのです。今年はその2年目です。    長く苦しい闘いになりますが、それだけに手をつないで地道に、ゆっくりと歩いて行きましょう。 なぜなら、平和革命とは目的ではなく、連帯する道程それ自体なのです。これがわたしが長いドイツでの平和運動から学んだ核心でもあるのです。脱原発社会を実現したこの国の長い市民運動もまた、マハトマ・ガンジーのこの言葉に深く学んでいたのです。平和革命のリアリズムをです。   “Es gibt keinen Weg zum Frieden. Der Frieden ist der Weg”               「平和への道はない。平和とは道である」 ベルリンのブランデンブルグ門での100万人パーティの、新年への花火の音を聴きながら

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