2013年1月26日土曜日
福島女子がウクライナで見たチェルノブイリ「事故後26年」 「それでも生きるしかない」
http://financegreenwatch.org/jp/?p=25785
1月 26th, 2013 | ◆◆◆
福島女子による団体『ピーチハート』の共同代表で、自身も北海道へ自主避難中の宍戸慈さん(28)。福島の「その後」についてヒントを探すべく、チェルノブイリ原発事故に見舞われた国・ウクライナを視察した5日間を綴った。
11月11日
「3.12」以降、ずっと行きたいと思っていたウクライナ。もっとも知りたかったのは「チェルノブイリ周辺に暮らす事故当時、同世代だった女の子は、その後の人生をどう歩んだか」ということ。妊娠や出産はどうしたのか、放射能はどう影響しているか。私にとってウクライナの女性たちは、26年先を生きる先輩。精いっぱい、向き合ってこようと思います!
11月14日
昨日、キエフに到着しました。ここで素敵な女性と出会いました。ウクライナ国立チェルノブイリ博物館の副館長・アンナ。彼女は事故当時28歳。いまの私と同じ年で、さらに妊娠していました。「……でもその子は産まなかった。中絶したの」、重いひと言に、言葉を失いました。「後悔はしてないわ」と続けますが、瞳からは大粒の涙……。
博物館の副館長として事故を後世に伝えていくなかで、被災された方の葬儀に出向くことも度々あるといいます。「辛くないの?」「そう、苦しみや悲しみと向き合いながら、26年間、生きているのよ。でも大丈夫」
その後、新たな生命を授かり、いまはひとりの娘の母となった彼女。事故によりたくさんの苦しみを抱えた彼女が、母となりこの博物館で要職をつとめていることに、私は大きな意味を感じました。
11月16日
今日は朝から、コロステン第7小学校7年生(13歳)のみんなに会いに行きました。原発から110キロの町・コロステン。現在の線量は0.1~0.2マイクロシーベルト/時で、みんなもちろん、福島のことは知っていました。教室で「体に悪いところがある人はいますか?」と質問すると、多くの手が上がります。
甲状腺、心臓や目、消化器や骨・筋肉。半数近くの子が何かしらの疾患を抱えているようです。彼らの母親は事故当時、中高生ぐらいだったはず……。事故から何年も経ってから妊娠・出産した子どもたちに、これだけの健康被害が現れているとは、思いもよりませんでした。
その後、コロステン市民病院へ行くと、以前NHKの取材も受けたザイエツ医師が「国は認めていないけれど現場の医師としては、小児甲状腺がんや白血病に限らず、事故前より疾患は増えたと実感する」と教えてくれました。ザイエツ先生の示す疾患発症の年代別グラフが上昇カーブを描いているのを見て「私たちの未来はどうなるのだろう」という危機感と、「こうならないためにはどうすれば?」という突き上げられるような衝動を覚えました。
私たちは多くの問題を抱えながら今日も生きています。でも、ウクライナには、すでに26年それを繰り返し「それでも、生きるしかないのよ」と語る先輩たちがいる。私は、そんな先輩たちと会い、話し、覚悟をもってこれからの福島と生きていこうと、強く思いました。(掲載:女性自身)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130104-00000302-jisin-soci
(宍戸 慈)
yahooニュース掲載に寄せて。 11月にチェルノブイリの被害を受けた地域へ行ってきたこと。 とてもセンシティブなことなだけに、 私という福島出身のひとりの女子が、 … そこに行って何を聞き、何を見、どんな風に感じたのかを丁寧に伝えたいと思っています。
伝えたいのは、決して不安を煽りたい訳でも、危険を強調したい訳でもなくて、 8000キロも離れた土地に暮らす先輩たちが、 26年9ヶ月前から今日までの日々をどんな風に生活して、 どんな想いで今暮らしているのか、当時はどんな毎日だったのかを知り、想像し、 想いを共有することで、私たちの今とこれからに1つでも多く生かす知恵にしたい。 誰かの選択の一助になるようにしたい。という気持ちでいるからです。
現場で会った人たちの目を見て、話を聞き、雰囲気を味わった私は、 恐怖だけではない、勇気や元気をたくさん頂いてきました。 まつわるエピソードのひとつひとつは、 彼女たちと会う前までの私は、想像もしていなかった物語で 今までにはない、視点・考え方・気持ちを抱くものばかりでした。 また、彼女たちは口を揃えてこういっていました 「何でも聞いて。そして役に立てて」
私は彼女たちから、伝える役割を分けてもらったと思っています。 だからこそ、私も出来る限り私の表情、声の温度、空気をを感じてもらいながら できるだけ直接伝えていきたい。というのが、根底にある気持ちです。 しかし一方で、それでは時間がかかり過ぎてしまう現実。 伝えるならきっと、早ければ早いに越した事はないはずです。 少しずつ時期を見てアウトプットしていくことも大切。 そんな想いで今回、いつもお世話になっている女性自身さんの年末合併号に、 ウクライナに行ってきた時のことをまとめて頂きました。
ピーチハートの記事も手がけてくださり、私たちの気持ちも自分の事のように受け止め いつも丁寧に話を聞いてくれる編集者・吉田知美さんのお陰で、 写真なども交えながら5日間という膨大な取材の時間を スマートにまとめて頂く事が出来ました。その記事がこれです。 とは言っても、限られた文字数、限られたスペースなので ここに載っている事はほんの、ほんの一部です。 紙面の記事が、文章だけyahooニュースに掲載になり 写真が割愛されてしまったら、 いきなり冷たい印象の記事になってしまった。 という残念な想いもあります。
きっと、全てを伝えようとしたら、 一冊の単行本ぐらいの分量が必要なのだと思っています。 書く機会を見つけて「どうしても書きたい!」と今回の事でより強く思いました。 言葉が少ないことで、伝わり切らないことで やっぱり福島は住めないんじゃないか。 健康被害は出るってことなんじゃないか。 不安になるだけだよ。と、いたくなってしまう気持ちを抱かれる方もいるかも知れません。 でも、決してそれだけではない。と私は断言したいと思います。
なぜなら今回の私のウクライナ滞在は、いわば上澄みを飲んできたようなもので 彼女たちの26年の日々のほんの一部だけを感じてきたに過ぎないからです。 私たちの1年10ヶ月が数時間でなど語り尽くすことができないように そこには、それぞれの26年の語り尽くせぬ日々があるからです。 わからないロシア語での傾聴。 きっと伝わらなかったニュアンス、取りこぼしてしまっているワードも多いはずです。 もっともっと何度も通い、心を通わせて、一緒に考え、検証していく必要があると感じています。
具体的なデータも、彼女たちが感じた気持ちも。 もちろん、私ひとりでできることではないので きっとたくさんの人の手や、視点、役割分担や協力が必要ですが。 彼らの日々を知ることは私たちの救いの1つになる。と信じてやみません。 その第一歩?手始め? そんな気持ちでこの記事を読んで頂けたらなら幸いです。 これからも少しずつ、こうしてお伝えしていきますね。 引き続き、ご協力よろしくお願い致します。 まとめてくださった、女性自信さん、掲載してくださったyahooさんに感謝を込めて。
【http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130104-00000302-jisin-soci】
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