2013年1月12日土曜日
ジョン・ミッチェル枯れ葉剤記事「嘉手納で枯れ葉剤が貯蔵:’71年の陸軍文書」
http://okinawaoutreach.blogspot.jp/2013/01/71.html
沖縄の枯れ葉剤について真相究明の記事を書き続けるジョン・ミッチェルさんの新しい記事が、2013年1月12日のジャパンタイムスの一面に掲載されました。
1971年の陸軍文書により、嘉手納基地で枯れ葉剤が貯蔵されていたことが明らかになったという記事です。
Photo: Jon Mitchell
ジャパンタイムスのリンクと、急ぎつけた翻訳を載せますのでどうぞご覧ください。
また、この記事中にもでてくる沖縄・生物多様性市民ネットワークの関連記事のリンクを下にはります。そちらもあわせてお読みいただくと、沖縄の枯れ葉剤への日米政府の姿勢がご理解いただけると思います。
Kadena kept Agent Orange: '71 army paper
Friday, Jan. 11, 2013
By JON MITCHELL
Special to The Japan Times
文書の足跡:最近、国防総省によって公開された1971年の文書には米軍が枯葉剤を含む有毒な除草剤を ベトナム戦争中に沖縄に貯蔵していたことを示す一文がある。スティーブ・ハウス提供。
「嘉手納で枯れ葉剤が貯蔵:1971年の陸軍文書」
ジョン・ミッチェル
米国国防総省が最近、公開した7000ページの文書に埋められていた一文は、ベトナム戦争中に、枯れ葉剤を含む有毒な除草剤を米軍が沖縄に貯蔵していたことを決定的に証明することになる、干し草の山にある一本の針になるかもしれない。
米国の退役軍人は長いこと、大量の化学物質が沖縄に存在することを主張してきた。そして、彼/彼女らの何百人という多くの人たちは、その物質に晒されたことによって引き起こされたと彼らが考える深刻な疾病を患っている。しかし、米国政府は、その件に関する記録はないと主張することにより、その主張を繰り返し否定してきた。
最新の発見である、「除草剤/枯れ葉剤計画の歴史的、ロジスティック的、政治的および技術的側面」というタイトルの1971年の報告書は、国防総省がこれまで否定してきたことが、全面的には正しくなかったかもしれないことを示唆している。
1971年9月に国防総省の生物化学兵器研究の中心であるメリーランド州の米陸軍フォート・デトリックによって作成されたこの文書は、ベトナム戦争中のこの化学物質の軍の使用について要約したものであり、そこで挙げられている使用場所の中で、「PACOM-US (太平洋軍司令部)の別の場所における枯れ葉剤の貯蔵箇所 政府が禁止する物質 タイと沖縄(嘉手納)」という参照事項がある。
米国政府は、ベトナム戦争中に米国が枯れ葉剤をタイに貯蔵していたことは既に認めているが、沖縄での枯れ葉剤の存在は否定している。当時、嘉手納空軍基地(沖縄市近く)は、国防総省の鍵となる兵站補給の中心地して機能しており、そこを通して、兵器や弾薬が東南アジアの戦場に運ばれていった。
フォート・デトリックの報告書は、2011年の韓国の枯れ葉剤埋設の調査の中心であった退役軍人スティーブ・ハウスの昨年10月に行った情報公開法の下での要求によって公開された、米国陸軍文書の中の隠された文書のひとつである。
ハウスはこの嘉手納の記述を、沖縄における枯れ葉剤の使用を調査してきたミネソタ在住の、退役軍人サービス・オフィサーであるミシェル・ギャッツとともに発見した。
「米国政府はきっとこの報告書を信用に値しないものとしようとすると思いますが、自分たちは沖縄で枯れ葉剤に晒されたという退役軍人の主張を裏づけるものとして、役に立つでしょう。」とギャッツはジャパン・タイムスに語った。「患っている健康問題に対して政府からの補償を彼らが受け取るには十分な証拠となるかもしれません。」
空軍がベトナムで10年近くにわたって散布した枯れ葉剤が先天性の欠損を引き起こすと証明されたことから、米国政府は1970年に軍による枯れ葉剤の使用を禁止したが、それに対応し、フォート・デトリックはこの報告書を作成した。この報告書には、この枯れ葉剤の禁止に従い、枯れ葉剤の何百万リットルの膨大な貯蔵をどのように廃棄することが最良策であるかについて軍が混乱したことが、時系列で記録されている。
この報告書の提案の中には、米国援助計画の名の下で「後進国」において有毒除草剤を使用するというもの、あるいは「土の穴へ埋設する、あるいは池に沈殿させる」というものもあった。
後者の提案は、望まれない枯れ葉剤のこのような埋設が、普天間飛行場や沖縄の県庁所在地那覇の北東にある元米軍基地であった北谷で行われた、と沖縄に駐留した米国の退役軍人が主張しているため、沖縄の住民にはとりわけ心配なものとなるだろう。
専門家によると、枯れ葉剤に含まれたダイオキシンは何十年にもわたって土壌を汚染し、近隣の住民に深刻な被害をもたらす可能性があるとのことである。ベトナムでは、ベトナム戦争中に米軍が貯蔵した土地は、いまだに危険な状態で汚染されており、ベトナム赤十字は約300万人の人々がこの化学物質に晒された影響に苦しんでいると推計している。
フォート・デトリックの文書の発見は、米空軍の沖縄における枯れ葉剤の貯蔵を示唆するもうひとつの米軍の報告書の発見が発表されて、すぐのことであった。
昨年8月にジャパン・タイムスで明らかにされた「ジョンストン環礁の生態系アセスメント」は米空軍が1972年に、25,000の枯れ葉剤のドラム缶を沖縄からハワイの西にあるジョンストン島に廃棄のために運んだことが記されている。
昨年9月にジョンストン島のこの報告書をつきつけられた時、米国政府がこの内容について関わらない姿勢をとるのは早かった。米国政府は、記録を再調査し「枯れ葉剤が貯蔵されていたとの記述は不正確であり、米国政府が承知している事実とは異なる」との結論に至ったと日本の外務省に伝えている。
それに対して、日本政府は米国政府の説明を信頼していると述べ、これ以上の問題の追究には後ろ向きである。
沖縄における枯れ葉剤の全面的な調査を要求しているNGO沖縄・生物多様性市民ネットワークの環境ジャスティスの部門のディレクター、河村雅美は、米国政府の日本政府への回答に納得していない。
「米国政府は沖縄の枯れ葉剤に関する記録はないと何年も言い続けてきたんですよね。でもいざ8月にジョンストン島の生態系アセスの報告書がでてきたら、今度はそれは不正確っていう反応なんです。さあ、今新しい報告書が発見されたわけですけど。またこれは不正確っていおうとするんですかね?」と河村は問いかける。
この記事に対するコメントを求められ、在日米軍の広報ディレクターであるディヴィット・ホンチュル中佐は、沖縄における枯れ葉剤が存在したという主張に関して調査を行うとする国防総省の姿勢を繰り返した。
嘉手納での使用についての最新の主張については、フォート・デトリック報告に関する詳細なコメントは拒否したが、「それによって、枯れ葉剤あるいは類似した除草剤が沖縄で使用、貯蔵あるいは沖縄を経由して船で輸送されたことを証明する文書はない、という私たちのポジションは変わることはない」という結論を示した。
嘉手納空軍基地は、太平洋における最大の空軍施設であり、米兵、その家族、民間の契約者の約2万2000人が駐留している。18万人の人々が、北谷、嘉手納、沖縄市という隣接した市町村に居住している。
(翻訳:Okinawa Outreach 河村雅美)
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