2013年1月11日金曜日

地元住民が訴える健康被害の実態.スリーマイルからフクシマへの伝言(その3) http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36881 アメリカ東海岸のペンシルベニア州にスリーマイル島原発(TMI)を訪ねて取材した「スリーマイルからフクシマへの伝言」の3回目である。2012年11月、原発の北6.5マイル(約10キロ)のところに住むメアリー・オズボーンさん(1943年生まれ)の自宅を訪ねて話を聞いた。事故前から活動を続ける市民団体「スリーマイルアイランド・アラート」(TMIA)の紹介である。事故後、原発を監視するTMIAに参加し、住民の健康被害や動植物の異常を記録するボランティア活動を続けている。次第に経験と知識を積み、連邦議会で証言をするまでになった。  チェルノブイリ原発事故の翌年1987年には、環境運動家の招きで日本を訪ねたこともある。写真アルバムを見せてくれた。山口県の離島・祝島を訪ねたときの写真があった。中国電力・上関原発の建設反対運動を30年近く続けている人口500人の小さな瀬戸内の島である。私も取材に行ったことがある。話が弾んだ。  私が驚いたのは、福島第一原発の周辺住民から聞いた話と一致する話が多いことだ。「事故後、金属の匂いや味がした」「体毛が抜けた」「鼻血が止まらなくなった」「健康被害は避難のストレスのせいだと言われた」。初対面なのに、似た話があまりに次々に出てくるので、オズボーンさんも驚いていた。そして住民の目には健康の異常は明らかなのに、行政や電力会社はもちろん、疫学調査も断定的な結論を避け続けている。ここでも、スリーマイル島原発周辺の話は「フクシマの33年後の姿」のようだった。 口の中で金属の味がした ──スリーマイル島原発でメルトダウン事故が始まった1979年3月28日朝、どこで何をしていたのか教えてください。 オズボーンさん 「午前6時、出勤する夫にタマゴとトースト、コーヒーの朝食を用意して見送りました。すると夫が『おい、外に出て空気の匂いをかいでごらんよ』と言うのです。外に出てみると、ものすごい金属の匂いがしました。口の中にも金属の味(metalic taste)がしたのを覚えています」 ──えっ! 福島第一原発事故で最大の放射能放出があった3月15日、風下の飯舘村にいた人も「金属が焦げるような匂いがした」と私に話してくれました。  「(驚いて)やっぱりそうですか。ユタ州やネバダ州の核実験場の周辺でも爆発の直後には住民が金属味を感じたと聞きました」 ──その後も金属の味や匂いは続きましたか。  「午前8時、9歳だった娘を送り出したころには、金属味はしませんでした。登校する子供がたくさんいたのを覚えています」 ──TMI原発方向から風が吹いていましたか。  「天気のいい、温かい穏やかな日でした。春になったんだなと思いました。風はなかったと思います。鳥がまったく鳴いていないのが不思議でした」 ──当時の風向きを覚えていますか。  「偶然ですが、3月29日に小学校で子供たちが風船にメッセージをつけて飛ばしたのです。ハーシー、レディング、フィラデルフィア(いずれもTMI原発から東方向)、あるいは隣のニュージャージー州(北)にまで風船は飛んでいました」 ──何か異常なものを見たり、聞いたりしましたか。  「この家は台所の窓を開けると、TMI原発が見えるのです。でも何も変わりはなかった」 ──原発が事故を起こすかもしれないと思っていましたか。  「いいえ。事故の3日前に映画『チャイナ・シンドローム』を見て『あんなことがここで起きなければいいね』と話していました」 ──放射能被曝に知識はありましたか。  「いいえ。レムとかキュリーとか、さっぱり分かりませんでした」 ──事故を知ったのはいつ、どんな手段でしたか。  「夜6時か7時のテレビニュースでウオルター・クロンカイト(CBS『イブニングニュース』の名物ニュースキャスター)が『スリーマイルアイランド原発で事故がありました』と伝えたのが事故を知った最初です。同じころ、近くのホリデイインで働いている友達が『世界中のリポーターたちが集まっているわよ』と教えてくれました。これは大変なことだと思い、百科事典で『放射線の健康への影響』を調べてみたんです。ものすごく不安になりました」 避難指示を出さなかった州政府 ──事前の避難計画などはあったのですか。  「何もありませんでした。電力産業を信じきっていたようで、州政府は何もしなかった」 ──避難はされたのですか。  「しました。3日目の3月30日金曜日、だんだん心配になってきたのです。私は掃除が苦手なんですが、放射性物質が気になって屋内の掃除をしていた。すると午前8時半か9時ごろ、教会の鐘やサイレンが一斉に鳴ったんです。まるで空襲のようで怖かった。ラジオをつけると『uncontrolled radiation release(制御できない放射線漏れがあった)』とニュースが流れたんです。それで、子供を小学校に迎えに行った。教師も慌てていました。夫の職場に連絡を取ろうとしたのですが、電話回線がパンクしたようでつながらないのです。しかも当時はガソリンの給油制限があって(烏賀陽注:同年1月のイラン革命の影響による第2次石油ショック)車に給油することもできませんでした」 ──福島県では住民の避難用のバスなどの用意がなく、避難方向の指示もなかったため、各自がばらばらに自家用車で避難しました。道路が大渋滞になりました。TMIではどうでしたか。  「バスなど避難の手段の用意があったのは、高齢者や入院中の患者などだけでした。ほかは用意がありませんでした。どちらの方角に逃げろ、逃げてはいけないという政府の指示もなかった。非常に準備は悪かった」 ──どんな手段でどこに避難しましたか。  「60マイル(100キロ)北に住む友人の家に行きました」 ──どれくらい避難していたのですか。  「8日間です」 ──なぜ家に戻られたのですか。「もう安全だ」と思う何かがあったのですか。  「3歳だった息子が疲れてだんだんむずかりだしたのです。もう着替えもなかった。仕方なく、まず夫と2人で家に戻りました。街には人がいなかった。1台も車がありませんでした。上空をヘリがバタバタと飛び交っていました」 ──サイレンの音が鳴ったのは避難の知らせではなかったのですか。  「後から聞くと、州政府があまりに何もしないので、危機感を持った消防士の1人がハリスバーグ中の火災報知器を一斉に作動させたのだそうです。いまだに誰か分かりません。それで州政府もやっと避難を指示したのです。まさにヒーローですよね」 ──どのような避難指示の内容でしたか。  「TMI原発から半径5マイル(8キロ)以内の妊婦と就学年齢前の児童は退避せよ。10マイル(16キロ)以内は屋内にいろ。それだけでした」 ──避難先とか、避難方向の指示はなかったのですか。  「ありません。ただ『半径5マイルのエリアから出るように』それだけでした」 ──どう思われましたか。  「馬鹿げています。半径5マイルの線に沿って放射能を止める壁でも立っているのでしょうか(笑)。空気を止めることなどできませんよね」 ──まったく同じことを私もフクシマで感じました。「半径20キロ以内は避難」「半径30キロ以内は屋内へ」とコンパスで線を地図に引いても、放射性物質はそんな人工的な線などまったくお構いなしに越えて流れていくはずです。  「少しでも頭を使って考えれば分かることなんですけれどね(笑)。政府は国民を守ってくれるのだと思っていたのに、数日間何の避難指示もしなかったのです」 健康被害について政府はウソをつく ──何か健康に異常はありましたか。  「家に帰ってきた前後、娘の髪をブラッシングしたら毛がごっそり抜けたんです。周囲にも毛が抜けた(hair-loss)、下痢が止まらなくなった人が多かった」 ──水素爆発の降下物を浴びた福島第一原発の地元にある双葉町の井戸川克隆町長は「体中の体毛が抜けた」「鼻血が止まらなくなった」と私に話してくれました。  「(目をつぶり頭を振って)あああ、まったくそれと同じです。事故後、体毛が抜けた。赤ちゃんが嘔吐するようになった。鼻血が止まらなくなった。そんな例がものすごくたくさんあります」 ──住民が全員避難するほどの汚染になった飯舘村にいたある男性は、ホールボディカウンターの内部被曝調査で1700ベクレルのセシウムが検出されました。  「全然驚きません。TMI事故もひどかったけど、フクシマはもっとひどかったと聞いています。少なくともTMIでメルトダウンしたのは原子炉1つですがフクシマは3つですよね」 ──他にどんな症状がありましたか。  「金属味、嘔吐、鼻血、脱毛。そのほか、顔が軽いやけどのように赤くなった。ひりひり痛んだ。事故直後はそんな症状が多数出ました」 ──33年が経ってみて、どうなりましたか。  「ペンシルベニア州は全米50州で一番がん死が多いのです。白血病や肺、乳がん。筋肉の腫瘍。がんでなくても、肝臓や卵巣、心臓の異常もあります。そのほか流産、死産など妊婦の異常も多い」 ──フクシマでは若年層の甲状腺がんの可能性がよく議論になります。医療検査も定期的に行われています。 甲状腺がんに年齢は関係ありません。すべての年齢の人に起きます。20年、30年後に発症してもおかしくありません。最近、私の知っている42歳の女性が甲状腺がんになりました。事故の時は子供でした。TMI事故の後テキサスに引っ越して被曝とは関係のない生活を送っていたんです。ところがテキサスではほとんど例がない甲状腺がんが見つかったので、医者が不審に思って『被曝するような環境にいたか』と聞いたそうです」 ──調査をいろいろ見たのですが、はっきりと原発事故が健康に被害を与えていると断定しているものはほとんどないですね。  「疫学調査が行われると、いつも同じ内容になるのです。調査結果は『事故で健康被害が出るリスクは10倍になった』『実際に発生数は上がった』と『被害があった』と書く。ところが結論になるとなぜか『しかし影響は極めて小さい』『意味のある増加ではない』と言い出すのです。さっぱり意味が分かりません」 ──地元住民は違う実感を持っているのですね。  「政府が『健康に影響のない放射線量だった』と言う時のモデルは『健康な兵士』を想定しています。しかし、そんな完璧に健康な人はほとんどいません。みんなどこか弱いところがある。弱いところに病気が発生します。特に免疫系に作用して異常を起こします」  「母娘2人が同時に卵巣がんにかかったとか、同じ集落で同じ筋肉腫瘍が複数見つかったとか、それまではなかった異常な話をよく聞くのです。政府や電力会社は『TMI原発事故では周辺住民の健康に影響を与えるような量の放射能は放出されなかった』と言っています。しかし、いくら否定しても、私たちの体はちゃんと放射性物質の影響を感じ取って、反応するのです」 ──フクシマでは、体の異常を訴えた人が「それは避難のストレスのせいでしょう」と言われています。  「(目を見開いて)何ですって! TMI事故のときも州政府は健康被害を訴える私たちに『ストレスのせいだ』とそっくり同じことを言いましたよ! (苦笑いしながら)33年経っても変わりませんね。政府はウソをつくのです」 ──フクシマの人たちは小さな健康の異常にも「放射能の影響ではないか」と怯えています。そういう「心の平安が破壊されたこと」がすでに十分な被害なのではないかと思えます。  「被曝した側にすれば、神経過敏になるのが当然ですよ。すべての小さな異常が心配なのです。起きたことすべてに怯えるのです」 原発はすべて閉鎖してほしい ──事故で人生はどう変わりましたか。  「それまで私はごく平凡な主婦でした。事故後に市民団体『スリーマイルアイランド・アラート』に入りました。放射線の人体への影響を学ぶために、今も医学のセミナーに出席しています」 ──それはなぜですか。  「自分に何が起きたのか知りたかったからです」 ──なるほど。  「私は正義(justice)と真実(truth)がほしいのです。どれほど原発が危険か分かりました。実際に人の命を奪ったのですから。原発はすべて閉鎖してほしい。TMI事故の頃は風力、太陽光、地熱といった安全な代替エネルギーはまだ高価すぎてとても使えませんでした。今ならできるはずです」 ──30年以上が経って、どうなりましたか。  「原発から5マイル以内に住んでいた人の半分は、5年以内に引っ越していきました。州の財政問題で、もう全員の追跡調査はできないと聞いています」 ──原発監視などで活動している市民団体がもうほとんどないことに驚きました。  「今も活動しているのはTMIAだけです。事故の後は3~4団体があったのですが、みんな歳を取ったり引っ越していったりしていきました」 「何かがおかしい」周辺の草花  3時間にも及ぶ長いインタビューが終わると、オズボーンさんは自宅の裏の牧草地を案内してくれた。引き戸を開けてテラスに出ると、雨を吸った土と植物の匂いが胸にすっと広がった。裏庭から続いて牧草地と森が広がる自然の豊かな家だった。 メアリー・オズボーンさん。自宅裏の牧草地にて(筆者撮影)  自然を愛するオズボーンさんは、草花を育てることが趣味だった。そのせいか、事故後植物の奇形が目につくようになった。一つひとつ写真に撮って記録している。人間の手のひらのような巨大なタンポポの葉。1つの花が紫と黄色の2色にぱっくり分かれたヒナゲシ。科学的な因果関係は分からない。が、ずっと地元の草花に触れているオズボーンさんには「何かがおかしい」という確信がある。  「奇形の植物を見るたびに胸が痛んで、園芸の趣味をあきらめました」  オズボーンさんは疲れているように見えた。心の平穏を破壊されたまま33年が経ったからだろうか。疲れてませんかと聞くつもりで「大丈夫ですか」と尋ねると、彼女の顔が曇った。  「胸のリンパ腺にしこりが見つかって、手術をすることになりました」  それは悪性のものですか、と言いかけて止めた。彼女の目に怯えの色が見えたからだ。何が言いたいのか分かった。私は黙った。彼女も黙った。森の向こうに日が沈もうとしていた。寒かった。牧草地の稜線に沿って木立が並んでいる。その向こうにスリーマイル島原発の冷却塔がある。綿のような水蒸気の煙だけが、薄青の空に昇っていた。

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