2013年1月20日日曜日

嘉田由紀子による小沢破壊. http://m-hyodo.com/political-situation-15/ 嘉田由紀子がまた暴れ始めた。 とにかく小沢一郎を怖がっていて、「皆さんはどうしてそんなに小沢さんを怖がるのですか」と彼女が「記者クラブ」メディアに向かって強がったのも、自分の小沢恐怖症の裏返しだったと、今ではわかる。 それにしてもほんとうにタチの悪い裏小沢信者である。朝から晩まで、頭には小沢のことしかなくて、「記者クラブ」メディアに水を向けられると、期待されたとおりのことを喋る。 彼女の迷言は多く、その殆どが、失礼極まる、凄まじい言葉の暴力だ。 嘉田由紀子は日本未来の党を結党し、2012年11月27日に、旧「国民の生活が第一」にも呼びかけている。その政策提言の中身は、国民の生活が第一の政策とほとんど一致していた。 その結果、政策がかなり似ていた「国民の生活が第一」、「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」、「みどりの風」所属の一部の議員が合流して、12月4日公示の衆議院総選挙を、未来の党の一員として闘ったのである。 嘉田由紀子は「鉛筆もったら未来の党」と、愚民観を剥き出しにして全国を遊説し、その挙げ句、惨敗である。 嘉田は、惨敗の後、何を血迷ったか、社民党を離党したばかりの阿部知子副代表を共同代表に昇格させる案を提示した。 これは文字通りの旧「国民の生活が第一」出身議員、そして究極の小沢排除であった。 メディアにすり込まれた小沢恐怖症が吹き出してきたのだ。 嘉田の案がなぜ異様であるかというと、日本未来の党には、衆院選で惨敗した結果、国会議員は衆院議員9人、参院議員8人の計17人が残っていた。 そのうち15人が「国民の生活が第一」出身の議員である。小沢一郎を外す人事案では、党内民主主義がたもたれないだろう。こんなことも嘉田由紀子にはわからないのである。 ここであまり指摘されていないことに触れておく。それは当時、日本未来の党の要職(副代表)にあった森ゆうこに何の相談もなく、阿部知子の共同代表案が出されたということだ。おそらく小沢外しの嘉田・飯田・阿部トリオで、謀議して決めたのだろう。 この人事が物語っていたのは、小沢のみならず、小沢の息の掛かった「国民の生活が第一」出身議員は代表にしないという嘉田の、ピント外れの思い上がりであった。 森たちはこのことについて我慢して黙っているが、こんな理不尽なことはない。 結局、嘉田由紀子は、これまでの小沢裁判が、国策捜査であり、既得権益支配層による政治裁判であることの本質を、何も勉強していなかったのである。今も何もわかっていないにちがいない。 当然、旧国民の生活が第一出身の議員たちは、小沢一郎を共同代表に起用するよう要求した。 2012年12月24日には、日本未来の党の両院議員総会が開かれた。そこで、嘉田由紀子提案の人事案は了承されなかった。逆に小沢一郎の共同代表就任を求める動議が可決された。 そのときに、例によって、直接に日本未来の党の議員にたいしてではなく、嘉田由紀子は「記者クラブ」メディアに向かって、小沢批判をまくし立てた。 「小沢共同代表を受け入れたら、私の政治生命が終わる。(起用は)社会的な抵抗が大きすぎる」 「(今日の会議は)小沢さんという首謀者がいないクーデターだ」 さらに嘉田は24日深夜になって、メディアに向かって、 「当事者である小沢一郎議員が欠席する中、強硬に採決された。非民主的な意思決定で代表として受け入れることはできない」 25日朝になると、さらにヒートアップする。滋賀県庁でメディアに向かって、 「小沢さんと連絡がとれず、お隠れになっている。共同代表になりたいのかどうか小沢さんの口から聞きたい」 しかも2012年12月26日の特別国会で行われる首相指名選挙での党の対応については、こう語った。 「自主投票になる」 これではもはや代表の器ではなく、国政を任せられる人材でもないことになる。 すべての政党は、政権をとって政策を実現するために政党を創っている。したがって、どんな小政党であれ、第1回の投票は、自分の党首(代表)に投票する。 これがどのように小さな政党であれ、政党の矜恃というものだ。これを最初から自由投票に任せるなど、政治をなめた話だ。 もはや将来、嘉田由紀子が政党の結集を呼びかけても、誰にも相手にされないだろう。それほど感情的で、いい加減な政治家である。 やれやれと思っていたところに、また嘉田由紀子の爆弾が飛び込んできた。 『朝日新聞』の2013年1月13日付けが、「あなたが出たら100人当選」小沢氏、嘉田氏を説得?」と題して、またぞろ失礼極まりない嘉田の発言を紹介している。 「滋賀県の嘉田由紀子知事は13日、大津市での後援会新年会で講演し、昨年12月の総選挙に向け日本未来の党結党を表明する3日前の同11月24日に小沢一郎衆院議員と会談し、「時間がない」「国政にかかわり得ない」と難色を示したのに対し「あなたが出てくれたら100人通る(当選する)」と説得され、結党を決断した、と明かした。 嘉田氏は「後から思えば信じるべきではなかったが信じてしまった」と改めて陳謝した。嘉田氏によると、小沢氏とは結党までに3回ほど関西地方で会い、「(嘉田氏が初当選した)2006年の知事選の時に私はあなたを応援したかった」との話を切り出され、結党を促されたという。 嘉田氏は総選挙では未来の候補者の多くが小選挙区で民主党と競合し、原発ゼロが十分争点にならなかったとし、「負けるべくして負けた」と述べた。講演後には記者団に「(結党前に)候補者リストを見ていたら100議席取れるなんて信じない」と話し、競合が多いことが分かっていれば、党の代表に就かなかったとの考えも示した」 (引用終わり) 内容はくだらないので、斬るのはまたの機会にしよう。それより、もっと重要で本質的なメディアの問題を取り上げておく。一読してわかるように、この紙面には小沢一郎への取材が何もない。

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