2013年1月9日水曜日

CIAのスパイだった岸信介元首相(安倍首相の祖父)  http://warabij.ti-da.net/e3641439.html?fb_action_ids=391768010912808%2C391463284276614&fb_action_types=og.likes&fb_source=other_multiline&action_object_map={%22391768010912808%22%3A457399807659239%2C%22391463284276614%22%3A493753174010064}&action_type_map={%22391768010912808%22%3A%22og.likes%22%2C%22391463284276614%22%3A%22og.likes%22}&action_ref_map=[]    A級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に収監され、死刑を覚悟していた岸が突然、釈放され、旧敵国に忠実な親米派に変身し、十数年後に首相にまでなったのは戦後日本憲政史上最大の謎とされてきた。  その謎解きをしたのが、ピュリッツアー賞を受賞したニューヨーク・タイムズのティム・ワイナー記者の『灰の遺産 CIAの歴史』(=日本語版 CIA秘録 文藝春秋 2009年)だ。  さわりの部分を時系列で整理すると以下のようになる。    CIAは自民党を取り込むため、情報提供に対する報酬の形で将来性のある自民党政治家に資金を与えた。金の運び屋は米人実業家が担い、その中には再建中の自衛隊に武器を納入したロッキード社重役が含まれていた。  岸は1955年に自由民主党を結成し、幹事長に収まるが、CIAの工作を利用して保守勢力を糾合した。そうして政権トップを目指した岸は、安保条約の改定を米国に約束した。岸との連絡役になったのはCIAのケース・オフィサーであるクライド・マカヴォイであった。  1957年3月、岸が首相になる日、国会では安保条約に反対する動きが顕在化していた。それについてマカヴォイは、「岸と私はその日のクーデターを流産させた」と次のように語った。  「米国と日本は合意に向かって動いていたが、日本共産党は投票が行われるこの日、国会で反乱を起こす計画を立てた。  それを社会党本部職員の通報で知った私は、天皇に謁見する予定だった岸に緊急秘密会談を申し入れ、モーニングにシルクハットの装いで現れた岸に、共産党が国会で反乱を企てていると伝えた。  国会では午前10時半か11時に食事などのため審議を中断させ休憩することになっていたが、岸は休憩を取るなと自民党議員に命じ、自民党以外の議員が退席したすきに法案を採決した」    1957年6月に岸は訪米し、新任の駐日大使に決まっていたマッカーサー将軍の甥・ダグラス・マッカーサー2世と会って、米国が権力基盤強化を助けてくれれば、日米安保条約は成立し、左翼を押さえることができると語った。そうして、内密の支払いではなく、CIAによる恒久的な財政支援を求めた。  アイゼンハワー大統領は自民党有力者へのCIA資金提供を承認した。相手によっては米企業からの献金と思わせ、少なくとも15年間、4代の大統領にわたって資金提供は続いた。  岸と同じA級戦犯容疑者であった賀屋興宣も、CIAのスパイであった。賀屋はCIAの秘密作戦で1968年の総選挙で中軸の役割を果した。                     -引用終わり  河信基の<CIAのスパイだった岸信介元首相>はこちら検索 国民の敵は、アメリカではなくスパイとして暗躍した岸信介    新任の駐日大使であったマッカーサー将軍の甥・ダグラス・マッカーサー2世は、砂川裁判の日米安保条約は憲法違反とした伊達判決に横槍を入れた当時の駐日大使である。 1953年 サンフランシスコ条約 日本の独立と共に、             日米安保条約を締結(首相は吉田茂)        1959年 「砂川事件」で、日米安保条約は憲法違反という伊達判決。             首相は岸信介(1957/2/25~1960/7/19) 1960年6月23日 日米安保条約改定  駐日アメリカ大使の外務大臣と最高裁への横槍▼で、伊達判決が無効となり、その後、最高裁の顔色をうかがうヒラメ裁判官の養成が強化される。 ▼2008年4月29日、機密指定を解除されたアメリカの公文書の調査から新たな事実が判明した。-ウィペディアより  東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」との判決を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官・田中と密談したりするなどの介入を行なっていた。  跳躍上告を促したのは、通常の控訴では訴訟が長引き、1960年に予定されていた安保改定に反対する社会党などの「非武装中立を唱える左翼勢力を益するだけ」という理由からだった。そのため、1959年中に(米軍合憲の)判決を出させるよう要求したのである。    ヒラメ裁判官を養成する最高裁はこちらを検索  国民の本当の敵は、CIAのスパイだった岸信介元首相や、巨額の資金(14年間で、現在の通貨価値にして21兆円とも言われている)を受けとり「日本をアメリカの植民地化に狂奔した」自民党なのに、孫崎享の「戦後史の正体」は、「本当の敵は誰なのか」を分らなくしてしまいます。それは72年沖縄返還時の佐藤栄作についても同様です。  そこに騙されないためにも、CIA秘録や、沖縄の近現代史の歴史に学ぶ必要があります。      鳩山元首相を手玉にとる孫崎享の正体  鳩山グル-プの「政権公約を実現する会」で講演する孫崎享                         2012年7月14日  鳩山首相も「戦後史の正体」を素晴らしい本だと賞賛していますが、世界27カ国で出版され、大きなインパクトを与えたCIA秘録や72年沖縄返還時の沖縄の歴史を知れば、いかに「戦後史の正体」に、大きなイカサマが隠されているか、透かしてみることができます。  本当の敵は、アメリカではなく「敵は内にあり」ということを、強く認識するべきです。沖縄で革新のエ-スで、市議会と共犯のうえ、1億5千3百万円の税金泥棒をした善人の面をした悪徳政治家伊波洋一と同じ役目や役割を、孫崎享さんが担っています。要注意です。       

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