2012年12月18日火曜日

衆議院選挙の結果に関する南ドイツ新聞の記事試訳. http://nob-kakigi.cocolog-nifty.com/miszellen/2012/12/post-10cc.html  今回の総選挙の結果には暗然とするほかはないが、立ち止まっていても仕方がない。身近なところから、できるところから、命を大切にできる場を開いていくことを、それとともに命を蝕む力に抗うことを、少しずつ始めるしかないのだろう。暴力の歴史の傷が刻まれた東アジアに、生きる営みが響き合う空間を切り開くこと、それによって暴力の歴史が続くことを食い止めること、これがいっそう差し迫った課題となりつつあるように思われる。  さて、今回本当は多いとは言えないものの、それでも相当数の人々が、命ではなく、「カネ」としか書きようのないものを選んだと言えようが、そのような選択を世界の多くのメディアは、日本のマス・メディアがけっして触れないその帰結を含めて危惧している。そのなかでも、南ドイツ新聞の東京からの報告記事(http://www.sueddeutsche.de/politik/parlamentswahl-in-japan-ruck-nach-rechts-in-die-vergangenheit-1.1552360)は、ここに至る歴史的な経緯を視野に入れながら、問題を簡潔に指摘していて興味深い。以下にその試訳を掲げておく。過去を踏まえながら今後への見通しを開くために、もし参考になる点があるとすれば幸いである。 南ドイツ新聞より【記事見出し】過去へ向かう右への急転 【リード文】  筋金入りの国家主義者であるまでに保守的──東京の政治体制は、これまでどれも右寄りだったとはいえ、慎みというものがあった。これは今や過去の話である。選挙に勝った自民党の選挙戦は、悪意に満ちたトーンと極右の後押しによって特徴づけられるものであった。そして、安倍晋三という過去の日本を夢見る一人の男が、権力の座に就こうとしている。 【本文】  日本は右傾化している。さらにいっそう右傾化の度を強めている。すでにこれまでも政治体制はずっと保守的だったし、それどころかほとんどが筋金入りの国家主義の体制ですらあった──今政権から退こうとしている野田佳彦首相にしてもそうである。しかし、これら過去の内閣はすべて慎みを保ってきた。  このような空気は、今や過去のものである。かつての東京都知事で、独断専行で北京政府と島の領有権をめぐる争いに打って出た石原慎太郎は、中国に言及する際、公の場でも「支那」という侮蔑語を用いている。石原は、日本の核武装を進めたいという考えなうえに、赤い人民共和国と局所的に一戦を交えることも思案すべきと主張してはばからない。他の右翼ポピュリストと一緒になって、彼は悪意あるトーンと、極右主義者の応援とを選挙戦に持ち込み──さらにそれでも公の場に相応しく見える格好で振る舞っていたのである。  それ以来、日本の首相の座に就くことになっている自民党の安倍晋三は、自分がどのように考えているか、とうとう演説で口できるようになっている。安倍が挫折を味わった、最初に総理大臣の職にあった時代(2006年9月から2007年9月まで)には、関係を調停するために中国を訪問しようという気を起こす余地がまだあった。  そのようなことは、もはやほとんど想像できない。  すでにその当時から、安倍は憲法を変えようと企んでいた。憲法の第9条は、日本がいかなる種類の戦争を行なうことも禁じている。許されるのは、固有の領土の自衛のみである。安倍は、この平和条項を廃止したいというだけではない。彼は人権を制限したいとも思っているし、男女の同権を定めた条項も抹消したいという考えでもある。それに、彼は外交においては、いわゆる河野談話──これによって日本は、第二次世界大戦中に日本軍が、十万人におよぶ若い女性を、朝鮮から、中国から、東南アジアから、性奴隷として戦場の慰安所へ連行したことを、公に認めている──を撤回したいと考えている。来たるべき総理大臣は、過去の日本を夢見ているのだ。 【特筆すべき対抗運動の不在】  東京の政府は今日まで、日本の軍隊が第二次世界大戦中に犯した人道に反する犯罪を、深刻な反省をもって突き止めることを怠ってきた。むろん何人かの総理大臣は、むしろ持って回った言い方で謝罪の意を表わしてきたが、そのたびに他の政治家たちがこれを即座に台無しにしてきたのである。  近年、中国と韓国は日本への圧力を強めてきている。日本は、過去の誤った歴史を総括しなければならないというのである。それに対する回答として、日本政府──政府は二十年間にわたりこの国を、長期にわたる危機的状況を脱出させることに成功していないのだが──は、ナショナリズムへ逃げ込んだのだ。多くの有権者が中国に対して腹を立てているとはいえ、有権者は国家主義的な日本をけっして望んではいない。  特筆すべき左翼勢力は、日本にはもう長いこと存在しない。日本の政治家は、庶民の基本的な姿勢はとにかく保守的だと好んで公言する。その際政治家たちは、戦後強力な社会主義的な、共産主義的な政党があったことを、また強烈な学生運動があったことを忘れ去っている。このような左翼勢力は、雲散霧消したわけではない。それは一方では抑圧されて、他方では政治の主流に組み込まれて、窒息しているのだ。今日、CIAが資金を投じて右翼が政権を維持するよう手助けしたか、もうどれほど知られていることか。保守的な日本だけが、アジア大陸の直前にある頼りになる軍事基地なのである。  フクシマ以後、原子力産業、科学、政治、それに主要メディアがいかに一つ屋根の下に群れているか──これが日本の「原子力村」である──がはっきりとした。闇取引が行なわれてきたのは、原子力政策の分野だけにとどまらない。大きなメディアは産業界に依存しているわけだが、両者は自民党という政党と骨絡みの関係にある──2009年の政権交代を、「反対派が政権を獲った」と書き募るまでに。大メディアは──いかなる意味でも左翼ではない──民主党の首相である野田にけっしてチャンスを与えなかった。対抗的な公共圏は、日本にようやく徐々に芽生えようとしているところである。 2012年12月16日18:11、東京、クリストフ・ナイドハルト

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