2012年12月17日月曜日

原子力マフィアによる被ばく強制の歴史“IAEAとICRP”12/14広瀬隆氏郡山(内容書き出し) http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2639.html 今、郡山からタクシーに乗ってここに来る途中、 運転手さんが「労働福祉会館はなにかあるのか?」って言うから 説明してあげました。 IAEAというとんでもない奴が乗り込んでくるから、みんなで集まってやる。 「あなたたちボーッとしてちゃダメだよ」と言ったら、 「そうだよ」って、ちょうどホテルの前を通る時に「ここらしいな」って言ってましたけど、 「だけどこんなのを招くなんて福島県がおかしいんじゃないですか?」って僕が言ったんですね。 「そうだよ、あいつらはどうしようもない奴らだ」ってタクシーの運転手さんが言っていました。 良いですか、こういう事はすごく大事なんですね、 普通の、こういう会場に来られない人たちがそういう思いを持っているという事は、 すごく私の中で心強く思いました。 ですからそういう、今日この会場に来られない人の思いも込めてお話しさせていただきます。 みなさん、今までの放射能被曝の知識を一回全部捨てて下さい。 これからの話しは私も今まで講演会でほとんどしたことがありません。 だけれども、これが基礎になったこういう時代が出来てきたという事でですね、 なんとしても皆さんに知っていただきたい。 まず、東京新聞でこういう記事が出まして、なにをするんだろう?と. 原子力安全に関する福島閣僚会議」なんでしょう? 放射能が安全だと、こういう事をやろうとしている訳です。 で、彼らの言葉を聞いていると、どうも汚染地帯に人間を戻したがっている。 こういう事がハッキリ書かれているわけです。 放射能汚染された地域での避難住民の早期帰還を目指す。 汚染地帯に人間を戻すって? チェルノブイリ原発事故時の調査や復興に関わったベラルーシやウクライナ、 ロシアの研究者らによるチームをIAEAが結成し、福島に派遣するって? 一体こいつら頭のおかしなIAEAとは何者なのか・・・ この連中がなにをしたかというと、ご存じの26年前のソ連で起こりました、 チェルノブイリ原発事故の調査とか、そういう事と書いてありますが、そうじゃないですね。 要するに被爆地帯に人間を放置してきた。 そういう人間たちが、皆さんご存じの山下俊一とかですね、高村昇とか神谷研二という人間たちが、 皆さんのお子さんの命を預かっているという事です。 本当にこの集団、寒気がします。 今、悪魔という言葉を使っても皆さんはピンと来ないかもしれませんが、 この事をですね、お話しします。 それと、もうひとつはIAEAだけじゃなくてですね、WHOも連動しています。 国連がですよ。 人類の健康を預かる組織なんですけれど、これがまた先月こういうね、 がんリスク 福島原発事故の影響 明らかな増加見えず なんていうことを、いまもね、こういうことを、 要するにIAEAと連動してこういう事を出しています。 こういう事についてこれからお話します。 みなさんに今までの事を忘れていただきたいというのはですね、 私は69歳ですから歴史を長い間見てきましたので、その事を知っていただきたい。 歴史を知っていただきたい。 ちょっと長い話ですが、 放射線・放射能の危険性が明らかになった歴史 1895年12月28日 ドイツの物理学者ヴィルヘム・レントゲンが 実験装置から目に見えない光が放射されている事に気付いて、 それが多くの物体を通過する能力を持った放射線である事を発見して「X線」と名付けた。 そしてX線を使って、人体の骨を撮影できることを明らかにした。 ちょうど100年ちょっと前になりますが、レントゲンが 未知の放射線があるという事を発見しまして、それで未知なのでX線という名前を付けまして、 それでこうやって今我々が行っているレントゲンというものを使うようになった。 この写真の日付は1896年ですが、ちょうどその年ですが当時発明王のエジソンがいまして、 X線の画像でひと儲けしようと言う事でスタートしたんですが、 かれは、助手のダリーという男を使ってX線を使っては、助手にX線を浴びせて、 発明王エジソンは、1986年にX線画像を見る事が出来るX線透視装置を発明したが、 その実験台に助手のダリーを使った。 ダリーは実験のために両手、両足に何度もX線を浴びた結果、 皮膚がんに侵され、手術で両手両足を切断後癌が原因で死亡した。 エジソンはX線の危険性に気付いて、一切のX線の研究を止めた。 ところがこのダリーはかわいそうに、何度もX線を浴びたその結果皮膚がんになり、 そして手術で両手両足を切断して、そして最後にはがんで死亡しました。 で、エジソンがこの時に偉かったのは、これが危険なものだという事に気がついて、 一切の研究を止めました。 ところがその後ですね、ラジウムを精製して、 それが放射能の発生源であるという事を突き止めたキュリー夫人。 ご存じノーベル賞を受けた彼女。 彼女は1934年7月4日にそのラジウムの放射線の被ばくによる白血病で亡くなりました。 こういう歴史がありましたが、 みなさんはご存じないかもしれませんが、我々が子どもの時にこういう昔の目覚まし時計がありました。 夜になるとこういうふうに緑色になって綺麗に光るんですね、夜光塗料が塗ってあって。 我々はクリスマスに貰うと本当にうれしかったんです。 これは一体何か? これは今緑色に見えるところは夜光塗料、ラジウムを使っている。 そのキュリー夫人を殺したラジウムです。 なんでラジウムが危険か?というと、 アルファ線とガンマ線の両方を出します。放射線です。 夜光塗料をですね時計に塗布する女工さん達がですね、それを筆で書くんですね。 筆で綺麗に拭こうとする、その時にラジウムをペロペロなめてやっていたわけです。 で、この人達はですね、女工さん達が貧血になる、あるいは白血球が減って免疫力がなくなってくる。 そして感染症を起こし、そしてついに癌になる。 数千人の人達がですね、被害に遭うという大変なことが起こったわけです。 今、この女工さん達の事を知っている人達は世界中でほとんどいません。 同じように今福島第一原発で働いてらっしゃる作業員さんの方達の事を思いやる、 本当に思いやる人達は日本にほとんどいないと思います。 口では言っても、それと同じなんです。 当時もこの1920年代という、大変な事なんですよ、被害者が数千人も出ています。 結局社会というのは忘れていくんですね、今の福島のみなさんの状況と同じなんです。 忘れていくんです。 あいつらは関係ない、俺たちの身を守ろう。 そう思うのが人間なんですね。 ただし、これが危険だという事はもう分かっていました。 そうして社会問題になってきたので、1928年に 放射線医学の専門家を中心にして、X線が危ない、ラジウムも危ないという事で、 国際X線およびラジウム防護委員会。 防護というのは人間を防護する、ね、そういう委員会が出来ました。 そしてですね、この時に委員に就任したのが、有名なロルフ・マキシミリアン・シーベルト。 みなさんがカウンターで測る時にシーベルトって使いますね、 このシーベルトが委員なんです。 そして、キュリー夫人が1934年に死んだ年にですね、 この年に初めて、この委員会が許容線量の値を発表しました。 どれぐらいになると危ないなのか…ということで、 ザーッとここへ歴史を書きますけれど、 この国際X線およびラジウム防護委員会が、ずっとこういういろいろな過程を経て、 今からお話しますが、現在のICRPがここですね。 1950年からICRPに変遷を遂げてきました。 この背後にですね、大変な原発の開発の歴史が絡んでくるんです。 この事が分かっていないと、皆さんがどういう人間を相手にしているのか?という事が分かりません。

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