2012年12月12日水曜日
【現地リポート】 210日後の福島は今(中) ~『郡山集団疎開裁判を支援しよう』
http://ameblo.jp/rain37/entry-11054685635.html
福島県郡山市の子どもたちが、安全な場所への集団疎開を求めて自ら原告となり、司法の場で市と闘っている。被曝の懸念が消えないまま授業を続ける市側に対し、生徒が訴訟という形で健康的な生活を確保しなければならない異常事態。何とか一日も早い集団疎開を実現させようと多くの大人が立ち上がっている。15日に郡山市内で行われた支援集会とデモ行進には俳優の山本太郎さんも駆け付け、裁判長へ「勇気を持って決断を」とエールを送った。福島県外への転校が実現したのはわずか5%。これ以上被曝させてはならないと、参加者たちの涙ながらの訴えが雨上がりの秋空に響いた。
【紫色になって亡くなったロシア人夫妻の子】
JR郡山駅前広場。
胸を打つスピーチが続いた。
緊張で、怒りで、悲しみで声やマイクを握る手が震える。
遠くでにらみをきかせる警察の無言の圧力に押しつぶされそうになる。
それでも必死に訴えた。子どもたちの健康のために。
避難所で一週間過ごしたのち、妹のいる東京へ避難している女性は「東京で2人の子どもたちと頑張っています。まだまだ避難できずにいる子どもたちが多いことを東京の人たちに伝えたい」
連れてきた娘は郡山駅に降り立った途端「あ~私の故郷だ」と喜んだ。「ここで赤ちゃんを産みたい。できるよね?」と聴かれた。「うん」としjか答えられなかった。放射性物質に汚染されているから難しいかもしれないとは言えなかった。
25年間、反原発運動を続けている「ハイロアクション福島」の武藤類子さんは、涙ながらに「私たち大人は全力で子どもたちの健康被害を防がなければなりません。そのために力を合わせましょう。力をふりしぼって「子どもを逃がしてほしい」と声を上げた人々とつながりましょう。裁判所の勇気ある判断を市民が支えましょう」と訴えた。「原発こそ人権を侵害したもの」と語る武藤さんは「一人一人が幸せになる社会を取り戻したい」と語った。
埼玉県三郷市で「放射能から子どもたちを守ろう みさと」を運営する代表の名取知衣子さんは、小学4年生と1歳半の二児の母親。「今日は一人の日本の親として参加しに来た。それぞれの立場でできることを一生懸命にやるのは大人の責務。一緒にがんばりましょう」と涙。「『心配なら転校すればいい』『遠足が心配なら休めばいい』『給食が心配なら食べなければいい』と教育に責任ある大人が言ってしまったら、子どもは苦しむ。それを見ている親もつらい。でも、子どもに被ばくさせたくない。板挟みになりながら、日々を過ごしている」
「会津放射能情報センター」の一人は、今でも忘れられない事がある。
運営する託児所でロシア人夫妻の子どもを預かった。しばらくして病気で亡くなってしまったが、後に「2人は実はチェルノブイリ原発事故で被曝しており、こういう事態は覚悟していた」と知人から知らされた。その子は亡くなった時、紫色の顔色をしていた。
「今となっては因果関係を証明できないけれど、私はあの時、日本の未来を見てしまったのかもしれない。あの夫妻が味わった悲しみを、自分の子をはじめ、日本の子どもたちにまで味わわせてはいけないんです」と涙を浮かべて話した。
【裁判所は勇気を奮って初心を貫け】
「ふくしま集団疎開裁判」は6月24日、郡山市内の7校の小中学生14人が郡山市を相手取り、年1.0mSV以下の安全な場で教育を実施するよう求める仮処分を申し立てたことに始まる。
これまでに7/5、7/19、8/26、9/9と4回の審尋が開かれた。
その中で、熊本での原爆症集団認定訴訟で内部被曝に関して証言、306人全員の勝訴に寄与した矢ヶ崎克馬琉球大名誉教授が24ページにわたる意見書を提出。
矢ヶ崎氏は「チェルノブイリ事故に匹敵するあるいはそれ以上の放射性埃が放出されている」「今後極めて高い疾病率が郡山市や福島県の子供を襲うことが懸念される」「今からでも『遅すぎることは無い』子どもの疎開措知等は即刻実施されなければない」「未だ日本に安全なところが在る以上、子どもたちの教育は、安全な場所で教育するために政府は最善の努力をすべき」などと述べている。
弁護団の一人で、集会で裁判について報告した柳原敏夫弁護士は「①その後、順調に学校での放射線量は下がってきた。②申立人の子どもも親も転校の自由があって、危険だと思えば転校すればよい、郡山市はそれを妨害していない。③郡山市は子どもの学校滞在時間以外は、関知しない。それは、子どもたちの保護者によって自由に管理されるべきものだ。④子どもたちの安全な環境で教育を受ける権利、これを侵害しているのは東電であって、自分たちではない。⑤自分たちは学校で放射線量の低減化のため可能な限りの努力を尽くしている。だから、子どもたちの安全な環境で教育を受ける権利を侵害していない…以上から、郡山市は子どもたちを安全な場所に避難させる義務は負わない、と言う。これは人権放棄の宣言だ。ここには希望がひとつもありません、あるのは絶望だけ」と怒りに声を震わせた。
疎開を求める裁判に賛同する署名は、24971筆集まった。
「11月、この裁判の判断は下される。裁判所がもし、裁判の原点に立ち返り勇気を奮って初心を貫いたなら、それは14人の子どもの命を守るだけではなく、福島県の子どもたちの命を守る判断となるだろう」
民の声新聞
福島県内外から多くの大人が駆け付けた支援集会。
誰もが被曝から子どもたちを守ろうと必死だ
【裁判長よ勇気ある判決を】
集会・デモの輪の中に、俳優・山本太郎さんの姿があった。
参加者が慣れないスピーチに四苦八苦するなか「国はなめている。目の前のお金を守るため、子どもたちは殺されようとしている。棄民だ」と力強く訴えた。
さらに「今、福島で展開されている不条理は、明日の自分ですよ。どうして子どもたちが裁判に訴えなければならないのか。国が率先して逃がすべきなのに」と語気を強めた。
郡山市役所までのデモ行進でもマイクを手に参加者を先導した山本さん。反原発を明確に表明して以来、芸能界では干されてしまったという。
「地上波では俺を使えないでしょうね。でもね、俺はキレちゃったんですよ。国が年間被曝限度量を1mSVから20mSVに引き上げた時。こんなんじゃ、子どもたちが殺されてしまうと。それに、俺自身、まだ生きたいですから」
デモ行進は、市役所前で申し入れ書を読み上げて締めくくられた。
主宰者側はこの場で市職員に文書を手渡すことを希望したが、市側は「土曜日で人の手当てができない」ことを理由に受け取りを拒否。後日、
1、 子どもたちを放射能が年1mSv以下の地域に集団疎開・避難をさせてください。
2、 既に自主避難している子どもたちに、早急に経済的・その他必要な支援を実施してください。
3、 就学前の子どもたちを持つ家庭・妊婦・これから妊娠の可能性のある方たちに生活支援つきの避難を実施してください。
4、 大人も一時避難もしくは一時保養できるシステムを、他の自治体と共同で、作ってください。
5、 安心して避難出来るように、留守宅の警備をする地域ぐるみのシステムを作ってください。
以上を文書で申し入れた。
参加者の多くが「今、行動しなければ後々後悔する」「子どもを守るのは親として当然」「理屈じゃないんだ」と立ち上がった今回の集会。
子ども自ら疎開のために行政を訴えるという異常事態は解消されるのか。
山本太郎さんは再び降り出した雨の中、商店街を歩きながら大きな声で叫び続けた。
「裁判長に勇気を送ろう」
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