2013年3月23日土曜日

再掲載.大変重要な記事.(2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発 ) http://ishtarist.blogspot.jp/2011/06/20113203.html (重要点.その他は,続いて,全記事を,お読みください) 特筆すべきは、ひたちなか市と新宿の値です。MBq/km2 はBq/m2 に換算可能なので、ひたちなか市では1平方メートルあたり20万ベクレル以上のヨウソ131が、25000ベクレル以上のセシウム137が地表に降り積もったと考えられます。新宿では同じく、ヨウソ131が約85000ベクレル、セシウム137が6400ベクレルです。そして、これら大部分が、20日から23日までの3日間に降りそそいでいるのです。 これは、どの程度の値なのでしょうか。 また、一瀬昌嗣・神戸高専准教授(サイエンスメディアセンター 核実験フォールアウトとの比較)によれば、「1963年6月に、日本に降った最大のフォールアウトのセシウム137の放射能は、550Bq/m2」であり、「Cs-137で比べると最も多かった1963年の1年間に東京で1935 Bq/m2、1957年4月~2009年3月の合計では7095 Bq/m2」です。大気圏核実験が頻繁に行われていた(チェルノブイリ事故の影響も含む)過去50年間と、ほとんど同量のCsセシウム137が、たかだか3/21-3/23の2日間で降り積もったことになります。なお、広島原爆の黒い雨のCs-137の土壌沈着量は、最大で493 Bq/m2であったと論じられています。 マーチン・トンデル氏のスウェーデンにおけるチェルノブイリ事故調査によると、1平方メートルあたりのセシウム137の汚染が10万ベクレルで、ガン発生率が11%あがるとの結果が提出されています。http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/tyt2004/tondel.pdf これに照らし合わせると、くだんのフォールアウトによるひたちなか市での発がんリスク増加は、3%弱であると考えることができるでしょう。 ただし、重要なことは、発がんリスクは放射性障害のごく一部にしかすぎず、心疾患、脳溢血、消化器疾患、呼吸器疾患など様々なリスクが確認されており、またもっとも典型的な兆候は、「原爆ぶらぶら病」や「湾岸戦争症候群」に見られるような不定愁訴であることです。発がんリスクはあくまで健康被害の一つの指標にしか過ぎず、内部被曝によって表れる様々な症状を、発がんリスクへと還元するかのような統計は、住民たちの実際の健康障害を著しく低く見せる効果があることに、私たちは留意する必要があります。 (東京電力の隠蔽工作・印象操作について) 今まで、3月20-21日にかけての関東地方のフォールアウトが直前の3号機から放出されたものであるという仮説について、気象やプラントパラメータ、東電・政府の行動など様々な角度から検証してきました。その結果、3号機格納容器内で爆発的事象が発生したことは疑いようがなく、さらにそれが再臨界を伴っていた可能性まで示唆されました。 そうだとすれば、東電・政府はこの極めてシビアな事故を、現在に至るまで隠蔽し続けていたことになります。いかにして、このようなことが可能だったのでしょうか。おそらく、この問いをいま、直截的な形で、メディアや研究者たちに向けることは、さほど生産的なことではないでしょう。ただ、東電がこの事態をどのように隠蔽してきたのか、その印象操作の一端を簡単に見せておくことは、私たちにとって非常に有意義なことだと思います。そのことを通じて、私たちが今後、情報操作に惑わされないような教訓を得ることができるからです。 まず、前節最後に述べた、3号機の煙の話です。21日15:55分-18時までの煙の発生前後で、「3号機の原子炉圧力容器および原子炉格納容器のパラメータ、周辺環境のモニタリング値に大きな変動」はみられない(東電発表)と東電が述べたため、これが異常な事象の兆候である、とは一般に受け止められなかったきらいがあります。 ところが、実際のパラメータを見ればわかるのですが、煙が出始めた時点では、すでに格納容器圧力も圧力容器圧力も、ほとんど大気圧と平衡になっており、それゆえ両方とも破損していたことが確実だったのです。これでは煙がでても、原子炉パラメータに「大きな変動」が見られるはずがありません。当然、東電はこのことを知っていたはずです。 また、東電発表のパラメータを、修正前と修正後を比較すると、データを間引きすることでどのような印象を東電が作ろうとしてきたのかも見て取ることができます。 たとえば、3号機格納容器内CAMS(A)(=放射線量)のグラフですが、修正前は赤の点で断続的にのみ発表されていました。これだけ見ると、順調に放射線量が下がっていったかのように見えます。ところが、修正後のパラメータをグラフにしてみると、そのグラフの直前に放射線量が急増しており、その後18-20日までの間に乱高下していたことがわかるのです。 また、修正後パラメータで設計圧力を大幅に超える11.5MPaを記録した原子炉圧力(A)(図14参照)に至っては、修正前はデータそのものが公表されていませんでした。 このグラフには、3/21未明の原子炉圧力(A)の異常値が表示されていません。 なぜ、このようなことが可能だったのでしょうか。この答えは、3/21未明の異常値が、8.968, 11.571, 10.774と、すべて縦軸(右側)の最大値8MPaを大幅に超えていたことにあります。逆に言えば、東電は、この異常値をグラフに残さないために、わざとグラフの最大値を8MPaに設定したと疑るのは、決して不穏当なことではないでしょう。逆に、最大値をもっと小さく取れば、21日の推移がより具体的に見えることになるでしょう。つまり、8Mpaという最大値は、21日の事態をもっとも小さく見せることができる値です。これは、決して偶然ではない、すなわち、東電は、パラメータを精査せずグラフだけ見た人に、20-21日に特別な緊急事態が起こったという印象を与えないために恣意的な操作を行った、と言って差し支えないと思います。

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