2012年4月21日土曜日

(プルトニウム元年 第3作 1993年8月放送- 放射線被爆の隠蔽 ) Hテレビ報道部ディレクター(当時)O氏を中心に制作された「プルトニウム元年」は、原発の問題に正面から取り組んだ番組で珍しかったため、放送後は大変な反響があったと­いう。1993年までに3本が制作されたが、3本目を放送した後に問題が起こったという。当時を知るHテレビの関係者は、「放送終了から間もなく、○○電力の広報担当者が­番組制作者のところをたずねてきて、第3作目の原発で働く労働者の健康問題について触れた内容が一方的過ぎるということを伝えに来た」という。その後、○○電力がHテレビ­の新番組のスポンサーを降りると通告。○○電力からはスポンサー料として数千万円が支払われる予定だったため、かなりの打撃だった。「プルトニウム元年に問題があったのは­明らかだった(当時のHテレビ関係者)」。「プルトニウム元年」は第4作目の構想もあったが作られることはなかった。(週刊現代)

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