2012年9月17日月曜日
( あるいは、いかにチェルノブイリに刻まれた記憶を消し去るのか)
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ミッシェル・フェルネックス(バーゼル大学医学部名誉教授)
2002年2月22日
保健衛生の分野で、誤った結論を導き出す科学的作業をアングロ・サクソン系の著者は<キー・ライズ>という。つまり<鍵となる嘘>である。こうした研究はタバコ産業ロビーによって研究資金をたっぷり与えられており、そのおかげで、当局、とりわけ世界保健機関のタバコ喫煙への闘いに対して、タバコ産業のロビーが数十年の間、抵抗することができたのである。
2001年経験した出来事は、もう一つのロビー、タバコ産業ロビーより相当強力で、チェルノブイリの痕跡を消し去ろうとする原子力ロビーのやり方を再考させずにはおかない。国の介入、あるいは保健衛生部局(米国ならFDA)から原子力産業を陰に保護する刊行物を実現するために、このロビーは、健康問題にストップをかけなければならないのだ。
原子力ロビーは、とりわけ、専門家に言わせると避けることができないであろう来たる原子力事故に備えるために、ガイドラインを作ることを目指している。事故が起こった時に、まず優先してすることは、経費の節約である。これは、不可侵と考えられている放射線の低線被曝の不毒性のドグマを適用する。
2001年以来のいくつかのベラルーシの事例は、この目的のためにロビーが行なおうとしていることを明らかにする。それは、NGOの形体を持った組織によって表現され、大学などの学際的研究グループの仲介(<エトス・プロジェクト>、<チェルノブイリの交差点>)を経て、現場で介入することになる;
事故が起こると、まず優先されるのは、経費削減である
農学、社会学、技術、物理学などのエトス・プロジェクトにまとめられた教員や博士課程の学生たちは、汚染地域で働いた。ロビーが彼らに課した役割は、そしてそれについて彼らは恐らく無意識だったことは、存在していた住民のための放射線防護の機構の排除である。実際、この国の放射能汚染の重大性について、また住民の健康に対する影響について注意を喚起する政策は、原子力ロビーにとって、許容できないことなのだ。
チェルノブイリの真実をねじ曲げること、あるいは、故意の言い落としによる嘘
エトス・プロジェクトで行なわれた研究は、ストリン地区のいくつかの村々に限定される。原子力事故と長期に放射性核種で汚染された地方の管理について、得られたデータで、本を書くことは可能だろう。この本は、欧州連合から資金を出して出版されるほど、特権的なものとなるだろう。
かような出版物において、読者は子供たちの健康や、早期の死亡率や、それらを説明する最も汚染の高い地域と同じほどの人口増加の崩壊について、放心していることはできないだろう。
二つの行事で、エトス・クラブのメンバーを知ることになった。一つはパリ第七大学が催したもので、2001年4月26日(チェルノブイリ記念日)、もう一つは、同年、11月15-16日、ベラルーシ南西部のストリンで、CEPNによって、雇用された大学人たちが、政府と行政責任者たち、また国際組織や国、とりわけ欧州連合の代表者たちに対して行って来た作業の成果を発表した。
パリ第七大学が4月26日、プレス資料でCEPNを紹介した。この組織の正式名は、<原子力分野における防護評価の研究センター>という名で、1901年の法律に基づいた非政府組織NGOであり、NPO(非営利市民団体=アソシアシオン)である。フランス電力公社(EDF)、原子力庁(CEA)、それにラ・アーグの再処理工場を管理しているコジェマ社(Cogema社。訳注:現在は発展再編された原子力産業複合企業体Areva社となっている)によって、創設された民間団体だ。原子力ロビーのこの組織は、チェルノブイリによって汚染された地域に派遣されている研究グループ、とりわけエトスのグループを調整している。
<エトス>の創始者の一人は、現場へのチームの介入を示唆しつつ、学際的なチームが介入した地域での継続的調査がないことを悔いていた。これらのプログラムの医学的構成要素が弱いという説明しがたい欠点を嘆いてみせた。
放射線防護チームの作業に終止符を打つのを<援助する>こと
2001年に完了することが予定されていた計画で、ストリン地区に介入しながら、<エトス>の責任者たちが、ベラルーシのチェルノブイリ問題省に、ワシーリ・B・ネステレンコ教授に率いられたベルラド放射線防護独立研究所に取って代わるよう依頼したのである。彼らはこの研究所の測定データを、数年前から使っていたのだ。
2001年1月25日にヴァレリー・シュヴチュークが署名したチェルノブイリ問題省のベルラド研究所所長宛の手紙は、ストリン地区の一連の村々の管理は、<エトス2>のために、彼らの依頼によってベルラド研究所から取り上げる故の通告であった。
ベルラド研究所が食糧や牛乳の放射能を測定するために養成した人材を使った<エトス>は、時折、仕事が倍になってもこれらの技術者達に、残業手当を支払うべきだとは考えなかった。<エトス>が、放射能防護センターに測定データを記録するために導入されたコンピュータは、今、国の行政に移管されている。こうして、ネステレンコが設置した組織は、次第に、消滅しつつある。発展のための技術援助の正反対である。
事実、数年前から、国と民間財団の援助を受けていたこれらの放射線防護の小さな組織のおかげで、ベルラド研究所は、住民に食糧と牛乳の放射能を無料で測定してあげていたのだ。ベルラドが養成したこの仕事をしていた職員達は、放射線防護について、住民家族にアドヴァイスを与えていたのである。
その他、ホール・ボディーカウンターを設置してあるベルラドの移動式研究所は、年に二回、人口放射性核種、とりわけ学校の子どもに蓄積していたセシウム(Cs137)の量を計っていた。子供たちの中で最も汚染のひどい子供たちに対しては、間欠的に施されるペクチン剤の療養を受けていた。ペクチン剤はりんごをベースにした補完剤で、臓器にあるセシウムの排除を促進させる。
1991年に創設されて以来、政府からの財政援助を受け、ベルラド研究所に管理された370の地域放射線防護センター(CLCR)がベラルーシの最も汚染のひどい町や村に設置され、関係官庁は、ネステレンコの公表する測定結果を定期的に受け取っていた。1996年から、これらの報告は、季刊の報告書となった。
しかし、同じ年から、CEPNの様々な刊行物の共同著者チェルノブイリの政府委員会の副会長I.V. ロルヴィッチは、現在ある83のCLCRに数を減らし、そのうち、56だけが政府の財政支援を受けている。他の27はドイツのNGOの支援を受けている。ベルラドの測定報告21号は現在、印刷中だ。これが最後になるだろう。というのもアメリカの財団からの6000ドルは刊行物を出すことを可能にしてきたのだが、それが打ち切られたのだ。
開発援助の逆
貧しい国を援助しようとするとき、基本原則の一つは、一時的であっても、現存する構造を他のものにおき替えることなしに、むしろ、それを強化することである。こうして、外国チームが帰った後、現場には、よく教育され、設備も得て意欲のある人材が、必要な継続作業をすることになる。
パリ第七大学で、その後、電話があり、<エトス>の責任者たちは、彼らがやろうとしたことは、ネステレンコのチームを排除することではなかったと私に表明した。そして、将来、ベルラド研究所は、すでに立案されていた未来のヨーロッパ・プロジェクト<エトス3>に包括されるというのである。ネステレンコは、<エトス2>のプログラムの成果が発表されるストリンの国際セミナーに招待されるだろう、という。
この時期、ネステレンコを<エトス3>プロジェクトに組み入れるという<エトス>の責任者たちの約束は誠実なものに見えた。フランスの大学人にしてみれば、ベラルーシのNGOを、2002年1月26日に企画書提出予定の彼らのプロジェクトの中に組み込むことは、欧州連合から大きな予算を獲得するためにも、有効だと思えたのだ。ネステレンコは、このプロジェクトのなかにベルラドが場を得ることが公式に通告されることになっていた。口頭による励ましで、放射性降下物によって非常に汚染された村々の子供たちを支援するための具体的なプロジェクトを提出した。
しかしながら、秋になると、2001年11月にストリンで予定されているセミナーの予告プログラムには、約束されていたようには、ネステレンコの名前は掲載されなかった。
私が介入した後、この<忘却>は修繕された。しかし、セミナーに続く11月20日にミンスクで行われた会合にも、またそれに続く2002年3月6日の会合にも彼は招待されなかった。
ベルラド研究所を現場から追い出すこと?
2002年1月13日、2001年に告示された欧州プロジェクトの計画書の申請日(2002年1月26日)の数日前、ネステレンコはエトスから連絡を受け、今から5日以内、1月18日前に返事をするように要請された。それは、ベルラドの移動式放射線測定チームの欧州プロジェクトへの編入ではまったくなく、放射能防護のマニュエルのひとつの章の執筆参加への要請だった。課題だったベラルーシ南部の子供たちの放射線防護への援助計画には一言もなく、エトスへネステレンコ教授がこの問題について提出した議定書にも触れられていなかった。彼の失望にもかかわらず、ネステレンコは、この依頼について、期限内に前向きな返事をしたのである。
2002年1月25日、エトスのために仕事をしている<ムタディス・コンサルタント>事務所は、今後来る計画についてヴァンサン・ヴァレールの署名付き手紙を送付し、4月11日にパリで、宛先人達を<エトス>クラブの会合を召集した。ネステレンコ教授は、ここでもまたもや、2001年ストリンのセミナーに言及しているこの手紙の宛先人とはならなかった。私が驚いたので、ネステレンコは、パリの4月11日の会合に招待されるだろうと、返答して来た。そして、それは、確かに、後になって招待状は送られたのだった。
原子力ロビーの執拗さ
ここでは、仏電力公社、原子力庁、アレヴァの代表であるCEPNは、チェルノブイリの記憶を何としてでも消去したい国際原子力ロビーの確固不動たる論理に協力している。食品の汚染の日々の測定、年に二度の放射性セシウムの体全体の測定はこの惨事の警告である。年を追って、ネステレンコ教授は、これらのデータを公表し、政府に提出する。だが、食料品と住民への放射能状況、とりわけ、子どもの状況は、改善されるには遠く、悪化していることを認めざるを得ない。
食品のセシウム137の汚染の増加は、農業者が肥料をより少なく使用し、とりわけ、植物によるセシウムの吸収を減退させる役割のあるカリウムをあまり使わないからだ。
そのうえ、非常に汚染された土地を以前に増して開墾しているからである。農作物が全国に流通されるので、人工放射性核種の負荷は住民全体に増加しているのである。ネステレンコは、首都ミンスクにおいても、現在、体重との関係で、キロあたりのセシウム137が50Bq以上の数値が測定され、10年前にはなかったことだと警告を発する。
この事実を覆い隠そうとする原子力の推進者たちは、<温度計を壊さなければならない>のであり、解熱させるためではなく、誰もがこの事実を知らないようにするためなのである。高熱、あるいは子供たちの臓器に蓄積された放射能、それを測定することはもはやできない。ネステレンコは、彼が行っている事業を中断しなければならないのだ。
健康に対するセシウム137の放射毒性の効果を無視すること
9年間、ユーリ・バンダジェフスキーとゴメリ医学大学の協力者達は、セシウム137の放射性毒性について研究し、他の組織体に比べ、多いときには50倍までも、内分泌線や心臓のようなある特定の臓器に濃縮することを発見したのである。セシウム137の平米あたり5キュリー以上で汚染された地域において、健康に対する否定的な衝撃は、ほとんど全ての子供たちの健康を害しているのである。
放射性セシウムの蓄積による病気に関する彼の研究活動は、バンダジェフスキー教授をその後取り下げられた癒着の告発によって、8年間、強制収容所に送られる(アムネスティはサイレンシング・アカデミアという)。バンダジェフスキーによって創設された若い医学部の医者や、昔の協力者達は、職を失った。彼らは、彼との共同著者として、これらの刊行物に名前を連ねるべきではなかったのだ。
ストリンのセミナーでは、<エトス>は上質光沢紙にカラー印刷された図表を配り、ほとんど全ての発表者のプレゼンテーションはデジタルデータで上映された。57ページに、反論を受けたセシウム137の臓器の均質的な分布の仮説をベースにして、体内線量が計算されてある。
それにひきかえ、ひとりの小児科の女医が説明するために手に持った手書きで書いた図表は、上映されなかった。他の人たちの報告に反し、彼女のその図は、情報化されていなかったのである。それらの図表は、入院の数が増加しており、1986年-87年に1000人の子どもに対し、約150件、年に増加しており、1990年では1000人につき500件、2000年では1000人の子どもに対し、1200件の増加を示しており、上昇カーブは、下降する気配は全くない。
厳しく慢性化する疾病は増加しており、おおよそ健康だと言える子どもの数は80%以上から20%以下に落ち込んだ。しかしながら、これらの子供たちは、欲求不満状態ではなく、家族は移住しておらず、彼らは相対的に食糧の摂取はよかった。すなわち、幼稚園から全ての学校教育の期間中、教育に当たられた予算のうち、50%は、一日2-3食、週4-5日の食材に当てられている。
したがって、子供たちの健康は悪化していくように見える。この悪化の原因は、環境中の放射能汚染と関係がある。子供たちは、一平米に対してのセシウム量が5から15キュリの汚染地域では、正常に暮らす、生き延びることができるように見えない。
この小児科責任者の女医の説明された医学報告も、図表も、<エトス2>の報告書に掲載されていない。たぶん、<ポリティカル・コレクト>ではないのではなかったろうか。
フランスの専門家の発表では、ストロンチウムにわずかしか関心が表明されていないのに驚いた。しかし、大地にも、水の中にも発見されているので、当然、食物連鎖のなかにあるのである。ストロンチウム90は、セシウム137のように、半減期が約30年である。ストロンチウムとセシウムの放射性毒性における相乗作用を研究することは本質的なことだ(この主題は、ある時期、ゴメリの医学部で研究されていた)。<エトス>の他の専門家の中で、だれも、チェルノブイリによって撒かれた他の放射性核種を取り上げるものはいなかった。
<エトス>のフランスの大学人による限定された農場への関与は、提供された質のいい種子や完璧に分配された肥料や、必要な時期に与えられた徐虫剤により、農作物の生産の向上に貢献した。ジャガイモの生産は以前より豊富になった。この農作物はセシウムは少ないので、販売することもできた。2002年以降、農業に対する投資は、10家族ほどの農家に限らず、数千人の子供たちが暮らす関連する地域に拡大されるべきである。
不幸にも、これらが住民、とりわけ子供たちの健康状態を向上させることを示すことができなかった。すでに、パリ第七大学で、<エトス>の農学責任者アンリ・オラニョン氏は、私に言った。「私たちはいい仕事をした。しかし、子供たちはますます病気になった!」と。この意味で、<エトス2>の経験は、失敗と言えるのである。
<エトス>報告書のなかに、セシウム137の体内線量の継続調査と子供たちの健康状態の悪化を示す曲線を、全面的に統合しない限り、プロジェクトの結果の提出は、本質的な部分を欠いた不完全なものと裁定せざるを得ない。つまり、健康に対する基本的なデータの不在と、放射性核種の体内の線量負荷に対するデータの不在は、<故意の言い落としによる嘘>、あるいは原子力ロビーが欲しがって止まない<鍵としての嘘>に私たちを関連づけさせてしまうであろう。
チェルノブイリの影響評価において、<故意の言い落としによる嘘>は、実際、タバコ産業ロビーが、世界保健機関が反タバコ・キャンペーンを行うのを避けるために、何十年もの間、大々的に使って来た<鍵となる嘘>に似ている。同じ動機によって一部を排除された資料(まず優先的にロビーを守る事)は、原子力産業に対して、原子力管理当局や市民に情報を遮断するのを継続させてしまうことなのである。
この文脈で、2002年2月12日に『フィガロ』紙に掲載されたファブリス・ノデ=ラングロワの記事は、イスプラの欧州連合研究センターによって刊行されたヨーロッパのセシウム汚染地図は35万数点の測定に依拠したものだが、フランスから35点のデータしか受け取っていない。この作業を行った責任者ド・コール氏は、フランスの貢献があまりにも中途半端なものであることを嘆いている。『フィガロ』紙によると、IPSN[訳注:原子力防護と安全研究所は1990年以来、原子力庁の研究機関であったが,今日OPRIと合体して、2001年、IRSN仏国立放射線防護と原子力安全研究所となった。産経省、防衛省、厚労省に従属した機関]の代表者アニー・シュギエ女史は、欧州地図は不完全であるゆえに、間違いだと表明した。「このウソの告白は、厚生省から独立した責任者によって行われた」とOPRI(ペルラン教授のSCPRIの後継ぎ組織。訳注:仏国立放射線防護局で1994年に設立された組織で厚生労働省に従属していた)会長ジャン=フランソワ・ラクロニックは、上司である大臣ベルナール・クシュネールへのノートで強調した。国家が嘘を言ったかどうか尋ねた補佐によって背中を押された形になった彼は、自ら、これは<故意の言い落としによる嘘>だと言い放ってしまったことを明確にすることを怠った。
2001年年末まで、<エトス>の責任者たちは善意であると思って来た。このクラブの大多数の大学人たちは、そうだと私は確信する。それにしても、健康に対する体内に取り込まれた放射性核種の影響をみせる研究、あるいは子どもの放射性セシウムの体内の負荷を測定するベルラド研究所の測定班を支援すること、あるいは環境の放射能汚染度によって子供たちの健康に関するデータを発表することを意味するとき、それはロビー、ここではCEPNが最後の言葉を握っているのだ。
大学人たちが帰国して、住民は振り出し点に戻った。しかし、放射線防護のための援助は<エトス>介入前より少なくなった。すなわち、地域放射線防護センターは、それらの設備の一部を失い、全てのデータを取り込んだコンピュータはなくなり、測定技師達はやる気をなくし、彼らの仕事に対する実給は支払われなかった。
CEPNは、科学的厳格さを大事にする大学人たちに満足できる枠組みを与えるだろうか。
ベラルーシにおける原子力ロビーのその他のプロジェクト
仲介者たちのおかげで、その時々の必要性に応じて、名前(チェルノブイリの交差点)が変わるのだが、原子力庁の専門家に2001-2年の冬の間支援されたロビーは、ストリン地区よりもっと汚染されたチェルノブイリにもっと近い地方を今こそ復興させねばいけないと、ベラルーシの行政といくつかの官庁の代表者たちを説得しようとした。目標は、平米40キュリーまで、あるいはそれ以上の汚染のあるところでも、生活し、仕事し、耕作することが可能なことを見せるためである。また忠告や教育的ランドセルを提供することによって、これらの土地は、子供たちの健康に何の危険もないのだと示すことである。
この間、ネステレンコ教授は、彼に約束されていた住民保護のための彼の作業の支援を貪られ、2001年春にそのための方法を確立したのだが、心臓専門医と眼下専門医が増強されたベルラド研究所の45人の技術士、放射能測定技師、科学者に対する援助を受ける可能性は少ない。CEPNの住民に有用な、チェルノブイリの降下物によって高度に汚染された地域に生活せざるを得ない子供たちの健康改善に当てられたこの作業に対する支援は、ユートピアに過ぎないことが証明された。
もし、原子力ロビーの指令に従う専門家たちが、今から短期間に、平米あたりセシウム137が5-40キュリー、あるいはそれ以上で汚染された地域の放射能の状況は、ジャガイモを栽培できるし、観光業のために保全された自然保護地域として、もうじきチェルノブイリ原発の30キロ以内を含む避難させられた全ての土地を再占有するという目的のために、労働者とその家族が定住も可能だというなら、彼らの報告書は、子供たちの惨劇的な状態に関する全てのことを故意に言い落とさなければなるまい。
結果として、能力があり、独立した小児科医、眼科医、内分泌腺医、免疫医、そして充分設備を持った測定技師たちを排除しなければならないのである。健康の専門家の不在は、<故意の言い落としによる嘘>に基づいた<鍵の嘘>に行き着く。ここにおいては、ひとつの根本的な資料のことであり、原子力ロビーが16年間、何といっても必要だったものなのである。
この規模の<故意の言い落とし>を含んだプロジェクトを前にして、諮問され、また同時に共同出資者でもあった大学人たちは、「ノン」(否)と言うことを知るべきではないだろうか。
ミッシェル・フェルネックス
(スイス、バーゼル大学医学部名誉教授)
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