2012年9月29日土曜日
原発事故で時間が止まった街~警戒区域・浪江町ルポ(下)
http://ameblo.jp/rain37/entry-11364228016.html
片付けられることなく荒れ放題の男性宅。片付けたところで先の見えない放射能汚染。さらに西に向かうと、そこには高濃度に汚染された陶芸の杜と高瀬川があった。そして、3.11のスポーツ紙が色あせて並んでいるコンビニエンスストア。時間が止まった街・浪江町。その汚染の酷さを目の当たりにするほど、住民の悲しみが突き刺さる。ふるさとは本当に、元の浪江に戻ることができるのか.
浪江中学校からほど近い男性の自宅。手入れが
できないので荒れ放題(上)
自宅そばではコスモスがきれいな花を咲かせてい
るが、放射線量は4-5μSVに達する(中)
庭の雑草に線量計を置くと8μSVを超した.
【原発事故さえなければ暮らせたのに…】
「カビ臭いですけど、どうぞ」
男性(58)は、30年以上住み慣れた家に裏の勝手口から招き入れてくれた。玄関前の庭は雑草が伸びて入れない。敷地内に入るだけで、手元の線量計は5μSV前後を示している。足元の雑草にかざすと8μSVを超した。男性は浪江町から貸与されている線量計を持参していたが、2.5μSVで設定されているアラーム(警報音)はマイカーを降りてから鳴りっぱなしだ。首から下げた線量計を見せてもらうと3.98μSV。私の線量計が高めに測定されるのか、行政が貸与している線量計が低めに出るのか…。
勝手口ではレジ袋を2枚渡された。「靴のまま室内に入っていただいて良いんですが、そうすると放射性物質を持ち込んでしまうのでお願いします」と男性。両足に袋をかぶせて、靴のまま失礼する。
たしかにカビ臭なのかほこりなのか、臭いがきつい。台所はぐちゃぐちゃ、居間も棚から落ちた物が散乱している。男性の部屋はオーディオスピーカーは倒れ、本などがバラまかれたような状態だ。1.0μSVに設定した私の線量計は、室内でもバイブレーションが動きっぱなし。2-3μSVを推移した。町の線量計も反応し続けている。
男性は、持参した工具を使い本棚を解体し始めた。避難先に持っていくという。
「私は何から何まで東電と縁がありましてね。この本棚も昔、東電社宅を解体した時に出た廃材を利用して自分で作ったんですよ。東電関係の仕事もした私が今や、東電のおかげで避難生活を強いられているんですからね。これが浪江町なんです。原発のおかげで雇用が生まれるだの地域が発展するだの言われて、結局は原発のおかげで住むことが出来なくなってしまった。なんという皮肉ですかね」
わずか数十分の滞在。別れを惜しむように、男性は持参したデジタルカメラで撮影し、施錠を確認してわが家を後にする。
「亡くなった方には申し訳ないけれど、いっそのこと津波で流されてしまった方が良かったと思う時もあるよ。放射性物質の拡散さえなければ、今ごろ室内を片付け、部分的に修繕をして、庭の雑草を刈って生活することができるんですから。つらいですよ。自宅は崩れていないのに住めないなんて」
そして、寂しそうに言った。
「もう、ここで暮らすことは無理でしょうね。世界でも珍しい、名前は残っていても人の住めない町。町がそっくり無くなってしまったんだ」
民の声新聞-庭③
民の声新聞-庭②
民の声新聞-庭①
浪江中学校からほど近い男性の自宅。手入れが
できないので荒れ放題(上)
自宅そばではコスモスがきれいな花を咲かせてい
るが、放射線量は4-5μSVに達する(中)
庭の雑草に線量計を置くと8μSVを超した(下)
【高濃度汚染の陶芸の杜や高瀬川】
男性にお願いして、少し車を走らせてもらった。
向かったのは陶芸で知られる大堀地区。「山麓道路」と呼ばれる県道35号線の両脇に「大堀相馬焼」と書かれた看板がいくつも立ち、陶芸品の店が並ぶ。手元の線量計は車内でも上昇を始めている。
大堀相馬焼協同組合が運営する「陶芸の杜おおもり」で車から降りる。広い駐車場に止まっている車はない。本来なら陶芸教室などでにぎわっているはずだが、当然ながら人の姿もない。国の設置したモニタリングポストが13μ超の数値を示しているのが見える。男性は「うわー」と叫んであわてて車の窓を閉め、思わずマスクに手をやった。手元の線量計は14-15μSVに達していた。
男性の表情が曇っている。こんな高線量の場所からは一秒でも早く離れたいのは当然だ。私は頭を下げ、さらに車を走らせてもらった。どうしても行きたい場所があった。国のモニタリングポストで町内で最も高い25μSVを計測している「小丸多目的集会所」だ。
しかし車は、高瀬川渓谷の入り口に設置された通行止めの看板によって行く手を遮られてしまった。何とも言えない安堵の表情を浮かべる男性を残し、車を降りる。アユ釣りが解禁されると多くの人が糸を垂れる美しい高瀬川。手元の線量計はここでも、軽く2ケタに達した放射線量を表示している。橋の上で12μSV超、山に続く道の脇では16μSVを超した。この先に25μSVもの高濃度汚染地帯がある。この目で確かめたいが仕方ない。後ろ髪を引かれる思いで男性の待つ車に戻る。高瀬川の流れる音が心地よい。原発事故さえなければ。
ふるさとに戻りたいと願う町民と、高濃度に汚染されたままの町。
これだけ汚染された町に、本当に人が戻ることなど可能なのだろうか。
図らずもふるさとの汚染具合を知ることになってしまった男性の口数が少ない。アクセルを踏む足に力がこもる。道端からイタチがひょっこりと顔を出し、また草の中に引っ込んだ。だが私は、その姿に気づくのがやっと。そのくらい心は乱れていた。浪江の自然は本当に原状回復できるのだろうか。
民の声新聞-おおぼり
民の声新聞-高瀬川
14-15μSVに達した「陶芸の杜おおぼり」(上)
下の写真は高瀬川。美しい清流も原発事故によ
って汚されてしまった
【坂上二郎さんの死を報じる3.11の新聞】
ファミリーマート浪江加倉前店は、クモの巣がいくつも張りめぐらされ、大きなクモが新たな主となっていた。真っ暗で商品が散乱した店内が辛うじて見える。店員も買い物客もいない、不気味な廃墟のような店舗。
コメリの反対側にあるローソン浪江加倉店では、茶色く色あせたスポーツ紙が置かれているのが見えた。目を凝らすと、欽ちゃんが鳴いている写真が見える。「飛びます飛びます」の見出し。そこで私は思わず唸った。コメディアン・坂上二郎さんの訃報を大きく扱った3月11日付の新聞なのだ。屋根にとまったカラスが大きな声で鳴いている。その声で我に返る。あの日、14時46分までは普段通りの日常風景があったはずのコンビニ。大地震、そして原発事故による避難で時間がそこで止まっている。
浪江駅近くのショッピングセンター・サンプラザでは、地震の大きな揺れによる傷跡が今も生々しく残されている。
マクドナルドは原型をとどめているものの、店舗前の雑草は伸び放題。反対側のレンタルビデオ店「ゲオ」は外壁の崩落が酷く、店内もCDなどが散乱している。男性が「かなりの数の商品が持ち出されたと聞いた」という電器店は真っ暗のままだが、入り口がベニヤ板で補強されている。これ以上、盗み出されないためだろうか。クリーニング店をのぞくと、店内の張り紙に「3月11日は工場が休みのため当日仕上がりは受け付けられません」と書かれている。
すべてが3.11で止まってしまっている街。
「いくら愛着があったってどうにもならない。どうしようもないだろ」
男性の言葉が哀しい。
「いつまで今のアパートで生活するのか。早く引っ越して落ち着きたい」
本当は、住み慣れた我が家で暮らすのが一番落ち着くのだが…。
民の声新聞-新聞スタンド
民の声新聞-ゲオ
コンビニには、茶色く色あせたスポーツ紙が並ん
でいた。昨年3月11日付の新聞だ(上)
ショッピングセンター・サンプラザ内の「ゲオ」は、
大地震による崩落の跡が生々しく残されている(下)
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