2013年4月17日水曜日
(➀知られていない内部被曝の真実.②(福島事故後のお母さんたちの反応)➂(東京での3月15日)④(今すべき優先順位の高い三つのこと)竹野内真理(ジャーナリスト、翻訳家)
http://takenouchimari.blogspot.jp/2013/02/blog-post_7.html
さて、内部被曝については、真実が残念ながら日本の大手メディアが伝えないようなので、ここでまとめてみようと思う。大きく5点あるのだが、まず1点目は生体への影響が無視されている。たとえて言うなら外部被曝は、炭火の暖炉に当たっているようなものであり、内部被曝は火のついた炭火を鼻の穴や口の中に入れてしまうに等しい。しかもこの火は、自然の火のように完全に消えることがないのである。生体への影響が異なることは明らかであり、体内のどこに沈着するかによって、度合いも異なることは明白だが、このあたりまえの点が無視されている。
第二に、日本政府がよりどころとしている、ICRPの基準であるが、ICRP自体がこの内部被曝のリスクをきちんと考慮に入れていない。実際2009年には、ICRPの科学事務局長(Scientific Secretary)を20年務めたJack Valentin博士が、「内部被曝による被曝は数百倍も過小評価されている可能性があるため、ICRPモデルを原発事故に使用することはもはやできない。体制側にある放射線防護機関は、チェルノブイリのリスクモデルを見ておらず、誤った評価をしている」と告白したというのだ。(http://vimeo.com/15398081)
第三に、多くの学者が引用している「100mSVまでなら健康に被害はない」という主張であるが、近年はそうとも限らない研究が出てきている。たとえば2007年に放射線医学総合研究所発行の『虎の巻 低線量放射線と健康影響』を見ると、始めのほうのカラーで読みやすいページには、100mSV以下ではリスクのないような書き方をしているが、後半のより専門的なページには、以下のような引用がある。2005年には15カ国の被曝労働者を対象にしたWHO国際がん研究機関が行った検査で、「10mSVでもがんのリスクが有意に検出された」というのである!また、低線量において影響が急激に高まる「ペトカウ効果」は、近年では「逆線量率効果」という専門用語がついているほど認知された理論であり、上記の書では、なんと三箇所で上に凸の線量効果曲線が引用されているほどである。
第四に、それぞれの核種の毒性が十分に語られていない。例えば、セシウムについては尿として排出されるので、たいした毒性はないかのように説明する学者がTVに登場していたが、ゴメリ医科大学元学長で病理学部長であったバンダジェフスキー博士によると、ゴメリ州で突然死した患者の実に9割で腎臓が破壊されていたという。さらにバンダジェフスキー博士によれば、セシウムは新陳代謝の少ない心筋に重大な影響を引き起こし、現在のベラルーシの死因の半数以上が心臓病であるという。子どもたちの間での心臓疾患の増加も深刻で、この事態は、ドキュメンタリー映画「チェルノブイリハート」にも生々しく描かれている。またセシウムは、甲状腺がんもヨウ素と相乗効果を持って引き起こすというし、腎臓、肝臓、免疫系、生殖系、消化器系、ホルモン系などあらゆる臓器に悪影響を引き起こすという。(ちなみに久保田護訳のバンダジェフスキー博士の論文は近日中に合同出版から出版予定である)
ストロンチウム90についても、骨に蓄積し、ガンを引き起こすほかにも免疫力の低下、流産の増加を引き起こす非常に危険な物質である上に、なかなか排出されないというやっかいな性質を持つ。さらにストロンチウム90が崩壊した後に生成される娘核種のイットリウム90は、すい臓に蓄積し、糖尿病やすい臓がんの原因になるほか、脳下垂体に蓄積することで、胎児の肺機能の形成を阻害し、見た目はなんら健康児と変わらない赤ん坊が突然死を起こすことがあるというのである。
5点目は、なんといっても日本の基準値500Bq/kgが高すぎることだろう。このことについては、10月14日発売の「週間金曜日」の私の記事にも詳述しておいたが、たった一日10Bqのセシウム摂取であっても、70kgの成人で600日後に、30kgの子どもであれば、100日以内に体内濃度20Bq/kgに達してしまうというグラフが2009年にICRPのPublication111に掲載されている。20Bq/kgというのは、先に述べたバンダジェフスキー博士が心臓に異変が生じ始めるとする体内濃度であり、一日10Bq というのは、大人で現在の日本の基準値のたった100分の1の濃度の食料を摂取した場合の話だ。体制側が金科玉条のように扱っているICRPのデータなのだから、誰も文句が言えないはずだ。日本の500Bq/kgは成人にとっても殺人的に高い。子どもについては、ドイツの放射線防護委員会の基準値は4Bq/kg、さらに10月に来日したベルラド研究所のウラジーミル・バベンコ氏は、「子どもに関してはゼロBq/kgにすべきだ。」と述べているほどである。
この問題は子どもたちの命や健康に直結するので、この事実に関する情報の普及は緊急を要する。なぜNHKを始めとするマスコミは、報道しないのだろうか。政治や利権から発生したジャンク・サイエンスではなく、真のサイエンスを、専門家もマスコミも追求してほしい。そして、なによりも、人々の健康を預かる日本医師会及び日本全国の医師の皆さんにも早くこの事実を認知してほしいし、その上で行動を起こして欲しいのである。そうでなければ、私は日本の未来はないと真面目に考えている。
(福島事故後のお母さんたちの反応)
子どもたちの将来を一番真剣に考えるのは、言わずもがなお母さんたちである。自分も1歳の息子がいるので痛いほどよくわかる。文部科学省の学校における20mSVを上限とする対応は、子どもたちの将来を無視した残酷極まりないものだった。命や健康を無視して教育もへったくれもない。腹の底から怒りを感じ、直後に文部科学省に抗議の電話をかけた。担当者によれば抗議電話は他にも結構あったらしいが、予想通り気のない返事であった。
そのような中、福島のお母さんたちを中心にした市民が文部科学省を取り囲み、学校での被曝上限を1mSVにさせた出来事は圧巻であった。子どもを心配するお母さんたちは涙を流して官僚たちに訴えた。子どもたちの命や健康を想う心は、お母さんたちにかなうものはない。私は時々、政治家も官僚も、お母さんたちや女性たちを少なくとも半数にすべきではないかと思うことがある。命が一番大事であるというあたりまえの真実が、どうもこの国の政治には反映されていないからである。そして子どもたちの将来のために行動するお母さんたちは、かつて米国において大気圏内核実験が止まったときのように、大変な力を持っているからである。
ところが先日、別の知り合いのお母さんから、違う様子の話も聞いてショックを受けた。この福島原発事故に関して、まるで「見ざる・言わざる・聞かざる」のようなお母さんたちも結構いるというのである。つまり、思考停止してしまったのか、考えることがあまりにつらいのか、日本特有の事なかれ主義で目立つのが嫌なのかは知らないが、周りのお母さんと歩調を合わせて、事故の話をするのをタブーにしている母親も大勢いるという。普段どおりに行動し、挙句の果てにはホットスポットが見つかったという地域の近くでさえも、芝生の上で赤ん坊を這わせている。給食や食べ物にもあまり気を使わず、鼻血が出ても、放射能のせいだとは考えない。数年後に例えばその赤ちゃんや子どもが小児ガンなどの重い病気になって苦しむのを見たとき、その母親はどうするつもりなのであろうか。
こういうお母さんたちは、自分の今の精神的安定を求めるため、ジャンク・サイエンス的な楽観論を掲げる専門家たちを敢えて信じているのであろうか。すなわち、気にせずニコニコ笑って普段どおりに行動すれば、放射能の被害が自分たちを避けてくれるとでも思っているのであろうか。しかしその間にも、科学的に引き起こされる子どもたちの真の健康への実害は、かわいそうなことに罪のない子どもたちが背負わねばならないのである。
もちろん、母親は子どもをすぐにでも安全な場所に連れて行きたいのだが、祖父母や夫に理解がなく、生活を変えられないというケースも多いと聞く。悲しいケースが、放射能についてよくわからない農家の祖父母が自分たちの作った汚染野菜を無理やり嫁と孫に食べさせ、子どもたちが病気になったという話も聞く。どんなに母親はつらいだろうか。このような話を聞くと、NHKなどの公共のマスコミが真実を伝えること、そして政府が子どもの命を守るための正しい政策を打ち出すことの必要性がますます明らかになる。事は緊急を要する。
しかもこのまま行けば、誰も責任を取らず、チェルノブイリでそうであったように、甲状腺がん以外はストレスのせいにするのであろう。あたりまえのことを付け足しておくが、赤ん坊や幼な子は放射能なんてことは知らないので、ストレスのせいで病気を発症したなどという言い訳は通用しない。巷では「風評被害」がいやに大きく取りざたされるが、私は声を大にして何度でもいいたい。「風評被害」より「健康被害」のほうがよっぽど大事だ。健康問題は命の問題であり、未来そのものである。しかも大人の私たちが気をつけねば、子どもたちの命や健康を守ることはできない。これ以上大事なことはないはずだ。汚染地帯から子どもを避難させ、汚染食物を子どもたちに食べさせてはならない。
(東京での3月15日)
しかし実は私自身、上記の「見ざる・聞かざる・言わざる」のお母さんたちを全面的に非難できないような、取り返しのつかないことをしてしまった。都内で放射能雲が一番濃厚であった15日午前中、マスクをつけずにふたりで外にいたのである。赤ちゃんを持つまで気づかなかったが、一番放射能に弱い赤ちゃんは、マスクをじっとつけてなんてくれない。
私が原発問題を初めて知ったのは1999年。ある講演会で、米国人科学者が、米国での原発事故におけるシミュレーションの話をし、私は買ったばかりのコンピュータを使ってみたいと、英文入力しながら聞いていたのである。その時聞いた想定はなんとステーションブラックアウト(フクシマで起きた電源喪失事故)で、私はこのとき生まれて初めて原発の危険性に気づいた。そして事故後に「晩発死が多数発生する」という深刻な原発事故の影響に驚いたのであった。内容の重大性に驚き、その後自宅で一語一句日本語に翻訳したのだが、自分でも驚いたことに訳しながらも、訳し終えた後も、涙が止まらなくなってしまったのである。これほど恐ろしいことが世の中にあるものかと、大げさでなく自分の人生でかつてないほどのショックを受けた。
それから夢中で行動した。そして情報を得れば得るほど、原発というものがとんでもないものということを知った。しかも日本は地震という大問題もある。それまで市民活動なんてひとつもしたことがなかった私が、あたりまえのように脱原発活動にのめりこんだ。とにかく知らない人に知らせなければと思った。他人も自分同様、命に関わる大変な問題として自ら早急に行動してくれる問題かと思っていた。私にとっては、さだめし、沈みゆくタイタニックの号の亀裂を見つけたような思いで、政府関連や大使館、IAEAの人も含む、さまざまな人々に訴えた。が、実際私のような危機感を抱く人は、事故前にはほんの少数しかおらず、現実的になかなか広がるものではなかった。この間に私の感じた失望と焦燥感とストレスは極めて大きかった。
そして起きた3月11日。呆然として見ていたTVの画面に「電源喪失」の文字。99年にやった翻訳が頭によみがえる。背筋が凍った。冷却水が止まったからには、次に起きるのは燃料露出であり、メルトダウンだ。大量の放射能が放出されるのは間違いない。水素爆発も起こりえる。普段の私であれば、可能な限り早く東京を離れていたと思う。ただ実際にこのような事故が起きて思ったのは、「自分はこの後、福島や東北の人々の健康に大変な被害が起きるかわかっている。日本の政府や官僚、電力会社、マスコミが可能な限り事故を過小評価しようとするのもわかっている。このままでは東北の人たちが大変なことになる。政府やマスコミの集中する東京を離れる前に自分に何かできないか」とおこがましいながらも真面目に考えたのだ。
結局考えた末、14日朝にアイデアを思いついた。低線量でも起こる被曝障害について、尊敬する肥田舜太郎医師と原爆被爆者、そして被曝労働者(または遺族)を交え、外国人記者クラブで「低線量の被曝でも危険だから福島や東北の人はできる限り早く遠くに逃げよ」と警告をする記者会見を開けないかと思いついた。低線量被曝問題の大家である肥田先生とは、2003年に出会い、特にここ2年ほどは翻訳の協力を頼まれており、よく連絡させてもらっているのである。
先生に電話したところ午後にやっとつながった。先生の意見は冷静で確固としたものだった。「あなたのそのアイデアはなかなか興味深いが、今東北では津波で流されている人たちがいるのですよ。今このタイミングで低線量被曝の情報を流したら、東北に救援に行く人が少なくなってしまうかもしれない。勇み足でそのようなことをするのは、益よりも害が多い。」私は納得し、自分は浅はかだったと思った。これが原発震災の厳しい現実だ。津波や地震で打撃を与えられた地域には、まだ犠牲者・行方不明者が多い。原発事故があったとしても彼らを助けに行く人々が多数必要なのである。直前まで勝手に1人で戦闘ムードであった分、私は肥田先生に諭され、意気消沈してしまった。
電話をかけおわったとき、私は脱原発市民団体「たんぽぽ舎」のオフィスで呆然としていた。歩き始めたばかりの息子はニコニコと両手を挙げて室内を歩き回っていた。そのすぐ脇のビデオでは偶然にも、3号炉の爆発シーンが写っていた。外国人記者クラブの計画がだめになってしまった今、ドラスティックに東京から情報を世間に訴える方法はなくなってしまった。この期に及んでは、やはり大事な子どもを守るため、東京を出たほうがよいのではないか、とぼんやりと思いついた。私がそのようにたんぽぽ舎のリーダーに相談すると、「残って活動して欲しい」と言われたが、自分ひとりならともかく、やはり子どもが大事なので東京を離れることに決めた。
3月15日午後の便で東京を離れ沖縄に飛んだ。私は15日の朝一番の便で飛ばなかったことを今でもとてもとても後悔している。「乗ろうと思えば乗れたのに。あの時あと数時間前の飛行機に乗っていたら・・・」と過ぎてしまったことを何度も何度も思い返すのである。こんなに時計の針を逆回しできないだろうかと思ったことはない。
私と1歳4ヶ月の息子は、放射能雲が一番濃かった15日午前中から昼過ぎの時間帯、沖縄に発つ前に雑用を済ませるため、ずっと屋外にいた。今まで10年以上も原発に危機感を抱き、時には海外に移住しようかと画策していたほどの自分が、うかつなことにいざ事故が起こったら、政府による真実を隠蔽した楽観的な発表に沿った危機感のない行動をしてしまった。
もちろん政府が放射能雲の到来について正直な発表を迅速に行わなかったことに一番の非はある。SPEEDIシステムの開発に数百億もの税金を使っておきながら、公表すべきときに公表せず、国民の健康と命を犠牲にした国の行為は犯罪的であり、いつかは裁かれる日がくるであろう。いや裁かねばならない。
しかし同時に自分の心にも説明不能な油断が生まれてしまっていた。その意味で私は先ほどの「見ざる・言わざる・聞かざる」のお母さんたちを責めることができない。知識がまったくないのならいざ知らず、少しはあるにも関わらず、事故で放射能が流れてくる可能性を忘れ、親として守るべき子どもに対し取り返しのつかないことをしてしまったのだ。原発が事故を起こしたのも、放射能雲の警告をしなかったのも政府の責任であるが、母親として精一杯子どもを守る、という最も大事な責務を、理由は何であれ十分に遂行できなかったのである。
その時の自転車上での空気の感覚を今でも鮮明に覚えている。晴れていてやや風が吹いていて、普段とまったく変わらないさわやかな空気であった。しかしこのとき、世田谷区にある東京都産業労働局で立方メートルあたり数百ベクレルという濃厚な放射性物質の量が測定されていた。また、小出裕章京都大学助教の以下のデータが後から発表された。ところがこのときの国会中継はTVで放送されなかった。小出氏はデータの数値をパニックになるからと上司から発表を止められたという。http://www.page.sannet.ne.jp/stopthemonju/home/11.3.25tokyomienaikumo.pdf
( 訳者も子どもとともに体調を崩す)
それからひと月ちょっとたった4月の後半より、今まで風邪で熱など一回も出したことがなかった息子が高熱を出し始めた。多くの乳児がかかるという突発性発疹というのは生後8ヶ月ころにかかったが、マニュアルどおり5日で全快し、それ以外には風邪ひとつ引かない子だったのである。翻訳の仕事が忙しく、冬の時期には近くの預かり所に4、5時間預けたことも時々あったが、周りの子どもの風邪がうつることも一度もなかった。産後に体が弱っていた私が風邪を何度も引いて熱を出しても、添い寝をしている息子にはまったくうつらないくらい健康で丈夫な子どもだった。免疫が切れるといわれる生後6ヶ月から1年も難なく過ぎ、1歳4ヶ月の息子は病気知らずのすこぶる健康優良児だったのだ。
沖縄の保育園に行っても、入学して2週間は今まで通り元気であった。しかしその後体調を崩してからは、一ヵ月半あまりの間に合計10回以上も高熱をだした。熱が下がったときに保育園に連れて行っても、園の先生によれば、座りっぱなしのときが多くなったり、みなで散歩に行っても途中で歩くのを止めてしまい、先生が抱っこして運ばねばならかった時もあったと聞いた。真っ先に頭にかすんだのは、「原爆ぶらぶら病のようになってしまったらどうしよう」だった。子どもの元気がなくなることほど母親として心配なことはない。食欲も落ち、一時期は丸々していた体がやせてしまった。また体中に発疹が出やすくなり、一時期はかわいそうなくらい全身ボツボツだらけになった。今まで抱いた時の感触がつるつるだった肌が、ざらざらになった。そして風邪がやっと治ったかと思った矢先、ウィルス性の感染症である手足口病にかかり、咳もしばらく続いた。2ヶ月経てやっと回復したが、その後軽い下痢を起こした。こんなことは以前はなかった。もちろん子どもは放射能なんか知らないので、放射能恐怖症・ストレス性などということはありえない。
「ママ、ジュース、わんわん」とやっとしゃべれるようになったかわいい息子。健康優良児で生まれ、母乳をなるべく長くやって元気な子に育てようと頑張ってきたのに・・・。息子が調子を崩すたびに、3月15日の放射能雲のことを思い出し、悲しい気持ちでいっぱいになる。(東京にいた私でさえ、こうなのである。福島のお母さんたちは、いかほどであろうか。)
体調を崩し始めたとき、私自身は2冊目の翻訳書『人間と環境への低レベル放射能』の最終校正で忙殺され、心配している暇もなかったのだが、息子と同時期くらいに熱が出始め、5月のはじめには、検査をしてもインフルエンザでも肺炎でもないのに、39度台の熱が連続8日間もまったく下がらなかった。そのような風邪を私は人生において引いたことがない。しかし始めのうち私は、締め切りのことばかり考え、3月15日のことはほとんど頭になかった-というか、考えようとしていなかった。実際被曝していたとしたら、あまりにも自分にとってショッキングなことなので、無意識に思考停止していたのかもしれない。
本格的に気付いたのは、6月初頭、広島の被爆医師である肥田舜太郎先生から、野呂美加さんの「チェルノブイリのかけはし」という団体を通じて東京で健康相談会をしたところ、東京在住の人たちにも下痢や鼻血、中には甲状腺の腫れも含む低線量被曝症状が出ているという手紙を受け取ったときだった。先生は手紙の中で、「あなたの沖縄行きの選択は正しい。子どものために東京にはしばらく戻らないほうがよい」と書かれてあった。
肥田舜太郎先生には、子どもと自分の健康相談をちょくちょく電話で話しをさせてもらったところ、長引いていたのでかなり心配してくださった。内部被曝には現在の医学ではほとんど対症療法しかないという。母子とも症状が出て2ヶ月たってやっと落ち着いたが、自分は黄色い痰だけはあいかわらずのどの奥のほうからじわじわと出続け、なんとなく気管支のあたりがむずがゆいような違和感がしばらく残った。今までになかった現象であり、非常に気味が悪かった。
米国では、核実験の死の灰が降った後、子どもの間でインフルエンザと肺炎による乳児死亡率が増えたというデータがある。内部被曝は免疫系を攻撃するため、ガンのみでなく、呼吸器系疾患や感染症を含むあらゆる病気にもつながる。日本でも今年、肺炎やウィルス性の感染症が異常に増えているという。関係がないと果たして断定できるだろうか。
6月16日、東京新聞では、郡山市で6歳と2歳の子どもが鼻血を出し続けたという記事を載せた。(http://savechild.net/archives/2937.html)また、ジャーナリストの木下黄太氏のブログ「警告:東京など首都圏で低線量被曝の症状が子どもたちにおきているという情報」を読むと各地で事故以後に鼻血、下痢、発熱、甲状腺の腫れ、皮膚症状、脱毛、紫斑、長引く風邪、感染症へのかかり易さなどの症状が出ており、投稿者の中には医師もいるのである。(http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/945898fc22160543b404a9ca949cefe5)
6月30日、とうとう福島市内の子どもたち10人の尿を検査した結果、全員からセシウムが検出されたという。なんと悲しいニュースであろうか。琉球大学名誉教授で内部被曝に詳しい矢ヶ崎克馬氏によれば、尿の検出値の約150倍が体内に残存していると推定されるという。前述の木下黄太氏によると、横浜でも6~8Bqのセシウムが尿から検出された子どもが出たという。6Bqとしても6Bq×150=900Bqという数値であり、仮にこの児童が45kgの体重であるとすると、体内濃度は20Bq/kg となり、バンダジェフスキー論文では、心臓に異変が起こる数値なのである!ちなみにバンダジェフスキー論文を訳した茨城県に住む久保田先生も先日ベラルーシでご自身を9月に測定したところ、20Bq/kgだったという。
7月5日、福島県の郡山にある地方裁判所で「ふくしま集団疎開裁判」が始まった。非常に重要な裁判で今後の展開が注目され、全国民が注目すべき裁判である。汚染地から子どもを避難させること、これは私たちが第一番にやるべきことである。繰り返えさせてもらうが、子どもを避難させてから、健康調査をすべきである。順序が逆では、福島県民をモルモットにしていると言われても、当然のことであり、これは犯罪に値するのではないか。実際に、ライターの広瀬隆氏と明石昇二郎氏は、7月15日に山下俊一氏を含む学者、東電関係者、行政関係者計32名を刑事告発している。http://www.youtube.com/watch?v=b_mddLgBU38
10月9日、福島県は、18歳以下の子ども36万人の甲状腺エコー検査を生涯行うことを決めた。しかし、エコー検査とは、腫瘍やガンの発見のためのものであり、その前に起こる異変を検知するには、血液検査こそが必要である。子どもたちががんになるまで待つというのであろうか?ちなみにこのエコー検査の機器は、原発メーカーの東芝と日立の子会社も入っているそうだ。しかもあまり知られていないことだが、日本甲状腺学会の理事長は、前述の山下俊一氏である!このことはいったい何を意味しているのだろう。
(今すべき優先順位の高い三つのこと)
チェルノブイリの医療支援を5年半行い、現松本市長の菅谷昭さんも映画監督の宮崎駿さんも「福島の子どもたちは皆疎開させるべきだ」と言っているという。本当にそのとおりだ。その土地に長年暮らし、どうしても離れられないという中高年以降の人々については仕方のないところもあるかもしれない。しかし、人生これからの子どもたち、そして子どもを産む若い世代に人々は、早急に取り返しのつかないことになるまえに汚染地帯から離れるべきである。当たり前のことであるが、風評被害よりも健康の実害を一番に考えなければならない。ところがこの当たり前のことが、今の日本ではやられていないのだ!やるべきことの順序がまったく間違っているのである。すなわち、まず子どもたちを避難させてから健康調査をするのではなく、被曝をさせ続けておいて健康調査とは何事だろう。まさか広島や長崎であったように、データを集めの目的で、福島の子どもたちをモルモットにする気なのであろうか。前述の山下俊一氏は、ドイツのジャーナリストから「被験者の数は何人になるのか」という質問に「200万人の福島県民全員です。科学界に記録を打ち立てる大規模な研究になります。」と答えたそうだが、背筋が凍る話であり、まったく道義的に許せない事態である。とにかく汚染地帯から人々、特に子どもや若者を避難させること、これが優先順位第一位のことであり、これがなされなければこの国の未来はないだろう。
二番目に重要だと思われるのが、今後持続される食物による内部被曝を防ぐため、国で汚染されていない食料を確保することである。この本を書いている間にも、牛肉のセシウム汚染がますます深刻になってきた。内閣府食品安全委員会専門委員の唐木英明東大名誉教授などは、基準値を超えた牛肉を食べても大丈夫だと強弁している。(ちなみにこの唐木氏は狂牛病問題でも食品安全委員会委員でありながら、米国食肉連合会と関係をもち、率先して安全性をPRしていたという!)前述のとおり、日本の基準値のわずか100分の1の汚染に過ぎない食物を食べていても、ICRPのPublication111(2009)によれば、バンダチェフスキー博士が心臓に異変が起こるとする20Bq/kgのセシウム体内濃度に大人で約600日、子どもだと約100日で達する。日本の驚異的な基準値500Bq/kgは早期に撤廃させるべきである。同時に、農業者・漁業者には、危険な農作物や魚介類を出荷を止めさせ、十分な補償を長期にわたって支給することである。これは現状汚染地域で働き続けねばならない農家や漁業関係者の家族の健康や命を守るためでもある。また、日本全国の土壌や環境の放射能汚染の拡散を防ぐために、瓦礫の拡散や汚染ゴミの焼却を規制することも非常に重大だ。
第三に、今ある原発を再稼動させないことである。これは当然のことであるのだが、それだけではない。4号炉は稼動していなくとも水素爆発にいたったのであるから、停止中の原発であっても、燃料プールおよびその周りの構造物の耐震性を確保せねばならない。原発を稼動させるかどうか以前の問題である。停止中の原発であっても、大地震と津波で大事故が起きる可能性があることは、4号炉が証明してくれたではないか!
さて、これら三つのことを現実的に行うには、どうすればよいか。私は一番効果的であるのは、世の中の女性たち、特に子どもたちを守るお母さんたちが立ち上がることだと思っている。政府やそれに迎合する大手メディアがきちんとした情報を伝えないのであれば、人々が情報発信源になれば良い。考えつく限りの方法で、つまりコンピュータのネットで、イベントで、出版物で、市民運動で、気づいた人々がつながり、あらゆる手段を使って声を上げることである。そういった動きは既にあちらこちらで生じている。
同時に、すでに低線量被曝によって健康障害を起こしてしまった人々が声を上げることだ。水俣でもイタイイタイ病でもそうであったが、政策を変えさせたのは、ほかでもない、健康被害に苦しみ、命を賭して国や企業に訴えた被害者たちの声であった。私たちはだまって被曝者になっているままではいけないと思う。しっかりと声を上げ、自分の世代と未来の世代においてさらなる被害が拡大しないよう、全力を尽くすべきだと思う。それが、不幸にも被曝してしまった人々の使命感となり、残りの人生の期間がたとえ多少短くなろうとも、命を燃やすことができるのではないかと考えている。
また、被曝者に寄り添い、懸命に活動している間に、94歳でもお元気で活躍している広島被曝医師の肥田舜太郎さんのような、健康で長生きの人生もありえるかもしれない。いずれにせよ、希望を捨てずに毎日を大事に生きて生きたいと思っている。
最後に、本書からの引用をふたつだけ挙げる。ひとつは、ペンシルベニアにある「きれいな環境を求める同盟」を妻と運営するルイス・カスバート博士の言葉である。もうひとつは故ケネディ大統領の大気圏内核実験禁止条約のための演説の一部である。(ちなみにケネディはこのひと月後に暗殺された)原子力災害にもそのまま見事に当てはまると思う。
「私たちには、汚染者に差し出し、犠牲者として捧げられるような、消耗品としての子どもなどひとりもいないのです。」
「骨にガンができ、血液が白血病にかかり、肺ガンになった子どもや孫の数は、統計学的には自然発生の健康障害と比べて少ないかもしれない。しかし、これは自然に起こる健康障害ではなく、統計学の問題でもない。たった一人の子どもの生命の喪失であっても、また我々の死後に生まれるたった一人の子どもの先天性異常であっても、我々全員が憂慮すべき問題だ。 我々の子どもや孫たちは、我々が無関心でいられる単なる統計学的な数字ではない。」
子どもたちの命と健康を守ることは、今の私たちの最優先課題である。そのために本書が活用されれば、訳者にとってこれ以上幸いなことはない。
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