2012年6月23日土曜日

紫陽花革命. http://www.jfissures.org/2012/06/23/hydrangea-revolution/ (マヌエル・ヤン) 「紫陽花革命」が始まった。二〇一二年六月二二日ーー日本のアナキストと社会主義者たちが路上で自発的なデモを行い逮捕された一九二二年「赤旗事件」も、一万八千人が嘉手納空軍基地周辺に集まり抗議を行った一九八七年沖縄反米軍基地デモが起こったのも、六月二二日だーー四万人以上もの人々が東京の野田佳彦首相官邸前で反原発デモに参加した。五月当初には全ての原子力発電が停止しており、3.11災害によって生命と生態の破壊が続行しているにもかかわらず、野田は民意を全く無視して大飯の原発二機の再稼働を先週の土曜日に承認した。以前の歴史的順列において逮捕と拷問によって異議を唱える全てのしるしを直ちに抑圧した(赤旗事件)この国家権力は、今日、デモのやり方を厳重に規制し、民主主義に絶対不可欠である異議を唱える権利を行使する民衆を公安調査庁の動員を通して監視している。そして、民衆の反対を押し切り、米軍基地を沖縄とその他日本各地で維持し、超大国の主人に奴隷根性を丸出して言いなりになり続けている。「紫陽花革命」は原子力に対する反対運動だけではない。それは、戦後の原子力エネルギー開発の前提であった人口管理とアメリカに依存する軍産癒着によって成り立つこの抑圧的国家装置の全体性に対する、全面否定の運動である。 万葉集に大伴家持が詠んだアジサイにまつわる詩がある。「言問はぬ木すらあぢさゐ諸弟(もろと)らが練りのむらとにあざむかれけり」。古代日本国家のヘゲモニー的優勢を巡る八世紀支配階級の様々な陰謀(橘奈良麻呂の乱、氷上川継の乱、藤原仲麻呂暗殺計画)に関わった家持にとって、「アジサイ」は胚芽期の官僚制国家機構における血腥い権力政治の欺きに満ちた色彩をあらわしていた。しかし、原発稼働停止が国家停止の胚芽的メタファーであるわたしたちの感性はリルケの「青いアジサイ」の方に近い。「だが青は突然息を吹き返す/一房の中で、そしてわたしたちに見えるのは/緑の前で歓喜する感動の青」。アジサイは痙攣や麻痺を起こす致死的毒性を有する。詩の力を失った代わりに民衆を殺すことができるようになった陰謀の暴力を得た現代の家持たち、野田と関西電力の首脳部を筆頭とする原子力に依拠する「死の商人たち」は、福島の農婦・母親佐藤幸子が要求したように放射能汚染の土を舐めるだけではなく、路上で今わたしたちが共に耕作している怒りの野原から摘んだアジサイの花束を食わねばならない。

0 件のコメント: