2013年9月6日金曜日

汚染水問題は日本の制度的欠陥から南ドイツ新聞が論評で無責任体制を厳しく指摘. このところ、世界中のメディアが、連日のようにフクシマの高度放射能汚染水の問題を非常に大きく報じています。ついには、「日本政府がここで470億円で汚染水処理に乗り出したのは、東京オリンピックの招聘が危なくなってきたからだ」との論調が、大きく報道されているように、世界の日本政府への不信はもはやそれ自体が危険水域をはるかに越えています。 http://tkajimura.blogspot.de/2013/09/blog-post_6.html 最近のフクシマ発電所廃墟でのだらしなさには責任者がいる:東電である。しかしながら、またこのカオスで得をしている者もいる:これも東電だ。この企業はもっと資金をもらえる。そして日本の政府はフクシマのカオスの共同責任を引き受けるつもりだ。これが東電を安楽にする。    この電力会社は 回避できた三重の大事故に対する自分の責任を、決してまともに受け入れようとはしなかった。始めから、事故処理を場当たり的に、いい加減におこない、何よりも出費を押さえた。そのようにして汚染水のタンクをきっちりと監視することも怠ってきた。送水管の穴をガムテープで塞ごうとした。    ここにきて政府は、問題処理に自ら着手しようと望んでいる。昨年はまだ専門諮問機関は反対していた:匿名の国家が責任を取るならば、だれひとりとして権限があると感じなくなるであろうというのだ。この分析は全く間違いとはいえない。そこで楽観主義者たちだけが、フクシマでは将来も十分責任が果たされるであろうと信じたのだ。 この場当たり主義の背後には、日本が核災害のあとで取り組まねばならなかった本来的な課題が隠れているすなわち責任である。安倍首相は、第二次世界 大戦で日本政府の名前で行われた犯罪に対する責任を、ほんの少しでも受け入れることを今日に至るまで拒否している。日本の歴代政府は何度も繰り返し、スキャンダルから逃避しようとしてきた。これは企業においても同様であり東電でも何度も見られるとおりだ。 特に日本の男性は、有利な条件にほとんど盲目的に従う。それが規則違反であったり、ゴマカシである事が明らかでもそうするのである それぞれの権力の中枢は精神的真空状態が支配しており、国家もそうである。この真空は抽象的な想定で満たされている日本人主義とか東電精神とかによってである。日本の秩序のボスたちは彼らの部下たちと同じくより高いもの「東電の繁栄」に対して義務を負っている。第二次世界大戦後に、日本人はこの忠誠はまさに武士階級から出たメンタリティーに相応するものであると吹き込まれた。ハーバードの日本学者ライシャ ワーの分析で日本人はサムライが殿様に忠義であったように会社に奉公すべきであるという事を多くの日本人は今日迄信じている このモデルが戦後の時期も第一次世界大戦までは上手く機能したのはソニー、パナソニック、トヨタなどの当時の創成期の家長達によって指揮されていた からである東電もふくめて青ざめた背骨のない、かつての命令受領者達によって指導されている。政治もこの体制が継続している!

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